押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第168話 火山灰を取りに行っただけ

 

 侯爵家への肥料の納品を終えた翌日、採石場秘密基地の原料区画には、底の見えた容器がいくつも並んでいた。

 

 昨日まで灰色の粉を抱えていた槽へ、澪が身をかがめる。木べらで底をさらっても、残っているのは薄くこびりついた分だけだった。

 

「ずいぶん減りましたね」

 

 納品を終えた安堵の向こうで、次の製造分が静かに口を開けていた。侯爵家へ渡した肥料が役に立てば、同じものをまた求められる。空になった容器は、喜ばしいはずの先行きを、少しだけ急かしているように見えた。

 

 真壁は槽の縁へ指を添え、順に鑑定をかけた。

 

「灰分と鉱物質が不足しておりますな」

 

 声は穏やかだった。砂糖でも切らしたような調子だが、必要なのは袋数個で済む量ではない。

 

 ヴァルトは槽の底に残った灰を指先でつまんだ。

 

 そのまま畑へ撒くものではない。収納内プラントで粒をそろえ、不要な成分を除き、ほかの材料と合わせる。その元になる量が足りなかった。

 

「ゼグルド火山が使えると思います」

 

 口にした途端、黒い山肌と乾いた熱気が記憶の奥から立ち上がった。

 

 灰に沈む靴。

 赤茶けた岩脈。

 山腹に露出した鉱物の筋。

 人の手がほとんど入っていない、南の辺境。

 

 澪が顔を上げる。

 

「ゼグルド火山ですか」

 

 知らない地名を拾う声に、わずかな警戒が混じった。

 

「南の辺境にあります。以前、魔術院の仕事で近くを通りました。裾野だけでも、必要な量は確保できます」

 

 澪も真壁も、その火山へ行ったことはない。

 

 ヴァルトは火口まで近づく必要がないこと、人里や農地から離れた場所を選べること、風化して細かくなった灰の層が広く残っていたことを説明した。

 

「火山活動で、珍しい鉱物も露出していました」

 

 真壁の視線が、わずかに上がった。

 

 ヴァルトは一拍置いた。

 

 真壁は必要な灰の量と、避けたい成分を簡潔に伝える。それから、静かな声で付け加えた。

 

「主目的は火山灰です」

 

 言葉の奥に、すでに見抜かれた未来があった。

 

「珍しい鉱物へ気を取られ、帰還が遅れぬよう願います」

 

「採取の優先順位は心得ています」

 

 当然の返答だった。

 

 必要量を集める。状態を確かめる。時間が余れば、周囲も少し調べる。それだけだ。

 

 澪は何も言わなかった。

 

 ただ、真壁ではなくヴァルトの方を見ていた。その視線だけが、まだ起きてもいない何かを心配していた。

 

 

 

 

 

 エアカーは南へ走り、人里が途切れたところで飛行形態へ移った。

 

 畑が小さくなり、街道が細い線へ変わっていく。

 

 地図9に広がる景色は、以前よりも遠くまでつながって見えた。谷の深さ、山肌の傾き、点在する魔物の反応。その隙間へ、安全に抜けられる道筋が浮かぶ。

 

 ヴァルトは上昇気流へ機体を乗せ、移動加速を薄く重ねた。

 

 無理に速度を出さない。

 乱気流を避ける。

 帰路の電力を残す。

 着地点へ向け、早めに高度を落とす。

 

 以前は何日もかけて越えた土地が、眼下を流れていった。

 

 やがて、遠方に黒い山が現れる。

 

 ゼグルド火山。

 

 山頂から細い煙が立ち、灰色の裾野を赤茶けた岩脈が走っている。以前と変わらず、人を歓迎する気配のない山だった。

 

「変わっていないな」

 

 声は風防の内側へ落ちた。

 

 山は変わっていない。

 

 だが、自分は荷を背負って歩く魔術師ではなく、自分の機体で空から来る行商人になっていた。

 

 ヴァルトは火口から十分に離れた岩盤を選び、エアカーを着陸させた。

 

