侯爵家への肥料の納品を終えた翌日、採石場秘密基地の原料区画には、底の見えた容器がいくつも並んでいた。
昨日まで灰色の粉を抱えていた槽へ、澪が身をかがめる。木べらで底をさらっても、残っているのは薄くこびりついた分だけだった。
「ずいぶん減りましたね」
納品を終えた安堵の向こうで、次の製造分が静かに口を開けていた。侯爵家へ渡した肥料が役に立てば、同じものをまた求められる。空になった容器は、喜ばしいはずの先行きを、少しだけ急かしているように見えた。
真壁は槽の縁へ指を添え、順に鑑定をかけた。
「灰分と鉱物質が不足しておりますな」
声は穏やかだった。砂糖でも切らしたような調子だが、必要なのは袋数個で済む量ではない。
ヴァルトは槽の底に残った灰を指先でつまんだ。
そのまま畑へ撒くものではない。収納内プラントで粒をそろえ、不要な成分を除き、ほかの材料と合わせる。その元になる量が足りなかった。
「ゼグルド火山が使えると思います」
口にした途端、黒い山肌と乾いた熱気が記憶の奥から立ち上がった。
灰に沈む靴。
赤茶けた岩脈。
山腹に露出した鉱物の筋。
人の手がほとんど入っていない、南の辺境。
澪が顔を上げる。
「ゼグルド火山ですか」
知らない地名を拾う声に、わずかな警戒が混じった。
「南の辺境にあります。以前、魔術院の仕事で近くを通りました。裾野だけでも、必要な量は確保できます」
澪も真壁も、その火山へ行ったことはない。
ヴァルトは火口まで近づく必要がないこと、人里や農地から離れた場所を選べること、風化して細かくなった灰の層が広く残っていたことを説明した。
「火山活動で、珍しい鉱物も露出していました」
真壁の視線が、わずかに上がった。
ヴァルトは一拍置いた。
真壁は必要な灰の量と、避けたい成分を簡潔に伝える。それから、静かな声で付け加えた。
「主目的は火山灰です」
言葉の奥に、すでに見抜かれた未来があった。
「珍しい鉱物へ気を取られ、帰還が遅れぬよう願います」
「採取の優先順位は心得ています」
当然の返答だった。
必要量を集める。状態を確かめる。時間が余れば、周囲も少し調べる。それだけだ。
澪は何も言わなかった。
ただ、真壁ではなくヴァルトの方を見ていた。その視線だけが、まだ起きてもいない何かを心配していた。
エアカーは南へ走り、人里が途切れたところで飛行形態へ移った。
畑が小さくなり、街道が細い線へ変わっていく。
地図9に広がる景色は、以前よりも遠くまでつながって見えた。谷の深さ、山肌の傾き、点在する魔物の反応。その隙間へ、安全に抜けられる道筋が浮かぶ。
ヴァルトは上昇気流へ機体を乗せ、移動加速を薄く重ねた。
無理に速度を出さない。
乱気流を避ける。
帰路の電力を残す。
着地点へ向け、早めに高度を落とす。
以前は何日もかけて越えた土地が、眼下を流れていった。
やがて、遠方に黒い山が現れる。
ゼグルド火山。
山頂から細い煙が立ち、灰色の裾野を赤茶けた岩脈が走っている。以前と変わらず、人を歓迎する気配のない山だった。
「変わっていないな」
声は風防の内側へ落ちた。
山は変わっていない。
だが、自分は荷を背負って歩く魔術師ではなく、自分の機体で空から来る行商人になっていた。
ヴァルトは火口から十分に離れた岩盤を選び、エアカーを着陸させた。
周囲を鑑定する。
地熱あり。
降灰あり。
小型魔物の反応が散在。
近くに強い敵性反応はない。
飛行機構を畳むと、エアカーを収納した。
灰の中へ置いておけば、機構へ細かな粒が入る。噴石や魔物に傷つけられる可能性もある。何より、緊急時に取り出してから飛び立つまでには時間がかかる。
代わりにロードバイクを出した。
細いタイヤは厚い灰に向かないが、固まった溶岩と露出した岩盤を選べば、広い裾野を回るには都合がよい。
「採取には、こちらの方が早い」
