押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第172話 王都へ向かう支度

 

 採石場秘密基地の作業台には、王都までの地図と、11月納品の予定表が並べて広げられていた。

 

 澪は最初、真壁が納品順を確認しているのだと思った。ところが地図の上には、秘密基地から領都を経由せず、北西へ抜ける仮の線が引かれている。途中には小さな丸がいくつかあり、その先には王都の名があった。

 

「王都から連絡が来たんですか」

 

「まだです」

 

 真壁は地図から目を上げずに答えた。

 

 まだなのに、もう王都へ向かう線を引いている。予測というより、本人の中では半分ほど決定事項になっているらしい。

 

「では、どうして王都までの道を調べているんですか」

 

「恐らく、近いうちにアルベルト殿から、一緒に王都へ来てほしいと言われるでしょう」

 

 真壁はそう言って、予定表の検品日へ細い線を引いた。

 

 呼ばれていないうちから、帰ってくる日まで納品予定へ組み込もうとしている。先を読むというより、未来の方を予定表へ合わせにいっているように見えた。

 

「まだ頼まれていませんよね」

 

「頼まれてから移動方法を考えていては、11月の納品に差し支えます」

 

 真壁の声には迷いがなかった。

 

 王国宰相との面会より先に、取引先との納期が出てくるあたりが真壁らしい。重要度の比較ではなく、どちらも守る前提なのだろう。

 

「王国宰相との面会より、納品日を先に気にしているように聞こえます」

 

「約束した期日は守るものです」

 

 言っていることは正しい。

 

 正しいのだが、王都から呼ばれる前に帰還予定まで組んでいる人物が言うと、納期の方が王国より強く見える。

 

 火竜の件は、表へ出せない。

 

 竜血疲労耐久強化薬と竜命薬も、公的な記録へ残せない。

 

 王都へ送った二箱をクラウス侯爵が受け取った以上、書状だけで済ませるとは考えにくい。南部開発の判断も含め、いずれ真壁本人へ話を聞きたいと言ってくる。

 

 そこまでは澪にも分かった。

 

 問題は、普通に馬車で向かえば日数がかかることだった。

 

「通常の馬車では、往復だけでも簡単には戻れません」

 

 真壁は王都までの線を指でなぞった。

 

「道中の宿泊も必要です。天候や街道の状態次第では、さらに延びるでしょう」

 

 なるほど、と澪は頷きかけた。

 

「ですから、王都近郊まではエアカーを使います」

 

 そこで一気に話が普通ではなくなった。

 

 長旅を避けるために空飛ぶ車を使う。理屈は分かるが、その解決方法を一般化してはいけない気がする。

 

「目立ちませんか」

 

「目立ちますな」

 

 即答だった。

 

 分かっているなら話は早い。しかし、分かっていて使うつもりなのだから、別の意味では話が早くない。

 

「地上を走っても異様ですし、飛べばなおさらです」

 

「そうですよね」

 

「そこで、目立たなくします」

 

 真壁は、問題が一つ片づいたような口調で言った。

 

 澪には、問題が今から始まったようにしか聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 ヴァルトは作業室で、以前作った魔道具の術式板を磨いていた。

 

 真壁が声を掛けると、ヴァルトは手を止め、格納場所までついてきた。目の前には、王都近郊まで使う予定のエアカーが置かれている。

 

「ヴァルト君。エアカーについて頼みがあります」

 

 真壁がそう切り出すと、ヴァルトはエアカーの車体を一度見てから、慎重に尋ねた。

 

「武装でしょうか」

 

 澪は思わずヴァルトを見る。

 

 もう最初から警戒されている。これまでの積み重ねが、きちんと信頼ではなく警戒として育っていた。

 

「今回は、目立たなくする方です」

 

「目立たなくする方が、武装より簡単とは限りません」

 

 ヴァルトは安心しなかった。

 

 その判断は正しい。真壁が相手の場合、武装ではないという説明は、安全の保証にはならない。

 

「この車体全体を、結界か境界で包めませんかな」

 