 周囲を鑑定する。

 

 地熱あり。

 降灰あり。

 小型魔物の反応が散在。

 近くに強い敵性反応はない。

 

 飛行機構を畳むと、エアカーを収納した。

 

 灰の中へ置いておけば、機構へ細かな粒が入る。噴石や魔物に傷つけられる可能性もある。何より、緊急時に取り出してから飛び立つまでには時間がかかる。

 

 代わりにロードバイクを出した。

 

 細いタイヤは厚い灰に向かないが、固まった溶岩と露出した岩盤を選べば、広い裾野を回るには都合がよい。

 

「採取には、こちらの方が早い」

 

 ヴァルトはペダルへ足を掛けた。

 

 

 

 

 

 火山灰の採取は順調に進んだ。

 

 新しく積もった粗い灰を避け、風雨にさらされた細かな層を選ぶ。

 

 鑑定で成分を確かめ、少量を収納内プラントへ送る。軽石を分け、粒をそろえ、混ざった金属分を調べる。

 

 硫黄分は許容範囲。

 

 肥料の原料として使える。

 

 一か所だけを深く抉らず、ロードバイクで場所を移しながら、広い範囲から薄く収納していく。

 

 必要量を越えたところで、ヴァルトは収納内を確認した。

 

「これで十分だな」

 

 本来の目的は終わった。

 

 あとはエアカーを出し、帰ればよい。

 

 その時、灰を取り除いた地面の下に、赤黒い筋が見えた。

 

 ヴァルトはロードバイクを止め、しゃがみ込んだ。

 

 鑑定。

 

 熱を蓄えやすい結晶性鉱物。

 魔力伝導性あり。

 加工適性、不明。

 

「少しだけ確認しよう」

 

 指先ほどの試料を収納した。

 

 その下から、青みを帯びた別の鉱物が現れた。

 

 軽い。硬度も高い。

 

 さらに隣の岩肌には、魔力を吸うと色を変える細い結晶が走っている。

 

 ヴァルトは立ち上がった。

 

 試料だけ。

 成分を見るだけ。

 もう一か所だけ。

 

 ロードバイクを押し、露頭を追う。

 

 真壁の忠告は覚えていた。

 

 覚えているからこそ、持ち帰る量は少量に抑えている。自分の中では、まだ主目的を外れてはいなかった。

 

「これで最後にしよう」

 

 口にした直後、岩壁の陰から、それまでより強い鉱物反応が出た。

 

 ヴァルトは数歩進み、岩陰へ入った。

 

 露頭は奥まで続いている。

 

 鑑定結果を追ううちに、周囲の静けさが変わっていた。

 

 地図へ巨大な赤が現れるまでは、それに気づかなかった。

 

 点ではない。

 

 背後一帯を塗り潰すほどの、巨大な敵性反応。

 

 ヴァルトの指が鉱石の上で止まった。

 

 地熱の誤認か。

 

 そう考えた瞬間、赤が動いた。

 

 岩山そのものが首を持ち上げるように、形を変える。

 

 ヴァルトは立ち上がり、ゆっくり振り返った。

 

 黒褐色の鱗。

 

 岩のような四肢。

 

 畳まれた巨大な翼。

 

 胸から喉へ、赤い熱が脈打っている。

 

 大型の火竜が、巣穴の前からこちらを見下ろしていた。

 

 鑑定結果が視界へ並ぶ。

 

 大型火竜。

 高熱耐性。

 強靭な鱗。

 縄張り防衛。

 強い敵意。

 

 ヴァルトは足元の鉱脈を見た。

 

 露頭は火竜の巣の入口まで続いている。

 

「採取範囲を広げすぎたか」

 

 火竜が低く唸った。

 

 胸が膨らみ始める。

 

「少しではなかったな」

 

 火竜が大きく息を吸った。

 

 

 

 

 

 エアカーを出す時間はなかった。

 

 機体を取り出し、乗り込み、飛行機構を展開し、離陸する。その前に焼かれる。

 

