押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第170話 内緒のお裾分け

 

 火竜の肉は、売られなかった。

 

 売ろうという話すら出なかった。

 

 それでも真壁の収納内には、食用として処理を終えた背肉や尾肉が、まだ十分すぎるほど残っていた。火竜一頭分なのだから当然だが、澪は保存区画に並ぶ肉を見ているうちに、自分たちだけで抱えているのが少し惜しくなった。

 

「リュシアさんとセルマさんにも、少し持っていきませんか」

 

 澪が言うと、ヴァルトはすぐに頷いた。

 

「よいと思います。お二人には、何度も助けていただいています」

 

 真壁は収納内の肉を見比べ、背肉と尾肉を別々に取り分けた。

 

「では、侯爵家にもお持ちしましょう」

 

「正式な献上にはしませんよね」

 

「記録へ残す性質の品ではありませんな」

 

 真壁が肉の厚みをそろえ、筋と膜を取り除き、包みやすい形へ整えていく。

 

 包装には、火竜とも押入商会とも書かれていない。

 

 澪は無地の包みを見た。

 

「何も書かないんですか」

 

「名称を記せば、内緒になりません」

 

「あとで正体不明のお肉になりませんか」

 

「直接お渡しするのですから、問題ありません」

 

 真壁は結び目の位置を変え、背肉と尾肉を見分けられるようにした。

 

 見分けられるのは、今この場にいる3人だけである。

 

「むしろ、それを忘れた時が一番困りそうです」

 

「澪君なら鑑定すれば済むでしょう」

 

「一般家庭の冷蔵庫へ入った後の話です」

 

 真壁は聞かなかったことにして、次に褐色の小瓶を取り出した。

 

 竜血疲労耐久強化薬。

 

 リュシアとセルマへは、それぞれ1本ずつ。

 

 侯爵家へは6本入りの箱を1つ。

 

 さらに、別の6本入りの箱も並べられた。

 

 澪が箱を見た。

 

「竜命薬も持っていくんですか」

 

「ええ」

 

「そちらは、まだ私たちも飲んでいませんよね」

 

「長期効果を持つ薬です。すぐに服用するよう勧めるものではありません。鑑定結果を見た上で、侯爵家に判断していただきます」

 

 ヴァルトが箱を見比べる。

 

「見た目だけでは、どちらか分かりません」

 

「箱の内側へ印を付けてあります」

 

「外側には」

 

「ありません」

 

 澪は額へ手を当てた。

 

「内緒を優先しすぎて、飲み間違えないでくださいね」

 

「私が扱う限り、間違えませんな」

 

 その返事は、自分以外が扱う場合について何も保証していなかった。

 

「侯爵家へは、真壁さんが行くんですよね」

 

「ええ」

 

「では、私とヴァルトさんで、リュシアさんとセルマさんへ持っていきます」

 

 澪は肉の包みと小瓶を収納した。

 

 真壁も侯爵家分を収める。

 

 ただ食べ物を分けるだけのはずなのに、出発前の確認は密輸品でも扱うように慎重だった。

 

 

 

 

 

 リュシア商会は、昼を過ぎると客足が少し落ち着いた。

 

 澪とヴァルトが店へ入ると、帳場にいたリュシアがすぐに顔を上げた。

 

「今日は仕入れかい。それとも、また妙な相談かい」

 

「今日は、お裾分けです」

 

 澪が答えると、リュシアの目がわずかに細くなった。

 

「お裾分けを持ってきた人間の顔じゃないね」

 

「食べ物ではあります」

 

「食べ物を渡す時に、そこから確認しなきゃならないのかい」

 

 リュシアは店先の様子を見てから、2人を奥の部屋へ通した。

 

 扉が閉まる。

 

 澪が包みを卓上へ置く。

 

「まず、鑑定してください」

 

「ほら、やっぱり普通じゃない」

 

 リュシアは嫌そうな顔をしながらも、包みへ鑑定を使った。

 

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火竜の背肉

状態:最良

品質:極上

特性:

高栄養

高い滋養

身体保温

希少高級食材

----------------------------------

 

 表示を見たリュシアは、しばらく動かなかった。

 

 包みを見る。

 

 澪を見る。

 

 ヴァルトを見る。

 

 もう一度表示へ目を戻す。

 

「火竜」

 

「はい」

 

 ヴァルトが答えた。

 

