押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第100話 ハイエースに姫を乗せて

 

 九月の五連休という言葉は、大学生にとって本来なら少し甘い響きを持っている。

 

 講義がない。朝、少し遅く起きてもよい。たまった資料を読んでもよいし、読まないで罪悪感だけを横に置くこともできる。友達と出かける人もいるだろうし、家で寝る人もいるだろう。

 

 澪は、六畳間のローテーブルに大学ノートを開いたまま、その甘さを探していた。

 

 ローテーブルの上には、大学のゼミ課題メモ、押入商会の予定表、侯爵家から届いた候補地確認の書付、真壁が作った行商予定の控えが並んでいる。畳の上には、まだ何も積まれていない。けれど、紙の上だけでもう荷が多かった。

 

 大学のゼミ大会に向けて、澪は次回までに商品情報の項目表を作ることになっている。

 

 小規模店舗における商品情報の見える化と若年層の初回来店行動。

 

 長い題だ。だが、今の澪には分かる。店に入る前に、客が何を知りたいか。商品名だけでは足りない。使い方、価格、量、誰向けか、買った後の姿。そういうものが見えなければ、足は止まる。

 

 そして、その横に置かれている押入商会の予定表には、もっと直接的な荷が書かれていた。

 

 侯爵領行商。

 

 侯爵領マッピング。

 

 候補地確認。

 

 鉱石、砂、土、石、木材、薬草の採取候補。

 

 村向け日用品。

 

 衛生用品。

 

 駆除用品。

 

 キャンプ用品。

 

 澪はペンを持ったまま、しばらく黙った。

 

「五連休、休みのはずなんですけど」

 

 そう言うと、真壁は向かい側で予定表を見たまま、少しだけ目を細めた。

 

「休みとは、荷を置くだけの日ではない。荷を運びやすい日にすることもある」

 

「その定義、かなり働く人の休みです」

 

「景色と食事と音楽を入れれば、休暇としての形は整う」

 

「仕事の上に景色を乗せただけでは」

 

「荷姿がよければ、悪くない」

 

 澪は反論しようとして、ペン先を止めた。

 

 以前なら、ここで予定の多さに押し潰されていた。大学の課題、商会の仕事、侯爵家の予定、旅の準備。全部が一つの黒い塊になって、どこから触ればいいのか分からなくなっていたはずだ。

 

 だが今は違う。

 

 並行思考2、と意識しなくても、頭の中で少しずつ分かれていく。

 

 大学の課題は、商品情報の項目表。

 

 行商の準備は、仕入れと荷札。

 

 侯爵家の仕事は、候補地確認と購入条件。

 

 素材探索は、鉱石図鑑とサンプル箱。

 

 休暇は、食事、景色、そして真壁がなぜか予定に入れているギター。

 

 澪は、ノートの端に小さく書いた。

 

 休暇、たぶん小さい。

 

 書いた文字を真壁に見られないよう、手で少し隠す。

 

「澪君」

 

「はい」

 

「休暇の箱を小さく書いたな」

 

「見ないでください」

 

「荷の偏りは、見れば分かる」

 

「そういうところです」

 

 真壁は、そこで少しだけ口元を緩めた。

 

「ならば、休暇の箱を少し広げよう。景色と食事と音楽に、君が面白いと思えるものを足す」

 

「面白いものですか」

 

「鉱石探しだ」

 

「それは休暇じゃなくて調査です」

 

「石は面白い」

 

「真壁さんの休暇、本当に働く人の休暇です」

 

 それでも、澪は少しだけ笑ってしまった。

 

 仕事か休みか、まだ分からない。

 

 けれど、分けられているなら持てる。

 

 それは、少し前の自分にはなかった感覚だった。

 

 

 

 

 

 ホームセンターのカートは、最初の一台だけならまだ買い物に見えた。

 

 水の箱を載せた時点でも、旅の準備だと言い張れた。収納ケース、厚手の袋、ラベル、荷札用の紙、小型スコップ、ふるい、手袋、小瓶、サンプル袋。そこまでは、少し本格的な野外観察か、キャンプの準備と言えなくもない。

