べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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ラウラさんは

 殴るのが楽しいと思ったのは何時頃だったかも思い出せない。ただ、目の前で這い蹲る人工物を殴ったり蹴ったりすると気持ちが高揚してくる。もっと殴って、もっと蹴って、前世と今世に続けて生きている厚顔さを恥じさせてからぶち殺してやりたい。

 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。肉と血の詰まった皮を叩く時に聞こえてくる音が、頭の中で絶え間なく鳴り響いてく。ぐちゃぐちゃ、と飯でも食ってんのか。いいや、これから食うんだ。噛みついて振り回して肉を引き千切って噛み砕いてやる。血の匂いが最高のスパイスだ。スパイシーなんだ。

 全身に回った熱が何もかも溶かしていく。凝り固まった筋肉も、カルシウムの集合体みたいな骨も、至る所に張り巡らされた血管も、全てを司る脳みそまでがドロドロのシチューみたいになっていく。

 揺れ動くのはなんだ。手をぶらぶら、足をぶらぶら。ちょっと力を入れれば黒色の人工物がぽーんと飛んでいく。地面に身体を打ちつけて力なく倒れ伏している。足をぷらぷら近寄れば、ほら不思議と人工物の近くに行ける。ようやく顔を上げて見上げてきた顔を鷲掴みにして地面に何度もスタンプしてやれば、心地よい悲鳴が聞こえてくるじゃないか。

 くひゃひゃ、と高笑いをあげる。まだ足りない。どす黒い感情が次から次へと溢れてくる。肉も骨も血も神経も脳も、皮以外の全てがドロドロに溶けきっている中で、感情が全てに代わって身体を動かしていた。

 身体中力がみなぎっている。シールドバリアーがなければ最初の一撃でラウラは天国へと旅立っていたことだろう。しかし、シールウドバリアーの存在によってラウラは長い長い恐怖に身を浸し続けていた。

 ここまで怒ったのは初めてだ。頭の片隅に冷静な感想が浮かび上がったが、怒りの感情に飲み込まれて消えていった。もしかしたら唯一残った理性だったのかもしれないが、今のセシリアにはもう関係のないことだった。拳を振るって痛めつける以外に思考する価値はない。それ以外の何に思考を裂けばいいというのだ。

 フィールドにはセシリアとラウラしか居ないが、アリーナ内には少なくとも天子と是っ清が居る。その二人がどのような想いで試合を見守っているのかも思惟が回らない。

 何度も何度も殴り続ける。興奮が行き過ぎて手元が狂い、ラウラの顔をすり抜けて地面を殴りつけるミスを犯しながらも。

 やがて、ラウラのISが粒子になって消え去ると、セシリアは一歩後ろに下がって立ち上がる様子のない彼女を見下ろす。

 次に攻撃は右足を潰す。そんで左だ。終わったら今度は右手のひら、左手のひら。小刻みに第一関節、二の腕、肩の順番で潰していく。そんで次は腹だ。致命傷避けて痛みを与え続けて、泣き叫んで謝ったら首を踏み砕いて終わらせてやる。それが、アタシたちの復讐だ。アタシにとって大切な二つに対しての復讐が終わるんだ。

 

「ふひゃひゃひゃひゃ!」

 

 自分でもどうしてこんな笑いが湧き上るのか分からずに、セシリアは大口を開けて笑う。怯えるラウラが笑いの肴だった。

 

「……私は」

 

 フィールド内に響く不気味な笑い声に混じって、か細く頼りない声が聞こえる。小さくて弱々しい声を、セシリアの耳は苦も無く拾い上げたが、笑い声は意図的に収めることはできず、内側からの要求に応え続けていた。

 

「私はラウラ・ボーデヴィッヒなんだ。パパが求めた最強の娘なんだぞ」

 

