玄関から戻ってきた竜司は、
両手いっぱいにスーパーの袋を抱えていた。
「ただいまー」
「おかえり」
蒼司はいつも通り淡々としている。
俺は、さっきまでの空気を誤魔化すみたいに笑った。
「随分時間かかったな」
「いや、どれ買えばいいかわかんなくなってさ」
竜司は苦笑いしながらキッチンへ向かう。
「店でめっちゃ調べた」
「不安しかないんだけど」
「うるせぇ」
その後、キッチンからは再び格闘音が響いた。
ジュウゥゥ……
「あっ」
ガタン。
「え、待って待って」
「兄貴、なんか焦げ臭い」
「気のせいだ!」
「いや絶対気のせいじゃないだろ」
「うるさいな!」
しばらくして――
竜司が、妙に真剣な顔で皿を運んできた。
「……さあ、できたぞ」
テーブルに置かれる。
「食え」
俺と蒼司は、無言で料理を見つめた。
「……」
「……」
黒い。いや、全部じゃない。
でも所々、明らかに黒い。
俺は恐る恐る聞いた。
「……これ、焦げてないか?」
竜司は腕を組んだ。
「焦げてるけど、失敗じゃない」
「どういう理論だよ」
蒼司は呆れた顔をする。
「そんな理屈、初めて聞いた」
「料理ってのはな、勢いが大事なんだよ」
「勢いかよ」
俺は思わず吹き出しそうになった。
でも、ここまで頑張って作ったのは分かる。
だから俺は、意を決して箸を持った。
「……いただきます」
一口。
「…………」
竜司が身を乗り出す。
「ど、どうだ?」
「……うん」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「食べれないことは……ない」
「お、マジか!」
竜司の顔が明るくなる。
その横で、蒼司も一口食べた。
数秒、沈黙。
「……これは、お腹壊しそう」
「蒼司!?」
「正直な感想」
「お前ちょっとは気を遣えよ!」
「海兄が全部遣ってるから大丈夫」
「どういう意味だよそれ!」
俺は笑いを堪えきれず、吹き出した。
竜司も「くっそー……」と言いながら笑っている。
結局――
竜司の初めての料理は、大失敗に終わった。
「すまん……俺も途中からなんかヤバいと思ってた」
肩を落とす竜司。
蒼司は即答した。
「やっぱピザ頼も」
「お前さっきから容赦ねぇな」
「だって死にたくないし」
「大袈裟だろ!」
でも、そのあと三人でメニューを見ながら、
「何頼む?」
「LLサイズ2枚いるだろ」
「えっ、食べ過ぎじゃない?」
「野球部舐めんな」
「蒼司も普通に食うだろ」
なんて言い合ってる時間が、妙に楽しかった。
ピザが届いてからは、
結局またゲーム大会になった。
「うわっ、蒼司また後ろいる!」
「海兄、隙だらけ」
「こいつマジで強ぇ!」
「兄貴が突っ込みすぎなんだよ」
「前衛が必要だろ!」
「ただの猪突猛進」
「おい!」
気づけば、三人で腹を抱えて笑っていた。
竜司がソファに倒れ込みながら言う。
「なんかさ……こういうの、久しぶりだな」
「あー……わかる」
俺も自然に頷いていた。
勝敗とか、進路とか、夏の大会とか。
そういうの全部忘れて、
ただ遊んで笑ってるだけの時間。
それが、どうしようもなく心地よかった。
俺はコントローラーを握ったまま、
ふと思う。
――こんな楽しい時間、久しぶりだな。
夜も更けて、ゲームもひと段落したころ。
「じゃ、俺先に風呂入ってくるわ」
そう言って、俺は部屋を出た。
風呂を上がって、借りたTシャツに着替える。
髪を拭きながら、
俺は自然と竜司の部屋へ向かった。
――ドアを開けて、少しだけ止まる。
いつもなら、竜司のベッドの横には、
俺用の布団が敷かれているはずだった。
でも今日は、ない。
胸が、ドクンと鳴る。
静かな部屋。
俺は落ち着かないまま、とりあえずベッドの端に腰掛けた。
そのとき、ガチャ、とドアが開く。
「お、待たせたな」
入ってきた竜司を見て、俺は思わず固まった。
「……おまえ、なんで裸なんだよ」
「え?」
竜司は自分の姿を見下ろして、
ケラッと笑う。
「ちゃんとパンツ穿いてるっての」
「そういう問題じゃねぇよ……」
「暑いんだよ、風呂上がり」
そう言いながら、竜司はタオルで髪を乱暴に拭く。
鍛え上げられた身体。
広い肩。
長い腕。
身長185センチの体格は、同じ男の俺から見ても、
やっぱり迫力があった。
目のやり場に困っていると、
竜司は面白そうに笑いながら、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
ベッドが少し沈む。
「今日はありがとな」
「……えっ?」
「めちゃくちゃ楽しかった」
竜司は、どこか満足そうに笑う。
「蒼司も、あんな笑ってるの久しぶりに見たよ」
「そうなのか」
「あぁ」
少し嬉しそうに続ける。
「やっぱ、お前が来るとさ。
蒼司、めっちゃ喋るんだよ」
俺は、何となく部屋を見回した。
そのとき、
部屋の片隅に立てかけられた一枚の絵に気づく。
――深い蒼の海。
俺は小さく息を呑んだ。
「……竜司、あの絵は?」
「あぁ」
竜司もそっちを見る。
「蒼司に頼んで、一枚貰ったんだ」
少し苦笑する。
「本人、ちょっと嫌そうにしてたけどな」
「そうか?」
俺は、昼間の蒼司の顔を思い出す。
「たぶん……恥ずかしかったんだろ」
「……だと良いんだけどな」
竜司の声が、少しだけ静かになる。
その横顔が、なんとなく引っかかった。
俺は気になった。
でも――
今は、これ以上聞かない方がいい気がした。
沈黙。
その空気を断ち切るみたいに、竜司が突然、俺の腕を引いた。
「そんなことより――」
「わっ」
ぐっと身体を引き寄せられる。
「もっとこっち来いよ」
近い。
心臓が、一気に跳ね上がる。
「……っ」
次の瞬間、唇が重なった。
いつもより、長いキス。
優しくて、熱を確かめるみたいな口づけだった。
そのまま、ゆっくりベッドへ押し倒される。
竜司は、静かな目をしていた。
ふざけてる時とは違う、真っ直ぐな目。
俺は、息を乱しながら、ふと視線を横へ向ける。
そこには、蒼司の“蒼い海”の絵があった。
胸が、ざわつく。
「……あっ、竜司」
「ん?」
「となり……蒼司、いるんじゃ……」
竜司は小さく笑った。
「あぁ、大丈夫だよ」
その声に、少しだけ安心してしまう自分がいた。
俺は竜司に身体を委ねながら、
となりの部屋にいるはずの蒼司に気づかれないよう、
必死に声を押し殺す。
そして、あの蒼い絵から目を背けるように、
そっと目を閉じた。
そして、あの時の蒼司の言葉が、不意に頭の奥に浮かぶ。
――兄貴がプロに行ったら、道、分かれちゃうね。
静かな声だった。
なのに、どうしてあんなに胸に残るんだろう。
考えたくない。
今だけは。
竜司の体温が近い。
大きな腕。
重なる呼吸。
触れられるたび、胸の奥が熱くなっていく。
俺は、その熱に縋るみたいに、
竜司にしがみついた。
まるで、離れていかないようにするみたいに。
俺はただ、必死に竜司へ身を委ねていた。
俺はただ、竜司の熱を、必死に感じていた。