べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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 音が聞こえてくる。不愉快だ。不愉快だ。不愉快だ。

 セシリアと同じ金色の髪をかき上げて見下してくる母親の姿が目の前にある。苛立ちを宿した鋭い眼光は娘にも通ずるものがある。この母にしてこの子あり、と父親が言っていたのを思い出した。その父は母はおろか娘にすら顔色を窺ってばかりの小心者だった。その父親の姿は見えない。母親だけがセシリアの前に立ち、会社を背負って生きる強い女の雰囲気をぶつけてきていた。

 昔から母親はセシリアの言動に怒ってばかりいた。社長令嬢としての自覚を持て、由緒正しい貴族としての振る舞いを学べ、言葉遣いを直せ、とにかくセシリアの全てを否定し、修正することを求めてきた。

 たまったものではない。前世の時から礼節とは無縁の生き方を貫いてきた。気に入らないことに関しては暴力で解決してきた。今更礼儀を学ぶ心積もりもなく好き勝手に振る舞ってきたセシリアを、社会的側面を重んじる母親が快く思わないのは当然だった。

 母親が口が何かを形作る。言葉を口にしている、と分かったのは口の動きがはっきりとしていたからだ。

 確か、ババアはなんて言ってたっけかな。どーせ、口調を直せや礼儀正しくしろとかだ。でも、口の動きはそのどちらにも当てはまらない。

 セシリアはぼんやりとする頭で考える。どうにも思考が回らない。あの音楽がゆったりねっとりと頭の中で流れ続けている。音を止めろ、考えられない。

 鳴り響く音に目を閉じる。暗闇が一瞬。再び目を開けると知らない少女の後ろ姿が見える。

 いいや、知っている。よく知っている少女だ。鏡でよく見たことがある。

 セシリア・オルコット。この少女は小さい時のわたくしだ。後ろ姿しか見えないが確信できる。

 

「異常? 異常ってアタシのことかよ。はは、そりゃ大変だ。アタシもアンタを異常だと思うぜ。良かったな、思い思われの関係でよ」

 

 幼少期のセシリアが高笑いと共に挑発する。少女の背中越しに見える母親が憎たらしいと鼻を鳴らす。二人の仲は誰がどう見ても険悪だった。

 今のセシリアにはこの記憶はない。このやり取りは記憶の片隅にも残ってはなかった。

 残っている。セシリアの頭の中で一つの映像がゆっくりと浮かび上がってきた。濁った川から顔を出すかのように鮮明になっていく映像はセシリアを混乱させる。知っているのに知らない。覚えがないのに覚えている。

 

「セシリア。わたくしをあまり舐めないことね。今の貴女ではどうすることもできないわ」

 

「だな。名を汚されることを恐れて、アタシを閉じ込めるもんだからな。やりたいこともできなくてストレスが溜まっちまうよ。と言ってもこんな姿の間だ。大きくなれば全て変わる。アンタを血の海に沈めちゃうぜ。早く何とかした方がいいんじゃない? 病死に偽装するか? 持ってんだろ、口の堅ーいお抱えの医者って奴を。それとも事故死か? こんな広い邸宅だ。どこに何の危険があるか分かったもんじゃないしな。それとも正攻法で殺処分にでもするか? アンタにとっちゃアタシの存在は招かれざる存在だったみたいだしな。どんな手を使ってくるか楽しみだよ。それとも法に縛られて何もできないか」

 

 高笑いが段々と近づいてくる。幼少期のセシリアは振り返った。今のセシリアをそのまま幼くした風貌がはっきりと目に飛び込んでくる。

 しかし瞳が違った。今のセシリアとは瞳の輝きが段違いだ。幼いセシリアの方が何倍も輝いている。瞳の輝きの強さが意志の強さを表しているとしたら、今のセシリアには勝ち目がなかった。

 でも、とセシリアは口の中で言葉を作り出す。全然悔しい思いはない。なんでお前が、とは思わない。だってそれもわたくしだから。わたくし自身のことをどうしてわたくしが悔しいと思う?

 

「セシリア。明日、貴女は変わるわ。変わるのよ。目覚めたら全て終わるわ。もう貴女が貴女を思い出すことはないの。今のうちにお別れを言っておきなさい」

 

「食事に眠剤でも盛るか。そして何か記憶を消す方法でも実行するのか。わざわざ教えてくれてありがとう。何をされるかを教えて、恐怖でも煽るつもりだったのかよ。子悪党だな。ちっちぇなー」

 

「違う。これは一人目の娘に対する最後の慈悲よ。明日には貴女は死んでる。死んでるのよ。死ぬ人間にいちいち鞭打つ必要はないわ」

 

 だから憎い母親の愛を最後に消えなさい。母親はそう言って部屋から出ていった。次の日には全て忘れた。夕食時に盛られた眠剤に意識をゆだねて。

 わたくしはセシリア・オルコットだ。わたくしも作られた存在だった。

 

