嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第14話 名誉ある病死

角田がハッとして腰の拳銃に手をかけようとした時には、尾形の手に握られた十四年式の銃口が、彼の眉間をピタリと捉えていた。

 

同時に、苦力に扮していた三人も素早く懐から銃を抜き、角田少尉たちを囲むように狙いをつける。

 

「なっ、貴様ら……!」

 

角田の怒声の背後で、暗闇から複数の足音が近づいてくる。

 

包囲していた残りの部下たちが無言のまま姿を現し、角田たちの武器を回収する。

 

囲んだ部下たちの輪が静かに割れ、国民服に身を包んだ越智が、大げさに胃のあたりをさすりながらゆっくりと歩み出てきた。

 

「やれやれ……大東亜の未来を背負う選良(せんりょう)様にしては、随分と寂しいお出迎えじゃないか」

 

越智が姿を現した瞬間、銃口を突きつけられていた井上中尉の顔が、驚愕に引きつった。

 

「貴様は……第五事務室の!」

 

「これはこれは。誰かと思えば、岩畔機関の井上中尉殿ではありませんか」

 

越智は愛想のいい笑みを浮かべ、恭しく頭を下げた。

 

「こんな潮風とドブの匂いしかしない倉庫に、夜更けまで誠にご苦労様です。それに、結城少佐の右腕たる角田少尉殿まで揃っていらっしゃるとは」

 

「これはどういう事だ!」

 

井上の怒声が倉庫に反響する。

 

越智は困ったように肩をすくめた。

 

「どうもこうも、見たままですよ、中尉殿。……軍横領物資の密輸、ならびに不正蓄財の『現行犯』を、たった今取り押さえたところです。実に美しい黄金の輝きだ」

 

「なんだと貴様! たかが末端の事務掛が、なんの権限があってこんな真似を――」

 

「しーっ……」

 

越智は唇に人差し指を当て、大げさに目を丸くした。

 

「夜中にそんな大声を出さないでください。夜の港は響きますよ。……周りをご覧ください。優秀な中尉殿なら今の状況が正しく理解できると思いますがね」

 

黒光りする十丁の銃口が彼らを包囲している。

 

井上の顔から急速に血の気が引き、声が震え始める。

 

「では、貴様は……まさか」

 

「ええ、もちろん上の指示ですよ。私はただ、与えられた『任務』を淡々とこなしているだけですから。私自身が中尉殿たちに、何か私怨(しえん)があるわけではありません」

 

越智は懐から歪んだ煙草を取り出し、ゆっくりと火を点けた。

 

「むしろ、その野心と大胆さは高く評価しているくらいです。戦時のどさくさに紛れて三十万圓を抜き取ろうとは、実に痛快です。……ただ、少しばかり詰めが甘かったですね」

 

越智が紫煙を細く吐き出した、その時だった。

 

角田たちの背後に立っていた尾形が、回収した拳銃を手にして短く報告した。

 

「大尉殿。対象の武装解除、ならびに現物の確認を完了しました」

 

「ご苦労」

 

「……た、大尉?」

 

角田少尉の喉から、間の抜けた声が漏れた。

 

「あ……ああ……」

 

角田は濡れたコンクリートの床へへたり込んだ。

 

越智は腰を落とし、金塊の木箱を指先でトントンと叩いた。

 

「さて。そこでお尋ねしたいのだがね、角田少尉」

 

越智の眼から、先程までのふざけた色が完全に消え失せた。

 

「大東亜の未来を熱く語ってくれた、あの立派な結城少佐殿は……今夜はどちらにいらっしゃるのかな?」

 

「結城少佐殿は……」

 

角田の唇が、ガチガチと無様な音を立てて震えた。

 

「今朝方、急遽曼谷(バンコク)へ発たれました……」

 

「なんだと……!」

 

尾形が、思わず声を荒げた。

 

越智は表情一つ変えない。指に挟んだ煙草をゆっくりと口に運び、深く紫煙を吸い込む。ジリ、と煙草が燃える微かな音だけが、息を呑む静寂の中に響いた。

 

「……なるほど。よく鼻の利く男だ」

 

越智は細く長い煙を吐き出し、冷たい声で問いを重ねた。

 

「それで? この莫大な金塊と資産の処遇をどうしろと指示された。他に一枚噛んでいる将校はいるのか?」

 

「ほ、他には誰も……我々だけです」

 

井上が、すがるような目で答えた。

 

「少佐殿は、『自分が戻るまで、この資金は安全な場所に隠しておけ』と……。曼谷の件も、我々は何も聞かされていません……ッ」

 

「戻るまで隠しておけ、か……」

 