 

 だが、二台目のカートに掃除用品と駆除用品が積まれ始め、三台目に追加の水と袋が載ったあたりで、澪は認めるしかなくなった。

 

「これ、完全に仕入れですよね」

 

 真壁は棚の前でラベルの粘着面を確かめていた。軽く指で押さえ、剥がしやすさと紙の強さを見ている。

 

「一応ではない。行商に行くのだから、荷を持つ」

 

「休暇の荷ではないです」

 

「休暇に行商を乗せたのだ」

 

「逆では」

 

「見方の違いですな」

 

「かなり大きな違いです」

 

 真壁は返事の代わりに、ラベルをもう一束カートへ入れた。

 

 澪はため息をつきながらも、品物を分類する。水は旅用、試験用、現地での比較用。小瓶とサンプル袋は候補地ごとに分ける。ふるいと小型スコップは採取道具。厚手の袋は土や砂、石を入れるため。荷札用の紙は、行商品とサンプル管理の両方に使う。

 

 大学の課題で考えた「初めて見る人が何を知りたいか」という問いが、商品棚の前でも自然に出てくる。

 

 何に使うのか。

 

 どこへ置くのか。

 

 誰が扱うのか。

 

 どのくらい必要なのか。

 

 買った後に、何をすればいいのか。

 

 澪がそんなことを考えながら歩いていると、真壁が虫用とネズミ用の市販駆除用品の棚で足を止めた。

 

 箱や容器が並んでいる。現代では珍しくもない。ホームセンターの片隅で、必要な人が必要な時に手に取るものだ。

 

 だが、異世界へ持って行くと考えると、澪は少しだけ手を止めた。

 

「駆除用品、かなり買いますね」

 

「鼠を軽く見てはならん」

 

 真壁の声が、少しだけ低くなった。

 

 いつものように品よく、だが、そこには商談の軽さではないものがあった。澪は、手にしていた箱を見直す。

 

「穀物を食う。袋を破る。倉を汚す。それだけなら、まだ損で済む。だが、鼠と虫は病の入口にもなる」

 

「病の入口」

 

「この世界の衛生なら、一度広がれば村が痩せる。人が倒れ、荷が止まり、道が腐る。魔物より始末が悪いこともある」

 

 澪は、箱の印刷を見た。

 

 そこには、ネズミを寄せ付けないこと、置き場所、使用量、触った後の注意などが書かれている。現代では読めば済む。だが、異世界側では文字も常識も違う。説明しなければならない。説明なしで渡せば、それは商品ではなく危ないものになる。

 

「売るんですね」

 

「売る。困っている者は多いはずだ。ただし、使い方を隠してはならん」

 

「危ないから売らない、じゃなくて」

 

「安全に使える形にして売る。置く場所、量、子供と家畜から離すこと、食品と混ぜぬこと、触った後に手を洗うこと。これは止めるための注意ではない。売るための注意だ」

 

 澪は、少し黙った。

 

 駆除用品は、便利な現代品では終わらない。穀物庫を守る荷だ。宿屋を守る荷だ。子供の寝る場所から、病の入口を遠ざける荷だ。

 

 大学のゼミで、商品情報の見える化を話したばかりだった。

 

 でもこれは、もっと切実だった。

 

「商品情報の見える化ですね」

 

「その通りだ。暮らしを守る荷ですな」

 

 真壁は、いくつかの品を選びながら、すでに荷札の文面を考えているようだった。澪はカートの中に入れた駆除用品を、食品や水の箱から少し離して置いた。

 

 まだ収納に入れていないのに、もう区画を分けてしまう。

 

 自分でも少しおかしかったが、その方が落ち着いた。

 

 

 

 

 

 ドラッグストアは、ホームセンターよりも静かだった。

 

 白い棚に、箱入りの薬や衛生用品が整然と並んでいる。消毒用品、包帯、湿布、かゆみ止め、胃腸薬、手洗い用品、衛生用品。澪はそれらを見ながら、先ほどの駆除用品とは違う緊張を覚えた。