 ヴァルトはロードバイクへ飛び乗り、ペダルを踏み込んだ。

 

 移動加速。

 

 車体が固い岩道を滑り出す。

 

 直後、背後から轟音が迫った。

 

 ヴァルトは振り返らず、後方へ斜めの結界を張った。

 

 火の奔流が結界へぶつかり、表面を滑って上空へ逸れる。

 

 直撃は避けた。

 

 だが、熱風が背を強く押した。

 

 ロードバイクが想定以上に加速し、前輪が岩の継ぎ目で跳ねる。

 

「追い風にしては強すぎる」

 

 ハンドルを押さえ込み、車体を立て直す。

 

 火竜が地面を蹴った。

 

 翼を広げるには岩壁が近すぎる。巨体は低く滑空し、火山灰を巻き上げながら追ってくる。

 

 2度目の吸気。

 

 ヴァルトは地図で前方の大岩を選び、その陰へ飛び込んだ。

 

 火が岩へ当たり、熱した破片が頭上から降る。

 

 薄い結界を上へ張り、破片を外へ弾く。

 

 岩の向こうから、火竜の爪が振り下ろされた。

 

 ヴァルトはロードバイクを傾け、細い隙間を抜けた。

 

 爪が背後の岩盤を砕く。

 

「火だけではないか」

 

 当然だった。

 

 3度目。

 

 火竜はヴァルトの進路を読み、曲がる先へ首を向けた。

 

 地図で岩の割れ目を見つける。

 

 鑑定で吸気の終わりを読む。

 

 移動加速を一段強くし、細い裂け目へ飛び込む。

 

 火が横を走り抜け、岩肌を赤く焼いた。

 

 4度目。

 

 ヴァルトは雷3を火竜の目の前で弾けさせた。

 

 白い光に、火竜が目を細める。

 

 火は狙いを外し、ヴァルトの後方を薙いだ。

 

「効いてはいる。怒らせる方へだが」

 

 咆哮が返ってくる。

 

 地図の赤が、さらに濃くなったように見えた。

 

 5度目から、ヴァルトは逃げるだけではなく、火竜の体内を見始めた。

 

 吸気。

 

 胸郭の膨張。

 

 空気が胸部へ流れ込む。

 

 火属性の魔力が喉の奥へ集まる。

 

 内部温度の上昇。

 

 点火。

 

 口から放たれる火。

 

 術式として知っている流れだった。

 

 だが、本で読み、術式図として理解するのと、自分を焼こうとする火へ結界で触れるのとでは違う。

 

 火が結界へぶつかる。

 

 圧力が魔力へ返る。

 

 角度を変えれば、流れがずれる。

 

 広く受ければ熱が回り込み、細く絞れば勢いを保ったまま抜けていく。

 

 火竜の中で生まれた火を、ヴァルトは結界越しに何度も受けた。

 

 6度目。

 

 7度目。

 

 8度目。

 

 逃げ道を選び損ね、厚い灰へ前輪が沈みかける。

 

 ヴァルトは車輪の下へ薄い結界を滑り込ませ、沈み込みを抑えた。

 

「道を選ぶ乗り物だったな」

 

 火竜に追われてから思い出しても遅い。

 

 横から尾が振られる。

 

 ヴァルトは車体ごと跳び、尾をかすめるように越えた。

 

 着地した車輪が高い音を上げる。

 

 9度目。

 

 吸気が始まった時点で、首の向きから射線を外す。

 

 10度目。

 

 火属性の魔力が喉へ集まる前に、結界の角度を決める。

 

 11度目。

 

 火が放たれるより先に、岩柱の裏へ入る。

 

 回数を重ねるごとに、火竜の動きが遅くなったわけではない。

 

 ヴァルトの判断が、少しずつ早くなっていた。

 

 12度目。

 

 火竜が吸い込んだ空気と、胸部の器官に蓄えられた可燃性の分泌物を鑑定で捉える。

 

 空気。

 

 燃料。

 

 魔力。

 

