押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第113話 二トンの芋

 

 倉庫の中には、まだ新しい木の匂いが残っていた。

 

 扉を開けると、乾いた床板の上を、外から入った光が長く滑っていく。壁際には棚があり、大小のガラス瓶が並び、箱に収められたコルク栓が、使われる時を待っていた。

 

 瓶はある。

 

 袋もある。

 

 荷札も、紐も、秤もある。

 

 けれど、中央には広い空間が残っていた。

 

 澪は、倉庫の入口で足を止めた。

 

 工場の中を初めて歩いた時には、真壁が用意した設備の多さに気を取られていた。洗い場があり、発酵を試す部屋があり、失敗したものを分ける部屋まであった。寮も、湯殿も、食堂もある。

 

 あまりにも揃いすぎていた。

 

 そのため、もっと単純なことを見落としていた。

 

「空ですね」

 

 澪が言うと、隣に立っていたリュシアも、倉庫の中を見回した。

 

「広いね」

 

「そうではなくて」

 

「分かってるよ」

 

 リュシアは小さく笑った。

 

 棚の前では、ネリスがガラス瓶を一つ手に取っていた。瓶の口を覗き込み、次にコルク栓を指先でつまむ。人の多い屋台にいた時よりも、呼吸が少しだけ静かだった。

 

 真壁は、倉庫の奥へ歩いていった。壁、棚、床、搬入口を順に見てから戻ってくる。本人が作った建物なのだから、今さら確認する必要もなさそうだったが、真壁は何も言わなかった。

 

 澪は、収納から農家で預かった芋を数本だけ出した。

 

 土の付いたさつまいもを机へ置く。続けて、小さな袋に分けていた大豆を出した。

 

 帳面を開き、鉛筆を持つ。

 

 農家で食べる分。

 

 次に植える分。

 

 種芋として残す分。

 

 大豆は、次の夏に播く分も必要になる。

 

 全部を加工へ回してよいわけではない。

 

 澪は、数字を書いては消した。

 

 線を引き直した。

 

 芋の横に置いた大豆を、指で数粒だけ動かす。

 

 帳面の中で用途を分けるたびに、加工へ回せる欄が細くなっていった。

 

 リュシアが、澪の肩越しに帳面を見る。

 

「足りない?」

 

「足りません」

 

 澪は、鉛筆を止めた。

 

「これ、加工へ回したら駄目です。種芋も必要ですし、大豆も次に植える分を残さないと」

 

 リュシアは、帳面の種芋と書かれた欄を指先でなぞった。

 

「最初の商品を作ったら、次の畑が空になるね」

 

「はい」

 

 澪は、机の上の芋を見た。

 

 農家の納屋に積まれていた時には、たくさんあるように見えた。

 

 けれど、売る分、食べる分、植える分へ分けると、急に少なくなる。

 

「農家さんに、安心して作り続けてもらうための会社です。最初から使い切るわけにはいきません」

 

 ネリスが、大豆を数粒だけ掌へ載せた。

 

「増やす分は、残す?」

 

「はい」

 

「食べる分も、残す?」

 

「残します」

 

 澪が頷くと、ネリスは少しだけ安心した顔をした。大豆を袋へ戻し、口を丁寧に閉じる。

 

「加工の試験に使う分は、別に用意します」

 

 それまで黙っていた真壁が、棚の前で頷いた。

 

「結構」

 

 声は静かだった。

 

「畑を痩せさせて倉を満たすなど、商いとしては少々品がない」

 

 澪は、空いた倉庫をもう一度見た。

 

 瓶と棚だけが、整然と並んでいる。

 

「最初の分は、私の世界から持ってきます」

 

 リュシアは少し驚いたが、すぐに倉庫の中央へ目を戻した。

 

「持ってこられるのかい」

 

「量を出してみないと、分かりません」

 

 澪は帳面を閉じた。

 

「たぶん、少しでは済まないと思います」

 

 真壁が、倉庫の扉を開けた。

 

「では、六畳間で勘定を整えよう」

 

 言い方は穏やかだった。

 

 けれど、澪には少しだけ嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 六畳間の卓上へ、帳面と電卓が並んだ。

