押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第149話 石場町の内通者

 石場町の警備隊詰所は、町の中心から少し外れた、採石場へ向かう道の曲がり角にあった。

 

 朝日はまだ低く、白い石肌を削り出した斜面を斜めに照らしている。町全体に、薄く砕いた石をまぶしたような乾いた色が広がっていた。荷馬車の轍には夜露が残っていたが、その周りの土はもう白く乾きはじめ、風が吹くたびに細かな石粉が足元をすべっていく。水車町リーデンの湿った空気とも、領都の整った石畳とも違う。ここは、石を切り、削り、量り、運ぶことで息をしている町なのだと、澪は車を降りた瞬間に思った。

 

 戸口を少しだけ開けた家から、職人らしい男がこちらをうかがっていた。腰に巻いた革前掛けは白く粉を吹き、太い指の節にも石粉が入り込んでいる。彼はレオンハルトの姿を見て、慌てて扉を閉めるでもなく、かといって近づいてくるでもなく、その場で息を潜めるように立ち尽くしていた。

 

 澪は、その視線が気になった。恐れているのは、こちらなのか。それとも、こちらが何をしに来たかで町の空気が変わることなのか。どちらにしても、黒鎖商会がここで何かを止めていたのなら、止まっていたのは荷物だけではないのだろう。

 

 レオンハルトは詰所の扉を見据えていた。声を荒げる様子はない。だが、背筋の伸び方と、周囲を一度で測るような視線には、ただの同行者ではない重みがあった。

 

「まず警備隊を押さえる」

 

 短く告げられた言葉に、澪は一瞬だけ目を瞬いた。黒鎖商会の拠点へ行くのではないのか、と思いかけて、すぐに真壁を見た。

 

 真壁は詰所そのものを見ていなかった。扉、裏口へ回る細い通路、屋根の上に据えられた小さな鐘、窓の高さ、壁際に置かれた水桶、そのすべてを同じ温度の目で拾っている。人が逃げるならどこか。合図を出すならどこか。誰かが中から外へ知らせるなら、どこへ走るか。澪には、真壁の視線が建物の輪郭ではなく、そこを通る人の動きを先に読んでいるように見えた。

 

「まず目と耳を押さえる。町の中で動くなら、そこを先に整えねばならん」

 

 真壁の声は静かだった。静かすぎて、かえって澪の胸の中にすとんと落ちた。敵のいる場所へまっすぐ向かうのが早いとは限らない。町の目と耳が買われているなら、こちらが動いた瞬間に相手へ届く。

 

 澪は頷き、収納の感覚を軽く確かめた。今日の自分の役目は、前へ出て敵を倒すことではない。見つかったものを、混ぜずに、壊さずに、あとで誰が見ても分かる形で預かることだった。

 

 

 

 

 レオンハルトが詰所の前に立つと、入口の警備兵が槍を持ち直した。

 

 兵は若く、頬には寝不足の色が残っていた。だが、レオンハルトの紋章を見た瞬間、眠気は吹き飛んだらしい。表情が固まり、喉が一度大きく動く。それでも槍を下ろす動きは遅れなかった。

 

「隊長を呼べ」

 

 レオンハルトの声は大きくない。命令だけが、よく通った。

 

 やがて詰所の奥から、髭に白いものが混じった警備隊長が出てきた。上着の留め具を急いで掛け直した跡があり、目には戸惑いが浮かんでいる。それでも、レオンハルトの前まで来ると、すぐに背筋を伸ばした。

 

「黒鎖商会に関わる摘発を行う。石場町警備隊は、ただいまより一時的に私の指揮下へ入る。鐘、門、倉庫街、荷馬車置き場への連絡は、私の許可なく動かすな」

 

 隊長の顔に緊張が走った。周囲にいた兵たちも、顔を見合わせる。いきなり町の警備が外から抑えられるのだから、戸惑うのは当然だった。それでも、レオンハルトの言葉には、許可を求める響きがなかった。領主家側の人間として、管轄内の警備隊を動かす。その事実が、詰所の空気を一段重くした。

 

