押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第120話 二十トンの種芋

 朝の食品工場には、蒸した豆の匂いより先に、紙と木札の気配が満ちていた。

 

 記録机の端へ置かれた籠は、昨日まで余裕を残していたはずなのに、いまは封書と注文札を抱え切れず、縁から数枚の紙を覗かせている。町から戻った子供が新しい札を差し出すたび、リュシアは帳面へ走らせていた鉛筆を止め、送り主の名を確かめた。

 

 澪は向かい側に座り、積み上がった札の一枚を手に取った。

 

 侯爵家から紹介を受けた貴族家の封書は、厚い紙へ丁寧な文字で書かれている。その下には、宿屋の主人が急いで書いたらしい木札があり、さらに食堂から届いた紙片が重なっていた。

 

 味噌を、もう一壺分けてほしい。

 

 醤油を、肉料理へ使ってみたい。

 

 次の芋焼酎は、いつ入るのか。

 

 同じことを書いた札は一枚もない。それでも、どの文面にも、知ってしまった味をもう一度求める熱が残っていた。

 

 工場の奥から戻ってきたトトは、両手へ抱えた札を机の空いている場所へ置いた。

 

「リュシア、これもお酒だって」

 

「そこへ置いておくれ。順番に見るからね」

 

 リュシアは封蝋を割り、紙へ目を走らせた。最後まで読むと、僅かに眉を上げる。

 

「また十本かい」

 

「十本も買うの?」

 

「買いたいらしいよ。だからといって、十本まとめて出す気はないけどね」

 

 リュシアは帳面の在庫欄を確かめ、送り主の名の脇へ小さな印を付けた。

 

「最初は二本。次に回せる分を見てからだ」

 

 澪は、机へ置かれた封書へ手を伸ばした。

 

 末尾へ添えられた一文を読み、もう一度確かめる。

 

「小金貨二枚でも構わないと書いてあります」

 

「正式な値は、小金貨一枚だよ」

 

「倍でも欲しいということですか」

 

「そういうことになるね」

 

 リュシアは、少しも浮かれた顔をしなかった。

 

 酒造区画へ目を向け、壁際へ並んだ小樽の列を数えるように視線を動かす。初めて九十樽が揃った時より、列は確実に短くなっていた。

 

 売れたからだ。

 

 だが、売れた品をすべて手放せば、次の仕込みが整う前に棚が空になる。

 

「高く買うと言った相手へ、際限なく渡す気はないよ。誰かが抱え込んで、別の家へ倍で売るだけなら、うちの仕事じゃない」

 

 リュシアは次の封書を手に取った。

 

「酒場へ渡す樽も、一軒へ寄せない。味噌も醤油も、次の仕込みが整う前に壺が空になったら困るからね」

 

 少し離れた場所で帳面を見ていた真壁が、静かに口を開いた。

 

「客を焦らせれば、値は上がる。だが、焦りだけを売る商いは長く続きませんな」

 

「分かっているよ」

 

「それは何よりだ」

 

 リュシアは真壁へ軽く目を向けたが、すぐに机へ戻った。

 

 注文を受けるだけでは、会社は続かない。

 

 入ってきた金貨へ道を付け、次に必要となる荷へ戻さなければならない。

 

 革袋の口を開き、中から金貨を一枚ずつ取り出す。指先へ伝わる重みを確かめながら別の袋へ移し、十二枚目を置いたところで紐を締めた。

 

「澪。これは、押入商会へ返す分だよ」

 

 机へ置かれた革袋が、鈍い音を立てた。

 

「最初の材料費ですか」

 

「そう。金貨十二枚」

 

 現代側から持ち込んだ芋と大豆、塩、麹に関わる資材、最初の仕込みへ必要だった容器。押入商会が先に用意したからといって、曖昧にしてよい支払いではない。

 

 澪は革袋へ手を添えた。

 

「会社へ残してもいいんじゃないですか。白皿丘にも、リーデンにも支払いがありますよね」

 

「だからこそ、分けるんだよ」

 

 リュシアは帳面の頁をめくり、鉛筆の先で一つの欄を示した。

 

「最初だけ無料で、次から払えませんじゃ商売にならない。材料を入れてもらったなら、まず返す。その上で、職人へ払う分と、働いてくれる人へ払う分を残す。全部を同じ袋へ入れたら、どこで何が足りないのか分からなくなるからね」

