蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第14章 あの鐘の音 前編

 

 

海斗 高校三年 二月

 

 

久しぶりに、クラス全員がそろった。

 

卒業を前にした教室は、

 

どこか落ち着かなくて、

 

でももう騒ぐほどの元気もなかった。

 

俺は前の席の友人――松本と、

 

ぼそぼそと話していた。

 

「もう卒業だな」

 

「ああ……」

 

松本がちらりと俺を見る。

 

「海斗、お前さ。最近、暗くね?」

 

「そんなことねぇよ」

 

そう言いかけて、

 

言葉が途中で止まった。

 

 

「……ってことでも、ないよな」

 

 

松本は小さく息を吐いた。

 

「やっぱりな」

 

少し間を置いて、松本が言う。

 

「お前さ、竜司と――別れたわけじゃないんだろ?」

 

「ああ。……たぶん」

 

「そっか」

 

それだけで、十分だった。

 

「相手がプロ野球選手で、しかも遠距離だろ。

 

 誰だって、不安にもなるさ」

 

俺は黙って、机の上を見つめた。

 

「お前はさ、ちゃんと頑張ったと思うぞ。

 

 迷わず、自分の進路を選んだんだから」

 

「……そうかな」

 

松本は肩をすくめる。

 

「俺から言えることなんて、あんまないけどさ」

 

少し照れたように、続けた。

 

「今度、竜司に会うとき。

 

そんな暗い顔してたら、よくないんじゃね?」

 

 

俺は、ゆっくり顔を上げる。

 

「……そうだな」

 

教室のざわめきの中で、

 

その一言だけが、やけに静かに残った。

 

「まあ、なんかあったらさ。

 

話ぐらいなら、聞いてやるよ」

 

松本は前を向いたまま、ぼそっと言った。

 

「お前、なんだかんだで、一人で抱え込むタイプだし」

 

「……松ちゃん。サンキュ」

 

 

少し間が空いて、

 

松本が思い出したように続ける。

 

 

「そうそう。大学、寮だろ?」

 

「ああ」

 

「俺、近くに住むから」

 

「……え?」

 

松本は振り返って、

 

にっと笑った。

 

「俺さ、K大学、受かった」

 

指でピースを作る。

 

「マジかよ。

 

 頭いいとは思ってたけど、やるなー。

 

 おめでとう」

 

「ありがと」

 

でも、と俺は首をかしげる。

 

「でもさ、あの辺り、家賃高くね?」

 

松本は少し視線を逸らして、照れくさそうに言った。

 

「まあ……一人じゃないし」

 

「え? じゃあ、ルームシェア?」

 

松本は言いにくそうに、間を置く。

 

「……厳密に言うと、違う」

 

「え、まさか――」

 

思わず声が出た。

 

 

「同棲?」

 

 

一瞬。

 

 

教室のざわめきが、すっと消えた。

 

「ちょ、ちょちょ、海斗!」

 

松本が慌てて俺の袖を引く。

 

「落ち着けって。……場所、変えよう」

 

俺はようやく、自分の声の大きさに気づいた。

 

 

* * *

 

 

松本は、俺を空き教室に連れてきた

 

「海斗。お前声でかいって」

 

「すまんすまん。

 

てか、松ちゃん、同棲だなんて大人だな」

 

松本は、少し照れくさそうに鼻を掻いた。

 

「……別に、俺が大人ってわけじゃねぇけどな」

 

「いやいや、同棲するって時点で、十分大人だろ」

 

松本は小さく笑って、窓際の机に腰掛ける。

 

「ビビったよ。一緒に住むって、覚悟いるじゃん」

 

「……まぁな。……でもさ、帰る場所が同じってのは、悪くないよ、安心する。」

 

松本のその言葉は、

 

軽い調子なのに、妙に重みがあった。

 

「なぁ、松ちゃん。

 

同棲する相手って、どんな人なんだよ」

 

「付き合ってる人は、6歳年上。

 

普通のサラリーマン」

 

「……そうか」

 

 

一瞬。

 

 

「え?」

 

 

間を置いて、俺は声が跳ねる。

 

「サラリーマンって!」

 

「そういうこと」

 

 

一拍、間を置いて。

 

 

松本は小さく笑って、窓際の机に腰掛ける。

 

「でもさ、正直楽しみなんだ」

 

「へぇ」

 

「今まで、なかなか会う時間もなかったし」

 

少しだけ遠くを見るような目になる。

 

「やっぱ、人目とかさ。気を使わないといけなかったし」

 

「……ああ」

 

松本は苦笑した。

 

「外で会う時も、周り気にするだろ。

 

手ぇ繋ぐとか、そういうのも無理だし」

 

「なるほどな」

 

「だから、一緒に住めるのは嬉しい」

 

その言葉に嘘はなかった。

 

 

俺は素直に頷く。

 

