蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第5章 あふれる想い 後編

 

 

海斗 高校二年・九月

 

 

 

夏が終わり、

 

チームは新体制になった。

 

俺は――

 

新チームのエースになった。

 

……正直に言えば、

 

「選ばれた」というより、

 

消去法で決まった、という感じだった。

 

誰かが圧倒的だったわけでもなく、

 

ただ、残ったのが俺だった。

 

エースになれた嬉しさは、確かにあった。

 

でも、それ以上に――

 

 

 

(……このままで、いいのか?)

 

 

 

そんな不安が、胸の奥に居座っていた。

 

エースの重圧。

 

エースの責任。

 

何よりも――

 

竜司の足だけは、絶対に引っ張ってはいけない。

 

その思いだけが、やけに強く残っていた。

 

竜司は、心から喜んでくれた。

 

「お前がエースとか、最高じゃん」

 

そう言って、自分のことみたいに笑った。

 

あいつは、本当に、俺のことを疑っていなかった。

 

 

 

学校の中は、甲子園三回戦敗退にもかかわらず、

 

異様なほど盛り上がっていた。

 

「来年こそは」

 

「絶対いける」

 

そんな言葉が、当たり前みたいに飛び交っていた。

 

 

 

来年、竜司は三年生。

 

――来年も、甲子園出場は間違いない。

 

学校も、世間も、そう期待していた。

 

 

 

不思議なことに竜司自身は、

 

そのプレッシャーをまったく感じていないようだった。

 

いつも通りで、前だけを見ていた。

 

 

 

一方で――

 

蒼司は、中学校の絵画コンクールで賞をもらった。

 

あの、青い蒼い海の絵。

 

俺が、心から好きだと思った絵。

 

 

 

ある日、

 

俺の家族と竜司の家族で、

 

一緒に食事をすることになった。

 

テーブルは賑やかで、笑い声が絶えなかった。

 

話題の中心は、自然と決まっていた。

 

甲子園での竜司の活躍。

 

満塁ホームラン。

 

テレビに映った場面。

 

 

 

誰もが、竜司の話をしていた。

 

賞を取った蒼司のことも、

 

もちろん話題には上がった。

 

「すごいな」

 

「才能あるね」

 

そう言われて、蒼司は静かに笑っていた。

 

特に、気にしている様子はなかった。

 

 

 

それでも――

 

俺は、その夜、

 

なぜか蒼司の方ばかりを見ていた。

 

笑っている横顔。静かに箸を動かす手。

 

竜司の声が響く中で、

 

蒼司だけが、少し違う場所にいるように見えた。

 

(……なんでだろう)

 

理由は、まだ分からなかった。

 

 

 

ただ、その存在が、やけに気になっていた。

 

* * *

 

海斗 高校二年 十月

 

 

 

秋大会を間近に控えた頃。

 

夕暮れのグラウンドに、

 

もう人影はほとんどなかった。

 

俺は、一人で残って、黙々と投げ込みをしていた。

 

フォームを確認して、指のかかりを確かめて、

 

ただ、ボールを投げる。

 

 

 

そこへ、足音。

 

「おい、海斗」

 

振り返ると、竜司が立っていた。

 

「まだ帰らねぇのか?もう練習、終わってるぞ」

 

「ああ……わり。もう少しだけ」

 

汗を拭いながら言う。

 

「竜司。先、帰っててくれよ」

 

竜司は眉をひそめた。

 

「おい。試合前にそんな投げ込んでたら、

 

 肩、痛めるぞ」

 

「大丈夫だって。あと、ちょっとだけだから」

 

 

 

少しの沈黙。

 

それから、竜司はため息をついた。

 

「……分かったよ」

 

ボールを拾い上げる。

 

「俺も付き合う本当に、ちょっとだけだぞ」

 

「……ありがとう、竜司」

 

その一言で、

 

胸の奥が、じんと熱くなった。

 

 

 

夜八時。

 

春日部駅のホーム。

 

 

 

いつもより、帰りは遅かった。

 

電車を待ちながら、俺と竜司は並んで立つ。

 

何度も繰り返してきた光景。

 

それなのに、今日は少しだけ、重みが違った。

 

 

 

二人だけの時間。

 

「……悪かったな」

 

竜司が俺の顔を見る。

 

