押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第178話 新工房はまだ建てていません

 

 採石場秘密基地の作業区画では、一定の間隔を置いて金属の塊が並んでいた。

 

 表面の鈍い光を確かめながら、真壁は最後の1本を収納内の計量台へ載せる。表示された数値を見てから、純度と形状をもう一度鑑定し、問題がないことを確認した。

 

 チタンは1t。

 

 前処理済みの原料を小分けし、濃縮、高温処理、成形を連続させたことで、以前のように一つ作るたび大きく疲労することもなかった。作業区画の一方では、すでに規格を揃えたインゴットが納品単位に分けられ、動かないよう固定されている。

 

 真壁はその隣へ移った。

 

 石場町上流の崩落土砂から分けた灰重石と鉄マンガン重石は、必要量だけ精鉱へ回してある。石灰質の泥や脈石を落とし、粒度を揃え、現代側へ渡せる形へ加工したタングステン系素材も、前回と同じ基準を満たしていた。

 

 計量を終え、最後の容器へ封をする。

 

「11月分は、これで結構ですな」

 

 誰もいない作業区画へ、真壁の声だけが落ちた。

 

 納品物は揃った。

 

 本来なら、ここで作業を切り上げてもよかった。

 

 だが、作業台の反対側には、タングステンを抜いた後の材料が大量に残っていた。

 

 石灰質の岩塊と石粉。粘土質の沈泥。石英砂。長石を含む白砂。粒度の違う角礫。透明度の高い方解石。蛍石。低品位の鉱石。さらに別の保管区画には、ヴァルトが持ち帰った火山灰と硫黄もある。

 

 真壁は分類済みの材料を眺めた。

 

 急いで売る必要はない。

 

 捨てる理由は、もっとない。

 

 使い道なら、いくらでもあった。

 

「そういえば」

 

 真壁は、以前セルマから渡された配置図を取り出した。

 

「設備の拡張を頼まれていましたな」

 

 紙に描かれているのは、現在の植物工場の隣へ、同じ栽培槽を2列追加するという簡単な配置だった。

 

 治癒草や肥料用植物の生産量を増やすためである。ヴァルトが肥料を増産し、澪と真壁が設備を増やす。

 

 話は明快だった。

 

 真壁は配置図を机へ広げ、空いている場所へ指を置いた。

 

「2列ですか」

 

 同型の金属ラックを作り、栽培槽を載せ、照明と給排水をつなぐ。それだけなら大した作業ではない。

 

 真壁は崩落土砂から分けた石灰質成分を見た。

 

「床も整えておいた方がよろしいですな」

 

 水を満たした栽培槽が2列増えれば、床へかかる重さも増える。漏水が起きれば工房内へ水が広がる。

 

 真壁は石灰質の岩と粘土質の沈泥を配合し、セメント原料へ回した。石英砂を細骨材へ、角礫を粗骨材へ分け、火山灰を混和材として加える。

 

 試験片を作り、硬化後の強度と吸水率を確認する。

 

 普通の床材で足りる。

 

 だが、水を扱う区画なら、より緻密な配合の方がよい。真壁は配合を少し変え、もう一種類作った。

 

 床を作るなら、排水溝も必要だった。

 

 排水溝を設けるなら、壁際へ水が回らないよう立ち上がりも必要になる。

 

 真壁は床材と一体化できる排水部品を作り始めた。

 

「これで水回りは問題ありませんな」

 

 まだ栽培槽は1台も作っていなかった。

 

 真壁は次に硫黄を取り出した。

 

 硫黄から硫酸を作り、石灰質成分と反応させれば、合成石膏が得られる。含水率と加熱条件を調整し、板状へ成形する。

 

 試作した板を持ち上げ、軽く叩く。

 

 乾いた音が返った。

 

「内壁材として使えますな」

 

 植物工場の区画は湿度が高くなる。

 

 石膏板だけでは、長く水気へさらされる場所には向かない。真壁は火山灰と石灰質成分を使い、耐湿性を高めたセメント系の板材も作った。

 

 乾いた区画には石膏板。

 

 水を扱う場所には耐湿板。

 

 用途を分ければ無駄がない。

 

 真壁は出来上がった2種類の板材を、用途別に積み上げた。

 

 そこで、以前セルマの弟子を増やす話が出ていたことを思い出した。

 

 薬の生産をセルマ1人へ集中させず、鑑定を使える者を育てる。薬草を見分け、状態を判断し、調合を学ぶ者が増えなければ、生産量はセルマの手の数を超えられない。

 

 栽培槽を2列増やしても、収穫した薬草を扱う者がいなければ、別の場所で詰まる。

 

 真壁は配置図を見下ろした。

 

「弟子を受け入れる場所も必要ですな」

 