「完全に透明にするのでしょうか」

 

「いえ。見えていても構いません。見た者の注意が留まらず、後から形を思い出せない程度で結構です」

 

 真壁の要求は、さらりと口にした割に難しそうだった。

 

 透明にするより曖昧だが、曖昧な分だけ調整が難しいのではないか。澪には術式のことは分からないが、ヴァルトの眉が少し寄ったことで、その予想が外れていないと分かった。

 

 ヴァルトは車体へ手を触れ、しばらく考えた。

 

「光だけを曲げても、音と魔力が残ります。すべてを遮断すると、今度は何も通さない空間が移動するため、探知術では不自然に見えるでしょう」

 

 完全に消すと、消えた場所そのものが目立つらしい。

 

 隠れようとして、輪郭だけを強調する。魔術にも、カーテンの後ろから足が出ているような失敗があるのだと思うと、少し親しみが湧いた。

 

「結界で範囲を固定し、その表面へ境界を重ねます」

 

「認識へ働きかけるのですかな」

 

「人の精神には触れません。車体から外へ出る情報を、境界を越える時に散らします」

 

 ヴァルトは指を動かしながら説明した。

 

 反射光を消さず、輪郭だけを掴みにくくする。

 

 音を閉じ込めず、風や周囲の物音へ紛れさせる。

 

 魔力を消さず、大きな一つの反応として読まれないよう薄く広げる。

 

 乗っている者の気配も同様に、人数や位置を捉えにくくする。

 

「見つけようとしている人には見つかるけれど、たまたま見た人は気にしない、ということですか」

 

 澪が尋ねると、ヴァルトは頷いた。

 

「はい。その方が自然で、術式も安定します」

 

 完全に見えないより、見えているのに気づかない方が自然らしい。

 

 言葉だけ聞くと、かなり怖い技術だった。しかし王都へ忍び込むためではなく、王都の外まで移動する間だけ使うのだと思い直す。

 

「それで十分です」

 

 真壁は満足そうに頷いた。

 

 十分と言いながら、目の前には空飛ぶ車を人の注意から外す魔道具が生まれようとしている。真壁の十分は、世間の十分よりかなり遠いところにある。

 

 ヴァルトは以前作った魔道具の図面を持ってきた。

 

「前回の術式を基礎にできます。ただし、今回は対象が大きく、しかも動きます」

 

「一からではない分、早くできますかな」

 

「はい。前回ほど時間は掛かりません」

 

 ヴァルトがそう答えた途端、真壁は収納を開いた。

 

 銀線。

 

 魔石。

 

 合金板。

 

 薄い術式板。

 

 細かな外装部品。

 

 作業台の上へ次々と並び、最後には必要数より明らかに多い部品が整然と積まれた。

 

「まだ必要量を計算していません」

 

 ヴァルトが控えめに指摘する。

 

「候補を用意しておけば、決まった時にすぐ使えます」

 

 真壁は平然としていた。

 

 準備がよいのではない。選ぶ前に全部作っているだけである。

 

「使わない分は、どうするんですか」

 

 澪が尋ねると、真壁は外装部品を一瞥した。

 

「収納へ戻します」

 

「材料ではなく、完成した部品を戻すんですね」

 

「いずれ使えます」

 

 次がある前提だった。

 

 何に使うか決まっていないのに、使う未来だけは確定しているらしい。

 

 

 

 

 

 ヴァルトが術式へ線を書き足している途中で、ふと手を止めた。

 

「どこか、人目の多い場所へ行かれるのですか」

 

「恐らく、王都へ」

 

 真壁が答えた瞬間、ヴァルトの指先が止まった。

 

 わずかな変化だったが、澪には分かった。

 

「火竜と薬の件を考えれば、クラウス侯爵閣下が直接話を望まれる可能性は高いでしょう」

 

「まだ、依頼されたわけではないのですね」

 

「ええ」

 

 ヴァルトは少し黙ったあと、図面から顔を上げた。

 

「王都周辺の結界については、私が詳しいと思います」

 