 

 薬は、便利だ。

 

 けれど、便利なものほど怖い。

 

 真壁は、セルマに確認してもらう比較用の薬品類を選び、別のかごへ入れていく。売るためではなく、確認するための荷だと分かるよう、澪はスマホのメモに「セルマ確認用」と入力した。

 

「病人が出たら、こういう薬で何とかなるんですか」

 

 澪は、棚の前で思わず聞いた。

 

 真壁は、胃腸薬の箱を手に取ったまま、少しだけ黙った。

 

「一般薬で済む病なら、それでよい」

 

「済まない病もあるんですね」

 

「ある。熱を下げても、腹を整えても、傷を洗っても、届かぬ病がある。そういうものには、別の薬が要る」

 

「持ってるんですか」

 

 真壁は即答しなかった。

 

 その沈黙だけで、澪は答えの半分を聞いた気がした。

 

「持っていても、出せぬ薬がある」

 

「どうしてですか」

 

「量を誤れば毒になる。途中でやめればさらに悪い。効く相手と効かぬ相手を見なければならん。供給できぬものを奇跡の薬として出せば、領も医も壊す」

 

 澪は、薬棚を見直した。

 

 箱は小さい。価格も高すぎるものばかりではない。けれど、真壁の言葉を聞くと、その小さな箱の向こうに、村、医者、領主、金、噂、独占、依存といったものが見えた。

 

 薬は、ただ渡せばよいものではない。

 

「だから、先に入口を塞ぐ」

 

 真壁は、消毒用品を手に取った。

 

「鼠を減らし、虫を減らし、倉を清め、水を分け、寝具を洗う。地味だが、領には効く」

 

「治す前に、広げない」

 

「その筋だ。病になってから高価な薬を探すより、病の入口を塞ぐ方が領には効く」

 

 澪は、手洗い用品をかごへ入れた。

 

 それは、派手な品ではない。

 

 魔法でもない。

 

 ポーションでもない。

 

 けれど、手を洗うこと、布を洗うこと、倉を清めること、水を分けること。そういうものは、村の暮らしに残るかもしれない。

 

「セルマさんに、見せるんですね」

 

「ええ。薬草やポーションと、こちらの衛生用品をどう組み合わせるか。見る目は要る」

 

「売る前に、使える形にする」

 

「悪くない理解ですな」

 

 澪はメモに書き足した。

 

 薬は売る前に確認。

 

 衛生用品は説明札。

 

 病の入口を塞ぐ。

 

 スマホの画面に並んだ文字を見て、澪は少しだけ息を吐いた。

 

 大学の項目表と、侯爵領の衛生が、また同じ箱に入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 スーパーと量販店を回る頃には、澪はもう買い物という言葉を諦めていた。

 

 保存の利く食品、調味料、菓子、茶葉、乾麺、缶詰。さらに、タオル、シーツ、石鹸、シャンプー、リンス、洗面用品、洗濯用品。カートの中は、家庭の買い出しというより、小さな店の棚卸しに近かった。

 

 シャンプーの棚の前で、澪はボトルを手に取った。

 

「シャンプーって、使い方をどこまで書けばいいんでしょう」

 

「目に入れぬ。飲まぬ。少量を泡立てる。よく流す。子供の手の届かぬ場所へ置く。書くことは多い」

 

「当たり前が多いですね」

 

「当たり前ほど、札にしにくい。だが、そこを省くと客が困る」

 

 澪は、ボトルの裏面を見た。

 

 細かい文字が並んでいる。現代の客は、必要なら読む。読まなくても、ある程度の使い方は知っている。だが、異世界側ではそうはいかない。泡立つものをどう扱うか、目に入ったらどうするか、子供に触らせてよいのか。説明がなければ、不安になる。

 

 商品名、用途、量、使い方、注意点、誰向けか、買った後にどう使うか。

 

 澪は、ゼミの項目表に入れるべき言葉を、また一つ見つけた気がした。

 

