押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

127 / 129
第127話 錬金術師の薬

 

 翌朝、孤児院の裏手へ回った澪は、昨日と同じ場所で、もう一度足を止めた。

 

 教会の石壁へ沿って歩いてきた親方たちも、澪の横で立ち止まる。

 

 朝の薄い光を受けた別棟は、昨日よりも落ち着いて見えた。縦長の窓や、小さな庇の付いた入口は、隣に建つ教会の雰囲気を壊さないよう整えられている。外壁も、周囲の建物と馴染むよう、西欧風の意匠に揃えられていた。

 

 ただし、周囲へ馴染ませたところで、大きさまで控えめになるわけではない。

 

 三階まで規則正しく並んだ窓を目で追い、澪は首を上へ傾けた。

 

 昨日、真壁は、地下にも三階分の空間があると言っていた。しかも、地下はかなり広く取っているらしい。

 

 病人を健康な子供たちから分けるための離れが必要だと聞いて、授業をしている間に建ててきた建物である。

 

 言葉だけを順番に並べれば、何も間違ってはいない。

 

 けれど、離れと呼ばれて想像する規模ではなかった。

 

「嬢ちゃん」

 

 隣で建物を見上げていた親方が、低い声で尋ねた。

 

「これが、昨日言ってた離れか?」

 

「はい」

 

「昨日までは、ここ、空き地だったよな?」

 

「はい」

 

 親方は、念を押すように澪を見る。

 

「いつ建てたんだ?」

 

 澪は、少し離れた場所に立つ真壁へ視線を向けた。

 

 真壁は、親方たちの視線を受けても、特に困った様子を見せない。背筋を伸ばし、静かに別棟を見ている。

 

「私が授業をしている間です」

 

「授業ってのは、どれくらいだ」

 

「一時間よりは、少し長かったと思います」

 

 親方は、髭の生えた顎へ手を添えた。

 

 何かを言おうとして、途中で諦める。

 

「まあ、いい。小さく作り直せと言われても困る。中を見せてくれ」

 

 切り替えが早かった。

 

 押入家具の親方たちは、真壁と付き合ううちに、驚いたところで仕事が減るわけではないと学び始めているのかもしれない。

 

 澪は、重い扉を開けた。

 

 靴音が、まだ何も置かれていない廊下へ硬く響く。

 

 外から見れば石造りに近い雰囲気だが、内部は鉄筋コンクリートで造られている。真っすぐ延びた廊下の左右には、療養室として使える部屋が並び、窓から差し込む朝日が、白い床へ細長く落ちていた。

 

 親方たちは、壁へ触れたり、窓枠を確かめたりしながら、廊下を進んでいく。

 

「頑丈だな」

 

「壁も真っすぐだ」

 

「柱の位置も悪くねえ」

 

 昨日の澪は、建物の大きさに圧倒され、それ以上を考える余裕がなかった。

 

 けれど、親方たちと一緒に部屋へ入ると、別のことが見えてくる。

 

 建物は完成している。

 

 それでも、このままでは病気の子供を休ませられない。

 

 療養室の床には、寝台が一つもない。窓際にも、壁際にも、看病に使える家具は置かれていない。

 

「寝台が必要ですよね」

 

 澪が呟くと、一人の親方が、部屋の奥まで歩いていった。

 

 窓枠へ手を当て、壁際から廊下側までの距離を目で測る。別の親方は、巻尺を広げ、床へしゃがみ込んだ。

 

「寝台だけじゃ足りねえな。看病する奴が座る椅子も要る。水差しを置く台もあった方がいい」

 

「窓の前は空けておこう。風を通す時に邪魔になる」

 

「使った布と、まだ綺麗な布は、同じところへ置かねえ方がいいんだろ?」

 

 澪は、昨日、子供たちへ行った授業を思い出した。

 

 病気になった子供が悪いわけではない。

 

 けれど、病を広げないためには、使う物を分けなければならない。

 

「はい。病気の子供が使う杯や匙も、普段使う物とは分けたいです」

 

「なら、棚にも印を付けよう。文字を読めない子が見ても、間違えないようにした方がいい」

 

「お願いします」

 

 澪が頭を下げると、親方たちは、もう建物が一晩で現れた理由を尋ねなかった。

 

 窓の位置を確かめ、寝台を置く間隔を測り、看病する者が夜中に歩いても、角へ足をぶつけない幅を残す。紙の端へ簡単な図を描き、必要な家具を書き加えていく。

 

