押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第124話 一トンのついで

 

 大学から戻った澪は、六畳間のローテーブルへノートを広げていた。

 

 講義で配られた資料を右へ寄せ、ゼミの連絡事項を書いた紙を左へ置く。提出期限をノートへ移した後、スマートフォンの予定表と見比べる。

 

 机の端には、大学とは関係のない帳面もあった。

 

 リュシア食品会社へ入れた出資金。

 

 現代で買い付けた芋と豆。

 

 麹や塩、発酵に使う資材。

 

 家具屋へ納めた木工品の控え。

 

 押入商会の仕事は、講義のない日だけ待ってくれるものではなかった。

 

 澪が、次の資料へ手を伸ばした時だった。

 

 押し入れの奥で、空気の揺れる気配がした。

 

 顔を上げる。

 

 真壁が、異世界側から六畳間へ戻ってきた。

 

「お帰りなさい。早かったですね」

 

「うむ」

 

 真壁は、押し入れから降りると、ジャケットの裾を整えた。

 

「進める前に、君へ確認しておくべき荷が出た」

 

 澪は、手に持っていた紙をそっと机へ戻した。

 

「確認してから進めるんですね」

 

「後から聞かせて、君を困らせるほど品のないことはしない」

 

「前にも、同じ判断をしてほしかったです」

 

「今後へ活かしている」

 

「反省したとは言わないんですね」

 

 真壁は否定しなかった。

 

 澪は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

 何を持ち帰ったのかは怖い。

 

 けれど、先に報告へ戻ってきた。

 

 それだけでも、以前よりは安心できる。

 

 真壁は、ローテーブルの向かいへ座った。

 

 六畳間の小さな生活机が、報告の始まる時だけは、押入商会の会議机になる。

 

「リュシア君の会社分は、納めてきた。芋と豆、塩、麹関係の荷も、帳面へ入っている」

 

「仕込みは回せそうですか」

 

「当面はね。試作の場所から、繰り返し作る場所へ変わり始めている」

 

 澪は、小さく頷いた。

 

「良かったです」

 

「リュシア君も、無料で荷を受け取る会社にはしないと言っていた。仕入れた分は、自分の帳面へ入れている」

 

「リュシアさんらしいですね」

 

 押入商会が出資した会社ではある。

 

 だからといって、何もかも無償で渡し続ければよいわけではない。

 

 芋を買う。

 

 豆を買う。

 

 加工する。

 

 売る。

 

 次の仕込みへ戻す。

 

 それが回り始めて、ようやく会社になる。

 

 澪は、帳面の端へ短く印を付けた。

 

「残りの芋と豆は、どうしましたか」

 

「まだ動かしていない。銀鹿山の横坑を蔵へ整えてからだ」

 

「置ける場所は、見つかったんですよね」

 

「見つかった」

 

 真壁は、少しだけ顎を引いた。

 

「だが、穴へ放り込めば済む荷ではない。入口を補強する。床を見て、棚と箱を入れる。鼠避けも要る。出し入れする者と、見回る者も決める」

 

「食品会社の樽も、置くんですよね」

 

「左様。農政の荷とは区画を分ける。リュシア君の会社は、借りる分の使用料と管理費を払うそうだ」

 

 澪は、少しだけ笑った。

 

「そこも、リュシアさんらしいです」

 

「無料の蔵は、長く続かない。直す者にも、見る者にも、仕事が残る」

 

「分かりました。蔵を整えてから運んでください」

 

「その筋で進める」

 

 真壁は、そこで一度言葉を切った。

 

 澪は、何となく分かってしまった。

 

 ここまでが前置きである。

 

 本題は、まだ来ていない。

 

「もう一つある」

 

「やっぱりですか」

 

「麻袋八十袋を分けた結果だ」

 

 真壁の声は、いつもどおり落ち着いていた。

 

「白金が四十八キログラム。チタン系の原料と、タングステン系の鉱物も出た」

 

 澪の指が止まった。

 

「すみません」

 

 ノートの上に置いていたペンを、ゆっくり机へ戻す。

 

「最初の数字を、もう一度お願いします」

 

「白金が四十八キログラム」

 

「聞き間違いではなかったんですね」

 

「聞き違えるには、少々重い」

 

「物理的にも重いです」

 

 澪は、額へ手を当てた。

 

 白金三キログラムを修さんの会社へ売却しただけでも、金額を見てしばらく固まった。

 

