べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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小さな男の子が

 目覚めた時に見える風景は決して良いものではなかった。海を連想させる青色はどこにもなく、太陽の光が降り注いで目を開けるのが辛いということもない。見える中に自然なものは見当たらない。

 首を回して周囲を見渡して見ても、自然の中にあるようなものは目に入って来ない。見えるのは全て人工的に作られたものばかりだ。グシャグシャになった白いシーツに覆われた安物のベッドに、ベッド脇のテーブルに置かれた護身用の空のビール瓶、締め切られたカーテンは太陽の透過を許さずにいるために、現在居る場所は多少の闇を作り出していた。

 自分の部屋に居た。寝て起きて違う場所に居れば、荒事に慣れ親しんだセシリアは眠気の抜けきらない状態から一気に覚醒して警戒を見せる。だが、現実は寮内の自室だった。だからその時点でセシリアの脳みそは睡眠の余韻に浸っていて、視界に映り込んだ違和感に気がつかなかった。

 気がついたのは、眠気を振り払って起き上がろうとした時だ。視界がやけに高い。ベッドが端に見える。視界よりも少し低い位置にあった。ビール瓶が遠くに置かれていて手が届かない。

 おかしい。身体に力を入れるとギチギチと音が鳴る。首を下ろすと、ロープが身体に巻き付いていた。腕ごと縛り上げられている。手首もロープでくっ付けられ指を動かす以外で腕部を動かすことはできない状態だった。

 

「寮の中だよな?」

 

 セシリアは椅子に座らされロープで固定されていた。昨日はベッドに横になって眠った記憶がある。なのに起きれば椅子。酔って自分を椅子に縛りつけるような酒乱は持ち合わせていないし、そもそも未成年で酒を飲むような不真面目さはない。というか前世を含めて酒を飲んだことはなかった。

 誰かに縛られたな。だとしたら誰だ。セシリアを好意的に見れない輩は存在しない、などという自惚れはない。むしろ敵は多い。ただ、こうも犯罪臭を匂わせるような手段を取る相手には心当たりがなかった。

 IS学園はエリートの集まりだ。中には国を背負っている者もいるほどに。勉強に打ち込み狭き門を潜り抜けた彼女たちが、果たして自分たちの人生を棒に振りかねない事を起こすだろうか。よっぽど頭の悪いエリートならやりかねないが、少なくともセシリアの周りには居ない。

 ラウラなら考えられるが、最近の彼女の態度を思うと否定せざるを得ない。今更アイツが金銭面や常識面以外で迷惑をかけてくることはなさそうだ、とセシリアは溜息を吐き出す。酸素を取り込んだ時身体が僅かに膨張してロープを軋ませる。

 まずは拘束を解く必要がある。セシリアは身体に力を入れて暴れようとするが、ロープは彼女を警戒してか何重にも巻きつけられていて引き千切ることはできない。

 

『お目覚めかい?』

 

 電子音に加工された男とも女ともつかない声が部屋に響く。奮闘の最中にあったセシリアはピタリと動きを止めて、視線を床へと向けた。

 

『ああ、お構いなく。俺もちょっと眠いから』

 

 床にケータイが行儀よく座っていた。形状は見慣れたもので、セシリアのモノだ。スピーカーモードになっているようで、通話相手の息遣いまでよく聞こえてる。緊張はしていない様子だ。

 

『セシリア・オルコット。音声だけだけど初めまして。俺はIS学園所属女子生徒。聞いて分かると思うが偽名だ。本名はあえて伏せさせてもらう。この後、君に探されてボコボコにされるのが恐いから。ああ、でも安心してほしい。俺は君を傷つけようなんて考えていないんだ。ただ手助けしたい。そう思っての行動なんだ。手荒な真似をしている自覚はある。きっと迷惑に思っているだろう。分かるが、君のためと思うからと言って、真正面から申し出ても君はきっと鼻で笑って拳を叩き込んでくる。だから多少手荒にしてしまった』

 

 饒舌に喋るケータイ。一人称から相手は男性という判断もできるが、偽名とはいえ名前は女子生徒。さらに話している内容からIS学園に居る誰か、ということで女性の可能性の方が高い。