 意識を保たせている最後の防壁なのだろう。ラウラは瞳を揺らしながらも言葉を紡いで自分に言い聞かせていた。

 セシリアはスッと笑いを止めて、必死に生き足掻いているラウラの全身を舐め回すように眺めた。これから壊していく身体は面積的に小さく、思っているより長く楽しめるか気掛かりだった。

 

「だから?」

 

 首を傾げて突っぱねる。右足を高く振り上げて、ラウラの右足の付け根に狙いを定めた。後は力の限り振り下ろしてぶった切るだけだ。傷口から溢れ出す鮮血を止めるために、ブルー・ティアーズを付近に待機させる。傷口はレーザーで溶接すれば血もでない。

 最大の楽しみが始まる。復讐を終えるための最後の段階までやってきてしまったことは寂しいが、これを終えれば胸のつっかえは取れ、晴れ晴れしい心で生きていることができるだろう。

 殺人の汚名も考えられなくなっているセシリアが、今まさに足を振り下ろそうとした時に、フィールドの雰囲気ががらりと変わる。憤怒に支配されている彼女でさえも感じ取れる変化は、フィールドの両端にあるピッドから飛び立ったISが証明した。その数は五機。その内の三機はセシリアの知っているISだったが、残り二機は知らないISと装着者だった。

 

『えー、セシリア・オルコット。聞こえているかな? 聞こえているならそのまま何もせずに聞いてほしい』

 

 フィールド上に設置されたスピーカーから楯無の声が聞こえてきた。普段聞くような明るい声音ではなく、問い詰めるような冷静なものだった。

 何が起きているのか。セシリアはそっと足を下ろすと、周囲を囲み出した四機のISをぐるりと見渡す。箒に鈴、知らないのが二人。

 もう一人はどこだ。フィールド内に視線を走らせると、純白のISを纏った一夏がラウラを抱きかかえて遠ざかっていた。

 

『これ以上の戦闘行為は生徒会長として容認できません。直ちにISを待機状態に戻して、遠くに投げ捨てなさい。これは命令です』

 

 たった四人で止められるものか。セシリアが怒気を孕んだ視線を各々に向ければ、それぞれが緊張した面持ちに冷や汗を浮かべてわずかに身動ぎする。この程度で気圧される相手に負ける道理はない。

 

『言っておきますが、こちらは貴女を止めるためにどのような手段も使う覚悟があります。貴方の正面に居るダリル・ケイシーさんの奥を見てください。観客席ですが、手を振っている私が見えるでしょう』

 

 正面で武器を構えている少女の後方には、確かに楯無が手を振っているのが見えた。見えたが、セシリアはそれよりも彼女の隣に居る天子の方に視線を向けていた。

 

『言葉を飾らずにいうなら人質を取っています。広場天子さんです』

 

 天子の首筋に当てられた注射器から目が離せなくなっていた。色味の悪い液体が揺らめいていた。

 

『この注射器には致死性の液体が入っています。貴女の行動次第では注射することになります』

 

 脅しだ。冷静なセシリアが判断するが、感情的なセシリアは歯噛みして本気だとしたらどうする、と判断を鈍らせていた。人質が関係のないような第三者ならば、彼女はすぐにでもハッタリと決めつけて周囲を地面に沈めていくが、天子が人質であれば安易な行動は取れない。

 ぐぐぐ、と歯を食いしばって打開策を探すが、一向に見つからない。冷静さを欠いた思考回路が理路整然に論じることなどできるはずもなく、関係のないことさえも思い浮かんではこなかった。

 

『時間は十秒。過ぎれば敵対行動と見なし注射します』

 

 無表情で固めた楯無が宣告する。人質になっている天子は目を閉じていた。微かに肩を震わせているのを見たセシリアの心は激しく揺れ動く。

 

「くひゃひゃひゃ」

 

 負け惜しみの笑い声が空気を震わせると、セシリアはISを待機状態に戻してダリル・ケイシーの背後に投げ落とした。すると、彼女以外がセシリアに近づくと地面に押さえつけた。

 

「フォルテ。てめー、しっかり押さえつけろよ」

 

