十一番隊隊舎にて、時刻は夕暮れ。
例年の稽古を終えた源之助は一角に見送られる形で門前に立っていた。
「来年もよろしく頼んますよ。次は絶対勝つんで」
一角は今年も源之助に一矢報いる事は出来なかったが、その目は諦めどころか、不屈の炎が宿っていた。
「あと、別に年一じゃなくても、いつでも顔出してくださいや。チャンスはどんだけ有ったって良いんすからね」
「……そうか」
「んじゃ、ここで……あ、隊長!」
源之助の背後に顔を向ける一角。振り返れば、すぐ後ろに立つ長身の男。眼帯、左目に縦長の傷、奇抜な髪型に施された鈴が僅かに音色を響かせていた。
「更木剣八」、十一番隊にて隊長を勤める彼の背中から、可愛らしい声が聞こえてきた。
「あー! ゲンゲン!!」
彼の肩からひょっこりと顔を出した小さき幼女。桃色の髪に、弾けるような笑顔が眩しい。「草鹿やちる」が元気溌剌に源之助へとその笑顔を向けていた。
「ねー剣ちゃん! ゲンゲンいるよ! ねー!」
「騒ぐな、見りゃわかる……そういや今日だったか。一角、一人ぐらい生き残ったか?」
「すみません、全員漏れなくダウンっす」
頭を下げる一角に剣八は続けて言葉をかける。
「ったく、気合い足んねえぞお前ら」
「足んないぞハゲー! ツルッパゲー!!」
(このガキ……!!)
ビキビキと青筋を立てる一角を尻目に、剣八は源之助へと語りかけた。
「よぉ、俺にも稽古つけてくれよ」
「……更木隊長、刻は遅き故、また別の機会へ」
「つれねえ事言うなよ、なあ?」
「……」
歯を剥き出して笑う剣八に応える言葉は無かった。広まる静寂、夕風が頬を撫でた瞬間、やちるが剣八の頭を叩いた。
「こら! ゲンゲンは疲れてるんだから無茶言わない!」
「……ちっ、まぁ、来年も頼むわ」
源之助の横を通り過ぎる剣八。目をやれば、やちるが手を振りながら別れの言葉を告げていた。
「まったねー! ゲンゲン!」
「……」
やがてその姿が見えなくなれば、門外へと足を出そうとする源之助だが、先ほどから一人動かずにいた一角が口を開いた。
「……なあ藤木さん、こんな事言うのは無粋だってのは分かってるけどよ……いつか隊長と、全力で戦り合ってくださいね」
「……」
「隊長があんたを見る時って、何かこう……期待っつーか……そんな感じの目ぇしてるんすよ」
一角の言葉に沈黙を貫く源之助。またしても静寂が訪れるも、一角もまた、彼に期待するような目で別れを告げた。
「……んじゃ、これで」
一角も隊舎へと戻り、一人残された源之助。
門を出て、帰路に着くも、彼の頭には一つの記憶が呼び起こされていた。
(更木……)
あの日も同じ、血の様に染まる夕暮れであった──
──特別席の仕事を終え、帰路に着く源之助。
もうすぐ自分の屋敷へと近付く中、目の前に立ち塞がる者が一人。
「あんただな」
「……誰ぞ」
「十一番隊隊長、更木剣八だ」
今でも変わらない眼帯に、凶悪な笑みを浮かべる剣八。名乗る彼の手には、既に斬魄刀が抜かれていた。
刃毀れ、余りにも欠けた刃は最早鋸と呼んだ方が相応しい代物であった。
「……何用か」
「くっ……ははははっ! 分かってんだろ? あんたと戦り合いに来たんだよ」
「何故」
「質問の多い野郎だな……あんたと同じ匂いが……」
瞬間、剣八の姿が消えた。
その刹那、すぐ後ろから鈴の音がリンと鳴り響いた。
「したからだよっ!!」
身を翻した瞬間、先程まで立っていた場所に刀が振り下ろされていた。僅か一振りであったが、剣八の一撃は地を裂き土煙を巻き上げていた。
「いい反応だ。いや、これぐらいはやってくれなきゃなあ」
「……」
「やちる、離れてろ」
「うん!」
先ほどから剣八の肩から見え隠れしていたやちる。彼の言葉に返事を返すと、いそいそと距離を取っていた。
「さあ、とっとと抜けよ。お預け食らうのは好きじゃねえんだ」
「……」
源之助は剣八から漏れ出す霊圧の濃度に警戒心を強めていた。何処か似ている……かつて対峙した、「初代剣八」卯ノ花八千流の霊圧と。
