押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第15話 姫様、フタを締める

 

 篠原澪は、ノートパソコンの画面を見たまま動かなかった。

 

 画面には、提出完了の文字が出ている。

 

「……終わった」

 

 椅子の背にもたれると、ようやく肩から力が抜けた。

 

 ちゃぶ台の上には講義ノートと在庫表が重なり、その横には黒砂糖のレシートや洗い終えたタオル、ペットボトルのフタまで転がっている。

 

 大学の課題をしていた机とは思えない。

 

 目は乾いているし、肩も重い。

 

 それでも課題は終わった。

 

 これで異世界へ行ける。

 

 昨日作った飲み物がどうなったのか見ておきたい。トトたちが赤い紐の箱に触っていないかも気になる。

 

 それから、エレナが黒砂糖を増やしていないか。

 

 かなり気になる。

 

 澪は椅子から立ち上がろうとして、机へ手をついた。

 

「……あれ?」

 

 膝に力が入らない。

 

 もう1度座り直す。

 

「今行ったら、絶対に変な判断する……」

 

 昨日は人に、量を守れ、用途を分けろと散々言ったばかりだ。

 

 その本人が寝不足でふらふらしていては、さすがに格好がつかない。

 

 澪はスマホの通知を消し、部屋の電気を落とした。

 

「寝よう」

 

 そこだけは迷わなかった。

 

 布団へ入ったところまでは覚えている。

 

 その先はなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 目を開けると、窓の外が明るかった。

 

「……何時?」

 

 枕元のスマホを取る。

 

 昼を少し過ぎていた。

 

「そんなに寝たの?」

 

 半日近く眠っていたらしい。

 

 起き上がってみると、頭の重さは消えている。目の奥もずいぶん楽になっていた。

 

 喉が渇いていたので台所で水を飲み、冷蔵庫に残っていた物で簡単に食事を済ませる。

 

 六畳間へ戻ると、ノートパソコンにはまだ提出完了の画面が残っていた。

 

「終わった」

 

 今度は、ちゃんと嬉しかった。

 

 画面を閉じる。

 

 その横に転がっていた白いフタを摘まんだ。

 

 昨日、子供たちに渡したペットボトルについていた物と同じだ。

 

 指先で簡単に転がせるほど小さくて、軽い。

 

 ゲンダイでは、なくせば困るくらいの物でしかない。

 

「予備も持っていこうかな」

 

 澪はフタを収納へ入れた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 押し入れを抜けると、昼の市場はすでに熱を持っていた。

 

 石畳には日差しが落ち、リュシアの屋台からは肉の焼ける匂いが流れてくる。香草を刻む音に客を呼ぶ声が重なり、相変わらず賑やかだ。

 

 屋台裏へ回った澪は、まず壁際を見た。

 

 赤い紐を結んだ木箱が、昨日と同じ場所にある。

 

 その前では、トトが年下の子供の手首をつかんでいた。

 

「そっちは触るな。澪姉ちゃんの顔が怖くなる」

 

「顔?」

 

「すごく怖くなる。あと、リュシア姉ちゃんの声も低くなる」

 

 澪は足を止めた。

 

「トト」

 

 トトがぱっと振り返る。

 

「あ、澪姉ちゃん!」

 

「顔が怖くなるって何」

 

「え、違うの?」

 

「違わないけど、そこだけ覚えないで」

 

 年下の子は、とっくに赤い紐の箱から手を引っ込めていた。

 

 教え方には問題がある。

 

 でも、触ってはいけないことは伝わっていた。

 

 屋台の奥からリュシアが出てきた。

 

「澪、課題は終わった?」

 

「終わりました。ちゃんと寝ました」

 

「そりゃよかった」

 

 リュシアは手にしていた小皿を作業台へ置いた。

 

「じゃあ、こっちだね」

 

 皿の上には、白い物が2つと青い物が1つ並んでいた。

 

 どれもペットボトルのフタだ。

 

 澪は小皿を見て、リュシアを見た。

 

「……帰っていいですか?」

 

「だめ」

 

「まだ何も聞いてないんですけど」

 

「聞いたら、もっと帰れなくなるよ」

 

 嫌な返事だった。

 

 リュシアが白いフタを1つ摘まむ。

 

「揉めたのはペットボトルじゃない。こっち」

 

「フタですか?」

 

「そう」

 

 どう見ても、ただのフタである。

 

