蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第18章 名前のない関係 前編

 

海斗 大学三年 秋

 

 

大学近くの、いつもの洋食屋。

 

夜のピークを過ぎた店内は落ち着いていて、

 

二人は並んでカウンターに座っていた。

 

 

 

俺と松本。

 

住んでいる場所も近く、

 

気づけばこうして飯を食う仲になっていた。

 

今では、言いにくいことも遠慮なく言える、数少ない親友だ。

 

 

料理が一段落した頃、

 

松本がフォークを置いて、何気ない調子で言った。

 

「なあ、海斗さ」

 

「ん?」

 

「蒼司くんとさ、なんか順調じゃね?」

 

「は? ちげぇし」

 

即答だった。

 

「いやいや。一緒に飯行って、部屋行って、

 

海まで行ってるって聞いたけど」

 

「っ……」

 

俺は思わず吹き出しそうになるのをこらえる。

 

「だからさ。蒼司は弟みたいなやつで――」

 

「はぁ?」

 

松本は即座に眉をひそめた。

 

「俺も弟いるけど、

 

弟と二人で海行ったり部屋行ったりしねえぞ」

 

「……そうか?」

 

「そうだよ」

 

 

 

少し間が空く。

 

 

 

「……とにかく、蒼司は大切なやつなんだよ。

 

弟みたいな存在っていうか」

 

「はいはい。分かった、分かった」

 

 

 

それ以上は追及せず、

 

松本はコーヒーを一口飲んだ。

 

「でさ」

 

「……」

 

「竜司とは、最近どうなん?」

 

「最近は、……全然会ってない」

 

「電話とか?」

 

「……減ったな。LINEも」

 

「でもさ、今までたまに帰ってきてたじゃん」

 

「うん……なんか最近、忙しいみたいで」

 

 

その言い方は、

 

どこか自分に言い聞かせているみたいだった。

 

「なあ、海斗」

 

少しだけ声のトーンが変わる。

 

「今の状況、正直しんどくね?」

 

俺は返事をせず、テーブルを見つめたまま考え込む。

 

「……こんなこと言いたくねえけどさ。

 

このままじゃ――」

 

「……わかってる」

 

被せるように言った。

 

 

しばらく沈黙。

 

 

「でもさ、俺はやっぱり竜司のことが……」

 

言いかけて、言葉が止まる。

 

以前なら、ここで自然に「好きだ」って言葉が出てきた。

 

 

でも、今は一一出てこない。

 

 

「……」

 

 

松本は何も言わず、俺の顔を見る。

 

「俺さ……海斗は、蒼司くんとのほうが合ってると思う」

 

「……」

 

「お前、面倒見いいじゃん。

 

年下のほうが相性いい気がすんだよな」

 

「そうかな……」

 

自信のない声。

 

「少なくとも、今の海斗は、

 

蒼司くんといるときのほうが自然だよ」

 

 

 

俺は、コーヒーに視線を落としたまま、

 

小さく息を吐いた。

 

 

 * * *

 

 

ある日の午後。

 

俺は授業と授業の合間の空き時間を使って、

 

学食でレポートを作成していた。

 

昼のピークはすでに過ぎていて、

 

学食というより、少し広めのカフェみたいな落ち着いた空気だ。

 

周囲では、コーヒーを飲みながら

 

ノートを広げる学生や、

 

イヤホンを耳にかけてスマホを眺める姿が目立つ。

 

 

何気なく視線を上げると、壁に設置されたテレビでは、ワイドショーが流れていた。

 

 

——その画面に、見覚えのある名前が映る。

 

 

 《福岡フェニックス

 

 人気選手・青柳竜司

 

 人気女子アナと夜の密会》

 

 

一瞬、思考が止まった。

 

 

「……え?」

 

思わず声が漏れる。

 

何?マジか?

 

学食のあちこちから、ざわっと小さな声が広がる。

 

「え、フェニックスの青柳って、あの青柳?」

 

「新人賞の?」

 

「イケメンだよね」

 

俺の手は、いつの間にかキーボードの上で止まっていた。

 

 

 

そんな……竜司に限って。

 

胸の奥が、じわじわと不安に侵食されていく。

 

 

 

俺はスマホを手に取った。

 

指先が、無意識に竜司の名前をなぞる。

 

 

 

——電話しようか。

 

 

 

でも、画面の向こうは、ただのワイドショーだ。

 

真偽も分からない。

 

今、電話をしたら……きっと迷惑だ。

 

 

