瀞霊廷にて町行く人々が家路につく中、茜さす空が暗がりを帯び始めた頃……
「……ねえ、何か揺れてない?」
「? 別に揺れてないよ」
「……いや、揺れてる……ほら!」
道歩く若者二人の会話。歩を止め、感覚を澄ませると、僅かに地が揺れていた。次第に大きく広がり、いつしかその揺れは大気を震わす程になっていた。
「ちょ……何これ、地震!?」
「な、何だ何だ!!?」
「ど、どうなってんのよ!!」
「な、何か……苦しい……」
最早二人だけではない。周りの者……いや、今や瀞霊廷内に居る人物全員が感じていた、そして理解し始めていた。この揺れの正体を。
膨大な霊圧同士がぶつかり合う反発現象。
うねり暴れ合う霊圧の波は人々を飲み込んでいたのだ。息苦しさに喉を押さえる者、重圧に耐えきれず膝を付く者、果てには泡を吹き卒倒する者まで。
事態は収拾がつかない程に発展していた。
一番隊隊長室にて、山本は動き出していた。
(この霊圧……更木か)
先程から大気を震わす元凶の一つを即座に見破る山本だが、方や一つの霊圧には覚えが無かった。
精神を研ぎ澄まし、霊圧を見定める山本の脳裏に一つ、思い起こされる情景。
懐かしき日、幼き童の手を取ったあの瞬間が。そうだ、山本は確かに、この霊圧、霊力を知っている。
「藤木……!」
脇目もふらず、山本は駆け出していた。
暴れ狂う霊圧の衝撃。大気震わす渦の中心にて、鬼が二人。
「あ゛ぁはははははぁっ!!!」
「……」
血みどろの剣劇に舞う源之助と剣八。身に纏う死覇装は最早布切れと呼んだ方が相応しく、散る血飛沫は辺りに濃厚な鉄臭さを充満させていた。
弾き合う刀。死すらも厭わぬ誉れ傷にまみれる中、剣八はさぞ嬉しそうに言葉を紡いだ。
「あぁ、楽しい……楽しいなあっ!!」
「……ふっ!」
笑う剣八の腹に、源之助の刃が振り抜かれる。しかし、胴を分断せんとする一撃は深く斬り込むも、肉に阻まれる。
先程とは比べ物にならない……いや、先程から上がり続けている霊圧によって、惜しくも内臓に届かぬ浅さに留められた。
「っらあ゛っ!!」
「……っ!」
隙は見逃さんと振り下ろされる剣八の一撃。地を蹴り辛うじて距離を取るも、速さを増した彼の刃は浅く源之助の胸を斬りつけていた。
「……ぁあ、溶けちまいそうだ」
「……」
見開かれた剣八の瞳は赤く充血していた。彼が瞬きを行ったのはいったいどれ程前であろうか。それ程までに彼は源之助に夢中になっていた。
「もう少し……もう少しなんだ……この感覚……」
「……」
「だから……まだ死ぬんじゃねえぞ……!」
震え滾る剣八の霊圧は目を凝らさずとも見える濃度へと溢れ出していた。握る刀に力を込め、一歩踏み出し咆哮を轟かせる。
「藤木ぃいいいぃぁ゛っっ!!!」
かつてない高波が上がった瞬間……
「お止めなさい」
「「!!」」
いつの間にか二人の間に割って入るように、卯ノ花が姿を現していた。しかし、いつもの彼女が浮かべる、優しき笑みは何処へ……冷やしき、能の様な面持ちは確かに、いつしかの『八千流』そのものであった。
「霊圧同士の波状、まるで悲鳴……聞くに堪えませんよ」
「……水差すんじゃねえよ」
「そうはいきません、これ以上の戦いは瀞霊廷に大きな傷を残してしまいます。実際、民間人はこの霊圧に耐えきれません」
冷徹な視線が剣八を射貫いていたが、邪魔をされた苛立の中では何の効果も無い。逆に、彼女の言葉は剣八を刺激する物でしかなかった。
「……はっ、はっはははは!! よく言うぜ、こうやって
「……酔いが過ぎますよ、更木隊長」
「あんたに言われたかねえよ」
次第に刀の切っ先は卯ノ花に向けられていた。
「やめるつもりは無え。何なら三人でもいいんだぜ……似た者同士よぉっ!!!」
卯ノ花に駆け出す剣八。間合いは一瞬にて詰まる、刀が振り上げられる中、対する卯ノ花は一向に動こうとはしていなかった。
いよいよその刃が振り下ろされた時。
「……!」
源之助がその刃を防いだ。剣八が駆け出したのを見て瞬時に卯ノ花の元へと。
彼女はまるで、それが分かっていたかのように、未だピクリとも動かなかった。
押し込まれる刃を防ぎ続ける源之助。刃が擦れ合う心地悪い音が耳につく中、口を開いた。
「卯ノ花隊長は関係ないであろう……」
「はっ、関係ねぇだ? 聞いてなかったのかよ、こうなってんのは全部、あんたが今必死こいて守ってる後ろの奴のお陰なんだよ!!」
「……斬る理由にはならん」
「そうだなぁ、んな事ぁ分かってる」
支離滅裂な言葉に眉をひそめるも、剣八の言葉は止まなかった。
「見ろよ、あの手」
剣八の言葉に尻目を向ければ、卯ノ花の手は自身の刀の頭を押さえる様に添えられていた。落ち着き無く、そわそわと小刻みに震えながら……
「はっはははは! 物欲しそうに疼いてんじゃねえか!! 頭で装った所で体が欲してんのさ!
