第18話 畦の豆、鍋の豆
リュシアの屋台裏には、夕方前の熱が残っていた。
水飴で作った補水用の飲み物が、木箱の上に何本か並んでいる。
透明な容器の首には小さな木札が下がり、誰が使う分か分かるようになっていた。
トトたちは荷を運ぶ途中で戻ってきて、リュシアの顔を見てから一口ずつ飲む。
最初は薄いと文句を言っていた子供たちも、暑い中を歩いた後には、このくらいの甘さの方が喉に残らないらしい。
それでも、澪は気になっていた。
トトは元気そうな顔をしている。
年下の子へ容器を渡す時も、妙に大人ぶる。
けれど腕は細く、肩も薄い。
荷を持ち上げる時は最初だけ勢いがよく、そのあとで腰を入れてごまかしていた。
もっと小さい子は、屋台裏へ戻ると木箱の端に座り、器を抱えたまましばらく動かない。
飲ませれば少し戻る。
ただ、それは元気になったというより、消えかけた火にもう一度息を吹き込んだような戻り方だった。
澪はトトを見た。
「なに、澪姉ちゃん」
トトが気づいて、にやっと笑った。
「俺、今日は倒れてないよ」
「倒れてないだけで、自慢しないでください」
「倒れたら怒られるし」
「倒れる前に休んでください」
「休むと、荷が減らない」
澪は返事に詰まった。
鉄板の横で手を拭いていたリュシアが、澪の顔を見る。
「水と塩だけじゃ足りない顔だね」
澪は少し迷ってから、トトへ鑑定を使った。
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トト
体力:低下気味
筋力:年齢相応よりやや低い
水分:改善中
塩分:改善中
糖分:一時補給あり
たんぱく質:不足
ビタミン:不足気味
疲労:蓄積
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表示を見て、澪は唇を結んだ。
水分も塩分も前より悪くない。
糖分も、一時的には入っている。
足りないのは、もっと身体の内側に積み重なるものだった。
「身体を作るものが足りてないみたいです」
澪は表示を見ながら言った。
「あと、野菜みたいなものも」
「肉かい」
リュシアはすぐそこへ行った。
「肉もですけど、毎日肉だけは無理ですよね」
「無理だね」
「金が飛ぶ」
器を持っていたトトが振り返った。
「肉がいい」
「肉だけ食わせたら屋台が潰れる」
「じゃあ、潰れないくらいの肉」
「そういう注文が一番面倒なんだよ」
リュシアが呆れた声を出し、澪は少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
そこへ、少年服姿のエレナが当然のように入ってきた。
帽子の下から赤い髪が少しこぼれている。
オスカーはその後ろで、何か言われる前から少し身構えていた。
「なら、肉を増やせばよい」
エレナは真面目な顔で言った。
「姫様、一日だけならできます」
リュシアは鍋の蓋をずらして中を見た。
「でも、明日も明後日も続ける話です」
エレナは口を開きかけ、そのまま黙った。
「肉は毎日食べたい」
トトが横から言う。
「お前は黙ってな」
「姫様も肉って言った」
「私は量の話をしている」
「俺も量の話」
「トト」
リュシアに名前を呼ばれ、トトは器へ口をつけた。
澪は少しだけ息をつく。
最近、エレナは「続ける」「毎日」「次も」という言葉が出ると、勢いだけでは押し切らなくなっていた。
なら、肉以外で身体を作るものを探すしかない。
澪の頭に、豆が浮かんだ。
大豆なら知っている。
味噌も、豆腐も、納豆もある。
けれど、そのまま口に出してもリュシアには通じない。
「このあたりで、人が食べる豆って何がありますか」
リュシアが鍋の横で手を止めた。
「そら豆と、えんどう豆なら見るね」
