押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第157話 森から作るプラスチック

 

 孤児院の戸を開けると、煮た穀物の匂いに、洗った布の湿った匂いが混じって流れてきた。

 

 外はよく晴れていた。石畳には白い日差しが落ち、向かいの建物の壁まで明るく見えている。それなのに、戸口から一歩入った澪の目には、部屋の奥がすぐには見えなかった。

 

「こんにちは。押入商会です」

 

 声をかけると、奥からシスターが出てきた。澪の顔を見て微笑み、その視線を空の両手へ落とす。以前なら不思議そうにされたところだが、今では収納から荷物が出てくることも知られている。

 

「いつもありがとうございます。こちらへお願いします」

 

 案内されたのは、食事と手仕事に使われている広間だった。長い机が二列に並び、壁際には補修を待つ衣服や袋が籠へ分けて置かれている。

 

 澪は通路を塞がない位置を確かめ、収納から箱を一つずつ出した。保存食、石鹸、布、針や糸をまとめた補修用品、櫛や小さな手拭いなどの日用品。最後に、セルマ工房から預かった手当用品の箱を出す。

 

 手当用品には、セルマが付けた札が一つずつ結ばれていた。擦り傷へ使う物、洗った後に塗る物、清潔な布と一緒に使う物が分けられている。

 

「先に、前回の残りを確認してもいいですか」

 

「はい。こちらにまとめてあります」

 

 シスターが棚から木箱を下ろした。

 

 澪は持参した帳面を開き、残っている物を順番に数えた。石鹸は小さくなった物を含めても、あと数日分しかない。保存食も減っているが、布は種類によって残り方が大きく違っていた。

 

「薄い布は残っていますけど、厚手の補修布はもうないんですね」

 

「膝と肘へ使いました。大きい子の服を小さい子へ回す時にも、傷んだところを直しています」

 

 澪は補修布の欄へ印を付けた。単に不足と書くのではなく、服の補修と寸法直しに使用、と用途まで添える。

 

「糸はどうでしたか」

 

「細い物はまだあります。太い物は、袋と靴の補修に使い切りました」

 

「次は太糸を増やします。針は折れませんでしたか」

 

「二本折れました。一本は残してあります」

 

 シスターが小さな紙包みを差し出した。中には中央から折れた太針が入っている。

 

 澪は捨てずに保管されていた針を受け取り、帳面の端へ置いた。材質の問題か、用途に対して細すぎたのかは、後で鑑定すれば分かる。渡した数だけを見ていては、次も同じ物を持ってくることになる。

 

「石鹸は、前より早く減っていますね」

 

「子供たちが自分で手を洗うようになりました。食事の前だけでなく、外から戻った時にも使っています」

 

 減りが早いから使いすぎたのではない。必要な使い方が増えたのだと分かり、澪は次回数を多めに書き直した。

 

 保存食についても、食べた量だけでなく、どの日に使ったかを聞く。普段の食事を置き換えたのではなく、体調を崩した子や、仕入れが遅れた日に使われていた。

 

 セルマの手当用品は、残量と札を照らし合わせる。擦り傷用が最も減り、深い傷へ使う物は封をされたままだった。

 

「使わなかった物も、このまま置いておいてください。無事だったという記録になりますから」

 

「分かりました」

 

 澪が箱を用途別に棚へ収めていると、窓際から椅子を引きずる音がした。

 

 見ると、年長らしい女の子が木の椅子を壁際へ運んでいた。腰掛けるのではなく、その上へ布と針箱を置く。壁の高い位置に開いた細い窓から差す光へ、繕い物を近づけるためだった。

 

 窓には板戸があり、今は片側だけ開いている。外から吹き込んだ風が、女の子の髪と膝の布を揺らした。糸の先が逃げるたび、細い指が何度もつまみ直している。

 

 少し離れた机では、別の子供が文字の書かれた木札を持って立ち上がった。自分の席では読みにくかったらしく、窓から落ちる細い光の中へ移動している。

 

「そっち、まだ使う?」

 

「ちょっと待って。ここを縫ったら空ける」

 

 二人は窓際の場所を順番に使っていた。

 

 澪は棚の前にしゃがんだまま、広間を見回した。

 

 窓は三つあった。どれも壁の高い位置にあり、人の肩幅ほどもない。開いている窓の周囲だけは床の木目まで見えるが、部屋の中央へ届く頃には光が薄くなっている。

 

 もう一つの窓は板戸が閉じられていた。そちら側の机には、小さな油皿の灯りが置かれている。まだ昼前なのに、火が必要だった。

 

「昼も灯りを使うんですか」

 

 澪が尋ねると、シスターは閉じた窓を見た。

 

「風の強い日は、あちらを閉めています。全部開けると、机の紙や布が飛んでしまいますから」

 

 晴れていれば明るい、とは限らないらしい。外の光を入れるには窓を開けなければならず、開ければ風や冷たい空気まで入ってくる。板戸を閉めれば防げるが、光も一緒に遮られる。

 

 澪は立ち上がり、広間の中央まで歩いた。

 

 外へ向いた壁は厚く、窓はその奥を細い穴のように通っている。入口に近い場所は戸を開けている間だけ明るいが、奥の机までは届かない。食事をするだけなら困らなくても、針へ糸を通したり、細かな文字を読んだりするには足りなかった。

 

 寄付した布が、窓際で繕われている。渡した文字札も、光のある場所へ運ばなければ読めない。

 

 澪は帳面の残量欄を閉じ、新しい頁を開いた。

 

 帳面には、三つの窓と板戸の状態、繕い物や読み書きの時に窓際を順番に使っていることだけを書き留めた。

 

 解決方法までは書かなかった。壁へ勝手に穴を開けるわけにはいかず、窓を大きくすれば済むとも思えない。それでも、次に持ってくる石鹸や太糸の数と同じように、持ち帰って考えるべきことだった。

 

「何を書いているの?」

 

 窓際にいた女の子が、繕い物を抱えたまま尋ねた。

 

「この部屋で、何をする時に明るい方がいいかです」

 

「針を使う時。あと、字を見る時」

 

「ほかには?」

 

 女の子は少し考え、長机の方を見た。

 

「小さい子が食べこぼした時。暗いと、踏んでから分かる」

 

「それも書いておきます」

 

 澪が帳面へ加えると、女の子は満足したように椅子へ戻った。

 

 食べ物や薬を届ければ、その日に困っている人を助けられる。石鹸や補修用品なら、明日からの暮らしも少し支えられる。

 

 けれど、この暗さは、箱の中身を使い切った後も残り続ける。子供たちは毎日ここで食事をし、服を直し、文字を覚える。その場所自体を使いやすくする品があるなら、それを探すことも商会の仕事なのかもしれない。

 

 澪は新しい寄付品を収めた棚をもう一度確認し、帳面を閉じた。

 

 戸口へ向かう途中、風が細い窓を抜け、油皿の火を小さく揺らした。窓際では、女の子が布を光へ傾けながら、針の先を確かめていた。

 

 

 

 リュシア商会の扉を開けると、燻した肉の香りが澪を迎えた。

 

 店の奥にある取引台へ、三種類の毛皮が分けて積まれている。床には細長い木箱と革袋が並び、ヴァルトが開いた帳面の向こうで、リュシアが灰色の毛皮を光へかざしていた。

 

「いらっしゃい。少し待ってな、今いいところだから」

 

「商談中でしたか」

 

「最後の値段を決めてるところだよ」

 

 澪は取引台の邪魔にならない場所へ移った。孤児院から持ち帰った帳面を抱えたまま、二人の商談を見る。

 

 毛皮は、傷の少ない物、補修すれば使える物、小物用の端材に分けられていた。傷の位置には糸で小さな印が付けられ、札には魔物の種類、採取日、大きさ、利用可能な範囲が記されている。

 

 リュシアは毛皮の表面を撫でた後、裏返して端を曲げた。

 

「乾かしすぎてはいないね。前より柔らかい」

 

「収納内で状態を見ながら処理しました。こちらの八枚は、外套や敷物へそのまま使えます」

 

「こっちの傷ありは?」

 

「傷を除いても、鞄や手袋に使える広さが残っています。利用可能な範囲は札の通りです」

 

 リュシアは札を毛皮へ重ね、傷の位置と寸法を確かめた。

 

「分類はいい。でも、上等品と同じ値では買えないよ」

 

「同じ値は求めません。ただ、前回の傷あり品より、使える部分を広く残しています」

 

 ヴァルトは前回の取引頁を開き、今回の札と並べた。傷の数だけでなく、実際に利用できる面積を示している。

 

「買った側で傷を避けて切り直す手間も減ります」

 

「その分を値へ乗せろ、ってことだね」

 

「はい」

 

 リュシアは二枚をさらに見比べてから、提示額へ数字を足した。

 

「ここまでだね。これ以上なら、上等品を買った方が早い」

 

「その額でお願いします」

 

 ヴァルトはすぐに応じ、帳面へ決定額を書き込んだ。値を上げることだけでなく、商品としてどこまで手を入れれば買い手の負担を減らせるかを見ている。

 

 次に開かれた木箱には、薄い紙と布で包まれた燻製肉が並んでいた。包みには重量と燻した日が記され、保存向けの物と、早めに食べる物で紐の色が違う。

 

 リュシアは試食用に分けられた薄切りを口へ入れ、ゆっくり噛んだ。

 

「赤い紐は塩が強いね」

 

「長く持たせる分です。青い紐は水分を少し残し、食べやすくしています」

 

