押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第101話 黒鷺川の曲がり瀬

 

 ハイエースの窓の外で、麦畑が低く波を打っていた。

 

 九月の光はまだ強い。けれど、夏の盛りとは違って、風の端に土と水の匂いが混ざっている。車輪が踏む土道は少し湿っていて、轍の底だけが黒く残っていた。荷を積んだ車体がそこを拾うたび、床下から鈍い音が返ってくる。

 

 澪は膝の上に置いた地図を見た。

 

 紙の上では、侯爵家から南東へ伸びる道は単純な線だった。畑を抜け、川へ寄り、水車町リーデンへ至る。だが、地図4の感覚を重ねると、線の中に小さな重さが生まれる。川に近い低地、雨の後に水が残りやすい道、荷車が何度も通って深くなった轍。そういうものが、紙にはない凹凸として澪の意識に触れてきた。

 

「地図だと近いのに、道は少し重いですね」

 

 助手席の澪が言うと、運転席の真壁は正面を見たまま頷いた。

 

「川の近くだ。荷車の轍も深い。雨の後は足を取られる」

 

「地図の線だけじゃ分からない」

 

「荷が通れるかを見るのが行商だね」

 

 後席で、エレナが窓の外へ顔を寄せた。

 

 麦畑の向こうに、水車が見えたのだ。太い木の輪がゆっくり回り、水を受けた羽根が陽を返している。まだ遠いのに、水音だけが先に届くような気がした。

 

「水車だ」

 

 エレナの声が弾む。

 

 すぐに、彼女の肩の動きを止める手が伸びた。半歩後ろに控えていたオスカーである。

 

「姫様、窓から身を乗り出さないでください」

 

「乗り出していない」

 

「乗り出す顔でした」

 

「顔まで見るのか」

 

「護衛です」

 

 澪は小さく笑った。エレナは不満そうに眉を寄せたが、窓枠にかけかけた手は戻した。オスカーはそれを確認してから、何事もなかったように車外へ視線を戻す。

 

 水車町リーデンの入口は、城門というほど大げさなものではなかった。木柵と見張り小屋があり、古い板に町の名が刻まれている。水車小屋の方からは、挽いた麦の粉っぽい匂いが漂ってきた。乾いた粉、湿った麻袋、水に濡れた木材。その三つが混ざると、町全体が倉の中にあるような匂いになる。

 

 ハイエースが木柵の前で速度を落とすと、近くにいた町人たちが一斉に動きを止めた。

 

 馬がいない。車輪はある。箱のような形をしている。しかも、中から侯爵家の姫が降りようとしている。

 

 町人たちの顔には、その疑問が声になる前の形で浮かんでいた。

 

 エレナは扉へ手を伸ばした。

 

「姫様、順番を」

 

 オスカーが言った。

 

「まだ何もしていない」

 

「足が動きました」

 

「足も見るのか」

 

「護衛です」

 

 澪は、また笑いそうになった。

 

 その時だった。

 

 町の入口を越えた瞬間、澪の視界の内側に薄い枠が開いた。

 

 敵反応ではない。赤い点でもない。地図4の上に、透明な札が一枚重なったように見える。

 

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信託

水車町リーデン巡見行商

倉の穴を見よ。

鼠害を減らす荷を届けよ。

黒鷺川の重い砂を調べよ。

君主の目となる者に、町の痩せる場所を見せよ。

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達成報酬

行商人レベルアップ

行商人系スキル成長

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 澪はまばたきをした。

 

 消えない。

 

 真壁を見ると、彼も正面ではなく、視界の内側にある何かを読んでいた。

 

「……真壁さん」

 

「見えている」

 

 澪は声を落とした。

 

「神さま、新しい小説読んだのかしら」

 

 真壁は水車と町の入口、麦袋を担ぐ男たちを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「ふむ。楽しまれているようだ」

 

 エレナが首を傾げる。

 

「何を見ている」

 

「いえ、少し予定が増えました」

 

「予定なら私も見る」

 

「見えない予定です」

 

「なぜだ」

 

 真壁は扉を開けながら、涼しい顔で言った。

 

「見える者が記録しておきましょう」

 

「あとで説明しろ」

 

