ヴァルトが火竜を収納から出すと、採石場秘密基地の前から、開けていたはずの空が半分ほど消えた。
黒褐色の胴が地面へ横たわり、畳まれた翼は資材置き場の手前まで伸びている。太い尾は緩やかに曲がりながら作業場の端を越え、その先を建物の陰へ隠していた。
火山で対峙していた時よりも大きく見えた。
あの場では、火と爪を避けるだけで精一杯だった。こうして動かなくなった身体を前にすると、閉じた口の隙間からのぞく牙の長さも、1枚ごとの鱗の厚みも、前脚だけで人間を覆えそうなことも、嫌になるほどよく分かる。
澪は頭から背へ視線をたどり、首を反らせたまま翼を見た。次に尾の方を向き、全身を一度に見るのを諦めたらしく、また頭へ戻ってくる。
「火山灰を取りに行った結果が、これなんですよね」
「火山灰も、必要量は確保しています」
ヴァルトは、そこだけは改めてはっきり答えた。
「それは聞きました」
澪は火竜を見上げたまま言う。
「でも、火山灰と一緒に数えるには大きすぎます」
真壁は火竜の前脚へ近づき、鱗へ手のひらを当てていた。胸部は内側から破裂しているが、背や四肢、翼の大半には目立った損傷がない。
「内部から崩したため、素材としては広く残っておりますな」
「素材として見るのが早いですね」
「ほかに、どのように見ればよろしいのですかな」
澪は少し考えた。
「火竜です」
「それは鑑定せずとも分かります」
真壁は鱗の重なりへ指を滑らせた。
ヴァルトも胸部へ鑑定を向ける。巨大な魔石から伸びていた魔力経路が、鱗の裏、骨、内臓、火炎器官へ枝分かれしている。生命活動は止まっていても、身体がどのように魔力を巡らせていたかは、まだ構造として残っていた。
澪は、火竜の両側で早くも調べ始めた2人を見比べた。
「これ、売るんですか」
真壁の手が止まる。
ヴァルトも魔力経路から顔を上げた。
「売る必要がありますかな」
真壁の声には、本気で理由が分からない響きがあった。
「高く売れるんですよね」
「相場を決められる者がいるか分からないほどには」
ヴァルトは王都で扱われていた竜種素材を思い返した。
小さな牙や鱗の欠片でさえ、魔術師や武器職人が奪い合う。これほど状態のよい大型火竜が丸ごと出れば、値段以前に、誰へ渡すかで争いになるだろう。
「でしたら、なおさら売る必要はありませんな」
真壁は再び火竜へ目を向けた。
「金へ換えれば、金としてしか使えません」
鱗は魔術を散らす。
牙は魔力を先端へ集める。
骨には、天然の魔力経路が残っている。
血や内臓には、薬へ使える成分がある。
胸部の奥には、巨体を動かしていた魔石がある。
そのどれも、後から金を積めば買い戻せるとは限らない。
澪も火竜を眺めたあと、あっさり頷いた。
「売ってから、必要になったものを買う方が面倒ですね」
「買えれば、ですがな」
「では、売らない方向で」
火竜一頭を前にした商会の判断は、それだけで終わった。
誰も値札を考えなかった。
真壁は鱗の下へ鑑定を重ね、ヴァルトは魔石から伸びる経路を追う。
「この鱗は、裏の膜までつながった状態で残したいです」
ヴァルトが背の一部を示した。
「魔石との反応を見るためですかな」
「はい。骨と内臓も、一部は接続したまま調べたい」
「では、先に全身の構造を写しましょう」
真壁が火竜へ手を置く。
巨体が消えた。
広い作業場には、押し潰された草と、火竜の形にへこんだ地面だけが残る。
澪は急に戻ってきた空を見上げた。
「外で解体するわけではないんですね」
「外へ置く利点がありませんからな」
秘密基地の壁面へ、真壁の収納内が映し出された。
火竜は全身の形を崩さず、広い工程区画へ収まっている。血管も、骨も、内臓も、魔石から伸びる経路も、まだ何一つ切り離されていない。
真壁の収納内には、すでにいくつかの区画が用意されていた。薬用組織を扱う場所、食肉を保存する場所、硬質素材を加工する場所、魔石と魔力経路を調べる場所まである。