 見慣れない建物を前に立ち尽くしていた顔が、いつの間にか職人の顔へ変わっていた。

 

 澪は、その様子を見ながら、孤児院の寝室を思い出した。

 

 男女別に分かれた二つの寝室では、それぞれ二十二人の子供が眠っている。粗末な木製ベッドは、一部屋に十四台。幼い子供は、年上の子供や同じ年頃の子供と同じ寝台へ入り、互いの体温で寒さをしのいでいた。

 

「あの、孤児院の寝室へ置く二段ベッドも、作っていただけませんか」

 

 澪が頼むと、親方の一人が巻尺を巻き戻しながら頷いた。

 

「ああ。そっちは、前に見せてもらった部屋だな」

 

「小さな子供も使います。上から落ちないように出来ますか」

 

「柵を付ける。梯子も、足を掛けるところを広くしよう。夜中に降りることを考えると、高くしすぎない方がいいな」

 

 親方は、紙へ二段ベッドの形を描き始めた。

 

 上下へ太い線を引き、上段の脇へ柵を足す。梯子の足掛かりを少し広く取った後、鉛筆の先で紙を軽く叩いた。

 

「向こうの工房で全部組んでから運ぶより、ここへ材を持ってきた方がいい」

 

「ここで作るんですか」

 

 親方は、廊下の先にある広い空き室の扉を開けた。

 

 療養室として使うには広すぎるが、作業台をいくつか置いても、人が動く余裕は十分に残る。窓もあり、木屑を外へ掃き出すことも出来そうだった。

 

「粗く切るところまでは、いつもの工房でやる。仕上げと組み立ては、こっちだな。実際に置く部屋を見ながら直せるし、大きな寝台を完成した形で運ばなくて済む」

 

「それがよいでしょう」

 

 真壁が、親方の提案へ静かに頷いた。

 

「必要な道具を入れ、当面はこちらを作業場として使ってください」

 

 話がまとまりかけたところで、入口の方から、小さな声が聞こえた。

 

「僕たちのベッド?」

 

 澪が振り返る。

 

 開いた扉の向こうから、孤児院の子供たちが何人も顔を覗かせていた。

 

 昨日、銀色のアルミポンチョを羽織り、騎士のようだと笑われていたトトもいる。年長の子供たちは遠慮がちに室内を見ていたが、その後ろでは、小さな子供が何とか中を覗こうと背伸びをしていた。

 

「ここで作るの?」

 

「僕も出来るよ」

 

「木を切れる」

 

「お前には、まだ早い」

 

 親方が笑う。

 

 追い払うことはしなかった。

 

 代わりに、図を描いた紙を少し持ち上げる。

 

「刃物は、俺たちが使う。手伝いたい奴には、ほかの仕事を頼む」

 

「どんな仕事?」

 

「削った材を布で拭く。角が痛くないように磨く。長さの違う材を分ける。札も付けてもらう。字が書ける奴は、寸法を控える仕事もある」

 

 子供たちは、互いの顔を見合わせた。

 

 自分に出来そうな仕事を探すように、親方の手元と、空いた部屋を交互に見る。

 

 小さな子供の一人が、床へ置かれていた端材へ手を伸ばした。親方は止めず、表面を撫でさせた後、ざらついている場所を指先で教える。

 

「ここを磨く。手を痛くしないように、ゆっくりな」

 

「うん」

 

 子供は、真剣な顔で頷いた。

 

 澪は、その様子を見ながら、少しだけ迷った。

 

 孤児院の子供たちが使う家具を作るために、その子供たち自身へ働かせる。

 

 手伝ってもらうことが悪いとは思わない。

 

 けれど、無償で働かせてよいのだろうか。

 

「真壁さん」

 

 澪が小声で呼ぶと、真壁は、既に何を考えているのか分かっていたように視線を向けた。

 

「子供たちにも、働いてもらうんですか」

 

「無償で働かせるわけではありません」

 

 真壁は、作業場になる空き室へ集まり始めた子供たちを見ながら答えた。

 

「見習い仕事として帳面へ付け、働いた分は支払います。材料費も、親方たちの手間賃も、商会で持ちましょう」

 

「子供たちにも、お給料を出すんですね」

 

「働いた者へ、働いた分を返す。先月も、そうしたでしょう」

 

 澪は、押入家具で働くミラ、ピナ、トルへ給金袋を渡した日のことを思い出した。

 

