海斗と竜司は、恋人同士になった。
秋大会。
結果は――ベスト4。
頂点には届かなかったが、
それでもチームは、確かな手応えを掴んでいた。
試合を重ねるごとに、
ベンチも、スタンドも、グラウンドも、
みんな少しずつ同じ方向を向き始めていた。
負けた悔しさよりも先に浮かんだのは、
「このチームなら、もっと先へ行ける」
という感覚だった。
来年の夏、甲子園へ。
その目標が、誰か一人の夢じゃなく、
チーム全員の言葉になっていた。
俺はエースとして、
何試合かは最初から最後まで投げ切った。
九回のマウンドに立っても、
以前みたいに、足がすくむことはなかった。
苦しい場面でも、
ファーストを守る竜司の姿が見えれば、
自然と腕は振れた。
竜司の活躍は相変わらずだった。
長打で打線を引っ張り、
欲しいところで、きっちり点を重ねてくる。
「頼れるやつらがいる」
そう思えることが、
こんなにも心を軽くしてくれるなんて、
前の俺は知らなかった。
不安は、完全に消えたわけじゃない。
それでも――
確実に、小さくなっていた。
その代わりに、胸の奥に残ったのは、
エースとしての責任と、ほんの少しの自信。
俺は今、
ちゃんとこのチームの中心に立っている。
そう、思えるようになっていた。
* * *
学校では、ちょっとした騒動になっていた。
竜司は、校内でも有名な存在だった。
成績、野球、見た目――
どれを取っても目立たない理由がなく、
当然のように、女子からの人気も高かった。
そんなある日。
一人の女子生徒が、
放課後、意を決したように竜司に告白した。
その時の竜司の答えは、
驚くほど、はっきりしていた。
「付き合っている人がいる。だから……ごめん。」
それだけだった。
言い訳も、曖昧な逃げもなかった。
その返事は、あっという間に広まった。
――青柳竜司には、付き合っている人がいる。
学年中、いや、学校全体に、
その噂は波紋のように広がっていく。
「誰なんだ?」
「同じクラス?」
「他校じゃないの?」
名前は出ない。証拠もない。
それなのに、
“相手探し”だけが、独り歩きしていた。
俺は、その渦中にいることを、
まだ、誰も知らなかった。
⸻
俺と竜司は、クラスが違っていた。
今までは、昼休みもそれぞれ別々に過ごしていた。
それが――付き合い始めてからは、
自然と一緒に昼飯を食べるようになった。
俺は、いつも竜司を屋上に誘っていた。
屋上には、誰もいない。
風の音と、遠くの校舎のざわめきだけ。
そこで、二人きりの時間を過ごしていた。
⸻
昼休み 屋上。
「なあ、カイト。
そろそろ屋上、寒くなってきたぜ。
中で食えばいいじゃん」
「おい。そんなことしたら目立つだろ」
俺は思わず、声を低くする。
「今、お前が学校で噂になってるの、知らねえのかよ」
「え、そうなのか? なんで?」
「……お前、無自覚かよ」
俺は溜め息をついて続けた。
「この前、女子に告白された時さ。
『付き合ってる人がいる』って言っただろ」
「ああ」
「だから、その“相手が誰なんだ”ってことで、
学校中が噂になってるんだよ」
竜司は一瞬きょとんとして、
すぐに、あっさりと言った。
「なんだ、そんなことか」
「は?」
「だったらさ。
俺、お前と付き合ってるって言えばいいのか」
あまりにも軽い口調だった。
俺は、言葉の意味が追いつくより先に、
体が反応していた。
「おいおいおい、ちょっと待て待て待て!」
思わず、一歩距離を取る。
「そんなこと言ったらさ、
俺ら、学校中でどんな目で見られるか
分かったもんじゃねえだろ」
竜司は肩をすくめる。
「別にさ。俺たち、
何も悪いことしてるわけじゃないだろ」
そして、当たり前みたいに言った。
「堂々としてりゃ、いいじゃん」
竜司のその言葉に、
俺の胸の奥が、少しだけ揺れた。
「……堂々ってさ。
お前、そんな簡単に言うけど……」
「――お前は、嫌か?」
一瞬、言葉に詰まる。
「俺と付き合ってるって、知られるの」
俺は、少しだけ考えた。
「……別に、嫌ってわけじゃねえよ」
喉が鳴る。
「嫌じゃねえ。ただ……その……」
言葉を探す。
「心の準備っていうか……
勇気が、まだねえっていうか……」
そう言った瞬間だった。
竜司が、何も言わずに一歩近づく。
「……え?」
気づいた時には、もう遅かった。
唇に、柔らかい感触。竜司だった。
初めてのキスだった。
頭が真っ白になる。
なのに、体の奥だけが、じんわりと熱くなっていく。
