「……」
朽木家の屋敷。廊下の軋みが鮮明に聞こえる。走らねばならぬのに、どうにも足が動かない。重い爪先、一歩ずつ歩むのが限界だった。
どれ程であろうか。
朽木家に拾われてから幾年と経ったが、心晴らす光の兆しは無い。有るとするならば、源之助と海燕……しかし、ルキアの瞳に映るその二つの光は、彼女の暗闇を照らすにはあまりに短い一時のもの。
「……あ」
気付けば示された場所に辿り着いていた。隊士たちの中に交ざり、片腕ながらも黙々と手を動かす源之助。
瓦礫を肩に担ぐ彼と目が合う。その目にはいつもと変わらない、怒りも落胆も無い、源之助の目。
同じ変わらぬものであれど、我が兄の冷たい眼差しとは異なる。ほんのりと温もりが灯された気がしたがしかし、申し訳なさまでが消えることはなかった。
「源之助殿……昨夜は申し訳ありません……それに、寝坊までしてしまい……」
「……よいのです」
「っ……」
いつものように、一つ返事だけが返ってくる。多大にも迷惑をかけておりながら、初めから気にしていないかのような許しの言葉に、ルキア自身の不甲斐なさは強くなる。いっそ皆の前で叱ってくれた方が楽だった。
「……頭は痛みませぬか」
「……はい、平気です……」
嘘だ。
本当は酷く痛む。しかしそれを言ってしまえば、源之助はきっと「休んでいろ」と言うだろう。これ以上の迷惑をかけたくなかったのだ。
「……ならば作業へ。この調子であれば、飯時までに半分は終わりましょうぞ」
「……はい」
源之助から一歩後ろで作業に取りかかった。
二時間程が経った。
懸命に取りかかったが、酒で渇いたルキアの体には瓦礫処理などという重労働は、それはそれは辛いものであった。
回らぬ頭は痛み続け、汗も僅かにしか出ない。極めつけには未だ消えることなき今朝の瞳。冷たい刃を思わせる白哉の瞳がルキアの頭と心を反芻していた。
「……っ……ふっ……」
「ルキア殿、少し休みなされ。水も飲んでおらぬでしょう」
「よ……よいのです! これくらい、出来なければ……! っ……」
小休止すら取らず動き続けるルキアは何処か必死であった。体が熱く、視線も定まらない。それでも動き続けた。
一際重い瓦礫を退かすと同時に顔を上げれば、突き刺す程の日光がルキアの意識を刈り取った。
「ぁ……」
「……! ルキア殿!!」
「……あ……れ……?」
いつの間にか気を失っていた。寝たまま辺りを見渡せば、いつもの自室だった。
違ったのは、自分の額に乗せられた濡れ布巾と水桶だけ。
「っ……!」
深く考えずとも、現状に至った理由など容易に想像できる。無理が祟ったのだ。また、迷惑をかけてしまった……それだけが、それしか考えられなかった。
自責の念は強まるばかりだ。白哉はきっと、またあの眼で自分を見るのだろう。いや、最早一瞥すらしないのではないか……。
しかしどれだけ自分を叱咤しようと、一つ考えてしまう。
自分が倒れたと聞いた兄は、心配してくれているのだろうか。
これまでの過程がどうであれ、どれ程で浅ましい考えであろうとも、心を持つ生き物ならばどうしても考えてしまう。
「……兄様……源之助殿……」
呼ぼうとも誰もいない、一人だけの部屋。言葉は虚しく消え、それがまた彼女の孤独を深めてしまう。
「……まったく……何をやっているんだろう……私は……」
部家に差し込む陽射しを見れば、既に夕刻。ゆっくりと体を起こすと、脳を打つような痛みが響く。
「っ……はぁ……」
頭を抑えていると、足音が聞こえてくる。ゆっくりではあるが、何処か忙しなくも感じる足音が。
襖が開かれると、そこにいたのは源之助だった。
「眼を覚まされましたか」
「……また……ご迷惑を……」
顔を見ることが出来ない。情けない様を見られるだけならまだしも、拠り所足る源之助の瞳が此度こそ失望していたとしたら……そう考えると……いや、そう考えざるを得なかった。
伏せる眼で見つめる自身の手が、僅かばかりに震えている。上官にあたる彼の顔に泥を塗り、あまつさえ兄の顔にも泥を塗ったと自責してしまう。見捨てられるのではないか、愛想を尽かされたのではないか……と、恐ろしいのだ。それは何処か、源之助や海燕へと依存している様にも取れる。しかしそれも、ルキアの環境を考えれば無理も無いこと。
「ルキア殿、体を厭いなされ。今日と明日は休みを取り、体を整えることです」
「……」
「かような姿を見せれば、海燕も心配しますぞ」
「……はい、申し訳ありません……」
「明日の夕刻には全て片付きましょう。以降は……」
「藤木」
名を呼ぶ声に、二人は視線を向けた。
白哉だった。彼の眼は源之助だけに向けられていた。
「話がある」
「……わかりました」
「あっ……兄……様」
ルキアの声に、やっと視線を向けた。しかしすぐに彼女は後悔した。何も変わらない、刃の如き冷たき瞳。
「ルキア」
「っ! ……はい」
「朽木家としての自覚を持て」
息が詰まった。
言葉が出なかった。
ルキアに向けられた言葉は、彼女への心配ではない、朽木の看板を汚すなとも取れる一言。震えていた筈の手が不思議と静まった。安心などでは断じて無い、彼女の心がまた一つ、深く沈んでしまったことを暗示する事に他ならなかった。
「行くぞ」
「……ルキア殿、失礼いたします」
部家を後にする二人に、返す言葉を見つける余裕すら無くなった。いつの間にか部家に差し込む夕陽は峠を過ぎ、夜の帳に包まれる。
行灯に火を付ける事も忘れ、ルキアは一人孤独な夜を迎えた。
短くてすみません。