押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第16話 小金貨は全部使えない

 

 昼の客足がいったん途切れたあとも、リュシアの屋台裏には熱が残っていた。

 

 鉄板の火は落とされているのに、石畳はまだ足の裏へじんわり熱を返してくる。屋台の柱には濡らして絞った布が掛けられ、壁際の木箱には赤い紐が結ばれたままだった。前に澪が真剣な顔で分けた箱である。トトたちはその箱の前を通る時だけ妙に大きく避けて歩いていて、澪は少しだけ複雑な気持ちになった。

 

 怖い顔、という覚え方は雑だ。

 

 でも、触らないという結果だけは守られている。

 

 そんなことを考えていると、リュシアが屋台の奥から布袋を持ってきた。木箱の上に置かれた瞬間、袋の中で金属がぶつかる重い音がした。銀貨だけの軽い音ではない。澪にも、もう小金貨が混じっている音だと分かる。

 

「澪、今回の分だよ」

 

「今回の分……」

 

「うん。フタのついた水入れと、扇子と、布物と、次も持ってきてもらう分まで入ってる」

 

 リュシアは屋台の串を渡す時と同じ顔で言った。澪は恐る恐る布袋に手を伸ばし、口紐をほどく。中で小金貨が鈍く光った。

 

 まず一枚を出す。

 

 次にもう一枚。

 

 三枚目を出したところで、澪は椅子がほしくなった。木箱の上に並べていくと、リュシアが何も言わず小皿を寄せてくれる。澪はその皿の上に小金貨を並べ、銀貨も別に出した。

 

 小金貨二十八枚。

 

 銀貨六枚。

 

 数え終えたあと、澪はしばらく声が出なかった。

 

「……多くないですか」

 

「少なくしたら、澪がやめるだろう」

 

 リュシアはあっさり言った。

 

「洗って、乾かして、においを見て、フタをなくさないようにして、子供に持たせて、また戻す。そこまでやらせて安くしたら、誰だって続かないよ」

 

「でも、現代だと、あれは飲み終わったら捨てることもある容器で……」

 

「こっちでは捨てない」

 

 リュシアは木箱の横に置いてあったフタを指で軽く押さえた。

 

「飲み物だけじゃない。あれは締まる。何度も開けられる。同じ口のものがいくつもある。水を入れるだけなら、ここまでにはならないよ。油を売る者も、石鹸を扱う者も、香草酢を売る者も、見ていたのは中身じゃなかった」

 

 澪は小金貨へ視線を戻した。

 

 ようやく、金額が少しだけ意味を持ち始める。持ち込んだのは、現代側でいえば飲み終えた容器だ。けれどここでは、軽くて、締まって、同じものがいくつもある液体入れだった。そこに、洗う手間や、においを確かめる手間や、リュシアの屋台で扱われた信用まで乗っている。

 

 それでも、二十八枚という数は大きい。

 

「これ、受け取っていいんですか」

 

「受け取るのはいいよ」

 

 リュシアはそう言って、棚から小皿をいくつも持ってきた。欠けた皿、縁に油染みが残った皿、昔は白かったらしい皿が、木箱の上に並ぶ。

 

 澪は嫌な予感で口を閉じた。

 

「ただし、全部持って帰れるとは言ってない」

 

 やっぱりだった。

 

 

 

 

 

 リュシアは最初の皿へ小金貨を数枚落とした。

 

 指先に迷いがない。皿に金が置かれるたび、乾いた硬い音がする。その音が、澪の浮つきかけた気分を一枚ずつ押さえていった。

 

「まず、ここを使った分だよ。屋台の裏を使った。洗い場も使った。客にも見えた。うちの店先で売ったのと同じだから、知らん顔はできない」

 

「ここを使った分……」

 

「そう。澪が一人で路地に座って売ったわけじゃない」

 

 次の皿へ、リュシアは銀貨を滑らせた。

 

「こっちは、市場の札を持っている者へ渡す分。あそこを通さずに大きな売り方をすると、次から場所を貸してもらえない。うちの屋台も睨まれる」

 

 市場の札。

 

 澪は入口に掛かっていた木札や、リュシアが時々確認している札を思い出した。帳面より荒い言葉なのに、実際の力はずっと強そうだった。

 

 リュシアは三つ目の皿を寄せる。

 

「これは洗い場と木箱を使った礼。水も使ったし、箱も使った。干した布を置いたり、瓶を立てたり、子供が座ろうとして私に怒られたりした」

 