「珍品は話題になるが、日用品は暮らしに残る」

 

 真壁がタオルの肌触りを確かめながら言った。

 

「暮らしに残る」

 

「派手な品ばかりでは、商いは続かぬ。毎日使うものは、静かに強い」

 

 澪は、その言葉をノートに書きたいと思ったが、今は両手がふさがっていた。代わりに、頭の中の箱に入れる。

 

 日用品は、暮らしに残る。

 

 少し真壁っぽい言い方になってきた気がして、澪は微妙な顔になった。

 

 本屋に寄った時、ようやく少しだけ旅らしい気分になった。

 

 旅の本ではない。

 

 鉱石図鑑だった。

 

 真壁は鉱石図鑑、鉱物図鑑、岩石図鑑、地質入門書、野外観察用の小型図鑑を選んでいく。棚から本を抜き、ページを開き、写真の見やすさ、分類の細かさ、野外で使えるかどうかを確かめていた。

 

 澪は、その横で背表紙を見ていた。

 

 石の名前が並んでいる。

 

 水晶、石英、方解石、黄鉄鉱、磁鉄鉱、赤鉄鉱、蛍石、雲母。知っているようで知らない名前が、写真と一緒に並んでいた。

 

「鉱石を探す旅なんですね」

 

「行商、地図作り、素材探し。三つを分けておけば、荷は崩れぬ」

 

「鑑定だけでは駄目なんですか」

 

「鑑定は便利だが、名前を知らぬままでは帳面が荒れる。現代側で何と呼ばれ、何に使われ、どの程度の価値を持つか。そこは図鑑と照合する」

 

「鉱石図鑑も荷なんですね」

 

「調査道具ですな。売る荷ではないが、売れる荷を見つけるために要る」

 

 澪は、小型の野外図鑑を手に取った。持ち運びやすい。写真も大きい。簡単な見分け方も載っている。

 

 川沿いの黒砂。

 

 白砂。

 

 赤土。

 

 陶土。

 

 石灰石。

 

 装飾石。

 

 廃坑跡の鉱物。

 

 侯爵領の候補地が、本のページと重なる。

 

 鑑定で見て、図鑑で照合して、サンプル箱に入れて、管理表に残す。現代側で換金できるかもしれない。工芸素材になるかもしれない。侯爵家の収入になるかもしれない。

 

 澪は、鉱石図鑑を買い物かごへ入れた。

 

 少しだけ、休暇の箱が広がった気がした。

 

 最後に寄った酒屋で、真壁はワインをかなり買い込んだ。

 

 澪は、もう驚かないつもりだった。

 

 だが、箱の数を見て、やはり口が出た。

 

「真壁さん、ワイン多くないですか」

 

「酒は交渉の入口になる。飲ませるためだけのものではない」

 

「飲む気もありますよね」

 

「休暇でもある」

 

「その言葉、便利に使ってませんか」

 

「品よく使えば、よい言葉だ」

 

 澪は、ワインの箱を見た。

 

 交渉用。贈答用。侯爵家有力者向け。休暇用。

 

 休暇用だけ、真壁の心の中で少し広めに区画が取られている気がする。

 

 もちろん、真壁の収納内は見えない。

 

 けれど、そのくらいは分かった。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻ると、ローテーブルと畳の上は、小さな物流拠点になった。

 

 水の箱、食品、タオル、シーツ、石鹸、シャンプー、リンス。一般薬品、セルマ確認用の薬品、駆除用品、掃除用品。鉱石図鑑、岩石図鑑、地質入門書、野外観察用の小型図鑑。サンプル袋、小瓶、小型スコップ、ふるい、厚手の袋、ラベル、荷札用の紙。

 

 真壁はそれを眺め、澪は自分の収納10を意識した。

 

 見えるのは、自分の収納の中だけだ。

 

 真壁の収納内は見えない。真壁も、澪の収納内を見ることはできない。

 

 だからこそ、外に出した荷札と管理表が要る。

 

