死神総学院
後に真央霊術院と呼ばれるこの組織に、「元字塾」なるものが一つ。山本重國によって設立されしこの学校にて、また新たな生徒が一人。
狭き座敷の中、筆を綴る者が一人。足を正し、背を伸ばす所作は実に洗礼されていた。鳥の囀ずりが心地よい中、襖が開く。
「藤木」
「……」
戸を開け名を呼ぶ男。日に照らされた白き髪が美しい。その男の名は雀部長次郎。生涯、山本の右腕であり続ける男である。
山本の門下生でもない雀部だが、源之助が元字塾に入門して以来、彼の兄弟子として良く面倒を見てくれていた。そんな雀部が何処か真剣な面持ちで言葉を発する。
「元柳斎殿がお呼びだ」
「……はい」
立ち上がり、雀部の背を追う源之助。何処か重苦しい空気が二人を包んでいた。
「失礼致します」
「うむ」
雀部に連れられ辿り着いたのは、見慣れた稽古場であった。
開けられた門を潜れば、その中心に佇む山本の姿が。
日は射し込みながらも、薄暗い部屋の中で、山本はゆっくりと言葉を繋いだ。
「藤木よ、お主が元字塾の門を叩いてから、どれ程経ったかのう。幾年……いや数十年はかたいか」
「……はい」
「共に日々を過ごす事で、お主には死神としての心持ち、元流の技を教えてきた。その全てを踏まえて問おう」
「……」
「
「……!」
山本の言葉に、源之助は心臓を鷲掴みにされていた。「何故抜かん」、それは端からしたら可笑しな質問である。元流とはもちろん刀を使う。抜かない訳がない。
これまでの稽古からして、源之助はもちろん刀を抜いてきた。そして見事、卓越した成績を収めているというのに、山本は敢えてその言葉を選択していた。
「真剣でなくとも、木剣であれば……」
「戯けるな」
誤魔化しは斬り伏せられた。山本から放たれる重厚な霊圧を前に、源之助はやっと理解した。
本気だと。本気の対話なのだと。
「儂が気付かぬとでも思ったか。重心の取り方、刀の掴み一つとっても、素人のそれではない。才という言葉一つでは済ます事の出来ぬものを持っている事などのぉ。ましてやお主のような童が」
「……」
「既に持っておるのだろう?」
「……!」
この時、源之助は動揺を隠す事が出来なかった。山本には全て見通されていたのだ。
源之助には切っても切り離せぬ、「虎眼流」という刀があるという事を。
「そのような心持ちで、"元流"の刃、抜いたとでも思ったか」
「……」
「"元流"という刃も抜かず、持ち得る刃も抜き切らん。鞘に納められた貴様の覚悟、なまくらと呼ぶにも恐ろしいわ」
ふと、背後に立つ雀部から金属音が鳴る。
鳥の囀ずりさえも消え去ったこの空間に響き渡る音は、彼が刀を半身、抜いたと想像するのは用意であった。
「捨て去るを選べ。元流か、貴様の刀か。二つに一つよ」
「……出来ませぬ」
源之助は伏した。伏して言い放った。
「失いながら、何度打ちひしがれようとも、最後にはこの
「……」
「先生の恩義を賜り、それに泥を塗り申したこの愚行。腹を斬り、首落とせども値せぬ不遜……しかし」
面を上げる事なく、言葉を続ける源之助。
山本の霊圧は徐々に、源之助を押し潰すように力を増すばかりである。
「この
「元流を捨てると?」
「……はい」
未だ伏せ続ける源之助へと、歩を進める山本。軋む床が、その一歩の重さを思い知らせてくる。
「長次郎」
「はっ」
いよいよ目の前へと迫った山本。雀部から受け取りし刀を手に、源之助を見下ろしたかと思えば。
すくと片膝をつき、口を開いたり。
「それでいい」
「……!」
予想外の言葉に、思わず面を上げる源之助。山本と目が合うが、その目は厳格さの中に隠しつつも、少しばかりの穏やかさが視えた。
「何を呆けておる。儂はどちらかを選べと問うた。元流を選べなどとは言っておらん」
気付けば辺りを支配していた霊圧は失せ、刀を両手に携える山本。
「鉄の意志無き者に死神は務まらん。まして、我が身可愛さに何かを捨て去るような者にはな」
「……」
「この刀の名は斬魄刀。今はまだ浅打であれど、お主の精髄と共に成長する、言わば己自身。魂よ」
言葉と共に、差し出される浅打。白き刀身が映し出す己の姿は、いつしか見た木偶ではなかった。
「己が魂と生き、己が魂を生きよ」
受け取りし浅打。刀身を握る手に、力が籠る。震える肩にそっと手が添えられたかと思えば、雀部は慌ただしく言葉を発した。
「こら! 危ないぞ! 早くしまわんか……」
鞘を持つ雀部はいそいそと屈み込み、少し血が垂れる源之助の手を離させようとするが、源之助と目があった瞬間、そんな気は瞬く間に失せ去った。
「……藤木」
震える眼。少し赤く染まる鼻頭。何かを噛み殺すように閉ざされた唇。
源之助自身、この感情は初めてであった。涙を流した事ならある。しかし、噛み締める、いや噛み締めたいと思えるこの感情をどうすればいいのか。
この感情を咀嚼したいと思う源之助は、言葉足らずが故に、ただ黙って味わうばかりであった。
そんな源之助の心中を察したのか、雀部はなるべく優しく、震える源之助の手を掴んだ。
「お主のそんな顔は、初めて見るな……」
源之助の手は不思議と刃から離れていた。懐から取り出されたハンカチで源之助の手を拭う雀部。
浅打を鞘に納め、源之助の腰元へと取り付けてやれば、何処か嬉しそうに言葉を繋いだ。
「元柳斎殿、今日はめでたき日にございます! 今夜は景気の良い飯にいたしましょう!」
「ふっ、急じゃのぅ。では行きつけの料亭で……」
「喜べ藤木! 今夜は豪勢な洋食だ!」
「なんじゃと!? 相変わらず味の分からん奴め! 日本男児たるもの黙って和食じゃ!!」
先ほどまでの緊張感は何処へやら。たかが飯の嗜好性だけで醜く言い争っているのを、ぽけぇ……っと見守る源之助。
「「ぐぬぬ……!!」」
「……」
「では藤木に決めてもらいましょう! であれば文句はないはず!」
「ふん、よかろう! 結果は分かりきっておるがの!」
「「選べ藤木! 和か!! 洋か!!」」
「くぅ……この
「良いぞ藤木、様になってるな。ナイフの使い方は……」
結局、食べた事が無いという理由だけで洋食に決めた源之助。次々と出てくるフレンチのフルコースを口にした感想は。
(よく分からぬ……)
であった。
「ええい! まどろっこしい! 箸を持ってこんかぁ!!」
「元柳斎殿! マナーが悪いですぞ!!」
「何じゃあまなぁとは!! 知らんわそんなもん!!」
(……しかし)
騒がしい食卓。飛び交う怒声に挟まれながらも……
(何だか……旨いな)
この日より源之助は、洋食を少し気に入ったのであった。
厳格な爺さんが老害になる瞬間が好き。
源之助の性格は少し明るくします。