 点火。

 

 噴射。

 

 別々だった知識が、目の前の現象として一つにつながった。

 

 結界へ触れた火の圧力が、手の中の感覚として返ってくる。

 

 視界の隅に新しい表示が浮かんだ。

 

----------------------------------

火:芽あり

----------------------------------

 

「出たか」

 

 胸の内へ、小さな火種が落ちたような感覚があった。

 

 しかし、喜びが広がる前に、背後で火竜が再び息を吸う。

 

「祝う時間はないな」

 

 芽ありになっただけでは、火竜を倒せない。

 

 ここでSPを使って火を取得しても、高熱耐性を持つ相手へ火をぶつける意味は薄い。

 

 雷は鱗を破れない。

 

 結界では巨体を止めきれない。

 

 火も効かない。

 

 ならば、火竜自身の火を使う。

 

 ヴァルトは、また大きく膨らむ胸を見た。

 

 火竜は火を吐く前に、必ず大量の空気を取り込む。

 

 その空気と体内の可燃性分泌物を混ぜ、火属性の魔力で点火している。

 

 普通の空気だから、火竜が制御できる範囲で燃える。

 

 普通でなければどうなる。

 

 ヴァルトは周囲の空気を収納へ取り込んだ。

 

 収納内プラントを稼働させる。

 

 空気を分離。

 

 酸素を選別。

 

 濃度を上げる。

 

 さらに圧縮。

 

 ロードバイクを走らせながら、地図で火竜の位置を追う。

 

 鑑定で次の吸気を読む。

 

 結界で火を逸らす。

 

 雷で首の向きをずらす。

 

 収納内プラントで圧縮を続ける。

 

 複数の操作を重ねるたび、頭の奥が熱くなった。

 

 13度目の火が迫る。

 

 ヴァルトは結界を斜めに置き、火を岩壁へ流した。

 

 その間に、収納内プラントの処理が終わる。

 

 高圧縮酸素。

 

 外へ出しただけでは、一気に拡散する。

 

 ヴァルトは小さな球状結界を作り、収納内プラントの排出口をその内側へつないだ。

 

 高圧縮酸素が結界へ満ちる。

 

 球状結界が、内側から強く押し返してきた。

 

 ヴァルトは形を保ったまま、自分の横へ浮かせる。

 

 火竜が14度目の吸気へ入った。

 

 口元へ近づけようとした瞬間、火竜が首を振る。

 

 位置がずれた。

 

 開きかけた結界の端から、圧縮酸素が白い霧を伴って噴き出す。

 

 ヴァルトはすぐに閉じた。

 

「火山へ酸素を配っている場合ではない」

 

 爪を避け、岩柱の間へ逃げ込む。

 

 残量はまだある。

 

 次で決める。

 

 火竜が首を持ち上げた。

 

 胸が膨らむより先に、口が開く。

 

 周囲の灰と小石が吸い寄せられる。

 

 ヴァルトはロードバイクを急旋回させた。

 

 火竜の正面へ長く留まらず、口元を横切る線へ入る。

 

 移動加速。

 

 雷を火竜の目の前で弾けさせる。

 

 首の動きが一瞬止まった。

 

 ヴァルトは高圧縮酸素を封じた結界を、火竜の口前へ滑り込ませる。

 

 吸気が最大になる。

 

 結界の火竜側だけを開いた。

 

 高圧縮酸素が勢いよく噴き出し、火竜の吸気と同じ方向へ重なる。

 

 濃い酸素が喉の奥へ流れ込んだ。

 

 ヴァルトは結界を閉じ、すぐに離脱する。

 

 火竜の胸部が異常に膨らんだ。

 

 鑑定。

 

 酸素濃度上昇。

 

 内圧上昇。

 

 可燃性分泌物との混合。

 

 火属性の魔力集中。

 

 点火。

 

 燃焼が火竜の制御を越えた。

 

 口から吐き出される前に胸部で火が広がり、燃料を蓄えた器官へ逆流する。

 

