サイレントエチュード   作:P-PEN

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二章 影を追って

 

 

 

 黒瀬を見失ってわずか三時間後。

 

 残存界異祓滅の報告を適当に済ませた御伽ヒメは、再び境界対策課の仮設事務所を抜け出していた。重装狩衣のまま、夜の池袋へと飛び出した。報告書はほとんど適当な書き殴りで、上司の「単独行動は控えろ」という忠告など完全に無視していた。

 

 「まったく……黒瀬さんったら」

 

 ヒメは携帯端末を握りしめ、ため息をついた。W山の事件以来、彼女は黒瀬と連絡先の交換はしていたし、メッセージアプリを通じて何度か会話もしていた。しかし今回の件は何度かメッセージを送り、井戸の件について聞き出そうとしたが、返事はいつも素っ気ない一言だけ。

 

 『今は忙しい』

 

 電話をかけても出ない。会おうとすると「用事があるの」と一方的に切られる。完全に突き放されていた。

 

 「ふんっ、突き放せば突き放すほど調べたくなるじゃない!天才美少女を舐めてもらっちゃ困るわ」

 

  好奇心と意地が、ヒメの小さな背中を強く押していた。事態の深刻さなど、まだ本気で理解していない。ただ、あの何処かミステリアスな民間祓魔師「黒瀬が隠そうとしている秘密」が、彼女の探求心を激しく刺激していた。

 

 

 

 池袋の夜は、表層だけはいつも通り華やかだった。西口のロータリーではネオンが派手に明滅し、酔ったサラリーマンや観光客、派手な格好の若者たちが行き交っている。

 

 しかし、ヒメの鋭い感覚は違和感を捉えていた。駅前のベンチやコンビニの前、いつもならたむろしているはずの家出少年やネットカフェ難民の姿が、明らかに少ない。路地裏の暗がりでは、誰かが小声で不安げにと囁く声が聞こえてきた。

 

 そんな場所に、装狩衣を着込んだ小柄な少女が大型剣を背負って歩いているというだけで、周囲の視線が集まるが、ヒメはそんな視線など意にも介さず、鼻歌交じりに歩を進めた。白とシルバーの狩衣がネオンの光を反射し、まるで夜の街に現れた小さな英雄のように輝いている。 

 

 「ふふん、黒瀬さんったら絶対に何か知ってるわよね。あの冷たい瞳の奥に、絶対に大事な秘密を隠してる……!」

 

 彼女は足を止め、路地裏の暗がりをじっと見つめた。微かに、だが確かに瘴気の残滓が漂っている。ヒメの様に高い才覚があり、更に其処に何かがあると確信していないと感じ取れないほど微かなそれは、白ヒルが這い出ていた地下通路の方角だ。ヒメの瞳が好奇心で輝いた。

 

 「ただの残党じゃない……もっと深い、底知れぬ何かがある気がする」 

 

 再び歩き出す。雑居ビルが密集する北口方面へ向かうにつれ、街の喧騒は少しずつ遠のいていった。看板の明かりがまばらになり、路地の空気が湿り気を帯びて重くなる。ヒメは重装狩衣の襟を軽く直し、鼻を鳴らした。

 

 「こういう怪しげな場所が、一番情報が集まるのよね。天才の勘がビンビンに反応してるわ」

 

 やがて、彼女は目的の雑居ビルの裏手へと辿り着いた。金属製の扉の前で立ち止まり、深呼吸する。湿った空気と古い油、線香が混じった独特の匂いが、わずかに扉の隙間から漏れ出ていた。 

 

 『五味(ウーウェイ)のガラクタ屋』―——看板はほとんど剥げ落ち、かすれた文字だけが辛うじて残っている。ヒメは意気揚々と扉を押し開けた。

 

 金属製の扉を開けると、湿った空気と古い油、線香が混じった独特の匂いが鼻を突いた。

 店内は薄暗く、天井から吊るされた裸電球がゆらゆらと揺れていた。壁一面の棚には、明らかに呪われた祭具の残骸、折れた祓串、黒く変色した骨、用途不明のルーンが刻まれた金属片などが所狭しと積まれ、さらに奥には旧式の境界監視装置の部品や、戦前らしい帝国陸軍の認識票まで混ざっていた。

 

 「よう、珍しい客だな」

 

 カウンターの奥から、低い声が響いた。店主の五味は五十代半ばの瘦せた男で、左目が義眼、右腕には古い火傷の痕が残っている。彼は煙草をくわえたまま、ヒメの重装狩衣と大型剣祭具を見て片眉を上げた。

 

 「噂の特葬班のルーキーが、こんなガラクタ屋に何の用だ?」

 

 ヒメは胸を張って一歩踏み出した。

 

「黒瀬って民間タクティカル祓魔師を知らない?小柄で黒いコートを着て、無口で、投げ技が異常に上手い子よ。さっき西口の地下で一緒に白ヒルを祓ったの」

 