 

 本棚の最上段には、古い燭台が白い布の上に置かれている。その横の水は、朝のうちに取り替えてあった。

 

 澪は電卓のボタンを押した。

 

 味噌を試す。

 

 醤油も試す。

 

 芋は、干す。粉にする。焼く。蒸す。保存する。

 

 子供たちにも食べてもらいたい。

 

 農家にも見本を渡したい。

 

 失敗した時には、何が駄目だったのか比べる分も要る。

 

 一度に大量生産するわけではない。

 

 けれど、一回だけ作って終わるわけにもいかない。

 

 現地に残せる形にするなら、何度か試し、記録し、作り方を分けなければならない。

 

 澪は数字を書き直した。

 

 電卓を叩く。

 

 もう一度、書き直す。

 

 さつまいもの欄で、手が止まった。

 

「二トン……」

 

「ふむ」

 

 向かい側に座っていた真壁が答えた。

 

 澪は、帳面を見たまま顔を上げない。

 

「真壁さん。芋を二トン買うことになりました」

 

 真壁は、澪の帳面へ視線を落とした。

 

「紙の上では二文字だが、受け取れば二トンだ」

 

「読み上げないでください」

 

「数字は、口に出した方が重さを持つ」

 

 澪は返事をしなかった。

 

 芋の下へ、大豆の欄を作る。

 

 計算する。

 

 数字を書き込む。

 

「大豆、五百キロ」

 

「味噌と醤油を試すなら、豆は外せまい」

 

 真壁は、落ち着いた声で言った。

 

「畑へ戻す分を削るより、こちらから入れる方が筋だ」

 

「五百キロも、ですか」

 

「芋よりは軽い」

 

「比較する相手が二トンだからです」

 

 澪は、少しだけ真壁を見た。

 

 真壁は真顔だった。

 

 冗談で言っているわけではない。

 

 そのことが、余計に困る。

 

 澪は視線を帳面へ戻した。

 

「塩も要ります」

 

「無論だ」

 

 保存する。

 

 味噌にも使う。

 

 醤油にも使う。

 

 腐らせないためにも必要になる。

 

 塩は、保存が利く。

 

 最初から多めに買っておいても困らない。

 

 澪は、少し迷ってから数字を書いた。

 

「塩、三百キロ」

 

「悪くない」

 

 真壁は、帳面の端を軽く押さえた。

 

「工場へ入れる荷だ。買い物籠で済む量ではあるまい」

 

「普通の買い物ではなくなっています」

 

「左様」

 

「工場を作ったのは、真壁さんです」

 

「器を整えただけだ」

 

「寮とお風呂と食堂まで付いた器でしたけど」

 

 真壁は、その部分には答えなかった。

 

 数秒ほど帳面を見てから、別の紙片へ目を移す。

 

「麹菌も要るな」

 

「あ」

 

 澪は止まった。

 

 そのまま、鉛筆を持ち直す。

 

「忘れてました」

 

「食を扱う商いで、種を忘れるのは感心せんな」

 

「すみません」

 

 澪は欄を増やした。

 

 乾燥米麹。

 

 麹を作るための米。

 

 醤油を試すなら小麦も要る。

 

 種麹。

 

 酵母。

 

 保存する袋。

 

 容器。

 

 荷札。

 

 真壁が横から、必要なものを一つずつ拾う。

 

 澪は、言われるたびに帳面へ書き足した。

 

 項目が増える。

 

 数字も増える。

 

 書く場所が足りなくなり、別の紙を出した。

 

「真壁さん」

 

「何かね、澪君」

 

「食品会社って、こんなに買うんですか」

 

「まだ試しの荷にすぎん」

 

「それで二トンです」

 

「左様」

 

 真壁は、わずかに目を細めた。

 

「始める前に重さを知る。悪くないことだ」

 

 澪は、机の上に増えた紙を見た。

 

 工場を作る。

 

 原料を入れる。

 

 試す。

 

 保存する。

 

 売る。

 

 農家へ次の注文を出す。

 

 頭の中で、今まで別々に見えていたものが、少しずつつながっていく。

 