「順番にね」

 

 澪が答えると、エレナは不満そうにしながらも頷いた。だが、降りる前にまた体が前へ出る。

 

「姫様、まず足元を」

 

 オスカーが言う。

 

「足元より予定だ」

 

「足元からです」

 

 

 

 

 

 水車小屋近くに、グラウ男爵家の代官が待っていた。

 

 日に焼けた中年の男で、衣服は質素だが、襟と袖はきちんと整えられている。粉を扱う町の者らしく、前掛けには白い粉が薄く付いていた。だが、立ち方には、町を預かる者の硬さがある。

 

「ベルント・カウフと申します。グラウ男爵家より、この水車町リーデンを預かっております」

 

 ベルントは深く頭を下げた。しかし、視線の端はハイエースへ向いていた。

 

「姫様が、まさかこのような形でお越しになるとは」

 

 エレナは胸を張る。

 

「領内を見る」

 

「ありがたきことにございます」

 

「姫様、前へ出すぎです」

 

 オスカーが淡々と言った。

 

「出ていない」

 

「一歩多いです」

 

 ベルントは困ったように笑い、それから真壁へ向き直った。

 

 真壁は水車小屋、川へ続く道、倉の位置を順に見た。

 

「侯爵家の許可のもと、川筋と黒砂、町の倉を見せていただく。採取したものは記録し、売れると見たものは侯爵家を通して買い取る形にします」

 

 ベルントの目に警戒が浮かぶ。

 

 黒砂や川砂は、町の者にとっては厄介な重い砂である。雨の後に溜まり、靴を汚し、川筋を変えるものだ。けれど、外の者がそれに価値を見いだして持ち出すとなれば、話は変わる。

 

 真壁はその警戒を正面から受けた。

 

「買わずに持ち出すつもりはありません。荷は、持ち主が分かって初めて品になる」

 

 ベルントの肩から、少し力が抜けた。

 

「それならば」

 

 澪はハイエースからサンプル箱を出した。中には小瓶、厚手の袋、札、薄い板の管理表が収まっている。蓋を開けると、ベルントが身を乗り出した。

 

「採ったものは、この箱ごとに分けて記録します。採取地、時間、見た目、鑑定結果、図鑑照合、持ち帰り量を書きます。混ぜません」

 

「ずいぶん細かい」

 

「細かいほど、後で揉めません」

 

 真壁が言うと、ベルントはゆっくり頷いた。

 

 エレナは少し誇らしげだった。自分の領の砂や倉が雑に扱われない。それだけで胸を張れるらしい。

 

 澪は、次は川へ向かうと思っていた。

 

 黒鷺川の曲がり瀬。黒砂。砂金候補。鉱物図鑑。頭の中では、その順番で並んでいた。

 

 けれど、真壁は川ではなく、川沿いに建つ大きな倉を見た。

 

「先に、穀物倉を見せていただきたい」

 

 ベルントの顔がわずかに曇る。

 

 澪は真壁を見上げた。

 

「川じゃないんですか」

 

「川の品も見る。だが、町の荷がどこで痩せているかも見る」

 

 痩せる。

 

 その言葉に、ベルントの目がわずかに動いた。

 

 穀物倉は大きく、古かった。入口近くには麦袋が積まれ、床の隅には白い粉が薄く溜まっている。乾いた麦粉の匂いに、湿った麻袋と木材の匂いが混ざっていた。

 

 奥へ進むほど、空気が重くなる。

 

 袋の端に齧られた跡があった。壁際には小さな穴が開き、床にはこぼれた麦が少しずつ集まっている。高い梁の近くには、虫が細かく飛んでいた。

 

 ベルントは渋い顔をした。

 

「恥ずかしながら、鼠はどこにでもおります。倉番も手は尽くしているのですが」

 

「責める話ではありません。鼠は出るものです。問題は、出た後に減らせる形があるかですな」

 

 真壁は騒がなかった。しゃがんで粉の散り方を見る。袋の積み方を見る。壁の穴、水場、馬小屋との距離、風の抜け方を確かめる。

 

 澪はその見方に覚えがあった。

 

 戦いの時の索敵ではない。商談の時の値踏みでもない。荷崩れを見る時の真壁の目だ。どこから崩れるのか。どこを押さえれば、全体が保つのか。

 