 澪は、まず水を水の区画へ送った。食品は別。タオルやシーツは布類。石鹸、シャンプー、リンスは洗面・衛生用品。一般薬品は薬品区画。セルマ確認用はさらに別。駆除用品は、食品と水から離し、危険物一時保管の区画へ置く。鉱石図鑑や地質入門書は、行商品ではなく調査道具としてまとめた。

 

 収納10は、やはり倉庫に近い。

 

 ただ入るだけではない。置き場所がある。混ぜない感覚がある。取り出す時の順番が分かる。

 

 澪が区画を整えていると、真壁は外に出した管理表へ細い字を書いていた。

 

「収納は本人の内側にある。だからこそ、外へ出す帳面が要る。自分だけが分かる管理は、商いでは少々品が悪い」

 

「大学の班でノートを共有するのと似てますね」

 

「悪くない見方だ」

 

 澪は、少し嬉しくなった。

 

 大学のことが、また押入商会の仕事につながる。逆もある。別々だったはずのものが、少しずつ同じ机に置かれていく。

 

 真壁は、駆除用品の説明札を一枚、澪に渡した。

 

 澪はそれを読み上げる。

 

「鼠害対策。穀物庫用。宿屋・倉庫向け。食品と混ぜない。子供・家畜から離す。使用後は手洗い。置き場所を説明。使える形にして販売」

 

 短いが、必要なことは入っている。

 

「危ないから隠すんじゃなくて、分かるようにするんですね」

 

「そうだ。見えぬ危険ほど品が悪い」

 

「見える危険なら、扱える」

 

「君の言葉になっていますな」

 

 澪は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 見えないものを見える形にする。

 

 それは、敵だけではない。

 

 商品も、危険も、病の入口も、客の不安も。

 

 見えれば、荷札を付けられる。

 

 

 

 

 

 侯爵家の部屋は、六畳間よりも広く、空気が硬かった。

 

 石造りの壁に、厚い机。窓から入る光は高く、床の上に静かな四角を作っている。アルベルトは机の向こうに立ち、いくつかの書付を並べていた。

 

 今回は、レオンハルトの姿はない。

 

 侯爵家側の判断者として、アルベルトが前に立っている。エレナの兄であり、領のことを決める側の人間だと、その立ち位置だけで分かった。

 

「候補地はこの通りだ。所有権と採取権が曖昧な場所は外してある」

 

 アルベルトが書付を真壁の方へ出した。

 

 古い採石場。川沿いの黒砂地。赤土の丘。陶土が出る村。廃坑跡。薬草の湿地。白砂地。堅木の林。装飾石が出る山道。古い倉跡や洞窟周辺。

 

 澪は、地名の横に小さく書かれた注意を見た。

 

 誰の土地か。

 

 どこまで採ってよいか。

 

 村を通す必要があるか。

 

 馬車が入るか。

 

 水場が近いか。

 

 ただの一覧ではなく、揉めないように整えられた候補地だった。

 

 真壁は書付を見て、満足そうに頷いた。

 

「結構。後で揉める荷は、最初から積まぬ方がよい」

 

 澪は、候補地リストに指を置いた。

 

「売れると判断したものは、侯爵家から買うんですよね」

 

「その手筈だ」

 

 アルベルトが答える。

 

「採取量、仮評価、現代側での確認結果を見て、後日価格を決める」

 

「買わずに持ち出せば盗掘だ。品がない」

 

 真壁が静かに言う。

 

 澪は頷いた。

 

 見つけたから自分たちのもの、ではない。領のものは領のものだ。押入商会は侯爵家から買う。その線があるから、商いになる。

 

 アルベルトは、別の紙を手に取った。

 

「記録係を置くことも考えたが」

 

 真壁は少し首を振った。

 

「不要ですな。席を一つ潰す。荷も増える。サンプルに札を付け、地図4で位置を残す。帰還後に報告すれば、荷と記録は離れません」

 

 アルベルトは澪を見る。

 

「澪殿もそれで足りるか」

 

