蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第7章 好奇心と覚悟 後編

 

『青柳竜司と、佐々木海斗は付き合っている』

 

 

その噂は、瞬く間に学校中へ広がった。

 

廊下、教室、学食。

 

どこに行っても、ひそひそ声はついてきた。

 

 

けれど――

 

竜司は、何一つ変わらなかった。

 

 

俺も、言ってしまったことに後悔はなかった。

 

むしろ、不思議なくらい、胸は静かだった。

 

覚悟を決めてしまえば、

 

もう隠す必要も、逃げる理由もなかった。

 

 

学校では、普段どおり、二人で行動した。

 

昼休みは一緒に過ごし、

 

放課後は、野球の練習をして、

 

帰りは、いつも通りに同じ電車に揺られて帰宅する。

 

最初は、周囲から好奇の目で見られた。

 

すれ違いざまの視線。遠慮のない噂話。

 

 

けれど、それも次第に、落ち着いていった。

 

 

幸い、野球部の仲間は、

 

俺たちの関係について、何も言わなかった。

 

変わらず、いつも通りに接してくれた。

 

それが、どれだけ救いだったか――

 

きっと、当事者にしか分からない。

 

 

ただ。

 

 

俺のクラスでは、

 

何人かの友人が、静かに離れていった。

 

理由を聞くことはなかった。

 

聞かなくても、分かってしまうから。

 

そんな中でも――

 

俺と、変わらず接してくる友人がいた。

 

 

松本恒一だ。

 

松本とは、二年になってから同じクラスになった。

 

性格は、正反対。

 

 

それなのに、なぜか、気が合った。

 

腫れ物に触るみたいな態度も、

 

気を遣いすぎる様子もない。

 

 

ただ、今まで通りだった。

 

 

それが、どれだけありがたかったか。

 

俺は、その時初めて気づいた。

 

――友達って、こういう存在なんだな、と。

 

 

とある日。

 

 

この日は、修学旅行の班分けと

 

部屋割りを決める日だった。

 

宿泊先のホテルは、二人一部屋。

 

黒板に書かれていく名前を眺めながら、

 

俺は、ただ黙って座っていた。

 

 

――誰が、俺と同じ部屋になるのか。

 

 

そのことで、後ろの方から、ひそひそとした声が聞こえてくる。

 

「……誰が佐々木と同じ部屋になるんだよ」

 

「俺、嫌だぜ」

 

「俺も。正直、無理だろ」

 

「じゃあ、どうするよ」

 

笑っているような声。

 

冗談めかしているようで、

 

でも、はっきりと俺に聞こえる距離。

 

 

わざとだ。

 

分かってやっている。

 

 

俺は、前を向いたまま、ぎゅっと拳を握った。

 

胸の奥で、静かに、でも確実に、何かが湧き上がってくる。

 

 

怒り。

 

 

声を荒げるほどじゃない。

 

でも、飲み込めるほど、小さくもない。

 

 

――なんでだよ。

 

 

俺は、何もしてない。

 

誰かを傷つけたわけでも、

 

迷惑をかけたわけでもない。

 

ただ、好きな人と付き合っているだけだ。

 

 

それだけなのに。

 

 

耳の奥で、

 

さっきの言葉が、何度も反芻される。

 

「嫌だ」

 

「無理」

 

その一つ一つが、

 

じわじわと、心を削っていった。

 

 

その時だった。

 

 

松本が、何も言わずに立ち上がった。

 

黒板の前まで歩き、

 

チョークを手に取る。

 

周りのざわめきには目もくれず、

 

迷いのない動きで――

 

俺の名前の横に、自分の名前を書いた。

 

 

「松本恒一」

 

それだけ。振り返りもせず、

 

当たり前のことをしたみたいに、

 

そのまま自分の席に戻ってくる。

 

 

教室が、一瞬だけ静まり返った。

 

 

さっきまで聞こえていた

 

ひそひそ声は、嘘みたいに止まっていた。

 

俺は、何も言えなかった。

 

 

胸の奥で、

 

張りつめていたものが、少しだけ緩む。

 

それでも――、一人じゃないと思えた。

 

松本は、席に着くと、

 