 

 澪は、革袋を両手で受け取った。

 

「分かりました」

 

「それから」

 

 リュシアは別の行へ鉛筆を走らせた。

 

「真壁殿の五樽は、手間賃として書いておくよ」

 

 澪は顔を上げた。

 

「五樽でいいんですか」

 

「工場を作って、水のある土地を押さえて、白皿丘へ行って、リーデンで樽職人まで探してきたんだ。私なら、もう少し請求するけどね」

 

 真壁は腕を組んだまま、穏やかに答えた。

 

「私としては異存はない」

 

「普通に売れば、金貨五枚分ですよね」

 

 澪が確認すると、真壁は僅かに目を細めた。

 

「若い酒の値を、今決める必要もありますまい」

 

 リュシアの鉛筆が止まった。

 

「熟成させる気だね」

 

「酒へ時間を与えるだけですな」

 

 澪は、真壁の顔を見た。

 

「増えていますよね」

 

「比較試験なのでね」

 

「五樽から増えていますよね」

 

 真壁は答えなかった。

 

 答えないまま、帳面へ視線を落とす。

 

 リュシアは小さく息を吐いたが、追及はしなかった。真壁が収納の中で何を並べているのかは、いずれ嫌でも分かる気がした。

 

「五樽の話は、それでいいよ」

 

 リュシアは新しい頁を開き、澪へ向けて帳面を押し出した。

 

「次の材料も、押入商会から買いたい」

 

「今度も、芋は二トンですか」

 

「六トン」

 

 澪は、頁へ落としていた視線を止めた。

 

「六トン」

 

「今ある分を売り切って、次がありませんじゃ困るからね」

 

 帳面には、芋だけではなく、次の仕込みへ必要なものが書き込まれていた。味噌と醤油へ回す大豆も増える。塩も、麹も、工場で扱う量に合わせて揃えなければならない。

 

 前に仕入れた芋は二トンだった。

 

 それでも、業者へ連絡を取り、金額を確かめ、受け取り方を整えた時には十分に大きな仕事だと思った。

 

 今回は、その三倍である。

 

「見積もりを取ります」

 

「頼むよ」

 

 リュシアは頷いた後、机の脇へ置いていた別の帳面へ手を伸ばした。

 

「ただ、こっちは私の注文じゃない」

 

 澪が問い返す前に、食品工場の扉が開いた。

 

 侯爵家の印を付けた使者が先に入り、その後ろから、使い込まれた革鞄を抱えた男が姿を見せる。

 

 四十代の後半ほどだろう。

 

 派手な服装ではない。袖口には紙をめくり続けた者らしい薄い汚れが残り、革鞄の縁も柔らかく擦れていた。

 

 男は、真壁と澪へ丁寧に頭を下げた後、リュシアへ向き直った。

 

「侯爵家で農政を預かっております。エーリヒ・ヴァイスと申します」

 

 エーリヒは、鞄の中から厚い帳面と、紐で括られた木札の束を取り出した。

 

 机へ置かれた札が触れ合い、乾いた音を立てる。

 

 トトが、その束を覗き込んだ。

 

「これ、全部、芋なのか」

 

「芋だけではありません。豆を育てたいという村からも届いています」

 

 リュシアは、一番上にあった札を取り、村名と人数を確認した。

 

「ずいぶん集まったね」

 

「予想以上です。ですが、希望する者へ配ればよいという話ではありません」

 

 エーリヒは、自分の帳面を開いた。

 

 頁の端には、色の違う印が並んでいる。

 

 澪が覗き込むと、単に人数を集計した帳面ではないと分かった。

 

 村ごとに、畑の位置や水はけが書かれている。苗床へ使えそうな場所があり、保存に向く倉がある。麦の仕事と重なる時期も、食品工場まで荷車を動かせる道も、細かく記録されていた。

 

 エーリヒは、一つの村名へ指先を置いた。

 

「芋は、植え付けと掘り取りへ人手を使います。豆も、麦と同じ時期へ仕事を重ねれば、畑が回りません」

 

 頁をめくり、別の村へ付けた印を示す。

 

「農業系の技能を持つ者はおります。しかし、機械はありません。最初から広げすぎれば、掘り取りの時期に畑へ置き去りにする芋が出るでしょう」

 

 リュシアは黙って聞いていた。

 

 真壁も、口を挟まない。

 

