押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第147話 夜明けの急襲

 

 侯爵家の屋敷へ着いた頃には、領都の空は夜の色を深めていた。

 

 真壁がワッパを収納すると、門前に残ったのは、石畳の上を流れる冷たい風だけだった。ホバー機関の低い駆動音が消え、夜番の兵士が掲げるランタンの火が頼りなげに揺れている。

 

 採石場からここまで、およそ十分。街道も城門前の列も無視して突っ切れるワッパだからこその速さだった。

 

 真壁は門衛に名を告げ、アルベルトへの至急の面会を求めた。

 

 泥に汚れた外套と、険しい表情を見た門衛は、理由を細かく尋ねなかった。片方が屋敷の中へ駆け込み、ほどなくして家令が姿を現す。

 

「真壁様、こちらへ。若様がお会いになります」

 

 案内されたのは、屋敷の奥にある執務室だった。

 

 扉を開けると、机上に広げられた領内の地図が最初に目に入った。壁際の燭台には新しい蝋燭が足され、何本もの炎が室内を明るく照らしている。

 

 アルベルトは上着を羽織った姿で机の向こうに立っていた。急な呼び出しを受けたはずだが、眠気は見えない。整えられた金髪の下で、青い目が真壁の表情を静かに読んでいた。

 

 その傍らにはレオンハルトもいる。剣帯を締めたままなのを見る限り、屋敷へ戻ってからも警備の確認をしていたのだろう。

 

「真壁殿。灰橋町で何があった」

 

 アルベルトは着席を勧めなかった。真壁も座るつもりはなかった。

 

「代官クラウス・ベーレンが、黒鎖商会に通じています」

 

 室内の空気が張り詰めた。

 

 レオンハルトの眉間に深い皺が刻まれたが、アルベルトは表情を崩さない。ただ、地図の端に置いていた指を止めた。

 

「根拠を聞こう」

 

「通行料の上乗せ分が、橋の修繕に使われた形跡がありません。黒鎖商会のニコラウス・ゼーマンが代官所へ出入りし、その後、黒鎖商会の倉庫へ戻る姿も確認しました」

 

 真壁は収納から薄い端末を取り出した。

 

 画面には、上空から撮影した代官所の裏口が映っている。外套の襟を立てたニコラウスが、周囲を警戒しながら建物へ入る姿。その男が革袋を提げて出てくる姿。そして、黒鎖商会の倉庫へ入っていくまでを、ドローンは途切れることなく追跡していた。

 

 次に表示したのは、倉庫裏手の荷下ろし場だった。石場町の商標が焼き印された木箱が、夜陰に紛れて運び込まれている。

 

「石場町から消えた荷の一部です。荷札を外し、黒鎖商会の印へ付け替えています」

 

「盗賊に奪わせた荷を、自分たちの倉庫へ入れていたということか」

 

 レオンハルトの声には抑えきれない怒気が混じっていた。領内の道を荒らし、民の荷を奪う行為は、彼にとって単なる商人同士の争いではない。

 

「全部を奪っているわけではありません。遅らせる荷、壊す荷、消す荷を分けています。品不足を作り、困った商人や職人へ金を貸す。その返済に詰まれば、倉庫や荷馬車、商権を取り上げる仕組みです」

 

 真壁は別の画像を示した。

 

 倉庫に隣接する事務所。机の上に置かれた借用証書と、積み重なった帳簿。その一部を拡大すると、灰橋町の商人や職人の名が並んでいる。

 

 アルベルトは黙って画面を見ていた。怒りを声や顔へ出さない分、その沈黙には重さがあった。

 

「クラウスは、家族を取られて従ったと見るのか」

 

「はい」

 

 真壁は倉庫の地下部分を映した図へ切り替えた。

 

 壁越しの鑑定と、換気口から入れた小型ドローンによって確認したものだった。狭い地下室には、成人女性と少女が閉じ込められている。女性は娘を背にかばうように壁際へ座り、眠ることなく扉を見つめていた。

 

「クラウスの妻と娘です。娘の髪飾りと同じ物を、ニコラウスが代官所で見せています。言うことを聞かなければ、どうなるか分かるだろうという脅しでしょう」

 