「はい。サンプル箱ごとに、採取地、時間、見た目、鑑定結果、図鑑照合、持ち帰り量を残します」

 

「ならば、記録係は置かない」

 

 決断は早かった。

 

 澪は少し驚いたが、嫌な速さではなかった。アルベルトは迷いを省いているのではなく、形が整ったものから決めている。

 

 監視の話も、長くはならなかった。

 

「監視は置かない。真壁殿と澪殿に今さら監視を付けても、足を遅くするだけだ」

 

「今さら、って言われると複雑です」

 

 澪が小さく言うと、真壁が横で穏やかに返した。

 

「信頼の一種ですな」

 

「たぶん普通の信頼ではないです」

 

 アルベルトの口元が少しだけ動いた。

 

 その時、扉の外で軽い足音がした。

 

 澪は、なんとなく嫌な予感がした。

 

 扉が開く。

 

「私も行く」

 

 エレナだった。

 

 言い切りの速さに、部屋の空気が一瞬止まる。

 

 アルベルトは額に手を当てた。

 

「エレナ」

 

「領内を見て回る。私の領でもある」

 

「遊びではない」

 

「遊びだけではない」

 

 澪は、これは止まらない会話だと悟った。

 

 エレナの顔は、完全に行く顔だった。行けるかどうかを聞きに来たのではない。行くために来ている。

 

「澪がいる。真壁もいる。なら安全だ」

 

「私、安全基準に入ってますか」

 

 澪が思わず言うと、エレナはすぐに頷いた。

 

「入っている」

 

「即答……」

 

「澪は友達だ」

 

 澪は余計に困った。

 

 友達と安全基準が同じ箱に入っている。エレナの中では、たぶん自然なのだろう。だが澪の中では、まだ少し混ざらない。

 

 真壁は、口元をわずかに緩めた。

 

「アルベルト殿。姫君が領を見ること自体は、悪いことではありますまい」

 

「真壁殿。そこで背を押されると、兄としては非常に困る」

 

「困る荷ほど、積み方を見る価値がありますな」

 

「真壁さん、少し面白がってませんか」

 

 澪が横から言うと、真壁は涼しい顔で候補地リストを整えた。

 

 アルベルトはしばらく妹を見ていた。

 

 エレナは引かない。

 

 兄はため息をつき、条件を並べた。

 

「記録係は乗せない。護衛は一人。採取物に勝手に触れない。車から勝手に降りない。真壁殿と澪殿の指示を聞く。護衛の制止には従う」

 

「分かった」

 

「分かっていない顔だ」

 

「分かっている」

 

 澪は、兄妹の確認作業というものは世界を越えても似ているのだと思った。

 

 アルベルトは扉の方へ視線を向けた。

 

「オスカー」

 

 呼ばれた護衛は、すでに扉の外にいた。

 

 静かに入ってきた男は、派手ではない。けれど立つ位置が独特だった。エレナの真後ろではなく、半歩後ろ、半歩横。エレナが前へ出ようとした瞬間、自然に止められる位置である。

 

「オスカーを付ける」

 

「要らない」

 

 エレナが即座に言う。

 

「必要です」

 

 オスカーも即座に返した。

 

「オスカーまで言うな」

 

「言います。姫様が動くからです」

 

「まだ動いていない」

 

「動く顔でした」

 

 澪は、以前にも似たやり取りを見た気がした。

 

 この人は、エレナの動きを止めるためにいるのではない。旅そのものを止めないために、エレナの半歩先で形を整える人だ。

 

 そう思うと、急に同行が現実的になった。

 

 

 

 

 

 侯爵家の中庭にハイエースが出されると、エレナはすぐに近づこうとした。

 

 そして、すぐに止められた。

 

「姫様、順番を」

 

 オスカーが半歩前へ出ていた。

 

「見るだけだ」

 

「動こうとしました」

 

「まだ動いていない」

 

「動く顔でした」

 

 エレナは不満そうにしたが、止まった。澪は、オスカーの仕事が始まっていることを理解した。

 

「これは馬車ではない」

 