 男性か女性か。どちらかを考える中で、セシリアはさらに引っかかりを覚える。

 偽名だ。IS学園所属女子生徒という偽名に聞き覚えがある。どこかで耳にした記憶があるのだ。セシリアは首を捻って記憶を探るが適切な箇所を発見できずにいた。

 

『偽名に聞き覚えがあるのは間違えじゃない。思い出せるかい? 思い出せないならヒントをあげよう。更識楯無、これがヒントだ』

 

 楯無の名前がケータイから飛び出す。それはセシリアの耳から脳へと浸透していき、ある記憶を呼び起こす。ラウラがやってきてすぐの生徒会室で、楯無が言っていたことが記憶から引き出される。

 

『情報提供者。当たりだ。大当たりだよ。楯無君に気まぐれで情報を渡していたのは俺だ。IS学園所属女子生徒。君は周囲に裏切者が居ると思い、布仏本音君を疑ったみたいだけど。実は俺が犯人だ』

 

 ケータイの向こう側にいるのが何者かは分からない。だが、先ほどまで一方的な話を聞くセシリアは背中が冷たくなった。こちらが何かを発した訳でもないのに、まるで心の内を読んでいるかのように言葉を投げかけてくる。ケータイの向こうには本当に人が居るのか疑いたくなる。

 

『怯えない怯えない。君の方がよっぽど恐いんだ。何を怯える必要がある。俺なんて君と戦ったら五秒で負ける自信と確信がある。だから安心しろ。俺には君をどうこう出来る力はないんだ。君の前世の方が十二分に危ない』

 

 心を読まれているのは事実だった。セシリアはゾッとすると共に、これなら情報提供者に向いていると思った。敵に回れば勝ち目がないことも。

 

『さっきも言ったけど。俺は手助けをしに来ただけだ。害悪をもたらす気は毛頭ない。それを理解してほしい。それに心は読んでいない。心なんて読める訳ない。相手のしぐさや声音で予想するしかできないものだ。口に出さないものが他人に分かるはずがない。同じように俺もただ君の声をキャッチしているだけだ。声を聞いているだけだから読めてはいない。嘘じゃないよ。そんなことよりも、今から君を助けよう。君の持つ疑問に回答への道を提示してあげよう。悪いことじゃない。真実を知るだけだから、解放するだけだから』

 

 怯えに反応したケータイがなだめるように言葉を紡ぐ。それがセシリアの心を安定させるような作用はなかった。訳の分からない言葉選びで混乱させようとする。惑わせて何かをさせようとする魂胆を想像して、内側から怒りが沸き起こる。

 

『怒る必要はない。確かにややこしい言い方だったかもしれないが、決して君を惑わせて手綱を握ろうとか考えてはいない。ただの気まぐれだよ。君が苦悩しているのを知って、たまたま助けてあげたい、という気持ちが芽生えたから行動に移しただけ。いいや、今は疑われても仕方がないとして、諦めて行動しよう。では、暫くの間ごきげんよう』

 

 勝手に納得して、ケータイから声は消えた。束の間の安堵がセシリアを包むが、すぐにそれも剥がされる。

 ケータイからIS学園所属女子学生の声は消えたが、入れ替わるようにおかしな音楽が聞こえてきた。しっちゃかめっちゃかな統一性のないメロディーが静かに、時に盛大に鳴り響く。耳が不愉快さにぞくぞくする。両手で耳を塞ぎたくなる不愉快さだったが、縛られているセシリアには音を遮断する方法はない。睡眠という方法があるが、寝起き間もなくの身には難しい。メロディーも妙に神経を刺激して眠ろうとしても妨げてくるだろう。単調な音楽ではないからこそ、眠りにつくのは容易ではない。

 

「聞こえているなら、この耳障りな音を止めろ!」

 

 不気味で耳を腐らせてしまいそうな音楽を垂れ流すケータイに向けて叫ぶ。大音量に成り続けるケータイの吹き込み口に届いたのかは分からない。届いたところで向こう側の人物が馬鹿正直に止めてくれる可能性は低いだろう。手助け、という言葉が何に対してのモノなのかも推し量ることもできず、セシリアは部屋の中で渦を作る音楽を聞かされ続けた。


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