「赤は旅人向け、青は町の客向けだね。青い方は、もう少し小さい包みも欲しい」

 

「一度に使い切れる量ですか」

 

「そう。保存できる物でも、大きな包みを買える客ばかりじゃないよ」

 

 ヴァルトは販売単位の欄へ書き加えた。

 

「次回は、現在の半量の包みも用意します」

 

「赤い方は今のままでいい。道中に何日も持たせるなら、小さすぎても困るからね」

 

 最後の革袋からは、種類ごとに小分けされた魔石が出てきた。色と魔力反応で分けられ、同種のものには連続した番号が付いている。

 

 リュシアは袋を一つずつ数え、預かり帳へ記入した。

 

「魔石は工房へ回すよ。売れた先と値段は、次に来た時に渡す」

 

「お願いします」

 

 毛皮と燻製肉の代金が数えられ、ヴァルトが帳面の合計と照合する。リュシアは買い取った品を店側へ寄せ、預かりの魔石だけ別の棚へ移した。

 

「これで終わりだね。森で狩った物をそのまま持ってきていた頃より、ずっと売りやすくなったよ」

 

「何が取れたかだけでなく、何に使えるかまで分けるようにしました」

 

「行商人らしくなってきたじゃないか」

 

 リュシアが帳面を閉じると、ヴァルトはわずかに返答へ迷った。

 

「まだ、学んでいるところです」

 

「商人は、店を畳む日まで学ぶもんだよ」

 

 商談が終わったのを見て、澪は取引台へ近づいた。

 

「リュシアさん、相談があるんです」

 

「その帳面かい。孤児院で何か足りなかった?」

 

「寄付品の不足もありましたけど、それとは別です」

 

 澪は孤児院で書いた頁を開いた。窓の数と位置、板戸を開けた時と閉じた時の違い、広間で行われている作業を記してある。

 

「昼なのに、窓際へ行かないと文字が見えないんです」

 

 リュシアは帳面を自分の方へ引き寄せた。

 

「窓は三つか」

 

「はい。どれも高い位置にあって、小さいです。子供たちは、針を使ったり文字を読んだりする時だけ、窓際へ椅子を運んでいました」

 

「板戸は?」

 

「一つは開いていました。でも、風で布と糸が動いていました。別の窓は閉まっていて、そっちの机では昼から灯りを使っています」

 

 リュシアは見取り図の窓へ指を置いた。

 

「明るくするだけなら、穴を広げればいい」

 

「やっぱり、そうですか」

 

「でも、それじゃ風も雨も一緒に入る。冬は冷えるし、夜には外から中が丸見えだ。結局、板戸を閉めることになるよ」

 

 澪は、窓際で糸の先をつまみ直していた子供を思い出した。

 

「閉めたら、今と同じですよね」

 

「そういうことだね」

 

 ヴァルトは商談の帳面を片づけながら、二人の会話を聞いていた。口を挟まず、澪が描いた窓の位置と、広間の使い方へ目を向けている。

 

「リュシアさんの店は、窓がもう少し大きいですよね」

 

「ここは表の戸を開けてる時間が長いからね。それでも雨の日は暗いよ。細かい傷を見たい時は、商品を入口まで持っていく」

 

 リュシアは先ほど確かめた毛皮を示した。

 

「毛皮なら動かせる。でも、食事の机や、子供全員の椅子を毎回窓際へ寄せるわけにはいかないね」

 

「光を入れたまま、風を止める方法はありませんか」

 

「板ガラスを入れればできるよ」

 

 あまりに早い答えに、澪は顔を上げた。

 

「板ガラス、あるんですね」

 

「あるにはある。教会や貴族の屋敷、値の張る店なんかで使われてる」

 

「孤児院にも入れられませんか」

 

「値段を聞いたら、その帳面を閉じたくなると思うよ」

 

 リュシアは棚から古い仕入帳を取り出した。頁をめくり、硝子商が以前持ち込んだ品の記録を探す。

 

 小さな鏡、飾り用の色硝子、薬瓶。その下に、建物用の板ガラスがあった。大きさは孤児院の窓一つを覆えるかどうかという程度で、それでも横に書かれた値は、澪が予想したものより一桁多かった。

 

「一枚で、これですか」

 

「運ぶ途中で割れても値は戻らない。窓に合う大きさへ整える費用と、枠を作る職人の手間は別だよ」

 

 孤児院には窓が三つある。広間だけでそれだけあり、ほかの部屋にも小さな板戸があった。

 

 澪は帳面の窓の数と、仕入帳の値段を見比べた。

 

「高いですね」

 

「やたらと高いね」

 

 リュシアが仕入帳を閉じても、ヴァルトは何も言わなかった。ただ、澪の帳面に描かれた小さな窓と、閉じられた板ガラスの価格表を見比べていた。

 

 

 

 マールヴェインの森へ戻ったヴァルトは、ヴァルト亭へ直行しなかった。

 

 領都で売却した分だけ、収納内の商品棚には空きができている。空いた場所を次の商品で埋めるため、ヴァルトは森の地図を開いた。

 

 木々の間に浮かぶ地図には、魔物の反応が群れごとに分かれている。以前なら危険地帯として避けた場所も、今は個体数、移動方向、水場、獣道を見比べられた。

 

 ここ最近、森の北側では魔物の動きが増えていた。複数の群れが同じ方向へ押し出され、スタンピードの前触れに似た偏りも現れていたが、ヴァルトが毎日のように狩り、群れの数を減らしているためか、地図上の密集は少しずつ解けている。

 

 今日、最初に見つけたのはゴブリンの一団だった。

 

 ヴァルトは正面から近づかず、ゴブリンが使っている獣道の両側へ境界を引いた。目には見えない線だが、逃げようとしたゴブリンは無意識に境界を避け、ヴァルトが残した一本道へ入っていく。

 

 その先では、落とし穴が待っていた。

 

 先頭が消えると、後ろのゴブリンは慌てて横へ逃げようとした。しかし、そちらには結界がある。押し戻された群れは互いにぶつかり、勢いのまま穴へ落ちた。

 

 穴の底にも結界が張られている。這い上がるために積み重なろうとしても、足場が滑るよう境界をずらしてあるため、立ち上がることもできない。

 

 ヴァルトは穴の縁から内部を確認した。

 

「収納」

 

 ゴブリンだけが穴の底から消え、収納内の魔物受入区画へ送られる。武器と汚れた装備は、死骸とは別の隔離区画へ落ちた。

 

 穴そのものは収納しなかった。次に同じ獣道を使う魔物がいれば、また使える。

 

 地図へ再使用可能と書き加え、ヴァルトは次の反応へ向かった。

 

 フォレストウルフの群れは、森の斜面を走っていた。

 

 狼はゴブリンより速く、単純な一本道には集まらない。ヴァルトは境界を長く伸ばし、群れの先頭だけが斜面の下へ向かうよう進路を曲げた。

 

 先頭を追う性質を利用すれば、後続も同じ場所へ集まる。

 

 斜面の下へ群れが入ったところで、上に積まれていた大石の収納を解除した。

 

 大量の石が斜面を転がり落ちる。

 

 フォレストウルフは音に驚いて散ろうとしたが、左右の結界が逃走線を狭めていた。石は群れの中央へ雪崩れ込み、狼を地面へ押さえ付ける。

 

 ヴァルトは地図で残った反応を確認した。石の陰へ逃れた個体だけを境界で分け、次の落石を別の角度から落とす。

 

 反応が止まった後、石だけを収納した。

 

 その下から現れたフォレストウルフを魔物受入区画へ送り、血のついた土も表面だけ収納する。森の地面には倒木と枝葉を戻し、獣道から死骸の匂いを消した。

 

 ジャイアント・スパイダーは、木々の間へ巣を広げていた。

 

 粘着性のある糸は商品になるため、燃やすわけにはいかない。ヴァルトは巣の周囲を結界で包み、蜘蛛が別の木へ逃げられないよう境界を閉じた。

 

 結界内へ水を送り込む。

 

 地面近くにいた蜘蛛が木を登ろうとするが、上側にも結界がある。水位が上がるにつれ、蜘蛛は狭い空間へ集まっていった。

 

 動きが止まった個体から収納し、最後に水だけを別区画へ抜く。残された巣も、枝ごと収納内の素材区画へ送った。

 

 グリズリー・ベアは、落とし穴へ落としても穴の壁を崩して出てくる。

 

 ヴァルトは最初から、谷間の狭い場所へ誘導した。

 

 倒木と岩を収納して道を開け、熊が入った後に元へ戻す。前後を塞がれた熊が岩を押しのけようとしたところへ、上方から大石をまとめて落とした。

 

 地面が揺れ、鳥が一斉に飛び立った。

 

 ヴァルトは結界の外から熊の反応が消えたことを確かめ、岩と死骸を順番に収納した。

 

 攻撃魔法を撃つより、地形を使った方が森を焼かずに済み、魔力も少なくて済む。残る死骸も回収しやすい。

 

 そう考えている時点で、魔術師というより狩猟と仕入れを同時に行う商人になっている気もしたが、ヴァルトは気にしないことにした。

 

 最後に向かったのは、キラービーの巣だった。

 

 太い木の枝から、人の胴ほどもある巣が下がっている。周囲を飛ぶ蜂は掌より大きく、針には強い毒がある。

 

 だが、ヴァルトが欲しいのは蜂ではなかった。

 

 巣の中に蓄えられた蜂蜜である。

 