 なのにリュシアは、屋台の売上を数える時と同じ目で見ていた。

 

「澪がいない間に、子供たちが飲み物を入れて持って歩いただろ?」

 

「はい」

 

「最初は透明で軽いのを面白がってたんだよ。そこまでは私も分かってた。でも、大人が見てたのは別のところだった」

 

「俺が見せた!」

 

 トトが得意そうに前へ出た。

 

「何を?」

 

「これ」

 

 ペットボトルを持つと、トトはフタを回して締めた。

 

 今度は反対へ回して外す。

 

「こうすると閉まる。こっちだと開く」

 

「うん。それはそうだね」

 

「で、閉めたら――」

 

 トトがボトルを傾けようとした。

 

「待って」

 

 澪はすぐに手を伸ばした。

 

「傾けない。振らない」

 

「ちょっとだけ」

 

「そのちょっとで漏れたら、私が泣くから」

 

「ちぇー」

 

 トトは渋々ボトルを戻した。

 

 リュシアが、その手元を指す。

 

「それを周りの大人が見てたんだよ。水を入れて持ち歩けるだけじゃない。開けて使って、また閉められる。しかもトトでもできる」

 

「俺でもって何だよ」

 

「そのままの意味さ」

 

 トトがむっとする。

 

 澪はペットボトルの口元を見た。

 

 リュシアは屋台の棚から古い木栓を1つ持ってきた。

 

「こっちじゃ、液体を少しだけ持たせるのは面倒なんだよ。木栓は緩むことがあるし、布を詰めりゃ染みる。革袋なら匂いが残るし、陶器は割れるだろ?」

 

「蝋で閉じるのもありましたよね」

 

「あるよ。でも開けたあと、また同じように閉じるのは面倒だ」

 

 そう言って、リュシアはペットボトルのフタを軽く回した。

 

「これは何度も開け閉めできる」

 

「だから、フタが気になったんですね」

 

「私は便利だと思っただけだけどね。外の連中は、どうやったら商売に使えるかまで考え始めた」

 

 リュシアが口元を指で叩く。

 

「この部分があるなら、少し使って、残りをまた閉められるだろ?」

 

 澪はフタを見下ろした。

 

 昨日まで、そこを気にしたことはなかった。

 

「便利すぎたね」

 

「便利すぎると駄目なんですか?」

 

「駄目じゃないよ。欲しがる人が増えるだけさ」

 

「ああ……」

 

 分かりたくなかった。

 

「澪、替えはどのくらいある?」

 

「予備はあります。でも、大量にはないです」

 

「じゃあ、なおさら欲しがる」

 

 リュシアは小皿の3つを指先で寄せた。

 

 澪も無意識に、その皿を作業台の奥へ少し動かした。

 

 なくすわけにはいかない気がしてきた。

 

 リュシアは屋台の奥へ戻ると、今度はいくつかの容器を抱えてきた。

 

 作業台へ置かれたのは、小さな壺と革袋、それに木栓のついた瓶だった。口を蝋で固めた細い薬瓶も一緒に並べられる。

 

「似た物なら、こっちにもちゃんとあるよ」

 

 リュシアは小さな壺を持ち上げた。

 

「油なら、こういうのを使う」

 

「ちょっと重いですね」

 

「中身が入れば、もっと重いよ」

 

 壺を戻し、今度は革袋を手に取る。

 

「水ならこれで十分。でも香草酢みたいに匂いの強い物を入れると、次に使う時に困る」

 

 続いて、木栓のついた瓶をトトへ渡した。

 

「抜いてごらん」

 

「うん」

 

 トトが木栓をつかんで引っぱる。

 

 抜けない。

 

 両手で持ち直し、もう1度力を入れた。

 

「んんっ……!」

 

 それでも動かない。

 

 リュシアが聞いた。

 

「トト、それをさっき押し込んだのは誰?」

 

「俺」

 

「抜ける?」

 

「……抜けない」

 

「そういうことだよ」

 

 周りの子供たちが笑った。

 

 トトはまだ諦めず、木栓をねじっている。

 

 澪はペットボトルのフタを外し、また締めた。

 

 トトがすぐに言う。

 

「こっちは俺でも開く」

 

「締めすぎなければね」

 

 澪が言うと、トトは目をそらした。

 

「何かした?」

 

「してない」

 

 返事だけは早い。

 

 リュシアは最後に細い薬瓶を手にした。

 