「その知識は借ります」

 

「現地でも、お役に立てます」

 

 声は落ち着いていた。

 

 けれど、それが自分から王都へ戻りたいという意味ではないことを、澪は知っている。役に立てるなら行くべきだと、自分へ言い聞かせている声だった。

 

「同行を頼むつもりはありません」

 

 真壁は迷わず答えた。

 

 ヴァルトが目を上げる。

 

「ですが、王都の警戒結界が以前と同じなら、私がいた方が安全です」

 

「同じ理由で、君が見つかる可能性も高い」

 

「顔や気配を隠せば」

 

「君が逃げてきた場所へ、こちらの都合で戻れとは言いません」

 

 真壁の声は静かだった。

 

 優しく言い含めるのではなく、最初から決定事項として線を引く。その言い方が、ヴァルトにはかえって必要なのだと思う。

 

「私が同行を申し出ても、ですか」

 

「断ります」

 

 真壁は短く答えた。

 

 本人が遠慮している間に押し切る余地まで、先に潰している。未来を読む人は、相手の自己犠牲まで予定へ入れてしまうらしい。

 

「真壁さんが、先に断るんですね」

 

「頼めば、ヴァルト君は行くでしょう」

 

 ヴァルトは否定しなかった。

 

 その沈黙が答えだった。

 

「王都へ行くのは、侯爵閣下と話すためです。君の過去を動かすためではありません」

 

 ヴァルトはしばらく図面を見つめ、やがて頷いた。

 

「承知しました」

 

 その声には、ほんの少しだけ力が戻っていた。

 

「その代わり、認識阻害境界は任せます」

 

「はい」

 

「王都外縁の警戒結界についても、覚えている範囲で教えてください」

 

「承知しました」

 

「そこから先は、遠慮しないんですね」

 

 澪が言うと、真壁は当然のように答えた。

 

「専門家へ専門分野を頼むことと、逃亡先へ連れ戻すことは別です」

 

 区別は正しい。

 

 ただし、ヴァルトの安堵を確認した直後に仕事を増やすあたり、真壁の配慮には甘さが一切なかった。

 

「私も、その方が助かります」

 

 ヴァルトが苦笑する。

 

「では、存分に」

 

 真壁が満足そうに頷いた。

 

 助かるとは言った。

 

 存分に働かせてほしいとは言っていない。

 

 ヴァルトもそれに気づいたようだったが、今さら訂正すると仕事を嫌がっているように聞こえるため、黙って術式へ戻った。

 

 

 

 

 

 認識阻害境界の魔道具は、主魔道具一つと、同じ構造の補助具六つで作られた。

 

 主魔道具は運転席付近。

 

 補助具は車体の前後、左右、上部、車底へ配置される。

 

 別々の機能を持つ装置を並べるのではなく、一つの境界を車体全体へ安定して張るための支点だった。

 

 ヴァルトが術式を組み、真壁が部品を加工し、澪は運転席から操作位置を確認した。

 

「補助具の一つが壊れた場合は、どうなりますか」

 

 澪が尋ねると、ヴァルトは少し考えた。

 

「その部分だけ境界が薄くなる可能性があります」

 

「空を飛んでいて、後ろ半分だけ見えることもあるんですか」

 

「異常を放置すれば、あり得ます」

 

 澪の頭に、前半分だけ消えた車が空を飛ぶ姿が浮かんだ。

 

 隠れるどころか、怪談として何世代も語り継がれる。

 

「警告表示を付けましょう」

 

 真壁が言う。

 

「同時に、異常時は全体解除するようにします」

 

 ヴァルトが続ける。

 

「半分だけ飛んでいる車になる前に、普通に見えるようにしてください」

 

 澪は念を押した。

 

 普通に見える対象がエアカーである時点で、すでに普通ではない。しかし半分だけ見えるよりは、はるかにましだった。

 

「攻撃動作を検知した場合も解除します」

 

 ヴァルトが術式へ新しい線を加える。

 

