「藤木源之助、か」
名乗る源之助の傍ら、虫の息にも等しく小刻みに蠢く男。見れば、開いた口には血が溜まり、ゴポゴポと泡が立っている。
「ふん。して藤木よ、それ程までに痛めつける必要があったか? 見るからにお主の膂力は其奴を遥かに越えておる。少し小突くだけでも良かったのではないか?」
山本のその質問は、他者を心配するが故のものではない。目の前の少年を見定める為に、護廷に相応しいかを見極める為に。
「……痛くなければ、覚えぬ」
「ほう」
「たかが食い物の為に刃を抜き、他者を乱ずる悪漢が、芯に響かぬ痛みを伴ったとて、繰り返されるのが関の山」
この言葉に山本はひどく感心していた。
確かにその通り。やんちゃ者に注意したとて、意味は無いだろう。最後に必要なのは実力行使だと。
それは山本自身の考え方と大きく合致していたが、このような童がその思考に達しているとはと驚いていた。
「死んだらどうする」
「死ねばもとよりそれまで。そうならぬように生かしてある」
「では何故見えるように一生物を負わすのだ」
「伊達にせねば、また新たな野良犬が来る」
山本はまたしても感心した。
この少年は敢えて生かし、敢えて見えるよう傷をつける事で、自らの力量を知らしめる"警告"として起用させていたのだと。
「なるほど良く考えておる。しかしそれは己の力を誇示する事と同じ。それを理解しておらん訳ではなかろう?」
「……」
「儂が野良犬に見えるか?」
「……」
「くくっ、そう構えるでない。手を出せ、童」
弄ぶかのように笑む山本に少しの警戒を示す源之助であったが、敵意が無い事だけは理解していた。言われた通りに差し出した右手は、先ほどまで打ちのめしていたであろう男の歯がいくつかめり込み刺さり、たらりと血が滴っている。
その手へとそっと、支えるように触れる山本。
その瞬間、山本の脳裏に浮かび上がる霊圧の波。正しくは満ちては引く、ごく自然に凪いでいる波だと思い起こしていた。
(これ程とはの)
血みどろの仕打ちを与えても動じない、小虫を殺すのに何の感情も抱かぬような心量に、山本の感嘆は止まらなかった。
(しかし……)
だが、山本は少しの違和感も覚えていた。
脳裏に浮かび上がる波は確かに凪いでいるが、何処か嵐の前触れのような静寂も感じ取っていたのだ。
何がきっかけで荒ぶかは分からない。いつ高波と化けるか分からないこの不穏感を、山本はこう称するしかなかった。
(狂気……か)
それが何に対するものかは知る由もない。目の前の少年は此方から目を一切離さず、ただ身を任せていた。
(この儂の霊圧に、眉一つ動かさぬ胆力。命を厭わぬ気量)
小さきその手に刺さる歯をプチプチと、1本1本丁寧に抜き取りながら、源之助へと口を開いた。
「童、死神となれ」
その言葉は、この少年が死神に相応しいから出た言葉ではない。
興味が涌いたのだ。気に入ったと言ってもいい。
この少年の行く末を。この少年が護廷に何を成すのかと。
普段の山本ならばあり得ないだろう。しかしこの時、この瞬間だけは、何故か……何故かそう感じたのだ。
「……」
「多くは戻ってから話す。付いてこい」
手を緩め、踵を返す山本。しかし離れる間際、力強く握り返されるその手。
思わぬ出来事に尻目を向ければ、依然として押し黙り、此方を見上げる源之助。しかし、その目は自分でも不思議そうに瞬いていた。
「……」
手を振り払おうと力を込めるも、強く握り込められる。少し震えるその手は、懇願するように、切望するように。
「ふん」
加減も分からなくなっているのか、源之助の手には万力の如き力が込められていた。
「緩めぬか馬鹿者」
「……」
やっと源之助の手から力が抜けたと思えば。今度は山本の手に力が入る。少し不器用ではあるが、傷付いた手を労るように。
「行くぞ」
繋がれた手は離れる事なく、共に戌吊を後にしたのであった。
源之助が目を覚ましたのは荒れ果てた荒野であった。
一瞬の出来事のように思える。駿河城内の座敷から何故このような場所に。そう思考を巡らせるも理解する事など出来ない。
覚えがあるのはただ一つ。確かに首を斬った事。喉元に手を当てれば、鮮明にあの感覚が思い出される。
止まっていても埒が明かぬと、源之助は歩き出した。