「薬師の瓶や香油の瓶なら、もっとしっかり閉まる物もある。でも高いし、割れる。こんなふうに子供が持って走るような物じゃないね」

 

「じゃあ、ペットボトルみたいな物がまったくないわけじゃないんですね」

 

「似た役目の物ならあるさ」

 

 リュシアは透明なボトルを持ち上げた。

 

「こいつは、どう見ても高そうじゃないのに軽くて、何度も閉められる。そこが変なんだよ」

 

「高そうじゃないって……」

 

「高そうに見える?」

 

 澪はペットボトルを見た。

 

 飾りはない。

 

 薄い。

 

 軽い。

 

 職人が手をかけた高級品には、まったく見えなかった。

 

「見えませんね」

 

「だろ?」

 

 リュシアは白いフタを別のペットボトルへ載せた。

 

 そのまま回す。

 

 普通に締まった。

 

「これも変だね」

 

「何がです?」

 

「別の本体なのに合う」

 

 澪はそこで、並んでいるボトルを見直した。

 

 どちらも同じ口をしている。

 

 同じフタなら、どちらにも締まる。

 

 ゲンダイでは気にするようなことではない。

 

 リュシアは先ほどの木栓の瓶を持ち上げた。

 

「こっちの栓が壊れたからって、隣の瓶の栓がそのまま合うとは限らないよ。職人が瓶に合わせて作ってるからね」

 

「……ああ」

 

「澪のところじゃ、これを同じ形で何本も作るんだろ?」

 

「そうですね」

 

 改めて言われると、少し変な感じがした。

 

 ゲンダイでは、同じ商品が何本も棚に並んでいる。

 

 同じ口のペットボトルなら、同じ種類のフタがそのまま使える。

 

 こちらでは、それ自体が簡単ではない。

 

「リュシア姉ちゃん」

 

 トトがまだ木栓と格闘していた。

 

「抜けない」

 

「押し込んだ本人が言うことじゃないよ」

 

 リュシアは瓶を取り上げた。

 

 トトは不満そうだった。

 

 そこへ、屋台の表から足音が近づいてきた。

 

「今日は何をしている」

 

 少年服姿のエレナが顔を出した。

 

 帽子の下から赤い髪が少しのぞいている。

 

 その後ろにはオスカーがいた。

 

 すでに警戒している。

 

 トトが胸を張った。

 

「フタ」

 

「フタ?」

 

 エレナの視線が小皿へ向いた。

 

 オスカーがすぐ半歩前へ出る。

 

「エレナ様。昨日は黒砂糖でした」

 

「今日は黒砂糖ではない。フタだ」

 

「では、今日はフタですね」

 

「何だ、その言い方は」

 

「何も」

 

 どう聞いても何かある言い方だった。

 

 エレナは気にせずトトへ手を出した。

 

「見せろ」

 

「こうやって締めるんだよ」

 

 トトが得意げに手本を見せる。

 

 フタを締め、また外す。

 

 エレナはボトルを受け取ると、最初に反対へ回した。

 

「開かぬ」

 

「そっちじゃないよ」

 

 トトに言われ、エレナの眉が寄った。

 

「知っていた」

 

「今、開かぬって言った」

 

「確認だ」

 

 澪は口を挟まなかった。

 

 オスカーも黙っている。

 

 ただし、エレナの手元からは目を離していない。

 

 今度は反対へ回す。

 

 フタが外れた。

 

「開いた」

 

 エレナの顔がぱっと明るくなる。

 

 そこだけ見れば、普通に新しい道具を喜んでいるだけなのだが。

 

「はい。締める時は軽くで大丈夫です」

 

「漏れぬようにすればよいのだな」

 

「軽くです」

 

 エレナは力を込めた。

 

 きゅうっと嫌な音がする。

 

「エレナ様、締めすぎです」

 

「これなら漏れぬ」

 

「今度は開かなくなります」

 

「開く」

 

 エレナが回す。

 

 動かない。

 

 持ち直して、もう1度。

 

 やっぱり動かない。

 

 トトの目が輝いた。

 

「姫様の力で封印された」

 

「そうか」

 

 エレナがなぜか得意そうにうなずく。

 

「そうか、じゃないです」

 

 澪は額へ手を当てた。

 

 オスカーが手を差し出す。

 

「エレナ様、お貸しください」

 

「私でも開けられる」

 

