押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第121話 空の倉庫

 

 講義が終わっても、澪のノートには、教授が最後に板書した文字が半分ほど残っていた。

 

 書き写せなかったわけではない。

 

 並行思考を使えば、話を聞きながら要点を分け、後から確認するための印まで付けられる。以前なら途中で置いていかれたはずの説明も、いまは手元の紙へ収まっていた。

 

 それでも、意識の端へ引っ掛かった数字だけは、講義の外から何度も戻ってきた。

 

 二十トン。

 

 前回、二トンの芋を仕入れただけでも、澪は十分に大きな話だと思っていた。

 

 今度は、リュシア食品会社へ回す加工用の芋だけで六トンある。その上で、侯爵領の畑へ渡す分まで用意しなければならない。

 

 大豆も増える。

 

 塩も、麹に関わる資材も必要になる。

 

 講義室を出ると、澪は人の流れへ混じった。普通に歩いているつもりなのに、前を歩いていた学生を一人、二人と追い越してしまう。

 

 移動加速を取ってから、こういうことが増えた。

 

 急いでいるわけではない。

 

 だが、気が付けば早い。

 

 自分の足取りまで真壁に似てきたような気がして、澪は少しだけ複雑な顔になった。

 

 

 

 六畳間へ戻ると、机の上へ、朝にはなかった書類が積まれていた。

 

 大学の講義資料とは紙質が違う。

 

 社名の入った封筒があり、金額の書かれた見積書があり、写真付きの資料もある。付箋の色まで分けられていた。

 

 澪は鞄を床へ置き、椅子へ座る前に、一番上の紙を手に取った。

 

「真壁さん」

 

「何かね、澪君」

 

 真壁は、六畳間の奥で湯を注いでいた。

 

 澪が帰る時間を見ていたのだろう。机の端には、すでに二つのカップが置かれている。茶葉の匂いが、書類ばかりの机へ柔らかく広がっていた。

 

「今日、どこまで進めたんですか」

 

「卸へ、必要な荷を頼んだ」

 

 真壁は、澪の前へカップを置き、自分も向かい側へ座った。

 

「サツマイモは二十六トン。大豆は六・五トン。それに、塩と麹に関わる資材ですな」

 

 澪は、見積書へ目を落とした。

 

 数字は分かっていた。

 

 分かっていたはずなのに、会社名の入った紙へ印字されると、急に重さが増したように見える。

 

「全部、まとめて頼んだんですね」

 

「卸へ渡す注文としては、その方がよい」

 

 真壁は、書類の束から一枚を抜き、澪の前へ滑らせた。

 

「リュシア君の会社へ入れる芋は六トン。大豆は一・五トン。残りは、向こうへ運んでから分ける」

 

 澪は、小さく頷いた。

 

 食品原料卸へ、畑の事情まで話す必要はない。

 

 芋は芋であり、大豆は大豆である。

 

 それが押し入れの向こう側へ渡った後、味噌や醤油や芋焼酎へ姿を変えるのか、来年の畑へ入るのか。

 

 そこまで知る必要があるのは、澪と真壁だけだった。

 

「卸会社の方には、何を伝えたんですか」

 

「必要な数量と、指定した日にまとめて納品していただきたいということだけですな」

 

「一日で受け取るんですか」

 

「倉を借り続ける理由はないのでね」

 

 真壁は、写真付きの資料を澪へ向けた。

 

 物流施設の端にある一区画だった。

 

 大きなシャッターがあり、トラックを横付けできる。床には余計な段差がなく、荷下ろしにも支障はなさそうだった。

 

「荷受けに使う区画だけ、納品日に一日借りる。車両の台数と搬入時刻は、卸へ整えていただく。こちらは、届いた荷の数と札と伝票を確かめればよい」

 

「確認が終わったら」

 

「外の者が帰った後で、私が収める」

 

「収納へ」

 

「無論」

 

 澪は、写真を見たまま、少しだけ息を吐いた。

 

 何週間も倉庫を借りるわけではない。

 

 芋が届くたびに何度も出向くわけでもない。

 

 卸会社へ手数料を払い、荷を一日にまとめてもらう。その日のうちに真壁が収納へ入れれば、翌日まで空の床へ賃料を払い続ける必要はない。

 

 話だけを聞けば、単純だった。

 