瞬時に察知したのだ。此奴も狂っていると……狂気にまみれているのだと。
野良犬とは程遠い、餓えた狼。ならば加減は無用と、源之助は拳を僅かに握り込めていた。
「だんまりは無しだろ? せっかく楽しくなりそうなのによぉっ!!!」
狂刃を携え、刺突せんが如く駆け出す剣八。身構える源之助の目と鼻の先へと近付いた瞬間、源之助の虎拳が見事、剣八の下顎を捉えた。そのまま粉砕……
……する筈だった。
「……!」
剣八は笑っていたのだ。
手応えは確かに有った、本気で打ち込んだ。しかし、裂ける程につり上がる口角。見開かれた瞳孔。留まる事を知らぬ彼の勢いはそのままだ。
驚愕に息を呑んだ瞬間、源之助の肩に剣八の刀が突き刺さる。
「ぐっ……!」
吹き出す血。欠けた刃がゴリゴリと骨に当たる感触に呻くと、剣八は刀を引き抜いた。
「良いモン持ってんじゃねえか……こりゃしばらく飯が不味くなりそうだ」
ぺっ、と口から血を吐き出しながらも余裕の表情を崩さない剣八。源之助の打ち込みは、彼の頬を僅かに赤く張らし、口内を傷付ける程度で終わってしまったのだ。
「だが俺が欲しいのはコレじゃねえ。虫の息になってからじゃ遅ぇんだ、抜けよ」
「……」
「……そうかよ。なら俺が抜かせてやるぁっ!!!」
またしても振り上げられた刀。しかし、傷を負いながらも源之助は冷静であった。力で通らぬなら、技にて制す。
袈裟懸けに斬り下ろされた刀が迫る中、源之助は一歩前へと踏み出す。瞬時に懐へと潜られた剣八であったが、勢いに任せ振り下ろすその手に、源之助の手がかかった。
「!」
するとピタリと剣八の動きが止まった。彼の刀は源之助の刀に食い込むも、僅かに鎖骨を断つ事が出来ずにいた。
「……何だこれ……動かねえ……何しやがった」
「……」
源之助が用いた技、「骨子術」
人体の経路を指先で制する技である。見事決まれば活殺自在、抜け出す事の出来ぬ妙技なのだ。それを応用した一手、「指搦め」を源之助は繰り出していた。
刀を持つ剣八の拳に、瞬時に己の指を潜り込ませた源之助。彼の指が押さえているのは剣八の右手の僅か2ヵ所にしか過ぎないというのに、この時剣八は背骨から爪先にかけて、煮えたぎる鉛を流し込まれているような激痛に襲われ、身動き一つ取れなかったのだ。
「……終いだ、降伏しろ」
「…………はっ、ははははっ!!!」
何が可笑しいのだと、何故笑っていられるのだと……源之助が眉をひそめたその瞬間。
「ぁあ゛あ゛らぁあ゛っっ!!!」
「!!」
剣八の手に力が籠った。骨が砕け散る音と共に刃が沈む。最早抑える事は叶わず、源之助は地を蹴り距離を取ったが、反動で刃を自ら引き斬る形となってしまった。
勢いのまま刃を地にめり込ませる剣八の手は、人差し指と中指があらぬ方向へとひしゃげていた。
そんな馬鹿なと、動ける筈が無い。まして、自らの指を犠牲にするなどと……そう冷や汗を垂らす源之助であったが、目の前に立つのは「更木剣八」、常識が通じる相手ではない。
「せっかく楽しくなりそうなのによぉ、こんなモンで終わらせられっかよ」
「……」
「なあ、いい加減抜けよ。そんだけ強えんだからよ、楽しもうぜ」
「……」
「そいつぁ見栄の為の道具じゃねえ、殺す為の道具だ。斬って斬って斬りまくって、傷付け合う為の道具だろうが!」
剣八の言葉に、源之助は魔を視た。
此奴は戦いを酒としている。傷を肴に呑んでいるのだと。
──渇き尽きぬと 気を乱す
血肉が足りぬと 留まる事を知らず
呑み続けるは 酒呑童子──
源之助は剣八の狂笑に、鬼を視たのだ。
「……怪物め」
「怪物? ……はっ、ははははっ!! どの口が言いやがる!!」
言葉と共に、下された刃。かろうじて避けてみせるも、剣八は絶えず刃を振り乱す。
「あんたも同じだろ! 分かるんだよ、俺と同じだって! イカれてんのさ!!」
「っ……!」
「そのくせ自分じゃ認めやしねえ! 他とは違えってまともヅラして、余計タチが悪ぃんだ!!」
乱撃は速さを増していく。斬り刻まれる死覇装からは浅く血が滲み出ていた。