 つながるたびに、数字も増えていった。

 

「明日、大学なんですが」

 

「承知している」

 

「仕入先を調べて、電話して、受取日を決めて、二トンの芋を受け取る段取りまで、今日中に全部は無理です」

 

 真壁は、澪が書いた紙を手に取った。

 

「私が交渉してこよう」

 

 澪は顔を上げた。

 

「君は大学へ行きたまえ」

 

「任せて大丈夫ですか」

 

「必要な荷は、澪君が決めた」

 

 真壁は、紙を一枚ずつ重ねた。

 

「私は、それを動かせる形へ整えるだけだ」

 

 澪は、少しだけ迷った。

 

「勝手に増やさないでください」

 

「承知した」

 

 澪は、真壁を見る。

 

 真壁も、澪を見る。

 

 静かな間があった。

 

「努力はしよう」

 

「今、言い直しましたよね」

 

 真壁は返事をせず、携帯電話を手に取った。

 

 

 

 

 

 電話は、思ったより早く進んだ。

 

 真壁は、卓上に置かれた帳面を開いたまま、必要な箇所へ細い紙片を挟んでいた。

 

「加工用の芋を、二千キロお願いします」

 

 電話の向こうで、少し長い返事があった。

 

「形は問いません。傷みだけは、分けていただきたい」

 

 真壁は、鉛筆で一つ印を付けた。

 

「無論、こちらで引き取ります。二日後で結構」

 

 通話を切る。

 

 次の番号を押す。

 

「大豆は五百キロ」

 

 短く確認する。

 

「塩は三百キロです。袋は分けてください。札はこちらで付けます」

 

 また印が増える。

 

 乾燥米麹。

 

 米。

 

 小麦。

 

 種麹。

 

 酵母。

 

 保存用の袋と容器。

 

 真壁は、電話の向こうへ必要なことだけを伝えた。相手の返事を待ち、受取日と数量を確認し、紙の端へ小さく書き込む。

 

 別の電話では、発酵試験用の資材を確認する。

 

「発酵試験用です」

 

 短い間を置く。

 

「種類ごとに分けてください。混ぜる必要はありません」

 

 長く話さない。

 

 けれど、抜けがない。

 

 澪は、大学へ持っていく鞄へ教科書を入れながら、その様子を見ていた。

 

「もう決まったんですか」

 

「荷を買う話だ」

 

 真壁は、次の紙へ印を付けた。

 

「要るものが見えているなら、長話は無粋だろう」

 

「私がやったら、もっと時間がかかります」

 

「最初は、それでよい」

 

 真壁は、電話を置いた。

 

「早さより、札を違えぬことだ」

 

 澪は、鞄の口を閉じた。

 

 急がなくてよいと言われた気がした。

 

 同時に、真壁が澪の代わりに全部決めたわけではないことにも気づく。

 

 何を買うかは、澪が決めた。

 

 真壁は、それを荷として動かせる形へ整えただけだ。

 

「行ってきます」

 

「気を付けて行きたまえ」

 

 澪は靴を履いた。

 

 扉を閉める直前に、もう一度だけ振り返る。

 

「本当に、増やさないでください」

 

 真壁は、別の電話番号を押しながら答えた。

 

「善処しよう」

 

「減ってます」

 

 

 

 

 

 講義室の窓から入る光は、少しだけ秋らしくなっていた。

 

 澪は、教授の話を聞きながら、ノートへ要点を書き留める。

 

 教室の前方では、スクリーンへ資料が映されている。

 

 隣の席では、誰かが小さくキーボードを叩いていた。

 

 いつもの大学だった。

 

 ただし、澪の収納の中では、別の帳面も開いていた。

 

 講義の要点。

 

 レポートの提出期限。

 

 ゼミの連絡。

 

 受取日は二日後。

 

 芋は二トン。

 

 大豆は五百キロ。

 

 塩は三百キロ。

 

 麹関係の資材は、種類ごとに分ける。

 

 保存容器は、発酵試験用と見本用を混ぜない。

 

 収納内の紙片が、順番に分かれていく。

 

 以前なら、一つ気になることがあるだけで、頭の中がいっぱいになっていた。

 