ちらっと俺を見て、肩をすくめた。

 

「空いてたからさ」

 

それだけだった。

 

 

でも、その一言が、その日のどんな言葉よりも、俺を救ってくれた。

 

 

ホームルームが終わり、

 

松本は帰り支度をしていた。

 

教室を出て、廊下を歩き出すその背中に、

 

俺は思わず声をかけた。

 

「……松ちゃん」

 

松本は足を止め、静かに振り返る。

 

「何?」

 

俺は少しだけ間を置いてから言った。

 

「松ちゃん。……さっきは、ありがとう」

 

 

喉の奥が、少し詰まる。

 

「……マジで助かった」

 

松本は一瞬きょとんとした顔をしてから、

 

思い出したように言った。

 

「ああ。さっきのか」

 

そして、肩をすくめる。

 

「別に……そんなのさ、いちいち相手にする必要ないよ」

 

松本は歩き出しながら、

 

独り言みたいに続けた。

 

「まあ、今日だけの話じゃねえと思うしな…」

 

「これから先もさ、

 

好奇心でちょっかい出してくるやつとか、

 

変な偏見持ってるやつとか、いろいろいると思う」

 

俺は黙って、隣を歩いた。

 

松本は、前を向いたまま言う。

 

「でもさ、自分の中で、大事にしたいもの……

 

それさえ見失わなきゃ、なんとかなる」

 

「どうでもいい雑音なんて、

 

気にする必要ないんだよ」

 

そこで、ちらっとだけ俺を見る。

 

「まあ、それに……」

 

少しだけ、照れたように言った。

 

「俺、普通に友達としてさ。

 

 海斗と同じ部屋になりたかっただけだし」

 

その言葉に、

 

胸の奥が、じんわりと温かくなった。

 

「……ありがとう」

 

俺がそう言うと、

 

松本は、少し照れくさそうに手を振った。

 

「はいはい。もう帰るぞ」

 

 

その背中は、

 

さっきよりも、ずっと頼もしく見えた。

 

 

* * *

 

その日の帰り。

 

春日部駅のホーム。

 

 

夕方の空気は少し冷たくて、

 

制服の袖口から、冬が近づいているのが分かる。

 

いつものように、

 

俺と竜司は並んで電車を待っていた。

 

俺は、昼間の出来事を、ぽつぽつと話す。

 

修学旅行の部屋割りのこと。

 

クラスの空気。

 

松本のこと。

 

 

竜司は、黙って聞いてから、鼻で笑った。

 

「お前のクラス、しょーもねー奴ら揃ってんな」

 

「……だよな」

 

 

少し間を置いて、俺は聞いた。

 

 

「竜司はどうだった?」

 

「俺?普通に野球部のやつと一緒」

 

「竜司のクラス、野球部多いもんな」

 

「まあな」

 

そう言ってから、竜司は急に話題を変えた。

 

「そんなことよりさ」

 

「ん?」

 

「修学旅行。二人で回ろうぜ」

 

一瞬、言葉に詰まる。

 

「……え?」

 

すぐに、照れ隠しみたいに続けた。

 

「あ、ああ……楽しみだな」

 

竜司は、少しだけ間を空けてから、

 

何でもないことのように言った。

 

「本当はさ……」

 

「……?」

 

「俺、カイトと同じ部屋が良かった」

 

「はっ?」

 

頭が追いつかない。

 

「そ、そ、それって……

 

 その……アレだよな?」

 

「ははっ」

 

竜司は声を立てて笑った。

 

「カイト、お前ほんと、かわいいな」

 

「か、か、かわ……」

 

顔が一気に熱くなる。

 

「それ、恥ずかしいからやめろって!」

 

「まあまあ」

 

「お楽しみは、次の機会だな」

 

ちょうどその時、

 

電車がホームに滑り込んできた。

 

「ほら、カイト。早く乗れよ」

 

「……おう」

 

(付き合ってすぐ、修学旅行って――

 

 最高かよ❕)

 

 

心の中でそう呟きながら、

 

俺たちは同じ電車に乗り込む。

 

二人を乗せた電車は、

 

今日も、いつも通りに走り出した。

 

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