 画面の中で、少女は母親の外套に包まれていた。地下室の冷気を防ぐには薄すぎる布だった。

 

 真壁は橋市に並ぶ人々の顔を思い出した。荷が届かず困っていた職人も、値上がりした品を前に財布を握り締めていた女も、何が起きているのか知らないまま、黒鎖商会が作った流れに押し流されている。

 

 橋だけを直しても終わらない。

 

 締めている手を外さなければ、連中は次の橋、次の道、次の町を選ぶ。

 

「事情を聞く前に罪は決められない。だが、クラウスだけを先に拘束すれば、人質が危ない」

 

 アルベルトは地図へ視線を落とした。代官所と黒鎖商会の倉庫。その位置を確かめた後、迷いなく顔を上げる。

 

「同時に押さえる」

 

 その決断を聞き、真壁は胸の奥にあった硬いものがわずかに緩むのを感じた。人質の救出だけなら、自分一人でもできる。しかし、それでは黒鎖商会を領内から排除するための手続きも、奪われた財産を持ち主へ返すための証拠も残せない。

 

 これは押入商会の報復ではない。ヴァルディス家が、その権限と責任で行わなければならない仕事だった。

 

「家令」

 

 アルベルトが呼ぶと、扉の傍らで控えていた家令が一歩進み出た。

 

「レオンハルト、直衛九名、領務文官一名を集めろ。灰橋町の警備隊には、代官所と倉庫を押さえるまで知らせるな」

 

「承知しました」

 

「命令書を用意しろ。クラウスを一時的に職務から外し、代官所と黒鎖商会倉庫を捜索する」

 

 家令が退出すると、アルベルトはレオンハルトへ向き直った。

 

「クラウスは拘束する。ただし、黒鎖商会の者と同じ扱いにはするな。事情を聞ける状態で連れてこい」

 

「承知した」

 

「人質は二人とも生きて連れ戻せ」

 

 レオンハルトは右拳を胸へ当て、深くうなずいた。厳しい目つきの奥に、必ず救い出すという決意が宿っている。

 

「レオンハルト、現場の指揮を任せる」

 

「任された」

 

 アルベルトはそこで初めて、真壁へ視線を戻した。

 

「真壁殿。一人で二人を救い出すこともできたのではないか」

 

「できます」

 

 真壁が即答すると、アルベルトの目がわずかに細くなった。

 

「ですが、ここからは侯爵家の仕事です」

 

 黒鎖商会を潰すだけなら、帳簿も倉庫も人員も、収納へ入れてしまえば済む。だが、それでは灰橋町の民に何が起きたのかを説明できず、クラウスも共犯者として処断される可能性がある。

 

 アルベルトは短く息を吐いた。

 

「いや、真壁殿にも最後まで見届けてもらう。倉庫の構造と人質の位置を知っているのは、あなたしかいない」

 

「承知しました」

 

 答えながら、真壁は端末の画面を消した。

 

 夜明けまで、さほど時間は残っていなかった。

 

 

 

 

 

 屋敷の裏庭に、ハイエースを出した。

 

 夜気の中に現れた白い車体を前に、集められた直衛たちは驚きを隠せなかった。馬車とは明らかに違う形状も、魔物じみた低い駆動音も初めて聞くものだ。それでも騒ぎ立てる者はいない。レオンハルトから作戦を聞かされた時点で、全員の顔は兵士のものへ変わっていた。

 

 武器や盾、拘束具などの装備は真壁の収納へ入れてある。車内へ荷物を積む必要がないため、座席はすべて人員に使えた。

 

 ハイエースへ乗るのは、運転する真壁、レオンハルト、直衛七名、領務文官一名の計十名。残る直衛二名は馬で先行し、灰橋町の入口付近で合流する。

 

「馬より速いとは聞いているが、本当に二人を置き去りにしないのか」

 

 助手席に座ったレオンハルトが、シートベルトを確かめながら尋ねた。平静を装っているものの、見慣れない車内設備へ向ける視線には警戒が残っている。

 

「合流地点で待ちます。こちらが先に着きすぎるだけです」

 

 真壁がエンジンをかけると、後部座席の兵士たちが一斉に背筋を伸ばした。

 

