戦えない私がキヴォトス中の生徒に執着されるまで 作:Zuzuiikb
レナに関する報告書は、全部で十三件あった。
アビドス自治区で発生した騒乱。ミレニアム自治区における複数の戦闘行為。それ以外にも、シャーレが関与した小規模な事件の記録がいくつか。
管轄も、作成者も、書式さえ統一されていない。
それでも、読み進めるほど同じ流れが見えてきた。
レナが予定にない行動を取る。
周囲にいた生徒が、それを補うために動く。
結果として事態は収束し、人的被害も最小限に留まる。
最後には決まって、彼女の行動が結果へ貢献した旨が記されていた。
結果だけを見れば、称賛されるべき働きなのだろう。
だが、その過程で現場の配置がどれだけ乱れたのか。彼女との連絡が途絶えたことで、何人が本来の持ち場を離れたのか。何が偶然うまくいき、誰がその穴を埋めたのか。
それらは報告書の端へ追いやられている。
事件が解決したのだから構わない。
助かったのだから、判断は正しかった。
そうやって一度でも認めれば、次も同じことが起きる。
次も同じ結果になる保証など、どこにもないというのに。
私は資料を閉じ、机の端へ揃えた。
午前九時の一分前、扉が叩かれる。
「失礼します。シャーレのレナです」
「入れ」
扉を開けたレナの後ろには、当然のようにキリノが立っていた。
レナの肩には、昨日と同じ黒い鞄が掛かっている。黄色い反射材も、金具につけられたままだ。
「レナさんをお連れしました! 本官も面談に同席し、講習中の様子を――」
「キリノ。通常業務へ戻れ」
「ですが、今回の講習について確認されるのでしたら、本官からも説明を――」
「二度言わせるな」
声を荒らげる必要はなかった。
キリノの背筋が伸びる。それでもすぐには動かず、心配そうにレナを見ていた。
レナは少しだけ困った顔をしてから、キリノへ振り返る。
「終わったら連絡します」
「……必ずですよ」
「はい」
ようやくキリノが敬礼し、扉が閉まった。
廊下を離れていく足音が聞こえる。
途中で一度止まったが、呼び戻すつもりはなかった。
「座れ」
「はい」
レナが机を挟んだ向かいの椅子へ腰を下ろす。
私は録音端末を中央へ置き、起動した。
「これから行うのは、今後シャーレとヴァルキューレが共同で活動する際の安全確認だ。事情聴取ではないが、業務上の記録は残す」
「分かりました」
「答えられない質問には、答えられないと言え。記憶にないなら、そう答えろ。推測を事実のように話すな」
「はい」
「冗談で話を逸らした場合は、同じ質問を繰り返す」
レナの口元に残っていた笑みが、わずかに止まった。
「……先に釘を刺されました」
「刺さる自覚があるなら、説明の手間が省ける」
録音端末が正常に作動していることを確認する。
その間、レナは室内を見回すことも、机に並べた資料を覗き込むこともしなかった。膝の上で両手を組み、こちらを待っている。
「始める前に、一つ言っておく」
「はい」
「私は、お前のような人間が一番嫌いだ」
レナの表情が止まった。
笑みが消えたわけではない。ただ、それを維持したまま、次にどの顔をするべきか決めかねているように見えた。
「……まだ、挨拶しかしていませんけど」
「会う前に十三件分読んだ」
机の端に置いていた資料を、レナの前へ移す。
厚い束が、鈍い音を立てた。
「善意を理由に手順を無視し、周囲に後始末をさせておきながら、結果が良ければ自分の判断は正しかったと思える。そういう人間が、私は一番嫌いだ」
「随分、決めつけるんですね」
声は穏やかだった。
だが、膝の上で重ねられた親指が、ゆっくりと擦れ合っている。
「違うと言うなら、ここで証明しろ」
「嫌いな相手の話でも、聞いてくれるんですか?」
「嫌いだからといって、お前の罪を作るつもりはない。私は事実を聞き、事実で判断する」
最初の報告書を開いた。
「お前も、事実だけで答えろ」
レナはしばらく私を見たあと、浅く息を吐いた。
「分かりました」
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「アビドス自治区での騒乱時、お前は一度指定された退避区域へ入った後、現場指揮者への連絡を行わず封鎖区域へ戻っている。間違いないな」