 ヴァルトは巣の周囲へ球状の結界を張った。外へ出る蜂と、餌を持って戻る蜂を境界で誘導し、一匹ずつ結界内へ入れる。

 

 群れが揃ったところで、収納から麻痺ガスを放った。

 

 結界の内側だけが白く曇る。キラービーはしばらく激しく飛び回っていたが、一匹、また一匹と力を失い、巣の表面へ落ちていった。

 

 反応が弱くなったところで、ヴァルトは蜂と巣を丸ごと収納した。

 

 巣は収納内で蜂、幼虫、蜜蝋、蜂蜜へ分ける。蜂蜜は濾過区画を通し、異物を除いた後で瓶へ詰める。幼虫や巣の一部は次の群れを育てるために残し、麻痺したキラービーも境界で囲った飼育区画へ送った。

 

 すべてを狩り尽くせば、次の蜂蜜は得られない。

 

 森の花が減らない範囲で巣を残し、増えすぎた群れだけを回収する。その方が、継続して仕入れられる。

 

 最近のヴァルトは、この蜂蜜を気に入っていた。

 

 パンへ塗ってもよいが、収納内の発酵区画へ蜂蜜と水を入れれば、蜂蜜酒になる。試しに作った一瓶は香りが良く、領都へ持っていく前に自分で半分ほど飲んでしまった。

 

 次は売却分と自家用を、最初から分ける必要がある。

 

 ヴァルトはその反省を帳面へ書き、ヴァルト亭へ戻った。

 

 玄関で外套の汚れを落とし、二階へ上がる。机にはノートPCと紙の帳面が並び、その横には蜂蜜酒の試作瓶が置かれていた。

 

 現在のステータスは以前澪達と行商に行ってから次のように変わった。

 

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ヴァルト

 

現在ジョブ:行商人 Lv3→7

状態:

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基礎能力値

体力:78→84

筋力:61→69

器用:94→104

知力:103→113

判断:104→115

精神:104→113

集中:102→110

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スキル一覧

鑑定:10

収納:10

商才:5→7

交渉:3→8

収納内プラント:芽あり→3

地図:3→7

発酵:1→10

移動加速:4→6

境界魔術:10

収納魔術:9→10

結界魔術:10

転移陣解析:10

魔術式解析:10

魔力操作:10

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取得スキルポイント:34

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 ヴァルトは表示を上から読み、収納内プラントの項目で目を止めた。

 

 最初に芽が出た時、自分のスキルポイントを使って一へ上げた。それから毎日、魔物素材、肥料、燻製肉、蜂蜜、蜂蜜酒を処理し続けた結果、すでに三まで成長している。

 

 商才と交渉は、リュシアとの取引で買い手の用途へ合わせて品を分けるようになった経験を受け、発酵は十まで上がっていた。

 

「予想以上の成長。」

 

 誰もいない部屋で口にしたが、表示は訂正されなかった。

 

 肥料や蜂蜜酒を作り、燻製前の肉を整え、森で得た植物の変化を調べるうち、外なら何日も待つ発酵を収納内の時間調整で何度も繰り返して比較していた。

 

 その回数が、そのまま発酵スキルへ積み重なったらしい。

 

 収納魔術も十へ達し、内部へ意識を向けると、以前より細かく魔術式を通せることが分かった。

 

 これまでは、収納した物を置き、分け、取り出すことが中心だった。今は、区画ごとに魔術式を固定し、温度、気圧、時間の進み方を調整できる。

 

 発酵区画は温度を一定に保ち、時間を外より速く進める。燻製区画では煙の濃さと圧力を揃え、毛皮処理区画では薬液が全体へ均等に回るよう流れを作る。

 

 必要な魔力は、魔石から供給していた。

 

 今日だけでも、ゴブリン、フォレストウルフ、ジャイアント・スパイダー、グリズリー・ベアから魔石を回収している。収納内の魔石保管区画には、使う量より入ってくる量の方が多い。

 

 森で狩りを続ける限り、プラントを動かす魔力には困らなかった。

 

 ヴァルトは魔物受入区画を開いた。

 

 今日収納した死骸は種類ごとの境界へ送られ、《鑑定》で異常のある個体だけを隔離した後、残りが処理列へ入る。魔石は種類と魔力量ごとに保管され、毛皮は傷の位置を記録してから同種の物を一斉になめし工程へ送った。

 

 食用可能な肉は部位ごとに切り分けられる。早く売る肉と保存用を分け、保存分は燻製区画へ流す。

 

 骨、内臓、傷んだ肉、皮の端材は、商品棚には行かない。細かく分類され、前処理を経て肥料の発酵区画へ送られる。

 

 以前なら森へ捨てるか穴へ埋めていた部分まで、今は用途を持つ。フォレストウルフは魔石、毛皮、食用肉、燻製肉、肥料材料へ、ジャイアント・スパイダーは魔石、糸、素材液、肥料材料へ分かれ、グリズリー・ベアの厚い毛皮と脂もそれぞれ別の棚へ収まった。

 

 プラントの中では、複数の処理が同時に進んでいる。

 

 毛皮は一枚ずつ手で処理する必要がなくなった。同じ状態の物を一つの区画へまとめ、収納魔術で薬液と温度を均等に通せば、まとめてなめすことができる。

 

 燻製肉も、肉の厚さごとに時間と煙を変えられる。外の天候に左右されず、同じ状態へ揃えられた。

 

 発酵区画では、魔物の残渣が肥料へ変わり、その隣では蜂蜜酒が発酵している。

 

 発酵スキル十と時間調整を組み合わせると、変化は目に見えて速かった。途中で時間を緩めて《鑑定》し、香りや糖分が望む状態へ近づけば、そこで発酵を止める。

 

 ヴァルトは蜂蜜酒の試作区画を確認した。

 

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キラービー蜂蜜酒

 

状態:発酵中

原料:精製蜂蜜、水

発酵:良好

香り:強

甘味:残存

推奨:追加熟成

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「あと少し。」

 

 独り言を言い、時間の進み方を一段落とした。

 

 ノートPCで調べた知識は食品や肥料以外にも使っていた。強力な魔物や大きな群れへ対処するため、画面の資料をもとにいくつかの危険な試作品を作り、結界で分けた専用区画へ保管している。

 

 今日、キラービーへ使った麻痺ガスも、その一つだった。

 

 まだ森で使っていない試作品には、試料番号と効果だけを帳面へ記録し、製造区画ごと封じた。

 

 ヴァルトは危険物区画の境界を確認した後、再び通常の生産記録へ戻った。

 

 領都で空いた商品棚へ、なめし終えた毛皮が入っていく。燻製肉は販売単位ごとに包まれ、魔石は次の取引へ向けて番号を付けられる。肥料は薬草用と農政用に分けられ、完成時の鑑定結果が帳面へ移された。

 

 狩りで得た物を収納へ入れるだけではなく、森から受け入れた原料を工程へ通し、用途と値段を持つ商品へ変えている。

 

 ヴァルトは机の上のノートPCと、収納内で動き続ける区画を見比べた。

 

 収納内プラントは、すでに大きな倉庫ではなく、森で得たものを余すところなく商品へ変える工房になっていた。

 

 

 

 領都へ通う回数が増え、リュシア商会との取引も継続注文へ変わった頃、リュシアは品質の揃った毛皮を数える途中で、その量が前回より大きく増えていることに気づいた。

 

「ヴァルト、今回はずいぶん多いね」

 

「森の北側で、複数の群れが同じ方向へ動いていました」

 

 ヴァルトは狩猟記録を開いた。

 

 フォレストウルフ、ジャイアント・スパイダー、グリズリー・ベア、ゴブリン。地図で確認した群れの位置と個体数が、回収した毛皮や魔石の生産番号へ結び付けられている。

 

「スタンピードの兆しかい」

 

「その可能性はありました。ただ、群れの数を減らしてからは、反応の偏りも小さくなっています」

 

 ヴァルトは地図上で変化した場所を示した。

 

 森の奥から外縁へ向かっていた反応は、数日分の狩猟を境に散っている。魔物が消えたわけではないが、複数の群れが一斉に領内へ流れ込む動きは止まっていた。

 

 リュシアは記録と、取引台に積まれた毛皮を見比べた。

 

 マールヴェインの森が魔物を吐き出すたび、領は人も畑も荷も失ってきた。町を立て直し、道を直し、減った働き手を補う間に、領は何度も細っている。

 

 その前触れを、この男は森で暮らしながら狩り、毛皮と肉と魔石へ変え、領へ届く前に消していた。

 

「今後も、この量を持ち込めそうかい」

 

「森の状態によります。狩猟と処理は続けます」

 

「なら、増えた分もこっちで売るよ。持ち込む前に数量を知らせな。毛皮は押入家具と革職人へ、燻製肉は旅人向けの店にも回せる」

 

 リュシアは増えた数量を買付帳へ加えた。

 

 商品が増えたから買うだけではない。ヴァルトには、できる限り長くマールヴェインの森にいてもらう必要がある。そのためには、狩った物が売れ、森での生活が仕事として続く流れを切らしてはならない。

 

 リュシアは毛皮の販路を増やし、燻製肉を継続して受け入れる枠を作った。ヴァルトも、次に持ち込める数量と仕上がり予定日を帳面へ記した。

 

 ヴァルトにとっても、売れた数と次回注文を持ち帰り、生産量を決める流れの方が、商才と交渉の成長を表示の数字より明確に示していた。

 

 セルマ工房へ向かう時、ヴァルトが持っていくのは毛皮や燻製肉ではない。

 

