蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第16章 静かに立つ波 前編

 

海斗 大学一年生。

 

 

俺は大学の寮に入った。

 

寮生活は、思っていたより快適だった。

 

ちゃんと個室があって、

 

プライベートも確保されている。

 

朝食と夕食は寮で用意されていて、

食事に困ることもない。

 

料理どころか、

家事もまったくできない俺にとっては、

かなりありがたい環境だった。

 

大学生活は、思っていたより忙しい。

 

野球部の朝練。

 

授業。

 

そして夕方からの練習。

 

毎日があっという間に過ぎていく。

 

ほとんど寮と大学、

そしてグラウンドを行き来する生活だった。

 

最初は慣れないことばかりだったが、

気づけば少しずつ新しい生活にも馴染んでいた。

 

野球部の仲間たちとも打ち解け、

練習後に一緒に食堂で飯を食ったり、

寮の談話室でくだらない話をして笑ったりすることも増えた。

 

それでも――

 

夜、一人で部屋にいるときだけは、

 

竜司のことを思い出した。

 

 

 

竜司とは、LINEや電話で連絡を取り合っていた。

 

『元気か?』

 

『大学は慣れたか?』

 

『練習どうだ?』

 

竜司から届くメッセージは、いつもそんな感じだった。

 

 

 

俺も返す。

 

『練習きつくないか?』

 

『怪我しないよう気をつけろよ』

 

『ちゃんと飯食えよ』

 

当たり障りのない言葉ばかり。

 

本当に送りたい言葉は、別にあった。

 

――会いたい。

 

――今すぐ会いたい。

 

スマホの画面に何度も文字を打ち込んでは、消した。

 

送信ボタンを押すことはできなかった。

 

 

 

竜司は今、夢だったプロ野球の世界で戦っている。

 

一年目が一番大事な時期だ。

 

そんな時に、自分の寂しさをぶつけてはいけない気がした。

 

だから俺は、

 

『無理すんなよ』

 

そんな言葉だけを送った。

 

一年目のオフ。

 

竜司は帰ってこなかった。

 

 

 

プロの世界は、それだけ厳しいのだろう。

 

分かっていた。

 

頭では分かっていたはずなのに。

 

年末が近づくたび、

 

スマホが鳴るたび、

 

俺は少しだけ期待してしまう。

 

もしかしたら帰ってくるんじゃないか。

 

もしかしたら会えるんじゃないか。

 

そんな期待は、結局、一度も叶わなかった。

 

 

 

* * *

 

海斗 大学二年生。

 

 

 

俺は大学生活にもすっかり慣れていた。

 

野球部の仲間。

 

大学の友達。

 

授業に練習。

 

毎日忙しくて、充実していた。

 

もちろん、野球も順調だった。

 

少しずつ試合に出る機会も増え、自分の成長を感じられるようになっていた。

 

 

 

一方で――

 

竜司の成長は、それ以上だった。

 

一年目から一軍で登板するようになり、

 

テレビで竜司の姿を見る機会も増えていった。

 

 

 

スポーツニュース。

 

プロ野球中継。

 

雑誌の特集。

 

画面の中で活躍する竜司を見るたび、

 

俺は嬉しかった。

 

誇らしかった。

 

高校時代、一緒に汗を流したあいつが、

 

夢だった舞台で戦っている。

 

それが自分のことのように嬉しかった。

 

 

 

だけど――

 

同時に、少しだけ切なかった。

 

竜司はどんどん遠くへ行っている。

 

俺の知らない世界で、俺の知らない人たちと戦い、成長している。

 

 

手の届かない存在になりつつあるような気がしていた。

 

 

そして、シーズンオフ。

 

竜司は初めて帰ってきた。

 

俺は空港のロビーで、一人待っていた。

 

到着口の扉が開く。

 

人の波の向こうから、聞き慣れた声が響いた。

 

「カイト!」

 

胸が跳ねる。

 

顔を上げると、そこには竜司がいた。

 

高校の頃よりも体は一回り大きくなり、

 

肩幅も広くなっている。

 

テレビで見ていたはずなのに、

 

実際に会うと、その変化に圧倒された。

 

「竜司!」

 

気づけば俺は駆け出していた。

 

 

 

そのまま竜司の胸へ飛び込む。

 

「お、おい!」

 

竜司が戸惑った声を上げる。

 

我に返った俺は慌てて離れた。

 

「ご、ごめん……」

 

すると竜司は少し困ったように笑った。

 

「いや……ごめんな」

 

「え?」

 

「なかなか帰ってこれなくて」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられる。

 

本当は言いたいことなんて山ほどあった。

 

会いたかった。

 

寂しかった。

 

もっと連絡してほしかった。

 

 

 

でも――

 

そんな言葉は出てこなかった。

 