「承知しております。ですが、お貸しください」

 

 エレナは少し不満そうにボトルを渡した。

 

 オスカーがフタをつかむ。

 

 軽く回した程度では動かない。

 

 少し力を込めると、ぎちっと音がした。

 

 フタが緩む。

 

 その瞬間だった。

 

 ぽんっ、と白いフタが指から飛んだ。

 

 作業台へ当たって跳ね、そのまま木箱の後ろへ消える。

 

「フタ!」

 

 澪の声と同時に、トトたちが一斉にしゃがんだ。

 

「どこ?」

 

「こっちじゃない!」

 

「箱の下見て!」

 

 エレナも探そうとしたが、オスカーが止めた。

 

「エレナ様。そちらには油の壺があります」

 

「私も探す」

 

「別の物を倒されます」

 

「倒さぬ」

 

「こちらでお待ちください」

 

「オスカー」

 

「はい」

 

「私は信用されていないのか」

 

 オスカーは答えなかった。

 

 リュシアと澪の目が合う。

 

「……本体より、フタの方が大変ですね」

 

「そうだね」

 

 しばらくして、木箱の下からトトが這い出してきた。

 

 手には白いフタがある。

 

「あった!」

 

「ありがとう」

 

 澪は受け取ると、今度は小皿の中央へ置いた。

 

「でも、次は飛ばさないでね」

 

「俺が飛ばしたんじゃないよ」

 

 トトがオスカーを見る。

 

 オスカーはエレナを見る。

 

 エレナは顔をそらした。

 

「締めただけだ」

 

 それ以上は誰も言わなかった。

 

 いつの間にか、屋台の表には何人か大人が集まっていた。

 

 客を装っているつもりらしいが、視線はペットボトルへ向いている。

 

 リュシアが追い払わないので、1人が口を開いた。

 

「それに油は入るか?」

 

「石鹸水ならどうだ?」

 

「香草を漬けた酢も持ち歩けるんじゃないか?」

 

「薬師の薬液を少しずつ分けられないか?」

 

「染料にも使えそうだな」

 

 そこまで聞いたところで、澪はペットボトルを取り上げた。

 

「ちょっと待ってください」

 

 大人たちが黙る。

 

「飲み物に使った物へ、石鹸や薬を入れないでください。油を入れた物を、あとで飲み物用に戻すのも駄目です」

 

「洗えばいいんじゃないか?」

 

「何を入れたか分からなくなる方が怖いです。最初から分けてください」

 

 澪は少し声を落とした。

 

「これは飲み物用、こっちは油用って決めて、それ以外を入れないようにしてください」

 

 リュシアもすぐにうなずく。

 

「澪の言う通りだね。油壺へ何でも入れたりしないだろ? それと同じさ」

 

 そう言われると、市場の大人たちにも通じたらしい。

 

「なら、油用は油だけか」

 

「はい」

 

「石鹸用も別?」

 

「別です」

 

「薬もか」

 

「薬は絶対に分けてください」

 

 エレナが手元のフタを見た。

 

「なら、印が要るな」

 

 澪とリュシアが同時にエレナを見る。

 

「印?」

 

「同じ形なのだろう。中身が違うなら、見ただけで分からぬと間違える」

 

 エレナは当然のように言った。

 

 リュシアが作業台を見回す。

 

「それはいいね。紐ならすぐ用意できる」

 

「色を変えれば、子供でも分かりそうです」

 

「私なら、もっと分かりやすくできるぞ」

 

 エレナが胸を張った。

 

 オスカーの顔に不安が浮かぶ。

 

「エレナ様に分かるだけでは困ります」

 

「皆にも分かるようにする」

 

「それでしたら、その前にフタを締めすぎないようお願いいたします」

 

 エレナは聞こえないふりをした。

 

 リュシアが屋台の奥へ紐を取りに行く。

 

 その間も、エレナはフタを指先で回していた。

 

「これと同じ物は、こちらで作れぬのか?」

 

「同じ物ですか……」

 

 澪は返事に困った。

 

 ペットボトル本体ならプラスチックを成形するのだろう。

 

 フタにも細かいねじ山がある。

 

 そこまでは見れば分かる。

 

 だが、どういう機械で、どうやって同じ物を大量に作るのかと聞かれても説明できない。

 

 リュシアが戻ってきた。

 