 今度は、四十八キログラムである。

 

 聞かなかったことにして、大学の資料へ戻りたい。

 

 戻れない。

 

「全部、売るんですか」

 

「そのような荒い動かし方はしない」

 

 真壁は、穏やかに答えた。

 

「白金は、必要になった時に修君へ相談する。今回出た分は、備蓄として残す」

 

「良かったです」

 

 心から言った。

 

「チタンについては、東都特殊金属試作へ持ち込む。既存の枠があるからね」

 

「毎月一トンの分ですね」

 

「うむ。今回の黒砂から取れた分だけでは足りない。採石場側で保管しているチタンも足して、品質を揃える」

 

 真壁は、澪の顔を見た。

 

「タングステン系の鉱物も、七キログラムほどある。こちらも、同じ会社へ持ち込んでみたい」

 

「七キログラム」

 

「少量だがね」

 

 澪は、返事をする前に、一度だけ深く息を吸った。

 

 真壁は、すぐに話を進めなかった。

 

 待っている。

 

 押入商会の代表として、澪が答えるのを待っている。

 

「売却手配を進めてもよろしいかな」

 

 澪は、背筋を伸ばした。

 

「はい。お願いします。ただし、全部を一度に動かさないでください」

 

「無論。相場へ皺を寄せるほど急ぐ理由はない」

 

「あと、金額だけ後から報告するのも、やめてください」

 

「今回は、先に報告している」

 

「そこは、ありがとうございます」

 

 澪は、少し迷ってから付け加えた。

 

「本当に、今後もお願いします」

 

「心得た」

 

 真壁は、静かに頷いた。

 

 それから、六畳間の端へ置かれた電気ケトルへ目を向ける。

 

「ところで、茶を淹れてもよろしいかな」

 

「それは、確認しなくても大丈夫です」

 

「そうかね」

 

「そこまで慎重になってほしいわけではありません」

 

 

 

 翌朝。

 

 六畳間のローテーブルには、灰色の名刺が置かれていた。

 

 東都特殊金属試作株式会社。

 

 営業技術部課長。

 

 鷺沼佳樹。

 

 その隣には、今月分のチタンについてまとめた書類がある。

 

 さらに、小型の密閉容器が一つ。

 

 容器だけを見れば、大した大きさではなかった。

 

 澪は、大学へ持っていく鞄の口を閉じながら、その容器を見た。

 

「これが、タングステンですか」

 

「タングステン系の鉱物だ。七キログラムほどある」

 

「昨日の白金四十八キロを聞いた後だと、少しだけ安心します」

 

「一トンのチタンと比べても、少量だ」

 

「一トンという言葉に、慣れたくないです」

 

「慣れれば、帳面が軽くなる」

 

「金属の方は軽くなりません」

 

 真壁は、小型容器の蓋を確かめた。

 

「こちらも、実際に重い」

 

「そういう意味ではありません」

 

 澪は、鞄を肩へ掛けた。

 

 今日も大学がある。

 

 ゼミの課題も残っている。

 

 毎月の取引が成立している会社へ、チタンを納めるたびに同行する必要はない。

 

 けれど、念を押しておく必要はある。

 

「タングステンの方は、その場で長期契約まで決めないでください」

 

「今回分の買い取りまでだ」

 

「本当にお願いします」

 

「君の許可なく、長期の荷を決めるつもりはない」

 

 真壁は、灰色の名刺を書類の上へ重ねた。

 

「次の荷が見えていない段階で、量を約束するのも品がない」

 

「少しずつ、安心できる真壁さんになってきました」

 

「以前から、安心できる男だがね」

 

「そこは、まだ保留です」

 

 澪は玄関へ向かった。

 

 靴を履き、ドアを開ける前に振り返る。

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。講義を疎かにしないように」

 

「真壁さんも、商談を勝手に広げないように」

 

「心得ている」

 

 澪は、今度こそ玄関を出た。

 

 階段を降りながら、少しだけ考える。

 

 真壁が、自分に確認してから動くようになった。

 

 それは、ありがたい。

 

 とてもありがたい。

 

 問題は、確認される数字の単位が、少しずつおかしくなっていることである。

 

 

 

 東都特殊金属試作株式会社は、駅から少し歩いた場所にあった。

 

 派手な看板はない。

 

 古いビルの階段を上がり、事務所の奥へ通される。

 

 会議室の机も、椅子も、真新しいものではなかった。

 

 けれど、机の上には余計な物がない。

 