「射撃を行った場合もですかな」

 

 真壁が確認する。

 

「王都へ面会に行く準備ですよね」

 

 澪は反射的に口を挟んだ。

 

 なぜ訪問準備の安全確認に、射撃が含まれるのか。真壁の予定表には、澪から見えない欄があるのだろうか。

 

「仕様の確認です」

 

「解除します。発射時の魔力と衝撃は隠せません」

 

 ヴァルトは淡々と答えた。

 

「予定にないことを、機能の段階で止められて安心しました」

 

「撃つ予定はありません」

 

 真壁は心外そうだった。

 

 予定がないことと、必要にならないことは違う。真壁の場合、その差を本人が一番よく理解しているはずだった。

 

 停止状態で起動すると、エアカーの姿は何も変わらなかった。

 

 透明にもならず、色も変わらない。

 

 澪は一度作業台へ目を向け、それから車体を見直した。

 

 そこにあると分かっているのに、視線が岩壁の方へ流れた。意識して探して、ようやく車体の輪郭へ焦点が合う。

 

「見えているのに、先に別の物を見てしまいます」

 

「正常です」

 

 ヴァルトが答える。

 

 正常という言葉を聞いても、少しも安心できない現象だった。

 

「完全に消えるより自然ですな」

 

 真壁は車体の周囲を歩き、満足そうに頷いた。

 

 自分で作ったわけではないのに、すでに改良点を探している顔をしている。ヴァルトには、早めに完成宣言をしてもらった方がよさそうだった。

 

 地上走行では、車体も音もかなり意識へ残りにくくなった。

 

 ただし、乾いた道では砂埃だけが盛大に上がった。

 

 車は見えにくいのに、土煙が何もない場所を追いかけて進んでいく。

 

「車より、砂埃の方が目立っています」

 

「境界の外で起きた現象ですので、消せません」

 

 ヴァルトが申し訳なさそうに答える。

 

 魔術の限界というより、砂埃が正直すぎる。

 

「乾燥した道では浮上走行に切り替えましょう」

 

 真壁はすぐに運用で解決した。

 

 地面へ痕跡を残さないために少し浮く。王都へ向かう馬車の話から、着実に人類の普通から離れている。

 

 飛行中の効果はさらに高かった。

 

 一度目を離すと、空のどこにいるのか分からなくなる。

 

 ただし急旋回すると、一瞬だけ輪郭がはっきり見えた。

 

「王都方面へ向かう時は、急な旋回と加速を避けてください」

 

「承知しました」

 

「王都へ挨拶に行くために、目立たない飛び方まで覚えるんですね」

 

 澪が言うと、真壁は操縦席を確認しながら答えた。

 

「郊外へ着くまでの話です」

 

 場所の問題ではない。

 

 しかし真壁に説明すると、さらに安全な旋回方法を考え始めそうなので、澪は黙っておいた。

 

 

 

 

 

 ヴァルトは王都周辺の地図へ、以前の警戒結界の範囲を書き込んだ。

 

「現在は広げられている可能性があります。ここより、さらに手前で境界を解除してください」

 

「隠れたまま王都へ近づくのではないのですね」

 

 澪が確認する。

 

「ええ。警戒結界へ認識阻害境界を接触させれば、何かを隠している空間として感知される可能性があります」

 

 ヴァルトは外縁より離れた地点を指した。

 

「この辺りで着地し、エアカーを収納してから、通常の馬車へ乗り換えるのが安全です」

 

「馬車へ偽装します」

 

 真壁が言った。

 

 澪は横を見る。

 

 真壁はすでに別の紙を取り出し、エアカーの側面寸法を書き始めていた。

 

「側面へ木板風の外装を展開し、上部へ屋根を設ける。前部は御者台へ変形させ、車輪へ木製の覆いを付ければ、箱馬車として――」

 

 真壁の筆が速い。

 

 折り畳み式の扉。

 

 格納式の屋根。

 

 交換式の車輪外装。

 

 侯爵家の紋章を取り付けられる側板。

 