 薬草養液用の肥料を入れた壺と、生産番号ごとの試料瓶、完成時の鑑定記録である。

 

 工房の奥では、水耕棚の白紫の光を受け、治癒草が葉を広げていた。通常の養液で育てる棚と、肥料を加えた棚は分けられ、栽培槽の脇には使用量と採取日を書いた札が並んでいる。

 

 セルマは肥料の壺を受け取ると、前回より厚くなった注文帳をヴァルトへ向けた。

 

「次は、この倍が欲しい。それと、水耕棚も増やしたい」

 

 ヴァルトは使用量の欄を見た。治癒草の栽培数だけでなく、抽出へ回した葉の量も増えている。

 

「ポーションの注文が増えたのですか」

 

「ここ最近、領内で魔物が増えてる。警備兵だけじゃなく、猟師や荷運びまで怪我をして来るんだよ」

 

 初級ポーションは日常の傷へ回り、肥料を加えた治癒草から得られる高薬効素材は、深い傷を負った者のために使われている。

 

 セルマの帳面には、工房へ持ち込まれた負傷者の数と、使ったポーションの本数が記されていた。どちらも以前より増えている。

 

「今ある棚だけじゃ追いつかない。この時期を乗り切るには、肥料も治癒草ももっと要る」

 

 セルマは水耕棚の配置図を開いた。現在の棚の隣へ、同じ栽培槽を二列増やす場所が取られている。

 

「設備は澪と真壁に頼む。ヴァルトは肥料を増やして。作った分は、私が使うよ」

 

「承知しました。薬草用の生産列を先に動かします」

 

 ヴァルトは必要量と納期を生産帳へ移した。

 

 今の収納内プラントなら、次の訪問までに揃えられる。魔物の残渣だけで足りなければ、森で集めた植物を原料へ加えればよい。薬草用の生産列を優先し、その後で農政用へ切り替える順番も書き込んだ。

 

 セルマが求めているのは試験用の一壺ではなく、増えた負傷者へポーションを届けるための継続供給だった。森で減らした魔物の残渣が肥料となり、治癒草を育て、傷ついた者へ戻っていく。魔術院では術式の完成を成果としていたヴァルトにとって、同じ品質と必要量を納期までに揃え、仕事の先にいる者まで見えることは新しく、嬉しい変化だった。

 

 領都から森へ戻ると、売却した商品棚には空きがあり、代わりに新しい注文が帳面へ加わっている。

 

 ヴァルトは注文数に合わせて収納内プラントの区画を動かした。

 

 毛皮のなめし工程を継続しながら、燻製肉の販売単位を揃える。薬草養液用肥料の区画は時間の進み方を速め、完成した順に《鑑定》して、生産番号と結果を記録する。

 

 作る順番を変えるだけで、同じ設備から出る品の流れも変わった。

 

 時折、登録済みの転移先から訪れる真壁は、完成品より保留試料や動線を見て、同時に使わない待機場所の共有や、投入量と完成量の比較を示した。ヴァルトはその見方を自分のものにし、残された設計図を収納へ合わせて引き直して翌日の生産で試した。

 

 誰かと研究することが、これほど穏やかなものだとは知らなかった。

 

 魔術院では、期限までに結果を出すことを求められ、失敗した理由より責任の所在を先に問われることがあった。ヴァルト亭では、目の前の工程をどうすれば軽く、早く、同じ結果へ近づけられるかだけを話せる。

 

 真壁は、答えをすべて置いていくわけではない。ヴァルトが自分で組める部分は残し、必要な資料と見方だけを渡して帰る。その距離が、ヴァルトには心地よかった。

 

 夜になり、収納内プラントが予定通り動いていることを確認すると、ヴァルトはノートPCを開いた。

 

 最初に見るのは、発酵、農業、素材加工の資料である。

 

 肥料の原料による違いを調べ、燻製と保存の資料を開く。現代の工程図を、自分の収納内で使える区画へ置き換え、必要な部分を紙の帳面へ写していった。

 

 調べ物は、そこで終わるはずだった。

 

 画面の端には、二〇二五年頃までの歴史資料へ続く索引がある。

 

 九〇年代で途切れた自分の記憶から先に、日本で何が起きたのか。技術がどこまで進み、知っていた物がどう変わったのか。項目を一つ見るだけのつもりで開くと、その先に別の資料が現れる。

 

「歴史は逃げん」という真壁の声が記憶へ戻り、ヴァルトは歴史資料を閉じて発酵の頁へ戻った。

 

 蜂蜜酒の糖分と発酵時間を確認し、収納内の試作区画へ条件を反映する。次に肥料の水分量を調べ、植物由来の残渣を使った区画と比較した。

 

 必要な作業を終えて保存した記録を確かめたところで、再び歴史資料の索引が目に入った。今度は、もう仕事を終えている。

 

 ヴァルトは椅子へ深く腰掛け、九〇年代以降の科学史を開いた。

 

 窓の外では、マールヴェインの森が夜の風に揺れている。机の上では、自分が知らなかった三十年分の文字が静かに並んでいた。

 

 魔術を研究し、森で狩り、商品を作り、領都で売る。セルマの仕事へ材料を渡し、真壁と工程を組み、夜には未来の書庫を読む。

 

 行商人となった自分が、以前より多くのことを学び、作り、誰かの仕事へつなげられるようになっている。

 

 ヴァルトは画面を送る指を止めず、口元だけをわずかに緩めた。

 

 

 

 ヴァルト亭の二階では、収納内プラントの設計図が机いっぱいに広げられていた。

 

 最初に真壁から渡された図の横へ、ヴァルトが書き直した現在の区画図が並んでいる。何度も線を引き直したため、紙の一部は黒くなり、新しい紙を貼り足した場所もあった。

 

 ヴァルトは領都から戻ったばかりだった。

 

 リュシア商会の買付帳を写した紙と、セルマから受け取った肥料の注文書を、生産予定表へ移している。毛皮、燻製肉、魔石、薬草養液用肥料。それぞれに必要数と納期を書き、生産区画を使う順番へ番号を振っていた。

 

 紙の端へ最後の数字を書いた時、階下の結界がわずかに震えた。

 

 外から侵入された反応ではない。

 

 登録済みの転移先が真壁の転移を受け入れ、二階の空いた場所へつながる。室内の空気が揺れ、次の瞬間には真壁が立っていた。

 

「お待ちしていました、真壁殿」

 

「予定より早かったかな」

 

「いえ。領都での注文を、生産予定へ移したところです」

 

 真壁は机へ近づいた。ヴァルトが差し出した椅子へ座る前に、二枚の設計図を見比べる。

 

 最初の図では独立していた区画が共有化され、受入と鑑定の後で魔物素材と肥料材料が別の線へ分かれていた。

 

「動いたようだな」

 

「はい。肥料については、連続して生産できるようになりました」

 

 ヴァルトは生産記録を開いた。

 

 最初の頁には、一回目の試作品から現在までの鑑定結果が並んでいる。初期には水分量と発酵状態にばらつきがあったが、最近の番号は数値が揃っていた。

 

「薬草養液用は、直近の六回で同じ鑑定結果が出ています。セルマ殿の水耕棚でも、同じ割合で使えるようになりました」

 

 真壁は六つの生産番号を目で追った。

 

「原料が違う回は?」

 

「こちらです」

 

 ヴァルトは別の欄を示した。

 

 魔物の残渣を多く使った回、森の植物を加えた回、両方を混ぜた回。それぞれの投入量と、完成後の状態が記されている。

 

「原料の種類が変わっても、分類と前処理で状態を揃えれば、完成品の品質は合わせられます。発酵区画へ入れる前の水分と、時間調整を変えています」

 

「結構」

 

 真壁が次の頁を開くと、魔石、毛皮、肉を抜いた後の残渣だけが肥料へ流れ、異常品は受入時に隔離する構造が描かれていた。共有するのは鑑定と待機の場所だけで、素材そのものは境界で分かれている。

 

 ヴァルトは処理量をまとめた頁を開いた。

 

「現在は、一日で中型魔物なら十体前後、大型なら二体まで処理できます。毛皮のなめしと燻製を同時に動かした場合、肥料は一日に四壺です。肥料だけを優先すれば、六壺まで増やせます」

 

「魔力消費は?」

 

「こちらに」

 

 魔石の投入量と、プラント内の魔力消費が日ごとに記録されている。

 

「森で回収する魔石の方が多いため、現在の稼働率なら在庫は増えています」

 

 真壁は魔石在庫の増減を確かめた後、領都から持ち帰った二枚の注文書へ目を移した。

 

「需要は?」

 

「リュシア殿からは、毛皮と燻製肉の継続注文が出ています」

 

 ヴァルトは次にセルマの注文書を置いた。

 

「セルマ殿からは、薬草養液用肥料をこれまでの倍量で求められています」

 

「納期は満たせるかね」

 

「薬草用の生産列を優先すれば可能です。リュシア殿へ持ち込む毛皮と肉は、肥料の発酵中に処理できます」

 

 ヴァルトは生産予定表を真壁へ向けた。

 

 肥料の発酵時間、毛皮のなめし、燻製肉の仕上がり予定が、同じ時間軸の上へ書かれている。待機時間を利用して別の工程を動かすため、注文量が増えても区画が止まらない。

 

 真壁は予定表の端まで見てから、設計図へ戻った。

 

「空きは?」

 

「常設の生産列では、こちらが一つ空いています」

 

 ヴァルトは区画図の右側を指した。

 