「はい」
「理由は」
「残っている人がいたので」
「それを、誰から聞いた」
「本人から連絡がありました」
「何時だ」
「そこまでは……覚えていません」
「十三時五十八分だ。お前が退避区域を出たのは十四時三分。五分間、何をしていた」
レナの視線が報告書へ落ちる。
「現場の様子を確認していました」
「誰と共有した」
「誰とも」
「なぜだ」
「急いだ方がいいと思ったので」
「質問に答えろ。共有しなかった理由を聞いている」
レナが一度、唇を閉じる。
答えを探しているのではない。どこまで言うかを選んでいる顔だった。
「……伝えたら、止められると思いました」
「それが事実だな」
「はい」
「では、お前は現場指揮者の判断が誤っていると考えた」
「指揮者には、私が受けた連絡の内容までは伝わっていませんでした」
「伝えなかったからな」
レナの眉がわずかに寄る。
「伝えて、確認して、許可を待っている間にも状況は変わります」
「許可を待てとは言っていない」
「では、どうしろと?」
「移動しながら一報入れろ。現在地、目的、分かっている状況。それだけでいい」
「それでも戻れと言われたと思います」
「なら、異議を伝えろ」
「そのやり取りをしている時間が――」
「お前は先ほど、退避区域を出るまで五分間状況を確認していたと答えた」
レナの言葉が止まる。
「五分あれば、一報は入れられる」
「……そうですね」
「時間がなかったんじゃない。止められたくなかったから黙った。違うか」
「違いません」
認め方だけは潔い。
だが、それで判断の問題が消えるわけではない。
「お前が封鎖区域へ入った後、連絡が途絶えた。捜索と退路の再確保に、複数の人員が割かれている」
「頼んでいません」
「頼まなければ、責任はないのか?」
「そういう意味ではありません。ただ、私一人のために配置を変える必要は――」
「必要かどうかを決めるのは、現場指揮者だ」
レナがこちらを見る。
「お前ではない」
「でも、私が戻らなければ、そのまま動いていたでしょう」
「お前が戻る保証を、誰が持っていた」
「私です」
「それは保証ではなく希望だ」
即答すると、レナの目が細くなった。
初めて、こちらへ明確な苛立ちが向けられる。
「カンナさんは、現場で自分の判断を信じることも否定するんですか?」
「しない」
予想していなかったのか、レナが僅かに瞬く。
「指揮官の判断が常に正しいとも、規則に従えば必ず助かるとも思っていない。現場でしか分からない情報はある。指示を無視しなければ救えない状況も、現実には存在する」
「なら――」
「だから報告しろと言っている」
続きを遮った。
「現場にいるお前が新しい情報を持っているなら、それを共有しなければ指揮側は判断を更新できない。お前は不完全な指示を批判しながら、その指示を正すための情報を自分で止めている」
「全員が納得するまで話し合えと?」
「極端な二択にすり替えるな」
机の上の報告書を指先で叩く。
「全員の納得を待つか、何も言わず一人で動くか。その二つしかないように話すのは、お前に都合がいいからだ」
レナは答えない。
「連絡を入れた上で動く。応援を求める。反対意見を聞く。自分の知らない経路や手段がないか確認する。お前はそのすべてを飛ばした」
「それでも、助けられました」
「助かったという事実はある」
そこは否定しない。
否定すべきでもない。
「だが、それはお前の判断が正しかった証明にはならない」
「結果を見ずに、何を見るんですか?」
「再現性だ」
「再現性?」
「同じ条件でもう一度同じことをして、同じ結果を出せるのか。ほかの者がお前の行動を真似しても、安全に遂行できるのか」
レナが何か言おうとする。
「できないなら、それは手順ではない。今回は運がよかっただけだ」
「人を助ける場面で、毎回同じ条件が揃うわけではありません」
「だからこそ、個人の能力や幸運だけに依存しない方法を作る」
「規則が整うまで、目の前の人に待ってもらうんですか?」
「また話をすり替えたな」