 ただし、三十トンを超える荷を一日で受け取り、夕方には何もなかったことにする単純さを、澪はまだ上手く受け止め切れない。

 

「卸会社へ払う手数料は、掛かっています」

 

「払うべき値ですな」

 

 真壁は、茶を一口飲んだ。

 

「我々が仕入れ先を探し、車を押さえ、荷受けの時間を一つずつ調整するより安い。今後も使える窓口へ値を払う方がよい」

 

「真壁さんが、全部交渉して回るのかと思いました」

 

「澪君」

 

 真壁は、僅かに目を細めた。

 

「一人で走り回ることが働くことだと思い始めると、商会は大きくなりませんな」

 

 澪は、返事をせずに見積書をめくった。

 

 少しだけ胸へ刺さった。

 

 大学の課題も、ゼミの資料も、押入商会の仕事も、自分で抱え込んでしまいがちだった。

 

 並行思考があれば、同時に扱える作業は増える。

 

 収納の中へ紙と筆記具を入れれば、分類も、札作りも、下書きも早くなる。

 

 けれども、自分が抱えられる量を増やすことと、仕事を整えることは違う。

 

 白皿丘の陶工には、器を作る仕事を渡した。

 

 水車町リーデンの樽職人には、小樽を作る仕事を渡した。

 

 現代では、食品原料卸へ荷を集める仕事を渡す。

 

 真壁は、自分で出来ることまで、必要なら他人へ任せている。

 

「荷受けの場所も、見てきたんですか」

 

「午後に確認した」

 

 真壁は、倉庫の図面を開いた。

 

「入口へ車両を寄せられる。芋と大豆を置く区画も取れる。塩と麹の資材は壁際へ分ければよい。細かな置き方は、荷が入る前に決める」

 

「一日分の利用料だけですか」

 

「左様。空の床へ賃料を払い続ける趣味はないのでね」

 

 澪は、ようやく少しだけ笑った。

 

 真壁らしい。

 

 必要な仕事には金を払う。

 

 しかし、必要のないものへ金を置いたままにしない。

 

 払うべき値と、削るべき無駄の境目が、真壁の中では最初から分かれている。

 

 澪は、見積書の最後まで目を走らせた。

 

「円は、足りますか」

 

「足りぬ」

 

「平然と言わないでください」

 

「不足するのであれば、先に作ればよい」

 

 真壁は、書類の束から別の紙を取り出した。

 

 卸への支払い。

 

 輸送費。

 

 荷役費。

 

 荷受け区画の一日利用料。

 

 明石へ相談した上で、税金として残しておく額。

 

 今後の支払いへ備え、押入商会の口座へ置いておく運転資金。

 

 真壁は、一つずつ長々と読み上げなかった。

 

 紙の上へ指を置き、澪が数字を追える速さで示していく。

 

「すべて見た。その上で、白金を三キログラム動かす」

 

 澪の指が止まった。

 

「プラチナを、三キロ」

 

「必要額は見てある。一キログラムだけ売り、足りなければ後で考えるような真似はしない。相手へ何度も持ち込む理由もない」

 

 真壁は、書類の端を揃えた。

 

「先に話を通す。受け入れられる日を聞く。必要な書類を揃える。その上で、まとめて渡す」

 

「売却先は、決まっているんですか」

 

「澪君の知人に、貴金属を扱える会社の代表がおられたはずだ」

 

「修さんですか」

 

「一度、紹介していただきたい」

 

 澪は、カップを両手で包んだ。

 

 修さんなら、これまでにも白金や小金貨を扱ってくれている。

 

 いきなり知らない会社へ持ち込むより、ずっと安心できる。

 

 ただし、三キログラムという量は、これまでと同じ顔で相談できるものではない。

 

「会社へ、いきなり持っていくんですか」

 

「いや」

 

 真壁は、静かに首を振った。

 

「荷を預ける相手とは、先に顔を合わせておきたい」

 

 そこまでは、真っ当だった。

 

 澪は、少しだけ安心した。

 

 しかし、真壁が収納へ意識を向けたのを見て、すぐに眉を寄せる。

 

 何もなかったはずの手元へ、透明な液体を入れた瓶が現れた。

 

 芋焼酎だった。

 

「それも持っていくんですか」

 

「挨拶へ伺うのでね」

 

「修さん、お酒は好きです」

 

「それは何よりだ」

 

 真壁は、瓶を灯りへ透かした。

 