 澪は、兵たちの反応を見ていた。多くは驚き、不安そうにしながらも隊長の顔をうかがっている。これから何が起きるのか分からず、命令を待つ人の目だった。

 

 けれど、一人だけ違った。

 

 裏口近くに立つ中年の兵が、レオンハルトではなく、隊長でもなく、外の物音ばかりを聞いている。足の向きも半分だけ裏口へ逃げていた。手は腰のあたりに下り、何かを押さえるように動く。澪には、最初それがただの怯えに見えた。けれど、真壁はもうその男を見ていた。

 

「レオンハルト殿、裏口の男を見給え。隊長の声ではなく、外を聞いている。あれは守る者の目ではない」

 

 男の肩がわずかに跳ねた。

 

 その小さな動きで、詰所の中の空気が変わる。隊長が振り返り、兵たちの視線が男へ集まった。男は一拍だけ固まったあと、裏口へ向かって駆け出そうとした。

 

 だが、その足は思ったほど前へ出なかった。空気が薄い膜になって男の動きを絡め取ったように、身体がずれる。ヴァルトが片手を低く上げ、目立たないほどの結界を裏口の周りに張っていた。

 

 警備隊長が怒声を上げた。二人の兵が飛びかかり、男の腕をねじり上げる。床板が軋み、隠し持っていた小さな札と金貨が男の懐からこぼれた。黒い鎖を模した印が、朝の光を受けて鈍く光る。

 

 澪は息を呑んだ。

 

 黒鎖商会は、町の外で荷を奪うだけではなかった。警備隊の中に目を置き、耳を置き、こちらの動きを先に知るための人間を買っていた。そう考えると、さっき戸口からこちらを見ていた職人の不安も、少し違って見えた。誰が味方で誰が敵か分からない町で暮らすのは、たぶん、息をするだけでも疲れる。

 

 

 

 

 内通者が縄をかけられると、レオンハルトはすぐに次の命令を出した。

 

 鐘楼には二名。町門には四名。倉庫街へ続く道、荷馬車置き場、採石場側の裏道には、それぞれ目の利く者を置く。隊長は短く返事をし、人員を選びはじめた。

 

 真壁はその横で、兵たちの顔と足元を見ていた。返事の早さ、目の向き、命令を聞いた時の肩の動き。澪には、兵が緊張しているかどうかくらいしか分からない。けれど真壁は、そこからもっと細かなものを拾っているようだった。

 

 戦う人の目ではない。軍人だった人の目だ、と澪は思った。

 

 強い敵を見つけるのではなく、崩れる場所を見つける目。味方の中にある小さな歪みを、敵より先に見つける目。真壁が普段、道や素材や荷物を見る時の冷静さと同じものが、人にも向いている。それが少し怖く、同時に頼もしかった。

 

 捕らえていた黒鎖商会の見張り二人は、直属護衛に連れられて詰所の牢へ移された。警備隊の記録係が、彼らの所持品を机に並べ、ひとつずつ声に出して確認していく。小札、荷札、短い合図文、銅貨、折りたたまれた布片。どれも小さな物だが、置かれた場所と、持っていた人物と、見つかった順番が記録されると、ただの持ち物ではなくなっていく。

 

 澪は、その様子を見ながら自分の手を握った。

 

 収納は便利だ。大量の物を一瞬で入れられるし、傷ませずに保管もできる。けれど、便利だからこそ、雑に使えば証拠を壊してしまう。どこで見つかったのか、誰が持っていたのか、何と一緒にあったのか。それが分からなくなったら、押収した意味が薄くなる。

 

 澪は、収納の中に作るべき区画を頭の中で組み立てはじめた。

 

 

 

 

 内通者の所持品と、捕らえた見張り二人の荷札を照合していると、警備隊長の顔色がさらに悪くなった。

 

「旧計量所です。町外れの、昔使っていた石材用の計量所を、黒鎖商会が倉庫として借りています」

 

 隊長は苦いものを噛むように言った。届出は正規のものだったのだろう。だからこそ、警備隊も簡単には踏み込まなかった。町の中に商会が倉庫を借りること自体は、何もおかしくない。

 

 澪は、そこに黒鎖商会の嫌らしさを感じた。

 