 現在の工房へ10人ほどの弟子が通うと考える。

 

 作業時間だけ来るなら、天候や街道の状態に左右される。冬になれば雪や寒さもある。

 

 住み込みにした方が安定する。

 

 住み込みなら寝室がいる。

 

 寝室があるなら食堂と厨房もいる。

 

 身体を洗う場所も必要である。

 

 真壁は配置図の隣へ新しい紙を置き、建物の外形を引いた。

 

 1階には搬入口と倉庫。薬草の洗浄、選別、水切りを行う作業区画。栽培槽を置く植物工場。食堂と厨房。

 

 別区画にバッテリー室を置き、水を使う設備から離す。

 

 上階にはセルマと弟子が使う住居。寝室、洗面所、風呂、衣類を乾かす場所。

 

 さらに薬草や調合を学ぶ図書室と教室。新しい処方を試す研究室。実際に薬を作る錬金室。

 

 危険な素材を扱う場所だけは、換気を分ける。

 

 真壁は線を引き足した。

 

「この程度でよいでしょう」

 

 紙の上には、工房というより、小規模な学校と寮と薬品工場を一つにした建物が出来上がっていた。

 

 それでも真壁の中では、セルマの生産力を増やすために必要な場所を並べただけだった。

 

 次に電力を考える。

 

 植物工場には照明とポンプが必要である。換気と温度管理も止められない。夏場は太陽光発電で十分でも、冬は日照時間が短くなり、曇天や雪が続けば発電量が落ちる。

 

 蓄電池を増やすだけでは、発電しない日が続いた時に足りない。

 

 真壁は侯爵領事業所で暮らす子供たちを思い浮かべた。

 

 雷スキルを持つ子供たちは、訓練の一環として放電を行っている。その出力を安全に受け、バッテリーへ充電できれば、冬場の不足分を補える。

 

 もちろん、建物へ直接雷を落とさせるわけにはいかない。

 

 真壁は充電装置の設計を始めた。

 

 子供ごとの出力差を受けられる変換部。過剰な電力を逃がす保護回路。触れても感電しない絶縁区画。蓄電量を目で確認できる表示。1人へ負担を集中させないよう、短い時間で交代できる接続部。

 

「通常は太陽光で運用し、不足時だけ補えばよろしい」

 

 子供たちを発電設備として常駐させるつもりはない。

 

 冬場や悪天候が続いた時だけ、訓練を兼ねて定期的に来てもらえばよい。

 

 実に合理的だった。

 

 問題があるとすれば、セルマにも、子供たちにも、マルテにも、侯爵家にも、まだ誰一人として話をしていないことだった。

 

 だが、真壁は設計を止めなかった。

 

 相談する前でも、資材は作れる。

 

 資材は別の建物にも使える。

 

 ならば、先に用意しても無駄にはならない。

 

 真壁は収納内の鉄を引き出し、建物の骨組みへ加工し始めた。

 

 柱。

 

 梁。

 

 床を支える部材。

 

 筋交い。

 

 階段。

 

 手すり。

 

 窓枠。

 

 扉枠。

 

 同じ規格で組めるよう、接合部を揃える。

 

 まだ建築はしていない。

 

 部品を作っているだけである。

 

 その違いは、真壁にとって非常に重要だった。

 

 

 

 

 

 大学から戻った澪が採石場秘密基地へ入ると、最初に目へ入ったのは納品用に並べられたチタンだった。

 

 規格を揃えた金属がきれいに固定され、その隣にはタングステン系素材の容器が積まれている。

 

 澪はほっと息を吐いた。

 

 11月納品の準備は気になっていた。石場町の上流で鉱床を見つけた後、真壁がまた別の問題へ手を伸ばしていないか、少し心配していたのである。

 

「11月分、揃ったんですね」

 

「ええ。チタンは1t。タングステンも必要量を確保しております」

 

 作業台の向こうから真壁が答えた。

 

「よかったです」

 

 澪は素直に安心した。

 

 今月は王都へ行き、火竜の薬を配り、ヴァルトの件をクラウスへ説明し、黒鎖商会の動きまで出てきた。その中で現代側の契約まで遅れれば、何から手を付ければよいのか分からなくなる。

 

 少なくとも納品は間に合う。

 

 そう思いながら奥へ目を向け、澪は足を止めた。

 

 納品物の隣に、見覚えのない鉄骨が積まれている。

 

 数本どころではない。

 

 柱に見える長い部材。梁らしい横材。筋交い。階段の形をした鉄製部品。手すり。窓枠。扉枠。

 

 さらに別の場所には、袋詰めされたセメントと、粒度ごとに分けた砂利と砂が並んでいた。白い板材と灰色の板材も、壁一面を覆えるほど積まれている。

 