「火を吐く、あの竜かい」

 

「その火竜です」

 

 リュシアは包みの上へ手を置いたまま、深く息を吸った。

 

「肉だけ、どこかから仕入れたわけじゃないんだろうね」

 

 澪とヴァルトは黙った。

 

「その沈黙は、丸ごと持って帰った時の沈黙だよ」

 

「そこから先は、聞かないでください」

 

「もう聞かなくても分かったよ」

 

 リュシアは椅子へ深く座り直した。

 

「売る気は」

 

「ありません」

 

 澪とヴァルトの返事が重なった。

 

「商会を名乗っているくせに、そこだけ早いね」

 

「金に換えるより、素材として使った方がよかったので」

 

 澪が答えると、リュシアは片眉を上げた。

 

「もう使った後なんだね」

 

 今度は澪が黙った。

 

「分かった。これ以上は聞かないよ。聞くほど眠れなくなる気がする」

 

 火竜肉の調理法を説明すると、リュシアはさらに嫌そうな顔をした。

 

「低い温度で中まで熱を入れて、最後に焼くのかい」

 

「はい。普通に焼くと、表面ばかり先に焦げます」

 

「肉まで火に強いんだね」

 

「生前の耐熱性が残っています」

 

 ヴァルトが補足すると、リュシアは包みから手を離した。

 

「食べ物の説明に、生前を入れないでおくれ」

 

 澪は続けて褐色の小瓶を置いた。

 

 リュシアの顔が、さっきより険しくなる。

 

「まだあるのかい」

 

「こちらも鑑定してください」

 

「今度は食べ物じゃないね」

 

「薬です」

 

「それを先に言うと、余計に怖いよ」

 

 リュシアが鑑定する。

 

----------------------------------

竜血疲労耐久強化薬

品質:極上

効果:

疲労耐久度の恒久上昇

同一負荷に対する疲労上昇量を低減

----------------------------------

 

「恒久」

 

 リュシアはその2文字を、声に出して読んだ。

 

「一時的に元気になる薬じゃないんだね」

 

「違います。同じ仕事をしても、疲労値の上がり方が遅くなります」

 

「反動は」

 

「ありません」

 

 ヴァルトが答える。

 

「ただし、身体へ定着します。服用前の状態には戻りません」

 

 リュシアは小瓶を持ち上げ、光へ透かした。

 

「肉より、こっちの方が大ごとじゃないかい」

 

「私たちは3人とも飲みました」

 

「真壁もかい」

 

「真壁さんが最初です」

 

 リュシアは少し考えた。

 

「それは安心材料にしていいのか、余計に心配すべきなのか迷うね」

 

「安全性は確認しています」

 

「真壁が最初に飲んだという時点で、確認より先に試してそうなんだよ」

 

 澪は否定できなかった。

 

 リュシアはその場では飲まず、小瓶を包みの隣へ置いた。

 

「店を閉めてから飲むよ。身体の変化を見るなら、その方がいいだろう」

 

「お願いします。疲れにくくなっても、仕事を増やさないでくださいね」

 

 リュシアが澪を見る。

 

「あんたたちにだけは言われたくないよ」

 

 最後に口外しないよう頼むと、リュシアは苦笑した。

 

「誰にも言わないよ。火竜を丸ごと扱える商会だなんて知られたら、商売の客より厄介なのが集まる」

 

「丸ごととは言っていません」

 

「まだ隠せているつもりだったのかい」

 

 

 

 

 

 セルマは、澪が差し出した包みを受け取ると、手の中で重さを確かめた。

 

「お肉ね」

 

「分かりますか」

 

「包み方と重さを見れば、そのくらいは分かるわ。ただ、普通のお肉ではなさそうね」

 

「どうしてですか」

 

「澪が、渡す前から少し緊張しているもの」

 

 澪は自分の頬へ手を当てた。

 

 セルマは小さく笑い、包みを卓上へ置く。

 

「何のお肉なの?」

 

「先に鑑定してください」

 

 セルマは澪を一度見てから、素直に鑑定を使った。

 

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火竜の尾肉

状態:最良

品質:極上

特性:

高栄養

高い滋養

脂肪分豊富

希少高級食材

----------------------------------

 

 セルマは声を上げなかった。

 

 表示を最後まで読み、それから包みへ視線を落とした。

 

「火竜」

 

「はい」

 

「比喩ではないのね」

 