澪は投影を見上げた。
「いつ作ったんですか、その区画」
「昨夜ですな」
「休んでいましたか」
「身体は」
「収納の中で作業していたんですね」
真壁は返事をせず、工程を動かした。
火竜の全身へ淡い線が走る。
血管、筋肉、皮膜、腱、骨、内臓の境目が、互いに重ならないよう浮かび上がった。
真壁の指がわずかに動くと、全身から血液だけが抜き取られる。血管を裂いたのではない。中身だけが薬用区画へ移り、凝固した部分と液体部分へ分かれていった。
収納内プラントが動き始める。
血液は細胞、血漿、魔力を多く含む成分、毒性を持つ成分へ分けられ、透明な容器へ順に収まった。
ヴァルトは身を乗り出す。
「血液だけを抜いたのですか」
「血管は残してあります。魔力経路とのつながりを見る必要があるでしょう」
「肉や内臓も、同じように」
「用途が確定したものから送ります」
食用と鑑定された筋肉が、部位ごとに切り離されていく。
刃物を入れる音はない。
肉の形を潰すこともない。
背、胸、尾、翼の付け根、首の肉が、周囲の膜や腱を残したまま外れ、洗浄工程を通って低温保存区画へ収まった。
澪は、投影された火竜が静かに標本へ変わっていく様子を見つめた。
「外で包丁を持つ必要が、まったくありませんね」
「巨大なものほど、収納内工程に向いておりますな」
「解体業の人が見たら泣きそうです」
「火竜を日常的に扱う業者でなければ、仕事は奪わないでしょう」
「そこではありません」
鱗はすべて外さず、魔力経路を追うための一部だけを残した。
余剰分は硬質素材区画へ送られる。
真壁が試料へ熱と圧力を加えると、鱗の表面がゆっくり軟化した。元の形を失った素材から不純物を分け、魔力を散らす内部構造をそろえ直す。
薄く延ばして固めると、鱗とは違う滑らかな板材になった。
ヴァルトが鑑定する。
「硬度も耐熱性も残っています。魔力分散の性質も失われていません」
「形は用途に合わせられますな」
真壁は板材を緩やかに湾曲させ、再び固形化した。
澪は腕を組む。
「鱗の形で使う必要もないんですね」
「重ねて防具にするなら元の形がよいでしょう。装甲板や魔道具の外殻なら、再成形した方が扱いやすい」
牙も同じように工程へ入った。
内部を調べる分は原形のまま残し、加工に回す一部だけを軟化させる。
牙の中には、魔力を先端へ集める筋が通っていた。真壁はその部分を壊さずそろえ、細い針へ固める。
ヴァルトが一本を受け取り、魔力を流す。
根元から入った魔力はほとんど漏れず、針先へ集まった。
「術式を刻む道具に使えます」
「刃や穿孔具にもよいでしょうな」
「真壁さん」
澪が投影された牙の残量を見る。
「全部を試験用にするつもりではありませんよね」
「原形保存分は確保してあります」
「残りは全部、試験用という意味では」
「用途が決まっていないものを、試験用と呼ぶことはありますな」
「聞いておいてよかったです」
骨も、強度を担う部分と魔力を通しやすい部分へ分けられた。
混合する割合を変えれば、板にも棒にも細い管にもできる。骨髄だけは薬用区画へ移され、内臓も薬効と毒性を見ながら、それぞれ別の工程へ送られていった。
ヴァルトは、火竜の身体が姿を変えていくのを見ながら、かつての魔術院工房を思い出していた。
職人が何日もかけて削り、熱し、失敗すれば素材ごと失う。
真壁は削らない。
必要な性質を残したまま、素材の内側から形を作り直している。
「真壁殿の加工は、元の姿を使う必要がないのですね」
「必要なのは素材の性質でしょう。牙や鱗の形とは限りません」
「普通の職人が聞けば、怒ると思います」
澪が言う。
「完成品が同じなら、工程は短い方がよろしいでしょう」
真壁はまるで気にしていなかった。
収納内では、火竜の血が研究用の試料へ分かれ、鱗が板材となり、牙が術式針へ変わり、骨が魔道具の構造材へ整えられていた。