 真壁は、採寸へ戻った親方たちと、仕事の説明を聞いている子供たちへ目を向ける。

 

「家具を多少安く揃えられるというだけではありません。親方たちの仕事を間近で見れば、木工に向く者も分かる。全員が家具職人になる必要はありませんが、何人かが技術を覚えてくれれば、先々の人手にも困らない」

 

「孤児院の子供たちにも、将来の仕事が出来ます」

 

「ええ。慈善だけでは長く続きません。仕事として続けられる形にしておいた方がよいでしょう」

 

 澪は、端材を磨こうとしている子供と、その手元を見守る親方を見た。

 

 昨日まで空っぽだった部屋へ、少しずつ人の動きが生まれている。

 

 孤児院は、家具を寄付してもらうだけではない。

 

 子供たちは、出来る仕事を覚え、その分の給金を受け取る。木工に向く者がいれば、将来、押入家具で働けるかもしれない。

 

 押入家具にとっても、先々の職人を育てる機会になる。

 

 ただし、その分だけ、現代側へ出す家具は減る。

 

「真壁さん。十月の出荷は、少なくなりますよね」

 

「ええ。親方たちの手を、こちらへ回しますからな」

 

「売上も下がります」

 

「下がります」

 

 真壁は、誤魔化さなかった。

 

 先月の家具売上は大きかった。

 

 異世界の貨幣を、現代側で使える円へ変えるためにも、家具の出荷は重要な仕事だった。

 

 けれど、今月も同じように出荷量だけを追えば、子供たちの寝床と療養室の整備が遅れる。

 

 澪は、図面へ顔を寄せる親方たちと、手伝える仕事を尋ねている子供たちを見た。

 

 少しだけ息を吸う。

 

「今月は、こちらを優先してください」

 

 自分で言った後、胸の奥が少しだけ緊張した。

 

 売上が下がると分かった上で、決める。

 

 以前の自分なら、真壁へ判断を預けていたかもしれない。

 

 真壁は、澪の顔を見た後、僅かに目を細めた。

 

「承知しました」

 

 

 

 

 

 別棟を出ると、教会の石壁へ当たる光が、朝よりも少しだけ強くなっていた。

 

 作業場として使う部屋には、これから木材と道具が運び込まれる。

 

 親方たちは、必要な材の量を計算し、子供たちは、自分たちにも出来る仕事を相談している。

 

 寝台は、出来る。

 

 二段ベッドも、棚も、椅子も、少しずつ揃っていく。

 

 澪は、そう考えながら歩き始めた。

 

 けれど、数歩進んだところで、昨日見た古い帳面が頭へ浮かんだ。

 

 擦れた革の表紙。

 

 司祭様が頁をめくる手。

 

 そこへ残されていた、もう顔を見ることの出来ない子供たちの名前。

 

 昨年、司祭様とシスターは、身体を温め、水を少しずつ飲ませようとし、ポーションも使った。

 

 それでも、幼い子供から弱っていった。

 

 病人を分ける場所は出来た。

 

 眠るための寝台も作る。

 

 手洗いや換気についても伝えた。

 

 それでも、高い熱と身体の痛みで眠れず、水さえ飲めなくなった子供へ、何を渡せばよいのだろう。

 

 現代側で買った子供用のアセトアミノフェンはある。

 

 今冬は、それも使う。

 

 けれど、毎年、自分が薬を買い、収納へ入れて運び続けるのか。

 

 自分がいなければ、何も残らないのか。

 

「真壁さん」

 

 澪が声を掛けると、隣を歩いていた真壁は足を止めた。

 

「何かな」

 

「セルマさんのところへ行ってもいいですか」

 

「何を尋ねるつもりかな」

 

 澪は、鞄へ入れていた紙を取り出した。

 

 現代側で調べ、何度か書き直した資料だった。難しい言葉へ線を引き、必要な部分だけを残してある。

 

「こちらで作れる熱冷ましがないか、相談したいです」

 

 真壁は、紙へ視線を落とした。

 

「考えている物があるようですな」

 

「柳の皮です」

 

 澪は、少し迷った後で続けた。

 

「寝台や毛布だけでは、足りないと思ったんです。子供たちが冬に熱を出した時、飲ませられる薬が必要です」

 

 昨日の帳面を思い出すと、声が少しだけ重くなる。

 

「高価なポーションではなく、孤児院へ置いておける熱冷ましを作りたいんです」

 

 真壁は、すぐには答えなかった。

 