私は二冊目の報告書を開いた。
「お前が現場へ戻ったことだけを問題にしているんじゃない。誰にも伝えず、自分しか知らない情報を抱えたまま戻ったことを問題にしている」
該当する箇所を、レナの前へ向ける。
「ここを読め」
レナが報告書を手に取った。
視線が数行ずつ下へ移動する。途中で一度止まり、前の行へ戻った。
「お前が封鎖区域へ入った後、退路を確保した者。通信を中継した者。現場指揮者へ状況を説明した者。負傷したお前を運んだ者」
「私は負傷しても、動けていました」
「程度の話はしていない」
レナの反論を切る。
「お前一人で完結した行動ではないと言っている」
「一人で全部やったなんて、思っていません」
「なら、なぜ一人で決めた」
レナの指が、報告書の端で止まった。
「周囲の助けが必要になると分かっていながら、最初の判断だけは自分で独占した。お前は一人で背負ったんじゃない」
自分でも、声が低くなったのが分かる。
「自分が最初に決める権利だけを取り、失敗した際の負担を周囲へ分配したんだ」
「そんなつもりはありません」
「意図の話はしていない。起きたことの話をしている」
レナが報告書を机へ戻す。
「それなら私は、何かをするたび周りに許可を求めればいいんですか?」
「許可ではなく、情報を渡せ」
「反対されても?」
「聞け」
「反対に従えなくても?」
「聞いた上で判断しろ。少なくとも、お前以外の者が何を危険だと考えているのかは分かる」
「それで意見が変わらなかったら?」
「説得しろ」
「時間がなかったら?」
「最低限の情報を残せ」
一つずつ答える。
レナが逃げ道を探すたびに、先回りして塞ぐためではない。
本来、どれも最初から存在していた選択肢だ。
彼女が見ようとしなかっただけだ。
「お前は早く動いたんじゃない」
レナが顔を上げる。
「他人が考える時間を奪ったんだ」
室内が静かになる。
録音端末の作動を示す小さな光だけが、一定の間隔で明滅していた。
◇
「昨日のキリノを見ただろう」
レナの視線が、わずかに扉へ向いた。
「私が用件も話していないうちから、お前を庇った」
「講習中のことなら、キリノさんが一番よく知っていますから」
「私は講習について聞くとも言っていなかった」
「それは……」
「今朝も同じだ。面談の内容すら知らず、同席しようとした」
レナは黙っている。
「お前が危険な場所へ一人で向かおうとした場合、キリノへ伝えるか?」
「状況によります」
「止められる状況なら?」
「……伝えないかもしれません」
「なぜだ」
「心配をかけたくないので」
「綺麗に言い換えるな」
レナの目が、真っ直ぐこちらを向く。
「止められたくないからだろう」
「同じことです」
「違う」
「何が違うんですか?」
「心配させたくないという言葉には、相手を気遣っているように聞こえる余地がある。だが、実際にお前がしているのは、相手から判断材料を奪うことだ」
「それでも、行くかどうかは私が決めることです」
「行くと知った後、追うかどうかはキリノが決めることだろう」
レナが押し黙る。
「お前は自分の選択だけを尊重して、キリノの選択に必要な情報は与えない」
「キリノさんが追ってくるとは限りません」
「追う」
即答した。
「昨日のあれを見て、まだ分からないのか」
「……それは、キリノさん自身が決めることです」
「何を基準に決める」
レナの眉が寄る。
「お前がどこにいるかも、何をしようとしているかも、どれだけ危険かも知らされない。そんな状態で、何を判断させるつもりだ」
「あとで話します」
「すべて終わってからか?」
「無事に戻ってからです」
「戻らなかった場合は」
レナが口を閉じる。
こちらが彼女の命を軽んじていることへ怒っていると思ったのなら、見当違いだ。
問題は、成否にかかわらず同じだった。
「お前が戻れば、キリノは結果を見て安心する。戻らなければ、何も知らないまま探しに行く。どちらに転んでも、キリノはお前が一人で決めたことの結果だけを受け取る」
レナの手が、膝の上で強く組み直される。
「それを信頼とは呼ばない」
「私は、みんなを信頼しています」