ヴァルトはペダルへ足を掛けた。
火山灰の採取は順調に進んだ。
新しく積もった粗い灰を避け、風雨にさらされた細かな層を選ぶ。
鑑定で成分を確かめ、少量を収納内プラントへ送る。軽石を分け、粒をそろえ、混ざった金属分を調べる。
硫黄分は許容範囲。
肥料の原料として使える。
一か所だけを深く抉らず、ロードバイクで場所を移しながら、広い範囲から薄く収納していく。
必要量を越えたところで、ヴァルトは収納内を確認した。
「これで十分だな」
本来の目的は終わった。
あとはエアカーを出し、帰ればよい。
その時、灰を取り除いた地面の下に、赤黒い筋が見えた。
ヴァルトはロードバイクを止め、しゃがみ込んだ。
鑑定。
熱を蓄えやすい結晶性鉱物。
魔力伝導性あり。
加工適性、不明。
「少しだけ確認しよう」
指先ほどの試料を収納した。
その下から、青みを帯びた別の鉱物が現れた。
軽い。硬度も高い。
さらに隣の岩肌には、魔力を吸うと色を変える細い結晶が走っている。
ヴァルトは立ち上がった。
試料だけ。
成分を見るだけ。
もう一か所だけ。
ロードバイクを押し、露頭を追う。
真壁の忠告は覚えていた。
覚えているからこそ、持ち帰る量は少量に抑えている。自分の中では、まだ主目的を外れてはいなかった。
「これで最後にしよう」
口にした直後、岩壁の陰から、それまでより強い鉱物反応が出た。
ヴァルトは数歩進み、岩陰へ入った。
露頭は奥まで続いている。
鑑定結果を追ううちに、周囲の静けさが変わっていた。
地図へ巨大な赤が現れるまでは、それに気づかなかった。
点ではない。
背後一帯を塗り潰すほどの、巨大な敵性反応。
ヴァルトの指が鉱石の上で止まった。
地熱の誤認か。
そう考えた瞬間、赤が動いた。
岩山そのものが首を持ち上げるように、形を変える。
ヴァルトは立ち上がり、ゆっくり振り返った。
黒褐色の鱗。
岩のような四肢。
畳まれた巨大な翼。
胸から喉へ、赤い熱が脈打っている。
大型の火竜が、巣穴の前からこちらを見下ろしていた。
鑑定結果が視界へ並ぶ。
大型火竜。
高熱耐性。
強靭な鱗。
縄張り防衛。
強い敵意。
ヴァルトは足元の鉱脈を見た。
露頭は火竜の巣の入口まで続いている。
「採取範囲を広げすぎたか」
火竜が低く唸った。
胸が膨らみ始める。
「少しではなかったな」
火竜が大きく息を吸った。
エアカーを出す時間はなかった。
機体を取り出し、乗り込み、飛行機構を展開し、離陸する。その前に焼かれる。
ヴァルトはロードバイクへ飛び乗り、ペダルを踏み込んだ。
移動加速。
車体が固い岩道を滑り出す。
直後、背後から轟音が迫った。
ヴァルトは振り返らず、後方へ斜めの結界を張った。
火の奔流が結界へぶつかり、表面を滑って上空へ逸れる。
直撃は避けた。
だが、熱風が背を強く押した。
ロードバイクが想定以上に加速し、前輪が岩の継ぎ目で跳ねる。
「追い風にしては強すぎる」
ハンドルを押さえ込み、車体を立て直す。
火竜が地面を蹴った。
翼を広げるには岩壁が近すぎる。巨体は低く滑空し、火山灰を巻き上げながら追ってくる。
2度目の吸気。
ヴァルトは地図で前方の大岩を選び、その陰へ飛び込んだ。
火が岩へ当たり、熱した破片が頭上から降る。
薄い結界を上へ張り、破片を外へ弾く。
岩の向こうから、火竜の爪が振り下ろされた。
ヴァルトはロードバイクを傾け、細い隙間を抜けた。
爪が背後の岩盤を砕く。
「火だけではないか」
当然だった。
3度目。
火竜はヴァルトの進路を読み、曲がる先へ首を向けた。
地図で岩の割れ目を見つける。
鑑定で吸気の終わりを読む。
移動加速を一段強くし、細い裂け目へ飛び込む。
火が横を走り抜け、岩肌を赤く焼いた。
4度目。
ヴァルトは雷3を火竜の目の前で弾けさせた。
白い光に、火竜が目を細める。