「鑑定結果ですので、間違いありません」

 

 ヴァルトが答えると、セルマは静かに彼を見た。

 

「どういう経緯で、火竜のお肉を持ち帰ることになったの」

 

「火山灰を採取しに行きました」

 

「そこまでは普通ね」

 

「鉱物を調べていたところ、火竜の巣へ入りました」

 

「その先から普通ではなくなったのね」

 

 責める声ではない。

 

 ただ、話の途中に大きな穴があることを、丁寧に示していた。

 

 セルマはヴァルトの手や顔を見て、怪我が残っていないことを確かめる。

 

「無事に戻ってきたのなら、今はそれでいいわ。これ以上は聞かない方がよさそうね」

 

「ありがとうございます」

 

「澪たちは、もう食べたの?」

 

「はい。真壁さんが焼き方を調べました」

 

「真壁が料理をしたの?」

 

「普通の肉と同じようには焼けなかったので」

 

 セルマの口元が少し緩む。

 

「食材でも、真壁は工程から入るのね」

 

 尾肉は脂が多く、低い温度でゆっくり火を通すと柔らかくなる。

 

 そう説明すると、セルマは真面目に頷いた。

 

「分かったわ。出所も、手に入れた量も聞かない。誰にも話さない」

 

 澪は次に小瓶を出した。

 

「セルマさんには、こちらも」

 

「今度は薬ね」

 

「分かるんですか」

 

「お肉と同じ包みには見えないでしょう」

 

 セルマが鑑定する。

 

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竜血疲労耐久強化薬

品質:極上

効果:

疲労耐久度の恒久上昇

同一負荷に対する疲労上昇量を低減

----------------------------------

 

 セルマは小瓶を持ったまま、しばらく考えた。

 

「一時的に元気になるのではなく、これから先、同じ仕事をしても疲れにくくなるのね」

 

「はい。疲労値は今まで通り0から100%で増えます。ただ、同じ負荷を受けた時の増え方が遅くなります」

 

「元の身体へは戻せない」

 

「はい」

 

「澪も飲んだのね」

 

「飲みました」

 

「真壁とヴァルトさんも?」

 

「3人とも服用済みです」

 

 ヴァルトが答える。

 

 セルマは小瓶を掌の中でゆっくり回した。

 

「それなら、いただくわ」

 

「すぐに決めなくてもいいんですよ」

 

「澪が自分で飲んだものを、危険を隠したまま私へ渡すとは思っていないもの」

 

 澪は返事を失った。

 

 セルマはそんな澪を見て、穏やかに笑う。

 

「ただし、今すぐには飲まないわ。仕事が終わってから、落ち着いて身体の様子を確かめる」

 

「その方がいいと思います」

 

 肉と薬を籠へ入れ、布を掛ける。

 

「夕食に火竜のお肉をいただいて、その後に竜血の薬。確かに、人へ話せる献立ではないわね」

 

「並べると、ずいぶん強そうですね」

 

「澪たちが持ってくるものは、最近いつもそうでしょう」

 

 ヴァルトが籠を見る。

 

「肉にも滋養がありますので、同時に摂れば」

 

「ヴァルトさん、効果を足そうとしないでください」

 

 セルマは、2人のやり取りを見て静かに笑った。

 

 

 

 

 

 同じ頃、真壁はヴァルディス侯爵家の応接室にいた。

 

 正式な献上ではない。

 

 アルベルトへの私的な届け物として取り次いでもらい、儀礼用の広間ではなく、家族が使う小さな部屋へ通されている。

 

 アルベルトの隣には妻のセレスティナ。

 

 向かいには母のマルグリットと、妹のエレナ。

 

 鑑定役としてエーリヒも同席していた。

 

 真壁が包みを卓上へ置く。

 

「正式な献上品ではないと聞いたが」

 

 アルベルトが包みを見る。

 

「ええ。今回は、お裾分けです」

 

「侯爵家へ持ってくるには、随分と物々しいお裾分けだな」

 

「少々、外では扱いにくい食材でして」

 

 セレスティナが包みへ目を向ける。

 

「外では扱いにくいものを、私たちへ食べさせるのですか」

 

「安全性と味は確認しております」

 

 エレナが真壁を見る。

 

「真壁がそう言うと、食事より先に何を試したのかが気になるな」

 

「用途を確かめただけです」

 