 領都の門は、アルベルトの命令書によってすぐに開かれた。

 

 暗い街道をヘッドライトが白く切り取り、ハイエースは灰橋町へ向けて走り出す。空の東端には、まだ朝の色は見えない。街道沿いの草原には薄い霧が広がり、遠くの木立が黒い島のように浮かんでいた。

 

 真壁は速度を抑えながら、夜道の先へ目を凝らした。

 

 地下室の母娘が無事であることは、出発直前にもドローンで確認している。見張りは三人。倉庫の一階に二人、地下へ続く扉の前に一人。ニコラウスも事務所に残っている。

 

 証拠を処分して逃げる準備をしているのかもしれない。

 

 その可能性を考えるたび、アクセルを踏む足へ力が入りそうになる。しかし、ここで焦って事故を起こせば、救える者も救えない。真壁は意識して肩の力を抜いた。

 

「真壁殿」

 

 隣からレオンハルトが呼んだ。

 

「人質は救う。帳簿も押さえる。クラウスにも話をさせる。急ぐが、誰も置いてはいかない」

 

 真壁の内心を読んだような言葉だった。

 

「はい」

 

 短く答えると、胸の内に絡んでいた焦燥が少しだけほどけた。

 

 現地へ先着したハイエースは、街道脇の林で灯火を落とした。ほどなくして、蹄の音とともに二騎の直衛が追いついてくる。

 

 東の空が、ようやく淡い灰色へ変わり始めていた。

 

 

 

 

 

 灰橋町は眠りの中にあった。

 

 川面を覆う朝霧が橋脚へ絡み、湿った板の上には夜露が光っている。昼間は商人の声で騒がしい橋市にも人影はなく、畳まれた天幕が風を受けて小さく鳴っていた。

 

 町へ入る前に、レオンハルトが全員を集めた。

 

「代官所は俺と直衛四名、文官で押さえる。倉庫は真壁殿と直衛五名だ。文官は代官所の記録を封印した後、倉庫へ来て押収品を確認する」

 

 低く抑えた声が、薄明の中を通る。

 

「代官所と倉庫への突入は同時だ。黒鎖の者を逃がすな。だが、人質のいる場所で無闇に剣を振るうな」

 

 直衛たちは無言でうなずいた。

 

 真壁は全員の剣、盾、革鎧、拘束具を収納から取り出した。装備を受け取ると、兵士たちの顔つきがさらに引き締まる。

 

 レオンハルトが真壁を見た。

 

「夜明けの鐘を合図にする」

 

「了解です」

 

 真壁は倉庫へ向かう五人を連れ、川沿いの細い道へ入った。

 

 黒鎖商会の倉庫は、町外れの船着き場に近い場所に建っている。黒く塗られた厚い板壁と、鎖を模した看板。表向きは運送と荷預かりを扱う商会らしく、荷車を入れるための大扉が道路へ面していた。

 

 朝霧の中では、その建物だけが周囲の家々より一段暗く見えた。

 

 真壁は端末を確認する。

 

 地下室の母娘は動いていない。見張りも所定の位置にいる。だが、事務所にいるニコラウスは帳簿を机から集め、一か所へ積み上げていた。

 

 その傍らには油壺が置かれている。

 

「証拠を燃やす気です」

 

 真壁が告げると、直衛の一人が剣の柄へ手をかけた。

 

 遠くから、夜明けを告げる鐘が響いた。

 

 一度目の鐘が霧を揺らし、二度目が川面を渡る。

 

「行きます」

 

 真壁は倉庫の通用口へ手を当てた。

 

 鑑定で錠の構造を読み、そのまま錠と閂だけを収納する。支えを失った扉が、直衛に引かれて音もなく開いた。

 

 中にいた男が振り返る。

 

「誰だ!」

 

 叫び終える前に、二人の直衛が踏み込んだ。男の腕をねじ上げ、床へ押さえつける。奥から駆けてきたもう一人は短剣を抜いたが、盾の縁で手首を打たれ、武器を取り落とした。

 

 真壁は争いを直衛たちへ任せ、事務所へ急いだ。

 