「煮込みに入れる家もあるし、畦に植える家もある」
「牛や羊に食わせることもあるよ」
「家畜の餌にもなるんですね」
「豆は腹にたまるからね」
「でも、毎日子どもに食わせる主役ってほどじゃない」
ちょうど近くで、豆や麦の小袋を下ろしていた男にリュシアが声をかけた。
男は話を聞くと、袋の口を広げて見せてくれた。
「そら豆は煮る」
「えんどう豆は粥に混ぜる家もあるな」
「家畜に混ぜる方が多いところもある」
澪は袋の中をのぞいた。
見慣れた大豆はない。
似ていると言いたくなる豆はあっても、粒の形も使われ方も違っていた。
◇ ◇ ◇
「畦に植えるんですか」
澪が聞くと、リュシアはうなずいた。
「植える家もあるよ」
「豆の後は土がひどく痩せないって言う農家もいる」
「でも、豆を植えれば勝手に畑がよくなるなんて、そんなうまい話じゃないよ」
その言葉に、澪の頭の奥で何かが引っかかった。
豆の根に、小さな粒ができる。
土を助けることがある。
どこで読んだのかまでは思い出せない。
「豆の根っこに小さい粒ができて、土を助けることがあるって、読んだことがあります」
リュシアは笑わなかった。
豆売りの男の袋を見てから、澪へ顔を戻す。
「何で読んだんだい」
「小説か、ネットの記事か、たぶんそんなものです」
「なら、まず農家に聞くことだね」
澪は目を瞬いた。
「農家に?」
「畑のことは、畑を見てる者が一番知ってる」
リュシアは当たり前のように言った。
「澪の読んだ話が本当でも、この土地で同じことになるかは別だよ」
澪はうなずいた。
豆売りの袋を、もう一度のぞき込む。
さっきまで粒しか見ていなかったのに、今はまだ土の中にあるはずの根まで気になった。
◇ ◇ ◇
その夜、江古田の六畳間で、澪はスマホを握っていた。
机の端には小金貨の布袋があり、帳面は開いたままだった。
飲み終えたペットボトルが一本、鉛筆の横に転がっている。
通販で届いたタオルの箱も、まだ開けていない。
押し入れは異世界への入口なのに、その前へ置く物ばかり増えていた。
澪は相談画面を開いた。
この世界には大豆がないこと。
そら豆とえんどう豆はあり、人も食べるが家畜の餌にもなること。
市場の子供たちに、たんぱく質と野菜に近いものを足したいこと。
大豆を持ち込むなら、食べる分と植える分をどう分ければいいか。
そこまで入力して送る。
返ってきた答えの最初は、食べ方だった。
水に浸して、しっかり加熱する。
潰してスープにする方法もあり、生では食べさせない。
食べる分と植える分は分け、最初は少量から試す。
「そこまでは分かるんだけど……」
澪の指が止まった。
リュシアが言っていた、豆の後は土がひどく痩せないという話が引っかかっている。
澪は続けて、根の粒と土のことを聞いた。
大豆はマメ科で、根粒菌と合えば土を助ける場合がある。
ただし、大豆に合う菌がこの世界の土にいるとは限らない。
そら豆やえんどう豆が育っていても、大豆で同じことが起こるかは試す必要がある。
「豆、取った後も仕事があるんだ……」
茎や葉や莢を全部持ち出さず、麦わらや家畜の糞と一緒に積む方法まで出てきた。
水分を見ながら寝かせ、時々崩して混ぜ、よく馴染んでから畑へ戻す。
澪はスマホを持ったまましばらく止まった。
食べる話から始めたはずなのに、いつの間にか糞の扱いまで調べている。
そこで、トトの鑑定結果にあったビタミン不足を思い出した。
大豆を発芽させてもやしにできるかを聞く。
答えには、暗い場所と清潔な器、こまめな水替えが必要だとあった。
ぬめりや嫌な匂いが出たら捨て、基本は加熱して食べさせる。
「また洗う話が増えた……」
補水飲料ではボトルとフタを洗い、水飴では木べらを洗い、今度は豆を発芽させる器まで洗うらしい。