 今も、不安がなくなったわけではない。

 

 むしろ、食品会社を始めると決めてから、考えることは増えている。

 

 けれど、一つずつ分ければ、全部を同時に抱えなくてもよい。

 

 講義が終わり、昼休みになった。

 

 澪は学食へ移動した。

 

 混雑する時間を少し外し、端の席へ座る。

 

 小鉢の中に、煮物が入っていた。

 

 その中に、さつまいもが数切れあった。

 

 澪は、箸を止めた。

 

 十キロの箱なら、二百箱。

 

 目の前にあるのは、三切れ。

 

 買うのは、二トン。

 

 想像しようとしたが、うまくいかない。

 

「篠原さん、どうしたの?」

 

 向かい側から声をかけられた。

 

 澪は、顔を上げた。

 

「芋が……少し多くて」

 

 相手は、小鉢を見る。

 

「その小鉢?」

 

「いえ。何でもありません」

 

 澪は、煮物を一切れ口へ入れた。

 

 甘い。

 

 普通の味だった。

 

 その普通の味を、異世界の子供たちにも食べてもらいたい。

 

 農家には、安心して作り続けてもらいたい。

 

 そのために必要な量が、二トンだった。

 

 澪は、もう一切れ食べた。

 

 数字はまだ重かった。

 

 けれど、買う理由は、少しだけ分かっていた。

 

 

 

 

 

 大学から帰ると、六畳間の卓上に書類が並んでいた。

 

 澪は鞄を下ろしかけて、動きを止めた。

 

 紙の束が、種類ごとに分けられている。

 

 見積書。

 

 受取予定。

 

 請求書の控え。

 

 振込記録。

 

 保存資材の一覧。

 

 真壁は、書類の端を揃えていた。

 

「おかえり、澪君」

 

「ただいま戻りました」

 

 澪は、卓上を見た。

 

「もう全部、決まったんですか」

 

「左様」

 

 真壁は、一枚の紙を澪の方へ向けた。

 

「およそ百二十万円だ」

 

 澪は、鞄を置く途中で止まった。

 

「百二十万円」

 

「左様」

 

「芋と大豆と塩ですよね」

 

「麹菌と保存資材も含む」

 

「入っていても、百二十万円です」

 

 澪は椅子へ座った。

 

 紙を見る。

 

 数字を見る。

 

 もう一度、紙を見る。

 

 自分の一か月分の給料よりは少ない。

 

 けれど、大学生が気軽に払える金額ではない。

 

 食品会社へ出資すると決めたのは、自分だ。

 

 リュシアにやってもらうと言っておいて、最初の原料代だけ誰かに任せるわけにもいかない。

 

「私が出します」

 

 澪は言った。

 

「食品会社へ出資すると決めたのは、私ですから」

 

「その必要はない」

 

 真壁は、書類の端を揃えた。

 

「でも」

 

「会社の荷を、澪君の財布で買う必要はあるまい」

 

 真壁は、別の紙を重ねる。

 

「押入商会の口座から出す」

 

 澪は瞬きをした。

 

「会社の口座から?」

 

「左様」

 

「百二十万円ですよ」

 

「芋を二トン買って傾くようでは、商会を名乗るには少々心許ない」

 

「基準がおかしくなっています」

 

 澪は、書類を一枚ずつ見た。

 

 振込記録。

 

 受取日。

 

 数量。

 

 保存方法。

 

 荷札。

 

 真壁は、全部を動かす前に、すでに紙の上で分けていた。

 

「法人口座から出して、大丈夫なんですか」

 

「明石君とは、すでに筋を通してある」

 

 澪は顔を上げた。

 

「もう相談したんですか」

 

「荷を動かす前に、札を付けた。それだけだ」

 

「私が大学にいる間に?」

 

「君は大学へ行く日だった」

 

 真壁は、何でもないことのように言った。

 

 澪は、卓上に並んだ紙を見る。

 

 明石さんと話す。

 

 仕入先へ連絡する。

 

 受取日を決める。

 

 振込記録を残す。

 

 その全部が、澪が講義を受け、学食で芋を見ていた間に進んでいた。

 