 ヴァルトは走行中のロードバイクを収納した。

 

 足が地面へつくと同時に、移動加速で岩陰へ飛び込む。

 

 前方へ、斜めに重ねた結界を3枚。

 

 次の瞬間、火竜の胸部が内側から爆ぜた。

 

 轟音が岩山を揺らす。

 

 火と熱風と黒い鱗が四方へ飛んだ。

 

 結界へぶつかった爆風が、山側と上空へ流れていく。

 

 岩陰まで熱が回り込み、ヴァルトは腕で顔を覆った。

 

 やがて音が遠のく。

 

 舞い上がった灰が、ゆっくりと落ち始める。

 

 地図にあった巨大な赤が薄くなり、消えた。

 

 ヴァルトはすぐには動かなかった。

 

 鑑定で生命反応を確認する。

 

 呼吸なし。

 

 魔力循環停止。

 

 火を生み出す器官も止まっている。

 

「終わったな」

 

 岩陰から出ると、火竜の巨体が灰の中へ倒れていた。

 

 ヴァルトはそれを収納した。

 

 

 

 

 

 灰の薄い岩場へ移り、ヴァルトは自分を鑑定した。

 

----------------------------------

火:芽あり

移動加速:7

雷:4

収納内プラント:7

転移:芽あり

----------------------------------

 

 転移の文字へ視線が止まる。

 

「ようやく出たか」

 

 だが、ここで試す気はなかった。

 

 ヴァルトは収納からエアカーを出した。

 

「帰りは、まだこれだな」

 

 飛行機構を展開しながら、収納内を確認する。

 

 大量の火山灰。

 

 珍しい鉱物。

 

 赤黒い結晶。

 

 大型火竜。

 

 煤と灰にまみれたロードバイク。

 

「持ち帰る物が増えすぎたな」

 

 真壁の忠告が、今になって鮮明に蘇った。

 

 珍しい鉱物へ気を取られ、帰還が遅れぬよう願います。

 

 帰還は忘れていない。

 

 ただ、鉱物の先に火竜がいた。

 

 

 

 

 

 採石場秘密基地へ戻ると、澪と真壁が外へ出てきた。

 

 澪はまず、無傷のエアカーを見る。

 

 次に、煤と火山灰をまとったヴァルトを見た。

 

「火山灰を取りに行ったんですよね」

 

 帰還への安堵と、見た目が予定に合わない困惑が、同じ声の中に入っていた。

 

「はい。必要量は確保しました」

 

 そこだけは間違いない。

 

 真壁は服の焦げ跡とヴァルトの顔を順に見た。

 

「予定より成果が多いようですな」

 

 静かな声だった。すでに何かを察している。

 

 ヴァルトは最初に火山灰を出した。

 

 次に、赤黒い結晶と珍しい鉱物を並べる。

 

 真壁はすぐに鑑定を始めた。

 

「これは興味深い」

 

 短い言葉とともに、素材を見る目が鋭くなる。

 

 澪も鉱物をのぞき込んだ。

 

「ここまでは、採取の範囲ですね」

 

 言葉の端に、まだ続きがあると分かっている諦めがあった。

 

 ヴァルトは広い場所を選び、火竜を収納から出した。

 

 黒褐色の巨体が地面へ現れる。

 

 澪は火竜を見た。

 

 ヴァルトを見た。

 

 もう一度、火竜を見た。

 

「これは、肥料に混ぜませんよね」

 

 声は平静だった。先回りして用途を塞ごうとする気配だけが、妙に切実だった。

 

「その予定はありません」

 

 ヴァルトが答えると、真壁は火竜の骨格へ視線を移した。

 

「骨粉は、成分を見てからでしょう」

 

「見る前にやめてください」

 

 澪の返しが速い。

 

 真壁は答えず、火竜の鱗を指で軽く叩いた。

 

 ヴァルトは遭遇から撃破までを説明した。

 

 鉱脈を追って巣穴の前まで入ったこと。

 

 地図へ巨大な赤が出たこと。

 