「まだ若い。だが、話の入口にはなるでしょう」

 

 澪は、瓶と真壁の顔を交互に見た。

 

「白金三キロの話をするために、芋焼酎を持っていくんですよね」

 

「澪君。酒を持っていくことと、酒だけで商談を済ませることは違う」

 

「分かっています」

 

「ならば、問題はありますまい」

 

 澪は、修さんへ連絡するため、スマートフォンを手に取った。

 

 真壁が行き当たりばったりで動いていないことは分かる。

 

 卸会社の見積もりを取り、荷受け区画を見て、輸送費を確認し、税金として残す分まで計算している。

 

 その上で、修さんへ白金を預ける。

 

 すべて順番通りだった。

 

 ただし、その順番の中へ芋焼酎の瓶が自然に入り込んでいることだけは、少しも信用できなかった。

 

 

 

 居酒屋の奥にある四人掛けの席には、焼き魚の香りと、出汁の湯気が漂っていた。

 

 澪の向かい側に座った修さんは、隣にいる真壁へ穏やかな視線を向けている。

 

「修さん。こちらが、以前お話しした真壁さんです。押入商会の仕事を手伝ってもらっています」

 

 真壁は、姿勢を正して頭を下げた。

 

「初めまして。真壁久忠と申します。澪君から、飯島社長には以前より大変お世話になっていると伺っております」

 

 修さんも、穏やかに頭を下げた。

 

「飯島修一郎です。篠原さんから、真壁さんのお名前は伺っています。今日はよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。少々、珍しい荷について相談させていただきたい」

 

 真壁は、すぐには本題へ入らなかった。

 

 料理へ箸を伸ばし、修さんの会社で扱っている素材の話を聞き、必要なところだけを尋ねる。

 

 修さんも、初対面の相手へ言葉を選んでいたが、会話が途切れることはなかった。

 

 澪は、枝豆を一つ口へ運びながら、真壁の足元へ置かれた鞄を見た。

 

 中身は分かっている。

 

 白金ではない。

 

 そちらは、こんな場所へ持ってくるはずがない。

 

 料理が一通り並び、修さんがビールのグラスを置いたところで、真壁は足元の鞄へ手を入れた。

 

 鞄の口元に隠れるようにして、収納から瓶を取り出す。

 

 卓上へ置かれた透明な液体が、店の灯りを受けて静かに揺れた。

 

「手土産です。まだ若い酒ですが、香りを見ていただければ」

 

「芋焼酎ですか」

 

「左様。外国で準備を進めている食品加工事業の試作品です」

 

 真壁は、小さな杯へ少量だけ注いだ。

 

 修さんは、すぐには飲まなかった。

 

 鼻を近づけて香りを確かめ、一口だけ含む。舌の上でゆっくり転がした後、焼き魚へ箸を伸ばす。

 

「まだ荒さはありますが、面白いですね。芋の香りがきちんと残っている」

 

「飯島社長も、そう見られますか」

 

「寝かせる予定ですか」

 

「小樽へ預け、木と時間がどのように働くかを比べています」

 

 修さんは、もう一度だけ杯へ酒を注いだ。

 

「完成したら、一本譲ってください」

 

「酒へ十分な時間を与えた後でよろしければ、喜んで」

 

 澪は、黙って枝豆へ手を伸ばした。

 

 まだ、本題へ入っていない。

 

 それなのに、熟成後の酒を一本取り置く約束だけは、すでに出来上がっていた。

 

 真壁が白金の話をするためだけに酒を持ってきたわけではないことは分かっている。

 

 たぶん、本当に修さんへ飲ませたかったのだ。

 

 ただし、役に立つものを、役に立つ場所へ置くことについて、真壁が妙に抜け目ないのも事実だった。

 

 修さんが杯を置いたところで、真壁は鞄から書類を一枚だけ取り出した。

 

「実は、飯島社長へ相談したいことがあります。貴金属に関する件です」

 

 修さんは、差し出された紙を受け取った。

 

 視線が、食品原料の仕入れ額から、輸送費、荷受け区画の利用料へ移っていく。

 

 澪も、隣から紙を覗いた。

 

 六畳間で見たものと同じ資料だった。

 

 真壁は、修さんが最後まで目を通すのを待った。

 

「今回は、白金を三キログラムほど扱っていただきたい」

 

 修さんの指が止まった。

 

「三キログラムですか」

 