「……!」
今一度刀は振り上げられる、渾身の断刀が迫った瞬間……
「止めぬか……」
焼き付く程の炎……荒ぶる波を蒸発させるが如く逆巻く霊圧の主がこの場に顕現した。
熱風が肌を焼き、乾く空気が喉を焦がす。
山本元柳斎重國が、ゆっくりと言葉を繋げる。
「更木剣八、隊長任命早々に大立ち回りをしてくれたのぉ」
「……賑やかな日だな今日は……悪いが今さら止められねえよ……!!」
山本の霊圧に対抗するように、またしても剣八は霊圧を強める。この時彼は、もう自分自身ではどうにもならぬ程に酔っていたのだ。
邪魔をするなら殺す……この
「ふむ、では藤木……納めよ」
「! ……おい……」
源之助へと言葉を告げる山本。「納めよ」、その一言に源之助はゆっくりと鞘へと刀を戻し始めていた。
その最中、剣八と目が合う。
頼む、と……やめてくれ……と……
彼の目は確かに語っていたのだ。
しかし、無情にも刀は納められた。
今この場にて刀を握る者は、更木剣八ただ一人となったのだ。
「……んだよ、おい……」
もうそこに鬼は居なかった。目を伏せる剣八はまるで、玩具を奪われた子供の様な悲哀さを醸し出していた。
「楽しかったのによぉ……」
抜き身の刃を担ぐと、心底落胆の言葉を呟く剣八。
「けっ、しらけた」
「……」
背を向ける剣八を未だ見据える源之助。瀞霊廷を覆っていた霊圧は嘘のように消え去っていた。広まる静寂に凛とした声色が一つ響く。
「では、二人とも四番隊まで来るように。いいですね」
『八千流』もまた、鳴りを潜めていた。そこにはいつものように優しき笑みにて二人に言葉を紡ぐ卯ノ花の姿が。
「要らねえよ別に……」
「いいですね」
拗ねたように呟く剣八に、有無を言わさぬ笑みにて圧をかける卯ノ花であった。
「……ちっ、後で行く。先にそいつ診とけよ。……やちる、行くぞ」
歩き出す剣八はやちるへと声をかけるが、返事は無かった。辺りを見回すと、いつの間にかやちるは源之助の元へと駆け寄っていた。
「やちる……おいやちる! ちっ……」
一直線に源之助の元へと駆け寄ったやちるは、彼を見上げながら元気よく口を開いた。
「ゲンゲン!」
「……」
「むぅ、無視しないで!」
「……ゲンゲンとは、俺の事か?」
「そーだよ! 源之助だからゲンゲン!」
理解が遅れるゲンゲン……もとい源之助の様子も他所に、やちるは言葉を繋げていた。
「あたし、剣ちゃんがあんなに楽しそうなの初めて見た! 最後は残念だったけど……ホントにホントに楽しそうだった!」
自分の事のように嬉しそうに話すやちる。無垢な笑顔に、源之助はどう対応すれば良いのかと、ただ黙るしかなかった。
「また、剣ちゃんと遊んでね」
「……」
最後の一言を告げたと同時に、やちるは源之助の返事も聞かず剣八の元へと戻って行った。
次第に二人の背は遠ざかり、やがて見えなくなると、源之助も歩を進め出すのであった。
四番隊隊舎にて、源之助に回道を施す卯ノ花。上体を露にさせる源之助の体は、無数の傷に覆われていた。身体中の傷を癒やす中、彼女はポツリと口を開いた。
「どうでしたか? あの人と戦った感想は」
「……」
「鬼気迫る表情でしたね。あなたにあんな顔が出来るなんて、少し驚きました」
「……」
続く卯ノ花の言葉に、何の反応も示さない源之助。
しかし、数秒の沈黙を置いて口を開いた。
「……彼奴は手を抜いておりました」