 大型の箱は、どう見ても蓄電池を収める設備だった。

 

 澪は肩へ掛けていた鞄をゆっくり下ろした。

 

 安心していた時間は、1分も続かなかった。

 

「真壁さん」

 

「何でしょう、澪君」

 

「これは何ですか」

 

 澪が指した先には、階段が置かれていた。

 

「セルマ君の新工房に使う資材です」

 

「新工房」

 

「ええ」

 

 真壁の返事は落ち着いている。

 

 まるで、すでに何度も話し合って決まった工事のようだった。

 

 澪は記憶を探した。

 

 セルマが頼んでいたのは、植物工場の栽培槽を2列増やすことだったはずである。

 

 新しい建物を建ててほしいとは聞いていない。

 

 まして階段の話など、一度も出ていなかった。

 

「セルマさんが頼んだのは、栽培槽を2列増やすことですよね」

 

「そのとおりです」

 

「では、どうして階段があるんですか」

 

「住居区画を上階へ置くためです」

 

 説明になっていなかった。

 

 澪が聞きたいのは階段の用途ではない。なぜ住居区画が生まれているのかである。

 

「住居区画があるんですか」

 

「弟子が10人ほど住み込めるように考えています」

 

「10人」

 

「以前、鑑定能力を持つ弟子を増やす話がございました」

 

 真壁は覚えていた。

 

 覚えているからこそ、栽培槽2列の増設が、弟子10人の生活を支える建物へ成長していた。

 

「弟子を増やす話はありましたけど、人数まで決まっていましたか」

 

「決まっておりません」

 

「では、なぜ10人なんですか」

 

「少なすぎれば生産力が上がりません。多すぎればセルマ君1人では教え切れないでしょう。最初は10人程度が妥当かと」

 

 真壁の中では、すでに募集人数まで検討済みだった。

 

 セルマ本人は、まだ新工房が計画されていることすら知らない。

 

「セルマさんには相談しましたか」

 

「まだです」

 

「弟子を住み込みにすることも?」

 

「まだです」

 

「土地は?」

 

「まだ決めておりません」

 

 何一つ決まっていないのに、階段だけは完成している。

 

 澪はこめかみへ指を当てた。

 

 真壁が1人で作業を始めると、相談より製造の方が早い。

 

 考える。

 

 必要だと判断する。

 

 作る。

 

 その間に、誰かへ聞くという工程が抜け落ちる。

 

「設計図はありますか」

 

「こちらです」

 

 真壁が差し出した紙を見て、澪はしばらく黙った。

 

 1階には倉庫、洗浄作業場、食堂、厨房、植物工場、バッテリー室。

 

 上階には住居、風呂、洗面所、図書室、教室、研究室、錬金室。

 

 建物の各所には換気、給排水、電源、安全装置まで書き込まれている。

 

 澪は上から下まで読み、もう一度上へ戻った。

 

 見直しても小さくはならなかった。

 

「これ、工房ですか」

 

「セルマ君の薬品生産力を増やすための施設です」

 

「学校と寮と工場が一緒になっていますよね」

 

「別々に建てるより効率的です」

 

 効率を聞いたわけではなかった。

 

 栽培槽2列の話が、なぜ複合施設へ変わったのかを聞いている。

 

 しかし、真壁の説明を一つずつ追えば、どれも必要に見えてしまう。

 

 弟子を増やすなら、教える場所がいる。

 

 学ぶなら図書室がいる。

 

 住むなら寝室と食堂と風呂がいる。

 

 薬を作るなら錬金室と研究室がいる。

 

 薬草を育てるなら植物工場がいる。

 

 全部正しい。

 

 正しいことをつなげた結果、頼まれていないビルが建とうとしている。

 

 澪は設計図の端に描かれたバッテリー室へ目を移した。

 

 そこから、侯爵領事業所へ向かう矢印が伸びている。

 

「この矢印は何ですか」

 

「冬場の補助充電です」

 

「補助充電」

 

「日照時間が短くなれば、太陽光だけでは発電量が不足する可能性があります。侯爵領事業所の子供たちに、雷スキルの訓練を兼ねて充電してもらえるようにします」

 

 澪は顔を上げた。

 

「子供たちを発電所にするんですか」

 

「通常は太陽光発電です。不足した場合だけ、交代で補充していただきます」

 

「定期的に派遣するつもりですか」

 

「冬季は必要になるでしょう」

 

 真壁は大型の箱を開いた。

 

 内部には接続部と変換装置が組み込まれている。子供ごとの出力差を吸収し、過剰な電力を逃がし、安全に蓄電池へ送る仕組みらしい。

 