 澪が持つ紙と、澪の顔を順に見る。

 

 やがて、小さく頷いた。

 

「行ってみましょう」

 

 

 

 

 

 セルマの工房へ入ると、乾燥させた薬草の匂いと、金属を熱した後のような匂いが混ざり合っていた。

 

 以前よりも、作業台の上は片付いている。

 

 ただし、整然としていると言うには、まだ少しだけ無理があった。

 

 棚には大小さまざまな瓶が並び、紙片を結び付けた小瓶が、作業台の端から端まで場所を占領している。

 

 透明に近い液が入った物もあれば、濃い色の液が入った物もある。底へ沈殿が残り、少し傾けただけで、中身がゆっくり動く瓶もあった。

 

 セルマは、その一つを窓から入る光へ透かしていた。

 

「セルマさん」

 

 澪が呼ぶと、セルマは瓶を光へ向けたまま答えた。

 

「ちょっと待って。今、いいところだから」

 

 小瓶を傾け、底に溜まった沈殿がどのように動くかを確かめる。

 

 それから、ようやく作業台へ戻した。

 

「今日は何?」

 

「相談したいことがあります」

 

「また、変なこと?」

 

 セルマは、澪の後ろに立つ真壁を見た。

 

「真壁も一緒なら、普通の話じゃなさそう」

 

「失礼ですな」

 

 真壁は、特に不快そうにも見えない口調で答えた。

 

 澪は、鞄から紙を取り出し、作業台の空いている場所へ置いた。

 

 孤児院で、昨年、流感が広がったこと。

 

 ポーションを使っても効かなかったこと。

 

 幼い子供ほど早く弱り、水を飲むことさえ難しくなったこと。

 

 今冬に使う薬は、現代側から持ち込めること。

 

 それでも、来年も、その次の冬も、すべてを現代側から運び続けるだけでは、この世界へ何も残らないこと。

 

 話している間、セルマは口を挟まなかった。

 

 作業台へ両手を置き、澪の顔を見ている。

 

「寝台や毛布だけでは、足りないと思ったんです」

 

 澪は、自分の考えを言葉へ直した。

 

「子供たちが冬に熱を出した時、飲ませられる薬が必要です。高価なポーションではなく、孤児院へ置いておける熱冷ましを作りたいんです」

 

 セルマは、紙へ視線を落とした。

 

「飲む薬?」

 

「はい」

 

「何を使うの?」

 

「柳の皮です」

 

 セルマは、少し意外そうに顔を上げた。

 

「柳?」

 

「柳の皮には、熱や身体の痛みを和らげる働きを持つ成分があります。代表的なものは、サリシンと呼ばれています」

 

 澪は、紙へ書いた文字を指で押さえた。

 

「蒸留で取り出す物ではありません。乾かした柳の皮を細かく刻んで、水で煮出します。ただ、そのまま飲ませるのは難しいと思います」

 

「どうして?」

 

「同じ柳でも、木の種類や、採った時期や、乾かし方で、濃さが違うかもしれません。子供に飲ませるなら、一回ごとに効き目が変わったら危ないです」

 

 セルマは、澪の紙を読みながら、しばらく黙っていた。

 

 代わりに、真壁が口を開く。

 

「本来、発熱とは、身体が病と戦うために起こす反応の一つです」

 

 静かな声だった。

 

「熱があるというだけで、むやみに下げればよいわけではない」

 

 セルマは、紙から顔を上げる。

 

「それは薬師か医者の仕事だわ」

 

 即答だった。

 

 澪は、少しだけ言葉に詰まった。

 

 確かに、その通りだ。

 

 セルマは錬金術師であり、薬師でも、医者でもない。孤児院の子供へ飲ませる薬を作りたいからといって、専門ではない人へ無理を頼んでよいわけではない。

 

 けれど、真壁は否定しなかった。

 

「ええ。本来ならば、そうでしょう」

 

 真壁は、作業台へ置かれた紙の端へ指を添えた。

 

「ですが、身体の小さな子供は、高い熱が長く続けば、それだけで弱る。痛みや苦しさで眠れず、水分さえ取れなくなれば、病と戦う前に体力を失ってしまいます」

 

 澪の脳裏へ、司祭様が開いた帳面が浮かんだ。

 

 何も出来なかったわけではない。

 

 出来ることを続けても、足りなかった。

 

「柳皮に含まれるサリシンは、我々の国でも古くから熱や痛みを和らげるために使われてきました」

 