「似た物なら作れるだろうね。金物職人なら金属で蓋を作れるし、木工職人なら木で合わせられる。薬師の瓶にも、しっかり閉まる物はあるよ」

 

「なら作れるではないか」

 

「1つずつならね」

 

 リュシアは木栓の瓶を持ち上げた。

 

「この瓶の栓を作るなら、この瓶に合わせて作る。次の瓶も同じさ。全部がぴったり同じ形になるとは限らない」

 

 エレナはペットボトルを2本並べた。

 

 片方のフタを外して、もう片方へつける。

 

 何の問題もなく締まる。

 

「こちらは合う」

 

「はい」

 

「同じ形で、たくさん作っているからか?」

 

 澪も2本を見た。

 

「そうですね」

 

 普段なら考えもしない。

 

 同じ種類のペットボトルなら、形が揃っているのは当たり前だった。

 

 こちらの瓶と木栓を見たあとだと、その当たり前が急に目立つ。

 

 トトが横から聞いた。

 

「じゃあ、フタだけ売れる?」

 

 澪は返事に詰まった。

 

 リュシアが木栓の瓶をトトへ差し出す。

 

「この瓶につけてみな」

 

 トトがペットボトルのフタを口元へ載せた。

 

 当然、合わない。

 

「締まらない」

 

「本体と合わなきゃ使えないんだよ」

 

「面倒なフタだな」

 

「だから、なくさないでね」

 

 澪が言うと、トトは真面目な顔でフタを小皿へ戻した。

 

 さっきより扱いが丁寧になっている。

 

 少しは分かってくれたらしい。

 

 リュシアは持ってきた紐を作業台へ広げた。

 

「フタだけ別に置くと、絶対になくなるね」

 

「そう思います」

 

「なら、ボトルの首に紐を結んで……フタにも穴を開けて――」

 

「開けたら漏れます!」

 

 澪は反射で止めた。

 

 リュシアの手が止まる。

 

「ああ、そうか」

 

 フタを裏返し、少し考える。

 

「じゃあ外したら、この皿へ入れる」

 

「皿ごとなくしたら?」

 

 トトが聞いた。

 

 リュシアは即答した。

 

「その日は貸さない」

 

「なくさない」

 

「じゃあ大丈夫だね」

 

 トトの返事は早かった。

 

「私ならなくさないぞ」

 

 エレナも胸を張った。

 

 澪は黙った。

 

 リュシアも黙った。

 

 トトまで黙った。

 

 オスカーは最初から何も言わない。

 

 エレナの眉が寄る。

 

「なぜ黙る」

 

「いえ……」

 

「何だ、澪」

 

「説得力が少し……」

 

「最後まで言え」

 

「もうほとんど言ってます」

 

 リュシアが笑いをこらえながら紐を分けた。

 

「飲み物用は青にしよう。洗浄に使う物は別の色。薬師へ渡すなら、また違う印があった方がいいね」

 

 青い紐をペットボトルの首へ結ぶ。

 

 これなら離れたところからでも分かる。

 

「外したフタは、この小皿へ入れる。持って帰らない。誰かに貸す時も、どれを渡したか分かるようにしよう」

 

 澪は青い紐のついたボトルを見た。

 

 昨日までなら、ただ飲み物を入れて渡せば終わりだった。

 

 今日はフタの置き場所まで決めている。

 

「……管理する物、増えますね」

 

「増やさないと、なくなるよ」

 

 リュシアの返事は早かった。

 

 トトが手を上げる。

 

「俺、なくさない」

 

「さっき木箱の下を探してたよね?」

 

「見つけた」

 

「見失わない方がいいの」

 

 トトは納得していない顔をした。

 

 エレナが横を向く。

 

「飛ばしたのはオスカーだ」

 

「原因はエレナ様の締めすぎです」

 

「あれは封印が強かっただけだ」

 

 オスカーが額を押さえた。

 

 子供たちとエレナが紐を触り始めたところで、リュシアが澪を手招きした。

 

 少し離れた屋台裏の隅へ移る。

 

「澪」

 

「はい」

 

「これ、水筒だけじゃ終わらないよ」

 

 リュシアの声が少し低くなった。

 

「油や石鹸液だけじゃない。香草酢や調味液、薬みたいに、少しずつ売りたい物はいくらでもあるんだよ」

 

「容器が高いんですか?」

 

「それもある。中身を少し売りたいだけなのに、壺や瓶まで用意したら、その分高くなるからね」

 