「最後のは必要ですか」

 

「必要だよ。座る子がいるんだから」

 

 少し離れたところで、トトが肩を揺らした。たぶん自分のことだと分かっている。

 

 四つ目の皿に、小さめの銀貨が落ちた。

 

「こっちは壊れ物のために置く金。扇子は折れる。フタは消える。ボトルはへこむ。壊れてから泣くより、先に少し置いておく」

 

 澪は、エレナが扇子を折った時のことを思い出した。あの時は、在庫表に一本破損と書いて終わった。今はその一本どころではない。フタも、ボトルも、紐も、木札も、全部どこかで壊れる可能性がある。

 

「これは次に買うものの分。紐、木札、洗い桶。澪が向こうで買うものもあるだろう。扇子と布も、同じものを少し多めにした方がいい」

 

 リュシアが小金貨をまた一枚置く。

 

 澪は、小金貨の山が小さくなっていくのを見て、顔が引きつるのを止められなかった。

 

「……減っていきますね」

 

「減らしてるんじゃない。先に分けてるんだよ」

 

 リュシアは手を止めなかった。

 

「後で払う銭を袋に入れっぱなしにすると、使っていい銭に見える。そうなると、次に困る」

 

 澪は、その言葉で飯島修一郎の顔を思い出した。

 

 入金は全部使っていい金ではない。前にそう言われた。税金、仕入れ、次に必要な道具、壊れた時の分。言葉は違う。けれど、手元に入った金をそのまま使えば危ないという意味は同じだった。

 

 リュシアは小皿を並べているだけだ。

 

 でも、澪にはそれが帳面の行より分かりやすかった。

 

 

 

 

 

 リュシアが子供らの駄賃と言って別の皿を引いた瞬間、トトがすばやく近づいてきた。

 

「俺たちの?」

 

「そう。洗った。運んだ。フタを探した。遊んでいただけじゃないだろ」

 

「フタを飛ばしたの、俺じゃない」

 

「でも探した」

 

「探した」

 

「なら銭は出る」

 

 トトの顔がぱっと明るくなった。澪は、その顔を見て少し笑いそうになった。手伝いを仕事として見てもらえるのは、子供にとって大きいのだろう。

 

 ただし、トトはすぐ調子に乗った。

 

「じゃあ、俺が代表で受け取る」

 

 リュシアは銀貨を皿に置く手を止めず、目だけをトトへ向けた。

 

「その顔で代表を名乗るな」

 

「どんな顔?」

 

「自分の分を先に増やそうとしている顔」

 

 周りの子供たちが笑った。トトは両手で自分の頬を押さえる。

 

「顔に出てた?」

 

「出てたね」

 

「澪姉ちゃん、出てた?」

 

「少し」

 

「少しか」

 

 トトは真面目に悩み始めた。そこではない、と澪は思ったが、口には出さなかった。

 

 リュシアは、子供らの皿へ銀貨を数枚置いた。大金ではない。けれど、ただのお小遣いでもない。洗った手、運んだ足、フタを探して木箱の下へ潜った時間に対する銭だった。

 

「全員そろってから分ける。手伝っていない子の分はない。小さい子に水を運ばせたなら、その子にも出す」

 

「分かってる」

 

「分かってる顔じゃない」

 

 トトはまた頬を押さえた。子供たちはさらに笑った。

 

 澪は駄賃の皿を見た。

 

 子供たちを安く使えばいい、とはならない。かといって、毎回大金を渡せば続かない。リュシアはそのあたりを、笑いながらもきちんと見ている。澪は、小金貨よりも、その匙加減の方が難しそうだと思った。

 

 

 

 

 

「何をしている」

 

 聞き慣れてきた声が、屋台裏の入口からした。

 

 エレナ・ヴァルディスが、少年服の裾を軽く払って立っていた。帽子の下から赤い髪が少しこぼれ、目は木箱の上の小皿へまっすぐ向いている。護衛はその後ろで、すでに嫌なものを見た顔をしていた。

 

「金を分けています」

 

 澪が答えると、エレナは当然のように近づいてきた。護衛が半歩前に出る。

 

「エレナ様、金の皿に手を伸ばさないでください」

 

「伸ばしていない。見ているだけだ」

 

「エレナ様の見るだけは、触る前の段階です」

 

 リュシアは小金貨を置く手を止めなかった。

 

 エレナは皿を一つずつ見て、途中で首を傾げる。

 

「市場の札なら、父上の館にも届く」

 