「その言い方が、すでに怪しい」

 

 真壁はエーリヒへ包みを示した。

 

「エーリヒ殿、鑑定をお願いできますかな」

 

「承知しました」

 

 エーリヒが鑑定を使う。

 

----------------------------------

火竜の背肉

状態:最良

品質:極上

特性:

高栄養

高い滋養

身体保温

希少高級食材

----------------------------------

 

 エーリヒが黙った。

 

 アルベルトが横を見る。

 

「どうした」

 

「火竜の肉です」

 

 部屋が静かになる。

 

 マルグリットは包みを見た。

 

 セレスティナは真壁を見た。

 

 エレナだけが少し身を乗り出し、鑑定表示を確かめる。

 

「火竜と出ているのか」

 

「間違いありません」

 

 アルベルトの視線が真壁へ戻る。

 

「どこで手に入れたのだ」

 

「ゼグルド火山です」

 

「討伐したのは」

 

「ヴァルト君です」

 

「ヴァルト殿は、火竜を討伐しに行ったのか」

 

「火山灰の採取へ出かけました」

 

 アルベルトが数秒黙った。

 

「話がつながっていないな」

 

「鉱物を追った先に、火竜の巣があったそうです」

 

 セレスティナが静かに息をつく。

 

「そこで襲われ、倒して帰られたのですね」

 

「結果としては」

 

 エレナが腕を組んだ。

 

「火山灰を取りに行った者が、火竜の肉まで持って帰るのか。押入商会の採取は、随分と範囲が広いな」

 

「本人も予定外だったようです」

 

 エーリヒは包みをもう一度鑑定した。

 

「これほど状態のよい肉が取れたのであれば、ほかの部位も残ったのでしょうか」

 

 真壁の目がわずかに細くなる。

 

「なかなか楽しい素材でしたな」

 

 エーリヒが真壁を見る。

 

 アルベルトも、その言葉が過去形であることに気づいた。

 

「すでに調べ終えたのだな」

 

「随分と楽しませてもらいました」

 

 エレナが眉を上げる。

 

「その言い方では、何へ変えたのか聞かない方がよさそうだな」

 

「いずれ必要になれば、ご覧いただくこともあるでしょう」

 

「今は見せるつもりがない、ということか」

 

「ご賢察です」

 

 エレナは呆れたようでいて、少し面白がっていた。

 

 アルベルトは包みへ視線を戻す。

 

「公にしない判断は正しい。ヴァルト殿が大型火竜を倒したと知られれば、王都も他領も放っておかないだろう」

 

「素材まで押入商会が扱ったと分かれば、買い付けだけでは済みません」

 

 エーリヒが続ける。

 

「献上の要求、研究への協力要請、保有量を探る者も現れます」

 

「そのため、正式な献上品にはいたしませんでした」

 

「記録には残さない。私的なお裾分けとして受け取ろう」

 

 調理は、信頼できる料理人1人へ任せる。

 

 真壁は、低い温度で内部まで熱を通し、最後に表面を焼くことだけを伝えた。

 

「肉になっても火に強いのか」

 

 エレナが包みを見る。

 

「ええ。生前の性質が、多少残っています」

 

 マルグリットが微笑む。

 

「食卓へ上がっても、まだ火竜なのですね」

 

「味はよいものです」

 

「すでに食べたのだな」

 

 エレナがすぐに返す。

 

「食材としての用途確認です」

 

「それを試食と呼ぶのだろう」

 

「呼び方の違いですな」

 

「違わないと思うが」

 

 

 

 

 

 火竜肉の話が一段落したところで、真壁は収納から箱を1つ取り出した。

 

 蓋を開くと、褐色の小瓶が6本並んでいる。

 

「アルベルト殿。お疲れであれば、こちらを」

 

 アルベルトが箱を見る。

 

「疲れているように見えるのか」

 

「ええ」

 

 真壁は迷わなかった。

 

 エーリヒが視線を伏せる。

 

 領内の問題処理が続き、アルベルトが十分に休めていないことは、近くにいる者ほどよく知っている。

 

 真壁は1本を取り出し、エーリヒへ渡した。

 

「鑑定をお願いします」

 

----------------------------------

竜血疲労耐久強化薬

品質:極上

効果:

疲労耐久度の恒久上昇

同一負荷に対する疲労上昇量を低減

----------------------------------

 

