蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第2章 竜司と蒼司 前編

 

 

佐々木海斗 中学三年。

 

 

青柳竜司。

 

俺と青柳竜司は、幼なじみで、

 

家も近所で、野球も同じチームで、

 

気づけば、いつも一緒だった。

 

隣にいるのが当たり前で、

 

特別だなんて、考えたこともなかった。

 

 

竜司は、明るくて、活発で、

 

周りに人が集まるタイプだった。

 

 

俺にとっては、

 

同い年だが、兄みたいな存在だった。

 

頼れるのに、対等で、少しだけ、遠い。

 

その距離が、ずっと心地よかった。

 

 

自分の気持ちを、

 

はっきりと「好きだ」と自覚したのは、

 

中学三年の夏。

 

中学最後の試合だった。

 

 

中学最後の試合。

 

俺は、エースピッチャーだった。

 

 

マウンドに立つのは、当たり前だった。

 

このチームで、この試合で、

 

最後まで投げるのは――俺だと思っていた。

 

 

スコアは、二対三。

 

 

途中までは、勝っていた。

 

けれど、

 

一つのミスをきっかけに、流れは傾いた。

 

 

打球が抜ける。

 

歓声が相手ベンチに移る。

 

 

逆転。

 

 

胸の奥が、ひどく冷えた。

 

ベンチに腰掛ける俺に、監督が声をかける。

 

「佐々木、まだ投げられるか?」

 

 

息は苦しい。腕は、重い。

 

 

それでも、答えは決まっていた。

 

 

「……はい。まだ、いけます」

 

 

監督は、短くうなずいた。

 

 

ベンチの中、竜司と、目が合う。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

その声は、心配よりも、信頼に近かった。

 

 

「……ああ」

 

短く、返す。

 

 

竜司は、少しだけ笑って言った。

 

「次の回、絶対抑えろ」

 

言い切りだった。

 

 

「俺が、必ず打ってやるから」

 

 

根拠なんて、なかった。

 

でも、その言葉だけで、

 

 

――まだ、終われない。

 

 

そう思えた。

 

 

俺は、最後の力を振り絞って、投げた。

 

腕はもう、感覚が曖昧だった。

 

それでも――投げる。

 

 

竜司を、信じて。

 

ヒットは、許した。

 

でも、点はやらなかった。

 

 

マウンドで、息を整える。

 

 

(……頼む)

 

 

そして――最終回裏。

 

ランナー、二塁、三塁。

 

 

ベンチがざわつく。

 

スタンドが、息を詰める。

 

 

打席に向かうのは、

 

四番打者の竜司。

 

 

バットを肩に担ぎながら、

 

振り返って、言った。

 

 

「さて――ちょっくら、行ってくるか」

 

 

そして、にやっと笑う。

 

 

「海斗、見とけよ」

 

 

心臓が、強く鳴った。

 

 

次の瞬間。

 

 

――カキーン。

 

 

乾いた音が、グラウンドに響いた。

 

 

打球は、外野の頭を越えて転がる。

 

 

三塁打。

 

逆転。

 

サヨナラ。

 

 

スタンドが、一気に沸いた。

 

 

歓声。

 

叫び声。

 

仲間が、グラウンドになだれ込む。

 

 

その中で、竜司は、俺の方を見た。

 

満面の笑みで。

 

 

「海斗、見たか」

 

 

息を切らしながら。

 

 

「……約束、守ったぞ」

 

 

その瞬間だった。

 

 

その笑顔を見て、

 

俺は、はっきりと分かった。

 

 

――ああ。

 

 

俺は、竜司のことが、好きなんだ。

 

疑いようもなく。はっきりと。

 

* * *

 

海斗 高校一年。

 

 

俺と竜司は、

 

強豪・春日部実業高校に通っていた。

 

俺は投手。

 

竜司は、県内でもその名を轟かせていた

 

剛腕のスラッガー。

 

打順は、四番。

 

 

当時から、

 

「竜司が打てば勝つ」

 

そう言われる存在だった。

 

 

竜司には、二歳年下の弟がいた。

 

 

青柳蒼司。

 

 

蒼司は、いつも静かに、絵を描いていた。

 

学校でも、家でも、公園でも。

 

声を荒げることもなく、

 

誰かと群れることもなく。

 

 

蒼司は、

 

友だち付き合いをしていなかった。

 

そのせいか、蒼司は、いつも

 

俺と竜司のそばにいた。

 

邪魔をするわけでもなく、

 

口を出すわけでもなく。

 

 

ただ、そこにいる。

 

 

兄弟の仲は、良かった。

 

少なくとも――

 

俺には、そう見えていた。

 

* * *

 

高校一年・六月

 

 

高校に入って、三か月が過ぎていた。

 