火は狙いを外し、ヴァルトの後方を薙いだ。
「効いてはいる。怒らせる方へだが」
咆哮が返ってくる。
地図の赤が、さらに濃くなったように見えた。
5度目から、ヴァルトは逃げるだけではなく、火竜の体内を見始めた。
吸気。
胸郭の膨張。
空気が胸部へ流れ込む。
火属性の魔力が喉の奥へ集まる。
内部温度の上昇。
点火。
口から放たれる火。
術式として知っている流れだった。
だが、本で読み、術式図として理解するのと、自分を焼こうとする火へ結界で触れるのとでは違う。
火が結界へぶつかる。
圧力が魔力へ返る。
角度を変えれば、流れがずれる。
広く受ければ熱が回り込み、細く絞れば勢いを保ったまま抜けていく。
火竜の中で生まれた火を、ヴァルトは結界越しに何度も受けた。
6度目。
7度目。
8度目。
逃げ道を選び損ね、厚い灰へ前輪が沈みかける。
ヴァルトは車輪の下へ薄い結界を滑り込ませ、沈み込みを抑えた。
「道を選ぶ乗り物だったな」
火竜に追われてから思い出しても遅い。
横から尾が振られる。
ヴァルトは車体ごと跳び、尾をかすめるように越えた。
着地した車輪が高い音を上げる。
9度目。
吸気が始まった時点で、首の向きから射線を外す。
10度目。
火属性の魔力が喉へ集まる前に、結界の角度を決める。
11度目。
火が放たれるより先に、岩柱の裏へ入る。
回数を重ねるごとに、火竜の動きが遅くなったわけではない。
ヴァルトの判断が、少しずつ早くなっていた。
12度目。
火竜が吸い込んだ空気と、胸部の器官に蓄えられた可燃性の分泌物を鑑定で捉える。
空気。
燃料。
魔力。
点火。
噴射。
別々だった知識が、目の前の現象として一つにつながった。
結界へ触れた火の圧力が、手の中の感覚として返ってくる。
視界の隅に新しい表示が浮かんだ。
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火:芽あり
----------------------------------
「出たか」
胸の内へ、小さな火種が落ちたような感覚があった。
しかし、喜びが広がる前に、背後で火竜が再び息を吸う。
「祝う時間はないな」
芽ありになっただけでは、火竜を倒せない。
ここでSPを使って火を取得しても、高熱耐性を持つ相手へ火をぶつける意味は薄い。
雷は鱗を破れない。
結界では巨体を止めきれない。
火も効かない。
ならば、火竜自身の火を使う。
ヴァルトは、また大きく膨らむ胸を見た。
火竜は火を吐く前に、必ず大量の空気を取り込む。
その空気と体内の可燃性分泌物を混ぜ、火属性の魔力で点火している。
普通の空気だから、火竜が制御できる範囲で燃える。
普通でなければどうなる。
ヴァルトは周囲の空気を収納へ取り込んだ。
収納内プラントを稼働させる。
空気を分離。
酸素を選別。
濃度を上げる。
さらに圧縮。
ロードバイクを走らせながら、地図で火竜の位置を追う。
鑑定で次の吸気を読む。
結界で火を逸らす。
雷で首の向きをずらす。
収納内プラントで圧縮を続ける。
複数の操作を重ねるたび、頭の奥が熱くなった。
13度目の火が迫る。
ヴァルトは結界を斜めに置き、火を岩壁へ流した。
その間に、収納内プラントの処理が終わる。
高圧縮酸素。
外へ出しただけでは、一気に拡散する。
ヴァルトは小さな球状結界を作り、収納内プラントの排出口をその内側へつないだ。
高圧縮酸素が結界へ満ちる。
球状結界が、内側から強く押し返してきた。
ヴァルトは形を保ったまま、自分の横へ浮かせる。
火竜が14度目の吸気へ入った。
口元へ近づけようとした瞬間、火竜が首を振る。
位置がずれた。
開きかけた結界の端から、圧縮酸素が白い霧を伴って噴き出す。
ヴァルトはすぐに閉じた。
「火山へ酸素を配っている場合ではない」
爪を避け、岩柱の間へ逃げ込む。