 ほんの少し目を離した間に、エアカーが馬車へ変形する大掛かりな図面になっていた。

 

 澪はしばらく眺めた。

 

 そして、ずっと簡単なことに気づいた。

 

「真壁さん」

 

「何ですかな」

 

「王都の近くまで、エアカーで行くんですよね」

 

「ええ」

 

「そこで、エアカーは収納できますよね」

 

 真壁の筆が止まった。

 

「できますな」

 

「それなら偽装しなくても、ロボットの馬に本物の馬車を引かせればよいんじゃないですか」

 

 静かになった。

 

 真壁は図面を見る。

 

 次に澪を見る。

 

 もう一度図面へ視線を戻す。

 

 そこには、すでに御者台へ変形する操縦席まで細かく描かれていた。

 

「……そうですな」

 

 真壁は認めた。

 

 声は落ち着いていたが、紙を畳む手つきだけが妙に丁寧だった。

 

「エアカーは収納して、代わりに馬車を出せば済みます」

 

「ええ」

 

「ロボットの馬なら、馬も収納できます」

 

「その通りです」

 

 真壁は折り目をきっちり合わせ、使われることのなくなった図面を収納へ入れた。

 

「残念ですか」

 

「より単純な方法があるなら、そちらを採用するべきでしょう」

 

 完全に正論だった。

 

 ただし、自分へ言い聞かせているように聞こえた。

 

 

 

 

 

「馬車は、買うんですよね」

 

 澪は念のため確認した。

 

「基本となる車体は用意します」

 

 真壁は答えた。

 

 買うとは言わなかった。

 

 基本となる、という言葉の中に、これから始まる改造の全部が隠れている気がした。

 

 アルベルトだけでなく、マルグリットも王都へ同行する可能性が高い。

 

 竜命薬が王都へ送られた以上、マルグリットが領地で静かに待っているとは考えにくい。若返る薬ではない。それでも五年間老化しないとなれば、夫と直接話したいと思うのは当然だった。

 

 そのため、用意するのは幌馬車ではなく、四人が乗れる正式な箱馬車になった。

 

 真壁と澪。

 

 アルベルトとマルグリット。

 

 向かい合わせに座っても窮屈にならず、王都の城門や貴族街へ入っても不自然ではない品格が必要だった。

 

 外見は濃い色の木材でまとめられ、金具は控えめ。

 

 侯爵家の当主用ほど豪華ではないが、客人用として十分に上等な箱馬車だった。

 

 そこまではよかった。

 

 真壁は車軸の下へ潜り込み、振動吸収機構を取り付け始めた。

 

「王都の近くから乗るだけですよね」

 

「短時間であっても、揺れてよい理由にはなりません」

 

 真壁は車輪を一つずつ調整しながら答えた。

 

 短時間なら我慢できる、という発想を技術者へ持ち込んではいけないらしい。

 

「普通の箱馬車を用意する話でした」

 

「外見は普通です」

 

「中身の話をしています」

 

「アルベルト殿と侯爵夫人をお乗せするのです。失礼のないものにしなければなりません」

 

 礼儀を理由にすると、どこまでも改良できる。

 

 座席には体圧を分散する柔らかな素材。

 

 内壁には防音と断熱。

 

 小型の温度調整魔道具。

 

 折り畳み式の机。

 

 揺れても倒れにくい飲み物置き。

 

 外から見えない位置には防刃、防矢の層。

 

 御者台から操作できる非常用結界まで付いた。

 

「侯爵家の馬車より高性能になっていませんか」

 

「外見は控えめです」

 

「やはり中身の話をしています」

 

 真壁は一度だけ澪を見て、それから扉の金具へ細い装飾を当てた。

 

 澪は無言で見返した。

 

 真壁は装飾を収納へ戻した。

 

 目立たないという最初の目的だけは、ぎりぎり守られていた。

 

 

 

 

 

 機械馬は二頭作られた。

 

 一頭立てでは、侯爵夫人とアルベルトを乗せる箱馬車として軽く見える。そこで真壁は、手入れされた栗毛の馬を模した二頭立てにした。

 