 扉を開けた瞬間、油の臭いが鼻を刺した。

 

 細身の男が、積み上げた帳簿へ燭台を倒そうとしていた。整えられていたはずの黒髪は乱れ、青ざめた頬には汗が浮かんでいる。

 

 ニコラウス・ゼーマン。

 

 真壁と目が合うと、男は燭台を帳簿へ投げつけた。

 

「遅かったな!」

 

 油を吸った紙へ炎が移り、赤い舌が一気に広がる。

 

 勝ち誇ろうとしたニコラウスの表情が、その途中で凍りついた。

 

 炎も、油も、燃え始めた帳簿の表面ごと消えたからだ。

 

 真壁は収納へ移した炎と油を分離し、燃えていない帳簿だけを机上へ戻した。焦げた臭いがわずかに漂ったものの、記録の大半は無事だった。

 

「火を、消した……?」

 

 ニコラウスの唇が引きつった。

 

 真壁は男の顔を見据えた。人を脅し、荷を奪い、町全体を困窮させておきながら、自分の逃げ道だけは用意していた男である。

 

 腹の底から湧き上がる怒りはあった。それでも、ここで殴る理由にはならない。裁くためには、生かして証言させる必要がある。

 

「領主家の命令による捜索です。抵抗しないでください」

 

「領主家だと? そんなはずはない。まだ領都から役人が来る時期では――」

 

 自ら口にした言葉に気づき、ニコラウスが黙り込んだ。

 

 真壁の後ろから入った直衛が、その両腕を取った。

 

「ニコラウス・ゼーマン。拘束する」

 

「待て、私は商人だ! 代官の許可を得ている!」

 

 声を荒らげる男の手首へ縄が巻かれる。

 

 その叫びを聞きながら、真壁は事務所の隅に落ちていた小さな髪飾りを拾った。青いガラス玉をあしらった飾りは、クラウスの娘が身につけていた物と対になる品だった。

 

 脅迫の道具として、ニコラウスが代官へ見せたものだ。

 

「地下へ行きます」

 

 真壁は髪飾りを収納し、直衛二人を連れて倉庫の奥へ向かった。

 

 地下室の前にいた見張りは、鐘と物音に気づいて剣を抜いていた。しかし、狭い通路では振り回す余地がない。先頭の直衛が盾で壁へ押しつけ、もう一人が剣を奪った。

 

 真壁は地下室の扉から錠を収納した。

 

 扉を開けると、湿った冷気と黴の臭いが流れ出す。

 

 薄暗い室内で、母親が娘を抱いたまま身を固くしていた。痩せた頬は青ざめ、乱れた栗色の髪が肩へ垂れている。それでも、娘をかばう腕には力がこもっていた。

 

「近づかないで!」

 

 母親が震える声を上げた。

 

 真壁は地下室へ踏み込まず、その場で両手を見せた。怯えきった相手へ事情も告げず近づけば、救助者と信じてもらえないのは当然だった。

 

「クラウスさんの奥様ですね。アルベルト様の命令で救出に来ました」

 

 女性の目が大きく見開かれた。

 

「領主様の……?」

 

「もう黒鎖商会の言うことを聞く必要はありません」

 

 真壁が告げると、張り詰めていた女性の顔が歪んだ。安心したのではない。安心してよいのか判断できず、押し殺していた恐怖だけが先にあふれたのだ。

 

 腕の中で、少女がゆっくりと顔を上げる。

 

「お父さんは……?」

 

「無事です。今、別の部隊が迎えに行っています」

 

 少女は真壁の言葉を確かめるように見つめた後、母親の胸へ顔を埋めた。女性の頬を涙が伝い、娘の髪へ落ちる。

 

 真壁は自分の外套を脱ぎ、直衛を通して二人へ渡した。

 

 救出できた安堵はあった。だが、クラウスがこの二人を守るために何をさせられ、どれだけの民がその結果として苦しんだのかは、これから明らかにしなければならない。

 

 救われる事情があっても、起きた被害が消えるわけではない。

 

 だからこそ、証拠と証言が必要だった。

 

 

 

 

 

 倉庫の制圧を終えた頃、東の空から朝日が差し始めた。

 