ヴァルトが魔石周辺の経路を読み、真壁がその情報を受け取って、保存する部分と加工へ回す部分を切り替える。
「鱗の膜は、この範囲を残してください」
「3列ほどですかな」
「それで十分です。骨の魔力経路は、太さを変えたものを何種類か欲しいです」
「では、こちらを」
2人の会話が急に速くなった。
真壁が素材の形を変え、ヴァルトが魔力を流す。
結果を見て、また形を変える。
薄い板は曲面になり、細い骨材は輪になり、牙の成分から作った針はさらに細くなっていく。
澪はしばらく眺めていた。
「楽しそうですね」
「興味深い素材ですからな」
「火竜の身体が、そのまま魔道具の構造になっています」
2人とも否定しなかった。
研究というより、珍しい材料を手に入れた者が、何を作れるか試して遊んでいるように見える。
止める理由はない。
売る予定もない。
血も内臓も真壁の収納内にあり、外へ漏れない。火が出ても燃え移らず、毒性のあるものも密閉できる。
「では、心ゆくまでどうぞ」
澪が言っても、返事はなかった。
聞こえていないのではない。
真壁は鱗板の厚みを変え、ヴァルトは骨材へ流す魔力の方向を確かめている。すでに次の試作へ入っていた。
澪は2人の背中を見てから、静かに秘密基地へ戻った。
大学の課題もある。
押入商会の用事も残っている。
何より、あの場に立ち続けていれば、完成していない試作品を持たされる気がした。
扉を閉める直前、真壁の声が聞こえた。
「ヴァルト君、この形なら内部へ圧力を保持できますかな」
「結界を重ねれば可能です」
澪は扉を閉めた。
やはり、しばらく近づかない方がよさそうだった。
真壁が最初に取りかかったのは、火竜が疲れにくい理由だった。
あれほどの巨体を動かし、高熱の土地で暮らし、何度も火を吐く。それでも休めば、また同じ動きを繰り返す。
単に身体が大きく、筋肉が強いだけでは説明がつかない。
血液は酸素を効率よく運び、肝臓に似た器官は老廃物を速く処理していた。筋肉は細かな損傷からの回復が早く、神経と魔力経路も高い出力へ耐える。
真壁は血液、骨髄、肝臓、筋肉、神経周辺の組織を少量ずつ工程へ入れ、反応を比べていった。
濃すぎれば、人間由来の試験細胞が膨らむ。
魔力成分を残しすぎると、細胞が熱を持つ。
弱すぎれば一時的に代謝が上がるだけで、変化は定着しない。
ヴァルトは、試料へ流した魔力の変化を見ていた。
「こちらは、魔力を通した直後だけ強くなります」
「一時的では意味がありませんな」
「疲労を感じなくさせるだけなら、もっと簡単では」
「身体の損傷を隠して動かせば、後で壊れます」
真壁は試料の濃度を下げた。
「欲しいのは、無理をしていることに気づかなくなる薬ではありません。同じ仕事をしても、傷みにくい身体です」
「合理的です」
ヴァルトは素直に頷いた。
「真壁さんが使うところまで考えると、少し不安ですけど」
いつの間にか戻ってきていた澪が、作業台の向こうから口を挟んだ。
手には大学の資料を抱えている。
「もう戻ったのですかな」
「数時間は経っています」
「そうでしたか」
「時間の感覚を失うほど遊ばないでください」
「研究ですな」
「楽しそうなので、どちらでもいいです」
真壁は新しい試料を鑑定した。
細胞は熱を持たず、代謝だけが上がっている。魔力を何度通しても崩れず、時間を置いても元へ戻らない。
真壁の目が、わずかに細くなった。
「これは残しましょう」
翌日、作業台には褐色の小瓶が並んでいた。
中身より先に容器へ目を留めた澪が、少し眉を寄せる。
「なぜ、その瓶なんですか」
「遮光性があり、携帯しやすく、飲み切る量として適切です」
「ほかにも遮光瓶はありますよね」
「こちらが使いやすかったので」
小型の栄養ドリンクにしか見えない瓶を、ヴァルトは手に取った。
「確かに携行には便利ですね」
「ヴァルトさんは納得しないでください」
澪が鑑定する。
----------------------------------