 エーリヒは、希望者の数ではなく、最初に動かせる村を選んでいる。

 

「まずは、苗床と保存場所を整えられる村へ絞ります。初年度の収穫から、次に植える分を残す。一度に領内の畑を埋める必要はありません」

 

 澪は、開かれた帳面へ視線を落とした。

 

「第一陣として、種芋を二十トン。種豆を五トン、お願いしたい」

 

 聞き間違いだと思った。

 

 澪は、帳面へ少しだけ顔を近づけた。

 

 数字は変わらない。

 

「二十トン」

 

「はい」

 

「前回は、二トンでした」

 

 真壁は、エーリヒの帳面へ一度だけ目を落とした。

 

「今回は、酒になる芋ではない。来年の畑へ渡す芋ですな」

 

「種芋だけで、八百万円です」

 

「左様」

 

「加工用の芋を足すと、一千万円を超えます」

 

 真壁は、少しも表情を変えなかった。

 

「畑を相手にするのです。酒瓶のように、一本ずつ増やすわけにもいくまい」

 

「平然と言わないでください」

 

「農政官殿の計算は、悪くない」

 

 エーリヒは、真壁へ僅かに頭を下げた。

 

「希望だけを見れば、もっと多く配れます。しかし、初めから大きく広げれば、失敗した時の損も大きくなる。まずは二十トンで、増やす道を作ります」

 

「大豆も同じですか」

 

 澪が尋ねると、エーリヒは頷いた。

 

「豆は、麦との組み合わせを見ます。最初は、作業を分散でき、記録を残せる農家へ渡します。食品会社が買い取る道を示してくださったからこそ、希望者が増えたのでしょう」

 

 リュシアは、机へ置かれた木札の束を見た。

 

 農家が来年も植えてよいと思える値を残したい。

 

 侯爵家でそう話した時には、味噌の入った壺と、醤油の細口瓶と、芋焼酎のグラスが食卓へ並んでいただけだった。

 

 今は、その先にある畑が動き始めている。

 

 だが、リュシアは自分の帳面へ種芋の数字を書き写さなかった。

 

「加工用の材料は、うちが買うよ。味噌と醤油と焼酎を作って売るための荷だからね」

 

 澪へ渡した頁を、指先で軽く押さえる。

 

 その後で、エーリヒの帳面へ目を向けた。

 

「でも、農家へ配る種芋と種豆は別だ。それは食品会社の仕入れじゃない。侯爵家の農政だよ」

 

「承知しております」

 

 エーリヒは、迷わず答えた。

 

「農政用の荷については、侯爵家の予算で扱います。代金は、大金貨で先にお支払いします」

 

 真壁が、静かに頷いた。

 

「筋が通っていますな」

 

 澪も、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 食品会社が、領地全体の農政まで背負うわけではない。

 

 加工用の荷と、農家へ配る種は、役割が違う。

 

 支払う者も違う。

 

 しかし、安心できたのは一瞬だった。

 

 侯爵家から大金貨を受け取っても、現代側の業者へ大金貨を持ち込むことはできない。

 

 種芋を買う時に必要なのは、円だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六畳間へ戻ると、窓の外は夕方へ傾いていた。

 

 澪は、大学へ持っていった鞄を壁際へ置き、机へノートパソコンを開いた。

 

 レポートの期限も、ゼミの連絡も気になっている。

 

 それでも、先に確認しなければならない数字がある。

 

 会社口座へログインし、画面をスクロールする。

 

 押入商会に残っている円。

 

 すぐに動かせる運転資金。

 

 前回の仕入れで支払った額。

 

 近いうちに必要になる分。

 

 紙の帳面なら、頁をめくる音がする。

 

 パソコンの画面では、数字が黙って並んでいる。

 

 だからこそ、逃げ場がなかった。

 

 澪は、リュシアから受け取った注文書を机の左側へ置いた。

 

 加工用の芋は六トン。

 

 大豆も、塩も、麹も、前回より増える。

 

 右側には、農政官の依頼書がある。

 

 種芋二十トン。

 

 種豆五トン。

 

 芋だけでも、現代側で支払う額は一千万円を超える。

 

 そこへ豆と資材を加えれば、さらに金額は膨らむ。

 

 何度か口座残高と注文書を見比べた後、澪は額へ手を当てた。

 

「真壁さん」

 

 六畳間の奥で、ワインの瓶を確認していた真壁が顔を上げた。

 