 エレナは袋の齧り跡の前で足を止めた。

 

「これだけで、どれほど失う」

 

 ベルントは少し迷ってから答えた。

 

「大袋で数えれば、年にかなりの量になります」

 

「報告では、ここまで見えなかった」

 

 真壁は静かに言った。

 

「報告に載るのは、たいてい失った後の数字です。現場には、失う前の穴がある」

 

 澪は床の粉を見た。

 

 店に入る前に止まる足。病になる前の入口。損になる前の穴。見えにくいものは、起きてから名前を与えられる。起きる前に見つけるには、現場で膝を折る必要がある。

 

 収納10の内側で、危険物区画の札が意識に触れた。

 

 澪は駆除用品の見本箱を取り出す。食品や水、薬品とは離した区画に入れていたので、迷わず取り出せた。厚手の袋に包み、説明札を添えた箱である。

 

 床へ置くと、倉番が少し身を引いた。

 

 澪は説明札を広げる。

 

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鼠害対策用品

用途:穀物倉・倉庫・宿屋の鼠対策

置き場所:壁際・穴の近く・食品から離した場所

注意:子供・家畜が触れない場所に置く

保管:食品・水・薬品と同じ棚に置かない

使用後:手洗い

備考:置いた場所を記録する

----------------------------------

 

 ベルントは札をじっと読んだ。

 

「これは、売り物なのですか」

 

「売り物です。ただし、置き方まで含めての品ですな」

 

 真壁の声は、代官へ向けた硬さを持っていた。

 

 澪は箱の位置を少し直す。

 

「置く場所を決めずに渡すと、危ないので」

 

 ベルントの眉が寄った。

 

「危ないものを売るのですか」

 

「危ないから隠すのではありません。危ないから、使える形にする。鼠を放置する方が、もっと危ないこともある」

 

 真壁はそこで言葉を切った。病の名を並べることはしない。ただ、倉の穴と麦袋を見れば、十分だった。

 

「穀物を守るだけではない。病の入口を塞ぐ荷です」

 

 エレナが反応した。

 

「病の入口」

 

 澪は頷く。

 

「鼠とか虫とか、汚れた倉とか。そこから病が広がることがあるって、真壁さんが」

 

 エレナは壁際の穴を見た。

 

 ただの穴ではなくなったのだろう。

 

 領を痩せさせる入口。

 

 エレナが近づこうとした瞬間、オスカーが半歩出た。

 

「姫様、近づきすぎです」

 

「見ているだけだ」

 

「覗く姿勢でした」

 

「見えないではないか」

 

「見える距離までです」

 

 倉の中の空気が、ほんの少し緩んだ。

 

 だが、町の者たちの目は真剣だった。倉番、粉挽き職人、宿屋の女将、荷運びの男たちが、入口近くに集まっている。

 

 澪は見本箱の中身を用途ごとに分けた。

 

 穀物倉用。宿屋用。家庭用。

 

 同じ品でも、触る人と置く場所が違えば、説明札も違う。並行思考2が、倉、宿、家、子供、家畜、食品棚、手洗いの札を頭の中で分けていく。収納10の区画管理に似ていた。

 

「同じ品でも、置く場所と触る人が違います。倉で使う分、宿屋で使う分、家で使う分は分けた方がいいと思います」

 

 ベルントが札と箱を見比べる。

 

「同じ品ではないのですか」

 

「品は同じでも、注意が違います。子供が近づく場所なら、置き方を変えます」

 

 真壁は少し満足そうに頷いた。

 

「品物は同じでも、荷札は同じではありませんな」

 

 ベルントは倉番と顔を見合わせ、それから宿屋の女将を呼んだ。短い相談のあと、まず穀物倉と宿屋で使う分を買うことになった。

 

 保留ではない。

 

 試す。

 

 困っているから使う。

 

「まず倉と宿で試します」

 

「最初の荷としては、悪くない」

 

 真壁が言った。

 

 澪は小さく息を吐いた。

 

「行商になりましたね」

 

「ええ。ようやく旅らしくなった」

 

「旅らしさの基準が、売れたかどうかなんですね」

 