 何度もセシリアの方を振り返りながら、待機状態のISを確保するダリル。地面に押さえつけられているセシリアを、まだ無力化できていないのではないか、という不審感があるのか、警戒の視線を張り巡らしていた。

 

「そういう先輩こそ、手を滑らしてISを与えちゃ駄目っス」

 

 セシリアの上に乗っかって体重をかけるフォルテは、彼女の身体が身動ぎする度にヒヤリとしていた。現状は有効な人質を取っている為に拘束を振り払う素振りは見せてはないが、いざ本気を出されればISを装着していても振り払われてしまうかもしれない。そう思わせる力をセシリアは無意識の内に垂れ流していた。

 

「ちょっと、大人しくしなさいよ!」

 

 右腕を抱きしめるように押さえつけていた鈴が焦りを浮かべる。ISの力に抗える人間が千冬以外に居るのか、と背筋が凍り付く。

 

「……一夏の奴。あんなに密着して。ふしだらだ」

 

「あ、アンタねぇ。ずいぶんと余裕じゃないの!」

 

 箒と鈴のやり取りを聞きながら、セシリアは無言で地べたにうつ伏せになっていた。遠ざかり、フィールドから一夏とラウラの姿はなくなり、追いかけて復讐を果たそうにも天子が人質に取られて動き出すことそのものができなくなっている。そうでなければ、身体を押さえつけている三人など吹き飛ばしてやるものを。

 どうすることもできない。獣に似た呻り声を上げてフィールドを覆うシールド越しに楯無を睨み付ける。拘束役の三人の押さえつける手が一瞬震えた。

 

『大人しくなってようですね。では、その従順さに免じて広場さんの声を聞かせてあげましょう』

 

 スピーカーが優劣を決めつけてくる。互いの高低差がそのまま現状の立ち位置を表していた。セシリアは血が垂れるほどに歯を噛みしめ、それでもとスピーカーから流れてくる言葉に耳を傾けた。天子が何を話すのか、意識を集中させる。

 

『……セシリア君』

 

 スピーカーから抑揚のない声が聞こえてくる。極度に緊張している様子ではない。かと言ってリラックスしきっているものでもなかった。程よい緊張と程よい脱力感、その二つが上手く共生できている。

 緊張の理由は何だろう。脱力感の理由はなんだろう。天子の声を聞くなり、じわじわと冷静さを取り戻してきたセシリアは目を口内に溢れる鉄くさい液体を飲み込んで、自制を働かせ始める。いまだにラウラを殺し尽くしたい想いがとめどなく溢れてはいるが、理性も同じくらい血中を巡り始めていた。

 冷静になった頭で天子の次の言葉を待つ。聞き終わって全てがそれなりに終わったら、まずは楯無をマウントでボコボコにしよう。ちょっと先の未来を片隅に追いやって耳に意識をやる。

 数分の沈黙。スピーカーは震えない。楯無に針なしの注射器を当てられている天子は言葉を選んでいるようでもごもごと口を動かしていた。

 ようやく言葉を決めたのか、天子が口を開いてマイクに吹き込む。

 

『大丈夫ですから』

 

 一言。数分を労して選び抜いた言葉は一呼吸で言えてしまう短いものだった。それはセシリアにとって十分過ぎる言葉だった。独りよがりに近かった肩の荷がストン地面に落ちていき、それと同時に意識も投げ捨てた。

 誰もが天子の言葉を聞くなり身構えてしまった。人質である自分は大丈夫だから、気にせずに暴れてほしい。そう取れる言葉だった。隣にいた楯無もギョッとした顔で天子に視線をやるほどだ。

 しかし、彼らの危惧したことに反して、セシリアは動かずにいた。うつ伏せのまま、天子に向けていた顔も俯かせてピクリともしなくなった。嵐の前の静けさなのでは、と疑いをかける三人をよそに、セシリアは目を閉じて眠りについたのだった。


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