「早すぎませんか」

 

「遅らせる理由もあるまい」

 

 真壁は、一枚の紙へ指を置いた。

 

「今回は、荷を買うだけの話でもない」

 

 澪は、真壁の指先を見る。

 

「これで、何が変わるんですか」

 

 真壁は、少し間を置いた。

 

「既にある白金にも、ようやく道が付く」

 

 澪は、すぐに返事ができなかった。

 

「白金のストック、ですか」

 

「左様」

 

 押入商会の収納には、すでに白金がある。

 

 異世界側で集め、出所を分け、必要な分だけ錬成し、保管してきた。

 

 価値は高い。

 

 けれど、高いからこそ扱いが難しい。

 

 突然、大量に現代側へ出せば、説明が付かない。

 

「現物だけが積み上がるのは、美しくない」

 

 真壁は、並べた書類を見た。

 

「仕入れも、出資も、記録も揃えば、明石君も筋を引ける」

 

 澪は、請求書の控えを手に取った。

 

 現代側で商品を仕入れる。

 

 リュシアの会社へ、出資として原料を入れる。

 

 向こうで、実際に食品会社が動く。

 

 帳面が残る。

 

 荷札が残る。

 

 全部を一度に理解できたわけではない。

 

 けれど、白金だけが不自然に積み上がるよりは、商売として説明できるものが増える。

 

「換金しやすくなるんですね」

 

「必要な分を、必要な時に動かす」

 

 真壁は頷いた。

 

「それでよい」

 

 澪は、少し息を吐いた。

 

「現代側は、しばらく大丈夫そうですね」

 

「白金だけに寄せる必要もない」

 

 真壁は、書類を一つにまとめた。

 

「白砂もある。チタンもある」

 

 澪は、真壁を見る。

 

「荷の道は、幾筋かあった方がよい」

 

 真壁の声は静かだった。

 

 白金だけに頼る。

 

 白砂だけに頼る。

 

 チタンだけに頼る。

 

 それでは、どこかで詰まる。

 

 澪にも、少しだけ分かる。

 

「分かりました」

 

 澪は、百二十万円と書かれた紙を、もう一度見た。

 

「でも、二トンですよ」

 

「無論だ」

 

「本当に一人で受け取るんですか」

 

「二日後に、私が行こう」

 

 真壁は、書類袋の口を閉じた。

 

「収納は、そのためにある」

 

 

 

 

 

 二日後の朝。

 

 真壁は、書類袋の中身を確認していた。

 

 受取予定表。

 

 納品書。

 

 荷札。

 

 筆記具。

 

 収納の食品区画。

 

 塩の保管区画。

 

 麹関係の資材を入れる区画。

 

 保存容器。

 

 澪は、大学へ向かう準備をしながら、その様子を見ていた。

 

「では、行ってくる」

 

「本当に、一人で大丈夫ですか」

 

「順序は決めてある」

 

 真壁は、書類袋を持ち上げた。

 

「後は、札を違えなければよい」

 

「二トンですよ」

 

「収納は、荷を持ち帰るためのものだ」

 

 澪は、少しだけ視線を逸らした。

 

「最近まで、武器ばかり入っていた気がします」

 

「ようやく商人らしい使い方になった、と言ってくれたまえ」

 

「武器を入れている時も、商人だと言っていましたよね」

 

「道を守る荷だった」

 

「今回は芋です」

 

「暮らしを守る荷だ」

 

 真壁は、何もおかしいことを言っていない顔で答えた。

 

「大差はあるまい」

 

「あります」

 

 澪は、小さく息を吐いた。

 

「行ってらっしゃい」

 

「行ってくる」

 

 真壁は六畳間を出ていった。

 

 その後の受け取りは、澪が見ていないところで進んだ。

 

 真壁は、芋の箱を受け取り、納品書と数を照合した。

 

 大豆の袋を分ける。

 

 塩は、湿気を避けられる区画へ入れる。

 

 麹関係の資材は、他の食品と混ぜない。

 

 保存容器は、割れないようにまとめる。

 

 箱と袋へ、内容、重量、受取日を書いた札を付ける。

 