 エレナがハイエースを見上げる。

 

「はい。馬はいません」

 

 澪が答えると、エレナは目を細めた。

 

「なら、何が引く」

 

「ええと」

 

 澪は説明に詰まった。内燃機関をどう説明すればいいのか、そもそも説明していいのか迷う。

 

 真壁が横から穏やかに言った。

 

「内側の仕掛けですな」

 

「見たい」

 

「姫様、まず座席を」

 

 オスカーがまた止める。

 

「後で見る」

 

「約束してください」

 

「約束する」

 

 アルベルトが少し遠い目をした。

 

 荷は、見えるものだけが積まれていく。行商品、日用品、食品、水、薬品類、駆除用品、サンプル箱、採取道具、鉱石図鑑、野外観察用資料、キャンプ用品、説明札、荷札、候補地リスト、既存地図の写し、ワイン。

 

 澪は、鉱石図鑑とサンプル箱を確認した。サンプル箱には、採取地、時間、見た目、鑑定結果、図鑑照合、持ち帰り量を書く欄がある。大学ゼミの項目表と似ている。何があるかを見える形にし、後で誰が見ても分かるようにする。

 

 荷室の奥にギターを見つけて、澪は顔を上げた。

 

「ギターも持っていくんですか」

 

「休暇でもあると言ったはずだ」

 

「行商品、鉱石図鑑、採取道具、侯爵家のお姫様、護衛が乗る休暇です」

 

「音楽があれば形は整う」

 

 エレナがすぐに反応した。

 

「ギターとは何だ」

 

「楽器です。音を出します」

 

 澪が答えると、エレナは迷わず言った。

 

「聞く」

 

「夜にしましょう。昼は荷を運ぶ時間です」

 

 真壁が言うと、エレナは満足そうに頷いた。

 

「約束だ」

 

 アルベルトが見送りに出てくる。エレナは後席に乗り、オスカーがその横に座った。前席には真壁と澪。記録係はいない。余計な人数は乗せない。荷は収納と車内に分けられ、サンプル箱と図鑑は澪の手元に置かれている。

 

「無理はするな。領を見るなら、戻って報告せよ」

 

 アルベルトが言う。

 

「分かった」

 

「分かっていない顔だ」

 

「分かっている」

 

「同じ会話、二回目です」

 

 澪が小さく言うと、真壁はエンジンをかけながら答えた。

 

「兄妹の確認作業ですな」

 

 ハイエースが侯爵家の門を出る。

 

 エレナは窓の外を見て、目を輝かせた。

 

「速い」

 

「舗装がないので、揺れます」

 

 澪が言うと、エレナは嬉しそうに頷いた。

 

「それも面白い」

 

「姫様、手すりを」

 

 オスカーが言う。

 

「持っている」

 

「離しかけました」

 

「見ていたのか」

 

「護衛です」

 

 澪は少し笑った。

 

 地図4を重ねると、侯爵領の道が広がっていく。既存地図、候補地リスト、実際の道、地図4の感覚。澪は川沿いの黒砂地に最初の印を置き、膝の上の鉱石図鑑に手を添えた。

 

 最初の候補地は、川沿いの黒砂地。

 

 黒い砂があるかもしれない。鉄分を含む重い鉱物かもしれない。現代側で換金できるか、工芸素材になるか、侯爵家の収入になるかはまだ分からない。だからこそ、サンプルを取り、図鑑と鑑定で照合し、荷札を付ける。

 

「領の品を外へ出すには、まず領の道を知らねばならん」

 

 真壁が前を見たまま言った。

 

「どこに石があり、どこに木があり、どこに水があり、どこで荷が止まるか。地図は、商人の目であり、君主の目でもある」

 

 エレナが窓の外を見る目を少し真面目にした。

 

「なら、見る」

 

 澪は、その横顔を見た。

 

 お転婆で、勢いで乗ってきたように見える。けれど、領を見たいという気持ちは本物なのだろう。

 

「休暇なのか仕事なのか、まだ分かりません」

 