 エーリヒは表示を読み終えた後も、小瓶を手放さなかった。

 

「疲れた時に飲み、疲労を消す薬ではありませんね」

 

「ええ。今後、同じ仕事をしても疲れにくい身体になります」

 

「恒久的に」

 

「その通りです」

 

 アルベルトが真壁を見る。

 

「身体そのものを変える薬を、『お疲れであれば』と出したのか」

 

「疲れておられる方へ適した品ですからな」

 

「勧め方と効果の重さが釣り合っていない」

 

 エレナが小瓶の箱を眺める。

 

「箱だけなら、持ち運びやすい薬に見える。真壁の出し方だけを見て、軽い薬だと思わない方がよさそうだな」

 

「安全性は確認済みです」

 

「そこではない」

 

 真壁は薬の性質を説明した。

 

 疲労を感じなくさせるだけではない。

 

 同じ仕事、訓練、戦闘をしても疲労値の増え方そのものが遅くなる。

 

 反動はない。

 

 効果が切れることもない。

 

 ただし、服用前の身体へは戻らない。

 

「真壁殿たちは、すでに服用したのか」

 

「私と澪君、ヴァルト君は服用済みです」

 

 エーリヒが小瓶を見た。

 

「1人で何本も飲む必要は」

 

「ありません。1本で十分です」

 

 真壁はアルベルトとエーリヒへ1本ずつ勧め、レオンハルトにも1本渡すよう告げた。

 

 箱には3本残る。

 

 アルベルトは蓋を閉じる前に、その3本を見た。

 

「残りは、私に任せていただけるのだな」

 

「ええ。ただし、効果が恒久であることを説明し、本人の了承を得てください」

 

「3本は王都へ送る」

 

 真壁は送り先を尋ねなかった。

 

 現侯爵を含め、誰へ渡すかは侯爵家の判断である。

 

 アルベルトはエーリヒへ顔を向けた。

 

「書状には詳しい効果を書かない。信頼できる者に箱ごと運ばせる」

 

「承知しました」

 

 これで終わりかと思ったところで、真壁はもう1つ箱を取り出した。

 

 アルベルトが目を閉じた。

 

「まだあるのか」

 

「ええ。こちらも、お裾分けです」

 

「お裾分けという言葉が、だんだん信用できなくなってきたな」

 

 エーリヒが慎重に1本を取り出した。

 

「先ほどとは別の薬ですか」

 

「鑑定をお願いいたします」

 

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竜命薬

品質:極上

効果:

一定期間、肉体の老化を停止

細胞損傷を修復

身体機能を良好な状態に維持

薬効終了後、通常の老化が再開

----------------------------------

 

 エーリヒは表示を読み直した。

 

「不老とありますな」

 

「私の鑑定では、5年ほど」

 

 真壁が答えた瞬間、部屋の空気が変わった。

 

 マルグリットとセレスティナの目が、ほとんど同時に小瓶へ向く。

 

 エレナは2人を見比べた。

 

「母上も義姉上も、先ほどまでとは目が違うな」

 

「エレナ」

 

 セレスティナが静かに名を呼ぶ。

 

「事実を述べただけだ」

 

 マルグリットが小瓶を見つめたまま尋ねる。

 

「真壁殿。それは、5年若返るという意味でしょうか」

 

「いいえ。若返りではありません」

 

 真壁は即座に否定した。

 

「服用した時点より若い姿へ戻ることも、失われた年月を取り戻すこともありません。現在の身体を整え、その状態から老化の進行を5年間止める薬です」

 

 白髪が必ず元の色へ戻るわけではない。

 

 古い傷がすべて消えるわけでもない。

 

 若い頃の身体へ戻す薬ではなく、服用時の身体を基準に、加齢に伴う損傷や機能低下を可能な範囲で修復し、その先の老化を止める。

 

「5年後には、止まっていた老化が一度に押し寄せるのですか」

 

 セレスティナが尋ねる。

 

「いいえ。その時点から通常の老化が再開します」

 

 エレナが小瓶を見る。

 

「つまり、母上も義姉上も今より若くなるわけではない。ただ、今の姿から先へ進まなくなるのだな」

 

「その理解で結構です」

 

 アルベルトが2人を見る。

 

「若返りではないと分かっても、目の色は戻らないようだな」

 

「あなた」

 

 セレスティナの声は穏やかだった。

 

 目だけは箱から離れていない。

 