 資料を置く場所。

 

 筆記具。

 

 確認済みの書類を重ねる場所。

 

 扱う材料と同じように、必要なものだけが整えられている。

 

「真壁さん、お待ちしていました」

 

 鷺沼佳樹は、立ち上がって真壁を迎えた。

 

「今月分ですね」

 

「うむ。一トンです」

 

 真壁は、書類を机へ置いた。

 

「従来の品質に揃えてある」

 

 鷺沼は、慣れた手つきで資料をめくった。

 

 初めて会った時のように、試料の由来から細かく確認する必要はない。

 

 秘密保持の話も、供給可能量の探り合いも、すでに済んでいる。

 

 品質を揃えたチタンを、毎月最大一トンまで。

 

 今月も、その道へ荷を載せるだけだった。

 

「ありがとうございます。従来どおり、受け入れ後に確認します」

 

「結構」

 

「九月最終日の納入として処理します。単価も、これまでどおりで」

 

 鷺沼は、書類の端へ印を付けた。

 

 一キログラム、一万二千円。

 

 一トンで、一千二百万円。

 

 数字は大きい。

 

 だが、既存の取引である。

 

 鷺沼も、そこでは表情を変えなかった。

 

 真壁は、書類を一度確認した後、鞄へ手を入れた。

 

「もう一つ」

 

「はい」

 

「ついでに、こちらも見ていただけますかな」

 

 机の上へ、小型の密閉容器が置かれた。

 

 鷺沼は、すぐには手を伸ばさなかった。

 

 容器の脇へ添えられた紙へ、先に目を落とす。

 

「何でしょう」

 

「タングステン系の鉱物です」

 

 鷺沼の指が止まった。

 

「タングステンですか」

 

「うむ。少量ですが、御社で扱えますかな」

 

「少量というと」

 

「七キログラムほど」

 

 鷺沼は、密閉容器を見た。

 

 次に、真壁を見る。

 

 もう一度、容器へ視線を戻した。

 

「七キログラムを、ついでに持ち込まれたのですか」

 

「チタン一トンと比べれば、少量でしょう」

 

「比較する相手がおかしい」

 

 鷺沼は、小さく息を吐いた。

 

 だが、驚いて終わらない。

 

 容器へ添えられた記録を読み、選別の状態を確かめる。

 

「金属化は、まだですね」

 

「鉱物として分けた段階だ。そちらでも、品位を見ていただきたい」

 

「継続して出せますか」

 

「今の段階で量を約束するのは、少々荒い。まずは、今回の七キログラムでよいでしょう」

 

「分かりました」

 

 鷺沼は、記録を机へ置いた。

 

「このところ、レアメタルの調達は厳しくなっています。七キログラムでも、品質の読める材料ならありがたい」

 

「では、今回分をお願いしたい」

 

「社内でも確認しますが、この状態であれば、一キログラム一万二千円で買い取れます」

 

「結構」

 

 真壁は、僅かに顎を引いた。

 

「継続分は、次の荷が見えてから相談しましょう」

 

「こちらも、その方が助かります」

 

 鷺沼は、密閉容器を丁寧に机の奥へ寄せた。

 

「しかし、真壁さん」

 

「何かね」

 

「次に何かを『ついでに』お持ちになる時は、できれば先に一報ください」

 

「何故ですかな」

 

「心の準備が要ります」

 

「左様か」

 

 真壁は、少しだけ考えた。

 

「善処しましょう」

 

 鷺沼は、その返事を聞いても、完全には安心しなかった。

 

 

 

 九月最終日の夕方。

 

 大学から戻った澪は、ローテーブルの上を片付けていた。

 

 ゼミの資料を一度端へ寄せる。

 

 代わりに広げたのは、押入商会の九月分の帳面だった。

 

 真壁が渡した売却資料。

 

 振り込み予定の控え。

 

 レシート。

 

 中古ハイエースの購入書類。

 

 芋と大豆の仕入れに関する請求書。

 

 家具屋へ納めた木工品の控え。

 

 六畳間は、変わらず六畳間である。

 

 ベッドもある。

 

 大学の教科書もある。

 

 壁際には、普段使いの鞄が置かれている。

 

 けれど、ローテーブルへ帳面と電卓を並べると、そこだけが会社の机になった。

 

「まず、白金からですね」

 

 澪は、先日の控えを開いた。

 

 修さんの会社へ売却した白金は、三キログラム。

 