竜血疲労耐久強化薬
品質:極上
効果:
疲労耐久度の恒久上昇
同一負荷に対する疲労上昇量を低減
----------------------------------
澪の目が、恒久という文字で止まる。
「今日だけ元気になる薬ではないんですね」
「身体側を変えておりますからな」
「その説明を、もう少し重そうに言えませんか」
「火竜の性質をそのまま移したわけではありません。人間の細胞、神経、魔力経路へ合うよう調整してあります」
ヴァルトも鑑定した。
「収納内プラントや魔術を使った時の疲労にも効くようですね」
「ええ。肉体労働に限りません」
真壁は自分の瓶を開けた。
澪が止めるより早い。
「もう飲むんですか」
「培養細胞で確認済みです」
「その培養細胞は、いつ作ったんですか」
「必要になった時ですな」
「必要になったらすぐ出てくるのが怖いんです」
真壁は薬を飲み干した。
ヴァルトも蓋へ手を掛ける。
「私も試します」
「止めても飲みますよね」
「はい」
澪は2人を見てから、自分の瓶を持ち上げた。
「味まで栄養ドリンクではありませんよね」
「そこまでは寄せておりません」
「容器は寄せたんですね」
口へ含むと、最初に苦味が来た。
その後から、火竜の肉を食べた時に似た熱が喉を通り、胸の奥へ広がっていく。
美味しくはない。
だが、薬として覚悟したほど不味くもなかった。
「微妙に飲みやすいですね」
「吐き出されては困りますからな」
「恒久なら、一度でいいんですよね」
「ええ」
変化は静かだった。
急に力が湧くわけでも、眠気が吹き飛ぶわけでもない。
3人は服用前と同じ工程を繰り返した。
ヴァルトは収納内プラントで同量の鉱物を選別する。
真壁は火竜組織を同じ精度で分離する。
澪は地図と鑑定を並行して使い、時間を測った。
作業を終えて疲労値を確認すると、増え方は以前より明らかに小さい。
「本当に上がりにくくなっています」
澪は数値を見直した。
疲れそのものが消えたわけではない。
目も肩も、作業した分だけ重い。
それでも集中が切れるまでの距離が、確実に伸びていた。
「身体へ定着しておりますな」
真壁は結果を確認すると、すぐ次の試料へ手を伸ばした。
「真壁さん」
「何でしょう」
「試験は終わりました」
「疲労値には余裕があります」
「増えた余裕を、その場で使い切らないでください」
ヴァルトも真壁の手元を見る。
「澪さんの言う通りです。真壁殿は薬効より、増えた作業時間を見ています」
「有用性を確認しているだけです」
「もう活用に入っています」
真壁は少し考え、試料を置いた。
澪が息をつく。
その直後、真壁は別の容器を取り出した。
「では、こちらを進めましょう」
「研究全体を休んでください」
疲労耐久薬を作る過程で、真壁は別の反応も見つけていた。
心臓の周囲にあった組織は、血流が途切れかけた細胞を、すぐには死なせなかった。
骨髄から分けた成分を加えると、損傷した血管がつながり始める。
肝臓由来の成分は、毒と老廃物を急速に分解した。
だが、全部を一度に混ぜれば治るわけではない。
再生を急がせすぎると、傷口だけが先に閉じる。骨がずれたまま固まり、内部の出血が残る。魔力経路が肉体より遅れて再生すれば、外見は治っても術式を扱えなくなる。
真壁は幾つもの組織片へ、順番を変えて薬液を加えた。
ヴァルトは結界で環境を保ち、魔力経路の再接続を見ている。
澪は完成が近いと呼ばれ、また作業台へ戻ってきた。
「こちらは血管がつながりました」
澪が鑑定結果を読む。
「でも、内部の圧力が上がっています」
「止血が早すぎましたな」
真壁が濃度を変える。
「こっちは筋肉だけ先に修復しています」
「骨格の固定を先にしましょう」
「こちらは魔力経路が、元と違う方向へ伸びています」
真壁の手が即座に動き、試料が収納へ消えた。
「今のは早かったですね」
「術式の癖まで変わる可能性があります」