 エアカーを収納していたため、ロードバイクで逃げたこと。

 

「ロードバイクで、火竜の火から逃げたんですか」

 

 澪の声がわずかに高くなる。頭に浮かんだ光景を、どう受け止めればよいのか迷っているようだった。

 

「すぐに動かせるものが、あれでしたので」

 

 ヴァルトが答えると、真壁は頷いた。

 

「機動開始までの時間を考えれば、妥当ですな」

 

「理屈は分かるんです」

 

 澪は火竜の巨体を見上げる。

 

「分かるんですけど、絵面が追いつきません」

 

 その感覚は、ヴァルトにも理解できた。

 

 続けて、高圧縮酸素を使った撃破方法を説明する。

 

 収納内プラントで空気から酸素を分離したこと。

 

 濃度を高め、さらに圧縮したこと。

 

 収納から出した瞬間に拡散しないよう、球状の結界へ封じたこと。

 

 その結界を火竜の口元へ運び、吸気に合わせて片側だけを開いたこと。

 

 真壁の手が止まった。

 

「高圧縮酸素を、結界内へ保持したのですか」

 

 火竜の鱗へ向いていた視線が、ヴァルトへ移る。声の調子は変わらない。だが、先ほどまで鱗を叩いていた指先だけが動かなくなっていた。

 

「はい。収納から出した時点で拡散させないため、結界を容器として使いました」

 

「移動させても、内部の圧力は保てたのですな」

 

「火竜の口元まで運ぶ間は保てました」

 

「形状を変えても可能ですかな」

 

「結界の強度と制御次第です。球状が最も安定しますが、細長くすることもできます」

 

 真壁が黙った。

 

 火竜から視線を外し、何もない空間を見る。

 

 右手を腰の横へ下ろし、何かの柄を握るように指を閉じた。

 

 そのまま手首を返し、斜め上へ視線を動かす。そこに見えない細長い何かがあるような動きだった。

 

 ヴァルトは説明を止めた。

 

 真壁の右手は動かない。

 

 ただ、親指だけが何かを押すようにわずかに動いた。

 

 澪が目を細める。

 

 その手つきには、澪だけが見覚えを持っているようだった。

 

 澪は真壁へ鑑定を使った。

 

----------------------------------

状態:光刃改良検討中

----------------------------------

 

 表示を見た澪が、そのまま数秒止まった。

 

「真壁さん」

 

 火竜を見た時とは違う警戒が、その声にはあった。火竜はすでに倒れている。こちらは、これから何かが始まりそうだった。

 

 真壁が少し遅れて顔を上げる。

 

「何でしょう、澪君」

 

「あの光る剣を、改良しようとしてませんか」

 

「鑑定は便利ですな」

 

 否定も肯定もせず、真壁は穏やかに答えた。

 

「質問への答えになってません」

 

 澪の視線は、真壁の右手から離れない。

 

 ヴァルトも真壁を鑑定する。

 

----------------------------------

状態:光刃改良検討中

----------------------------------

 

「改良、と出ていますね」

 

 表示を見たヴァルトは、澪へ視線を移した。

 

 改良という以上、すでに元になるものがあるらしい。

 

「まだ検討に過ぎません」

 

 真壁が言うと、澪は額へ手を当てた。

 

「検討中の段階で、状態欄に出るほど考えないでください」

 

 火竜を持ち帰ったことより、こちらの方が先へ続きそうだと悟った顔だった。

 

 真壁はヴァルトへ向き直る。

 

「細長い結界の場合、内部の圧力はどの程度まで保てますかな」

 

「長くするほど不安定になります。内部のものが高温なら、外側との境界も分ける必要があります」

 

「外へ熱を漏らさず、内部だけを高温に保つことは」

 

「可能です。ただ、封じるものによります」

 

 ヴァルトは真壁の右手を見る。

 

 先ほど柄を握っていた指が、今度は何かの太さを測るようにわずかに開いていた。

 

「細長い武器に使うのですか」

 