残量はまだある。
次で決める。
火竜が首を持ち上げた。
胸が膨らむより先に、口が開く。
周囲の灰と小石が吸い寄せられる。
ヴァルトはロードバイクを急旋回させた。
火竜の正面へ長く留まらず、口元を横切る線へ入る。
移動加速。
雷を火竜の目の前で弾けさせる。
首の動きが一瞬止まった。
ヴァルトは高圧縮酸素を封じた結界を、火竜の口前へ滑り込ませる。
吸気が最大になる。
結界の火竜側だけを開いた。
高圧縮酸素が勢いよく噴き出し、火竜の吸気と同じ方向へ重なる。
濃い酸素が喉の奥へ流れ込んだ。
ヴァルトは結界を閉じ、すぐに離脱する。
火竜の胸部が異常に膨らんだ。
鑑定。
酸素濃度上昇。
内圧上昇。
可燃性分泌物との混合。
火属性の魔力集中。
点火。
燃焼が火竜の制御を越えた。
口から吐き出される前に胸部で火が広がり、燃料を蓄えた器官へ逆流する。
ヴァルトは走行中のロードバイクを収納した。
足が地面へつくと同時に、移動加速で岩陰へ飛び込む。
前方へ、斜めに重ねた結界を3枚。
次の瞬間、火竜の胸部が内側から爆ぜた。
轟音が岩山を揺らす。
火と熱風と黒い鱗が四方へ飛んだ。
結界へぶつかった爆風が、山側と上空へ流れていく。
岩陰まで熱が回り込み、ヴァルトは腕で顔を覆った。
やがて音が遠のく。
舞い上がった灰が、ゆっくりと落ち始める。
地図にあった巨大な赤が薄くなり、消えた。
ヴァルトはすぐには動かなかった。
鑑定で生命反応を確認する。
呼吸なし。
魔力循環停止。
火を生み出す器官も止まっている。
「終わったな」
岩陰から出ると、火竜の巨体が灰の中へ倒れていた。
ヴァルトはそれを収納した。
灰の薄い岩場へ移り、ヴァルトは自分を鑑定した。
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火:芽あり
移動加速:7
雷:4
収納内プラント:7
転移:芽あり
----------------------------------
転移の文字へ視線が止まる。
「ようやく出たか」
だが、ここで試す気はなかった。
ヴァルトは収納からエアカーを出した。
「帰りは、まだこれだな」
飛行機構を展開しながら、収納内を確認する。
大量の火山灰。
珍しい鉱物。
赤黒い結晶。
大型火竜。
煤と灰にまみれたロードバイク。
「持ち帰る物が増えすぎたな」
真壁の忠告が、今になって鮮明に蘇った。
珍しい鉱物へ気を取られ、帰還が遅れぬよう願います。
帰還は忘れていない。
ただ、鉱物の先に火竜がいた。
採石場秘密基地へ戻ると、澪と真壁が外へ出てきた。
澪はまず、無傷のエアカーを見る。
次に、煤と火山灰をまとったヴァルトを見た。
「火山灰を取りに行ったんですよね」
帰還への安堵と、見た目が予定に合わない困惑が、同じ声の中に入っていた。
「はい。必要量は確保しました」
そこだけは間違いない。
真壁は服の焦げ跡とヴァルトの顔を順に見た。
「予定より成果が多いようですな」
静かな声だった。すでに何かを察している。
ヴァルトは最初に火山灰を出した。
次に、赤黒い結晶と珍しい鉱物を並べる。
真壁はすぐに鑑定を始めた。
「これは興味深い」
短い言葉とともに、素材を見る目が鋭くなる。
澪も鉱物をのぞき込んだ。
「ここまでは、採取の範囲ですね」
言葉の端に、まだ続きがあると分かっている諦めがあった。
ヴァルトは広い場所を選び、火竜を収納から出した。
黒褐色の巨体が地面へ現れる。
澪は火竜を見た。
ヴァルトを見た。
もう一度、火竜を見た。
「これは、肥料に混ぜませんよね」
声は平静だった。先回りして用途を塞ごうとする気配だけが、妙に切実だった。
「その予定はありません」
ヴァルトが答えると、真壁は火竜の骨格へ視線を移した。
「骨粉は、成分を見てからでしょう」