「治っても、以前と同じ魔術が使えなくなるんですか」
「場合によっては」
「もっと怖がってから捨ててください」
「捨てる判断が早い方が安全でしょう」
ヴァルトは再生中の魔力経路を見ながら、興味深そうに口を開いた。
「治癒魔術では、生命力を補って本人の身体へ任せます。真壁殿の方法は、治る順番まで決めるのですね」
「瀕死なら、本人へ任せる余裕がないこともあるでしょう」
真壁の指が一瞬だけ止まった。
その理由を説明することはなく、すぐ次の工程へ移る。
完成までに数日を要した。
淡い赤色の薬液を、澪が鑑定する。
----------------------------------
エリクサー
品質:極上
効果:
瀕死状態からの急速回復
出血、骨折、筋肉、臓器損傷の修復
魔力経路の再接続
毒性物質の排出促進
条件:
生命反応が残っていること
死亡状態からの蘇生は不可
----------------------------------
澪は表示を読み終えても、しばらく黙っていた。
「本当に、エリクサーなんですね」
「鑑定がそう呼ぶなら、そうなのでしょう」
真壁は小瓶の栓を確かめている。
「もう少し驚いてもよい成果ではありませんか」
ヴァルトが言うと、真壁は瓶を光へ透かした。
「保存状態を確認してからにしますかな」
「驚く順番が違うと思います」
完成した薬は、一か所へ集めなかった。
真壁、澪、ヴァルトが、それぞれ自分の収納へ分けて持つ。
「誰の分という分け方ではないんですね」
澪が小瓶を収納しながら尋ねる。
「本人が瀕死なら、その者の収納から出させるわけにはいきませんからな」
「近くにいる者が持っていた方が確実です」
ヴァルトも自分の収納へ移した。
具体的な数は口にしない。
誰がどれだけ持つかも、厳密には決めない。
3人の誰かが近くにいれば取り出せる。それでよかった。
真壁の研究は、そこでも終わらなかった。
火竜の細胞は、長命な生き物にしては老化が少ない。
分裂を繰り返しても損傷が蓄積しにくく、機能の落ちた細胞を排除する働きも強い。
真壁は、それを恒久的な変化にはしなかった。
期間を区切り、その間だけ老化の進行を止める。効果が切れれば、そこから再び通常の時間が進む。
完成した薬を鑑定した澪は、額へ手を当てた。
----------------------------------
竜命薬
品質:極上
効果:
一定期間、細胞老化の進行を停止
細胞損傷を修復
身体機能を良好な状態に維持
薬効終了後、通常の老化が再開
----------------------------------
「不老の薬ですよね」
「一定期間に限れば」
「火竜を持ち帰って、疲れにくくなる薬を作って、エリクサーを作った後に、不老の薬まで作るものですか」
「再生機構を調べた延長ですな」
「延長が遠すぎます」
真壁は竜命薬をすぐには服用しなかった。
長期的な変化を確かめる必要がある。
こちらも3人の収納へ分け、存在を外へ出さずに保持することになった。
澪は自分の収納へ小瓶を入れながら、妙な気分になる。
以前なら、日用品や商品、食材が中心だった。
今は、瀕死から戻す薬と、老化を止める薬が入っている。
「収納の中身だけ見ると、何の商会か分かりませんね」
「押入商会でしょう」
真壁が即答する。
「名前の話ではありません」
真壁が薬に夢中になっている間、ヴァルトは火竜の魔石を調べ続けていた。
魔石は大量の魔力を蓄えている。
それだけなら理解できる。
ヴァルトが注目したのは、魔石が攻撃を受けた場所へ、自動的に魔力を送り返していたことだった。
火竜は、鱗1枚ごとに防御を考えていたわけではない。
鱗が衝撃や魔力を拾い、魔石へ伝える。
魔石は必要な場所へ必要な量だけ魔力を返し、鱗の防御を強める。
眠っていても働く仕組みだった。
「これなら、持ち主が気づく前に結界を出せる」
ヴァルトは、収納内で再成形した薄い鱗板と、細い骨材、魔石の小片を並べた。