 真壁は、紙へ書かれた文字を見ながら続ける。

 

「ただし、誰にでも合うとは限らない。体質によっては、発疹が出ることもあれば、息苦しさを起こす者もいる。こちらで言うなら、状態異常に近いでしょう」

 

「状態異常回復薬を使うの?」

 

「ええ。異変が出た場合には、直ちに使用を止め、状態異常回復薬を使えるよう備えておくべきです」

 

 セルマは、先ほどまで見ていた小瓶を作業台へ置いた。

 

「ほかにもある?」

 

 真壁は、僅かに間を置いた。

 

「子供では、稀に、激しい嘔吐や意識障害を伴う異常が起きる場合もある」

 

 セルマの表情が変わった。

 

「それも、状態異常?」

 

「同じ物として扱わない方がよいでしょう。身体そのものの働きが損なわれる種類の異常です」

 

 真壁は、断定を避けるように、少しだけ言葉を選んだ。

 

「起きた場合には、直ちに使用を止める。恐らく、聖職者のヒールやポーションが有効でしょう。ただし、孤児院へ置く前に、司祭様とも相談しておいた方がよい」

 

 工房の中が、少しだけ静かになった。

 

 窓の外から、通りを歩く人の声が遠く聞こえる。

 

 真壁は、澪とセルマを順に見た。

 

「安全な万能薬ではありません。予防のために飲ませる物でもない。軽い熱へ気軽に使う薬にもさせない方がよいでしょう」

 

 作業台へ置いた紙の余白へ、澪は急いで文字を書き足した。

 

「高熱や身体の痛みで眠れず、水分も取れない。このままでは弱り続ける。そう判断した時に限る」

 

 真壁の声は、穏やかなままだった。

 

「使う量を揃える。誰に、いつ、どれだけ使ったかを記録する。異常があれば、すぐに止める」

 

 澪は、鉛筆を動かしながら頷いた。

 

「危険があるから、使い方を決めるのです。何も知らずに配るのでもない。何も用意せず、ただ弱っていくのを見るのでもない」

 

 セルマは、澪が書き足した文字を見ていた。

 

 しばらくして、作業台へ並んだ小瓶へ視線を移す。

 

「医者や薬師の代わりには、ならないよ」

 

「はい」

 

 澪が答えると、セルマは、一番手前にあった透明に近い小瓶を持ち上げた。

 

「でも、薬に使う物を分けるだけなら、少し違うかもしれない」

 

 澪は顔を上げた。

 

「分ける?」

 

「前から、試していたの」

 

 セルマは、小瓶を光へ透かした。

 

「ポーションは、本当に一つの液体なのかなって」

 

 隣に置いてあった、少し色の濃い小瓶も手に取る。

 

「ポーションの大部分は、水でしょう。でも、水を飲んでも傷は治らない」

 

 澪は、二つの小瓶を見比べた。

 

 透明に近い方は、窓から入る光をそのまま通している。もう一方は色が濃く、瓶の底へ僅かに沈殿が残っていた。

 

「だから、水分と、傷を癒やす働きを持つ部分を分けられないかと思って」

 

「出来たんですか」

 

「少しだけ。でも、同じ結果にならない」

 

 セルマは、作業台の端へ並ぶ小瓶を指先で示した。

 

「水分を抜きすぎると、効き目まで弱くなる。濃くなったように見えても、保存出来なくなる。固めてから水へ戻すと、効き目が変わることもある」

 

 セルマは、一つの瓶を持ち上げ、札へ書いた文字を見た。

 

「同じように作ったつもりでも、違う物になるの」

 

 少しだけ悔しそうだった。

 

 けれど、失敗した小瓶を捨ててはいない。

 

 どの瓶にも、小さな札が付いている。試した日や、使った物、途中で変えた条件が、セルマの文字で残されていた。

 

 澪は、工房の棚へ並ぶ瓶を見ながら思い出した。

 

 孤児院の井戸水を、綺麗な水と汚れへ分けた時のこと。

 

 混ざっている物を、一つの物だと思い込まない。

 

 何を残し、何を取り出すのかを決めてから、分類する。

 

 白い重砂を素材ごとに分け、用途に合わせて別の形へ整えた時にも、セルマは、真壁の手元を見つめていた。

 

 ただ見ていただけではない。

 

 自分の工房へ戻った後で、試していた。

 

 澪は、セルマへ《鑑定》を使った。

 