「見る前にやめてください」
澪の返しが速い。
真壁は答えず、火竜の鱗を指で軽く叩いた。
ヴァルトは遭遇から撃破までを説明した。
鉱脈を追って巣穴の前まで入ったこと。
地図へ巨大な赤が出たこと。
エアカーを収納していたため、ロードバイクで逃げたこと。
「ロードバイクで、火竜の火から逃げたんですか」
澪の声がわずかに高くなる。頭に浮かんだ光景を、どう受け止めればよいのか迷っているようだった。
「すぐに動かせるものが、あれでしたので」
ヴァルトが答えると、真壁は頷いた。
「機動開始までの時間を考えれば、妥当ですな」
「理屈は分かるんです」
澪は火竜の巨体を見上げる。
「分かるんですけど、絵面が追いつきません」
その感覚は、ヴァルトにも理解できた。
続けて、高圧縮酸素を使った撃破方法を説明する。
収納内プラントで空気から酸素を分離したこと。
濃度を高め、さらに圧縮したこと。
収納から出した瞬間に拡散しないよう、球状の結界へ封じたこと。
その結界を火竜の口元へ運び、吸気に合わせて片側だけを開いたこと。
真壁の手が止まった。
「高圧縮酸素を、結界内へ保持したのですか」
火竜の鱗へ向いていた視線が、ヴァルトへ移る。声の調子は変わらない。だが、先ほどまで鱗を叩いていた指先だけが動かなくなっていた。
「はい。収納から出した時点で拡散させないため、結界を容器として使いました」
「移動させても、内部の圧力は保てたのですな」
「火竜の口元まで運ぶ間は保てました」
「形状を変えても可能ですかな」
「結界の強度と制御次第です。球状が最も安定しますが、細長くすることもできます」
真壁が黙った。
火竜から視線を外し、何もない空間を見る。
右手を腰の横へ下ろし、何かの柄を握るように指を閉じた。
そのまま手首を返し、斜め上へ視線を動かす。そこに見えない細長い何かがあるような動きだった。
ヴァルトは説明を止めた。
真壁の右手は動かない。
ただ、親指だけが何かを押すようにわずかに動いた。
澪が目を細める。
その手つきには、澪だけが見覚えを持っているようだった。
澪は真壁へ鑑定を使った。
----------------------------------
状態:光刃改良検討中
----------------------------------
表示を見た澪が、そのまま数秒止まった。
「真壁さん」
火竜を見た時とは違う警戒が、その声にはあった。火竜はすでに倒れている。こちらは、これから何かが始まりそうだった。
真壁が少し遅れて顔を上げる。
「何でしょう、澪君」
「あの光る剣を、改良しようとしてませんか」
「鑑定は便利ですな」
否定も肯定もせず、真壁は穏やかに答えた。
「質問への答えになってません」
澪の視線は、真壁の右手から離れない。
ヴァルトも真壁を鑑定する。
----------------------------------
状態:光刃改良検討中
----------------------------------
「改良、と出ていますね」
表示を見たヴァルトは、澪へ視線を移した。
改良という以上、すでに元になるものがあるらしい。
「まだ検討に過ぎません」
真壁が言うと、澪は額へ手を当てた。
「検討中の段階で、状態欄に出るほど考えないでください」
火竜を持ち帰ったことより、こちらの方が先へ続きそうだと悟った顔だった。
真壁はヴァルトへ向き直る。
「細長い結界の場合、内部の圧力はどの程度まで保てますかな」
「長くするほど不安定になります。内部のものが高温なら、外側との境界も分ける必要があります」
「外へ熱を漏らさず、内部だけを高温に保つことは」
「可能です。ただ、封じるものによります」
ヴァルトは真壁の右手を見る。
先ほど柄を握っていた指が、今度は何かの太さを測るようにわずかに開いていた。