「結界の用途を確認しているだけです」

 

 真壁の答えは静かだった。

 

 否定はしていない。

 

 澪が真壁の手元を見ながら口を開く。

 

「あれ、外へ出すと形が崩れていましたよね」

 

 その声には、すでに答えを知っている響きがあった。

 

「ええ。持続時間には改善の余地があります」

 

「やっぱり延ばそうとしてるじゃないですか」

 

「短いよりは長い方が実用的でしょう」

 

「誰も実用品にしてくださいとは言ってません」

 

 澪の返しがすぐに飛んだ。

 

 真壁は聞こえなかったように、ヴァルトへ質問を続ける。

 

「結界の片側だけを開閉した際、形状に乱れは出ましたかな」

 

「今回は一瞬でしたので、維持できました」

 

「内部のものを動かしながら、外形だけを固定することは」

 

「制御は難しくなりますが、できます」

 

 真壁の右手が、また見えない柄を握った。

 

 澪はもう一度、鑑定する。

 

----------------------------------

状態:光刃改良検討中

----------------------------------

 

 表示は変わらない。

 

「真壁さん、結界魔術は持ってませんよね」

 

「ええ」

 

「取ろうとしてませんか」

 

 真壁はすぐには答えなかった。

 

 ヴァルトが作った球状結界の大きさを両手で示し、そこから片方の手だけをゆっくり上へ伸ばす。

 

 球を細長く引き延ばすような動きだった。

 

「有用性は確認できました」

 

「それは取る人の返事です」

 

 澪の声が低くなる。

 

 真壁は火竜へ視線を戻した。

 

「まずは、こちらの素材を調べましょう」

 

「その『まず』の後に、光刃の改良があるんですよね」

 

 返事はなかった。

 

 澪が3度目の鑑定を使う。

 

----------------------------------

状態:光刃改良検討中

----------------------------------

 

 消える気配はなかった。

 

 ヴァルトは自分の鑑定結果も二人へ見せた。

 

----------------------------------

火:芽あり

移動加速:7

雷:4

収納内プラント:7

転移:芽あり

----------------------------------

 

 澪の視線が、真壁の状態欄から転移の文字へ移った。

 

「転移も出たんですか」

 

 声の警戒が少し薄れる。作られそうな武器ではなく、ヴァルトの成長へ意識が戻ったらしい。

 

「はい。火竜を倒した後に確認しました」

 

「それで、火山から使わなかったんですか」

 

「最初に試す場所ではありません」

 

「それはそうですね」

 

 澪の肩から、わずかに力が抜けた。

 

 真壁が火竜の鱗を見たまま言う。

 

「慎重ですな」

 

「火竜をロードバイクで引きつけた人に言わないでください」

 

 澪の声に、安心した分だけ呆れが戻っていた。

 

 真壁は火竜の撃破方法へ話を戻す。

 

「火を吐くために空気を求めたので、質のよいものを多めに差し上げたわけですな」

 

「親切みたいに言わないでください」

 

 澪が即座に止める。

 

「濃度も圧力も高かったので、量は多すぎたかもしれません」

 

 ヴァルトが答えると、澪の視線がこちらへ向いた。

 

「加減を間違えた話みたいにしないでください」

 

 真壁は火竜の鱗へ手を置く。

 

「需要を読み、加工し、必要な時機に供給する。行商人らしい戦い方ですな」

 

 ヴァルトは少し考えた。

 

「代金を受け取る前に、相手が爆発しましたが」

 

「請求しようとしないでください」

 

 澪の返事が秘密基地へ響いた。

 

 火山灰を取りに行っただけの遠征だった。

 

 火山灰は確保した。

 

 珍しい鉱物も増えた。

 

 火の芽が生えた。

 

 転移の芽も生えた。

 

 火竜も持ち帰った。

 

 さらに、ヴァルトの知らないところで使われていた真壁の光刃には、結界を使った改良案まで加わった。

 

 持ち帰ったものも、生えたものも、改良されそうなものも、予定より少々多すぎた。

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