「行商ですからな」

 

 

 

 

 

 川へ向かう前に、真壁はハイエースの横で鉱物図鑑を開いた。

 

 エレナはすぐに覗き込もうとして、オスカーに袖を引かれた。

 

「姫様、図鑑に近すぎです」

 

「見えない」

 

「順番に見てください」

 

 澪はページを押さえた。砂金、自然金、砂鉄、磁鉄鉱、チタン鉄鉱。写真には、黒い粒や、鈍い金色を帯びた小さな欠片が載っている。川の曲がりや流れの弱い場所には、重い粒が残りやすいと説明されていた。

 

「黒砂を売るんですか」

 

 澪が聞くと、真壁は首を横に振った。

 

「黒砂そのものは、量が要る。すぐ金になるとは限らない」

 

「じゃあ、何を探すんですか」

 

「重い砂が、何を連れているかだ。金、銀、珍しい鉱物。水は軽いものを流し、重いものを残す」

 

「黒砂は入口」

 

「その見方でよい。入口に札を付けて、奥を探す」

 

 エレナが金色の写真を指さした。

 

「金も川にあるのか」

 

「ある場所には、ありますな。今回は、あるかどうかを見る」

 

「見つければ売れるのか」

 

 エレナの問いに、真壁はすぐには答えなかった。図鑑を閉じ、川の方を見る。

 

「金であることと、金として安全に売れることは違う。そこも含めて、荷だ」

 

 黒鷺川の曲がり瀬は、町の南側にあった。

 

 川は大きく曲がり、外側では水が速く走っている。内側では浅く広がり、砂利と黒砂が溜まっていた。水車小屋の下流では、流れが一度乱れ、そこで重い砂が沈んでいるらしい。濡れた黒い筋が、陽の角度に合わせて鈍く光っていた。

 

 澪は、すぐにしゃがまなかった。

 

 まず地図4を広げる感覚で川を見る。

 

 外側の速い流れ。内側の砂の堆積。水車小屋下流の黒い筋。浅瀬の端。古い砂利の溜まり。そこへ鑑定を重ねる。

 

 全部が光るわけではなかった。

 

 黒砂の線の中で、いくつかの筋だけが薄く浮かぶ。細い。頼りない。けれど確かに違う。その中に、金色に近い微細な反応が混じる場所があった。

 

「全部じゃないです。川の内側と、水車小屋の下流。あと浅瀬の端が光ってます」

 

 真壁は川面を見た。

 

「水が分け、鑑定が示す。悪くない」

 

「金かどうか分かるんですか」

 

「澪君の鑑定で、反応はかなり見える。私も後で重ねよう。ただ、金であることと、現代で安全に金として売ることは別だ」

 

「出所とか、記録とか、税金とかですか」

 

「そういう札だね。外へ出す前に、こちらで品を品として整える」

 

 エレナは川を覗き込む。

 

「砂が光るのか」

 

「私には、そう見えます。価値が決まったわけじゃなくて、調べる場所が分かるだけです」

 

 真壁は澪の持つ小型スコップを見た。

 

「確定した宝だけを拾うのではない。候補に札を付ける」

 

 澪は頷き、光って見える浅瀬へ向かった。ぬかるみに足を取られないよう、石の上を選ぶ。エレナも動こうとしたが、オスカーが当然のように止めた。

 

「姫様、ぬかるみがあります」

 

「分かっている」

 

「踏む顔でした」

 

「顔で止めるな」

 

「足で止める前に済ませます」

 

 澪は小型スコップで、光った筋の砂を少量すくった。ふるいで大きな砂利を落とす。黒い粒と、少し明るい粒が残った。重い砂は、水を含んだまま小瓶の底へ落ち、思ったより鈍い音を立てた。

 

 R-01。

 

 砂金・自然金候補。

 

 別の筋から採った黒砂は、R-02。

 

 砂鉄、磁鉄鉱、チタン鉄鉱候補。

 

 澪は小瓶の口を拭き、ラベルを貼る。収納10の中に、鉱物サンプルの区画が立ち上がった。採取地、図鑑照合、鑑定反応、保管区画が、頭の中で別々の札を持つ。

 

