嘘で日本がアメリカになる――誰も偽物と断言しなかった1944年の偽造暗号   作:あまね みかん

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第35話 灰燼の列線

1944年四月上旬

ニューギニア北岸 ホーランジア・センタニ飛行場

 

三月三十日の大空襲を皮切りに、米第五航空軍および米海軍機動部隊によるホーランジアへの波状攻撃は、その後も執拗に繰り返された。

 

かつて赤土の滑走路を埋め尽くしていた濃緑と銀のモザイクは、いまや黒焦げたジュラルミンの残骸と化し、熱帯の太陽の下で異臭を放ちながら燻っている。

 

防空壕の入り口で、泥と油に塗れた新沼少尉が焦点の定まらない目で滑走路の惨状を眺めていた。

 

「大尉殿……板花師団長閣下が、更迭されたそうですね」

 

新沼の口調はひどく平板だった。彼の手元には、もはや数えるべき部品も燃料も残っていない。

 

壕の壁に背を預けていた高瀬大尉は、泥まみれの軍靴を見つめたまま短く応じた。

 

「第四航空軍司令部からの通達か」

 

「はい。後任は、稲田正純少将。『師団長心得』としての着任だそうです」

 

「……無理もない」

 

高瀬は左眉の傷跡を指でなぞった。

 

「帳簿上にあった三百機近い戦力が、戦いもせずに数日で壊滅したんだ。誰かが責任を取らんと座りが悪いだろうからな」

 

高瀬は立ち上がり、壕の外へ視線を向けた。

 

「しかし、上が変わってもこの状況は変わらん」

 

     *

 

1944年四月十一日

ホーランジア飛行場群・指揮所跡

 

その日、第六飛行師団の生存者たちは爆撃のすり鉢穴を避けるようにして、センタニ飛行場の一角に整列していた。

 

上空には相変わらず雲一つない青空が広がっているが、吹き抜ける風には焦げたゴムと酸化した金属の臭いがこびりついていた。

 

「気をつけェッ!」

 

号令がかかり、煤と泥にまみれ、軍服も破れがちな将兵たちが一斉に姿勢を正す。

 

高瀬中隊もその列の端にいた。

 

「……曹長殿。あれが、新しい師団長殿ですか」

 

菊池伍長が口を動かさずに、腹話術のような低い声で隣の小島に尋ねた。

 

整列した将兵たちの正面を、数名の幕僚を伴った将官が歩いてくる。真新しい軍服に身を包んだ稲田少将だった。彼の軍靴はまだホーランジアの赤土に汚れていない。

 

「ああ。元参謀副長閣下だか何だか知らんが、えらい貧乏くじを引かされたもんだな」

 

小島曹長が前を向いたまま唇の端だけで答える。

 

「しかし曹長殿。自分たち、もう乗る飛行機が一つもありませんよ。整備する部品も。師団長殿は、ここで何を指揮されるんでしょうか」

 

「そんな事俺が知るか」

 

稲田少将の視察の列が小島たちの前を通り過ぎていく。稲田は整列した将兵たちの顔と、その後ろに広がる尾翼だけを残して焼け落ちた航空機の残骸の山を、無言のまま交互に睨みつけていた。

 

少将の表情には、怒りとも落胆ともつかない酷薄なまでの緊張感が張り付いていた。

 

     *

 

稲田少将の着任に伴い、センタニ湖畔にあったオランダ領時代のコプラ(ヤシ油)集積倉庫が仮設の師団司令部としてあてがわれていた。しかしその建物も、稼働から数日も経たないうちに米軍機の執拗な爆撃によって焼失し、司令部は飛行場の北にそびえるシクロップ山脈の山麓へと早々に後退した。

 

移転先は鬱蒼とした熱帯雨林の斜面に赤土を掘り抜き、ヤシの丸太で天井を支えただけの、薄暗く粗末な地下壕だった。

 

「……足元に気をつけろ、高瀬」

 

所属する飛行戦隊の戦隊長・黒木少佐が振り返らずに低く言った。

 

「はっ」

 

高瀬大尉は泥だらけの壕の通路を歩きながら短く応じた。二人は状況確認のため、この新しい師団司令部へと呼び出されていた。

 

壕の奥は蒸し暑く、湿気で息苦しかった。わずかなカンテラの灯りが土壁に幕僚たちの影を揺らしている。粗末な木箱を机代わりに据え、参謀長は無言のまま広げられた地図を睨んでいた。その表情からは感情が読み取れない。

 

「黒木少佐、高瀬大尉。よく来た」

 

作戦参謀の中佐が汗で変色した軍服の襟を正しながら二人に歩み寄り、淡々と言う。

 

「現在の状況から説明する。……先日来の空襲により、当師団の保有航空機は全機焼失、あるいは修理不能の損害を受けた。海上輸送路も断絶しており、後方からの航空機および部品の補充の目途は現時点において全く立っていない」

 

黒木少佐が静かに問う。

 

「では、我々航空部隊は、今後いかなる任務に就くのでありますか」

 

「現在、師団において部隊の再編案を策定中だ」

 

参謀の中佐は手元の書類に目を落とし、淡々と続けた。

 

「航空機を持たぬ以上、我が師団の将兵もまたこのホーランジア地区の防衛戦力として組み込まれることとなる。具体的には、空中勤務者、地上整備員、および飛行場大隊の人員を抽出・統合し、地上戦闘を任務とする『二個の集成大隊』を新たに編成する方針が有力だ」

 

高瀬は無意識のうちに左眉の傷跡に触れそうになり、その手を止めた。

 

(……二個大隊の地上部隊。つまり、歩兵への転換か)

 

「歩兵大隊への改編案……了解いたしました」

 

黒木少佐は無表情に敬礼し、高瀬も続く。

 

「正式な命令は追って下達する。ただし、問題がある」

 

参謀が少しだけ声を潜めた。

 

「連日の爆撃により、司令部と各部隊を結ぶ有線電話は現状寸断され、復旧を急いでいる。また、無線のバッテリーも底を突きかけている。これより先、防衛態勢の移行に伴い、部隊間の連絡は直接のやり取りに頼らざるを得ない」

 

参謀の視線が黒木少佐の横に立つ高瀬に向けられた。

 

「高瀬大尉。貴官に本日付をもって、中隊長の職務に加え、当司令部と実働部隊とを結ぶ連絡将校の兼務を命ずる」

 

「……はっ、拝命致します」

 

高瀬は直立不動のまま命令を受諾した。

 

「地上部隊への再編が進めば、各中隊の配置はジャングル内へ広く分散することになる。司令部からの命令の伝達、および前線の状況報告。貴官の双肩にかかっている。以上だ」

 

「了解いたしました」

 

短いやり取りの後、二人は再敬礼をして司令部壕を後にした。

 

壕の外に出ると、シクロップ山脈の木々の隙間から強烈な赤道直下の陽射しが差し込んでいた。センタニ湖の方角からは未だに油の燃える黒煙が細く立ち昇っている。

 

黒木少佐は軍帽を被り直し、山麓の泥道を歩き出しながら口を開いた。

 

「聞いた通りだ、高瀬。俺たちは空を飛ぶ部隊ではなくなるかも知れん。だが敵はまだ五百キロ以上彼方だ。まだ時間はある。しっかり備えんとな」

 

「はっ」

 

高瀬は短く答え、己の軍靴にこびりついた赤土の泥を見つめた。

 

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