 霧の向こうで灰橋が淡く浮かび上がり、濡れた屋根が橙色の光を反射している。町の住民も騒ぎに気づき、戸口や窓から遠巻きに倉庫の様子を見ていた。

 

 やがて、代官所を押さえたレオンハルトが、拘束されたクラウスを伴って現れた。

 

 クラウスの髪は乱れ、顔には深い疲労が刻まれていた。両手は前で縛られているものの、黒鎖商会の者たちとは離され、直衛一人が付き添っている。

 

 倉庫前に保護された妻と娘を見つけた瞬間、その足が止まった。

 

「エレナ……リーナ……」

 

 掠れた声が漏れる。

 

「お父さん!」

 

 少女が母親の手を離れ、クラウスへ駆け寄った。

 

 直衛がレオンハルトを見る。レオンハルトは無言でうなずき、クラウスの手を縛っていた縄を解かせた。

 

 クラウスは膝をつき、飛び込んできた娘を抱き締めた。妻もその傍らへ崩れるように座り込み、三人の肩が朝の冷気の中で震えている。

 

 町の者たちは声を上げなかった。

 

 通行料を引き上げた代官が、家族を人質に取られていた。その光景だけで全てが許されるわけではない。それでも、クラウスが金のためだけに町を売ったのではないことは、誰の目にも明らかだった。

 

 クラウスは娘から腕を離すと、レオンハルトの前へ進み出た。

 

「申し開きはしません。私は代官として、してはならない命令を出しました」

 

 声は震えていたが、逃げようとはしなかった。

 

「黒鎖商会に従った経緯を話せ」

 

 レオンハルトが命じる。

 

「妻と娘を奪われました。ニコラウスは、通行料を引き上げ、橋守へ命じろと……拒めば二人を川へ沈めると言いました」

 

 クラウスは拳を握った。爪が掌へ食い込むほど力を込めても、後悔を押し止めることはできないようだった。

 

「領都へ知らせようとはしなかったのか」

 

「使いを出しました。一人だけ、私用に見せかけて。ですが、翌朝には使いが身につけていた護符を、ニコラウスが机の上へ置きました」

 

「使いはどうなった」

 

「分かりません」

 

 クラウスの声が沈んだ。

 

 真壁はニコラウスを振り返った。拘束された男は目を逸らし、何も答えない。

 

 倉庫から押収された帳簿には、灰橋町だけではなく、石場町や領都の商人名も記されていた。黒鎖商会の根は、この支店を封鎖するだけでは抜けない。

 

 領都へ向かった使者の行方も、その帳簿の先にあるかもしれなかった。

 

「クラウス・ベーレン」

 

 レオンハルトが告げる。

 

「お前を代官の職務から外し、領都へ連行する。家族を人質に取られていた事情は、証拠とともにアルベルト様へ報告する」

 

「承知しました」

 

 クラウスは深く頭を下げた。

 

「橋の上乗せ通行料は、本日から停止する。ただし、橋の損傷がなくなったわけではない。安全が確認できるまで、重量のある荷馬車は通行を制限する」

 

 周囲で様子を見ていた住民たちの間に、低いざわめきが広がった。

 

 通行料がなくなっても、橋は直らない。黒鎖商会を押さえても、奪われた荷がすべて戻るわけではない。

 

 だが、町の首を締めていた手は外れた。

 

 真壁は朝日に照らされた灰橋を見た。傷んだ板も、湿気を吸った支えも、昨日と何一つ変わっていない。それでも橋の向こうには、商人たちが天幕を張り始める姿があった。

 

 澪とヴァルトも、じきに橋市へ棚と商品を並べるだろう。

 

 橋の修理は必要だ。

 

 しかし、その前に片づけるべきものは片づけた。

 

 真壁が倉庫へ目を戻すと、領務文官が帳簿を一冊ずつ確認し、押収品の一覧を作り始めていた。黒鎖商会の名が記された帳簿の頁は、この町だけで終わらない先へ続いている。

 

 夜明けは来たが、黒鎖商会との決着がついたわけではない。

 

 真壁は朝霧の向こうに延びる街道を見つめた。

 

 次に外すべき手は、その先に残っていた。

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