越智は喉の奥で、心底おかしそうに皮肉な笑い声を漏らした。

 

「井上中尉。トカゲが敵から逃れるために、自らの尾を切り落とすのを見たことがあるかね?」

 

越智は口角を上げて続ける。

 

「実に効率的な生存本能だ。だがね……切り落とされた尾が、再び本体とくっつく事など絶対にない」

 

「え……?」

 

「いやはや、なんという冷酷さ。部下の信頼や大東亜の未来とやらよりも、自分の首の皮一枚を重んじたというわけだ。感心するほどの利己主義だよ、全く」

 

越智の表情は無に戻り、ゆっくりと首を振って床に這いつくばる二人を見下ろした。

 

「角田少尉、井上中尉。……悲しいことだが、君たちは完全に使い捨てられたんだ」

 

井上は先程までの激昂が嘘のように顔面を蒼白にさせ、わなわなと震える両手で濡れたコンクリートを掻き毟った。

 

「そ、そんな馬鹿な……我々はずっと、少佐殿の手足となって……」

 

越智はふっと事務的な、冷え切った声に変わった。

 

「分かっているとは思うが、君たちの軍人としての人生はここで終わりだ。このまま連行されれば、軍法会議にかけられて軍籍は剥奪の上、銃殺だ」

 

「ッ……」

 

「問題はその後だ。残された家族は『横領犯の身内』として非国民の烙印を押され、世間から石を投げられながら生きていくことになる。……結城少佐の優雅な逃亡生活の身代わりとしてね」

 

その言葉に、井上は静かに眼を閉じて大きく息を吸い込んだ。角田の目からは、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。

 

越智は小さくため息をつくと、尾形から彼らの十四年式拳銃を二丁受け取り、角田と井上の目の前の床へ、カランと無造作に放り投げた。

 

黒光りする鉄の塊が、鈍い音を立てて二人の膝先に滑る。

 

「……大尉、殿……?」

 

「こんな私にも情けはある……今、ここで自決するなら……部隊の記録には名誉ある『病死』として残してやろう。家族にも恩給が下りる」

 

越智は冷たい眼差しのまま、静かに踵を返した。

 

「死に方くらいは、自分で選ばせてやろう。……五分だけ待つ」

 

越智が暗がりへ歩み去っていく背後で、重い静寂の中。

 

井上が獣のような嗚咽を漏らしながら、拳銃の冷たいグリップを握りしめる。

 

一分ほどして倉庫の奥から、乾いた二発の銃声が響いた。

 

尾形が苦々しい表情で越智の横顔を見る。

 

その傍らでは、残された二名の護衛の下士官が、腰を抜かしたままガチガチと歯の根を鳴らして震えていた。

 

「た、大尉殿……我々は……ッ、我々はただ、荷運びを命じられただけで……ッ」

 

「分かっているよ。ただの荷台をひくロバにまで責任を問うほど、私は暇じゃない」

 

越智は震える二人から視線を外し、背後に控えていた部下たちに顎でしゃくった。

 

「ただ、調書は取らせてもらうよ。連れて行きなさい」

 

「はっ」

 

部下たちが両脇から二人を抱え上げる中、越智は静かに告げた。

 

「いいかね。君たちの上官は今夜、港の巡回中に不運にも『突発性の熱帯性マラリア』を発症し、急死した。……君たちはその悲しい最期を看取った第一発見者だ。そうだろう?」

 

「あ……はい……ッ、左様であります!」

 

「よろしい。なら、報告書にそう書いて、君たちの印を押しなさい。それでこの件は、終わりだ」

 

越智は怯える二人の肩を、労うようにポンと叩いた。

 

「命拾いしたな。……ただし、口の軽いロバは、熱帯のジャングルに放たれる。ニューギニア最前線へ行きたいのなら話は別だが、余計なおしゃべりはしないことだ。わかるかね」

 

「……はっ!」

 

二人の護衛が部下たちに連行されていくのを見送った後、尾形が静かに問いかけた。

 

「……大尉殿。結城少佐はどうしますか。曼谷(バンコク)の特務機関に手を回し、身柄を追いますか」

 

「いや、いい」

 

越智は無造作に足で煙草を揉み消した。

 

「この事件に結びつく証拠が、角田と井上だけでは弱い。岩畔機関の背後にいる参謀部の連中に、あっさり揉み消されるだろう。下手をすると、逆にこちらが火傷を負う。……今回は、金塊を回収できただけでも大手柄だよ」

 

「……はっ」

 

「それにしても、見事な逃げ足だったよ。……流石は大東亜の未来を背負う天保銭組(陸大卒)だ」

 

越智は誰もいない夜の海を見つめ、どこか満足げに笑みを浮かべた。

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