嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第13話話 第七倉庫の取引

1943年一月下旬

昭南島(旧シンガポール)

 

天井で重々しく回る天井扇(シーリングファン)が、熱帯特有のまとわりつくような湿気を部屋の隅へとかき混ぜていた。

 

昭南島市街の片隅にある、光の届かない雑居楼の一室。越智とその部下たち三人は翌日の作戦を練っていた。

 

部屋の扉が軋み音を立てて開き、人足姿の尾形少尉が重たい麻袋を提げて入ってくる。

 

「王との接触、完了しました。指示通り、商館の自動貨車(トラック)一台と作業着を四着。それに港湾区域の夜間通行証も確保しました」

 

尾形が麻袋を床に降ろすと、ドサリと鈍い音が響いた。

 

「王は予定通り、少佐殿が間違いなく、現場に来ると言っていたかね」

 

「はい、お互いに直接品物を確認する合意をしています」

 

「様子はどうだった」

 

「完全に怯え切っていました。娘たちの名前を出しただけで、震え上がってこちらを見ようともしません。妙な真似をする気力はもう残っていないでしょう」

 

尾形の報告に、越智は吸いかけの煙草を咥えたまま短く頷いた。

 

「薬が効いてくれているようだね」

 

越智は擦り切れた国民服の袖をまくり上げ、粗末な木机の上に広げられた大きな紙片に視線を落とした。昼間のうちに部下が手配した、ケッペル港第七倉庫の精巧な見取り図だ。

 

「よろしい。では舞台の確認といこうか」

 

越智は擦り切れた鉛筆の尻で、見取り図の第七倉庫の中央をコツコツと叩いた。

 

「三十万圓分、約十八貫の金塊と混合資産の受け渡しだ。今聞いた通り、これだけの質量が動くとなれば、用心深い結城少佐殿といえども、穴ぐらから出て直接確認に来る。彼を直接抑えるのは、この機会しかない」

 

「はい」

 

尾形が手帳を開きながら同意する。

 

「いくら信頼する腹心の角田少尉とはいえ……三十万圓もの大金を前にして、部下に持ち逃げされては困りますからね」

 

「そういうことだ」

 

越智は鉛筆を机に放り投げ、紫煙を細く吐き出した。

 

「大金というものは、容易く人の理性を溶かす。少佐殿は自分が構築した書類の仕組みは完璧だと信じ切っているが、部下の『人間の本質』までは信じちゃいない。……そこが、彼の最大の隙だ」

 

越智は少し前屈みに、見取り図の一点を指差す。

 

「段取りの確認だが、君たち四人が王の人足として自動貨車で乗り付け、少佐殿に金塊を引き渡す。私は少し離れた、ここの暗がりで、全体の指揮と退路の封鎖に当たる」

 

「はっ」

 

「現場では、なるべく少佐殿にしゃべらせなさい」

 

越智は重い声で続ける。

 

「君たちはあくまで『何も知らない王の使い』を演じるんだ。大金を見て気持ちが高揚し、何か面白い話を聞かせてくれるかもしれないからね」

 

越智は目を細める。

 

「そして……彼らが金塊やその他の資産をその手で確認し、完全に受け取ったその瞬間。そこを押さえる」

 

「流石の少佐殿も、言い逃れは一切できませんね」

 

「悲しいかな。いくら参謀部の急進派が後ろ盾にいようと、現物の金塊を抱きしめている現場を押さえられれば、切られるのは少佐殿だよ」

 

越智は大げさにため息をつき、国民服の上から胃のあたりを軽くさすった。

 

「やれやれ。いつもながら、どうにも胃の調子が悪い。……段取りはさっさと終わらせて、美味いうどんでも食いに行こうじゃないか」

 

「はっ」

 

尾形と、周囲に控えていた三名の部下たちが、深く首を垂れた。

 

     *

 

潮の腐臭と錆びた鉄の匂いが立ち込める、深夜のケッペル港・第七倉庫。

 

熱帯特有の重苦しい湿気が、窓のない倉庫の底に漂っていた。

 

広大な空間の暗がりには、すでに越智が指揮する十名の部下たちが、完璧な包囲陣を敷いていた。

 

倉庫の中央、かすかな月明かりが差し込む搬入口には、王の商館から手配した自動貨車が停まり、荷台にはずっしりと重い木箱が積まれている。その脇に立つのは、薄汚れた作業着を身に纏い、日本人労働者と苦力(クーリー)に扮した尾形少尉と三名の部下たちだ。

 

二十三時ちょうど。

 

自動貨車がもう一台現れた。

 

倉庫の重い鉄扉が軋みを上げ、車の前灯(ヘッドライト)が内部を舐め回すように照らす。

 

暗がりの奥で双眼鏡を覗く、越智の眼が細まる。

 

車から降りてきたのは、四つの影だった。

 

先頭を歩くのは、結城少佐の直属の副官である角田少尉。その後ろに続くのは、同じく軍服を着た将校らしき男と、武装した部下が二名。

 

結城少佐の姿はない。

 

男たちは辺りを見回した。

 

「おい、王はどうした」

 

角田が苛立った声で、待っていた尾形たちをねめつけた。

 

「はぁ。旦那は急な腹の風邪でひどく下してまして。俺たちだけで運んでこいと」

 

尾形は手ぬぐいで額を拭きながら、へらへらと頭を下げた。

 

「指示通りの品です。クソ重てえ医療機材の箱ですが、ここに降ろしましょうか」

 

「ああ、慎重に運べ」

 

角田が顎でしゃくる。

 

苦力に扮した部下たちが、掛け声を上げながら、ずっしりと重い木箱を倉庫のコンクリート床に降ろした。

 

「開けろ」

 

角田少尉の指示で、下士官の一人が鉄梃(かなてこ)を木箱の隙間にねじ込む。

 

バキッ、と乾いた音を立てて分厚い蓋がこじ開けられると、角田が素早く懐中電灯の光を落とした。

 

薬品の瓶と緩衝材の奥に、黄金の輝きと、外貨証券の束が姿を現す。

 

三十万圓、約十八貫の質量。

 

岩畔機関の選良たちの、息を呑む音が暗い倉庫に響いた。

 

「……へえ、こりゃあすげえ」

 

尾形がわざとらしく感嘆の声を漏らし、角田たちに一歩近づいた。

 

「荷物はこれで全部ですが……皆さん、だけですか?」

 

「ああ、そうだ。それがどうした」

 

金塊から目を離さず、角田が横柄に答えた、その時だ。

 

「――動くな」

 

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