「細長い武器に使うのですか」
「結界の用途を確認しているだけです」
真壁の答えは静かだった。
否定はしていない。
澪が真壁の手元を見ながら口を開く。
「あれ、外へ出すと形が崩れていましたよね」
その声には、すでに答えを知っている響きがあった。
「ええ。持続時間には改善の余地があります」
「やっぱり延ばそうとしてるじゃないですか」
「短いよりは長い方が実用的でしょう」
「誰も実用品にしてくださいとは言ってません」
澪の返しがすぐに飛んだ。
真壁は聞こえなかったように、ヴァルトへ質問を続ける。
「結界の片側だけを開閉した際、形状に乱れは出ましたかな」
「今回は一瞬でしたので、維持できました」
「内部のものを動かしながら、外形だけを固定することは」
「制御は難しくなりますが、できます」
真壁の右手が、また見えない柄を握った。
澪はもう一度、鑑定する。
----------------------------------
状態:光刃改良検討中
----------------------------------
表示は変わらない。
「真壁さん、結界魔術は持ってませんよね」
「ええ」
「取ろうとしてませんか」
真壁はすぐには答えなかった。
ヴァルトが作った球状結界の大きさを両手で示し、そこから片方の手だけをゆっくり上へ伸ばす。
球を細長く引き延ばすような動きだった。
「有用性は確認できました」
「それは取る人の返事です」
澪の声が低くなる。
真壁は火竜へ視線を戻した。
「まずは、こちらの素材を調べましょう」
「その『まず』の後に、光刃の改良があるんですよね」
返事はなかった。
澪が3度目の鑑定を使う。
----------------------------------
状態:光刃改良検討中
----------------------------------
消える気配はなかった。
ヴァルトは自分の鑑定結果も二人へ見せた。
----------------------------------
火:芽あり
移動加速:7
雷:4
収納内プラント:7
転移:芽あり
----------------------------------
澪の視線が、真壁の状態欄から転移の文字へ移った。
「転移も出たんですか」
声の警戒が少し薄れる。作られそうな武器ではなく、ヴァルトの成長へ意識が戻ったらしい。
「はい。火竜を倒した後に確認しました」
「それで、火山から使わなかったんですか」
「最初に試す場所ではありません」
「それはそうですね」
澪の肩から、わずかに力が抜けた。
真壁が火竜の鱗を見たまま言う。
「慎重ですな」
「火竜をロードバイクで引きつけた人に言わないでください」
澪の声に、安心した分だけ呆れが戻っていた。
真壁は火竜の撃破方法へ話を戻す。
「火を吐くために空気を求めたので、質のよいものを多めに差し上げたわけですな」
「親切みたいに言わないでください」
澪が即座に止める。
「濃度も圧力も高かったので、量は多すぎたかもしれません」
ヴァルトが答えると、澪の視線がこちらへ向いた。
「加減を間違えた話みたいにしないでください」
真壁は火竜の鱗へ手を置く。
「需要を読み、加工し、必要な時機に供給する。行商人らしい戦い方ですな」
ヴァルトは少し考えた。
「代金を受け取る前に、相手が爆発しましたが」
「請求しようとしないでください」
澪の返事が秘密基地へ響いた。
火山灰を取りに行っただけの遠征だった。
火山灰は確保した。
珍しい鉱物も増えた。
火の芽が生えた。
転移の芽も生えた。
火竜も持ち帰った。
さらに、ヴァルトの知らないところで使われていた真壁の光刃には、結界を使った改良案まで加わった。
持ち帰ったものも、生えたものも、改良されそうなものも、予定より少々多すぎた。