澪は机の上のペットボトルを見た。
異世界で商売を始めてから、水回りの仕事だけは着実に増えていた。
◇ ◇ ◇
通販画面には、大豆100kg、20,000円と表示されていた。
澪はしばらく数字を見つめた。
料理だけなら、そんな量はいらない。
子供たちのまかないを少し試すだけなら、10kgでも多いかもしれない。
数量を減らそうとして、澪は指を止めた。
料理だけなら少量で足りるが、子供たちへ出す分、発芽を見る分、もやしにする分、農家へ渡して試す分まで考えると話が変わる。
虫や湿気で駄目になる分まで数え始めたところで、折っていた指が足りなくなった。
「料理だけなら少なくていいんだけど……」
澪は六畳間を見回した。
タオルの箱がある。
扇子の段ボールがある。
ペットボトルの空き容器がある。
小金貨の布袋まである。
押し入れの前へ100kgの豆を置いたら、異世界へ行く前に豆を越えなければならない。
「……置けるかな」
価格だけ見れば、手が届かない額ではなかった。
問題は値段より体積だった。
澪は一度数量を減らした。
少し考えて戻した。
そして注文確定を押した。
◇ ◇ ◇
数日後、玄関に大豆が来た。
10kg袋が10個だった。
配達員は慣れた顔で荷物を置き、確認を取ると普通に帰っていった。
普通ではなかったのは澪の方である。
ひと袋を持ち上げようとして、腕が止まった。
「20,000円って、こういう重さなんだ……」
澪は一袋ずつ六畳間へ引きずり込んだ。
5袋目あたりで、部屋がかなり豆屋らしくなった。
そこで収納を思い出す。
大鍋も入った。
水飴入りの小樽も入った。
なら、大豆もいけるはずだ。
最初の袋へ手を置く。
食用試験分として意識すると、袋が収納へ入った。
2袋目も入る。
3袋目はもやし用。
4袋目は栽培試験用。
5袋目は、虫や湿気、調理の失敗に備える予備。
「半分入った……」
澪は少し笑った。
それから床を見た。
10kg袋が、まだ5つ残っている。
「半分残った……」
収納が便利になっても、六畳間の床面積までは増えなかった。
◇ ◇ ◇
リュシアの屋台裏へ大豆の袋を出すと、リュシアはしばらく黙った。
トトはすぐ寄ってくる。
エレナも当然のようにいた。
オスカーは袋の数を見て、今日は甘い物ではないと判断したのか、前より少しだけ油断していた。
リュシアが袋を一つ持ち上げようとして、途中でやめる。
「澪、あんた今度は豆屋になる気かい」
「違います」
「たんぱく……何だったか」
「たんぱく質です」
リュシアは一拍置いた。
「なら、まず煮よう」
「説明は煮てからでいい」
澪は納得した。
どれほど栄養があっても、子供が食べなければ屋台では使えない。
そこへトトの手が袋の口紐へ伸びた。
「これ、食べていい?」
「トト」
リュシアの声が飛ぶ。
「まだ食べてない」
「また、まだって言ったね」
「水飴と違って甘くなさそう」
「甘くなくても、勝手に食べない」
澪もすぐに言った。
「これは生で食べないでください」
「お腹を壊すかもしれません」
トトは袋から一歩離れた。
隣でエレナも半歩離れる。
オスカーの表情が少しだけ緩んだ。
「姫様まで離れなくてもよろしいかと」
「念のためだ」
「先ほどまで近づいておられましたが」
「今、危険だと聞いた」
「理解が早くて助かります」
エレナが少しむっとする。
リュシアはそのやり取りを聞きながら、豆売りの男を呼んだ。
男は大豆を手のひらに乗せ、粒を転がした。
「そら豆より小さいな」
もう一粒つまむ。
「えんどう豆とも違う」
「家畜に食わせる豆の親戚みたいだが、人が食うのかい」
「しっかり煮れば食べます」
男は疑うより、面白がる顔をした。
「煮るのか」