竜司のぬくもり。近すぎる距離。
ほんの一瞬なのに、やけに長く感じた。
――ああ。
キスって、こんなにも、心を掴まれるものなんだな。
ゆっくりと、竜司が離れる。
そして、俺の顔をじっと見つめて、小さく呟いた。
「……これで、少しは勇気出たか?」
心臓が、うるさい。
答えは、まだ出せなかった。
でも――
さっきまでより、確実に一歩、前に進んでいた。
* * *
数日後の昼休み。
俺は、いつものように弁当を持って
屋上へ行こうとして――
途中で、はっと足を止めた。
(……あ、やばい。弁当が、ない)
確かに朝、持ってきたはずなのに。
机の中、ロッカー、足元――
どこを探しても、見当たらなかった。
(マジかよ……)
その時、廊下の向こうから声がした。
「おい、カイト。まだか?」
竜司だ。
顔を上げると、
ちょうど教室の入り口の前に立っている。
(迎えに来たのか……)
「ちょ、ちょっと待って!」
俺は慌てて、竜司のところへ向かった。
その様子を、
クラスのみんなが黙って見ているのが、分かる。
視線が、刺さる。
「お前、遅いから迎えに来たぞ」
「あ、すまん……。俺、今日、弁当忘れてさ」
「じゃあ、学食行こうぜ」
「……え?」
「昼抜きでどうすんだよ。今日、練習あるだろ」
“練習”という言葉に、押し切られた。
「……分かった」
こうして、俺たちは二人で学食へ向かった。
⸻
昼時の学食は、人でごった返していた。
俺はカツ丼を頼み、トレーを持って振り返る。
「おい、カイト! ここ」
竜司が、すでに席を取ってくれていた。
「あ、すまんすまん」
腰を下ろした瞬間、
周囲の空気が、少しだけ変わった。
視線。
友達、知り合い、野球部の仲間――
いろんな目が、俺たちに集まっている。
「……なんで二人でいるんだろ」
「珍しくね?」
「いや、野球部でいつも一緒じゃん」
「でも、昼はあんま一緒じゃなくね?」
「……え、ひょっとして?」
ざわざわ、ひそひそ。
耳に入ってくる声に、胸が落ち着かない。
そんな中、まるで何でもないことのように、
竜司のクラスの一人が近づいてきた。
「あ、おい、青柳」
「佐々木と、ずいぶん仲良くなったよな」
俺の箸が、止まる。
「もしかしてさ――」
その同級生は、たぶん冗談のつもりだった。
軽い口調で、笑いながら。
「……付き合ってたりすんの?」
その一言で、
学食のざわめきが、ほんの一瞬、遠のいた。
――そして。
竜司は、少しも慌てることなく、
落ち着いた声で答えた。
「……ああ、そうだよ」
一瞬、間が空く。
そして、はっきりと言った。
「俺は、カイトと付き合ってる」
空気が、止まった。
声をかけてきた同級生は、
冗談の続きを待つみたいに口を開いたまま、
固まっている。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
その同級生は、ゆっくりと視線を俺に向けた。
冗談の続きだと信じたい、そんな顔をして。
「……なあ、佐々木」
学食のざわめきの中で、
その声だけが妙に近く聞こえた。
「冗談だろ?」
乾いた笑いを浮かべて、続ける。
「冗談だよな」
そして、竜司の方をちらりと見てから、
少し困ったように言った。
「青柳さ……ちょっと冗談、通じないからさ……」
俺は、一度だけ息を吸った。
逃げ道は、もうなかった。
箸を置き、顔を上げる。
学食中の視線が、
一斉に、俺に集まっているのが分かる。
それでも――目は逸らさなかった。
「……いや」
声は、思ったより落ち着いていた。
「冗談じゃない」
一瞬の沈黙。
そして、はっきりと言った。
「俺は、竜司と付き合ってる」
言い切った瞬間、
胸の奥に溜まっていた何かが、
すっと抜けた気がした。
怖くないわけじゃない。
でも――後悔は、なかった。
横を見ると、
竜司が、ほんの少しだけ口角を上げていた。
次の瞬間――
学食全体が、どよめきに包まれた。
「……え?」
「マジで?」
男子の驚きの声。
「きゃっ……!」
「うそ……」
女子の悲鳴。
中には、顔を伏せて、泣き出す女子もいた。
ざわめきが、波のように広がっていく。
俺は、箸を握ったまま、動けなかった。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
でも――
横を見ると、竜司は何も変わらない顔で、
ただ、そこに座っていた。
まるで、
これが当たり前だと言わんばかりに。