蒼の向こうで君を待つ   作:ハマジロウ

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第9章 予感 後編

玄関から戻ってきた竜司は、

 

両手いっぱいにスーパーの袋を抱えていた。

 

「ただいまー」

 

「おかえり」

 

蒼司はいつも通り淡々としている。

 

俺は、さっきまでの空気を誤魔化すみたいに笑った。

 

「随分時間かかったな」

 

「いや、どれ買えばいいかわかんなくなってさ」

 

竜司は苦笑いしながらキッチンへ向かう。

 

「店でめっちゃ調べた」

 

「不安しかないんだけど」

 

「うるせぇ」

 

その後、キッチンからは再び格闘音が響いた。

 

 

ジュウゥゥ……

 

 

「あっ」

 

ガタン。

 

「え、待って待って」

 

「兄貴、なんか焦げ臭い」

 

「気のせいだ!」

 

「いや絶対気のせいじゃないだろ」

 

「うるさいな!」

 

 

しばらくして――

 

竜司が、妙に真剣な顔で皿を運んできた。

 

「……さあ、できたぞ」

 

テーブルに置かれる。

 

「食え」

 

俺と蒼司は、無言で料理を見つめた。

 

「……」

 

「……」

 

黒い。いや、全部じゃない。

 

でも所々、明らかに黒い。

 

俺は恐る恐る聞いた。

 

「……これ、焦げてないか?」

 

竜司は腕を組んだ。

 

「焦げてるけど、失敗じゃない」

 

「どういう理論だよ」

 

蒼司は呆れた顔をする。

 

「そんな理屈、初めて聞いた」

 

「料理ってのはな、勢いが大事なんだよ」

 

「勢いかよ」

 

俺は思わず吹き出しそうになった。

 

 

でも、ここまで頑張って作ったのは分かる。

 

だから俺は、意を決して箸を持った。

 

「……いただきます」

 

一口。

 

「…………」

 

竜司が身を乗り出す。

 

「ど、どうだ?」

 

「……うん」

 

俺は慎重に言葉を選んだ。

 

「食べれないことは……ない」

 

「お、マジか!」

 

竜司の顔が明るくなる。

 

その横で、蒼司も一口食べた。

 

 

数秒、沈黙。

 

 

「……これは、お腹壊しそう」

 

「蒼司!?」

 

「正直な感想」

 

「お前ちょっとは気を遣えよ!」

 

「海兄が全部遣ってるから大丈夫」

 

「どういう意味だよそれ!」

 

俺は笑いを堪えきれず、吹き出した。

 

竜司も「くっそー……」と言いながら笑っている。

 

 

結局――

 

竜司の初めての料理は、大失敗に終わった。

 

「すまん……俺も途中からなんかヤバいと思ってた」

 

肩を落とす竜司。

 

 

蒼司は即答した。

 

「やっぱピザ頼も」

 

「お前さっきから容赦ねぇな」

 

「だって死にたくないし」

 

「大袈裟だろ!」

 

でも、そのあと三人でメニューを見ながら、

 

「何頼む?」

 

「LLサイズ2枚いるだろ」

 

「えっ、食べ過ぎじゃない?」

 

「野球部舐めんな」

 

「蒼司も普通に食うだろ」

 

なんて言い合ってる時間が、妙に楽しかった。

 

ピザが届いてからは、

 

結局またゲーム大会になった。

 

「うわっ、蒼司また後ろいる!」

 

「海兄、隙だらけ」

 

「こいつマジで強ぇ!」

 

「兄貴が突っ込みすぎなんだよ」

 

「前衛が必要だろ!」

 

「ただの猪突猛進」

 

「おい!」

 

気づけば、三人で腹を抱えて笑っていた。

 

 

竜司がソファに倒れ込みながら言う。

 

「なんかさ……こういうの、久しぶりだな」

 

「あー……わかる」

 

俺も自然に頷いていた。

 

勝敗とか、進路とか、夏の大会とか。

 

そういうの全部忘れて、

 

ただ遊んで笑ってるだけの時間。

 

それが、どうしようもなく心地よかった。

 

俺はコントローラーを握ったまま、

 

 

ふと思う。

 

――こんな楽しい時間、久しぶりだな。

 

 

夜も更けて、ゲームもひと段落したころ。

 

「じゃ、俺先に風呂入ってくるわ」

 

そう言って、俺は部屋を出た。

 

 

風呂を上がって、借りたTシャツに着替える。

 

髪を拭きながら、

 

俺は自然と竜司の部屋へ向かった。

 

