篠原澪は、ノートパソコンの画面を見たまま動かなかった。
画面には、提出完了の文字が出ている。
「……終わった」
椅子の背にもたれると、ようやく肩から力が抜けた。
ちゃぶ台の上には講義ノートと在庫表が重なり、その横には黒砂糖のレシートや洗い終えたタオル、ペットボトルのフタまで転がっている。
大学の課題をしていた机とは思えない。
目は乾いているし、肩も重い。
それでも課題は終わった。
これで異世界へ行ける。
昨日作った飲み物がどうなったのか見ておきたい。トトたちが赤い紐の箱に触っていないかも気になる。
それから、エレナが黒砂糖を増やしていないか。
かなり気になる。
澪は椅子から立ち上がろうとして、机へ手をついた。
「……あれ?」
膝に力が入らない。
もう1度座り直す。
「今行ったら、絶対に変な判断する……」
昨日は人に、量を守れ、用途を分けろと散々言ったばかりだ。
その本人が寝不足でふらふらしていては、さすがに格好がつかない。
澪はスマホの通知を消し、部屋の電気を落とした。
「寝よう」
そこだけは迷わなかった。
布団へ入ったところまでは覚えている。
その先はなかった。
◇ ◇ ◇
目を開けると、窓の外が明るかった。
「……何時?」
枕元のスマホを取る。
昼を少し過ぎていた。
「そんなに寝たの?」
半日近く眠っていたらしい。
起き上がってみると、頭の重さは消えている。目の奥もずいぶん楽になっていた。
喉が渇いていたので台所で水を飲み、冷蔵庫に残っていた物で簡単に食事を済ませる。
六畳間へ戻ると、ノートパソコンにはまだ提出完了の画面が残っていた。
「終わった」
今度は、ちゃんと嬉しかった。
画面を閉じる。
その横に転がっていた白いフタを摘まんだ。
昨日、子供たちに渡したペットボトルについていた物と同じだ。
指先で簡単に転がせるほど小さくて、軽い。
ゲンダイでは、なくせば困るくらいの物でしかない。
「予備も持っていこうかな」
澪はフタを収納へ入れた。
◇ ◇ ◇
押し入れを抜けると、昼の市場はすでに熱を持っていた。
石畳には日差しが落ち、リュシアの屋台からは肉の焼ける匂いが流れてくる。香草を刻む音に客を呼ぶ声が重なり、相変わらず賑やかだ。
屋台裏へ回った澪は、まず壁際を見た。
赤い紐を結んだ木箱が、昨日と同じ場所にある。
その前では、トトが年下の子供の手首をつかんでいた。
「そっちは触るな。澪姉ちゃんの顔が怖くなる」
「顔?」
「すごく怖くなる。あと、リュシア姉ちゃんの声も低くなる」
澪は足を止めた。
「トト」
トトがぱっと振り返る。
「あ、澪姉ちゃん!」
「顔が怖くなるって何」
「え、違うの?」
「違わないけど、そこだけ覚えないで」
年下の子は、とっくに赤い紐の箱から手を引っ込めていた。
教え方には問題がある。
でも、触ってはいけないことは伝わっていた。
屋台の奥からリュシアが出てきた。
「澪、課題は終わった?」
「終わりました。ちゃんと寝ました」
「そりゃよかった」
リュシアは手にしていた小皿を作業台へ置いた。
「じゃあ、こっちだね」
皿の上には、白い物が2つと青い物が1つ並んでいた。
どれもペットボトルのフタだ。
澪は小皿を見て、リュシアを見た。
「……帰っていいですか?」
「だめ」
「まだ何も聞いてないんですけど」
「聞いたら、もっと帰れなくなるよ」
嫌な返事だった。
リュシアが白いフタを1つ摘まむ。
「揉めたのはペットボトルじゃない。こっち」
「フタですか?」
「そう」
どう見ても、ただのフタである。
なのにリュシアは、屋台の売上を数える時と同じ目で見ていた。
「澪がいない間に、子供たちが飲み物を入れて持って歩いただろ?」
「はい」
「最初は透明で軽いのを面白がってたんだよ。そこまでは私も分かってた。でも、大人が見てたのは別のところだった」
「俺が見せた!」
トトが得意そうに前へ出た。
「何を?」
「これ」
ペットボトルを持つと、トトはフタを回して締めた。
今度は反対へ回して外す。
「こうすると閉まる。こっちだと開く」
「うん。それはそうだね」
「で、閉めたら――」
トトがボトルを傾けようとした。
「待って」
澪はすぐに手を伸ばした。
「傾けない。振らない」
「ちょっとだけ」
「そのちょっとで漏れたら、私が泣くから」
「ちぇー」
トトは渋々ボトルを戻した。
リュシアが、その手元を指す。
