海斗 大学四年 一月。
ある日、ポストを開けると、
白くて、やけに立派な封筒が入っていた。
差出人の名前を見た瞬間、胸の奥が、小さく揺れた。
竜司からだった。
俺は封筒を見つめたまま、小さく息を吐く。
――ああ。
来たんだ。
結婚式の招待状。
分かっていたはずなのに、実際に届くと、思っていた以上に重かった。
ふと、あの日のことを思い出す。
最後に竜司と話した日。
別れ際。
無理に笑いながら、俺は言ったんだ。
「結婚式、呼んでくれよ」
あのときは、そう言うしかなかった。
そう言えば、ちゃんと前を向ける気がしたから。
でも今になって思う。
……なんで、あんなこと言ったんだろう。
呼ばれたら困るくせに。
行くのがつらくなるに決まってるのに。
俺は苦笑しながら、招待状を開いた。
欠席に丸を付ける理由はいくらでも探せる。
仕事。
予定。
でも――
それは違う気がした。
俺が言ったんだ。
呼んでくれって。
だったら、行かなきゃ。
俺は返信ハガキを手に取り、ゆっくりと出席に丸を付けた。
少しだけ震える手を、自分で押さえながら。
当日。
披露宴会場は、
想像していた以上に華やかだった。
天井から吊られたシャンデリア。
磨き上げられた床。
笑顔で行き交うスタッフ。
そして――
集まっている顔ぶれが、すごかった。
テレビで見たことのある有名選手。
名前を聞けば分かる芸能人。
局アナの姿も、何人か見える。
(……すげえ世界だな)
俺は、少しだけ背筋を伸ばした。
蒼司は、親族席のほうにいた。
俺と目が合うと、小さく頷いてくる。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
周囲を見渡すと、高校時代の野球部の仲間が、何人かいた。
「あっ、海斗じゃん!」
「久しぶりだな!」
「元気だったか?」
変わらない声が飛んでくる。
俺も自然と笑った。
「久しぶり」
「みんな変わってねぇな」
知った顔。
変わらない声。
それだけで、場の空気が、少しだけ身近になる。
自然と、会話が弾んだ。
大学の話。
就職の話。
あの頃の、くだらない思い出。
笑いながら、誰かがぽつりと言った。
「……俺ら、ちょっと場違いじゃね?」
苦笑が、広がる。
「分かる」
「周り、すげえ人ばっかだもんな」
別の誰かが、続ける。
「……竜司さ、もう完全に、遠い人になったよな」
俺は、グラスを手にしたまま、自然と視線を会場の中央へ向けていた。
主役席には、竜司がいる。
タキシード姿の竜司の周りには、絶えず人が集まっていた。
有名選手。
芸能人。
関係者たち。
次々と声を掛けられ、祝福され、写真を撮られ、竜司はそのたびに笑顔を向けている。
(人気者だな……)
昔からそうだったけど、今はもう、その規模が違う。
俺は少し離れた席から、ぼんやりとその様子を眺めていた。
竜司の笑った顔は、昔から何度も見てきた。
試合に勝ったとき。くだらないことで笑ったとき。
野球部のみんなと騒いでいたとき。
だけど――
今、目の前で笑っている竜司は、
俺の知っている竜司と、どこか少し違う気がした。
もちろん同じ顔だ。
同じ声だ。
それなのに、
俺の知らない時間を重ねてきた顔だった。
竜司は忙しそうに周囲と話している。
当然だけど、俺に気付く様子はなかった。
それを寂しいとも思わなかった。
ただ、
ああ、本当に遠くまで行ったんだな、と。
俺は、仲間たちの輪に戻る。
ここには、俺の居場所も、ちゃんとあった。
やがて席に着く。
すると隣に座っていた同級生が、
少しだけ声を落として言った。
「……なぁ、海斗。来たんだな」
俺はそいつを見る。
どこか心配そうな顔だった。
何を言いたいのかは分かった。
だから俺は小さく笑う。
「まぁな……」
それだけ答えた。
同級生は一瞬だけ何か言いかけたが、
結局何も言わなかった。
「……そっか」
ただそれだけ言って、グラスを手に取った。
俺もそれ以上は何も言わない。
その沈黙は、気まずさじゃなかった。
たぶん、お互い分かっていたからだ。
ほどなくして、
竜司が、俺たち高校野球部のテーブルへやって来た。
タキシード姿のまま、昔と変わらない笑顔を浮かべている。
「今日は来てくれてありがとう」
そう言って、一人ひとりの顔を見ながら頭を下げた。
「ほんと、ありがとうな」
すると誰かが声を上げる。
「おめでとう!」
「幸せになれよ!」
「スターだな、お前」
「これからも頑張れよ!」
次々に飛ぶ祝福の言葉。
そして、
「料理、期待してるぞ」
