勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう 作:うちっち
魔王城の執務室には、朝から紙が積まれていた。
黒石でできた大机の上に、転送筒から吐き出された報告書が五通。封はすべて同じ。端の方に、丸っこい字で「ネリネ」と書かれている。
魔王は、積まれた報告書を、しばらく見ていた。そして、そっと1枚を手に取り、どこかこわごわと開いた。
黒灰色の長い髪を後ろへ流した、痩せた老王だった。額の左右から伸びる黒い角は王冠のように後ろへ反り、暗い金色の瞳には、座っているだけで周囲を黙らせるだけの威がある。
隣には、側近が何も言わずに控えている。
魔王は、机の上の4通と、今手元にある1通を遠い目で交互に眺めた。
そして疲れたように、手に持った1通に視線を落とす。
『魔王様、お元気ですか?
私は今、セインベルの神殿で休んでいます。
朝食はお粥でした。
昨日のお粥より、少し濃かったです。
塩気もちょっとありました。うれしい。
お粥が薄いと元気がなくなります。
この後は、リューベル療養泉へ寄る予定です。
療養泉なので、食事も体に良さそうで心配です。
あと温泉で卵を温める料理があると聞きました。
魔王様は食べたことありますか?
そういえば、近くには聖剣の祠があるそうです。
勇者一行は人数が増えましたが、みんなそんなに強くありません。安心です。
心配で毎日眠れないかもしれませんが、ぐっすり寝てていいですよ。
一番強い攻撃は薬湯です。
魔王様は薬湯飲んだことありますか?
飲んでから1時間経っても苦いですよ
それでは、おやすみなさい
安眠できるといいですね
ぐうぐう
ネリネ』
「あやつ、ワシのこと、友達かなんかだと思っとる?」
「尊敬はしていると思いますよ」
「これでか?」
「どうでもよかったらたぶん送ってこないので」
「それで送ってきたものがこれか……喜んでいいかどうか迷うのう……」
魔王は、そっと報告書の終わりを指さす。
「それで、この『ぐうぐう』ってなんじゃ? 他もよく分からんが、まだ理解はできる。これだけわからん」
「書いてたら眠くなったんじゃないですかね」
「それ報告書に落とす意味ある? それとこやつ、報告書と食べ歩き日記を勘違いしとらんか」
「魔王様は食べたことありますか、って2回出てきますからね」
「やっぱりあいつワシのこと友達と思ってるんじゃない?」
「親しみを持てるのも上に立つものの条件です」
「むう……そうか……」
魔王は首を振って、じっと報告書を眺めた。
「気になるのは聖剣の祠とかいう物騒な場所と、勇者一行の人数がしれっと増えてるところかの」
「さすがは魔王様です」
「でもどちらも一言しかないんじゃよ。粥の話は5行あるのに」
「ひょっとしたら、次の報告書に続きがあるかもしれませんよ」
「そうじゃの。どれどれ」
魔王は、次の日付と思われる報告書を手に取った。
今度は少しだけ早く封を切る。さすがに次はもう少し報告書らしい内容だろう、という淡い期待があった。
その期待は、一行目から怪しかった。あと、やたらに短かった。
『魔王様、お元気ですか?
勇者が聖剣に挑戦しました。
抜けました。
ぴかぴか光ってまぶしいですよ
おやすみなさい
すやあ
ネリネ』
「あやつは……報告書というものを舐めておるのか……?」
「いちおう勇者が聖剣を手に入れたことは分かりますね」
「性能やらを書かんかい。あと、この『すやあ』ってなんじゃ?」
「安眠を伝えているのでは」
「それワシに言う必要ある?」
魔王は椅子に深く沈み込んだ。
「二枚しか読んでおらぬのに、眩暈がしてきたが……いちおう残りも読むか……」
「いきなり勇者が出てきましたからね。むしろ、前半の三枚にこそ必要な情報が隠れていると考えていいでしょう」
「隠すな。報告書なんじゃから」
その時だった。
コンコン、と規則正しいノックが響いた。
魔王と側近は顔を見合わせる。
まだ名乗られていない。
だが、誰が来たのかは分かった。
「あやつ今日も来たぞ……」
「来ましたね」
側近が扉を開ける。
顔を見せたのはノルクだった。
黒い外套をきちんと留め、背筋を伸ばし、表情はいつも通りの涼しげな顔。
「魔王様。今日こそ、ネリネ様を魔王城に戻していただきたい。監視には別の者を向かわせましょう。『終焉の間』の守護者が不在だったはずです。ネリネ様は、あちらの守りをしていただければよいと思われます」
「早口で喋ってるところ悪いんじゃが、毎日来るのはやめてくれんか」
「お返事がいただけませんでしたので」
「ワシ、断らんかった?」
「いいお返事がいただけませんでしたので」
「明日も来る気だなこやつ!!!」
側近が、軽く咳払いした。
「ノルク。無礼だぞ。魔王様の前だ、少しはわきまえろ」
「ネリネ様の報告書、私なら解読できます」
側近は、さっと机の上から紙を取った。
「よかろう、これが1枚目だ。読んでみろ」
「ワシの前って話はもう終わってしまったのかのう……」
ともかく、三人で報告書をあらためて覗き込む。
魔王城の執務室に、妙な緊張が落ちた。
『ユリスくんが勇者になるなんてびっくりです。