 見慣れた表示が浮かぶ。

 

 高レベルの錬金術師として、セルマは既に《分類》《溶解》《固形化》を扱える。

 

 けれど、その下には、以前にはなかった文字が加わっていた。

 

《鑑定:芽》

 

《抽出:芽》

 

 澪は、表示を見たまま、少しだけ迷った。

 

 SPは、残しておいた方がよい。

 

 この先、何が起こるか分からない。自分や、仲間たちを守るために必要になるかもしれない。

 

 けれど、司祭様が開いた帳面へ残されていた名前を思い出す。

 

 今年も、何もないまま冬を迎えたくない。

 

 セルマが何もしてこなかったわけでもない。

 

 失敗した小瓶を捨てず、札を付け、条件を変えながら試し続けた。

 

 その積み重ねが、芽になっている。

 

 澪は、表示へ意識を向けた。

 

《鑑定:芽》

 ↓

《鑑定:3》

 

《抽出:芽》

 ↓

《抽出:3》

 

 文字が変わった。

 

 セルマは、一瞬だけ目を見開いた。

 

 それから、自分の手を確かめるように指先を動かし、作業台の上へ並べた小瓶の一つを持ち上げる。光へ透かすと、透明に近い液の底で、僅かな沈殿がゆっくりと揺れた。

 

「前より、分かる」

 

 小さな声だった。

 

「何がですか」

 

「混ざっている物が、前より分かる。今までは、水分を抜いた後で効き目が弱くなったかどうか、使ってみないと分からなかった。でも、今なら、外してはいけない物があるのが見える」

 

 セルマは、隣に置かれた濃い色の小瓶へ視線を移した。

 

「全部が分かるわけじゃないけど」

 

「それでよいでしょう」

 

 真壁が、作業台へ並ぶ小瓶を見ながら言った。

 

「澪君の《鑑定》に頼れば、完成した試作品が目的に合っているかは確かめられる。しかし、セルマ君が抽出するたびに、澪君を呼ぶわけにもいかない」

 

 セルマが、真壁を見る。

 

「自分でも見ろってこと?」

 

「ええ。せっかく得た《鑑定》です。使わなければ、いつまでも澪君の補助が必要になる」

 

 真壁は、小瓶の底へ残る沈殿へ目を向けた。

 

「抽出だけを育てるのでは足りません。何が混ざっているのか。何を残すべきか。何を外してよいのか。それを自分で見極められるよう、《鑑定》も育てるべきかと」

 

 セルマは、しばらく黙っていた。

 

 失敗した小瓶へ結び付けた札を、一つずつ見ていく。

 

 これまでは、同じように作ったはずなのに結果が揃わない理由を、後から考えるしかなかった。色が薄くなったから水分が抜けたのだろうと思い、効き目が弱くなれば、必要な部分まで失ったのだと推測する。小瓶へ札を付け、条件を変え、何度も試してきたが、手探りだった。

 

 今は、その手探りに、僅かな輪郭が生まれている。

 

「分かった」

 

 セルマは、小瓶を作業台へ戻した。

 

「澪に見てもらう前に、まず自分で確かめる。どこまで分けられたのか。何を外しすぎたのか。次は、何を残せばいいのか」

 

 少し考えた後、口元を上げる。

 

「錬金術師が作る薬なら、錬金術師が自分で見られないと困るものね」

 

「その通りですな」

 

 真壁は、満足そうに僅かに目を細めた。

 

 

 

 

 

 最初の試作に使う柳皮は、澪が用意していた。

 

 まずは、手元にある試料で、セルマの錬金術が使えるかを確かめる。現地で手に入る柳から、同じものを安定して取り出せるかは、その後で調べなければならない。

 

 乾燥させた柳皮を刻むと、作業台の上へ細かな欠片が広がった。

 

 セルマは、指先で一つ摘まみ、匂いを確かめる。

 

「木の皮だね」

 

「木の皮です」

 

「本当に、これが薬になるの?」

 

「なる可能性があります」

 

「可能性なんだ」

 

「はい」

 

 澪が答えると、セルマは少しだけ笑った。

 

「そのくらいの方が、試しやすいかも」

 

 刻んだ柳皮を鍋へ入れ、水を加えて火へ掛ける。

 

 しばらくすると、工房の中へ、木の皮を煮た独特の匂いが広がった。薬草の青い匂いとも、芋焼酎を蒸留した時の甘い香りとも違う。鼻の奥へ残り、味を確かめる前から、舌が逃げ出したくなるような匂いだった。