 書類の金額を確認し、帳面へ書き移す。

 

「四千四百万円……」

 

 もう、一度聞いた数字だった。

 

 それでも、書く時には手が少し止まる。

 

「次が、チタン」

 

 東都特殊金属試作株式会社の控えを重ねる。

 

 一キログラム、一万二千円。

 

 数量は、一トン。

 

 澪は、電卓を叩いた。

 

「一千二百万円」

 

「従来どおりの条件だ」

 

 真壁は、向かい側で茶を淹れていた。

 

「その『従来どおり』にも、慣れたくないです」

 

「帳面は、慣れてからが仕事になる」

 

「頭では分かっています」

 

 澪は、もう一枚の控えへ指を伸ばした。

 

「タングステン系の鉱物が、七キログラム。単価が一万二千円だから……八万四千円」

 

「うむ」

 

「一トンの隣へ置くと、小さく見えるのが怖いです」

 

「少量だからね」

 

「普通に考えてください」

 

 澪は、帳面へ八万四千円を書き込んだ。

 

 川へ捨てられていた砂から出てきた鉱物である。

 

 白金と比べれば小さい。

 

 チタン一トンと比べても小さい。

 

 けれど、決して軽く扱ってよい数字ではない。

 

 澪は、帳面の前の頁へ戻った。

 

「家具の分もありますよね」

 

「無論」

 

 家具屋へ納めた品の控えは、一枚ではなかった。

 

 椅子。

 

 棚。

 

 木箱。

 

 小物。

 

 少しずつ出荷された品が、月末の控えへまとめられている。

 

 澪が異世界側へ行っていない日にも、工房は止まっていない。

 

 親方たちは、木材を見て、削り、組み、手触りを確かめる。

 

 子供たちも、自分にできる仕事を持っている。

 

 小物へ布を当てて磨く。

 

 箱へ収める。

 

 包みを整える。

 

 品名を書いた札を結ぶ。

 

 大きな家具を作れなくても、売り物を店へ出せる形にする仕事はある。

 

 澪は、家具屋から届いた控えの合計を確かめた。

 

「家具と木工品が、七百二十万円」

 

 ペン先を、少しだけ紙の上で止める。

 

 白金のように、一つの塊へ大きな値段が付いた品ではない。

 

 親方たちと子供たちが、毎日少しずつ積み上げた売上だった。

 

「見ていないところでも、皆さんが働いているんですね」

 

「店に並ぶまでには、幾つもの手を通る」

 

 真壁は、湯呑みを澪の側へ置いた。

 

「派手な荷だけを見ていては、商会の帳面が痩せる。家具の分も、きちんと残しておこう」

 

「はい」

 

 澪は、七百二十万円という数字を、ほかの数字より少し丁寧に書いた。

 

 それから、電卓を手元へ寄せる。

 

 白金。

 

 チタン。

 

 タングステン。

 

 家具と木工品。

 

 キーを押す音が、六畳間へ小さく響く。

 

 表示された数字を見て、澪は黙った。

 

「六千三百二十八万四千円……」

 

「九月の売上としては、その程度になる」

 

「その程度という言い方は、やめてください」

 

「家具の分も含めれば、悪くない月だ」

 

「悪くないどころではありません」

 

 澪は、帳面を閉じなかった。

 

 売上だけを見て安心してはいけない。

 

 今月は、出ていった金額も大きい。

 

 中古ハイエースの購入書類を手に取る。

 

 本体だけではない。

 

 登録。

 

 初期整備。

 

 必要なものを足して、二百五十万円。

 

「ハイエースだけで、二百五十万円」

 

「必要な車両だ」

 

「必要なのは分かっています」

 

 澪は、次の請求書を見た。

 

 紙へ書かれた数量を見て、もう一度見る。

 

「芋が、二十トン」

 

「うむ」

 

「豆が、五トン」

 

「農政用も含めている」

 

「分かっています。分かっていますけど、買い物の単位ではないです」

 

「食品会社と農政の荷だからね」

 

 澪は、電卓を叩いた。

 

 芋は、四百四十万円。

 

 豆は、二百十万円。

 

 塩の請求書を重ね、麹や種麹、発酵に使う資材の控えも横へ置く。

 

 輸送費。

 

 荷下ろし。

 

 短期間だけ荷を受ける場所に掛かった費用。

 

 袋や札、衛生用品。

 

 家具を作った工房へ戻す材料費と手間賃。

 