 澪が小さく言うと、真壁は穏やかに返した。

 

「どちらか一つに決める必要はない。荷が分かれていれば、同じ車に乗せられる」

 

 澪は少し納得してしまった。

 

 荷室には行商品、サンプル箱、鉱石図鑑、キャンプ用品、ギターがある。後席にはエレナとオスカー。前席には真壁と澪。地図4には、最初の候補地が近づいている。

 

 休暇のはずの五連休は、侯爵家の門を出た時点で、もう立派な行商になっていた。

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現代に帰還したら、災厄級の従魔たちまで付いてきた~俺を溺愛するヤンデレ従魔たちの無双が晒された結果、魔王だと勘違いされて大バズりしています~(作者:むらくも航@書籍&コミカライズ発売中)(オリジナル現代/冒険・バトル)

少年『久遠カナタ』は転移した異世界から現代日本に帰還した。だが、現代では一日しか時間が経っておらず、色々と不思議な事が起こっていた。▼ダンジョンが出現していたこと。▼ダンジョン配信が流行していたこと。▼そして何より、異世界から従魔達が付いてきたこと。▼現代の魔物に比べ、最強の従魔達は明らかに過剰な戦力だ。従魔が暴走する度、主のカナタは勝手に崇められ、大きな注…


総合評価:236/評価:6/連載:57話/更新日時:2026年04月08日(水) 07:06 小説情報

元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル現代/冒険・バトル)

祖父の死に際、元ITエンジニアの御門悠真は、自分が「召喚師の家系」の末裔だと知らされる。▼御門家は、かつて神も悪魔も妖も精霊も呼び出した、万能召喚術の本家本元だった。▼だが、万能であるがゆえに術式はあまりにも複雑化し、始祖以降は衰退の一途を辿る。▼火だけを呼ぶ家、水神だけを祀る家、鬼だけを使う家――分家たちは属性や対象を絞ることで生き残った。▼一方、万能に固…


総合評価:1221/評価:8.69/連載:12話/更新日時:2026年05月23日(土) 21:51 小説情報

宇宙世紀ガンダム世界で生存戦略(作者:星野林(旧ゆっくり霊沙))(原作:ガンダム)

息抜き二次創作▼ガンダム世界でオリキャラを主戦場でうろちょろさせたいと思い書きました。▼息抜きなのでエタっても泣かない▼注 作者ガンダム作品詳しくないので調べながらやってますが、皆さんのコメントで教えてもらうことも多いのでガチでコメント頼りにしてます!▼ガノタや有識者!情報求む!▼艦船や地上兵器はガンガン他のSF作品や既存兵器を参考にしますので、こんなのあっ…


総合評価:5996/評価:7.89/連載:38話/更新日時:2026年02月02日(月) 22:34 小説情報

SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に来ちゃいました。 魔法と知識で日本を発展させます。(作者:Lavian)(オリジナル歴史/戦記)

セララ・シュトーレンは転生者だ。天使っぽい種族で魔法も使える。▼だけどワープ事故で戦国時代に漂着。▼困ってる人を助けたら神様と勘違いされてしまった。▼人々を助けていたら有名になり、尾張の殿様に呼ばれて……▼信長の友人として過ごす日々が始まった。


総合評価:854/評価:8.29/連載:23話/更新日時:2026年05月25日(月) 21:20 小説情報

自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ (作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル現代/冒険・バトル)

システムエンジニア、工藤創一(30代・独身)。 彼の仕事は、誰が作ったかも分からない継ぎ接ぎだらけのシステムを延命させる「運用保守」。創造性のかけらもない、謝罪と徹夜の日々だった。▼ある夜、帰宅した彼のもとに謎の荷物が届く。 送り主は『賢者・猫とKAMI』。中に入っていたのは、異惑星『テラ・ノヴァ』へと繋がるゲート・キューブだった。▼「鉄鉱石の埋蔵量、480…


総合評価:17306/評価:8.89/連載:227話/更新日時:2026年05月25日(月) 21:36 小説情報


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