「それを周りの大人が見てたんだよ。水を入れて持ち歩けるだけじゃない。開けて使って、また閉められる。しかもトトでもできる」
「俺でもって何だよ」
「そのままの意味さ」
トトがむっとする。
澪はペットボトルの口元を見た。
リュシアは屋台の棚から古い木栓を1つ持ってきた。
「こっちじゃ、液体を少しだけ持たせるのは面倒なんだよ。木栓は緩むことがあるし、布を詰めりゃ染みる。革袋なら匂いが残るし、陶器は割れるだろ?」
「蝋で閉じるのもありましたよね」
「あるよ。でも開けたあと、また同じように閉じるのは面倒だ」
そう言って、リュシアはペットボトルのフタを軽く回した。
「これは何度も開け閉めできる」
「だから、フタが気になったんですね」
「私は便利だと思っただけだけどね。外の連中は、どうやったら商売に使えるかまで考え始めた」
リュシアが口元を指で叩く。
「この部分があるなら、少し使って、残りをまた閉められるだろ?」
澪はフタを見下ろした。
昨日まで、そこを気にしたことはなかった。
「便利すぎたね」
「便利すぎると駄目なんですか?」
「駄目じゃないよ。欲しがる人が増えるだけさ」
「ああ……」
分かりたくなかった。
「澪、替えはどのくらいある?」
「予備はあります。でも、大量にはないです」
「じゃあ、なおさら欲しがる」
リュシアは小皿の3つを指先で寄せた。
澪も無意識に、その皿を作業台の奥へ少し動かした。
なくすわけにはいかない気がしてきた。
リュシアは屋台の奥へ戻ると、今度はいくつかの容器を抱えてきた。
作業台へ置かれたのは、小さな壺と革袋、それに木栓のついた瓶だった。口を蝋で固めた細い薬瓶も一緒に並べられる。
「似た物なら、こっちにもちゃんとあるよ」
リュシアは小さな壺を持ち上げた。
「油なら、こういうのを使う」
「ちょっと重いですね」
「中身が入れば、もっと重いよ」
壺を戻し、今度は革袋を手に取る。
「水ならこれで十分。でも香草酢みたいに匂いの強い物を入れると、次に使う時に困る」
続いて、木栓のついた瓶をトトへ渡した。
「抜いてごらん」
「うん」
トトが木栓をつかんで引っぱる。
抜けない。
両手で持ち直し、もう1度力を入れた。
「んんっ……!」
それでも動かない。
リュシアが聞いた。
「トト、それをさっき押し込んだのは誰?」
「俺」
「抜ける?」
「……抜けない」
「そういうことだよ」
周りの子供たちが笑った。
トトはまだ諦めず、木栓をねじっている。
澪はペットボトルのフタを外し、また締めた。
トトがすぐに言う。
「こっちは俺でも開く」
「締めすぎなければね」
澪が言うと、トトは目をそらした。
「何かした?」
「してない」
返事だけは早い。
リュシアは最後に細い薬瓶を手にした。
「薬師の瓶や香油の瓶なら、もっとしっかり閉まる物もある。でも高いし、割れる。こんなふうに子供が持って走るような物じゃないね」
「じゃあ、ペットボトルみたいな物がまったくないわけじゃないんですね」
「似た役目の物ならあるさ」
リュシアは透明なボトルを持ち上げた。
「こいつは、どう見ても高そうじゃないのに軽くて、何度も閉められる。そこが変なんだよ」
「高そうじゃないって……」
「高そうに見える?」
澪はペットボトルを見た。
飾りはない。
薄い。
軽い。
職人が手をかけた高級品には、まったく見えなかった。
「見えませんね」
「だろ?」
リュシアは白いフタを別のペットボトルへ載せた。
そのまま回す。
普通に締まった。
「これも変だね」
「何がです?」
「別の本体なのに合う」
澪はそこで、並んでいるボトルを見直した。
どちらも同じ口をしている。
同じフタなら、どちらにも締まる。
ゲンダイでは気にするようなことではない。
リュシアは先ほどの木栓の瓶を持ち上げた。
「こっちの栓が壊れたからって、隣の瓶の栓がそのまま合うとは限らないよ。職人が瓶に合わせて作ってるからね」
「……ああ」
「澪のところじゃ、これを同じ形で何本も作るんだろ?」
「そうですね」
改めて言われると、少し変な感じがした。
ゲンダイでは、同じ商品が何本も棚に並んでいる。
同じ口のペットボトルなら、同じ種類のフタがそのまま使える。
こちらでは、それ自体が簡単ではない。
「リュシア姉ちゃん」
トトがまだ木栓と格闘していた。
「抜けない」
「押し込んだ本人が言うことじゃないよ」