 完全な闇なら、見つければ踏み込める。けれど、表の書類が整っていれば、人は一度ためらう。倉庫利用、荷の一時保管、商会の帳簿。そういう、まっとうな商いの形の中に悪事を重ねれば、外から見た時に線がぼやける。

 

「悪事だけなら粗い。だが商いの皮を被せれば、人は一度ためらう。そのためらいを使っているのだよ」

 

 真壁が、こぼれた荷札を見下ろしながら言った。声に怒りはない。怒りがない分だけ、澪にはその言葉が冷たく感じられた。

 

 黒鎖商会は、ただ乱暴に奪っているのではない。ためらいを作り、その間に荷を動かし、人を縛る。澪は、橋市で棚を出し、商品一覧を見せ、欲しい人に欲しい物を渡した時のことを思い出した。同じ商いという言葉を使っていても、向いている先が違いすぎる。

 

 

 

 

 旧計量所へ向かう道は、町の作業場の間を抜けていた。

 

 石粉をかぶった水桶が壁際に並び、砥石を干すための木枠が朝日を受けて白く光っている。戸口の前では、まだ仕事を始める前の職人たちが手を止め、レオンハルトと警備隊の列を見送っていた。彼らの服はどれも地味で、袖口や膝に細かな粉が染み込んでいる。道端に置かれた荷馬車は動き出す前のまま止まり、馬だけが不安げに耳を動かしていた。

 

 澪はその景色を見ながら、黒鎖商会が止めていたものの大きさを考えた。

 

 砥石が届かなければ、刃物は研げない。金具が届かなければ、荷車は直らない。石材が届かなければ、家も橋も直せない。どれも派手ではないけれど、町の日々の仕事を支えるものばかりだった。

 

 旧計量所は、町の外れにあった。低く広い石造りの建物で、壁には昔の計量用の目盛りが薄く残っている。正面扉のほかに、荷を出し入れする横扉と、裏手へ抜ける細い戸があった。

 

 レオンハルトが手を上げると、警備隊は三つに分かれた。正面、横扉、裏口。それぞれの動きに迷いはない。詰所で内通者を押さえたことで、隊長も腹を決めたのだろう。

 

 ヴァルトは旧計量所を包むように結界を整えていた。澪にはそれが目で見えるわけではない。それでも、音の輪郭が少し遠くなり、風が建物の周りで薄く曲がるような感覚があった。

 

 敵を倒す魔法ではない。場を閉じ、合図を漏らさず、外の人を巻き込まないための魔法だ。澪は、ヴァルトの横顔を見て、彼が元いた場所ではこういう制御も当たり前に求められたのだろうかと思った。表情は静かだが、目は建物の出入口と人の動きを正確に追っている。

 

 

 

 

 レオンハルトの合図で、警備隊が旧計量所へ踏み込んだ。

 

 中から椅子の倒れる音と、短い叫び声が上がった。だが、それは大きな戦いにはならなかった。正面から逃げようとした男は押し戻され、横扉へ走った者はすでに回り込んでいた兵に捕まる。裏口へ向かった二人は、外へ合図を出す前に結界の内側で足を止められた。

 

 真壁はその動きの中で、必要なことだけを告げていた。

 

「右の棚裏に短剣がある。触れさせるな」

 

 警備兵が即座に棚を押さえる。別の男が扉の閂に手をかけようとした瞬間、閂そのものが消え、男は空を掴んだ。真壁が収納で取り除いたのだと気づくまでに、澪は少し時間がかかった。あまりにも自然で、物が消えたというより、最初からそこになかったように見えたからだ。

 

 奥の部屋から、太い声が響いた。

 

「何をしている。ここは正規に借り受けた倉庫だぞ」

 

 現れた男は、盗賊というよりも荷主に近かった。肩幅は広いが、荒事を好む者の粗さではなく、帳簿と荷の流れを知る者の嫌な落ち着きがある。服は上等ではないが、袖口に汚れが少ない。荷を運ぶ側ではなく、動かす側の人間だと澪は感じた。

 

 ロッホ・ダイン。

 