鱗板は感知部。
骨材は術式を支える回路。
魔石は魔力を蓄える器。
境界魔術で所有者と外部を分け、結界魔術で防御面を先に組み、収納魔術で完成した術式を小さく畳んで魔石へ収める。
真壁も横から投影をのぞき込んだ。
「必要な方向へだけ展開する方が、消費は少ないでしょうな」
「全身を常に覆うより効率的です」
「感知方向を分ければ、複数方向へも対応できますかな」
「できます。ただ、判定条件が増えます」
「試す価値はありますな」
澪がいない間、2人は何度も試作品を作り直した。
最初は、近づくものすべてに反応した。
次は、魔力にしか反応せず、投げた木片を通した。
その次は感度が高すぎて、真壁が近くを歩いただけで結界が開いた。
「味方登録が必要です」
「所有者の意思も拾えると便利でしょうな」
「境界へ一段加えます」
失敗するたび、真壁が素材の形を変え、ヴァルトが術式を書き直す。
澪が再び呼ばれたのは、試作品がようやく形になった頃だった。
「澪君、少々よろしいですかな」
秘密基地の扉を開けた澪は、作業台に並ぶ褐色瓶と赤い魔石を見た。
「少々で済む量には見えません」
「澪さん、先にこちらを持ってください」
ヴァルトが差し出したのは、赤い魔石を鱗板で囲んだ小さな部品だった。
「何ですか、これ」
「自動で結界が出ます」
澪は開けた扉を、そのまま閉めたくなった。
だが、ヴァルトが真面目な顔をしているので、諦めて戻る。
「私は何をすればいいですか」
「持っているだけで大丈夫です」
澪が掌へ乗せる。
ヴァルトが真壁を見る。
真壁は作業台の端から木片を拾い、軽く投げた。
木片が澪の肩へ届く寸前、薄い結界が開いた。
乾いた音とともに木片が弾かれ、地面へ落ちる。
澪は掌の魔石を見た。
「本当に勝手に出ました」
「魔力の流れは正常です」
ヴァルトが鑑定している横で、澪は落ちた木片を拾おうとした。
指先が近づく。
結界が開く。
木片は澪の手から逃げるように、もう一度地面を転がった。
「私が拾うのも駄目なんですか」
「接近物として判定したようです」
「防御としては忠実ですな」
真壁が感心したように言う。
「生活には向いていません」
真壁が湯飲みを差し出した。
魔石が淡く光る。
結界が開く直前、湯飲みが真壁の手から消えた。
「お茶も敵ですか」
「現状では」
「飲み物を排除する防具は困ります」
ヴァルトは試作品を受け取り、術式を調整した。
澪が自分から触れようとしている物。
受け取る意思を持っている物。
味方として登録した人物。
日常の速さで近づく物。
それらを通し、攻撃性のあるものだけを弾くよう境界を組み直す。
再試験では、湯飲みは無事に澪の手へ渡った。
真壁が投げた木片には反応する。
ヴァルトが背後から飛ばした小石にも、澪が振り返る前に結界が開いた。
最後に3方向から木片を飛ばす。
魔石が短く光り、結界が前、横、後ろへ順に現れた。
木片は一つも澪へ届かなかった。
静かになった作業場で、澪は掌の魔石へ触れる。
「私が気づかなくても、守ってくれるんですね」
「そのために作りました」
ヴァルトが答えると、澪の指が魔石を包むように閉じた。
少し離れたところから見ていた真壁が、目を細める。
「ほぅ……」
澪が顔を上げた。
真壁は彼女ではなく、魔石を見ている。
次に、結界が現れた空間へ視線を移す。
右手が腰の脇へ下がり、何かの柄を握る形になった。
「真壁さん」
「何でしょう、澪君」
「今度は、その魔石で何を自動的に出すつもりですか」
「術式が自動展開される様子を見ていただけです」
「見るだけの手ではありませんでした」
澪が真壁を鑑定する。
----------------------------------
状態:光刃改良検討中
----------------------------------
「まだ続いていますね」
「検討は継続するものでしょう」