「こんな遅くまで、付き合わせて」

 

「気にすんなよ」

 

竜司は軽く肩をすくめて。

 

「俺も、もう少し体、動かしたかったし」

 

電車接近のアナウンスが、遠くで鳴る。

 

その音に背中を押されるみたいに、

 

俺は、胸の内を吐き出した。

 

「……俺さ」

 

 

 

少し、間を置く。

 

 

 

「……不安で仕方ないんだ」

 

竜司は、何も言わずに聞いている。

 

「エース任されてさ……本当に、この新チームで」

 

言葉が、途切れ途切れになる。

 

「……俺、エースとしての責任、果たせんのかなって」

 

視線を落とす。

 

「今まで、一試合だって……一試合だって、

 

 全部一人で投げ切ったこと……ないんだ」

 

拳を握る。

 

「こんなんで、本当に……

 

チーム、背負っていけるのかって」

 

 

 

しばらく沈黙が流れた。

 

 

 

それから、竜司が、静かに言った。

 

「お前、一人で背負う必要なんかねぇよ」

 

俺は、顔を上げる。

 

「もし、お前が点取られたらさ」

 

当たり前みたいに。

 

「俺が、その分、取り返す。

 

……お前は、一人じゃない」

 

夜風が、二人の間を吹き抜ける。

 

「一人で全部、背負う必要なんかねぇんだ」

 

少し間を置いて、はっきりと。

 

「それに、お前は……ちゃんと、優秀なエースだよ」

 

その言葉が、胸の奥に、静かに落ちていった。

 

 

 

電車のライトが、線路の先に見える。

 

 

 

俺は、深く息を吸った。

 

胸の奥に、ずっと押さえ込んでいたものが、

 

今にも溢れそうだった。

 

 

 

息が、うまく吸えない。

 

 

 

そのとき――電車が、ホームに滑り込んできた。

 

ブレーキの音。

 

風。

 

アナウンス。

 

「おい、海斗。電車来たぞ」

 

一歩、前に出てから、振り返る。

 

「乗らねぇのか?」

 

 

 

――ダメだ。

 

 

 

今、こんなこと言ったら。

 

今、口にしたら。

 

 

 

全部、終わる。

 

 

 

分かってる。

 

分かってるのに。

 

 

 

胸が、口が勝手に――

 

 

 

「…‥‥竜司」

 

 

 

声が、震えた。

 

 

 

竜司は立ち止まって、俺を見る。

 

何も言わずに。

 

ただ、まっすぐ。

 

その視線に、逃げ場はなかった。

 

 

 

「俺は……」

 

 

 

俺は喉が、詰まる。

 

 

 

「……俺は、お前のことが、好きだ」

 

 

 

言ってしまった。

 

 

 

「……ずっと、好きだった」

 

 

 

時間が、止まったみたいだった。

 

 

 

竜司は、黙ったまま、

 

俺の目を見る。

 

俺の顔を見る。

 

俺は、その視線に耐えられなくて、うつむいた。

 

 

 

唇を噛む。

 

(……言うんじゃなかった)

 

(……本当に、言うんじゃなかった)

 

「ごめん……」

 

声が、掠れる。

 

「……本当に、ごめん」

 

言葉が、止まらない。

 

「勝手に好きになって……勝手に……」

 

最後まで、言えなかった。

 

 

 

アナウンスが、無情に流れる。

 

『六番線、ドアが閉まります。ご注意ください

 

プシュー、という音。

 

電車は、そのまま、走り去っていった。

 

 

 

風だけが、ホームに残る。

 

 

 

気づけば、そこにいるのは――

 

俺と、竜司だけだった。

 

誰も、何も言わない。

 

 

 

夜のホームは、やけに広くて、静かだった。

 

 

 

俺は、まだ顔を上げられずにいた。

 

 

 

竜司は、しばらく黙っていた。

 

 

 

それから、ほんの少しだけ、声を落として言う。

 

「……海斗。顔、上げろよ」

 

俺は、息を呑む。

 

 

 

怖かった。

 

見たくなかった。

 

でも――

 

 

 

ゆっくりと、顔を上げる。

 

 

 

俺は、竜司の顔を見る。

 

そこには、今まで見たことのない表情があった。

 

強くも、明るくもない。

 