初めて、言葉がこちらへぶつけるように返ってきた。
「なら、止められる可能性まで含めて話せ」
「現場を見ていない人に止められて、手遅れになったら?」
「それでも話せ。相手の判断が間違っていると思うなら、情報を出して訂正させろ。説得できないなら、なぜ説得できないのか考えろ」
「そんな余裕がいつもあるわけではありません」
「分かっている。だから完璧を求めてはいない」
私は一度、息を吐いた。
「一言でいい。場所と目的を伝えろ。通信を切るな。自分だけで決めたことを、相手への気遣いにすり替えるな」
「……私が黙っていることで、助かった人もいます」
「そうだな」
「なら――」
「その成功に、お前以外の働きが一切なかったと言えるか?」
レナは言葉を続けなかった。
「お前のやり方が成立しているのは、周囲が必ず追いつき、穴を埋めてきたからだ」
十三件の報告書へ手を置く。
「その者たちの働きを、自分の独断が正しかった証拠に使うな」
レナの顔から、とうとう笑みが消えた。
反論を諦めた顔ではない。
怒っているようにも見える。
ただ、その怒りをどこへ向ければいいのか、決められずにいるようだった。
◇
机上の端末が震えた。
公安局からの内線だった。
「私だ」
『カンナ局長、申し訳ありません。第六保管庫へ搬入した押収品のうち、一件だけ記録番号との照合が取れません』
「搬入時刻は」
『午前八時二十分です』
「保管庫を閉鎖しろ。入退室記録を保全。照合が終わるまで、ほかの押収品も動かすな」
『ですが、本日の解析予定が――』
「遅延はこちらから連絡する。記録を合わせるために、時刻や番号を書き換えるな」
『はい。申し訳ありません』
「謝罪は原因が分かってからでいい。搬入を担当した生徒だけに責任を押しつけるな。昨日、搬入班の配置を変更したのは私だ。引き継ぎ手順に不備がなかったか先に確認しろ」
『分かりました!』
「十分後に報告しろ」
通話を切る。
端末を置くと、レナがこちらを見ていた。
「何だ」
「カンナさんが配置を変更したことと、記録が合わないことは、まだ関係があると決まっていませんよね」
「決まっていない」
「それでも、自分の責任だと?」
「私一人の責任だとは言っていない」
レナの視線が僅かに動く。
「誰が悪いかを決める前に、どの段階で防げたかを確認する。配置の変更が原因なら私の責任だ。搬入時の確認不足なら担当者の責任になる。記録様式に問題があるなら、仕組みを変える」
「怒らないんですね」
「もう怒っている」
「……そうなんですか?」
「怒鳴る必要がないだけだ」
レナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「それは、よく分かりました」
今日初めて、こちらへ向けられた素直な感想だった。
◇
「ここまでの話で、理解したことを言え」
面談を再開してから尋ねると、レナは露骨に嫌そうな顔をした。
「試験もあるんですか?」
「確認だ」
「カンナさんが、私のやり方をかなり嫌っていることは理解しました」
「それは最初に伝えた」
「では、独断で動くと、私が考えている以上に周囲の選択肢を減らすこと」
「続けろ」
「結果が良くても、判断まで正しかったことにはならない」
「続けろ」
「……まだあります?」
「自分で考えろ」
レナは小さく息を吐き、背もたれへ預けていた身体を起こした。
「周囲に伝えず動くことを、心配させたくないという言葉で正当化しない」
「そうだ」
「キリノさんたちにも、止めるための材料を渡す」
「止めるためだけではない。別の手段を考えるためだ」
「はい」
「次からできるか」
すぐには返事がなかった。
その沈黙に苛立ちかけたが、促さずに待つ。
「場所と目的は、できるだけ伝えます。通信も、自分からは切りません」
「反対された場合は」
「話を聞きます」
「従うとは言わないんだな」
「守れない約束をしても仕方ないので」
レナは真顔で答えた。
反省が足りないと切り捨てるのは簡単だった。
だが、その場を収めるためだけに従うと言われるよりはましだ。
「判断を変える気がないなら、話を聞く意味がない」