 

「いいな」

 

松本が目を瞬く。

 

「ん?」

 

「よかったじゃん」

 

自然と笑みがこぼれた。

 

「好きなやつと一緒に住めるんだろ」

 

「……まあ、そうだな」

 

「羨ましいっていうよりさ」

 

少し考えてから続ける。

 

「なんか安心した」

 

「安心?」

 

「ああ。松ちゃん、ちゃんと幸せそうだから」

 

松本は一瞬だけ照れたように視線を逸らした。

 

「なんだよ、それ」

 

「本音」

 

そう言うと、松本は小さく吹き出した。

 

「お前さ。そういうとこ、変わんねぇな……」

 

 

松本は、外の景色を眺めながら、それからふと思い出したかのように口を開く。

 

 

「……海斗さ、今、モヤモヤしてることとか、

 

言葉にできねぇこととかさ」

 

松本は、俺の方を見る。

 

「……無理に答え出さなくていいから。

 

話すだけでも、少しは楽になるぞ」

 

「……松ちゃん」

 

喉の奥が、少し熱くなる。

 

「俺さ……誰かに聞いてほしかっただけなのかもしれない」

 

松本は、ふっと肩をすくめる。

 

「だったら、ちょうどいい相手だろ。

 

俺、聞くのは得意だからさ」

 

空き教室に、静かな時間が流れる。

 

外から、部活の掛け声が微かに聞こえた。

 

 

海斗は、窓の外を見ながら、ゆっくり息を吐く。

 

「……もう少しだけ、ここにいてもいいかな」

 

「好きにしろよ。授業始まるまでなら、俺も付き合う」

 

 

その言葉に、俺は小さく笑った。

 

 

――誰かに寄り添われるって、

 

こんなに静かで、こんなに温かいんだな。

 

 

* * *

 

 

放課後。

 

俺は、何となく足が向いて、美術室に立ち寄った。

 

そこには、蒼司が一人いた。

 

蒼司は、いつものように静かに、

 

キャンバスに向かっている。

 

描かれているのは――青い海。

 

いや、今日はいつもより、

 

ずっと深い蒼い海だった。

 

 

その海の中に、ひとつ、生き物がいる。

 

 

名前も分からない、形もはっきりしないのに、なぜか目を離せなかった。

 

 

俺は、素直に思った。

 

 

(きれいだな……)

 

(……やっぱり、好きだ)

 

 

「いい絵だな」

 

 

声をかけると、蒼司は筆を止めて、こちらを振り返る。

 

「海兄、来たの」

 

「この生き物さ……やっぱり秘密か?」

 

蒼司は、少しだけ視線を戻して、静かに頷いた。

 

「うん、秘密」

 

その答えが、不思議と嫌じゃなかった。

 

「……何かが、足らないんだよね」

 

独り言みたいに、ぽつりと言う。

 

蒼司は、竜司のことを何も聞いてこない。

 

俺も、自分から話そうとはしなかった。

 

 

その沈黙が、なぜか心地よかった。

 

 

しばらくして、蒼司がまた呟く。

 

「本物の海を、見てみたいな」

 

「本物の海?」

 

蒼司は、キャンバスから目を離さずに言う。

 

「海兄、海、見に行きたい」

 

「……え? 急だな」

 

「今度の休みでいいよ」

 

「おいおい、まだ行くって決めたわけじゃ――」

 

「じゃあ、一人で行くよ」

 

「それは危ない。ダメだ」

 

 

即答していた。

 

言ってから、自分でも少し驚く。

 

蒼司なら、一人で電車に乗ることくらいできる。

 

なのに、なぜか放っておく気になれなかった。

 

 

「じゃあ、連れてってよ」

 

蒼司は当たり前みたいに言った。

 

その言葉を聞いた瞬間、

 

胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。

 

 

――ああ。

 

 

そう思った。

 

行くのか、俺。

 

蒼司と。

 

不思議だった。

 

少し前までなら、休日の予定なんて面倒だと思ったかもしれない。

 

なのに今は、嫌だとは思わなかった。

 

 

むしろ――

 

少しだけ、楽しみだと思った。

 

そのことに気づいて、俺は慌てて考えるのをやめる。

 

たぶん、気分転換になるからだ。

 

最近はいろいろあったし。

 

そういうことだろう。

 

きっと。

 

 

「海兄、もうすぐ卒業だし。

 

兄貴も、もういなくなるし」

 

胸の奥が、きゅっと縮む。

 

俺は、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。

 

頭を掻きながら、視線を逸らす。

 

「……わかったよ」

 

小さく息を吐いて。

 

「行こう」

 

蒼司は、何も言わずに、静かに微笑った。

 

 

その笑顔を見た瞬間、

 

また胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

理由は、よく分からなかった。

 

 

ただ――

 

その温かさを失いたくないとだけ、思った。

 

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