 リュシアが青い紐のついたペットボトルを見る。

 

「こういう軽い容器がたくさんあれば、今までとは違う売り方ができる」

 

「でも、中身は分けないと駄目です」

 

「だから最初に決めるんだよ」

 

 リュシアは澪の方へ指を向けた。

 

「澪の収納と一緒だね」

 

「私の収納?」

 

「名前と数と使い道を分けてるんだろ?」

 

「はい」

 

「だったら、こいつらも同じにすればいい。飲み物を入れる物には飲み物しか入れない。油を入れたら油だけ。間違えそうなら印をつける」

 

 澪は昨日、大鍋を収納した時のことを思い出した。

 

 飲み物を作るための鍋として登録して、洗浄剤を入れないように決めた。

 

 何に使うか先に決めていたから、途中で迷わなかった。

 

「容器も同じなんですね」

 

「そういうこと」

 

 リュシアは澪の顔を見て、にやっとした。

 

「そういう顔をするようになったね」

 

「どんな顔ですか?」

 

「商売を始めたのを少し後悔してる顔」

 

「……否定しにくいです」

 

 リュシアが笑った。

 

 屋台裏から、トトの声が飛んでくる。

 

「姫様、ここをこうして結ぶんだよ!」

 

「お前、それほど上手くないだろう」

 

「できるって!」

 

 澪とリュシアが振り返る。

 

 トトの手元では、青い紐が見事な団子になっていた。

 

「トト」

 

 リュシアの声が低くなる。

 

「人に教える前に、自分のをほどきな」

 

「できてる!」

 

 エレナが横から覗き込んだ。

 

「団子だな」

 

「姫様まで言うなよ!」

 

 澪は思わず笑った。

 

 フタ1つをなくさないために、ずいぶん大ごとになっている。

 

 その横では、オスカーがエレナの持つボトルから目を離していなかった。

 

 たぶん、もう1度封印されないように見張っている。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 押し入れを抜けて江古田の六畳間へ戻る頃には、外も夕方になっていた。

 

 ちゃぶ台の上を見る。

 

 講義ノートは片づけた。

 

 代わりに、ペットボトルとフタ、色の違う紐が増えている。

 

「片づいた気がしない……」

 

 澪は座って在庫表を開いた。

 

 まず飲み物用の容器へ青い印をつける。

 

 その横には、ほかの用途へ使わないよう注意を書き足した。

 

 フタの欄には、本体と一緒に扱うことも書いておく。

 

「持ち帰りもなし、と」

 

 ペンを止める。

 

 白いフタを摘まんだ。

 

 昼間は木箱の下へ飛び、油を入れたいと言われ、石鹸にも使いたいと言われ、薬まで出てきた。

 

 最後には紐まで必要になった。

 

「小さいのに面倒……」

 

 フタをちゃぶ台へ戻す。

 

 そういえば、今日は半日近く寝たあと、そのまま異世界へ出ていた。

 

 澪は自分へ鑑定を使った。

 

----------------------------------

篠原 澪

分類:人間/異界渡航者

役割:押入商会代表

現在ジョブ:商人

状態:改善努力中

疲労度:14%

身体異常:なし

----------------------------------

基礎能力値

体力:42

筋力:28

器用:49

知力:66

判断:51

精神:54

集中:45

----------------------------------

既得スキル

鑑定:3

収納:2

----------------------------------

 

「……改善努力中」

 

 澪はそこだけ、もう1度見た。

 

「努力中って出るんだ……」

 

 昨日より身体は楽になっている。

 

 課題も終わったし、半日近く寝た。

 

 今日は異世界へ行って、フタを拾って、用途を分けて、紐の色まで決めて帰ってきた。

 

「私、けっこう改善したと思うんだけど」

 

 鑑定結果は変わらない。

 

「まだ努力しろってこと?」

 

 なんとなく納得できない。

 

 澪は鑑定を閉じた。

 

 すると今度は、ちゃぶ台の上の在庫表が目に入った。

 

 飲み物用には青い紐をつけ、ほかの用途とは混ぜない。フタも本体と一緒に扱う。

 

 書き足した注意の横には、白いフタが3つ並んでいる。

 

「……改善する物、そっちにも増えてるんだけど」

 

 澪は小さく息を吐き、フタを1つ摘まんだ。

 

「なんでフタ1個で、こんなに仕事が増えるの……」

 

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