「自動で出す方向へ進んでいませんか」
真壁は答えず、ヴァルトへ向き直った。
「外部から再充填は可能ですかな」
「できます」
「結界の形を細長く固定することも」
「術式を組めば可能ですが」
「真壁さん」
澪の声が少し低くなる。
「何でしょう」
「今ので、だいたい分かりました」
「便利な仕組みですな」
「感想で逃げないでください」
真壁は魔石から目を離さなかった。
右手も、まだ見えない柄を握っていた。
試作品は、澪が身につけられるペンダントへ仕上げた。
中心には赤い火竜魔石。
周囲を薄く再成形した鱗で囲い、内部の術式は細い骨材で固定してある。
服の中へ入れても邪魔にならず、正面から見ても火竜の素材とは分からない。
澪が首へ掛けると、魔石が淡く光った。
ヴァルトが所有者登録を行う。
----------------------------------
火竜魔石式自動結界
所有者:澪
蓄積魔力:100%
状態:待機
----------------------------------
「ありがとうございます」
澪は胸元へ手を添えた。
「魔力が減った時は、私が補充します」
「雷から変換できるようにしてもよろしいですな」
真壁が横から言う。
ヴァルトは少し考えた。
「変換機構を加えれば可能です」
2人の視線が、同時に澪の胸元へ集まる。
「渡した直後から改良を始めないでください」
澪が言うと、真壁とヴァルトは揃って顔を上げた。
「同じ顔をしないでください」
ヴァルトは視線を外し、自動結界の限界を説明した。
蓄えられる魔力には上限がある。大きな攻撃を受ければ、一度で多くを失う。短時間に攻撃が続けば、次の展開が間に合わない場合もある。すべての危険を判定できるわけでもない。
「これがあるから、危険な場所へ入っても大丈夫という物ではないんですね」
「もちろんです。避けられなかった一撃を防ぐためのものです」
「最後の一枚ですな」
真壁が言う。
澪はすぐに真壁を見る。
「真壁さんの最後の一枚には使わせませんよ」
「まだ何も申しておりませんが」
「さっき『ほぅ』と言いました」
真壁は否定しなかった。
研究が一段落した夜、3人は火竜の背肉を焼いた。
収納内で下処理は終わっている。
毒性はなく、食用として問題もない。
ただし火に強い肉らしく、表面へ焼き色がついても、中心はなかなか温まらなかった。
真壁は厚い肉を見つめ、火加減を落とす。
「低温で中まで熱を入れ、最後に表面を焼く方がよろしいですな」
「薬を作った後に、普通に料理もするんですね」
「肉は食べるためにあるのでしょう」
「火竜の一部ですけど」
「鑑定では高級食材と出ております」
ヴァルトも焼ける肉を見ながら頷いた。
「部位ごとの使い道を決めるにも、味は確かめた方がよいでしょう」
「2人とも、研究と言えば何でも通ると思っていませんか」
澪の疑いをよそに、肉から香ばしい匂いが立ち始める。
切り分けた一片を口へ入れると、濃い旨味の後から柔らかな脂が溶け、飲み込む頃には胸の奥が少し温かくなった。
澪は警戒したまま、もう一切れ取る。
「おいしいです」
「鑑定は正確でしたな」
真壁も静かに咀嚼する。
「侯爵家へ少量お持ちしてもよいでしょう」
売る話は、最後まで出なかった。
鱗は形を変えて装甲や外殻へ使える。
牙は魔力を通す針や刃になる。
骨は術式を支える構造材へ変わった。
血と内臓からは薬が生まれ、魔石は澪を守る装置になった。
肉は普通に美味しかった。
完成した薬は、真壁、澪、ヴァルトがそれぞれ自分の収納へ保持している。具体的な数を口にする必要はない。必要な時、3人の誰かが取り出せればよい。
澪の胸元では、火竜魔石が静かに待機していた。
その向こうで、真壁はまだ時折、右手で見えない柄の長さを確かめている。
火竜一頭には、金へ換える暇もないほど使い道があった。
そして秘密基地には、その使い道を増やして遊ぶ者が2人もいた。