 受入区画と鑑定区画から線はつながっているが、その先にはまだ用途名が書かれていない。試作区画も二つあり、一方は小規模な発酵、もう一方は収納魔術による加工を行える。

 

「毛皮、燻製肉、肥料の現在量を維持したまま使えます。大きな処理を追加する場合は、保留区画を一つ増やす必要があります」

 

「プラントが動いたなら、次は何を通すかだ」

 

 真壁は空白の生産列へ指を置いた。

 

 ヴァルトはすぐに答えず、机の端に置いていた紙挟みを取った。

 

 中には、澪から預かった孤児院の見取り図が入っている。

 

「領都で、澪殿から相談を受けました」

 

 紙を広げると、広間の壁と三つの小さな窓が現れた。

 

「孤児院の広間は、昼間でも暗いそうです。窓はありますが、板戸を開ければ光と一緒に風雨が入り、閉めれば灯りが必要になる」

 

 真壁は見取り図を自分の方へ引いた。

 

「板ガラスは?」

 

「リュシア殿に価格を見せていただいたそうですが、孤児院の窓を揃えるには高額です。運搬や加工、窓枠の費用も別に掛かります」

 

 ヴァルトは、澪が書いた広間の使い方を示した。

 

「子供たちは、布を繕い、文字を読む時だけ窓際へ移動しています。必要なのは、光を通しながら、風と雨を止められる板です」

 

「透明で、窓枠へ入れられる物か」

 

「はい。大きさを揃えて作れ、割れた時にも同じ物を補充できれば、板ガラスより使いやすいでしょう」

 

 真壁は孤児院の窓と、まだ用途の決まっていない生産列を見比べた。

 

 ヴァルトも、その指先を追った。

 

 毛皮も肉も肥料も、森にある物を工程へ通し、別の用途を持つ品へ変えている。

 

 次に必要なのは、森から何を受け入れるかではない。

 

 孤児院へ届ける透明な板を、どの原料から作るかだった。

 

 

 

 真壁は用途の決まっていない生産列と孤児院の見取り図を一本の線で結び、その上へ「バイオプラスチック」と書いた。

 

 ヴァルトはその文字を読み、ノートPCへ目を向けた。

 

「プラスチックは、石油から作る物ではないのですか」

 

 前世で暮らした九〇年代の日本では、プラスチックと石油はほとんど一組だった。

 

 買い物袋、食品容器、家電の外装、文房具、透明な板。身の回りの至るところにありながら、その原料を尋ねられれば、石油化学製品と答えていた。

 

 ヴァルトの記憶にある工場も、石油を精製し、そこから得た原料を樹脂へ変えるものだった。森の中へ建てた収納内プラントとは、まるでつながらない。

 

「石油だけではない。二〇二六年では、植物由来の原料も使う」

 

 真壁はノートPCを自分の方へ向けた。

 

 オフライン資料の検索欄へ言葉を入れると、植物由来樹脂、バイオマス、セルロース、糖化、発酵といった項目が表示された。

 

 ヴァルトは最初の資料を開き、画面へ顔を近づけた。

 

 原料の欄に並んでいるのは、石油でも鉱石でもない。

 

 木材、作物、藁、草。植物が育つ過程で作り、内部へ蓄えたものを取り出し、樹脂の原料へ変えている。

 

「二〇二六年では、薪や麦わらからプラスチックを作るのですか」

 

「作れる」

 

 ヴァルトは画面から顔を上げた。ヴァルト亭を囲む森には、家具や建材に使う太い幹だけでなく、伐採後の枝や折れた木、薪にしかならない細い材がいくらでもある。

 

「草からも?」

 

「種類と工程を選べばな」

 

 街道や畑で刈られる草、収穫後の麦わら、食用に向かない小さな芋も原料になり、水と空気なら森にも領都にもある。

 

 ヴァルトは新しい紙を取り出し、中央に植物原料と書いた。

 

 その周囲へ、薪、伐採後の枝、麦わら、刈草、芋、水、空気と記していく。

 

「薪と枝は、森の中で集められます。乾燥状態も、収納すれば分けられる」

 

 森で拾える物の横へ、採取可能と書き加える。

 

「麦わらは、収穫後に農村から買い付けられるでしょう。刈草も、街道や畑の周囲で出た物を集められます」

 

「腐らせる前に回収できればな」

 

「量と時期を、エーリヒ殿へ確認する必要があります」

 

 ただし、通年で得られる木材と収穫期にまとまる麦わら、水分の多い刈草や芋では集め方も保管方法も違う。ヴァルトは空いた生産列の入口へ植物原料用の分類区画を書き加え、《鑑定》した種類と状態に応じて前処理を分けることにした。

 

 ヴァルトのペンが、材料の欄から生産列へ線を伸ばしていく。

 

「出来上がった樹脂は、透明板以外にも使えますか」

 

「性質と成形次第だ。容器、板、留め具、部品。必要な硬さと形に合わせる」

 

 ヴァルトは孤児院の窓とは別に、用途の欄を作った。

 

 セルマ工房では、薬草や抽出物を入れる容器を使う。リュシア商会では、商品を小分けするための入れ物や札が必要になる。押入家具なら、木材だけでは作りにくい留め具や、汚れにくい部品へ使えるかもしれない。

 

 透明にできるなら窓や商品棚へ、色を付けられるなら用途別の容器へ回せる。

 

 燃やすか、積んで腐らせていた物が、形を持つ商品へ変わる。

 

 毛皮や魔物肉を商品へ分けた時と、考え方そのものは同じだった。違うのは、植物がそのまま板や容器になるのではなく、一度、別の素材へ変わることである。

 

「原料の買い付け先を作る必要があります」

 

 ヴァルトは麦わらと刈草の横へ、農村、街道管理、領都と書いた。

 

「森で集める木材は自分で確保できますが、領内から集める物には値を付けます。捨てていた物でも、無償で持っていけば次が続きません」

 

 真壁がわずかに頷いた。

 

「行商人らしい答えだ」

 

 ヴァルトはペンを止め、書き込んだ原料と用途を見た。

 

 九〇年代の記憶では、プラスチックは石油から作られ、工場から完成品として出てくる物だった。

 

 今、目の前にあるのは、森の薪や農村の麦わらを、収納内プラントへ通して作る計画である。

 

 原料を集める者がいて、ヴァルトが状態を分け、プラントが別の素材へ変え、商人が用途ごとに売る。

 

 樹脂はまだ一粒もできていない。それでも、空白だった生産列の入口には、森と畑から集める植物の名が並び始めていた。

 

 

 

 真壁は、植物原料の横へ二枚の紙を並べた。一枚目には収納内プラントを、二枚目には窯と煙道を描き、どちらも同じ樹脂原料の保管場所へつないだ。

 

「方法は二つある。一つは、発酵を使う」

 

 植物を状態別に前処理し、糖化と発酵でバイオエタノールを作る。精製した液体から収納内工程で水分子を抜けばエチレンガスとなり、気密区画を経て樹脂原料へ送れる。

 

「そこからは、ヴァルト殿の領分だ」

 

 発酵スキル十と既存の時間調整を使えるため、新しく必要なのは精製、脱水、気密、合成の区画だった。完成した樹脂は用途が決まるまでペレットで保管し、注文に応じて容器や板へ成形する。

 

「外部の火も要りませんね」

 

「魔力は要るが、魔石には困っておるまい」

 

 真壁は二枚目の紙へ移り、薪や石炭を外から熱する窯を示した。蒸し焼きで出る煙とガスを収納ゲートから第六区画へ取り込み、《鑑定》と分離工程でメタンやエチレンを集める方法である。

 

「炭を作りながら、捨てていた煙も原料にする」

 

「そうだ。分離後は、先ほどの合成工程へつなげられる」

 

 外部熱の方法は炭と樹脂原料を同時に得られ、処理量も増やしやすい。ヴァルトは炭の用途を鍛冶、暖房、燃料と書き加えたが、まず動かす方法は迷わなかった。

 

「最初は、発酵工程から組みます。今のプラントへつなげられる」

 

「よろしい。外の窯は、量が必要になってから考えればよい」

 

 ヴァルトは一枚目を現在の設計図へ重ね、植物原料から発酵、精製、脱水、気密、合成、ペレット保管へ続く線を引いた。二枚目は将来設備として残し、九〇年代の記憶では石油工場へつながっていたプラスチックを、自分の発酵区画へ結び直した。

 

 

 

 ヴァルトは、発酵ルートの終点に描いたペレット保管区画を見つめた。

 

 樹脂の粒を作るところまでは、現在の収納内プラントへつなげられる。そこから容器や留め具へ成形することも、収納内の《溶解》《固形化》とクラフトを使えば難しくない。

 

 しかし、机の端には孤児院の見取り図が残っている。

 

 子供たちが求めているのは、物を入れる容器でも、家具を組み立てる留め具でもなかった。

 

「容器や留め具には使えるでしょう。しかし、窓には透明でなければなりません」

 

 ヴァルトは孤児院の窓から、ペレット保管区画へ引いた線を途中で止めた。

 

「樹脂なら、すべて透明になるわけではありません。光を通しても、向こうが見えない物では、窓として使いにくい」

 

 九〇年代の記憶にも、乳白色の容器、色の付いた家電の外装、黒い機械部品がある。同じプラスチックと呼ばれていても、硬さも色も透明度も違っていた。

 

 窓へ使うなら、昼の光を通し、室内から外を見られるほど透明でなければならない。

 