誰かの冗談に、どっと笑いが起きた。
竜司も声を上げて笑う。
俺もみんなにつられて笑った。
その瞬間だけは、まるで高校時代に戻ったみたいだった。
野球部の部室で。
遠征バスの中で。
くだらないことで笑い合っていた頃みたいに。
ただの仲間として。
ただの友達として。
その輪の中にいた。
ふと、竜司と目が合った。
ほんの一瞬だった。
竜司は何かを言いかけたように見えて、
わずかに視線を落とした。
そう見えただけかもしれない。
会場の照明のせいだったのかもしれない。
それでも、ほんの少しだけ、
竜司の笑顔が曇ったような気がした。
次の瞬間には、もういつもの笑顔に戻っていて、別の仲間に話しかけていた。
俺と竜司が、一対一で話すことはなかった。
話そうと思えば、きっと話せた。
でも、そうはならなかった。
俺は今日、特別な誰かとしてここにいるわけじゃない。
竜司の過去としてでも、思い出としてでもない。
ただ高校時代の友達として、この場所にいた。
それで、よかった。
披露宴は、にぎやかなまま進んでいった。
やがて、二次会の案内が始まる。
俺は、その場で席を立った。
二次会には、参加しない。
理由は、特にない。
ただ、そうするのが、一番自然だと思った。
会場を出ると、夜の空気が、ひんやりと頬に触れた。
胸の奥は、静かだった。
* * *
会場の外で、蒼司と待ち合わせをしていた。
「お疲れ」
「……疲れた」
俺は、少しだけ笑って言う。
「一緒に帰るか」
「うん」
その一言で、胸の奥が、すっと落ち着いた。
――ああ。
今の俺の居場所は、ここなんだ。
そう思った、そのときだった。
「……あのー、ちょっとよろしいですか?」
振り向くと、名刺を差し出す男が立っていた。
「週刊誌の者なんですが……」
「はい?」
男は、俺の顔をまっすぐ見て言った。
「佐々木さんですよね?」
「……何か?」
少し間を置いて、男は続ける。
「実は、あるウワサがありまして……」
嫌な予感が、胸をよぎる。
「佐々木さんと、青柳選手。
以前、恋人同士だったんじゃないか、
という話が――」
「え?」
言葉が、喉につかえた。
反射的に、口が動く。
「……いや、そんなの、ただのウワサです」
自分の声が、やけに遠くに聞こえた。
「……幼なじみで、野球部の仲間で。
高校のとき、ちょっとふざけて遊んでただけですよ」
一度、息を吸う。
「ノリで、そんなウワサが出ただけです」
男は、少しだけ残念そうに頷いた。
「……そうですか」
それだけ言って、去っていった。
俺は、その背中が見えなくなるまで見送る。
そして、大きく息を吐いた。
「ふぅ……びっくりした」
自分でも分かるくらい、無理やり明るい声だった。
「まだそんなウワサしてるやつ、いるんだな」
隣で、蒼司は何も言わない。
俺は苦笑した。
「うまく言えたかな」
少しだけ肩をすくめる。
「もう来なきゃいいけど」
蒼司は黙ったままだった。
その沈黙が妙に気になって、俺はわざと話題を変える。
「なんか腹減ったな」
笑いながら言う。
「蒼司、なんか食べて帰るか?
料理、全然食べた気しなくてさ」
「……カイト」
蒼司が、ようやく口を開いた。
その声は、どこか言いにくそうだった。
「カイト……大丈夫?」
「……え?」
何のことだろうと思った。
その瞬間だった。
頬を伝うものに気付く。
ぽたり、と。
地面に落ちた。
俺は自分の顔に触れる。
濡れていた。
「……あれ」
なんで。
なんで泣いてるんだ。
悲しくなんかないはずなのに。
竜司は幸せそうだった。
ちゃんと祝福できた。
もう終わったことだ。
全部。
なのに。
そこでようやく気付いた。
――ああ。
そうか。
俺はさっき、
自分で言ったんだ。
『ただのウワサです』
『ふざけて遊んでいただけです』
『ノリで出た話です』
週刊誌の記者を追い払うためだった。
仕方なかった。
そうするしかなかった。
でも――
俺は、自分の言葉で、あの頃をなかったことにした。
竜司と過ごした時間も。
本気で好きだった気持ちも。
全部。
自分で否定した。
守るためだった。
それでも、傷つかないわけじゃなかった。
(あぁ……)
(そういうことか……)
涙が、止まらなかった。
蒼司は何も言わず、ただ、そっと、近くに立っていた。
「……帰ろう」
静かな声だった。
俺は、何も言えずに、頷いた。
蒼司は、急かすことも、問い詰めることもなく、ただ、隣にいた。
それだけで、どうにか、立っていられた。
夜の空気は、冷たかった。
でも――
一人じゃなかった。