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サンプル管理

番号:R-01

採取地:黒鷺川の曲がり瀬

位置:水車町リーデン南側浅瀬/内側堆積

採取物:重砂/砂金・自然金反応あり

見た目:黒砂中に淡金色粒あり

鑑定反応:自然金反応/微量/不純物多め/採取継続価値あり

採取基準:地図4+鑑定発光地点

図鑑照合:砂金・自然金

収納区画:鉱物サンプル/黒鷺川/R-01

分類予定:自然金粒・黒砂・石英粒・鉄分反応粒

扱い:押入商会内鑑定書作成対象

備考:現代側持込は真壁判断

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----------------------------------

サンプル管理

番号:R-02

採取地:黒鷺川の曲がり瀬

位置:水車小屋下流の黒砂筋

採取物:黒砂混じり重砂

見た目:黒色粒多め/比重高め

鑑定反応:鉄分反応あり/磁性確認要/チタン鉄鉱候補少量

採取基準:地図4+鑑定発光地点

図鑑照合:砂鉄・磁鉄鉱・チタン鉄鉱候補

収納区画:鉱物サンプル/黒鷺川/R-02

分類予定:砂鉄・磁鉄鉱粒・黒砂・石英粒

扱い:押入商会内鑑定書作成対象

備考:産業候補/即売却不可

----------------------------------

 

「砂金候補と、黒砂候補で分けます」

 

「よい判断だ。金になりやすいものと、産業になりやすいものは、同じ瓶に入れぬ方がよい」

 

 澪はR-01とR-02を収納10の鉱物サンプル区画へ入れた。

 

 収納内で、小瓶が別々の棚に収まる感覚がある。棚が見えるわけではない。けれど、収納10は以前の大きな箱とは違う。倒れない。混ざらない。札がずれない。R-01の自然金反応と、R-02の鉄分反応が、それぞれ違う場所に収まっている。

 

 そこへ鑑定をかける。

 

 R-01の中で、淡金色の粒が薄く浮いた。ほんのわずかだ。だが、黒砂や石英粒とは違う反応を持っている。

 

「自然金反応はあります。微量です。不純物が多いですけど、採取継続価値あり」

 

 真壁も鑑定を重ねた。

 

「私の鑑定でも同じだ。上流に同系統の反応がある。ただし濃いとは言えない。一攫千金ではなく、候補地として記録する筋だね」

 

「鑑定書、作れますか」

 

「作れる。公の証明ではないが、侯爵家と押入商会の間で、品を品として扱うための札だね」

 

 澪の意識の中で、収納内の小瓶の横に、薄い紙のような表示が開いた。手元のノートにも写せる。並行思考2が、鑑定結果とベルントへ見せる言葉と、侯爵家への報告用の言い回しを分けて置く。

 

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押入商会鑑定書

対象:R-01 黒鷺川重砂

鑑定者:篠原澪/真壁久忠

確認:自然金反応あり

含有:微量

混入:黒砂/石英粒/鉄分反応粒

評価:採取継続価値あり。ただし濃集は薄い

取扱:侯爵家所有物として記録。押入商会買付候補

注意:大量採取前に川筋保全要確認

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 ベルントは、鑑定書の内容を読んで目を細めた。

 

「黒砂は、すぐ売れるものではないのですか」

 

「量と処理が要ります。だが、金や銀、珍しい鉱物が混じるなら話は別です」

 

 真壁は、町の人にも聞こえる声で言った。

 

 澪は小瓶を見た。

 

「ただ、現代側へすぐ持ち込むのは危ないんですよね」

 

「そうだ。売れることと、安全に売れることは違う。出所、記録、税、余計な目。外へ出す前に、こちらで証明と筋を整える」

 

 ベルントの顔が変わった。

 

 単なる重い黒砂ではない。だが、いきなり金貨になる魔法でもない。町の川砂が、記録され、調べられ、侯爵家の所有物として扱われ、押入商会の買付候補になる。そういう順番があるのだと理解し始めた顔だった。

 

 

 

 

 

 エレナは、穀物倉の方を見た。

 

 それから黒鷺川の曲がり瀬を見た。

 