 声は落ち着いていた。

 

 だが、澪には分かった。

 

 白金そのものへ驚いたのではない。

 

 これまで修さんへ相談してきた貴金属と比べ、量が一気に増えている。

 

「左様。無論、突然持ち込むつもりはありません。御社で受け入れられる日と、必要な書類を先に伺いたい。純度についても、改めて確認していただければよろしい」

 

「以前より、かなり量が増えていますね」

 

「外国で食品加工事業を進めておりましてね。その土地では白金が採れる。一部の対価を、素材で受け取っているのですよ」

 

 澪は、枝豆の殻を皿へ置いた。

 

 嘘ではない。

 

 ただし、その外国へ飛行機で行けるかと聞かれたら、少し困る。

 

「今後も必要があれば、事前に相談いたします。相場も、御社の都合も見ずに荷を積み上げるような、無作法な真似はいたしません」

 

 修さんは、書類へもう一度目を落とした。

 

「税理士には相談されていますか」

 

「済ませております」

 

 修さんは少し考えた後、紙を自分の側へ引き寄せた。

 

「分かりました。会社で確認します。受け入れられる日と、必要書類を改めて連絡しましょう。ただし、検査はこれまで通り行います」

 

「無論です。恐れ入ります」

 

 修さんが小さく首を縦へ動かしたのを見て、澪はようやく息を吐いた。

 

 修さんは、卓上の瓶へ視線を戻す。

 

「この酒は、本当に一本取っておいてください」

 

「承知しました」

 

 貴金属の商談は、きちんと会社の手続きへ持ち帰られた。

 

 その一方で、芋焼酎の予約だけは、その場で綺麗に成立している。

 

 真壁は、杯へ残った酒を見ながら、僅かに目を細めていた。

 

 どう見ても、こちらの方が嬉しそうだった。

 

 澪は、枝豆をもう一つ口へ入れた。

 

 修さんを紹介したこと自体は、間違っていない。

 

 たぶん。

 

 ただ、修さんと真壁を酒のある席で会わせたことについては、少しだけ早まった気がした。

 

 

 

 数日後、プラチナ三キログラムは、修さんの会社で正式に買い取られた。

 

 事前に取り決めた日に持ち込み、純度と重量を確認し、必要な書類を揃える。

 

 澪は、修さんの会社から届いた売却記録を机へ置き、ノートパソコンで押入商会の口座を開いた。

 

 表示された金額を見たまま、しばらく動けなかった。

 

「真壁さん」

 

「何かね、澪君」

 

「入っています」

 

「左様」

 

「三千三百万円」

 

「概算通りですな」

 

 澪は、画面から顔を上げた。

 

「修さんと居酒屋へ行った数日後に、三千三百万円が入るんですね」

 

「先に話を通した。酒だけで決まったわけではないよ」

 

「修さんと仲良くなったのは、酒ですよね」

 

 真壁は、否定しなかった。

 

 机の上には、入金記録だけではなく、金の行き先を分けた紙も置かれている。

 

 卸会社へ支払う予約金。

 

 荷受け区画の一日利用料。

 

 輸送費と荷役費。

 

 税金として残す分。

 

 今後の支払いへ備え、押入商会の口座へ残す分。

 

 白金を売ってから、使い道を考えたのではない。

 

 何へ、いくら必要になるのか。

 

 どこまでを今回の仕入れへ使い、どこから先を残すのか。

 

 真壁は、先に決めていた。

 

 澪は、売却記録へもう一度目を落とした。

 

 以前なら、口座へ入った金額の大きさだけで混乱していたと思う。

 

 いまも、混乱していないわけではない。

 

 けれども、次に何を確認すべきかは分かる。

 

「追加で売るんですか」

 

「必要はない」

 

 真壁は、淡々と答えた。

 

「今回動かす分には足りる。白金は、考えもなく崩すものではありませんな」

 

 澪は、振込画面を開いた。

 

 卸会社の名前を確かめる。

 

 金額を確認する。

 

 一度だけ息を整え、振込を実行する。

 

 数秒後、完了を示す文字が画面へ出た。

 

 以前なら、真壁へ任せたかもしれない。

 

 だが、押入商会の口座から金を動かす仕事は、澪が自分で確認しなければならない。

 

 真壁は、机の端へ置かれた鍵を手に取った。

 

「荷受け区画も、正式に押さえた」

 