それに、……何を聞くつもりなんだ。

 

しばらく固まったまま、

 

俺はそのまま発信ボタンに触れず、

 

スマホを伏せた。

 

 

電話は、かけなかった。

 

 

学食のざわめきだけが、やけに遠くで響いていた。

 

 

俺は帰り道、近くの本屋に立ち寄った。

 

雑誌コーナーの一番目立つ位置。

 

週刊誌の表紙が、嫌でも目に飛び込んでくる。

 

 

《青柳竜司 女子アナと夜の密会》

 

トップ記事だった。

 

 

……本当、なんだ。

 

ページをめくる手が、わずかに震える。

 

写真に写る横顔は、見間違えるはずもない、竜司だった。

 

 

その夜。

 

近くのカフェで、俺は松本と向かい合っていた。

 

「松ちゃん、急に呼び出してごめん」

 

「暇だったし、気にすんな」

 

松本はコーヒーを一口飲んでから、続ける。

 

「……竜司のゴシップだろ」

 

「……ああ」

 

 

 

 少し間が空く。

 

 

 

「俺、……どうしたらいいか分かんなくてさ」

 

「まぁ、こういう相談できるの、俺くらいだろ」

 

「……あぁ」

 

「ゴシップ記事だしな。でもさ……」

 

スマホを軽く操作しながら。

 

「記事見る限り、この顔……竜司に、似てはいるよな」

 

 胸の奥が、きしっと鳴る。

 

「……電話しようか、迷ってて」

 

「うーん」

 

 少し考えてから、松本は首を振った。

 

「迷うくらいなら、やめとけ」

 

「……」

 

「そんな状態で話しても、

 

 いい方向には行かない気がする」

 

「やっぱ、そうか……、聞いたところで、どうなるか分かんないしな……」

 

「それにさ……ここまで世間騒がせてるなら、

 

 普通は竜司のほうから何かしら連絡してくるだろ」

 

「……そうだよな」

 

「なあ、海斗……」

 

 

 少しだけ真剣な声。

 

 

「親友として言わせてもらうけどさ……」

 

「どっちに転んでも、もう竜司とこの先どうするか、決めたほうがいいんじゃね?」

 

「……」

 

「このままじゃさ‥‥お前が心配だよ」

 

 俺は何も言えず、冷めかけたコーヒーを見つめた。

 

 

 * * *

 

 翌朝。

 

 朝のワイドショーでも、

 

 竜司のゴシップは変わらず流れていた。

 

 俺は黙って、リモコンを手に取り、テレビを消す。

 

 画面が暗くなった部屋に、妙に現実だけが残った。

 

 

 携帯を見る。

 

 着信はない。

 

 メールも、何も来ていない。

 

 その日も。

 

 次の日も。

 

 二、三日経っても、状況は変わらなかった。

 

 

 竜司から、電話も、LINEも、何一つ、なかった。

 

 

 ——普通なら。

 

 

 ふと、松本の言葉が頭をよぎる。

 

『ここまで世間騒がせてるなら、

 

 普通は、向こうから連絡してくるだろ』

 

 

 ……普通なら。

 

 

 午前の講義。

 

 教授の声は聞こえているはずなのに、

 

 内容はまるで頭に入ってこない。

 

 ノートは開いたまま、ペンだけが机の上で止まっている。

 

 

 

 昼休み。

 

 俺は一人で学食に座り、

 

 トレイの上の食事を前に、ぼんやりしていた。

 

 

 その時だった。

 

 

 ピロリン。

 

 通知音。

 

 心臓が、跳ねる。

 

 俺は反射的にLINEを掴む。

 

 ——竜司か?

 

 画面を確認する。

 

 

 ……違った。

 

 

 蒼司からだった。

 

 短いメッセージ。

 

 

 《大丈夫》

 

 

 たった、それだけ。

 

 なのに。

 

 その三文字が、この数日間で一番、胸に刺さった。

 

 俺は、しばらく画面を見つめていた。

 

 考えたわけじゃない。

 

 理由を整理したわけでもない。

 

 

 ただ、勝手に、指が動いた。

 

 

 《会いたい》

 

 

 一拍、置いて。

 

 《今日、会える?》

 

 送信。

 

 すぐに、既読がつく。

 

 早すぎて、逆に息が詰まる。

 

 

 ほんの数秒。

 

 返事が来た。

 

 

 《いいよ》

 

 

 それだけ。

 

 

 でも、その三文字で、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ、ほどけた気がした。

 

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