 

俺と竜司は、部活の片付けを終えて、

 

春日部駅のホームに立っていた。

 

 

汗の匂い。

 

夕方と夜の境目みたいな空気。

 

 

構内放送が流れる。

 

ピンポン、パンポーン。

 

 

『まもなく、六番線に

 

各駅停車、岩槻方面・大宮行きが参ります』

 

 

竜司は、ベンチに腰を下ろしながら、

 

大きく伸びをした。

 

 

「いやー、今日も練習、きつかったなー」

 

 

軽い声。いつも通りの竜司。

 

俺は、携帯を見る。

 

「もう、八時になるぞ」

 

「マジかよ」

 

竜司は笑いながら言う。

 

「高校の練習、容赦ねえな」

 

 

ホームに、風が吹き抜ける。

 

 

電車のライトが、遠くから近づいてくる。

 

こうして並んで帰るのも、

 

当たり前みたいになっていた。

 

 

「なあ、竜司。お前、やっぱすげえよ」

 

 

竜司は、きょとんとした顔で俺を見る。

 

「一年で、もうレギュラーだろ」

 

照れたように、竜司は鼻で笑った。

 

「何言ってんだよ」

 

「海斗、お前だってすげえじゃねえか」

 

 

指で軽く俺の胸をつつく。

 

 

「一年で控えピッチャーだぞ。

 

 背番号、十八もらったんだろ」

 

 

「……まあな」

 

 

「それって、期待されてるってことだ」

 

 

少しだけ、真面目な声になる。

 

 

「お前、来年は絶対、エースだ」

 

言い切るみたいに。

 

「間違いねえ」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、

 

胸の奥が、じんと熱くなった。

 

 

(……ああ)

 

 

竜司がそう言うと、

 

本当に現実になる気がした。

 

 

昔から、そうだった。

 

竜司の言葉には、不思議な力があった。

 

 

俺は、思う。

 

(やっぱり……好きだな)

 

 

高校に入っても、

 

距離は変わらないはずだった。

 

 

それなのに――俺の気持ちは、

 

膨らむ一方だった。

 

* * *

 

ある日の休日・午後

 

 

午前中は、練習試合。

 

午後はオフ。

 

俺は、そのまま竜司の家に遊びに行った。

 

いつもの流れだった。

 

 

リビングで、

 

俺、竜司、蒼司の三人。

 

ゲームをして、騒いで時間を潰す。

 

 

「あー、また負けた! クソ!」

 

 

竜司はコントローラーを投げ出す。

 

 

「蒼司。少しは手加減しろよ」

 

 

「……そっちが下手なんだよ」

 

 

蒼司は小さな声で返す。

 

 

俺は、ふと蒼司を見る。

 

 

「なあ、蒼司」

 

 

「なに?」

 

 

「お前、まだ絵描いてるのか?」

 

 

「……うん。まあ、普通に」

 

 

「普通なわけねえだろ」

 

 

竜司は、笑いながら口を挟む。

 

 

「こいつさ、ずっと絵ばっか描いてんだぜ」

 

 

「他にやること、ないから」

 

 

蒼司の淡々とした声。

 

 

「今、何描いてんだ?」

 

 

「せっかくだしさ、海斗にも見せてやれよ」

 

 

「……嫌だ」

 

 

少し間があって。

 

 

「恥ずかしいし。そんなに上手くない」

 

 

「へえ」

 

 

俺は興味を隠さず言う。

 

 

「俺、見たいけどな」

 

 

「……わかった、また今度ね」

 

 

「楽しみにしとくよ」

 

 

「うん」

 

 

「じゃ、俺トイレ行ってくるわ」

 

 

立ち上がった瞬間。

 

 

「おっと」

 

 

竜司が、少しバランスを崩す。

 

その手が、俺の肩に触れた。

 

 

一瞬。

 

 

俺の胸が、跳ねる。

 

 

(……っ)

 

 

「……あ、悪い。肩」

 

 

「……ああ。大丈夫」

 

 

俺の声が、少しだけ上ずる。

 

 

竜司は、何も気にせず、

 

そのまま廊下へ消えていった。

 

 

俺は、まだ肩に残る感覚を、

 

どう処理していいか分からずにいた。

 

 

胸が、やけにうるさい。

 

 

蒼司は、その様子を、何も言わずに見ていた。

 

* * *

 

 

その日の夜、

 

俺は、

 

そのまま竜司の家に泊まることになった。

 

子どもの頃から、

 

何度も泊まりに来ている家だった。

 

 

「海斗、今日泊まっていくだろ?」

 

 

練習終わりの流れみたいに、

 

竜司は当たり前の顔で言った。

 

 

「……ああ、そうする」

 

 

何気ない返事。

 

でも、本当は少しだけ嬉しかった。

 

 

青柳家は、昔から、あたたかい家だった。

 

 

夕飯の時間。

 

 

「あら、海斗くん! 久しぶり!」

 

 

竜司の母親が、ぱっと顔を明るくする。

 

 

「今日は泊まってくんでしょ?