 内部は軽量金属の骨格。

 

 関節には複数の可動部。

 

 駆動には魔石と魔力駆動繊維。

 

 外側は革と毛皮で覆われ、近くで見てもすぐには機械だと分からない。

 

 火竜素材は使わなかった。

 

 鑑定された時に、火竜や押入商会の秘密へつながる情報を出さないためである。

 

「目を光らせないでくださいね」

 

 澪が念を押す。

 

「その必要はありません」

 

「鼻から煙も出しませんよ」

 

「寒い時の白い息は再現します」

 

「火竜みたいな煙ではなく、普通の息ですよね」

 

「当然です」

 

「蹄から火花も出しませんよ」

 

 真壁は作業の手を止め、澪を見た。

 

「私は何を作ると思われているのですかな」

 

 澪は答えなかった。

 

 挙げた機能を、真壁なら全部つけられると思っている。その事実を本人へ伝えると、可能性として検討されそうだった。

 

 完成した二頭を外へ出す。

 

 真壁が起動すると、二頭は同時に耳を動かし、同時に胸を上下させ、同時に首を上げた。

 

 そのまま歩かせると、左右の脚が見事なまでに同じ間隔で進んだ。

 

「揃いすぎています」

 

「二頭の歩調は合わせるべきでしょう」

 

「馬が二頭とも、同じ時に同じ場所を見ています。兵士の行進みたいです」

 

 真壁は制御を調整した。

 

 今度は片方が少し遅れて耳を動かし、もう片方は別の方向へ首を向ける。尾を振る間隔も変わった。

 

 かなり本物らしくなったところで、澪が声を掛けた。

 

「こちらを向いてください」

 

 二頭が同時に耳を向けた。

 

「今、言葉を理解しましたよね」

 

「指示音声を識別しています」

 

「普通の馬は、会話へ毎回反応しません」

 

 真壁は再び調整した。

 

 次からは三回に一回ほどしか耳を向けなくなった。

 

「都合のよい時だけ聞こえないふりをするようになりました」

 

「自然になりましたな」

 

 否定しにくかった。

 

 機械として性能を落とした結果、馬としての完成度が上がっている。

 

 箱馬車へつなぐと、二頭は滑らかに歩き始めた。

 

 坂道では馬車側の隠し駆動がわずかに補助し、外からは二頭が無理なく引いているように見える。

 

「馬が引いているように見せて、馬車も自分で進んでいますよね」

 

「坂道で歩調が乱れては不自然です」

 

「機械の馬を、機械の馬車が助けるんですね」

 

「馬車は機械ではありません。補助機構を備えた箱馬車です」

 

 真壁にとっては重要な違いらしい。

 

 澪には、普通の馬車から最も遠い位置へ立っているように見えた。

 

 

 

 

 

 認識阻害境界の最終確認に来たヴァルトは、箱馬車と栗毛の二頭を見て足を止めた。

 

「馬を連れてきたのですか」

 

「今、真壁さんが一番喜ぶ質問をしました」

 

 澪が言うと、真壁は満足そうに答えた。

 

「作りました」

 

 ヴァルトは一頭へ近づき、鑑定した。

 

「馬型の自動人形なのですね」

 

「箱馬車を引くことに特化しています」

 

「なぜ、本物の馬ではなく」

 

「収納するためです」

 

 説明が短すぎた。

 

 ヴァルトは澪を見る。

 

 澪は、王都近郊までエアカーで飛び、そこでエアカーを収納し、代わりに箱馬車と機械馬を出すのだと説明した。

 

「なるほど。合理的です」

 

 ヴァルトが頷く。

 

 機械馬の片方が、その声へ耳を向けた。

 

「先ほどから、こちらの話を聞いているようですが」

 

「三回に一回だけ反応します」

 

「なぜ三回に一回なのでしょう」

 

「本物らしいそうです」

 

 澪が答えると、ヴァルトは王都で見た馬を思い出すように少し考えた。

 