リュシアは瓶を取り上げた。
トトは不満そうだった。
そこへ、屋台の表から足音が近づいてきた。
「今日は何をしている」
少年服姿のエレナが顔を出した。
帽子の下から赤い髪が少しのぞいている。
その後ろにはオスカーがいた。
すでに警戒している。
トトが胸を張った。
「フタ」
「フタ?」
エレナの視線が小皿へ向いた。
オスカーがすぐ半歩前へ出る。
「エレナ様。昨日は黒砂糖でした」
「今日は黒砂糖ではない。フタだ」
「では、今日はフタですね」
「何だ、その言い方は」
「何も」
どう聞いても何かある言い方だった。
エレナは気にせずトトへ手を出した。
「見せろ」
「こうやって締めるんだよ」
トトが得意げに手本を見せる。
フタを締め、また外す。
エレナはボトルを受け取ると、最初に反対へ回した。
「開かぬ」
「そっちじゃないよ」
トトに言われ、エレナの眉が寄った。
「知っていた」
「今、開かぬって言った」
「確認だ」
澪は口を挟まなかった。
オスカーも黙っている。
ただし、エレナの手元からは目を離していない。
今度は反対へ回す。
フタが外れた。
「開いた」
エレナの顔がぱっと明るくなる。
そこだけ見れば、普通に新しい道具を喜んでいるだけなのだが。
「はい。締める時は軽くで大丈夫です」
「漏れぬようにすればよいのだな」
「軽くです」
エレナは力を込めた。
きゅうっと嫌な音がする。
「エレナ様、締めすぎです」
「これなら漏れぬ」
「今度は開かなくなります」
「開く」
エレナが回す。
動かない。
持ち直して、もう1度。
やっぱり動かない。
トトの目が輝いた。
「姫様の力で封印された」
「そうか」
エレナがなぜか得意そうにうなずく。
「そうか、じゃないです」
澪は額へ手を当てた。
オスカーが手を差し出す。
「エレナ様、お貸しください」
「私でも開けられる」
「承知しております。ですが、お貸しください」
エレナは少し不満そうにボトルを渡した。
オスカーがフタをつかむ。
軽く回した程度では動かない。
少し力を込めると、ぎちっと音がした。
フタが緩む。
その瞬間だった。
ぽんっ、と白いフタが指から飛んだ。
作業台へ当たって跳ね、そのまま木箱の後ろへ消える。
「フタ!」
澪の声と同時に、トトたちが一斉にしゃがんだ。
「どこ?」
「こっちじゃない!」
「箱の下見て!」
エレナも探そうとしたが、オスカーが止めた。
「エレナ様。そちらには油の壺があります」
「私も探す」
「別の物を倒されます」
「倒さぬ」
「こちらでお待ちください」
「オスカー」
「はい」
「私は信用されていないのか」
オスカーは答えなかった。
リュシアと澪の目が合う。
「……本体より、フタの方が大変ですね」
「そうだね」
しばらくして、木箱の下からトトが這い出してきた。
手には白いフタがある。
「あった!」
「ありがとう」
澪は受け取ると、今度は小皿の中央へ置いた。
「でも、次は飛ばさないでね」
「俺が飛ばしたんじゃないよ」
トトがオスカーを見る。
オスカーはエレナを見る。
エレナは顔をそらした。
「締めただけだ」
それ以上は誰も言わなかった。
いつの間にか、屋台の表には何人か大人が集まっていた。
客を装っているつもりらしいが、視線はペットボトルへ向いている。
リュシアが追い払わないので、1人が口を開いた。
「それに油は入るか?」
「石鹸水ならどうだ?」
「香草を漬けた酢も持ち歩けるんじゃないか?」
「薬師の薬液を少しずつ分けられないか?」
「染料にも使えそうだな」
そこまで聞いたところで、澪はペットボトルを取り上げた。
「ちょっと待ってください」
大人たちが黙る。
「飲み物に使った物へ、石鹸や薬を入れないでください。油を入れた物を、あとで飲み物用に戻すのも駄目です」
「洗えばいいんじゃないか?」
「何を入れたか分からなくなる方が怖いです。最初から分けてください」
澪は少し声を落とした。
「これは飲み物用、こっちは油用って決めて、それ以外を入れないようにしてください」
リュシアもすぐにうなずく。
「澪の言う通りだね。油壺へ何でも入れたりしないだろ? それと同じさ」
そう言われると、市場の大人たちにも通じたらしい。
「なら、油用は油だけか」
「はい」
「石鹸用も別?」
「別です」
「薬もか」
「薬は絶対に分けてください」
エレナが手元のフタを見た。
「なら、印が要るな」