「……いや、いいんだ」

 

俺は小さく首を振る。

 

「大丈夫だから」

 

それだけ言うのが精一杯だった。

 

 

 

竜司は俺の肩に置いていた手を、そっと離した。

 

「……ごめん」

 

「え?」

 

「人目につくから」

 

そう言って、周囲を見回す。

 

俺はその言葉に、はっとした。

 

高校の頃の竜司なら、そんなこと気にしなかった。

 

人前でも肩を組んできたし、

 

俺と付き合っていることを隠そうともしなかった。

 

 

 

でも、今は違う。

 

プロ野球選手になった竜司は、

 

もう高校球児だった頃の竜司じゃない。

 

俺は小さく頷いた。

 

「……うん」

 

仕方ない。

 

分かっている。

 

竜司が悪いわけじゃない。

 

立場が変われば、気を付けなければいけないことも増える。

 

それだけのことだ。

 

それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ痛かった。

 

 

 

(変わっていくんだな……)

 

 

 

俺は自分にそう言い聞かせた。

 

 

 

* * *

 

その後、俺たちは都内の飲食店へ向かった。

 

店の前に立った瞬間、思わず足を止める。

 

どう見ても高級そうな店だった。

 

「ここ……?」

 

「球団の先輩に教えてもらったんだ」

 

竜司が少し得意げに笑う。

 

「今日は俺が奢るから」

 

「いや、悪いって」

 

「いいから」

 

そう言って背中を押された。

 

店に入ると、竜司は帽子を深く被ったまま席についた。

 

 

 

俺は向かい側に座る。

 

料理が運ばれてくると、竜司は楽しそうに話し始めた。

 

球団のこと。

 

チームメイトのこと。

 

初めて一軍のマウンドに立った日のこと。

 

テレビの取材を受けたこと。

 

サインを求められたこと。

 

「この前なんてさ――」

 

話している竜司は、本当に楽しそうだった。

 

目を輝かせて、夢中になって話している。

 

俺は相槌を打ちながら耳を傾ける。

 

時々、自分の大学生活や野球部の話もする。

 

竜司もちゃんと聞いてくれた。

 

笑ってくれた。

 

会話は弾んでいた。

 

楽しかった。

 

本当に楽しかった。

 

 

 

だけど――

 

ふとした瞬間、俺は気づいてしまう。

 

竜司の話の中には、俺の知らない人たちがたくさん出てくる。

 

俺の知らない場所。

 

俺の知らない日常。

 

そしてきっと、俺の話の中にも、竜司の知らない時間が増えている。

 

同じ時間を過ごしているはずなのに、

 

少しずつ、

 

別々の人生を歩いている。

 

 

 

そんな気がした。

 

 

食事が終わった。

 

店を出る。

 

夜の街に出た瞬間、俺の胸は少しだけ高鳴っていた。

 

 

 

久しぶりに会えたんだ。

 

この後は――

 

二人きりで過ごせると思っていた。

 

 

 

昔みたいに。たくさん話をして。

 

同じ時間を過ごして。

 

そんなことを勝手に考えていた。

 

 

 

だけど。

 

「俺、この後用事あるから」

 

竜司はあっさりと言った。

 

「……えっ」

 

思わず声が漏れる。

 

竜司は申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「いろいろ用事あってさ。悪い」

 

「あ……そうなんだ」

 

俺は無理やり笑った。

 

「気にすんな」

 

本当は聞きたかった。

 

どんな用事なのか。

 

誰と会うのか。

 

そんなに大事な用事なのか。

 

 

 

でも聞けなかった。

 

聞く資格が、自分にあるのか分からなかった。

 

「また会おうぜ」

 

竜司が言う。

 

「今度福岡来いよ」

 

「ああ」

 

俺は頷く。

 

「行くよ。福岡」

 

「よし」

 

竜司は笑った。

 

「じゃあな」

 

そう言って背を向ける。

 

俺はその後ろ姿を見つめていた。

 

人混みの中へ消えていく背中。

 

 

 

追いかけようと思えば、

 

追いかけられたのかもしれない。

 

でも足は動かなかった。

 

竜司にとって、いま俺はどんな存在なんだろう。

 

 

 

恋人なのか。

 

それとも。

 

もう幼なじみなのか。

 

ただの友達なのか。

 

 

 

俺たち――まだ付き合ってるんだよな。

 

 

 

聞けばいい。

 

たった一言。

 

でも聞けなかった。

 

聞いた瞬間、全部終わってしまう気がした。

 

 

 

だから俺は、何も聞かなかった。

 

何も言わなかった。

 

ただ竜司の背中が見えなくなるまで、

 

その場に立ち尽くしていた。

 

 

 

そしてその後、俺は福岡へ行くことはなかった。

 

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