「届くでしょうね」

 

 リュシアは、銀貨を別の皿へ滑らせた。

 

「ですが姫様、それは受け取る側の話です」

 

「受け取る側?」

 

「はい。今日は澪が払う側です」

 

 エレナは、初めて皿の上の金をじっと見た。

 

 市場を管理する侯爵家の娘として、金が父の館へ届くことは知っているのだろう。けれど、自分の前で誰かが払う側として小金貨を分けられていく場面は、あまり見たことがないらしい。

 

 トトが遠慮なく聞いた。

 

「姫様は払わないの?」

 

 護衛が片手で顔を覆いかけた。

 

「トト殿、その問いは少々」

 

「払わぬわけではない」

 

 エレナは胸を張った。

 

 護衛の顔が青くなる。

 

「侯爵家も必要なものには支払う。だが、市場の札の分は父上の館へ届くものだ」

 

「では、今日は届く側ではなく、出ていく側を見てください」

 

 リュシアはそう言って、もう一枚、小金貨を皿へ置いた。

 

 エレナは黙って見た。

 

 その顔から、いつもの勢いが少し消えている。

 

「父上に言えば、澪の分を軽くできるのではないか」

 

 護衛が息を吸い込んだ。澪も一瞬、何か言うべきか迷った。

 

 リュシアの方が早かった。

 

「姫様、それをやると、商売じゃなくて侯爵家の施しになります」

 

「施しではない。暑さで倒れぬための品だ」

 

「だからこそです」

 

 リュシアは金を置く手を止め、エレナを見た。

 

「一日助けるのと、続けて売るのは違います。払うものを払って、それでも残るようにしないと、次が続きません。侯爵家が毎回軽くしてくれると思われたら、他の商人も黙りません」

 

 エレナは不満そうだった。

 

 だが、言い返さなかった。

 

 護衛が、少しだけ息を吐いた。

 

「払うものを払って、残すのだな」

 

「そうです」

 

 リュシアはまた銀貨を皿へ置いた。

 

「払わないで残すのとは違います」

 

 エレナはその言葉を、皿に落ちる銀貨の音と一緒に聞いていた。

 

 

 

 

 

 金を分け終えるころには、澪の最初の驚きはかなり落ち着いていた。

 

 小金貨二十八枚と銀貨六枚は、まだ大きな金額だ。だが、その全部が自由になるわけではない。木箱の上に並んだ皿を見ると、金はもうただの山ではなく、それぞれの行き先を持ったものになっていた。

 

 リュシアが最後の小皿を横へずらすと、木箱の上に残った金は、最初の山よりずっと小さくなっていた。

 

 それでも、小金貨は十二枚あった。

 

 銀貨は六枚ある。

 

「これが、澪の取り分」

 

 リュシアはそう言って、残った金を澪の前へ寄せた。

 

「こっちで払う分は、今分けた。けど、向こうで払うものまでは私には分からない。向こうの税だの帳面だのは、澪が見るんだよ」

 

 澪は、小金貨十二枚と銀貨六枚を見下ろした。

 

 最初に袋を開けた時より、だいぶ少ない。

 

 けれど、不思議とがっかりはしなかった。むしろ、ようやく自分の手に収まる大きさになった気がした。

 

「……これでも、多いです」

 

「多いよ。だから使い方を間違えると、すぐなくなる」

 

 リュシアは、空になった小皿を重ねながら言った。

 

 澪は布袋をもう一度開き、残った金をそっと入れた。小金貨十二枚と銀貨六枚。数字としては短い。けれど、そこへたどり着くまでに、屋台裏の場所、洗い場、子供たち、壊れ物、次の買い物、札を持つ者への渡しが、全部通り過ぎていた。

 

 ただの利益ではない。

 

 通ってきた場所の跡がついた金だった。

 

 

 

 

 

 澪は帳面を広げた。

 

 濡れた手で触られないよう、木箱の奥へ置く。トトがのぞき込もうとして、リュシアに頭を軽く押さえられた。

 

「手を拭いてから」

 

「拭いた」

 

「今、木箱を触った」

 

「木箱はだめ?」

 

「帳面よりは汚い」

 

 トトは納得していない顔で、もう一度手を拭きに行った。

 

 澪は黒砂糖の欄を見た。現代側で買って持ち込んだ黒砂糖三百グラム。前は、香りがよくて使いやすい甘味くらいに考えていた。だが、こちらでの値を見ると、気軽に毎日使う材料ではない。

 