 梱包と配送に掛かった費用。

 

 一枚ずつ確かめる。

 

 帳面へ書く。

 

 電卓を叩く。

 

 澪は、最後の控えを脇へ置いた。

 

「今月、口座から出た分が、一千三百二十八万円」

 

「うむ」

 

 澪は、売上の合計から差し引いた。

 

 電卓の表示を見る。

 

 指が止まった。

 

「五千万四千円……」

 

 もう一度、打ち直す。

 

 表示は変わらない。

 

「故障ではないよ」

 

「分かっています」

 

「ならば、三度目は不要だ」

 

「確認したくもなります」

 

 澪は、電卓を机へ置いた。

 

「五千万円も残るんですよ」

 

「口座の出入りとしてはね」

 

 真壁は、そこで一度言葉を切った。

 

「だが、そのまま利益と呼ぶのは早い」

 

「ハイエースが残るからですか」

 

「それもある。芋と豆も、まだ荷だ。食品会社へ回した分もあれば、蔵へ入れる分もある。次の仕入れも要る」

 

「税金もありますよね」

 

「無論」

 

 真壁は、帳面へ視線を落とした。

 

「明石君へ回す。税の分まで先に使うほど、品のないことはしない」

 

 澪は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「それを聞いて、安心しました」

 

「以前から、安心できる男だがね」

 

「そこは、まだ保留です」

 

 澪は、九月分の帳面を見直した。

 

 一行の数字だけを見れば、大きな売上だった。

 

 けれど、その一行の中には、幾つもの場所がある。

 

 修さんへ渡した白金。

 

 秘密基地に置いていた分も足して、一トンへ揃えたチタン。

 

 麻袋八十袋から見つかったタングステン。

 

 親方たちと子供たちが作った家具と木工品。

 

 現代で買い付けた芋と豆。

 

 これから荷を待つ銀鹿山の横坑。

 

 澪が見ていない時にも、仕事は動いている。

 

 数字の後ろには、人の手がある。

 

「家具の分は、工房へ戻す材料費と、手間賃が分かるようにしておきます」

 

「うむ」

 

「子供たちの仕事に回す分も、分けたいです」

 

「売上は、残った金だけを見るものではない」

 

 真壁は、湯呑みを持ち上げた。

 

「次の仕事へ戻せて、初めて道になる」

 

「はい」

 

 澪は、帳面を閉じた。

 

 その上へ、電卓を置く。

 

「大学の課題をやる前に見る数字ではなかったです」

 

「先に見たから、課題へ戻れる」

 

「しばらく電卓を見たくありません」

 

「それは困るな。十月も帳面は動く」

 

「今は聞かなかったことにします」

 

 

 

 夜。

 

 セルマは、自分の工房へ戻っていた。

 

 作業台の端には、リュシア食品会社から持ち帰った小箱が置かれている。

 

 蓋を開ける。

 

 灯りを受けて、色の異なる石が静かに光った。

 

 真壁が分けた試料。

 

 小粒のまま残したもの。

 

 熱に耐えるか確かめるためのもの。

 

 錬金でまとめられた石の欠片。

 

 セルマは、すぐには手を伸ばさなかった。

 

 先に、自分の工房を見回す。

 

 壁際の棚。

 

 薬草の束。

 

 抽出を終えた後、底へ沈殿物の残った瓶。

 

 色が揃わず、端へ寄せた顔料。

 

 失敗作と書いた札を付け、蓋を閉じた容器。

 

 これまでは、同じものとしてまとめていた。

 

 使えないものとして、端へ置いていた。

 

 真壁は、川へ捨てられていた砂を分けた。

 

 白金。

 

 金。

 

 チタン。

 

 宝石。

 

 鍛冶屋へ渡すもの。

 

 持ち帰って売るもの。

 

 触らず隔離するもの。

 

 混ざっているから価値がないのではない。

 

 分けていないから、まだ使い道が見えていない。

 

 セルマは、棚の奥へ手を伸ばした。

 

 底に沈殿物の残った瓶を、一つ取り出す。

 

 札には、失敗品と書いてある。

 

 以前なら、その文字を見て、そのまま戻していた。

 

 今夜は違った。

 

 瓶を、作業台の中央へ置く。

 

 その隣へ、空の小箱を並べる。

 

「……まず、分けるところからね」

 

 工房の棚は、昨日までと同じだった。

 

 けれど、セルマの目には、もう同じ棚には見えなかった。

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