「傷付け合う事に、喜びを感じるだろ!!」
「ぐっ……!!」
「痛えと、生きてるって感じるだろ!!」
目にも止まらぬ刃は、次第に源之助を深く斬りつけていた。絶えず血が吹き出すのも知らずと、剣八は言葉を紡ぐ。
「命を感じるのは、嬉しい事だろうが!!」
「!!」
剣八の言葉に、源之助は思い出していた。生前、終生の敵、伊良子清玄を討った時の記憶を。
清玄の心臓を割った瞬間、時が止まる心の中に、何ものにも染められない、桜色が広がっていた事を。
命を感じたのだ……嬉しかった……
誇りを失った瞬間に得た喜び。分かり合ったあの情景。悲しさなど一つもない、でなければあの心に咲き乱れた桜を、何と呼べばいいのだ……
「気付いてる、分かってる筈だ!! あんたは俺と……
「……!!」
後退る背に、壁が行く手を阻んだ。
「いい加減認めろよ……あんたはどう足掻いても……」
剣八の刀は天を穿たんが如く掲げられていた。耳が裂ける咆哮と共に、刃は振り下ろされた。
「こっち側だろうがぁああ゛っっ!!!!!」
舞い上がる砂煙に、カチカチと軋む音が一つ。
晴れる煙に、死の刃を受け止める刀が一つ。
純白の刃が映し出す、虎の眼。
抜いたのだ、源之助はとうとう抜いたのだ。
「──」
鍔本にあてがわれた刃を力任せに振り払うと、剣八は退きながらも笑みを浮かべていた。
「やっとか」
「──」
源之助に語る言葉は無かった。息すらも聞こえぬ静の中、その心はドス黒い荒波が渦巻いていた。
抜いたのではない、抜かされたのだ。
自らの魂を、己の意思でもない、辻斬りにも等しい狂人に。
向き合う事の無かった己の魂を、知った風な口を利くこの男に向き合わされた怒り。
面を上げる源之助の表情を何と例えようか。
般若すらも逃げおおせるであろうその眼孔。ギリギリと、閉ざされた口からは隠す事の出来ない歯の音が漏れだしていた。
藤木源之助もまた、虎眼流という魔界の住人である。
更木剣八、この男、鬼がどうした。
鬼には、鬼と成るのだ。
「いい顔してんじゃねえか……!」
「──更木剣八」
鬼の名を語れば、源之助はその手に握りしめた刀を担いだ。
「貴様を許さん」
「く……はっははははぁ゛あ゛あっ!!!!」
『虎眼流が太刀を担いだら用心せい』
かつてどこぞの剣客が語りしその言葉、剣八は知る由も無い。駆け、その手に握られし狂刃を振り下ろそうとした瞬間。
源之助の刀が動く。
横薙ぎに繰り出された刃は間合い僅か、剣八の頭部に届かぬ距離にて振り抜かれる。
届かないと理解していた剣八はそのまま駆け抜けようとしたが……
「!!」
百戦錬磨の野性的勘が、その足を止めさせた。確実に届かないと踏んでいた刃が、いつの間に脳を両断せん程に伸びていたのだ。
刹那、視界も思考も遅くなる超人の反射神経が彼の背を仰け反らせる。しかし、薙ぎ終わった刃の切っ先には血が滴っていた。剣八の額には横一文字の傷が斬り付けられていたのだ。
虎眼流秘伝の型、「流れ」
源之助が繰り出したる横薙ぎの原理。仕組みはいたって単純である。担ぐように構えた刀を振り払うその最中、握りを緩め、手の中で柄を移動させたのだ。
鍔本から柄頭まで送られた斬撃は、相手の目測を越える間合いを叩き出せるのだ。しかし、言うは易し行うは難し。精妙なる握力の調整が出来なければ、刀はあらぬ方向へと飛んで行くであろう。
だが、剣八はかろうじて軽傷に留めてみせた。滝の様に流れ出す血が目に入ろうとも、瞬く事もなく源之助を見つめ続けていた。
「一発で終わらせようとすんなよ、つまんねえだろ」
右目の眼帯が、ヒラリと地に舞い落ちた。先の一撃にて斬られたのであろうそれに目を向けると、口を蠢かせるおぞましい化物と目が合った。
その瞬間、大地が揺れた。
地の底を震わす程の霊圧が、剣八を中心に唸りを上げていたのだ。
「さあ……」
ひび割れる地面。薄まる空気。悲鳴を上げる建物達。
「楽しもうぜぇええっっ!!!!」
鬼が高嗤う、鬼が手を伸ばす。
至極の酒、呑み干さんが如く……
剣八怖え……