「黒砂糖、やっぱり高いんですね」

 

「高いね」

 

 リュシアはあっさり認めた。

 

「でも、一本に使う量は少ない。今すぐ困るほどじゃないよ」

 

「じゃあ、このままでも……」

 

「見本にはいい」

 

 リュシアは黒砂糖の袋を指で押した。

 

「味がいい。香りもある。商人に見せる分や、姫様が持ち帰って屋敷で見せる分には向いてる。でも、市場の子に毎日飲ませるなら、別を探す」

 

 エレナが少し身を乗り出した。

 

「私が持ち帰る分は黒砂糖でよい」

 

「姫様、持ち帰る話はまだしていません」

 

 護衛がすぐに止めた。

 

「品質を見る必要がある」

 

「前にも、その言い方で黒砂糖を増やそうとしました」

 

 エレナは目をそらした。

 

 リュシアは話を戻すように、屋台の表の方を指した。

 

「市場の子に飲ませるなら、水飴か麦芽の飴を探すんだよ」

 

 澪は顔を上げた。

 

「水飴、あるんですか」

 

「あるよ。菓子屋や飴屋が使う。いいものは高いけど、毎日使うなら黒砂糖より考えやすい」

 

「飲み物に混ぜられますか」

 

「そのまま水に落としたら、底で粘るだろうね。少し湯でゆるめてから、大鍋へ入れる」

 

 澪は、前に持ち込んだ大鍋を思い出した。あれは黒砂糖を溶かすためだけではなく、これから水飴をゆるめる鍋にもなるのかもしれない。

 

 トトが戻ってきて、話の最後だけ聞いたらしい。

 

「水飴って、舐めるやつ?」

 

「舐めるために買うんじゃない」

 

 リュシアの返事は早かった。

 

 エレナの目が光る。

 

「品質確認は必要だな」

 

 護衛が、ほとんど反射でエレナの前に立った。

 

「エレナ様、その品質確認は、指で行うものではありません」

 

「まだ何も言っていない」

 

「目が言っています」

 

 澪は、次の騒ぎの形をはっきり想像できてしまった。

 

 水飴は粘る。甘い。子供が舐めたがる。エレナも舐めたがる。しかも、飲み物へ使うには湯でゆるめて、量を測って、混ぜる順番を決める必要がある。

 

「香りを見せる分は黒砂糖。毎日飲む分は、水飴を試す」

 

 澪が帳面へ書く前にそう言うと、リュシアがうなずいた。

 

「その方がいいね」

 

「現代から全部持ってくるより、こちらで買えるものは、こちらで買った方がいいんですよね」

 

「そう。向こうでしか手に入らない物は、澪が持ってくる。こっちで買える物は、こっちで買う。その方が続く」

 

 その方が続く。

 

 澪は、同じ言葉を心の中で繰り返した。

 

 現代の品を持ち込んで売るだけではない。ペットボトルは現代側で集める。クエン酸と塩は買い置きする。扇子やタオルは通販で揃える。けれど、甘味は市場の飴屋から買えるかもしれない。

 

 現代の容器と、異世界の材料。

 

 押入商会は、少しずつ別のものになっていく。

 

 

 

 

 

 リュシアと話しながら帳面に書こうとすると、澪の手は何度も止まった。

 

 水やお茶が入っていたボトルだけを集める、と決めたのはいい。だが、集める相手が増えれば、誰から受け取ったかも残したくなる。洗った日、乾かした日、においを確かめた日も必要になる。クエン酸と塩は現代側で買い置きすればよさそうだが、量が増えれば、六畳間のどこに置くかを先に考えなければならない。

 

 リュシアは、澪の手が止まるたびに、横から口を挟んだ。

 

「澪、向こうの買い物までここで全部決めなくていい。ただ、次に困る物は今のうちに見ておくんだよ」

 

「次に困る物……」

 

「紐は足りない。札も足りない。洗い桶は一つじゃ足りない。子供に任せるなら、雑に使っても壊れにくいものが要る。姫様に任せるなら、壊れても泣かないものが要る」

 

「最後、エレナ様専用ですか」

 

「そうだよ」

 

「聞こえているぞ」

 

 エレナが不満そうに言った。

 

「聞こえるように言いました」

 

 リュシアはさらっと返した。

 

 澪は笑いながら、帳面の端に小さく印をつけた。現代側で用意するものと、こちらで買うものを同じところに書くと混ざる。けれど、分けすぎると今度はどこに書いたか忘れそうだった。

 