澪とリュシアが同時にエレナを見る。
「印?」
「同じ形なのだろう。中身が違うなら、見ただけで分からぬと間違える」
エレナは当然のように言った。
リュシアが作業台を見回す。
「それはいいね。紐ならすぐ用意できる」
「色を変えれば、子供でも分かりそうです」
「私なら、もっと分かりやすくできるぞ」
エレナが胸を張った。
オスカーの顔に不安が浮かぶ。
「エレナ様に分かるだけでは困ります」
「皆にも分かるようにする」
「それでしたら、その前にフタを締めすぎないようお願いいたします」
エレナは聞こえないふりをした。
リュシアが屋台の奥へ紐を取りに行く。
その間も、エレナはフタを指先で回していた。
「これと同じ物は、こちらで作れぬのか?」
「同じ物ですか……」
澪は返事に困った。
ペットボトル本体ならプラスチックを成形するのだろう。
フタにも細かいねじ山がある。
そこまでは見れば分かる。
だが、どういう機械で、どうやって同じ物を大量に作るのかと聞かれても説明できない。
リュシアが戻ってきた。
「似た物なら作れるだろうね。金物職人なら金属で蓋を作れるし、木工職人なら木で合わせられる。薬師の瓶にも、しっかり閉まる物はあるよ」
「なら作れるではないか」
「1つずつならね」
リュシアは木栓の瓶を持ち上げた。
「この瓶の栓を作るなら、この瓶に合わせて作る。次の瓶も同じさ。全部がぴったり同じ形になるとは限らない」
エレナはペットボトルを2本並べた。
片方のフタを外して、もう片方へつける。
何の問題もなく締まる。
「こちらは合う」
「はい」
「同じ形で、たくさん作っているからか?」
澪も2本を見た。
「そうですね」
普段なら考えもしない。
同じ種類のペットボトルなら、形が揃っているのは当たり前だった。
こちらの瓶と木栓を見たあとだと、その当たり前が急に目立つ。
トトが横から聞いた。
「じゃあ、フタだけ売れる?」
澪は返事に詰まった。
リュシアが木栓の瓶をトトへ差し出す。
「この瓶につけてみな」
トトがペットボトルのフタを口元へ載せた。
当然、合わない。
「締まらない」
「本体と合わなきゃ使えないんだよ」
「面倒なフタだな」
「だから、なくさないでね」
澪が言うと、トトは真面目な顔でフタを小皿へ戻した。
さっきより扱いが丁寧になっている。
少しは分かってくれたらしい。
リュシアは持ってきた紐を作業台へ広げた。
「フタだけ別に置くと、絶対になくなるね」
「そう思います」
「なら、ボトルの首に紐を結んで……フタにも穴を開けて――」
「開けたら漏れます!」
澪は反射で止めた。
リュシアの手が止まる。
「ああ、そうか」
フタを裏返し、少し考える。
「じゃあ外したら、この皿へ入れる」
「皿ごとなくしたら?」
トトが聞いた。
リュシアは即答した。
「その日は貸さない」
「なくさない」
「じゃあ大丈夫だね」
トトの返事は早かった。
「私ならなくさないぞ」
エレナも胸を張った。
澪は黙った。
リュシアも黙った。
トトまで黙った。
オスカーは最初から何も言わない。
エレナの眉が寄る。
「なぜ黙る」
「いえ……」
「何だ、澪」
「説得力が少し……」
「最後まで言え」
「もうほとんど言ってます」
リュシアが笑いをこらえながら紐を分けた。
「飲み物用は青にしよう。洗浄に使う物は別の色。薬師へ渡すなら、また違う印があった方がいいね」
青い紐をペットボトルの首へ結ぶ。
これなら離れたところからでも分かる。
「外したフタは、この小皿へ入れる。持って帰らない。誰かに貸す時も、どれを渡したか分かるようにしよう」
澪は青い紐のついたボトルを見た。
昨日までなら、ただ飲み物を入れて渡せば終わりだった。
今日はフタの置き場所まで決めている。
「……管理する物、増えますね」
「増やさないと、なくなるよ」
リュシアの返事は早かった。
トトが手を上げる。
「俺、なくさない」
「さっき木箱の下を探してたよね?」
「見つけた」
「見失わない方がいいの」
トトは納得していない顔をした。
エレナが横を向く。
「飛ばしたのはオスカーだ」
「原因はエレナ様の締めすぎです」
「あれは封印が強かっただけだ」
オスカーが額を押さえた。
子供たちとエレナが紐を触り始めたところで、リュシアが澪を手招きした。
少し離れた屋台裏の隅へ移る。
「澪」
「はい」
「これ、水筒だけじゃ終わらないよ」