「確かに、呼んでも反応しない馬はいました」

 

 真壁が満足そうに頷いた。

 

 この世界の本物が、機械馬の不具合を正当化してしまった。

 

 

 

 

 

 正式な呼び出しが届いたのは、箱馬車と機械馬の試験を終えた直後だった。

 

 領主館から来た使者は、アルベルトの言葉を伝えた。

 

 クラウス侯爵が、南部の件について直接話を望んでいる。

 

 アルベルトが王都へ向かう際、真壁にも同行してほしい。

 

 日程は、11月納品へ影響しない範囲で調整する。

 

「承知しました。出発日が決まりましたら、お知らせください」

 

 真壁は、呼ばれることを知っていたように答えた。

 

 実際、知っていたわけではない。

 

 ただ、呼ばれる前に移動手段を二つと、馬を二頭作っていただけである。

 

 使者が去ったあと、澪は真壁を見た。

 

「本当に頼まれましたね」

 

「ええ」

 

「呼ばれる前に、全部完成しました」

 

「間に合って何よりですな」

 

 間に合ったというより、呼び出しの方が完成を待っていたように見えた。

 

 そこへ、アルベルトとマルグリットが馬車を確認しに来た。

 

 マルグリットは外見を見たあと、扉を開けて中へ入った。座席へ腰を下ろし、背もたれへ体を預ける。

 

「とても静かですね」

 

「王都近郊からの短い区間とはいえ、移動でお疲れになる必要はありません」

 

 真壁は礼儀正しく答えた。

 

 自分の改良を正面から褒めてもらい、声がわずかに満足している。澪には分かった。

 

「この馬車なら、帰りに少し荷物が増えても問題なさそうですね」

 

 マルグリットが穏やかに言った。

 

 アルベルトが母を見る。

 

「母上。何を持ち帰るおつもりですか」

 

「何でしょうね」

 

 マルグリットは微笑んだ。

 

 竜命薬以外に思い当たる物はない。

 

 しかし、薬を取りに行くのではなく、夫と相談しに行くという建前は、まだ崩されていなかった。

 

「母上。父上と相談してから決めるのですよ」

 

「分かっています」

 

「まだ何も決まっていません」

 

「ええ」

 

「持ち帰る前提で話していませんか」

 

「アルベルト」

 

「何です」

 

「夫婦の相談へ、息子が先に結論をつけてはいけませんよ」

 

 アルベルトは黙った。

 

 夫婦の相談と言われれば、息子の立場からは入りにくい。マルグリットはそれをよく分かった上で使っている。

 

 澪は、馬車の後部に用意された小さな収納棚を見た。

 

 真壁が荷物用として作った場所だった。

 

 けれど、ちょうど薬箱が一つ収まりそうな大きさに見える。

 

「真壁さん」

 

「何ですかな」

 

「帰りの荷物が増えることまで考えていましたか」

 

「王都へ向かうのです。多少の荷物が増える可能性はあるでしょう」

 

 真壁は平然としていた。

 

 マルグリットが竜命薬を欲しがることまで読んでいたのかもしれない。

 

 あるいは、単に収納を増やしたかっただけかもしれない。

 

 どちらなのか尋ねると、さらに何かが追加されそうなので、澪は黙っておいた。

 

 王都へ向かうのは、真壁、澪、アルベルト、マルグリットの四人。

 

 王都近郊までは、ヴァルトの認識阻害境界に包まれたエアカー。

 

 そこから先は、真壁が作った栗毛の機械馬二頭に引かせる正式な箱馬車。

 

 隠れる区間と、堂々と見られる区間を分け、必要な話だけを済ませて、11月納品へ間に合うよう戻る。

 

「納品には、必ず間に合いますよね」

 

 澪が確認すると、機械馬の二頭が同時に耳を向けた。

 

「真壁さん。三回に一回ではなかったんですか」

 

「重要な言葉には、優先して反応するようにしました」

 

 馬にまで納期を覚えさせる必要はなかった。

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