その一言は、端から聞いたら耳を疑うだろう。互いに血みどろの死闘を繰り広げておいて、そんな訳がない……と。
しかし源之助は確かに感じていた。剣八の溢れ続ける霊圧、増す剣速、自らの刃が通らぬ鋼の肉体。その全てにおいて、剣八は全力では無いという事を。
「それはあなたも同じでしょう」
「!」
「他人事のように言うのはおよしなさい。あなたもその刀を、心の底から振るう事は出来なかったのでは無いですか?」
「……」
卯ノ花の言葉は見事当たっていた。
抜かされた刃、自らの意思にて振るう事を、心の何処かで誓っていた筈なのに……我が身を守る為だけに抜いた、何の意味も無い刃。
「……実はあの人、入隊早々私の所へ来たんですよ。理由は分かるでしょう?」
「……はい」
「ですが、私は彼の願いを断りました。今では無い、その時では無いと……」
「……」
「そこであなたの話をしました。あなたと同じ、私に傷を付けた者と……」
卯ノ花の言葉に、源之助はかつての記憶を思い出す。幼き頃、仄暗き稽古場にて語られた『あの子』とは、更木剣八の事であったのだ。
「そうしたら……ふふっ、あの人脇目も振らずに飛び出して行って……しかし結果的にあなたを傷付けてしまいましたね。こうなる事は分かっていた筈なのに……申し訳ありません」
「……」
「……その上で言いましょう」
向かい合う卯ノ花は冷たい視線で、源之助へと言い放った。
「藤木源之助……私はあなたが嫌いです」
死覇装をはだけさせ、上体を露にさせる卯ノ花。その胸に付けられた傷を見せつけるように髪を寄せていた。
傷はきっと、剣八に付けられたものだという事はすぐに理解できた。
手を伸ばし、源之助の胸に付けられた傷を愛おしそうになぞる指先は、回道による淡い霊圧に包まれていた。
「この傷は私だけのものなのに……私を受け入れなかったあなたが持つ事が憎い……」
「……」
「こんな醜悪な心が、あなたの事を彼に話したのですかね……」
源之助の手を掴み、自らの傷にあてがわせる卯ノ花。トクン……トクン……と、浅い鼓動が源之助の指先に伝わっていた。
「でも、もしこの傷を付けたのがあなただったらと……そう思ってしまう自分がいる。もう滅茶苦茶なんです……あなたのせいで」
「……」
「今でも疼くんです……この胸の奥底が……」
男女が互いに、上体を露に傷をなぞる。異質な光景でも、二人は狂人なのだ。普通の出る幕では無い。
卯ノ花の手に力が込められると同時に、呟かれた。
「どうしてあの時……私と戦ってくれなかったのですか……」
彼女自身が言った通り、もう卯ノ花は滅茶苦茶になっていた。しかし気付いていたのだ。
この心の痛みすらも、愛おしくなっている事に。
この男が憎い筈なのに、想ってしまう。あなたと出会わなければ、こんな思いをせずに済んだのに……と。
「……」
源之助は何も言わなかった。当たり前だ、彼女の独りよがりな感情に応える言葉なんて出てくる筈がない。
気付けば、源之助の胸の傷は完治していた。名残惜しそうに、そっと指先が離れる。
「……治療は終わりました。出て行ってください」
死覇装を正し、背を向ける卯ノ花。静寂が流れる中、部屋を後にしようとした瞬間、卯ノ花は源之助に、顔を向けもせずに口を開いた。
「終わったら部屋まで来るようにと……総隊長からです」
「……はい」
今度こそ、源之助は四番隊隊舎を後にした。
卯ノ花さん怖ぇ……