 五味は煙をゆっくり吐き出し、くつくつと喉を鳴らして笑った。

 

 「ああ、“落とし屋”か……最近もちょくちょく顔を出してるぜ」

 

 彼はカウンターの下から古びたノートを取り出し、ページをめくりながら続けた。

 

 「池袋の地下で何かを見つけたみたいでな……最近は特にあの辺りを気にかけているようだ。イドがどうとかってな」

 

 ヒメの瞳が好奇心で輝いた。

 

 「井戸?やっぱりあのマンホールの奥に何かあるのね!詳しく教えて!」

 

 五味は肩をすくめた。

 

 「詳しくは俺も知らねえよ。ただ、環状線地下の古い坑道……戦時中にヤバい実験をやってたって噂はある。表沙汰にできない死体をそこで処理してるんだと」

 

  店内をゆっくり歩きながら、ヒメは興味深そうに品物を眺めていた。壊れた結界発生器、血の跡がこびりついた縄、紫水晶の護符……。その一つ一つに、微かな瘴気と歴史の重みが感じられる。 彼女が特に、棚の奥に置かれた古いマンホールの蓋に似た金属プレートに手を伸ばしかけた瞬間――

 

 「触るな」

 

 五味の声が鋭くなった。

 

 「あれは黒瀬が持ち込んだ封印具の破片だ。触れたら『底』に引き寄せられるぞ」

 

 ヒメは手を引っ込め、ふふんと笑った。

 

 「面白いわね……ますます気になってきた。黒瀬さんは今どこにいるか知らない?」

 

 五味は煙草を灰皿に押しつけ、ため息をついた。

 

 「さっきまで店にいた。まぁ、この時間なら、まだ非常階段の踊り場で夜風にあたってるんじゃねえかな。最近はそこで夜景を眺めながら、地下の気配を監視してるみたいだぜ。お嬢ちゃん、忠告しておくが……深入りしすぎるなよ」

 

 ヒメが店を出た直後。雑居ビルの非常階段の踊り場で、黒瀬澄が夜風に身を任せながら夜の池袋を眺めていた。黒いコートの裾が風に揺れ、長い黒髪の間から獣耳がわずかに覗いている。

 

 「見つけたわ、落とし屋さん!」

 

 ヒメの明るい声が響くと、澄はゆっくりと振り返った。紅紫の瞳に、わずかな諦めと呆れが浮かぶ。黒瀬は深いため息を吐き、非常階段の手すりに軽く腰を預けた。夜風が彼女の長い黒髪を揺らす。ヒメは満面の笑みを浮かべて近づいた。

 

「やっと捕まえた!もう逃げないでよね、落とし屋さん。あ、そうだ……さっきの白ヒル戦ありがと」

 

 黒瀬は答えず、ただ短く息を吐いた。コートの袖を軽く直す仕草は、まるでこれ以上関わることを拒むかのようだった。 ヒメは構わず手すりに並んで立ち、黒瀬の横顔を覗き込む。

 

 「ねえ、正直に教えて。あのマンホールの奥、何があるの? ただの白ヒルの巣じゃないよね。もっと深い……何か大きなものがいる気がするの。私、感度だけは自信あるんだから」

 

 黒瀬はしばらく無言だった。やがて、低く抑えた声で答える。

 

 「……貴方には関係のないことです。境界対策課は表の秩序を守るだけで十分。深く潜る必要はありません」

 

 「関係ないって、そんなわけないでしょ!一緒に戦った仲じゃない。隠し事されると余計に気になるのよ、天才の性分で」

 

  ヒメが身を乗り出すと、黒瀬はわずかに身を引いた。紅紫の瞳が、ヒメを真正面から捉える。

 

 「……貴方は明るすぎる。光が強すぎると、見るべきではない底の闇が見えてしまう」

 

 その言葉には、ただの忠告以上の重みがあった。ヒメは一瞬だけ目を細め、しかしすぐに笑顔を取り戻した。

 

「ふふん、だったら尚更、一緒に行った方がいいじゃない。光と影のコンビが完璧でしょ?あんたのその地味で精密な技と、私の派手な一撃があれば、どんな界異も一網打尽よ!」

 

 黒瀬は小さく首を振った。表情はほとんど変わらないが、瞳の奥にほんのわずかな迷いのようなものが過ぎった。

 

 「私一人で十分です。貴方を巻き込むつもりはありません」

 

 「巻き込まれるのは私の勝手でしょ!」

 

 ヒメが元気よく言い返すと、澄は一瞬だけ目を伏せた。そして静かに手すりから体を離す。黒瀬はしばし思考し――彼女を受け入れる事を決めた。例え此処で姿をくらませてもヒメは独自に調査を始めてしまうのは目に見えている。それなら、まだ自分の傍に置いた方がお互いに足を引っ張り合う様な事にはならないと結論付けた。

 

 「……私の、負けね」

 

 

 

 

 

 

 

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