嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第20話 腐敗する記号(後編)

一拍して真鍋の眉が僅かに動く。

 

検米器の溝に溜まっていたのは、白い長粒種ではなく、大量の籾殻(もみがら)と、それにまぶされた少量の赤砂だった。

 

「……なるほど。容積を稼ぐための籾殻と、重量を誤魔化すための赤砂か」

 

真鍋は手元にこぼれた異物を指先で弾き飛ばすと、顔面蒼白の小山と、黙然と立つ陳を交互に射抜くような視線で見据えた。

 

「通常、砂だけで偽装しようとすれば、貨車に揺られるうちに比重の重い砂は底へと沈殿し、表面には米だけが残る。そうなれば、短い検米針(サシ)で表面を突いた程度では正体は暴けない。……だが、それだけでは重すぎるのだ。見た目を本物らしく装うために砂を詰めれば、今度は重すぎて袋が持たない。だから籾殻を混ぜて重量を調整した。実によく考えられた工作だ」

 

真鍋は冷徹な声で、その巧妙さをあえて肯定してみせた。しかし、すぐにその声の温度が一段下がる。

 

「だが、この偽装には致命的な欠陥がある。比重の異なる砂、籾殻、そして米――これら三種を均等に混ぜ合わせ、かつ荷崩れしないよう正確に『交差積み』していく作業には、途方もない労力を要するということだ」

 

その指摘に、小山の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。

 

「本来なら、もっと大量の砂を混ぜて『一袋六十キロ』という重量を完璧に偽装し、外側を本物の米袋で囲い込めば、工作は完璧だったはずだ。しかし、この山を積んだ現地の作業員たちは楽をしようと砂を減らした。考えてもみろ。重い本物を外側に、軽い偽装品を内側に積めば、重心が狂って山が歪み、崩れてしまう。結局、彼らは肝心の偽装よりも作業効率を選んだ。軽い袋ばかりを中段から上段に固めて積み上げることで、山の安定を図ったのだ。その僅かな手抜きの総和が――この山だ」

 

真鍋は計算尺を手に取った。

 

「賃金をケチったのかは知らないが、その作業員の怠慢によって質量が約二割不足し、外側を本物で覆う工作すら崩れたというわけだ」

 

「わ、私は知りませんぞ! 現地の作業員どもです! 奴らが運搬中に中身を盗んで、勝手に砂へすり替えたに違いない!」

 

小山は額に脂汗を浮かべ、必死に手を振った。

 

「そ、それに、たまたま奴らが細工したのがその一区画だっただけです! 他の山は全部本物だ! たった一山の底を測っただけで、一万四千袋すべての何が分かるというんですか!」

 

醜く責任を転嫁して叫ぶ小山に、真鍋は静かに頷いた。

 

「……その通りだ。誰がやったにせよ、山によって偽装の度合いは違うだろう。この一山だけで、倉庫全体の正確な欠損率を弾き出すことは不可能だ」

 

小山の顔に、一瞬だけ安堵の色が浮かんだ。だが、真鍋の目は一切の感情を帯びていなかった。

 

「だが、『計算不能であること』自体が、決定的な答えだ」

 

真鍋は計算尺を閉じ、手帳に挟んだ。

 

「一つでも『変数』に未知の嘘が混じれば、等式は崩壊する。一部に砂が混じっている以上、この倉庫にある一万四千二百袋という数字は、もはや熱量の算定根拠として何の価値も持たない。……私が報告書に記すのは、実数算定不能(零)という物理的事実だけだ」

 

木村大尉は硬直している。その胸元で、万年筆のクリップが光った。

 

「……木村大尉。それはパーカーの『五一(ゴーイチ)』ですな。矢羽根のクリップが見事だ」

 

「え、あ、はっ」

 

木村は狼狽した。

 

「本来なら敵国の将校か、相応の伝手を持つ者しか手に入れられない代物だ。このアロースターで、その『戦利品』を手に入れるのは容易ではないはずだが。その万年筆で署名された報告書の重さを、私は南方軍の帳簿に反映させる必要がある」

 

木村大尉から血の気が引いた。陳が、背後から口を開いた。

 

「……中尉さん。ここにあるのは、この土地の民が血を流して集めた宝だ。異国の若者が土足で踏み荒らしていい数字じゃない」

 

陳は自嘲するように続けた。

 

「それが『この土地の作法』だ。我々は軍を怒らせぬよう数を揃え、軍は我々の生活を少しだけ見逃す。……その幾らかの砂は、この街を平穏に保つための重石(おもし)のようなものだよ」

 

真鍋は陳を振り返った。

 

「陳氏。私は政治を語りに来たのではない。……この不純物が混入されたことにより、次期攻勢における兵員一人あたりの摂取熱量は理論値を大幅に下回る。山系を越える行軍の等式が、入り口で崩れている。……その事を記録しに来ただけだ」

 

真鍋は調査手帳に数字ではなく、『算定不能』の文字を書き込んだ。

 

「修正が必要なのは、私の等式ではない。……現場の実態と、南方軍へ送られている電文の乖離だ」

 

真鍋は出口へと歩き出した。小山が追いかけてくる。

 

「待ってください、真鍋中尉! これは、閣下……いやっ、これ以上は、うち一商社の問題では済みませぬ。処分を……せめて私に再調査の猶予を!」

 

真鍋は立ち止まった。振り返る際、左胸の銀時計が鎖と触れ合い、かすかに鳴った。

 

「小山氏。貴殿らをどう処分するかは、私の管轄ではない。後日、司令部から憲兵隊と経理部の本監査が入るだろう」

 

真鍋の冷ややかな視線が、小山を射抜く。

 

「私の計算には、組織の政治も、貴殿の身の安全も、変数として含まれていない。……等式が合わなければ、それを正す。ただそれだけだ」

 

背後で小山がわめき続けていた。真鍋は視線を戻すことなく、倉庫を出た。

 

     *

 

アロースターの停車場。

 

発車を待つ軍用列車の蒸気機関が、白く重い煙を吐き出している。

 

真鍋は腕章を外し、図嚢に収めると、二等客車の座席に腰を下ろした。列車が動き出す。

 

真鍋は手帳を開いた。

 

アロースターで確認した「算定不能(零)」という事実。

 

真鍋は計算尺を取り出し、微かな振動の中でカーソルを滑らせる。

 

「……アロースターで等式が崩壊した。ならば、その先のタイ、ビルマの兵站拠点(ポイント)ではどうなる」

 

真鍋は計算尺を膝の上に置いた。

 

通路を挟んだ向かいの座席。顔の高さまで新聞を広げていた男が、ゆっくりとそれを畳んだ。

 

黒の中折れ帽に、茶褐色の背広を着ている男の黒目は小さく、指先にはヤニの汚れがあった。

 

「……中尉さん。お仕事、ご苦労様です」

 

男は低い声で言った。

 

「アロースターの砂は、喉に詰まりませんでしたか?」

 

真鍋は計算尺を握ったまま、答えなかった。

 

「カタン、カタン……カタン、カタン……」

 

列車のジョイント音が響いている。

 

左胸の銀時計は今も正確な拍動を刻み続けていた。

 

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