 マルグリットも微笑んだまま言う。

 

「若返らなくとも、5年は5年です」

 

「母上は率直だな」

 

「こうした時に遠慮をしても、何にもなりません」

 

 安全性について問われると、真壁は確認できている範囲を説明した。

 

 人間由来の細胞と組織を使った試験では、有害な反応は出ていない。

 

 鑑定結果とも一致している。

 

 ただし、実際に5年を経過した後の状態は、これから確認していくことになる。

 

「すぐ服用する必要はありません。どなたが、いつ使うかは、ご家族で相談してください」

 

 マルグリットが頷く。

 

「夫にも知らせなければなりませんね」

 

 アルベルトは竜命薬の箱へ手を置いた。

 

「これは私が預かる。父上へも、書面へ詳細を残さず直接伝えよう」

 

「服用した者だけ姿が変わらなければ、いずれ周囲に気づかれるだろう」

 

 エレナが言う。

 

「使用時期と対象は慎重に決める必要があります」

 

 エーリヒも頷いた。

 

 アルベルトは室内の者を見回した。

 

「今日ここで見聞きしたことは、外へ出さない。火竜の肉だけではない。薬の名、効果、数についても同様だ」

 

 全員が了承する。

 

 アルベルトは真壁へ向き直った。

 

「真壁殿。これらの薬を、今後ほかの家へ渡すお考えはあるのだろうか」

 

「流通はいたしません」

 

 真壁は静かに答えた。

 

「疲労耐久強化薬も、竜命薬も、商品として扱う予定はありません」

 

 金を積んでも買えない。

 

 契約を結べば継続して手に入る品でもない。

 

 今回、侯爵家へ渡したのは、これまで築いてきた関係があるからだった。

 

 真壁はアルベルトへ視線を向けた。

 

「今後も、良いお付き合いを」

 

 アルベルトは、火竜肉と2つの薬箱を見た。

 

「それほどの品を置いた後で言われると、随分と重い挨拶になるな」

 

「見返りを求めているわけではありません」

 

「承知している。だからこそ、軽く受け取れない」

 

 エーリヒが竜命薬の箱へ蓋を戻した。

 

「口止めと管理については、侯爵家が責任を持ちます」

 

「お願いいたします」

 

 エレナは真壁を見た。

 

「真壁は、火竜を楽しい素材だったと言ったな」

 

「ええ」

 

「侯爵家にとっても、随分と楽しいお裾分けになったようだ」

 

「お気に召したなら何よりです」

 

「まだ肉しか食べていない」

 

「そちらも、よい味です」

 

 

 

 

 

 真壁が侯爵家を辞する前、外回りから戻ったレオンハルトが館へ入ってきた。

 

 警備と領兵の再編が続いているらしく、顔には隠しきれない疲労が残っている。

 

 アルベルトが箱から1本を取り出し、真壁へ渡した。

 

「真壁殿から説明していただいた方がよいだろう」

 

 真壁はレオンハルトへ小瓶を差し出した。

 

「レオンハルト殿。お疲れであれば、こちらを」

 

「薬か」

 

「ええ」

 

「疲れが取れるのか」

 

「正確には、今後疲れにくくなります」

 

 レオンハルトは小瓶を受け取り、そのまま栓へ手を掛けた。

 

「少々お待ちを」

 

「何だ」

 

「効果は恒久です。服用後、元の身体には戻りません」

 

 レオンハルトの手が止まる。

 

「それを先に言え」

 

「栓を開ける前には間に合いました」

 

「そういう問題ではない」

 

 真壁とエーリヒが薬の効果を説明した。

 

 疲労を隠すのではない。

 

 同じ戦闘や訓練でも疲労値が上がりにくくなる。

 

 反動はない。

 

 休息が不要になるわけでもない。

 

 ただし、変化は恒久的である。

 

「真壁たちも飲んだのか」

 

「ええ」

 

「ならば、いただこう」

 

 レオンハルトは栓を開け、一息に飲み干した。

 

「苦いな」

 

「薬ですからな」

 

「これで、今までより長く戦えるのだな」

 

「休息は必要です」

 

「長く戦えるのだな」

 

 真壁は一拍置いた。

 

「結果としては」

 

 エーリヒが額へ手を当てる。

 

「増えた余裕を、その日の仕事で使い切らないでください」

 

「心得た」

 