 薬品とも、防衛装備とも、混ぜない。

 

 収納の中へ入れれば、外から見える荷はない。

 

 けれど、見えないからこそ、順序を崩さない。

 

 夕方。

 

 澪が六畳間へ戻ると、真壁はすでに座っていた。

 

「受け取りは済んだ」

 

 服装は、朝とほとんど変わっていない。

 

 澪は、真壁を見た。

 

「二トンの芋を持って帰ってきた人には見えません」

 

「そう見えぬよう運ぶための収納だ」

 

 真壁は、少しだけ頷いた。

 

「中では、整然としている」

 

「見えないのが、余計に怖いです」

 

「見せる必要もあるまい」

 

 真壁は立ち上がった。

 

「では、向こうへ運ぼう」

 

 

 

 

 

 工場の倉庫へ入ると、前に見た時と同じように、中央には広い空間が残っていた。

 

 リュシアは、記録机の前に立っている。

 

 ネリスは、確認部屋から出てきたところだった。

 

 トトたち子供も、少し離れたところから倉庫の中を覗いている。

 

「持ってきたのかい」

 

 リュシアが聞いた。

 

「無論だ」

 

 真壁は、倉庫の床を見た。

 

 通路。

 

 棚。

 

 搬入口。

 

 人が動ける幅。

 

 しばらく考えてから、最初の箱を出した。

 

 木箱が、床へ静かに置かれる。

 

 次の箱。

 

 その隣へ、もう一箱。

 

 土の匂いが、倉庫へ入った。

 

 新しい木材と乾いた棚の匂いしかなかった空間へ、畑の匂いが少しずつ混ざっていく。

 

 真壁は、無造作に積まない。

 

 札の向きを揃える。

 

 通路を残す。

 

 箱を高くしすぎない。

 

 澪は、帳面を持ち、札を確認した。

 

「加工用さつまいも。十キロ」

 

 確認する。

 

 次も、十キロ。

 

 また次も。

 

 箱が増える。

 

 床の一角が埋まる。

 

 壁際へ列が伸びる。

 

 リュシアは、最初のうちは黙って見ていた。

 

 けれど、箱が二十を超え、三十を超えても、真壁が次を出すため、さすがに口を開いた。

 

「まだあるのかい」

 

「まだ半分にも届いていない」

 

 真壁は、次の箱を置いた。

 

 リュシアは、倉庫の奥を見る。

 

「二トンって、こういう量なんだね」

 

「私も、数字で見ていた時は分かっていませんでした」

 

 澪は、帳面へ線を引いた。

 

 紙の上では、二トンと書くだけだった。

 

 けれど、箱にすれば、場所を取る。

 

 通路を考える。

 

 積み方を考える。

 

 崩れないようにする。

 

 湿気も考える。

 

 数字に、重さと場所が付いた。

 

 芋箱が積み終わると、次は大豆の袋が出された。

 

 袋を棚へ並べる。

 

 塩は別の棚へ置く。

 

 ざらりとした袋の表面へ、札を付ける。

 

 ネリスは、芋の山よりも、別の小箱へ近づいた。

 

 真壁が、乾燥米麹と種麹を分けて置く。

 

 ネリスは、箱のふたを少しだけ開けた。

 

 中へ顔を近づける。

 

「これが、良い菌の種?」

 

「はい」

 

 澪は、ネリスの隣に立った。

 

「最初は、少しずつ試します。成功したものも、失敗したものも、分けて記録します」

 

 ネリスは、匂いを確かめた。

 

「嫌なものと、違うものを残す?」

 

「お願いします」

 

 ネリスは、箱のふたを静かに閉じた。

 

 その間にも、トトたちは芋箱の前から動かなかった。

 

 積み上がった箱を見上げている。

 

「これ、全部食べていいのか」

 

 トトが聞いた。

 

 リュシアが、振り向いた。

 

「全部食べたら、最初の日に会社が潰れるよ」

 

 トトは、少し考えた。

 

「少しは?」

 

 澪は笑った。

 

「味を見る分は、作りましょう」

 

 トトの顔が明るくなる。

 