 倉では鼠害と病の入口を見た。川では砂金候補と領の収入候補を見た。朝、窓の外に水車を見つけた時とは、目の色が少し違っている。

 

「領を見るとは、きれいなところだけではないのだな」

 

 エレナが言った。

 

 真壁は川面を見たまま答える。

 

「きれいなところだけを見るなら、客でよい。領を見るなら、荷が痩せる場所を見る必要がある」

 

「荷が痩せる場所」

 

「倉の穴とか、川で止まる砂とか、見えない困りごととか」

 

 澪が言うと、エレナはしばらく黙った。

 

 水車の音が、遠くでゆっくり回っている。

 

「なら、見る」

 

 それは、町へ来る前に言った「見る」とは少し違っていた。

 

 オスカーも、その時は止めなかった。

 

 昼食は、川辺から少し離れた草地で取った。

 

 本格的な野営ではない。ハイエースの横に簡単な布を敷き、保存食品とパン、温めた惣菜、茶、甘い菓子を並べただけだ。それでも、エレナには十分珍しいらしい。食べ物の前で、彼女の目は水車を見た時と同じくらい輝いた。

 

「これは何だ」

 

「これはそのまま食べられます。これは少し温めた方がいいです。こっちは甘いです」

 

「甘いものから」

 

「姫様、順番を」

 

「食べる順番までか」

 

「急ぐと喉に詰まります」

 

「子供扱いではないか」

 

「護衛です」

 

 澪は茶を注ぎながら笑った。

 

 真壁は昼食の合間にも地図4を見ていた。紙の地図、侯爵家の候補地リスト、地図4の感覚。その三つを重ね、次の行き先を確かめている。

 

「次は白い砂と土だ」

 

「黒砂の次は白砂ですか」

 

 澪が言うと、エレナが顔を上げた。

 

「色が変わるのか」

 

「品が変わる。川の荷から、丘の荷へ移る」

 

 澪は鉱物図鑑を閉じ、サンプル箱の位置を確認した。

 

 キャンプ用品は積んでいる。ギターもある。けれど、今日ではない。リーデンでは、倉と川と行商だけで、十分に荷が増えていた。

 

 昼食後、ベルントへ鼠害対策用品の初回分を渡した。

 

 穀物倉用、宿屋用、家庭用。三つの箱は、同じ品を含んでいても、説明札が違う。置き場所、触る人、保管場所、使用後の手洗い。澪は一つずつ確認する。

 

「食品と同じ棚に置かないでください。置いた場所も、必ず書いてください」

 

 ベルントは少し眉を下げた。

 

「そこまで必要ですか」

 

「必要です。効く品ほど、置き場所が品を決めます」

 

 真壁が答える。

 

 エレナが一歩前へ出た。

 

「報告を上げさせる」

 

 ベルントはすぐに頭を下げた。

 

「承知しました」

 

 オスカーは止めなかった。必要な場面だと判断したのだろう。

 

 澪は行商記録をつけた。

 

 鼠害対策用品、穀物倉用。鼠害対策用品、宿屋用。石鹸少量。タオル少量。説明札付き。効果確認は次回報告。

 

 そこまで書いて、収納10の中で、記録と現物が同じ町の札に収まる感覚があった。

 

 水車町リーデンを出る準備が整った時、澪の視界に再び薄い枠が開いた。

 

 真壁も同じものを見る。

 

 エレナやオスカー、ベルント、町の人々は何も反応しない。ただ、水車の音と、町人たちの見送りの声だけが続いている。

 

----------------------------------

信託達成

水車町リーデン巡見行商

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達成

穀物倉の鼠害確認

鼠害対策用品の説明と販売

黒鷺川の曲がり瀬記録

砂金候補/黒砂重砂サンプル採取

押入商会鑑定書作成

エレナの領内視察

----------------------------------

成長反映

篠原澪:行商人 Lv6 → Lv7

地図:4 → 5

鑑定:8 → 9

収納10運用経験:取得

並行思考2運用経験:取得

商品説明経験:取得

サンプル管理経験:取得

移動経験:取得

移動加速:取得可能候補に表示

----------------------------------

真壁久忠:行商人 Lv6 → Lv7

地図:4 → 5

移動加速:3 → 4

鑑定9運用経験:取得

商才4運用経験:取得

収納10運用経験:取得

----------------------------------

 