「何かね、澪君」

 

「足りません」

 

「何がかね」

 

「円です」

 

 澪は、ノートパソコンの画面を指した。

 

「押入商会の口座を全部合わせても、一括では厳しいです」

 

 真壁は、椅子の背へ片手を置いたまま、画面へ一度だけ視線を移した。

 

「左様」

 

「左様、ではありません」

 

「大金貨は受け取れるのでしょう」

 

「受け取れます。でも、現代側では使えません」

 

 真壁は、農政官の依頼書へ目を落とした。

 

「大金貨は、あちらで働かせればよい」

 

 澪は頷いた。

 

 侯爵家から受け取る大金貨は、異世界側で使う。

 

 だが、それは向こう側の財布だ。

 

「現代側の円は、どうしますか」

 

「保管していた白金を、必要な分だけ動かしましょう」

 

 澪は、一度黙った。

 

「プラチナを売るんですか」

 

「眠らせておくより、来年の畑へ変える方がよろしい」

 

「どれぐらい保管しているんですか」

 

「少々ですな」

 

 澪は真壁を見る。

 

「その少々が信用できません」

 

「必要な分だけ動かせばよい」

 

「税理士さんには?」

 

「明石君へは、すでに筋を通してある」

 

 あまりにも滑らかな返事だった。

 

 澪は、ノートパソコンの画面から顔を上げる。

 

「どこまで話したんですか」

 

「現代側で必要な範囲だけですな」

 

「……上手く説明したんですね」

 

「商人は、相手へ渡す荷を選ぶものだよ。情報も同じですな」

 

 澪は、少しだけ真壁を疑うように見た。

 

「明石さん、大丈夫ですか」

 

「帳簿は、品よく整っています」

 

「明石さんの胃の話を聞いています」

 

 真壁は、僅かに視線を逸らした。

 

 澪は、それ以上を聞かないことにした。

 

 聞けば、知りたくなかったことまで知る気がする。

 

 代わりに、机へ置いた依頼書へ視線を戻す。

 

 二十トン。

 

 数字だけを見ていると、別の問題が遅れて浮かんできた。

 

「真壁さん」

 

「何かね」

 

「二十トンを、どうやって受け取るんですか」

 

「卸を一社入れましょう」

 

 澪は、少しだけ瞬きをした。

 

「JAへ、直接お願いするんじゃないんですか」

 

「種芋だけではない。加工用の芋も、豆も、塩も要る。麹に関わる資材も、置く場所も、運ぶ者も必要になる」

 

 真壁は、机の上へ置かれた二枚の依頼書を見た。

 

「我々が、一つずつ産地へ頭を下げ、倉を探し、車を押さえることもできる。だが、荷を集める者には、荷を集める者の腕がありますな」

 

「食品会社ですか」

 

「業務用の農産物と食品原料を扱う卸がよろしいでしょう。加工用と栽培用を分け、必要な産地へ話を通し、輸送と一時保管まで整えられる者がよい」

 

「手数料が掛かります」

 

「左様」

 

 真壁は、少しも迷わなかった。

 

「だが、安く買うことだけに熱心で、来年も使える道を潰す方が高くつく。今回は、荷だけではない。繰り返し使える道を買うべきですな」

 

 澪は、ノートを開いた。

 

 直接JAへ問い合わせるつもりで作っていた欄の上へ線を引き、その横へ新しい言葉を書き添える。

 

 農産物・食品原料卸。

 

 加工用の芋と、農政用の種芋を混ぜないこと。

 

 食品会社向けの大豆と、畑へ配る種豆も分けること。

 

 塩や麹関係の資材は、同じ倉庫へ置いてよいのか確認すること。

 

 荷を一時的に受ける倉庫が必要であり、産地からそこまで運ぶ輸送業者も押さえなければならない。

 

 真壁は、澪の手元を見ながら続けた。

 

「卸へ一括で頼めば、向こうが必要な産地へ照会する。輸送業者も、倉も、納品の時期も、その先で整う」

 

「一度に全部、持ってくるんですか」

 

「いや。先方と相談して分けた方がよいでしょう。種芋は、加工用の芋と同じ扱いにはできぬ」

 

「倉庫へ入れた後は?」

 

「数を確かめ、伝票を残し、用途ごとに荷札を分ける。外の仕事が終わってから、私が運ぶ」

 