 澪は、鍵を見る。

 

「一日だけですよね」

 

「左様。朝から荷を入れ、数を確かめ、外の者が帰った後で収める。夕方には返せる」

 

「無駄がないですね」

 

「空の床へ賃料を払い続ける趣味はないのでね」

 

 澪は、小さく息を吐いた。

 

 前回は、二トンの芋を真壁が取りに行った。

 

 今度は、二十六トンの芋と六・五トンの大豆が来る。

 

 同じやり方では扱えない。

 

 しかし、だからといって、倉庫を長く借り続ける必要もない。

 

 使うのは一日だけ。

 

 必要な仕事にだけ、必要な金を払う。

 

 真壁は、鍵を澪へ渡した。

 

「見ておきますかな」

 

「今からですか」

 

「荷が届いてから、置き方を考える方が不自然でしょう」

 

 澪は、鍵を握った。

 

 小さな金属片だった。

 

 それでも、三十トンを超える荷を、一日だけ受け止めるための鍵である。

 

 

 

 荷が届く日の朝、倉庫はまだ静かだった。

 

 澪が鍵を回し、真壁と一緒にシャッターを上げる。

 

 金属音が、空の建物の奥へ響いた。

 

 中には、まだ何も置かれていない。

 

 澪は、入口から数歩進んだ。

 

 六畳間で紙の上に書かれていた数字が、初めて広さを持ったように感じる。

 

 ここへ、芋が入る。

 

 大豆が入る。

 

 塩と麹に関わる資材も届く。

 

 トラックから下ろされた荷を数え、札を確認し、伝票と照合する。

 

 外部の作業が終われば、真壁が収納へ収める。

 

 夕方には、また空になる。

 

 澪は、ノートを開いた。

 

「入口に近い方へ、芋を置きます」

 

「よろしいでしょう」

 

「大豆は奥へ。塩と資材は壁際へ分けます」

 

「悪くない」

 

「荷札は、色を変えます。入庫した時刻も書いた方がいいですね」

 

 真壁は、細かく指示を出さなかった。

 

 澪が床を見て、自分で考え、ノートへ線を引くのを待つ。

 

 以前なら、真壁が決めたことを聞き、頷いていただけかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 澪は、搬入口から床へ視線を動かす。

 

 荷役をする人が歩く場所を残す。

 

 箱を数えやすいように、列を分ける。

 

 札を確認する時、奥まで入り込まなくても済むように置く。

 

 真壁が収納へ入れる順番も考える。

 

「ここまでを、一つの区画にします」

 

「うむ」

 

「全部入ったら、かなり埋まりますよね」

 

「それなりには」

 

「それなり、ではないです」

 

 澪は、ノートから顔を上げた。

 

「三十トンを超えています」

 

「数字としてはね」

 

「真壁さんは、収納に入れるだけだから平然としていられるんです」

 

「それだけではない」

 

 真壁は、空の床へ目を向けた。

 

「ここまで荷を運ぶ者がいる。荷を揃える者がいる。数を確かめ、伝票を残す者がいる。収納へ入る前にも、仕事はある」

 

 澪は、真壁の横顔を見た。

 

「払うべき値は払う」

 

 真壁は、静かに続けた。

 

「だが、空の倉へ賃料を払い続ける必要はない。こちらの都合で、相手の仕事まで奪う必要もない。使うべきものを、使う時だけ使う。それでよい」

 

 澪は、ノートへ最後の線を書き込んだ。

 

 卸会社が荷を揃える。

 

 輸送業者が、この入口まで運ぶ。

 

 荷受け区画で、数量と伝票を確認する。

 

 真壁が収納へ収める。

 

 夕方には、空の倉庫を返す。

 

 押入商会は、ただ荷を買うだけではなくなっていた。

 

 荷が流れる道を作り、その道へ必要な金を払う。

 

 その上で、自分たちにしか出来ないことだけを引き受ける。

 

「これで、足りますか」

 

 澪が尋ねると、真壁は、ノートへ書かれた線を見た。

 

「よろしいでしょう」

 

「本当に、ここへ全部来るんですね」

 

「左様」

 

 真壁は、まだ何も置かれていない床へ視線を向けた。

 

「空いているのは、いまだけですな」

 

 澪は、ノートを閉じた。

 

 広い倉庫の中へ、紙が重なる小さな音だけが響いた。

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