『その通り。脳の中を弄られ、君は新しいセシリア・オルコットになった。快楽殺人という業を封じ込まれ、ただの暴力少女変化したんだ。誤算があるとすれば、母親の思っていた通りの女の子にはならなかったことくらい。屈服させることのできなかった君の根幹。よって君はラウラ・ボーデヴィッヒ君の言葉を借りるなら弱体化したのさ。彼女が君と戦った時に、手加減していると思ったのは、憎き相手と拳を交えた時に君の中の根幹が表に出てきたからさ。と言っても君自身の力にはならなかったみたいだけど』

 

 頭がすっきりとしてくる。頭の中に居座っていた音楽はもう聞こえなくなっていた。ケータイ越しの機械音がよく聞き取れる。

 

『おめでとう。セシリア・オルコット君。君は本来の自分を取り戻した……だけでなく、世を忍ぶ仮の姿までもを手に入れた。もはや君に勝てる人間はいないだろう。織斑千冬でさえ勝てない。きっと篠ノ之束でも止められない。改めておめでとう』

 

 称賛の声を最後に通話が途切れる。

 セシリアは首を振る。クリアになった頭で考えたことは臨海学校のことだ。青い海に飛び込みたい衝動に駆られ、脳みそも水柱を立たせて海に飛び込むビジョンを作り出していた。

 

「海は青いぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町田是っ清はサボっている。なんて、カッコよくカッコ悪いことを考える俺は考えるまでもなくカッコ悪い。女尊男卑のこの世の中では男の社会的身分は低い。底辺じゃないが、十分に低い。かつての男尊女卑の世界観を体感しているみたいで泣きそうになるが、男は家庭を守るモノという認識までもが横行していないだけでもありがたい。社会で仕事につくことができるということは、女尊男卑が極端にまで傾いていない証になる。だが、マーカーを取ってきてと顎で使われる我が身を思うと、女尊男卑であること事態が嫌になる。比率なんて問題にならない。

 廊下は通常時と比べて僅かに静かだ。一学年が臨海学校で海へと放たれたことで、学園内は少々人口密度を減らしている。未熟でも女らしさを備えつつある少女たちの元気な姿が見れないのは残念だ。目の保養を奪われてショボショボしてきそう。俺も臨海学校に行きたかった。水着姿が見たかった。前世で好きだったセシリアとラウラの水着姿を拝みたかった。殴られるの覚悟で見たかったんだ。

 邪念一杯の頭で備品室へと向かう。年上の女教師の顎使いに抵抗する力のない俺は、背中を丸めて職員室から出ていく。負け犬オーラを背負っている自覚を持っているからこそ辛い。

 

「やっべぇな。全然おもしろくねー」

 

 声を出さずにはいられない。言葉にして吐き出さないと、身体の内の愚痴が溜まってそのまんまストレスになってしまう。見られたら奇人扱いは避けられんが、気にしないことがストレスを溜めない方法だ。

 閑散とした場所にある備品室は明るい校舎の中で一番暗い場所にあるんじゃないか。そう重たくもなるくらいに人気もなく、照明の明るさも足りない。

 だからこそ俺にとってオアシスなんだが、今はその心地よさを楽しむ時間はない。パッと行ってパッと帰ってこないと、のろまだ何だと嫌味を言われてしまう。お前みたいなのが居るんだ、のろまになりたくなる。

 備品室の扉を目の前にする。もっと長い道のりだと気が利くんだが、既に出来上がった廊下が伸びることなんてない。

 不貞腐れたい気持ちを抑えて扉を開ける。いつも通り、備品室の中は雑多の物が詰まれている。俺やセシリア以外に訪れる者のいない室内だが、俺が頻繁に利用していることもあって人が長い出来る環境を維持していた。

 

「……あれ?」

 

 備品の山の中に何かいる。白い制服を着た人間みたいなのが。

 扉を一度閉める。もう一度開ける。人が居る。それも気絶しているのか俺が登場しても身動ぎ一つしない。

 そろそろと近づく。いきなり目を開けてガバーッと来られたら心臓が破裂する自信がある。

 見覚えのない生徒だ。授業を受け持った覚えはない。というか顔が痛々しいほどに腫れ上がっている。襲撃されてここに放置されたのか。

 生徒の状態を見る限り生きてる。ちょっと胸が静かに上下動しているから分かる。

 

「生きてるから安心しな」

 

 後ろから声をかけられる。聞きなれた声にホッとして背後を振り返ると案の定セシリアが居た。

 

「……あれ?」

 

 なんでセシリアが居るんだ。臨海学校に行ったんじゃなかったっけ。いいや、そもそも目の前の奴はセシリアなのか。雰囲気が何か違う。

 

「……誰だお前?」

 

 問いかけると、目の前のセシリアがニヤリと笑った。


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