 

 セルマは、鍋の縁から立ち上る湯気を見た。

 

「最初は、《溶解》でいいんだよね」

 

「はい」

 

 澪は、作業台へ置いた紙を確かめながら頷いた。

 

「柳の皮に含まれている物を、まず水へ移します」

 

 セルマが鍋へ意識を集中させる。

 

 柳皮から水へ移る物が増えるにつれ、液の色は少しずつ濃くなっていった。布を通して細かな欠片を取り除くと、器の中には、茶色く濁った煎じ液が残る。

 

 セルマは、器へ手を添えた。

 

「次は、《鑑定》」

 

 自分へ言い聞かせるように呟き、僅かに睫毛を伏せる。

 

 器の中にある物を、ただの苦い液体として見るのではない。水へ溶け込んだ物を一つずつ探り、その違いを見極めようとしている。

 

「水分が多い」

 

 しばらくして、セルマが呟いた。

 

「それ以外にも、いくつかある。苦味を強くする物と、舌に残る感じの物。それから……」

 

 器の中を覗き込み、少しだけ眉を寄せる。

 

「これかな。熱を和らげる働きを持つ部分」

 

 澪は、息を止めるようにしてセルマの顔を見た。

 

「分かるんですか」

 

「はっきり全部が見えるわけじゃない。でも、ほかの物とは違う働きがある」

 

 セルマは、澪が持ってきた紙へ目を向けた。

 

「これが、サリシン?」

 

「サリシンを含んだ部分だと思います。最初から、純粋な一つの成分だけを取り出せるとは考えない方がいいです」

 

「分かった」

 

 セルマは、もう一度、器へ意識を戻した。

 

「だったら、次は《抽出》だね」

 

 指先が、僅かに動く。

 

 器の中に混ざっていた液が、少量ずつ別の小瓶へ移っていった。

 

 ただ水分を減らしているわけではない。

 

 《鑑定》で見つけた、熱や痛みを和らげる働きを持つ部分を狙い、周囲に混ざっている物から、少しずつより分けている。

 

 最初に取り出した液は、元の煎じ液よりも色が濃かった。

 

 セルマは、小瓶を光へ透かす。

 

「熱を和らげる働きは残ってると思う。でも、苦い物も一緒に入ってる」

 

「私も見ます」

 

 澪は、小瓶を両手で受け取った。

 

 使うのは、《鑑定:10》。

 

《柳皮抽出液》

《サリシンを含む熱冷まし機能分》

《熱と痛みを和らげる働き:あり》

《苦味成分:多》

《濃度:不均一》

《内服薬としての調整:未完了》

 

 澪は、表示を読み、少しだけ息を吐いた。

 

「合っています」

 

 セルマの表情が、僅かに明るくなる。

 

「本当?」

 

「はい。熱を和らげる働きは残っています。でも、苦味もかなり強いです。それに、濃さも揃っていません」

 

「一度で完成とはいかないか」

 

 セルマは、残念そうに言いながらも、小瓶を捨てなかった。

 

 澪が書いた札を受け取り、作業台の端へ丁寧に置く。

 

 二度目は、苦味を少し減らすように抽出した。

 

 先ほどより色の薄い液が、小瓶へ移る。

 

 セルマは、先に自分で《鑑定》した後、僅かに眉を寄せた。

 

「薄くしすぎたかもしれない」

 

 澪も、《鑑定:10》で確かめる。

 

《柳皮抽出液》

《サリシンを含む熱冷まし機能分》

《熱と痛みを和らげる働き:弱い》

《苦味成分:少》

《濃度:低い》

《内服薬としての調整:未完了》

 

「必要な部分まで、一緒に減っています」

 

「やっぱり」

 

 セルマは、小瓶を光へ透かした。

 

「苦い物だけ、都合よく消えてはくれないんだね」

 

 三度目は、一度に多くを外そうとしなかった。

 

 セルマは、ポーションの水分と機能分をより分けようとして、何度も失敗した時のことを思い出すように、しばらく器を見つめた。

 

 先に《溶解》で水へ移した成分を、《鑑定》で見極める。

 

 必要な働きを持つ部分を見失わないよう、《抽出》で少しずつ寄せる。

 

 苦味の強い部分も、完全には外さない。

 

 小瓶へ移った液は、先ほどより僅かに澄んでいた。

 

 セルマは、自分で《鑑定》した後、少しだけ口元を上げる。

 