あんなにいつも転んで弱かったのに。
剣も逆さに持ってたのに。
10年経つと人は大きくなるんだなぁ。
私は監視役なので、
ついていかないといけないらしいです。
断られたら悲しいので
ユリスくんのお母さんに一筆書いてもらいました
「婿入りさせて構いません」と言われました
人の言葉はたまにむずかしい
ネリネ』
「いきなり勇者になったことしかわからんぞ……」
「昔は弱かったんですね、勇者。それくらいですか?」
「この報告書からは、ネリネ様と勇者が10年以上の付き合いであること、剣の稽古を見ていたこと、魔王様の話をネリネ様が全く聞いていなかったことがわかります。また、どうやら勇者の母はネリネ様を勇者の結婚相手として見ています。旅に同行させていることから、勇者自身もネリネ様に分不相応な好意を抱いているのでしょう。実に不愉快です」
「こやつ急にめちゃくちゃ喋るのう」
「ちょっと気持ち悪いですね……」
その後も、3人は報告書と奮闘した。
「仲間の神官が加入したというのはどこに……?」
「8行目ですね。スープが薄いという話と薬湯が苦いという嘆きの間に『エルミナさんはとても優しい人です』という文章が」
「まるで暗号じゃのう……」
側近は、二枚目の報告書を慎重にめくる。
「この『黒律で手術をすることになりました』という文章はなんです?」
「わかりません。不明です。きっとネリネ様の見た夢か何かでしょう」
「お主の得意魔法って『黒律』とかいう名じゃなかったか?」
「いえ全く違いますね。黒律? 私も初めて聞きました」
魔王と側近が、ひそひそと顔を寄せた。
「ノルクって既に決まっていたセインベルの現地指揮に無理やり立候補してきましたよね」
「確か『私でないとできないことがある』とか言ってた気がするぞい」
「ネリネ様を直接説得する良い機会でしたので。残念ながらできませんでしたが」
「たぶん何かあったんじゃろうなぁ」
「いつも文句ばっかり言ってたのに説得したいんだ……」
ノルクは、そこで初めて報告書から目を離した。
机の上には、ネリネの丸い字が散らばっている。勇者、薬湯、足湯、聖剣、ぐうぐう。どれも報告書としてはどうかと思うものばかりだったが、ノルクはそのどれにも笑わなかった。
「ということで、ネリネ様を戻してください。"終焉の間"の守護者が格的にも良いと思われます」
魔王は、手にしていた報告書をゆっくりと机へ戻した。
紙の端が、黒石の机に小さく触れる。こつん、と乾いた音がした。
それから魔王は、椅子の背にもたれていた体を起こす。先ほどまでの疲れた顔ではなく、部下に現実を教える王の顔になっていた。
「"終焉の間"って、あそこ、玉座の手前じゃろ?」
「はい」
「誰か来るのって、数十年に1度じゃん?」
「まあ」
「ネリネって、たぶんすぐ飽きて遊びに行くじゃろ? もし誰か来たときに洒落にならんから……」
「私が常に見張っておきますから大丈夫です」
魔王と側近は、ゆっくり顔を見合わせた。
少し長めの沈黙。
その沈黙の中で、魔石灯の青白い光だけが、机の上の報告書を照らしていた。
「え? お主、あやつのこと好きなの?」
「いえ。ただ、副官として私が見ておかねばならないだけです。もちろん敬愛はしていますよ」
「なんじゃこいつ……」
「好きって言ってくれた方がまだマシでしたね……」
側近が、少しだけ顔を引きつらせた。
「そもそも、ネリネ様に監視役は向いておりません」
「だから何も出なさそうなところに送ったんじゃが……。あやつ、いちおうやる気はあるじゃろ? 戻れと言っても聞かんぞたぶん」
三人は、揃って机の上の報告書へ視線を落とした。
『私は監視役なので、ついていかないといけないらしいです。』
丸っこい字が、妙に力強かった。
「……力づくで戻せません?」
「それ、ワシに出向けって言っとる?」
「確実に勝てるのは魔王様くらいですからね……同格なら何名かいますが」
ノルクは、真面目な顔で魔王を見た。
「ここは、魔王様のお力を見せていただければと」
「おぬし、ワシのこと、友達だと思っとる?」
「もちろん敬愛はしていますよ」
「それ見張るやつじゃん!!!」
魔王は、深く、深く息を吐いた。
「……で、次はどこへ向かうんじゃ?」
側近が、報告書を一枚手に取った。ネリネの作成したものでなく、ノルクの作成したもので、全部で154枚あった。
「こちらに、神殿から神託があったと書かれています。勇者一行は、聖都セフィラへ向かうようです」
「聖都セフィラか」
魔王の眉間に、深い皺が寄る。
セフィラ。
人間側の大聖地であり、勇者伝承の中でも必ず名が出る古い都。神官、聖騎士、巡礼者、聖遺物。そういった面倒なものが集まる場所である。
「また、厄介なところへ行くのう」
側近は紙面を追った。
「道中には、霧渡りの谷がありますね」
その名が出た瞬間、魔王もノルクも、少しだけ黙った。
魔石灯の青い光が、黒石の机に薄く反射する。
「霧渡りの谷……あそこを通るのか」
「魔王様、今すぐ向かってはいただけませんか」
「お前が行くならワシは止めんぞ! そんなに気になるなら行ってこい!」
「御意」