「雷を直接設備へ入れるわけには参りません。こちらで一度受けます。蓄電量も表示されますので、無理に放電を続ける必要はありません」

 

「よくできていますね」

 

「ええ」

 

 褒めたつもりではなかった。

 

 だが、本当によくできているから困る。

 

「子供たちには聞きましたか」

 

「まだです」

 

「マルテさんには?」

 

「まだです」

 

「侯爵家には?」

 

「まだです」

 

「セルマさんにも?」

 

「まだです」

 

 関係者全員が知らない。

 

 知らない間に、冬季の派遣計画と充電設備だけが完成していた。

 

 澪は額を押さえた。

 

「誰にも聞かずに、ここまで作ったんですか」

 

「建築資材と設備は、ほかの用途にも転用できます」

 

「そういう問題ではありません」

 

「無駄にはなりませんぞ」

 

 それが最も厄介だった。

 

 真壁が作った物は、使い道がある。

 

 性能もよい。

 

 必要になれば、確実に役立つ。

 

 だから、完全に止める理由が見つからない。

 

 止められないまま放っておくと、相談する頃には建物が部品の状態で完成している。

 

「石膏ボードまで作ったんですか」

 

「ええ。乾いた区画へ使います。植物工場や風呂には、こちらの耐湿板を使う予定です」

 

「予定になっていますね」

 

「材料としての予定です。まだ建てておりません」

 

 真壁は、そこを強調した。

 

 澪は周囲を見た。

 

 柱も梁も階段もある。壁板も床材も窓枠もある。配管と蓄電設備もある。

 

 建てていない。

 

 確かに、まだ組み上げてはいない。

 

 ただ、建物は部品へ分解された状態で、すでに目の前に存在していた。

 

「セルマさんが嫌だと言ったら、どうするんですか」

 

「資材は秘密基地や侯爵領事業所の増築へ使えます」

 

「弟子を住み込みにしないと言ったら?」

 

「住居区画を別用途へ変更できます」

 

「雷スキルの派遣が難しいと言われたら?」

 

「蓄電池を増やします」

 

 逃げ道まで用意されている。

 

 相談前に作ったことを止める材料が、次々に消えていった。

 

 澪は設計図を机へ戻した。

 

「明日、最初にセルマさんへ説明します」

 

「ええ」

 

「説明して、必要な規模を確認します」

 

「承知しました」

 

「土地も、侯爵家へ相談してからです」

 

「当然ですな」

 

「当然だと思っている人が、どうして先に階段を作るんですか」

 

 真壁は積まれた階段部材へ目を向けた。

 

「階段は、どの建物にも必要です」

 

「平屋ならいりません」

 

「弟子10人の住居まで平屋へ入れると、土地を使いすぎます」

 

 まだ弟子10人を諦めていなかった。

 

 澪は深く息を吐いた。

 

 大学へ行っている間に、11月納品分が完成した。

 

 そこまではありがたい。

 

 その後、真壁は余った材料を見て、セルマの栽培槽増設を思い出した。

 

 そこから弟子の育成を思い出し、住み込みの新工房を考え、学校と寮と工場を一体化し、冬季の発電体制まで作った。

 

 わずか数時間である。

 

 真壁に時間を与えると、未来の問題まで建材へ加工されるらしい。

 

「真壁さん」

 

「何でしょう」

 

「今日は、もう何も作らないでください」

 

「11月分は完成しております」

 

「そちらではなく、新工房の方です」

 

「承知しました」

 

 真壁は素直に頷いた。

 

 澪は少しだけ安心した。

 

 その直後、真壁が設計図の端へ小さな四角を書き足した。

 

「今、何を追加しましたか」

 

「建ててはおりません」

 

「聞いているのは、何を書いたかです」

 

「収穫後の薬草を一時的に保管する低温庫です」

 

「何も作らないでくださいと言った直後ですよね」

 

「設計へ加えただけです」

 

 確かに作ってはいない。

 

 まだ。

 

 澪は設計図を取り上げ、両手で閉じた。

 

「続きはセルマさんの前で考えてください」

 

「それでは、説明に時間がかかりますな」

 

「説明に時間をかけてください。作る前に」

 

 真壁は少し考えた後、頷いた。

 

「よろしい」

 

 返事は立派だった。

 

 だが、澪は秘密基地の奥に積まれた鉄骨を見た。

 

 柱、梁、階段、壁板、排水部品、窓枠、充電装置。

 

 建設はまだ始まっていない。

 

 その言葉だけを頼りに安心するには、準備が整いすぎていた。

 

 11月の納品物は完成した。

 

 セルマの生産力を増やす準備も、十分すぎるほど進んでいる。

 

 ただし、セルマが頼んだ栽培槽は、まだ一つも作られていなかった。

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