 真壁はペレット保管区画から視線を戻し、エチレンガスと書かれた気密区画へ指を置いた。

 

 その先に描かれているのは、用途ごとに分かれる合成工程である。

 

「ならば、アクリルへ回す」

 

 真壁は空いている紙を引き寄せ、エチレンガスの先へ新しい線を引いた。

 

 線の終点へ、透明アクリルと書く。

 

 ヴァルトは真壁の横顔を見た。

 

「今、思いついたのですか」

 

「工程はつながる」

 

「先ほどまで、ペレットを作る話をしていたはずですが」

 

「透明な板が要ると申したのは、ヴァルト殿だろう」

 

「申しましたが、すぐ作るとは思っていませんでした」

 

 真壁は返答せず、ノートPCを自分の方へ向けた。

 

 オフライン資料からアクリル樹脂の項目を開き、原料と製造工程を順に確認していく。画面に表示された名称の一つへ指を置いた。

 

「メタクリル酸メチル」

 

「アクリルの原料ですか」

 

「液体のモノマーだ。これを重合させれば、透明な樹脂になる」

 

 真壁はエチレンガスの先へ、酸化、合成、モノマー、重合、成形と書き加えた。

 

 ヴァルトは線を目で追った。

 

 発酵で作ったエタノールから水分子を引き抜き、エチレンガスを得る。そこへ別の成分を加え、分子の組み方を変えれば、透明なアクリル樹脂へつながる。

 

「日本の工場で使う設備を、収納内工程へ置き換えるのですね」

 

「温度、気圧、分離、結合を制御できるなら、形にはなる」

 

 真壁は席を立ち、ヴァルト亭の一階へ下りた。

 

 ヴァルトも設計図を持って後を追う。

 

 作業場の壁際には、森から集めた植物原料が種類別に置かれていた。乾燥した薪、伐採後の細い枝、刈って乾かした草。まだ生産列へ入れる前の比較試料で、すべて番号札が付けられている。

 

 真壁は薪を一本取り、枝と乾燥草も少量ずつ選んだ。

 

「これを借りる」

 

「どうぞ」

 

 真壁は三種類を机へ並べ、《鑑定:10》を使った。

 

 薪は水分が少なく、枝にはわずかに樹皮が残っている。乾燥草には土や別の植物片が混じっていた。

 

 真壁は草から異物だけを収納し、残った植物を再び鑑定する。試作へ使う量を決めると、薪、枝、草が机の上から消えた。

 

 続いて、水差しから少量の水を収納する。

 

 最後に、何も持っていない手を空中へ向けた。

 

 ヴァルトはその手元を見た。

 

「空気も収納したのですか」

 

「原料に含めたのでね」

 

 真壁の収納内へ植物、木材、水、空気が揃った。内部までは見えないが、収納魔術の流れが小さな区画へ分かれ、《鑑定》のたびに処理量や水分、次の行き先が紙へ書き加えられていく。

 

「発酵区画を作ったのですか」

 

「小規模だがな」

 

「真壁殿の《発酵》は」

 

「ヴァルト殿ほど高くはない。ゆえに、時間と錬金で補う」

 

 真壁は《錬金:9》と時間調整で発酵を補い、少量の試料を条件別に動かした。目的から外れた物は保留へ回し、紙には「発酵・脱水」「酸化・合成」「重合・硬化」「射出成形・クラフト」の四工程が並んだ。

 

「これを、今から全部試すのですか」

 

「そのための少量試作だ」

 

 真壁は、当然のことのように答えた。

 

 机の上では、植物原料が置かれていた場所だけが空いている。その隣で、孤児院の見取り図と、透明アクリルへ続く新しい工程が並んでいた。

 

 ヴァルトは椅子を引き、真壁が書き留める鑑定結果を写すため、自分の帳面を開いた。

 

 

 

 真壁は四つの工程を書いた紙を、ヴァルトの帳面の横へ置いた。

 

「工程を開く。鑑定で追い給え」

 

 ヴァルトは《鑑定:10》を使った。

 

 真壁が開示した範囲だけ、収納内部の区画が認識へ浮かび上がる。収納全体ではなく、今回の試作に使う小さな工程である。

 

 植物と木材を置いた受入区画から、四本の細い流れが伸びていた。

 

 最初の区画には、植物と木材が種類別に分けられている。

 

 乾燥した薪、細い枝、乾燥草。それぞれに含まれる成分と水分量が鑑定され、炭素源と水素源として使える部分だけが次の前処理へ送られていた。

 

 土や樹皮の一部、目的の工程へ使わない成分は、その場で別の保留区画へ移される。

 

 真壁は複数の試料へ異なる処理を行い、鑑定結果を紙へ書き込んだ。

 

 植物の組織が崩れ、内部の成分が糖化しやすい状態へ変わる。そこへ発酵工程を重ね、収納内の時間を進めた。

 

 外では、真壁が紙へ次の線を書いているだけに見える。

 

 だが、開示された収納内では、植物由来の糖が発酵し、液体の状態が変わり続けていた。

 

 真壁は途中で時間を止め、《鑑定》する。

 

 一つの試料は保留へ送り、別の試料だけを精製区画へ進めた。

 

 透明な液体が分離されたのを見て、ヴァルトは尋ねた。

 

「エタノールですか」

 

「左様」

 

 真壁が小瓶へ取り出した液体をヴァルトが《鑑定》すると、高純度の植物由来エタノールと出た。確認後、液体は脱水区画へ戻され、水分子を抜かれてエチレンガスへ変わり、圧力を調整した気密区画へ収まった。

 

「エタノールから、本当にエチレンガスになった」

 

 ヴァルトは真壁の設計図へ視線を戻した。

 

 紙の上では、発酵、精製、脱水と短い線でつながっている。だが、それぞれの区画で状態を鑑定し、必要な成分だけを次へ送っているため、異なる植物を使っても同じ気体へ揃えられていた。

 

「ここまでは、ヴァルト殿のプラントでも組めるだろう」

 

「発酵区画と時間調整は、そのまま使えます。精製と気密区画を追加すれば、再現できます」

 

 ヴァルトは自分の設計図へ、必要な区画を書き加えた。

 

 発酵スキル十を持つ自分なら、真壁よりも発酵工程を速く、細かく調整できる。魔石による時間調整もすでに使っている。

 

 真壁の工程は、次の酸化・合成へ移った。

 

 気密区画に保管していたエチレンガスが、小さな合成区画へ送られる。

 

 真壁は先ほど収納した空気を分け、必要な量だけを加えた。水も同じように分け、余分な量は入れない。

 

 収納内の気圧と温度が変わる。

 

 エチレンガス、空気、水。それぞれの状態が《鑑定》で追われ、収納内工程と《錬金:9》によって組み替えられていく。

 

 最初の試料は目的と異なる反応を示したため隔離し、真壁は条件を残して空気と水の量を変えた。二番目の試料では鑑定結果が変わり、気体だった原料が無色の液体へ姿を変えた。

 

 真壁は液体を小瓶へ取り出し、机へ置いた。

 

「目的のモノマーだ」

 

 ヴァルトが《鑑定》すると、液体は植物由来エチレンから合成されたメタクリル酸メチルと表示された。完成品の窓とは似ても似つかないが、アクリル樹脂の直接原料である。

 

「この液体が、板になるのですか」

 

「分子をつなぐ」

 

 真壁は小瓶を収納へ戻し、重合区画へ送った。

 

 液体を複数の小区画へ分け、一つずつ条件を変える。収納内工程が分子を長くつなぎ、《錬金》が結合状態を揃えていく。

 

 最初の区画では白く濁り、二つ目は表面に歪みが出て、三つ目は硬さが足りなかった。真壁はそれぞれを番号付きで保留し、透明度、硬さ、結合状態の違いを四つ目の条件へ反映した。今度は濁りを生じず、液体が無色透明な樹脂へ固まっていった。

 

 真壁はそれを小さな粒の状態で取り出した。

 

 ヴァルトは指先ほどの透明な粒を受け取り、窓から入る光へかざす。向こう側の木目が透けて見えた。

 

「ポリメタクリル酸メチルだ」

 

「これが、透明アクリル」

 

「成形前だがな」

 

 ヴァルトが粒を返すと、真壁は再び収納した。

 

 最後の射出成形・クラフト区画が動く。

 

 透明な樹脂が《溶解》され、指定された型へ流れ込む。内部に気泡が残らないよう気圧が調整され、厚みを均一にした状態で《固形化》する。

 

 真壁は最初に、手のひらほどの透明板を取り出した。

 

 厚さは指先でつまめる程度だが、持ち上げても曲がらない。表面は滑らかで、切断した跡や磨いた跡もなかった。

 

 ヴァルト亭の窓から差した光が、透明板を通って机へ落ちる。

 

 真壁が板を窓へ向けると、森の緑がそのまま透けて見えた。木の幹も葉の輪郭も、曇ったり大きく歪んだりしていない。

 

 ヴァルトは真壁の手から板を受け取った。

 

 ガラスより軽い。指で縁を確かめると、均一な厚さに成形されている。

 

「薪と草と、水と空気から、これができたのですか」

 

「工程を通せばな」

 

 ヴァルトは透明板へ《鑑定》を使った。

 

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植物由来透明アクリル板

 

原料:植物、木材、水、空気

樹脂:ポリメタクリル酸メチル

状態:良好

透明度:高

加工性:良好

用途:窓、保護板、レンズ、のぞき窓

製造方式:収納内工程

----------------------------------

 

 鑑定表示の向こうに、森の木々が見えている。

 