リュシアの声が少し低くなった。
「油や石鹸液だけじゃない。香草酢や調味液、薬みたいに、少しずつ売りたい物はいくらでもあるんだよ」
「容器が高いんですか?」
「それもある。中身を少し売りたいだけなのに、壺や瓶まで用意したら、その分高くなるからね」
リュシアが青い紐のついたペットボトルを見る。
「こういう軽い容器がたくさんあれば、今までとは違う売り方ができる」
「でも、中身は分けないと駄目です」
「だから最初に決めるんだよ」
リュシアは澪の方へ指を向けた。
「澪の収納と一緒だね」
「私の収納?」
「名前と数と使い道を分けてるんだろ?」
「はい」
「だったら、こいつらも同じにすればいい。飲み物を入れる物には飲み物しか入れない。油を入れたら油だけ。間違えそうなら印をつける」
澪は昨日、大鍋を収納した時のことを思い出した。
飲み物を作るための鍋として登録して、洗浄剤を入れないように決めた。
何に使うか先に決めていたから、途中で迷わなかった。
「容器も同じなんですね」
「そういうこと」
リュシアは澪の顔を見て、にやっとした。
「そういう顔をするようになったね」
「どんな顔ですか?」
「商売を始めたのを少し後悔してる顔」
「……否定しにくいです」
リュシアが笑った。
屋台裏から、トトの声が飛んでくる。
「姫様、ここをこうして結ぶんだよ!」
「お前、それほど上手くないだろう」
「できるって!」
澪とリュシアが振り返る。
トトの手元では、青い紐が見事な団子になっていた。
「トト」
リュシアの声が低くなる。
「人に教える前に、自分のをほどきな」
「できてる!」
エレナが横から覗き込んだ。
「団子だな」
「姫様まで言うなよ!」
澪は思わず笑った。
フタ1つをなくさないために、ずいぶん大ごとになっている。
その横では、オスカーがエレナの持つボトルから目を離していなかった。
たぶん、もう1度封印されないように見張っている。
◇ ◇ ◇
押し入れを抜けて江古田の六畳間へ戻る頃には、外も夕方になっていた。
ちゃぶ台の上を見る。
講義ノートは片づけた。
代わりに、ペットボトルとフタ、色の違う紐が増えている。
「片づいた気がしない……」
澪は座って在庫表を開いた。
まず飲み物用の容器へ青い印をつける。
その横には、ほかの用途へ使わないよう注意を書き足した。
フタの欄には、本体と一緒に扱うことも書いておく。
「持ち帰りもなし、と」
ペンを止める。
白いフタを摘まんだ。
昼間は木箱の下へ飛び、油を入れたいと言われ、石鹸にも使いたいと言われ、薬まで出てきた。
最後には紐まで必要になった。
「小さいのに面倒……」
フタをちゃぶ台へ戻す。
そういえば、今日は半日近く寝たあと、そのまま異世界へ出ていた。
澪は自分へ鑑定を使った。
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篠原 澪
分類:人間/異界渡航者
役割:押入商会代表
現在ジョブ:商人
状態:改善努力中
疲労度:14%
身体異常:なし
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基礎能力値
体力:42
筋力:28
器用:49
知力:66
判断:51
精神:54
集中:45
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既得スキル
鑑定:3
収納:2
----------------------------------
「……改善努力中」
澪はそこだけ、もう1度見た。
「努力中って出るんだ……」
昨日より身体は楽になっている。
課題も終わったし、半日近く寝た。
今日は異世界へ行って、フタを拾って、用途を分けて、紐の色まで決めて帰ってきた。
「私、けっこう改善したと思うんだけど」
鑑定結果は変わらない。
「まだ努力しろってこと?」
なんとなく納得できない。
澪は鑑定を閉じた。
すると今度は、ちゃぶ台の上の在庫表が目に入った。
飲み物用には青い紐をつけ、ほかの用途とは混ぜない。フタも本体と一緒に扱う。
書き足した注意の横には、白いフタが3つ並んでいる。
「……改善する物、そっちにも増えてるんだけど」
澪は小さく息を吐き、フタを1つ摘まんだ。
「なんでフタ1個で、こんなに仕事が増えるの……」