 

――ドアを開けて、少しだけ止まる。

 

 

いつもなら、竜司のベッドの横には、

 

俺用の布団が敷かれているはずだった。

 

でも今日は、ない。

 

胸が、ドクンと鳴る。

 

 

静かな部屋。

 

 

俺は落ち着かないまま、とりあえずベッドの端に腰掛けた。

 

そのとき、ガチャ、とドアが開く。

 

「お、待たせたな」

 

入ってきた竜司を見て、俺は思わず固まった。

 

「……おまえ、なんで裸なんだよ」

 

「え?」

 

竜司は自分の姿を見下ろして、

 

ケラッと笑う。

 

「ちゃんとパンツ穿いてるっての」

 

「そういう問題じゃねぇよ……」

 

「暑いんだよ、風呂上がり」

 

そう言いながら、竜司はタオルで髪を乱暴に拭く。

 

鍛え上げられた身体。

 

広い肩。

 

長い腕。

 

身長185センチの体格は、同じ男の俺から見ても、

 

やっぱり迫力があった。

 

 

目のやり場に困っていると、

 

竜司は面白そうに笑いながら、そのまま俺の隣に腰を下ろした。

 

ベッドが少し沈む。

 

「今日はありがとな」

 

「……えっ?」

 

「めちゃくちゃ楽しかった」

 

竜司は、どこか満足そうに笑う。

 

「蒼司も、あんな笑ってるの久しぶりに見たよ」

 

「そうなのか」

 

「あぁ」

 

少し嬉しそうに続ける。

 

「やっぱ、お前が来るとさ。

 

蒼司、めっちゃ喋るんだよ」

 

俺は、何となく部屋を見回した。

 

そのとき、

 

部屋の片隅に立てかけられた一枚の絵に気づく。

 

 

――深い蒼の海。

 

 

俺は小さく息を呑んだ。

 

「……竜司、あの絵は?」

 

「あぁ」

 

竜司もそっちを見る。

 

「蒼司に頼んで、一枚貰ったんだ」

 

少し苦笑する。

 

「本人、ちょっと嫌そうにしてたけどな」

 

「そうか?」

 

俺は、昼間の蒼司の顔を思い出す。

 

「たぶん……恥ずかしかったんだろ」

 

「……だと良いんだけどな」

 

竜司の声が、少しだけ静かになる。

 

その横顔が、なんとなく引っかかった。

 

俺は気になった。

 

 

でも――

 

今は、これ以上聞かない方がいい気がした。

 

 

沈黙。

 

 

その空気を断ち切るみたいに、竜司が突然、俺の腕を引いた。

 

「そんなことより――」

 

「わっ」

 

ぐっと身体を引き寄せられる。

 

「もっとこっち来いよ」

 

近い。

 

心臓が、一気に跳ね上がる。

 

 

「……っ」

 

 

次の瞬間、唇が重なった。

 

いつもより、長いキス。

 

優しくて、熱を確かめるみたいな口づけだった。

 

 

そのまま、ゆっくりベッドへ押し倒される。

 

竜司は、静かな目をしていた。

 

ふざけてる時とは違う、真っ直ぐな目。

 

俺は、息を乱しながら、ふと視線を横へ向ける。

 

そこには、蒼司の“蒼い海”の絵があった。

 

 

 

胸が、ざわつく。

 

「……あっ、竜司」

 

「ん?」

 

「となり……蒼司、いるんじゃ……」

 

竜司は小さく笑った。

 

「あぁ、大丈夫だよ」

 

その声に、少しだけ安心してしまう自分がいた。

 

俺は竜司に身体を委ねながら、

 

となりの部屋にいるはずの蒼司に気づかれないよう、

 

必死に声を押し殺す。

 

そして、あの蒼い絵から目を背けるように、

 

そっと目を閉じた。

 

 

そして、あの時の蒼司の言葉が、不意に頭の奥に浮かぶ。

 

――兄貴がプロに行ったら、道、分かれちゃうね。

 

静かな声だった。

 

なのに、どうしてあんなに胸に残るんだろう。

 

 

考えたくない。

 

 

今だけは。

 

 

竜司の体温が近い。

 

大きな腕。

 

重なる呼吸。

 

触れられるたび、胸の奥が熱くなっていく。

 

俺は、その熱に縋るみたいに、

 

竜司にしがみついた。

 

まるで、離れていかないようにするみたいに。

 

俺はただ、必死に竜司へ身を委ねていた。

 

 

 

俺はただ、竜司の熱を、必死に感じていた。

 

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