 真壁は板を受け取ると、収納内へ戻した。

 

 次に取り出したのは、小型のレンズだった。

 

 中央を厚く、外側を薄く成形してある。窓から入る光を通すと、机の上へ明るい点ができた。

 

 さらに、縁だけを薄くした小さなのぞき窓用の板を作る。中央部には厚みを残し、木枠へ差し込む部分だけが細くなっていた。

 

「厚みを途中で変えられるのですね」

 

「《溶解》と《固形化》で形を指定できる。全体を薄くする必要はない」

 

 孤児院の窓へ使う場合も、光を受ける中央部分には十分な厚さを持たせ、木枠にはめる縁だけを薄くできる。窓枠の形が決まれば、それに合わせて溝や固定部分も成形できる。

 

 ヴァルトは手のひらほどの透明板、小型レンズ、のぞき窓用の板を並べた。

 

 九〇年代の記憶にはない工程だったが、発酵、気密、温度、気圧、時間調整の操作は、自分のプラントへ置き換えられる。ヴァルトは並んだ試作品を見ながら、発酵区画から気密区画へ何をどうつなぐか、すでに考え始めていた。

 

「肥料プラントの話をしていたはずですが」

 

 ヴァルトは並んだ透明板とレンズを見たまま言った。

 

「原料を使い切る話だ。大きくは違わん」

 

 真壁は試作記録を整理し、成功した四つ目の条件へ印を付けた。

 

「かなり違うように思います」

 

 ヴァルトの言葉に、真壁は答えなかった。

 

 机の上には、肥料の生産予定表と、植物から作られた透明アクリル板が並んでいた。

 

 

 

 真壁は、成功した透明板だけを収納へ戻そうとはしなかった。

 

 机に残っていた試作記録を工程順に並べ、保留へ回した試料の紙を左へ、透明アクリルへ到達した記録を右へ置く。

 

 ヴァルトは、真壁が成功条件へ付けた印を見た。

 

 植物の前処理から始まり、発酵、精製、脱水、合成、重合、成形まで、一本の線がつながっている。途中には、使用した原料番号と、各工程で得られた鑑定結果が記されていた。

 

「成功した工程は渡す。ヴァルト殿の収納へ合わせ、縮めて組み給え」

 

「よろしいのですか」

 

「同じ物を作る者が増えなければ、製造とは言えん」

 

 真壁は新しい大判の紙を広げ、試作工程をヴァルトのプラントへ接続できる形に直した。

 

 植物原料は既存の受入と鑑定を使い、専用番号で魔物素材と分ける。糖化と発酵は肥料用の列を時間帯で共有し、その先に精製済みエタノールの一時保管、脱水反応、エチレンガス専用の気密区画を追加することになった。

 

「気密区画は、狩猟用の試料と分けます」

 

「それがよい」

 

 エチレンガスの先には、空気と水を加える合成区画、メタクリル酸メチルの保管、重合と硬化、完成鑑定、クラフトを並べる。白濁、歪み、硬度不足の試料は比較標本として残し、真壁の透明板を基準品にして透明度、硬さ、加工性を揃える。

 

 完成後は厚板で保管し、必要な時に《溶解》《固形化》して板、レンズ、のぞき窓へ変える。原料番号から完成品番号までを一つの管理欄で結び、どの植物と条件から作られたかも追えるようにした。

 

「みせてもらうよ」

 

「はい」

 

 ヴァルトは自分の収納内プラントの一部を開示した。真壁が《鑑定:10》を使うと、設計図に沿って組まれた区画が認識へ浮かぶ。その視線の前で、ヴァルトは《収納魔術:10》を使って植物原料の入口を作り、発酵区画の先へ一時保管、脱水、気密、合成の小さな列を伸ばしていった。

 

「最初は、バイオエタノールを安定させます。次にエチレンガスまでを揃え、透明アクリルの小規模生産へ進みます」

 

「その順でよい」

 

「完成品は、この基準品と比較します」

 

 真壁は手のひらほどの透明板を箱へ収め、ヴァルトへ渡した。孤児院へ使う最初の分は真壁が厚い大判で先行製造し、窓枠の採寸後に《溶解》《固形化》で形を合わせる。以後の継続生産はヴァルトが担うことになった。

 

 透明板には住宅の窓、水耕棚や薬品棚の保護、商品容器、ランタンの風よけ、レンズなど多くの用途が考えられたが、ヴァルトは最初の納品先を孤児院と記した。

 

「まずは、ここですね」

 

「左様」

 

 真壁の成功記録はヴァルトの机へ残り、収納内では植物原料から最初の発酵列へ続く境界が形を取り始めていた。

 

 

 

 真壁が侯爵領事業所の作業台へ置いた透明板を、澪は両手で持ち上げた。帳面も木箱の札も歪まずに透け、事業所の窓へ向ければ、通りを行く荷車の車輪まで見える。中央には頼もしい厚みがあるのに、板ガラスより軽く、指が表面へ触れるまでそこに何かあることを忘れそうだった。

 

 明るい通りが板を通して机まで届いた時、孤児院の広間が重なった。

 

 小さな窓の下へ椅子を運んで布を傾けていた子供や、文字を見るために窓際が空くのを待っていた子供、昼間から灯されていた油皿が、澪の目にもう一度浮かんだ。

 

「これ、孤児院の窓に使えませんか」

 

「そのために作ったのだろう」

 

 澪は透明板を机へ戻し、孤児院の帳面を開いた。

 

 窓の位置と数は記録してある。しかし、正確な幅や高さ、壁の厚さまでは測っていない。透明板ができても、そのまま壁へ立て掛けるわけにはいかなかった。

 

「窓枠を作ってもらわないと駄目ですね」

 

「押入家具へ話を通すのがよい」

 

「リュシアさんにも相談します」

 

 孤児院の建物、家具職人、必要な木材、作業日。透明板とは別に、つながなければならない仕事がいくつもある。

 

 澪は板を収納し、孤児院の帳面を持ってリュシア商会へ向かった。

 

 リュシアは話を聞くと、仕入帳の板ガラスの頁を開いた。以前、澪へ見せた高額な数字の横へ、透明アクリルと書き加える。

 

「板そのものは、もうあるんだね」

 

「試作品ですけど、必要な大きさへ作り直せます」

 

「なら、先に親方へ見せよう。窓は板だけじゃ付かないからね」

 

 リュシアは押入家具へ出す伝言を書き、店の者へ渡した。

 

 その日の午後には、押入家具から親方たちがリュシア商会へ来た。

 

 澪が透明板を作業台へ出すと、親方の一人が顔を近づけた。向こう側から板を覗き、次に縁を指で挟んで厚みを確かめる。

 

「硝子じゃないのか」

 

「アクリルという樹脂です」

 

「樹脂で、ここまで向こうが見えるのか」

 

 驚いたのは最初だけで、親方はすぐに透明度より板の縁と表面を見るようになり、小さな試験片を求めて木の台へ置いた。

 

 別の親方が細い刃を当てた。表面には線が入ったが、ガラスのように一気に割れない。刃を何度か通すと、切り分けることもできた。

 

 次に錐を当て、小さな穴を開ける。縁へ近すぎる場所では板に負担が掛かり、中央寄りなら安定していることを確かめた。

 

「切れるし、穴も開く。ただ、窓の数だけ手で削るより、最初から形を合わせられるなら、その方が早い」

 

「収納内で《溶解》して、必要な形へ《固形化》できます」

 

 澪は試験片を収納し、親方が見ている前で樹脂を溶かして厚みを変えた。中央には元の厚みを残し、木枠へ差し込む縁だけを薄くする。

 

 再び取り出すと、親方は断面へ指を滑らせた。

 

「厚いところと薄いところを、一枚のまま作れるのか」

 

「はい。寸法と形を教えていただければ、溝や固定する部分も合わせられます」

 

「なら、板に枠を合わせるんじゃない。建物に合う枠を作って、その枠に板を合わせてもらう」

 

 親方は透明板を二本の木材へ渡し、中央をゆっくり押した。

 

 薄い試験片より、真壁が作った厚板の方がたわみにくい。窓として光を受ける中央部分には厚みを残し、木枠へはめる縁だけを細くする形がよいと判断した。

 

 固定方法も、板へ直接釘を打つ形にはしなかった。

 

 窓枠の内側へ透明板を入れ、その上から細い木の押さえを当てる。押さえ木だけを外せば、透明板が傷んだ時にも交換できる。

 

「板を壁へ埋め込んだら、替える時に枠まで壊すことになる。外せるようにしておく」

 

「木の板戸も残せますか」

 

 澪が尋ねると、親方は紙へ窓枠の断面を描いた。

 

「透明板の内側に、今までの板戸を付ける。夜や強い風の時は閉められる。昼は板戸だけ開けば、透明板が風を止める」

 

 透明板を入れる溝、押さえ木を固定する位置、内戸を動かすための金具が図へ加わっていく。

 

 話がまとまると、親方たちは道具を持ち、澪とリュシアとともに孤児院へ向かった。

 

 広間では、以前と同じように細い窓から光が差していた。

 

 親方は壁を叩き、窓の上と左右を確かめた。現在の木枠を測り、壁の厚さを細い棒で取る。別の親方は部屋の外へ回り、外壁側の開口と雨の流れる向きを見た。

 

 澪は子供たちと机を少し奥へ動かし、作業場所を空けた。

 

「この窓を、そのまま使うんですか」

 

「少し広げる」

 