 男は警備隊長を見つけると、わずかに口元を歪めた。警備隊の中に自分たちへ知らせる者がいると、まだ思っている顔だった。けれど、その表情はレオンハルトの姿を見た瞬間に崩れた。

 

 レオンハルトは名乗る必要もないというように、まっすぐロッホを見ていた。隣に立つ警備隊長が従っていること、裏口も横扉もすでに押さえられていること、そして内通者がここにいないこと。そのすべてを、ロッホは一呼吸で理解したらしい。

 

 彼の手が机の上の帳簿へ伸びた。

 

「奥の机だ。証拠を燃やそうとしている。火より先に手を押さえ給え」

 

 真壁の声と同時に、警備兵が動いた。ロッホの手首が押さえ込まれ、机の下に隠していた小さな火種が床に落ちる。乾いた紙束の匂いと、油を染み込ませた布の匂いがかすかに漂った。

 

 澪は、その匂いに背筋が冷えた。

 

 ロッホは荷を守ろうとしたのではない。帳簿を燃やそうとした。つまり、そこに黒鎖商会の本体へつながるものがある。物を奪う者が一番恐れるのは、奪った品そのものではなく、奪った流れを記した紙なのだ。

 

 

 

 

 押収が始まると、旧計量所の空気は別の種類の緊張に変わった。

 

 警備隊の記録係が、インク壺と紙を載せた小机を入口近くに置く。薄い顔をした若い男で、さっきまでは突入の勢いに押されて青ざめていたが、筆を握ると表情が引き締まった。

 

「一階、正面右棚。木箱三つ。封印なし。中身、青灰色の砥石と思われる品」

 

 読み上げられた声に合わせて、澪は箱へ手をかざした。ただ収納するのではない。まず、収納の中に仮置きの区画を作る。旧計量所一階、正面右棚。そこに棚を一つ置く感覚で区切りを作り、記録係の読み上げ番号を添える。箱は箱のまま入れ、外側に説明ラベルを付ける。封の状態、発見場所、誰が確認したか。

 

 次の箱には、荷札が付いていた。澪はそれを袋に入れ、箱本体とは紐で対応させる。袋の表には、荷札、正面右棚、木箱二番、と意識の中でラベルを貼る。

 

 ヴァルトが隣でその動きを見ていた。彼の表情は、戦闘中よりもむしろ真剣だった。

 

「ただ収納しているのではないのですね」

 

 澪は、箱を収める手を止めずに頷いた。

 

「はい。混ざると、あとで証拠として使えなくなりますから。まず場所ごとに分けて、それから鑑定で中身を見ます」

 

 言いながら、澪は地下倉庫用の区画、奥の机用の区画、荷出し口横の棚、帳簿棚、隠し箱用の区画を順に用意していく。個別の品は袋詰めし、説明ラベルを付ける。油や薬品のように漏れそうなものは二重に包み、劣化しそうな物があれば真空状態に近い形で保存する。生ものは今のところ見当たらなかったが、もし出てくれば同じように処理するつもりだった。

 

 収納の中は、ただ広い空間ではない。使い方を間違えれば、巨大な物置になってしまう。けれど、場所を分け、ラベルを付け、記録と対応させれば、後で取り出す時に意味が残る。

 

 ヴァルトは、澪の横顔と、次々に消えていく押収物を見比べていた。その目には、魔術師が未知の術式を見る時の鋭さと、商人が帳簿の仕組みを読む時の慎重さが同時にあった。

 

 

 

 

 澪は収納内の一覧を意識した。

 

 青灰色の砥石。修理用金具。封の破られた荷箱。偽装された荷札。黒鎖商会の印が押された帳簿。借用証。油壺。短剣。クラウスの名が残る書状。品名だけなら、ただの在庫にも見えるものがある。けれど、発見場所と状態と、持ち主の痕跡を重ねると意味が変わった。

 

「次は、条件を付けて拾い出します」

 

 澪は、ヴァルトに聞こえるように言った。自分でも、説明しながら手順を確かめているところがあった。間違えられない。便利だからこそ、曖昧にしてはいけない。

 