「今度は、残ってると思う」

 

「見てみます」

 

 澪は、小瓶を受け取り、《鑑定:10》を使った。

 

《柳皮抽出液》

《サリシンを含む熱冷まし機能分》

《熱と痛みを和らげる働き:あり》

《苦味成分:残留》

《濃度:調整可能》

《内服薬としての調整:未完了》

 

「セルマさん」

 

 澪は、表示をもう一度読み返した。

 

「前より、よくなっています」

 

「本当?」

 

「はい。苦味は残っています。でも、必要な働きも残っています。濃さも、ここから揃えられそうです」

 

 セルマは、小瓶を受け取り、窓から差し込む光へ透かした。

 

「《抽出》だけじゃ駄目なんだね」

 

 淡い茶色の液が揺れる様子を見ながら、独り言のように続ける。

 

「先に《鑑定》で、何を残すかを見極めないと、必要な物まで捨ててしまう」

 

「その通りですな」

 

 真壁が、作業台へ並ぶ小瓶と札を眺めながら答えた。

 

「《抽出》を育てるだけでは足りません。何を取り出すべきか、自分で見極められるよう、《鑑定》も育てるべきかと」

 

 セルマは、小瓶から真壁へ視線を移した。

 

「澪に見てもらうだけじゃ、駄目?」

 

「澪君の《鑑定》は、完成した試作品を確認するために必要でしょう」

 

 真壁は、穏やかに続けた。

 

「しかし、抽出するたびに澪君を呼ばなければならないのでは、セルマ君自身の仕事にはなりません」

 

 セルマは、作業台へ並べた小瓶を見た。

 

 自分で見極める。

 

 必要な部分を寄せる。

 

 最後に、澪の《鑑定:10》で、目的に合っているかを詳しく確かめる。

 

 少し考えた後、セルマは頷いた。

 

「分かった。自分でも、もっと見えるようにする」

 

 それから、三度目の抽出液へ手を添えた。

 

 今度は、《固形化》。

 

 液体から水分が少しずつ外れ、小瓶の底へ、粉末に近い固形物が僅かに残る。

 

「澪」

 

 セルマが、小瓶を差し出した。

 

「最後に、見て」

 

「はい」

 

 澪は、小瓶を受け取り、《鑑定:10》を使った。

 

《柳皮抽出物》

《サリシンを含む熱冷まし機能分》

《熱と痛みを和らげる働き:あり》

《苦味成分:残留》

《濃度:暫定》

《保存性:未確認》

《内服薬としての調整:未完了》

 

 純粋なサリシンだけを取り出したわけではない。

 

 苦味も残っている。

 

 保存出来るかも、水へ戻した時に同じ濃さになるかも、まだ確かめなければならない。

 

 それでも、ただ柳皮を煮出しただけの液ではなかった。

 

 セルマが《溶解》で柳皮の成分を水へ移し、《鑑定》で目的の働きを持つ部分を見極め、《抽出》でより分けた。

 

 その後、《固形化》で、保存しやすい形へ近づけた。

 

 セルマは、小瓶の底へ残った固形物を見つめる。

 

「ポーションで何度も失敗したの、無駄じゃなかった」

 

「はい」

 

 澪は頷いた。

 

「無駄じゃなかったです」

 

 セルマは、作業台へ並んだ失敗品を見回した後、少しだけ笑った。

 

「これなら、錬金術師の仕事に出来る」

 

 真壁は、作業台へ並ぶ札と、澪が書き加えた鑑定結果を見た。

 

「結構」

 

 僅かに目を細める。

 

「薬師だけが作れる物ではなくなりますな」

 

 セルマは、その言葉を聞いて、少しだけ笑った。

 

「それ、いいね」

 

 澪は、まだ完成していない試作品へ目を落とした。

 

 孤児院の棚へ置くには、もう少し確かめなければならない。

 

 水へ戻した時に濃さを揃えられるのか。

 

 蜜を加えても、扱いやすさが変わらないのか。

 

 保存しても、熱を和らげる働きが残るのか。

 

 司祭様へ、使う条件と、異常が起きた時の対処も伝える必要がある。

 

 けれど、今冬だけを現代側の薬でしのぐのではない。

 

 この世界にある柳と、セルマが積み重ねてきた錬金術と、澪の《鑑定》。

 

 異世界側で作り続けられる、安価な熱冷まし。

 

 その最初の形が、セルマの作業台の上へ残っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。