嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第26話 国都の風

1943年十月下旬

満洲国国都・新京 大房身(だいぼうしん)飛行場

 

一〇〇式輸送機の重い扉が開き、タラップを降りた瞬間、越智はまるで氷水を頭から浴びせられたような錯覚を覚えた。

 

「……なっ、なんなんだこれは。酷いな」

 

隣で尾形少尉が、軍衣の上から羽織った将校用マントの襟をかき合わせながら短く喘いだ。

 

背後では、重い荷物を抱えた古賀たちも顔をしかめ、身を縮めている。

 

「うっ、大尉殿……末とはいえ、まだ十月ですよ。この寒さは想定外です……」

 

尾形が恨めしげに、地平線まで続く灰色の空を見上げた。

 

新京の風は剃刀のように鋭く、マントの裾を容赦なくめくり上げ、足元から体温を削り取っていく。

 

「いやはや、十月でこれは参ったね……厚手のマントを着込んでいればどうにかなると思っていたが、完全に満洲の冬を舐めていたよ。まさかここまでとはね」

 

越智は鼻の頭を赤くしながら、マントの隙間から巻き込んでくる冷風に身震いした。

 

越智が震える声で愚痴をこぼしていると、コンクリートの滑走路の向こうから若い将校が小走りで駆け寄ってきた。

 

すでに分厚い防寒外套(がいとう)に身を包んだその男は、手袋を嵌めた手で鋭く敬礼を放った。

 

「陸軍省軍務局、越智大尉殿とお見受け致します。お迎えに参りました、関東軍司令部付、富樫少尉であります。長旅、誠にご苦労様であります!」

 

富樫少尉の背後には、銃剣を帯びた二人の憲兵が控え、それぞれの車両には運転兵が待機している。

 

「ご苦労。陸軍省の越智だ。こちらは随員の尾形少尉。……いやはや、大陸の洗礼にしては少々度が過ぎる寒さだね。鼻がもげそうだ」

 

越智は震える肩をすくめる。

 

富樫少尉は親しみやすい笑みを浮かべ、恭しく頭を下げた。

 

「生憎本日は特に風が強く、例年より冷え込んでおります。お寒かったでしょう、すぐに車へ。お荷物は我々が責任を持って貨物自動車へ積み込ませます」

 

「助かるよ。尾形少尉、古賀たちを頼む」

 

「はっ」

 

尾形が手際よく古賀たち三人に指示を出す。

 

富樫少尉の案内で、越智と尾形は黒塗りのニッサン七〇型乗用車の後部座席へと乗り込んだ。

 

深々と沈み込む革張りの座席に、越智は思わず苦笑した。

 

富樫が素早く助手席に乗り込み、運転兵に短く目配せをすると、車は静かに走り出した。

 

窓の外には、「王道楽土」の象徴たる新京の街並みが広がり始める。

 

車は程なくして、広大な舗装路へと出た。

 

「大尉殿、現在走っておりますのが新京の目抜き通り、『大同大街(だいとうだいがい)』であります」

 

助手席の富樫少尉が振り返り案内した。

 

「ほう……こいつは驚いた。帝都の目抜き通りより遥かに広いじゃないか。見渡す限り真っ直ぐだ」

 

「はっ。幅員はおよそ六十メートル。この大通り自体が軍用機の滑走路として機能するよう設計されております」

 

「道路が滑走路に? いやはや、恐れ入る規模だ。帝都の入り組んだ路地とは大違いだね、尾形少尉」

 

「はい。それに……建物の煙突からは、ずいぶんと煙が上がっていますね。石炭の匂いがします」

 

尾形の言葉に、富樫は僅かに胸を張った。

 

「蒸気暖房であります。新京の主要な官公庁や宿舎は、地下の大型ボイラーから温水を循環させておりまして、室内は常に春のように快適に保たれております」

 

「……なるほど。そいつは外の寒さに震え上がった私たちには、何よりの朗報だ」

 

越智は頷く。

 

「あちらに見えますのが満洲国国務院、その奥の帝冠様式の建物が司法部であります」

 

「ほう、見事なものだな」

 

尾形は言葉を継いだ。

 

「……いやあ、内地の者が見たらきっと腰を抜かしますな。道は広いし、建物はみな真新しい。関東軍の皆様の並々ならぬご苦労が偲ばれます」

 

「恐れ入ります。すべては帝国の御為でありますから」

 

富樫は深く頷き、ふたたび前を向いた。

 

越智は後部座席から、後写鏡(ルームミラー)越しに富樫の目元へほんの刹那、視線を向けた。

 

「……大尉殿? お加減でも優れませんか」

 

富樫がミラー越しに、気遣わしげに声をかけてきた。

 

「いや、少し胃が痛んでね。……どうもこの寒さは、胃袋にこたえる」

 

越智は懐から一錠の胃薬を取り出し、顔をしかめながら水もなしに飲み込んだ。

 

「それはお労しい。司令部には優秀な軍医もおりますので、後ほどご案内させていただきます」

 

「ああ、頼むよ」

 

車はやがて、巨大な城砦のような威容を誇る関東軍司令部庁舎の正門へと差し掛かった。

 

重厚な鉄扉が開く。

 

正門の歩哨が、一挙動で捧げ銃の敬礼を送った。

 

車窓の外は、王道楽土の凍てつく風が容赦なく吹きつけていた。 

 

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