嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第21話 制度という重力

丸一日以上かけて昭南島へ戻る列車の窓外には、果てしないゴム林が単調なリズムで流れていた。

向かいの座席では背広の男がいつの間にか姿を消し、開襟シャツ姿の若い将校が窓ガラスに頭を預けて眠りこけている。

 

真鍋勲中尉の膝には、北マレー地区野戦倉庫でまとめた査察録が載っていた。

窓枠から入り込んだ煤を指で払う。籾殻で偽装された容積、赤砂が補った重量、そして重力が暴き出した質量の欠損。

現地の生々しい欲と腐敗は書類上で整理され、「算定不能」という文字列へと変換されていた。

 

左胸のポケットで、恩賜の銀時計が規則正しく時を刻んでいる。

真鍋は時計に触れかけ、思いとどまった。

彼が計算尺で弾き出した物理的な事実と、帝国軍上層部が机上で描く作戦計画との間には、すでに埋めがたい乖離が生じていた。

 

     *

 

南方軍総司令部本部の石造りの回廊は、外の強烈な日差しから切り離され、ひんやりとした薄暗さを保っていた。

遠くで電話交換手を叱責する声が響き、すぐにタイプライターの打鍵音にかき消される。

廊下の隅では、現地の清掃員が無言で床を磨いている。

 

真鍋は副官部を通じ、稲田正純少将宛に査察録を提出した。

しかし数日が経っても、司令部内に波紋が広がることはなかった。怒号も議論もない。

ただ、不都合な事実が事務手続きの中で処理されていく気配だけがあった。

 

「真鍋中尉、少し歩こう」

 

昼下がり、第三事務室に現れた佐久間少佐が事務的に言った。

手にした吸いかけの煙草の灰が、今にも落ちそうになっている。

 

二人はカレッジの丘の斜面に設けられた、人目のないテラスへ出た。

眼下には整然と区画された昭南の街並みと、湾内に停泊する海軍艦艇が広がっている。

灰色の輸送船が黒煙を吐き、港を離れていく。

手摺りの上の緑色のトカゲが、二人の気配に驚いて素早く逃げ去った。

 

「……君の報告書だが、先ほど『処理』が完了した」

 

佐久間少佐は剥げかけた手摺りに寄りかかり、海を見たまま言った。

 

「処理、というのは」

 

「大本営および第十五軍への送付に際し、内容が『適正化』されたということだ。……済まないな。君を参謀副長閣下に引き合わせ、その精度を評価したのは私だ。だが、結果がこれだ」

 

佐久間は懐から査察録の要約書を取り出した。

そこに横流しや意図的な混入の記述はなかった。砂や籾殻は「自然夾雑物」とされ、物理的な矛盾はすべて「計測誤差」として整理されている。

末尾には『作戦遂行に支障なし』の一文が添えられていた。

 

「組織というものはな、真鍋……真実よりも一貫性を好む。たとえその一貫性が死に至る病であってもだ」

 

佐久間は自嘲気味に口元を歪め、真鍋の胸元へ視線を落とした。

 

「君の銀時計がどれほど正確に一秒を刻もうと、組織が『今は正午だ』と決めれば、それが正午になる。……それが、この制度という巨大な重力だ。抗おうとすれば、歯車の間に指を挟まれて潰されるだけだ」

 

一拍置いて、続ける。

 

「総参謀副長閣下でさえ、この巨大な意志の前では一人の軍人に過ぎない。閣下も最後まで抗われたそうだが、中央が望んでいたのは、君が持ってきた『実数算定不能(零)』という警告ではなく、『三・〇パーセントの許容損失』という安心材料だった。……君の数字は、組織にとっては正しすぎたんだ」

 

真鍋は胸ポケットに視線を落とした。

 

「……承知いたしました、少佐殿」

 

真鍋の声は低かった。

 

真鍋は机に戻り、再び兵站伝票の山に向き合った。

実態と報告の乖離に疑問を抱いても、実数が合わなくても、上層部の求める「支障のない数字」を整え、判を押す。

それは、間違いを正す仕事ではなく、間違いが存在しない形に整える仕事だった。

 

受領印を吸取紙で拭う。

窓外では、スコールを告げる黒雲が市街地を覆い始めている。

左胸の銀時計は正確に時を刻み続けていたが、真鍋がその針を気にすることはなかった。

 

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