 親方は、今の開口部より左右と下側を広げる印を壁へ付けた。上側の支えは残したまま木枠を入れ直し、光が机へ届く大きさにするという。

 

 三つの窓は同じように見えたが、測ると幅も壁の厚さも少しずつ違っていた。

 

「一枚ずつ形が違うんですね」

 

「建物の窓は、紙の上みたいに揃っちゃいない。だから現物を測る」

 

 親方は窓ごとに番号を付け、幅、高さ、壁厚、枠の深さを書いた。

 

 内戸は、現在使っている板を手直しして残す。傷みの大きい一枚だけは新しく作り直し、透明板の内側で開閉できるようにする。

 

 採寸を終えると、押入家具の作業場で木枠作りが始まった。

 

 親方たちは乾燥した木材を選び、三つの窓へ合わせて切り出す。組み上げた枠には、透明板を入れるための溝と、交換用の押さえ木が作られた。

 

 澪は完成した木枠の内側を一つずつ測り、真壁が先行製造した厚いアクリル板を収納から出した。

 

 親方の図面と木枠を見ながら、収納内で透明板を《溶解》する。

 

 最初の窓は横長だった。中央部には厚みを残し、四辺の縁だけを薄くする。二つ目は壁の厚さに合わせて、下側の固定部分を少し深くした。三つ目には、押さえ木へ合う小さな段差を一体成形する。

 

 《固形化》した透明板を取り出し、親方へ渡す。

 

 親方は一枚目を木枠へ入れた。

 

 薄くした縁が溝へ収まり、厚い中央部分は枠の内側へ残る。押さえ木を仮留めしても、板へ無理な力は掛かっていない。

 

「これなら入る」

 

 二枚目と三枚目も、それぞれの枠へ合わせる。わずかにきつい場所があれば、親方が寸法を示し、澪が収納内でその部分だけを溶解して形を直した。

 

 透明板と木枠が揃うと、取り付ける窓の番号を書いた札が結ばれた。

 

 リュシアは必要な木材、金具、親方たちの作業日を帳面へまとめ、孤児院側へ取り付け日を伝える段取りを組んだ。

 

 澪は、作業場に並んだ三組の窓枠を見た。

 

 真壁が作った透明板だけでは、まだ窓ではなかった。

 

 ヴァルトが製法を受け取り、リュシアが職人と材料をつなぎ、親方たちが建物を測って木枠を作る。澪がその寸法へ合わせて透明板を成形し、ようやく壁へ取り付けられる形になった。

 

 窓枠の向こうには、作業場の木材と親方たちの手元が透けて見えている。

 

 次にこの透明板を通るのは、孤児院の広間へ入る昼の光だった。

 

 

 

 取り付けの日、孤児院の広間には、朝から木を削る音が響いていた。

 

 長机は部屋の奥へ寄せられ、椅子も壁際に重ねられている。補修を待つ衣服や寄付品の箱には布が掛けられ、作業中の木屑や石粉が入らないようにしてあった。

 

 子供たちは、その長机の向こうへ集まっている。

 

「印より前へ出るなよ」

 

 親方が床へ引いた線を示すと、子供たちは揃って頷いた。返事だけはよかったが、誰も作業場から目を離そうとはしない。

 

 押入家具の親方たちは、窓ごとに番号を付けた空の木枠を壁へ立て掛けていた。透明アクリル板は運ぶ途中で傷つけないよう、同じ番号の札を付けて澪の収納へ分けてある。

 

 澪は最初の窓のそばで、収納を開ける準備をした。

 

 親方が既存の板戸を外す。

 

 長く使われた蝶番は黒ずみ、木枠の角には何度も補修した跡があった。釘を抜き、傷んだ木を少しずつ外すと、窓の周囲から乾いた土と細かな石粉が落ちてくる。

 

 澪は落ちた破片を収納し、作業場所を空けた。

 

 古い木枠を外した後、親方は露出した壁へ手を当てた。採寸した時には見えなかった内側まで確かめ、崩れかけた部分を削り落とす。

 

「右の下が少し痩せてるな」

 

「詰め木を一枚足す」

 

 もう一人の親方が、用意していた薄い木片から合う厚さを選んだ。

 

 新しい木枠を一度、壁の開口部へ入れる。右下へわずかな隙間があったため、詰め木を挟み、枠の傾きを直した。

 

 親方は上辺と左右を順に押し、枠が動かないことを確かめる。

 

「これでいい。固定するぞ」

 

 木槌の音が広間へ響いた。

 

 新しい枠が壁へ収まり、留め具で固定される。親方は枠を何度か揺すった後、透明アクリル板を入れるための内側の溝を布で拭いた。

 

 澪が収納から、一番と札を付けた透明板を出す。

 

 中央部分には厚みがあり、四辺の縁だけが薄い。孤児院の壁と木枠へ合わせ、《溶解》《固形化》で一体成形した板だった。

 

 親方は透明板を両手で持ち、木枠の溝へ入れた。

 

 薄くした縁が四辺へ収まり、厚い中央部分が広間側に残る。向こうの空が見えているため、何も入っていないように見えるが、親方の指は透明板の表面で止まっていた。

 

 細い押さえ木を四辺へ当て、留め具で固定する。

 

 板へ直接釘を打つのではなく、押さえ木で縁を挟む構造だった。傷んだ時には押さえ木だけを外し、透明板を交換できる。

 

 最後に、内側へ木の板戸を取り付ける。

 

 以前使われていた板戸を削り直し、新しい枠へ合わせた物だった。蝶番を動かすと、板戸は透明アクリル板の内側で滑らかに開閉した。

 

「一番、終わりだ」

 

 親方が板戸を開いた。

 

 子供たちの間から、声が上がった。

 

 外から入った光が、広間の床へ明るい形を作っている。板戸は開いているのに、窓際へ置かれた布は動かなかった。

 

 一人の子供が、床の線ぎりぎりまで近づいた。

 

「閉まってない」

 

「透明な板が入ってるよ」

 

 澪が答えると、子供は目を細めて窓を見た。

 

 外の建物も、空も見える。風で木の葉が揺れているのに、広間の中へ冷たい空気は入ってこない。

 

「板、どこ?」

 

「木枠の中です」

 

 澪が指で示しても、子供はすぐには分からなかった。

 

 親方から近づいてよいと言われると、線を越えて窓の前へ立つ。恐る恐る手を伸ばし、透明板へ指先を触れた。

 

 指が空中で止まったように見えた。

 

「ある」

 

「入れたからな」

 

 親方は短く答え、すでに二番目の窓へ道具を運んでいた。

 

 作業は同じように見えて、窓ごとに少しずつ違った。二番目は左側の壁が予想より厚く、親方は枠の外側を削って奥行きを合わせた。それでも作業場で成形した透明板は歪まずに収まり、板戸が開くと、窓から伸びた光が長机の端へ届いた。子供たちは床を移っていく明るさを、線の向こうから目で追った。

 

 三番目は古い枠の傷みが深く、壁際へ新しい支えを入れる必要があった。澪が収納から出した板には、押さえ木へ合う段差が付いている。親方は段差と溝を重ね、表面にたわみがないことを確かめながら四辺の留め具を締めた。

 

 作り直した板戸を一度閉じ、留め金を掛ける。もう一度開くと、三つの透明アクリル窓を通った昼の光が広間へ差し込み、寄せた長机の脚や、布を掛けた箱の輪郭まで床へ映した。シスターが昼間から使っていた油皿の火を消しても、部屋は暗くならなかった。

 

 作業が終わり、親方たちが床の線を消すと、子供たちは窓へ集まった。

 

 透明板へ顔を近づけ、外を通る人や、屋根の向こうにある空を見る。板があると分かっていても、鼻先が触れそうになるまで近づく子もいた。

 

 親方は道具を片づけながら、窓枠の押さえ木をシスターへ示した。

 

「板を替える時は、ここを外す。枠ごと壊す必要はない」

 

「木の戸は、今まで通り閉めてよいのですね」

 

「ああ。夜と風の強い日は閉めればいい」

 

 開閉と留め金をもう一度確かめ、親方は最後の留め具を締めた。

 

 澪は、壁際に寄せていた椅子と長机を元の場所へ戻した。

 

 最初に孤児院へ来た時、窓際で布を繕っていた女の子が自分の椅子を運んできた。以前と同じ場所へ寄せるのかと思ったが、広間の中央で足を止める。膝へ布を広げた女の子は、窓を一度振り返ると、光の届いた布目へその場で糸を通した。

 

 文字札を読んでいた子供も、窓際へ移動しなかった。長机の中央へ座り、板を両手で持っている。外から入った光が、刻まれた文字の溝まで届いていた。

 

 小さな子供たちは、床にできた明るい四角へ手を置いた。

 

 指を広げると、手の影が床へ落ちる。透明板の向こうで雲が動き、光の色が少しずつ変わっていった。

 

 澪は、初めて寄付品を並べた日の広間を思い出した。保存食や石鹸、布、手当用品は、その日に必要な暮らしを支えていた。今日取り付けられた物は食べ物でも薬でもなく、使えばなくなる品でもない。子供たちが食事をし、服を繕い、文字を読む場所へ、これから毎日、外の光を入れてくれる。

 

 透明板へ顔を近づけた子供が、外の空を見上げた。

 

「中にいるのに、空が見える」

 

 その声を聞きながら、澪も透明アクリル越しに外を見た。

 

 森と畑から作られた透明な窓は、孤児院の部屋へ、それまで届かなかった昼の光を通していた。

 

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