 返事には、あまり信用がなかった。

 

 

 

 

 

 その日の夜、リュシアは店を閉め、自宅へ戻ってから竜血疲労耐久強化薬を飲んだ。

 

 飲んだ直後に目が冴えることも、急に身体が軽くなることもない。

 

 翌日、普段どおり仕事を続け、夕方になって初めて違いに気づいた。

 

 いつもなら重くなる肩が、まだ動く。

 

 腰にも余裕がある。

 

 疲労値の増え方も、確かに遅い。

 

「本当に、身体の方を変えたんだね」

 

 増えた余裕で、もう一仕事片づけようとしたところで、澪の言葉を思い出した。

 

 疲れにくくなっても、仕事を増やさないでくださいね。

 

 リュシアは手を止めた。

 

「言われる相手が逆だと思うんだけどね」

 

 それでも、追加の仕事は明日へ回した。

 

 セルマも自宅で落ち着いてから薬を服用した。

 

 翌日、普段どおり働き、呼吸の乱れが少ないことに気づく。

 

 無理に限界を試そうとはせず、いつもの仕事をいつもの速さで終えた。

 

 それでも夕方の疲労値は、明らかに低い。

 

「澪たちは、こんなものまで作るようになったのね」

 

 驚きよりも、静かな感慨が先にあった。

 

 

 

 

 

 澪とヴァルトが秘密基地へ戻ったのは、真壁より少し早かった。

 

 しばらくして扉が開き、侯爵家から帰った真壁が入ってくる。

 

「リュシアさんもセルマさんも、誰にも話さないと約束してくださいました」

 

 澪が報告すると、真壁も頷いた。

 

「侯爵家も同様です。正式な献上品ではなく、私的なお裾分けとして受け取っていただきました」

 

「エーリヒ殿が鑑定したのですか」

 

 ヴァルトが尋ねる。

 

「ええ。火竜と分かった時は、なかなか見事な沈黙でしたな」

 

「ほかの素材について聞かれませんでしたか」

 

「聞かれました」

 

 澪が真壁を見る。

 

「何と答えたんですか」

 

「なかなか楽しい素材でした、と」

 

 澪は少し考え、その言葉が過去形だったことに気づいた。

 

「それで、もう元の姿では残っていないと伝わったんですね」

 

「アルベルト殿もエーリヒ殿も、理解が早くて助かりました」

 

「薬も渡したのですよね」

 

 ヴァルトが確認する。

 

「疲労耐久強化薬を1箱。アルベルト殿、エーリヒ殿、レオンハルト殿が1本ずつ。残る3本は王都へ送られます」

 

「レオンハルトさんは、すぐ飲みましたか」

 

 澪が尋ねる。

 

「説明を終えてから飲まれました」

 

「説明の途中で開けようとしませんでしたか」

 

「栓へ手を掛けたところで止めました」

 

「やはり」

 

 ヴァルトが頷く。

 

「やはり、ではありません」

 

 澪は額へ手を当てた。

 

「竜命薬も、渡したんですよね」

 

「ええ」

 

「マルグリット様とセレスティナ様は」

 

「若返りではないと説明しましたが、目の色は変わったままでしたな」

 

「5年老化しないのであれば、若返らなくとも十分な効果です」

 

 ヴァルトが真面目に言う。

 

「私でも、少し気になります」

 

 澪が答えると、真壁は頷いた。

 

「流通はしないと、明確に申し上げました」

 

「その後に、何と言ったんですか」

 

「今後も、良いお付き合いを」

 

 澪が真壁を見る。

 

「薬を2箱置いた後で言ったんですか」

 

「ええ」

 

「商談ではないのに、商談より効きそうな言葉ですね」

 

「お裾分けですな」

 

 火竜肉は商品棚へ並ばなかった。

 

 リュシア商会の仕入れ記録にも、侯爵家の献上記録にも載らない。

 

 竜血疲労耐久強化薬も、竜命薬も販売されない。

 

 ただ、内緒で分けた相手の手元へ、火竜一頭分の成果がほんの少し移っただけである。

 

 もっとも、その「ほんの少し」で、リュシアとセルマは疲れにくくなり、侯爵家には5年間老化を止める薬が6本残り、王都へは別の薬が3本送られることになった。

 

 押入商会のお裾分けは、量だけ見れば少なかった。

 

 中身だけが、まるで少なくなかった。

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