 

 いっぱい作ったからね!」

 

 

テーブルには、唐揚げに、煮物に、味噌汁

 

に、大皿いっぱいの料理が並んでいた。

 

 

「相変わらずすごい量……」

 

 

俺が苦笑すると、

 

 

竜司の母親は楽しそうに笑う。

 

 

「男の子はいっぱい食べなきゃ!」

 

 

リビングには、穏やかな空気が流れていた。

 

父親も、テレビを見ながら、

 

よく喋る人だった。

 

 

「海斗君。

 

最近どうだ?レギュラー争い、大変だろ」

 

 

「まあ、それなりに」

 

 

「こいつ、絶対そのうちエースになりますよ」

 

 

竜司が勝手に言う。

 

 

「おい」

 

 

「いや、マジで」

 

 

父親は、ふっと笑った。

 

 

「竜司がそこまで言うなら、本当だな」

 

 

そんな会話が、自然に続いていく。

 

昔から変わらない、居心地のいい食卓だった。

 

 

ただ――蒼司だけは、

 

少し違った。

 

 

食事を終えると、「ごちそうさま」と、

 

小さく言って、すぐ席を立った。

 

 

「蒼司、もう部屋戻るのか?」

 

竜司が声をかける。

 

「……うん」

 

 

それだけ言って、蒼司は二階へ上がっていった。

 

静かな足音。

 

俺は、その背中を少し見つめる。

 

 

「蒼司、どうしたんだ?」

 

 

すると、竜司は箸を持ったまま、

 

軽く肩をすくめた。

 

 

「あー、たぶん部屋で絵描いてるんだと思う。

 

最近、よくああなんだよ」

 

 

「そうなんだ」

 

 

「なんか知らねえけど、ずーっと描いてる」

 

 

呆れたように笑いながら、

 

でも、どこか弟を気にしている声だった。

 

 

俺は、二階の方を見る。

 

閉じたドアの向こうで、

 

蒼司は何を描いているんだろう。

 

そんなことを、少しだけ思った。

 

 

* * *

 

夜。

 

 

風呂を済ませたあと、俺は竜司の部屋にいた。

 

昔から変わらない部屋。

 

 

野球雑誌。無造作に置かれたグローブ。

 

壁に貼られたプロ野球選手のポスター。

 

 

床には、俺用のいつもの布団が敷かれていた。

 

 

「もう、これ俺専用だな」

 

 

俺が笑うと、ベッドに寝転がった竜司も笑う。

 

 

「小学生の頃とか、毎週泊まってたもんな」

 

 

「あったな」

 

 

「あの頃、海斗、寝相めちゃくちゃ悪かったぞ」

 

 

「お前に言われたくねえよ」

 

 

そんなくだらない話を、夜遅くまで続けた。

 

野球のこと。先輩のこと。

 

次の練習試合のこと。将来のこと。

 

時間は、ゆっくり過ぎていった。

 

 

やがて、部屋の電気を消す。

 

 

暗闇。

 

窓の外から、遠くを走る車の音が聞こえる。

 

 

「……おやすみ」

 

「おう」

 

 

それきり、部屋は静かになった。

 

けれど――俺は、眠れなかった。

 

隣のベッドには、竜司がいる。

 

 

すぐ近く。

 

呼吸の音が、静かな部屋に溶けていく。

 

胸が、落ち着かなかった。

 

 

好きだ。

 

 

その気持ちは、もうごまかせないくらい、

 

膨らんでいた。

 

俺は、小さく声を出す。

 

「……竜司、寝たか?」

 

 

返事はない。

 

規則正しい呼吸だけが聞こえる。

 

 

俺は、暗闇の中で、そっと手を伸ばした。

 

少しだけ。ほんの少しだけ。

 

けれど、届かない。

 

指先は、空を切るだけだった。

 

その距離が、妙に苦しかった。

 

 

でも――

 

 

(……これで、いいんだ)

 

 

そう思う。

 

このままでいい。

 

竜司の友だちとして、隣にいられるなら。

 

今の関係を壊さず、

 

ずっと横で笑っていられるなら。

 

それだけでいい。

 

 

……そう、自分に言い聞かせる。

 

 

伸ばした手を、ゆっくり引き戻した。

 

 

暗闇の中、俺は静かに目を閉じる。

 

飲み込んだ想いだけが、

 

胸の奥に、熱を残していた。

 

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