「変わる可能性はあります」
「可能性か」
「絶対に変えますと言ったら、今度は嘘をついたと怒るでしょう?」
「当然だ」
「難しい人ですね、カンナさん」
「お前に言われたくない」
レナが小さく笑った。
面談が始まってから何度も見た笑い方だったが、今度は何かを誤魔化すためには見えなかった。
「口で聞くだけでは理解できないようだから、明日は公安局の巡回に同行してもらう」
「明日もですか?」
「現場で情報がどう扱われ、誰の判断へ影響するのか自分の目で見ろ」
「これは強制ですか?」
「断ることはできる」
レナが僅かに安心した顔をする。
「断った事実と理由は、今後の協力記録に残すがな」
「それは、ほとんど断れないのと同じでは?」
「選択肢は与えた」
「カンナさんが言うと、選択肢という言葉が怖いですね」
「明日の午前八時半、正面玄関だ」
「早い……」
「来なければ置いていく」
「迎えには来てくれないんですね」
「なぜ私が迎えに行く」
「一応、聞いてみただけです」
レナは肩を竦めた。
また冗談で逸らそうとしている。
そう思ったが、面談自体はすでに終わっている。私は録音を停止した。
「以上だ」
「ありがとうございました」
「礼を言うような内容だったか?」
「話を聞いてくれたので」
それだけ答え、レナは立ち上がった。
机の前に置かれた報告書へ、一度だけ目を落とす。
「これ、あとで読ませてもらえますか?」
「機密情報を除いた写しなら、シャーレへ送付する」
「お願いします」
「自分の行動を確認するためか」
「私の知らないところで、誰が何をしていたのか見たいので」
レナは平然と答えた。
先ほどの話を受けて出た言葉なのか。
それとも、最初からそのつもりだったのか。
尋ねる前に、レナは鞄を肩へ掛けた。
◇
扉を開けると、廊下の向こうからキリノが歩いてきた。
両腕には書類の束を抱えている。通常業務へ戻れとは命じたが、面談室の前を何度も往復する必要がある仕事を与えた覚えはない。
私と目が合った瞬間、キリノは露骨に歩調を緩めた。
「あっ、面談は終わったんですね! たまたま近くを通りかかったところでして!」
「これで五度目だな」
「数えていたんですか!?」
「足音で分かる」
キリノの顔が引き攣る。
その横を通り、レナが廊下へ出た。
「レナさん! 大丈夫でしたか? 何を聞かれたんですか?」
「色々です。今日は完全に負けました」
「面談に勝ち負けはありません!」
「一つくらい言い返せると思ったんですけどね」
「事実に譲歩はない」
私が口を挟むと、レナが振り返る。
「こういうところです」
「何がだ」
「何でもありません」
昨日キリノへ向けていたものと、よく似た返しだった。
理由を聞き出す必要はない。少なくとも今は。
「キリノ。明日の午前八時半から、レナさんを公安局の巡回へ同行させる」
「本官もご一緒します!」
「お前は通常の担当区域を巡回しろ」
「ですが、レナさんはヴァルキューレの巡回に慣れていません!」
「慣れていないから同行させる」
「それなら案内役が必要です!」
「私がいる」
キリノの口が閉じた。
なぜそこで不満そうな顔をするのか。
レナは私とキリノを交互に見たあと、何も言わずに笑った。
「では、明日もよろしくお願いします。カンナさん」
「午前八時半だ。時間を間違えるな」
「覚えています」
「十分前には来い」
「さっきより早くなってませんか?」
「巡回は待たない」
「分かりました。努力します」
「努力ではなく来い」
キリノを連れ、レナが廊下を歩いていく。
少し離れたところで、キリノがもう一度、面談の内容を尋ねていた。
レナはすぐに答えず、肩に掛けた鞄の位置を直す。
「帰ったら、報告書を読まないといけなくなりました」
「本官も手伝います!」
「駄目です。キリノさんが読んだら、また私を庇うでしょう?」
「当然です!」
「ほら」
二人の声が遠ざかる。
私は執務室へ戻り、机上の予定表を開いた。
翌日の巡回同行者欄は空白になっている。
そこへレナの名前を入力し、理由欄には「現場指揮および連絡手順の再指導」と記載した。
間違ってはいない。