何時間と歩いたか。次第に源之助の目に村と思わしきものが見えた。
しかし、身を乗り入れても村とは言い難い景色。悪漢どもが道の中心を歩き、堕落した人々が端で寝そべる。
果てには年端も行かぬ子供が盗みを働き、制裁を加えられている。
この情景を目に、源之助はふと、違和感に気づいた。
視線が低いのだ。目を覚ます前とは、明らかに低い。建物や人々が巨大なのかと考えるも、どうにも受け入れ難かった。
うつむき歩いたせいか、水溜まりに足を踏み入れる源之助。
波紋に映る自身の姿に、驚愕を隠す事が出来なかった。
「これは……」
そこに映っていたのは若かりし自分。いや、若いどころではない、齢10にも満たない己の姿。
「これは夢なのか……」
幾年が過ぎ、源之助はこれが夢ではない事を受け入れつつあった。
この村で過ごす中、雨は降り、風は吹き、それを感じる事も出来る。当たり前に、痛みを感じる事も出来る。
この地では、道半ばで死する者は数多く。中には食料を抱え死ぬ者もいた。
獣が如き身振りであるが、飯を食うのが人の道理。
興味本意で手を伸ばし口に放り込めば、味がした。
何故か腹は減らず、飢えには苦しまなかったが、久方ぶりの飯は旨かった。
貪る内に、気配を感じる。気付けば悪漢どもに囲まれていた。中には見た顔も複数。
物も言わず一人が源之助へと襲いかかったが、振り向きざまに右拳を一閃すれば、肉塊を砕く気色悪い音と同時に、悪漢の顎は砕かれていた。
飛び散る歯と血を見た他の者たちは一斉に、自らの腰にも満たん少年へと情けなく飛びかかった。
また、幾年が過ぎた。数年前と違い、源之助へと刃を向ける者は少なくなっていた。
襲い来る者は叩き潰し、一言も発さず癒えぬ傷を負わせる様に、この地で源之助は化け物と称されるようになった。
近頃は難癖を付けてくる黒装束の者たちにまで手を下す様子に、長くはないと噂されつつあった。
今日もまた、世間知らずな大馬鹿が源之助へと襲いかかった。
結果は瞬殺。数十と満たぬ内に馬乗りになり、顔面へと殴打を浴びせ続ける。
そんな中ふと、ただならぬ気配を感じた。
浅く息を繰り返す肉塊を尻目に、気配の元を見れば。
何も言わず、ただ此方を観察する壮年の男。
「童、名は?」
訪ねる男に、源之助は何も言わず、ただ口を閉ざす。
すると男を中心に、押し潰されそうな圧力が源之助を襲った。
「名乗れ」
射貫くような双眼は、研ぎ澄まされた刃の切っ先の如し。見据えられていると理解した源之助は、ゆっくりと重き口を開き、その名を口にした。
「ふん。して藤木よ、それ程までに──」
男と問答を交わす内に、手を出せと述べられる源之助。言われた通りに手を伸ばせば、そっと触れられる男の手。
その瞬間、源之助の脳裏には炎が舞った。
触れただけで感じさせられるこの男の熱。穏やかに落ち着き、火花が鳴らす音は心地良くも思えたが、一度風が吹けば、全てを破壊、無に帰さんと変貌するであろう恐怖を源之助に覚えさせた。
「童、死神となれ」
死神。そのような俗称は聞き及んだ事が無かった。此方の意見など知らずと、踵を返す男。
「付いてこい」
その手が離れる瞬間、何故か右手に力がこもった。
何故、その手を掴んだのかは源之助自身、理解する事は出来なかった。
しかし、源之助の脳裏には、何処か見覚えのある光景が思い起こされていた。
それはかつて貧農の三男であった自分を、士分に取り立ててくれた師、岩本虎眼との出会いと何処か重なって視えたのだ。
師は狂えど、士と成りしあの日、あの微笑みだけは暖かいものであった。
可笑しな話だろうか。源之助には名も知らぬ目の前の男が、一瞬だけでも虎眼と重なって視えたのだ。
握る手に力が込められているのも意識の外に。別人であるというのに、あの暖かさを、あの微笑みを、もう失いたくないという心が、残された右腕を動かしたのではないだろうか。
(先生……)
「緩めぬか馬鹿者」
男の言葉に、やっと我に帰る。
馬鹿げた事だと自分に言い聞かすように、緩む手が、離れない。
「行くぞ」
少し強くとも、握り返されるその手。此方を見もせず、歩きだす男。
「──はい」
合わす歩幅は、噛み合わず。しかしそれでも、自らの足が軽やかである事を、源之助は初めて感じていた。
ヒロインは作ります。悩み中ですが。