 隣にいた子供たちも、少しだけ前へ出た。

 

 リュシアは、その様子を見てから、記録机へ向かった。

 

 帳面を開く。

 

 芋箱の札を一枚、手に取る。

 

 重さ。

 

 内容。

 

 受け取った日。

 

 押入商会から入った荷であること。

 

 一つずつ書く。

 

 次に、大豆の袋。

 

 塩。

 

 麹関係の資材。

 

 保存容器。

 

 リュシアは、急がなかった。

 

 ただ積まれた荷として扱わない。

 

 澪は、現代側の納品書を開き、数字を照らし合わせる。

 

 真壁は、二人の手元を見た。

 

「工場だけじゃないんだね」

 

 リュシアが、帳面へ書きながら言った。

 

「はい」

 

 澪は、次の札を渡した。

 

「最初の試験を始める分です」

 

 リュシアは、札を受け取った。

 

 芋箱を見る。

 

 棚を見る。

 

 ネリスが抱えた麹の箱を見る。

 

 少し離れたところで、芋を見上げる子供たちを見る。

 

「分かった」

 

 リュシアは、帳面へ書いた。

 

「預かった荷を、食べて終わりにはしないよ」

 

「お願いします」

 

「農家から買う道も、子供たちへ出す道も、ここから作る」

 

 真壁が、静かに頷いた。

 

「結構」

 

 倉庫には、荷が入った。

 

 けれど、置いただけでは終わらない。

 

「荷は、置いただけでは仕事にならぬ」

 

 真壁は、積み上がった箱を見る。

 

「動いてこそ、商いになる」

 

 リュシアは、帳面を閉じなかった。

 

 まだ書くことがある。

 

 これからも増える。

 

 そのことを理解した顔で、次の札を手に取った。

 

 

 

 

 

 記録が一段落した頃、トトが芋箱の前へ戻った。

 

 少し迷ってから、一番上ではなく、手の届くところにある箱を見た。

 

「一個だけ、焼いていい?」

 

 リュシアが、帳面から顔を上げる。

 

「一個だけだよ」

 

「みんなで分ける」

 

 トトは、両手で芋を一本持ち上げた。

 

 澪は、その表面に付いた土を見る。

 

「洗ってからにしてください」

 

「分かってる」

 

 トトは、芋を持って、洗い場へ向かった。

 

 工場の水源から引いた水が、澄んだ音を立てて流れている。

 

 冷たい水。

 

 土の付いた芋を洗う水。

 

 手を洗う水。

 

 道具を洗う水。

 

 トトが前に、焼く前にきちんと洗うのかと聞いた。

 

 あの時は、屋台の横に、小さな水桶しかなかった。

 

 今は、芋一本を洗うには、少し大きすぎるほどの洗い場がある。

 

 トトは、小さな手で芋を持った。

 

 冷たい水へ入れる。

 

 土がゆっくりと落ちていく。

 

 澪は、記録机へ戻った。

 

 帳面の最後を確認する。

 

 現代側で買った荷。

 

 押入商会から、リュシアの会社へ入れた原料。

 

 工場で受け取った記録。

 

 紙の上では、数行で終わる。

 

 けれど、顔を上げれば、倉庫の奥まで箱と袋が並んでいる。

 

 味噌は、まだない。

 

 醤油も、まだない。

 

 干し芋も、菓子も、粉も、まだない。

 

 真壁が気にしている蒸留酒も、もちろんまだない。

 

 それでも、始めるための荷は入った。

 

 現代側では、仕入れの記録が残った。

 

 異世界側では、受け取った記録が残った。

 

 収納の中に積み上がっていた白金にも、必要な時に動かすための道が、少しずつできていく。

 

 澪は、帳面を閉じた。

 

 真壁は、倉庫の箱と札を見て、静かに頷いた。

 

「空の倉よりは、いくらか品が出た」

 

「芋が積まれただけですよ」

 

「荷が入れば、倉も仕事を始める」

 

 洗い場の方から、水音が聞こえた。

 

 子供たちの小さな声も聞こえる。

 

 澪は、そちらを見た。

 

 冷たい水の下で、最初の芋から土が落ちていった。

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