「収納で」

 

「無論」

 

 澪は、鉛筆を止めた。

 

「卸会社の人が帰った後で、倉庫の芋が全部なくなるんですよね」

 

「入庫記録と、払い出しの記録は残す」

 

「払い出し先は」

 

「押入商会の管理する事業用保管先ですな」

 

 澪は、ゆっくりと真壁を見た。

 

「どこですか」

 

「澪君」

 

 真壁は、僅かに目を細めた。

 

「説明は、必要な範囲で足りるものだよ」

 

「明石さんにも、そういう顔で説明したんですね」

 

「品よく整えましたな」

 

「明石さんの胃が心配です」

 

 澪は、ノートへ視線を戻した。

 

 二トンの時は、真壁が取りに行けば済んだ。

 

 二十トンを超える荷になれば、同じ方法は使えない。

 

 産地から集める者がいる。

 

 倉庫へ運ぶ者がいる。

 

 荷を一時的に預かり、数を確かめる者がいる。

 

 収納があっても、商流まで消してはいけない。

 

「卸会社は、どうやって探しますか」

 

「明石君へ、紹介を頼んである」

 

 澪は、再び顔を上げた。

 

「もうですか」

 

「円が足りぬと分かれば、次に必要となるものも見える」

 

「私が大学へ行っている間にですか」

 

「君には、君の仕事がある」

 

 真壁は、机へ置かれた注文書へ指先を添えた。

 

「澪君。仕事を抱え込むことと、仕事を整えることは違う。荷を集める者へは、荷を集める仕事を渡せばよい」

 

 澪は、ノートに書いた欄を見直した。

 

 食品会社向けの原料。

 

 侯爵家農政向けの種。

 

 現代側で円へ換える白金。

 

 異世界側で受け取る大金貨。

 

 卸会社へ頼む調達。

 

 輸送業者が動かす荷。

 

 一時的に借りる倉庫。

 

 それぞれの流れを分けると、ようやく形が見えてくる。

 

 真壁は、澪の手元を見た。

 

「悪くない」

 

「種芋二十トンで、悪くないと言われても困ります」

 

「二トンで始めた荷が、二十トンの畑へつながる。悪い話ではありますまい」

 

 澪は、鉛筆を置いた。

 

「次は、百トンになるんですか」

 

「急がず増やせばよい。農政官殿も、そう見ている」

 

「卸会社との交渉も、真壁さんがするんですよね」

 

「無論」

 

「倉庫と輸送業者も、卸会社に整えてもらう」

 

「その方がよろしい」

 

「また、帰ったら、だいたい決まっているんですか」

 

 真壁は、少しだけ間を置いた。

 

「先方の都合もある。そこまで急かすのは、少々品がない」

 

「それでも、だいたい整えてきますよね」

 

 真壁は答えなかった。

 

 答えないまま、机の上に並んだ依頼書へ一度だけ目を落とす。

 

「では、卸を一社入れましょう。JAも、倉も、輸送業者も、その先で整えればよい」

 

 澪は、注文書の端へ書かれた数字を見る。

 

「二十トンです」

 

「左様」

 

「平然と言わないでください」

 

 真壁は、僅かに目を細めた。

 

「澪君。二トンの荷を売って終わるより、二十トンの種を畑へ置く方が、商いとしては品がよい」

 

 澪は、すぐには返事をしなかった。

 

 机の上にある注文書は、まだ紙にすぎない。

 

 卸会社とも、まだ契約していない。

 

 倉庫も、輸送業者も決まっていない。

 

 プラチナも、まだ換金していない。

 

 それでも、紙の向こう側には、すでに荷を積んだトラックが見えるような気がした。

 

 産地から集められる木箱。

 

 一時保管用の倉庫へ運び込まれる荷。

 

 加工用と農政用を分ける札。

 

 外から見ても不自然ではない形で数えられ、伝票へ残される芋と豆。

 

 その先には、侯爵領の村々で作られる苗床がある。

 

 土の中へ伏せ込まれた芋から芽が伸び、春の畑へ渡っていく。

 

 以前、二トンの芋を前に頭を抱えた時には、考えもしなかった景色だった。

 

 澪は、依頼書の端を揃え、ノートを閉じた。

 

 二十トンの種芋は、まだどこにもない。

 

 だが、来年の畑へ続く道は、六畳間の机の上から、すでに伸び始めていた。

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