 リュシアは、澪の迷いを見透かしたように言った。

 

「澪の収納と同じだね。名前と数と使い道を間違えたら、便利な物ほど面倒になる」

 

「またそこに戻るんですね」

 

「商売はだいたい戻るよ。手元に何があって、誰が使って、どこへ返すのか。そこを間違えると、フタ一つでも騒ぎになる」

 

 澪は、小皿の横に置かれたフタを見た。

 

 小さい部品なのに、すでに騒ぎになっている。

 

 これ以上増えたらどうなるのか。

 

 想像して、少しだけ胃が重くなった。

 

 

 

 

 

 現代側へ戻ると、六畳間はいつもより狭く見えた。

 

 実際に狭くなったわけではない。澪の頭の中で、置かなければならない物が増えすぎただけだ。布袋を机の横に置くと、小金貨が中で鈍い音を立てた。最初に聞いた時より、その音は落ち着いている。うれしくないわけではない。けれど、もう全部を使える金には見えなかった。

 

 澪は帳面を開いた。

 

 リュシアが小皿へ金を分けていった順番を思い出しながら、現代側の欄にゆっくり書き込む。向こうで使った場所へ渡す金、子供たちに渡す銭、壊れた時のために残す分、次に買う道具の分。現代側では、そこへ日本の税金や仕入れの管理も重なる。

 

 澪は布袋の横にスマホを置き、検索欄に指を置いた。

 

 金貨、換金、税金。

 

 金地金、売却、確定申告。

 

 雑所得、事業所得。

 

 検索するたびに、画面の中の文字が少しずつ重くなっていった。難しい言葉ばかりで、全部をすぐ理解できたわけではない。それでも、一つだけは分かった。

 

 入金された金は、全部使っていい金ではない。

 

 異世界でリュシアが小皿へ分けた小金貨と同じことを、現代日本でもやらなければならないらしい。

 

「……こっちにも小皿がいる」

 

 六畳間には小皿ではなく、通販のカートと帳面と、税金という知らない単語が並んでいた。

 

 机の上には、飲み終えたペットボトルが一本転がっている。水が入っていたものだ。軽くて、透明で、フタもきれいに締まる。だが、これを十本、二十本と扱うなら、ただ部屋の隅に置いておくわけにはいかない。洗って乾かし、においを確かめ、何に使うかを決める。フタも本体と一緒にしておかないと、異世界側でまた木箱の下を探す羽目になる。

 

 澪は通販サイトを開いた。

 

 検索欄にタオルと入れ、表示されたまとめ売りを見た。百枚。業務用。薄手。白無地。画面の中では整った写真になっているが、それが段ボールで届いて六畳間に置かれるところを想像すると、急に現実の重みが出た。

 

 次に扇子を検索した。

 

 五十本セット。

 

 澪は画面の前で固まった。

 

 押し入れは異世界への入口であって、倉庫ではない。少なくとも、建前ではそうだった。けれど、タオル百枚と扇子五十本が届いたら、その建前はかなり危うくなる。

 

「……学園祭って言い訳、通るかな」

 

 誰に対する言い訳なのか、自分でも分からなかった。

 

 澪は数量を一つ減らした。すぐに、これでは足りない気がして戻した。タオルは消耗品だ。扇子は壊れる。エレナがいる。最後の理由だけで、予備は多めに必要だった。

 

 スマホの連絡先を開くと、飯島修一郎の名前が見えた。

 

 ペットボトル回収の相談もしなければならない。会社や彫金教室の周りで出る、水やお茶の飲み終えたボトルを譲ってもらえないか。もちろん、出所が分かるものだけだ。説明は必要になる。どこまで言うかは、まだ決めていない。

 

 澪は布袋を見た。

 

 小金貨は重い。

 

 だが、その重さは自由の重さではなかった。続けるための重さだった。

 

 帳面の端に、澪は小さく書いた。

 

 使っていい金、小金貨十二枚、銀貨六枚。

 

 そこへさらに、日本側で残しておかなければならない分、と書き足そうとして、手が止まった。今はまだ、正確な数字は分からない。けれど、分からないからこそ全部使ってはいけないことだけは分かった。

 

 リュシアが小皿へ金を分けた手つきを思い出す。

 

 金が減っていたのではない。

 

 行き先が先に決められていたのだ。

 

 澪はペンを置き、布袋の口をしっかり結んだ。小金貨の音は、最初より落ち着いて聞こえた。けれどその分、帳面の行は確実に増えていた。

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