 澪は息をのんだ。

 

「レベル、上がってます」

 

 声に出してから、もう一度表示を見る。見間違いではない。

 

 行商人 Lv6 → Lv7。

 

 地図4が5へ。鑑定8が9へ。

 

 真壁は表示を静かに見ていた。

 

「信託を一つ終えた。神さまのボーナスだな。町を見て、荷を売り、道を記し、品を見つけた。行商人としては十分な仕事だね」

 

「地図も五に上がってます。鑑定も九……」

 

「君は、町の困りごとを見て、商品を説明し、川の重い砂を見分けた。鑑定が伸びるのは自然だ」

 

 澪は、倉の穴を見た時の匂いと、黒砂の小瓶の重さを思い出した。

 

 戦ったわけではない。

 

 魔物を倒したわけでもない。

 

 けれど、町を見て、荷を売って、砂を調べた。それが行商人としての仕事なら、たしかに一日分の重さはあった。

 

「移動加速、取得可能候補に出てます」

 

「取れる。今すぐでなくてよい。地図と移動は、いずれ同じ道へつながる」

 

「転移ですか」

 

「まだ先だ。だが、道は積むものだね」

 

 真壁自身も表示を確認する。

 

「こちらも、地図が五、移動加速が四か」

 

「真壁さんも上がってます」

 

「この旅の筋が見えた。町ごとに道を記し、荷を通せば、目的の道へ近づく」

 

 澪はその言葉を、胸の内でゆっくり置いた。

 

 町ごとに道を記す。

 

 荷を通す。

 

 目的の道へ近づく。

 

 転移という言葉は、まだ遠い。けれど、今日、地図がひとつ伸びた。道がひとつ増えた。それは表示だけの話ではなく、足元に残る感覚でもあった。

 

 

 

 

 

 黒砂サンプル、砂金候補サンプル、押入商会鑑定書、行商記録、穀物倉の状況をまとめる。

 

 澪はサンプル箱を収納10へ戻した。R-01とR-02は別区画。駆除用品の残りは危険物扱いの別区画。食品や水とは混ぜない。行商記録は、水車町リーデンの札にまとめる。

 

「一箇所目から、けっこう荷が増えました」

 

「荷は増えたのではない。見えるようになったのだ」

 

「またその理屈です」

 

「便利だろう」

 

「便利ですけど、逃げられないやつです」

 

「逃げるものと、持つものを分ければいい」

 

 澪は、川辺の黒砂と穀物倉の穴を思い出した。

 

 ただの休暇ではない。けれど、ただの仕事でもない。

 

 行商人としてレベルが上がった、という表示がまだ目の奥に残っている。

 

 ハイエースが水車町リーデンを出る時、ベルントと倉番が見送った。町の人々は、姫が来たことよりも、鼠害対策用品と黒砂のサンプルの話でざわついている。

 

 水車は変わらず回っていた。

 

 黒鷺川の浅瀬には、まだ黒い砂の筋が残っている。

 

 エレナが窓の外を見た。

 

「次はどこだ」

 

「白皿丘と玻璃砂原です。陶土と白砂の候補地です」

 

「皿を作るところか」

 

「ええ。品を焼く土地ですな」

 

 真壁がそう言うと、エレナはさらに窓へ近づこうとした。

 

「姫様、身を乗り出さないでください」

 

「乗り出していない」

 

「次の土地を見る顔でした」

 

「顔も駄目なのか」

 

「顔は構いません。体は駄目です」

 

 澪は笑った。

 

 ハイエースは東へ向かう。

 

 荷室には、R-01砂金候補の小瓶と、R-02黒砂重砂の小瓶が増えている。行商記録には、鼠害対策用品の初販売が記されている。押入商会鑑定書には、自然金反応あり、採取継続価値あり、と記されている。

 

 地図は五に上がり、黒鷺川の曲がり瀬が新しい印として残った。

 

 黒い砂の小瓶は軽かった。

 

 けれど、澪にはそれが、侯爵領の地図に初めて置かれた小さな重しのように感じられた。

 

 その重しの下で、道はひとつ、確かに増えていた

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