「黒鎖商会の印があるもの。本来の荷主と、ここでの保管者が一致しないもの。荷札が付け替えられているもの。クラウスさん、代官所、通行料、修理費に関わるもの。警備隊の内通者への支払いに関わるもの。あとは、火付けや毒、隠し武器みたいに、証拠隠滅や脅しに使えるものです」

 

 条件をひとつずつ意識すると、収納内の品が澪の中で絞られていく。黒鎖商会の帳簿。荷札。小札。借用証。支払い記録。それらが、順番に手元へ現れた。

 

 ヴァルトが、はっきりと息を呑んだ。

 

「そんなことが、できるのですか」

 

 その声には、純粋な驚きがあった。澪は少しだけ照れて、手元の帳簿を記録係の前へ置く。

 

「慣れると便利です。全部を出して探すと大変なので……」

 

 自分で言ってから、便利という言葉だけでは足りないと思った。これは、整理のためだけではない。品物の意味を壊さないための作業だ。

 

 ヴァルトは、出された証拠品をじっと見つめていた。彼は収納も鑑定も知っている。高度な魔術や式の扱いにも慣れているはずだ。それでも、澪のやり方は彼の知る収納とは違うらしい。

 

「これは、倉庫ではなく、帳簿そのものですね」

 

 静かに言われて、澪は少し考えた。

 

「そうかもしれません。物を入れる場所というより、物の意味を崩さない場所にしておかないと、後で困るので」

 

 ヴァルトの目が、わずかに変わった。

 

 澪は、その変化に気づいた。驚きだけではない。納得しようとしている目だった。収納は物をしまうための力だと考えれば、広さや保存性が重要になる。けれど、商いの現場では、物がどこから来て、誰のもので、なぜそこにあるのかが意味を持つ。裁きの場では、なおさらだ。

 

 澪は戦うためだけに力を使っているわけではない。品物を預かり、必要な人へ戻し、悪事を証明するために使っている。ヴァルトはそのことを、目の前の帳簿と荷札の並びから受け取っているようだった。

 

 

 

 

「澪君、ヴァルト殿。片端から収め給え。ただし混ぜてはいかん。裁きに使う物、返す物、触れさせてはならん物。この三つは別だ」

 

 真壁は帳簿棚の前に立ち、淡々と言った。彼の手元には、鑑定で意味を読まれた品が順に分けられていく。

 

 黒鎖商会の帳簿、偽装荷札、借用証、脅迫文、クラウスとのやり取りを示す書状、警備隊内通者への支払い記録。それらは裁きに使う証拠として、発見場所ごとに封じる。

 

 青灰色の砥石、石材、修理金具、工具、荷箱は、持ち主へ返す物として分ける。箱の側面には、かすれた工房印や商人の名前が残っているものもあった。澪はそれらを見つけるたびに、元の持ち主がこの荷を待っていたのだろうと思った。

 

 油、毒物、隠し武器、証拠隠滅用の薬品は、危険物として別にする。油壺を収納へ入れる時、澪は二重に包んだうえで、他の証拠から離した。たった一つの壺でも、扱いを間違えれば紙も木箱も駄目になる。

 

 持ち主不明の貨幣や一般在庫らしい品は、保留品にした。今すぐ判断できないものを、無理に決めつけないことも必要だった。

 

 澪は作業を続けながら、押収物の意味を少しずつ理解していった。

 

 砥石がなければ刃物が研げない。刃物が研げなければ、木も革も魚も扱いにくくなる。金具がなければ荷車は直らず、荷車が直らなければ荷は動かない。石材が届かなければ、家も橋も補修できない。

 

 黒鎖商会は、そういう地味で必要なものを隠していた。隠して、不足させて、困った職人や商人に金を貸し、返せなくなったところで権利を奪う。

 

 澪は橋市を思い出した。収納から棚を出し、商品一覧を見せ、必要な人に必要なものを選んでもらう。あの時、棚の前に立つ人たちの目には、欲しいものを見つけた時の明るさがあった。

 

 けれど、ここにある荷は違う。

 

 同じ商会という名前を使いながら、黒鎖商会は人を助けていない。必要なものを隠し、困らせ、逃げられないようにしている。商いは人を助けることもできる。けれど、人を縛る鎖にもなるのだと、澪は収納へ入っていく荷の重さで知った。