誇らしげでもない。

 

 

 

ただ、驚くほど、優しい顔。

 

 

 

こんな顔をした竜司を見るのは、

 

初めてかもしれなかった。

 

 

 

「……俺も、好きだ」

 

 

 

静かに、はっきりと。

 

 

 

「俺も、お前のこと、好きだよ」

 

 

 

一瞬、意味が分からなかった。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

声が、裏返る。

 

 

 

「な、何言って……」

 

 

 

頭が、追いつかない。

 

 

 

「お前……意味、分かってんのか?」

 

 

 

必死に言葉をつなぐ。

 

 

 

「俺……好きだって言ったんだぞ。

 

友達として、じゃねぇからな」

 

震える声で。

 

「そういう意味で、言ったんじゃねぇ」

 

 

 

竜司は、何も言わずに一歩近づく。

 

そして――

 

そっと、俺を抱き寄せた。

 

強くはない。

 

逃げられないほどでもない。

 

ただ、確かめるみたいな腕。

 

「……分かってる」

 

低い声が、耳元で響く。

 

「お前の気持ち」

 

一呼吸、置いて。

 

「分かった上で、言ってる」

 

少しだけ、腕に力が入る。

 

「俺も……好きだよ、カイト……」

 

頭の中が、真っ白になる。

 

 

 

嬉しいのか。怖いのか。

 

信じていいのか。分からない。

 

 

 

ただ――

 

胸の奥で、何かが静かに、崩れ落ちた。

 

俺は、竜司の腕の中で、静かに泣いていた。

 

声を上げるでもなく、

 

ただ、涙が止まらなかった。

 

竜司は、何も言わず、ただ黙って、俺を支えていた。

 

 

 

それだけで、十分だった。

 

 

 

* * *

 

 

 

数分後。

 

俺は、駅のホームのベンチに座っていた。

 

 

 

少し離れた自販機から、

 

竜司が戻ってくる。

 

手には、二本の飲み物。

 

「ほら」

 

俺の前に差し出す。

 

「これ。好きだろ?」

 

「あ……」

 

少し鼻をすすって、受け取る。

 

「わりぃ。ありがとう」

 

「ん」

 

竜司は俺の隣に腰を下ろして、

 

「少しは、落ち着いたか?」

 

「ああ……」

 

気まずそうに笑って、

 

「さっきは、すまん。

 

 あんなに泣いて……正直、恥ずかしい」

 

 

 

竜司は、少しだけ考えてから言った。

 

「大丈夫だって」

 

それから、照れもせずに。

 

「なんか……かわいいと思ったし」

 

「……え?」

 

一気に、顔が熱くなる。

 

「お、お前……急に何言って……」

 

竜司は、くすっと笑った。

 

 

 

しばらく、無言。

 

 

 

電車の走る音だけが、遠くで聞こえる。

 

 

 

でも、その沈黙は、不思議と居心地がよかった。

 

 

 

その空気を破るように、竜司が口を開く。

 

「なあ、カイト」

 

「ん?」

 

「お前は、俺が好きで」

 

 

 

少し間を置いて、

 

 

 

「俺は、お前が好き」

 

確認するみたいに。

 

「……ってことで、合ってるよな」

 

「……ああ」

 

照れくさくて、視線を逸らす。

 

「改めて言われると……なんか、恥ずかしいな」

 

竜司は、小さく笑って、

 

静かに、続けた。

 

「じゃあさ」

 

「俺たち、今から付き合うってことで

 

いいんだよな」

 

胸が、どくん、と鳴る。

 

顔が熱い。

 

体温が、一気に上がるのが分かる。

 

 

 

(……いいのか?)

 

(……こんなふうに、決まって)

 

 

 

でも――俺は、正直に言った。

 

「……俺は、付き合いたい」

 

竜司は、迷わなかった。

 

「ああ」

 

当たり前みたいに。

 

「付き合おう……」

 

少し照れたように、でも真剣に。

 

「俺さ……お前と、ずっと一緒にいたい」

 

「この先も」

 

その言葉を聞いた瞬間、

 

胸の奥が、じんわりと温かくなった。

 

 

 

夜のホームで、俺たちは並んで座っていた。

 

まだ何も変わっていないのに、

 

確かに――

 

何かが、始まった気がした。

 

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