 

 

 

 

 押収が一段落すると、澪は収納内の証拠品だけを抜き出した。

 

 出す順番にも意味がある。奥の机から見つかった帳簿。地下倉庫の隠し箱にあった偽装荷札。荷出し口横の棚に押し込まれていた借用証。帳簿棚の裏に隠されていた支払い記録。クラウスの名が残る書状。灰橋町の通行料と、石場町の荷抜きをつなぐ控え。

 

 澪はそれらを、記録係の机の上へ並べた。

 

「これは奥の机です。これは地下倉庫の隠し箱。これは荷出し口横の棚にありました。記録番号は、警備隊の方が読み上げたものと合わせてあります」

 

 言い終えると、レオンハルトが記録係へ視線を向けた。記録係は緊張した顔で頷き、封を用意する。紙に書かれた番号と、澪が出した品のラベルが照合されていく。

 

 収納から出したから分からなくなった、では困る。澪はそう思いながら、ひとつずつ位置を整えた。自分の手が少し汗ばんでいることに気づき、指先を服の端でそっと拭う。

 

 ヴァルトは、その並びを横から見ていた。

 

「なるほど……これなら、奪った者も、隠した者も、言い逃れが難しい」

 

 彼の声には、最初の驚きとは違う重さがあった。魔術としての収納ではなく、証拠を扱う仕組みとしての収納を見ている。澪は小さく頷いた。

 

「はい。収納したから分からなくなった、では困りますから」

 

 真壁が帳簿の一冊を見下ろした。

 

「これでよい。品は黙っているが、並べ方を誤らなければ語る」

 

 その言葉を聞いた時、澪は机の上の品々が急に静かに見えた。帳簿も荷札も借用証も、声を上げることはない。けれど、誰がどこで隠し、何を奪い、誰に金を渡し、どこへ流したのかを、順番を間違えなければ語ってくれる。

 

 澪は、収納の中にまだ残っている押収物の重みを思い出した。そこには、誰かの仕事を止めた品がある。誰かの暮らしを縛った紙がある。誰かを脅すために用意された油や刃物がある。

 

 だからこそ、一つも混ぜてはいけない。一つも、雑に扱ってはいけなかった。

 

 

 

 

 ロッホ・ダインは拘束され、旧計量所の荷は押さえられた。

 

 警備隊の兵たちは、建物の中を最後まで確認している。外では、町の職人たちが遠巻きにこちらを見ていた。近づいてはこない。けれど、さっきまで戸口の陰に隠れていた人たちが、少しずつ道へ出てきている。朝日が高くなり、旧計量所の白い壁と、荷が運び出された跡を照らしていた。

 

 澪はその光の中で、封じられた帳簿を見た。

 

 そこには、黒鎖商会の上位者へ流れた金と、クラウスへ渡った文書の痕跡があった。けれど、真壁が一枚の書状を見た時、わずかに目を細めた。

 

「金だけで動いたにしては、筆が乱れすぎている。これは欲の字ではない。恐れの字だ」

 

 澪は、書状の端に視線を落とした。そこに何が書かれているのか、すべてを読めたわけではない。ただ、線の乱れと、途中で強く押しつけられたようなインクの跡が見えた。

 

 クラウスを許す気にはなれない。通行料で人を困らせ、黒鎖商会に手を貸し、町の流れを歪めたことは消えない。けれど、金だけで動いたにしてはおかしい、と真壁が言うなら、そこには別の鎖があるのかもしれない。

 

 誰かの安全。脅し。人質。

 

 澪は、その言葉をまだ口にしなかった。断定するには早い。けれど、収納の中に収めた証拠品の重さが、さっきよりも少し違って感じられた。

 

 石場町で、黒鎖商会の鎖は一つ断たれた。職人たちの視線の中で、止められていた荷の流れは少しずつ戻るだろう。けれど、その鎖の先にはまだ、クラウスを縛る何かが残っている。

 

 澪は封じられた帳簿から目を離し、白い石粉の舞う町を見た。

 

 次に断つ場所を、間違えてはいけない。

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