「潰してスープにするつもりです」
「あと、芽が出るかも見ます」
「芽?」
今度はエレナが袋へ顔を寄せた。
「新しい豆なのだな」
「この世界にはない豆みたいです」
「なら父上に――」
「姫様」
リュシアがすぐ止めた。
「まだ芽が出るかも、腹を壊さないかも、味も分かっていません」
エレナは不満そうに眉を寄せた。
それでも、今回はそこで引いた。
「では、まず煮るのだな」
「はい」
トトが大豆の袋を見ながら、小さくつぶやいた。
「山羊は食うのかな」
「お前はまず自分の分を心配しな」
リュシアが返すと、トトは口を閉じた。
◇ ◇ ◇
澪はすぐ鍋へ入れる分を小袋へ移し、発芽を見る分ともやし用を別の器へ分け、農家へ渡す分だけさらに離した。
同じ大豆でも、行き先が違えば扱い方も変わる。
「芽が出たら、畑に植えるんじゃないのかい」
リュシアが浸す器を見ながら聞いた。
「植える分と、食べる分を分けます」
「芽が出るか見る分と、もやしにする分も別です」
トトがすぐ反応した。
「芽を食べるの?」
「もやしです」
「豆の芽じゃん」
「もやしです」
「じゃあ豆草」
「もやしです」
澪が少しだけ強く言うと、トトは笑った。
エレナが器をのぞき込む。
「屋敷でも作れるのではないか」
「作れます」
「でも、水替えを忘れると腐ります」
「ぬめったり、嫌な匂いがしたら食べられません」
エレナは一瞬考え、オスカーを見た。
「覚えておけ」
「私の仕事ではありません」
返事が早かった。
「私はまだ命じていない」
「命じられる前にお断りしました」
トトが声を立てて笑う。
エレナはオスカーを睨んだが、オスカーは涼しい顔をしていた。
「また洗う話だね」
リュシアが器を見て言う。
「はい」
澪は肩を落とした。
豆を食べるだけなら鍋で済んだ。
芽まで食べようとすると、今度は水と器と匂いまで面倒を見ることになる。
◇ ◇ ◇
栽培用の大豆を別の小袋へ分けていると、エレナが目を止めた。
「畦に植えるのか」
「いきなり畑いっぱいは怖いので、まず小さい場所で」
リュシアもうなずく。
「農家に頼むなら、そら豆やえんどう豆を作ってる家がいいね」
「豆の扱いを少しは知ってる」
澪は、六畳間で調べた説明を思い出しながら言葉を選んだ。
「この豆の根っこにも、小さい粒ができるかもしれません」
「それが土を助けることがあるそうです」
「でも、この土で同じことが起きるかは分かりません」
「分からないなら、試すしかないね」
リュシアはあっさり言った。
澪は続ける。
「豆を取ったあと、茎や葉や莢を全部捨てたり、全部持ち出したりしない方がいいみたいです」
「どうするんだい」
「麦わらや家畜の糞と一緒に集めて、少し湿らせて寝かせます」
「熱を持ったら時々崩して混ぜて、よく寝たら畑に戻します」
リュシアは少し考えた。
難しそうな顔ではない。
農家へどう言えば通じるかを考えている顔だった。
「それなら、農家にも通じるね」
「麦わらも糞も、畑の端に積む家はある」
「そこへ豆の茎と莢も混ぜるって言えばいい」
エレナの目が輝く。
「根も見るのか」
「はい」
「土も見るのだな」
「はい」
トトが横から口を挟んだ。
「根っこ見るより肉がいい」
「肉を食べるためにも畑はいるんだよ」
リュシアの返事は早かった。
トトは難しい顔になった。
少しだけ、畑に負けた顔だった。
◇ ◇ ◇
リュシアは、市場へ豆を運んでくる農家の使いに声をかけた。
澪が前へ出ると、話が細かくなりすぎる。
だから最初はリュシアが話した。
「珍しい豆がある」
「畦か畑の端で少しだけ見てくれ」
「芽が出るか、虫がつくか、山羊が食うか、人が食えるまで育つかを見る」
「豆を取った後の茎や莢は、麦わらと糞と一緒に積んで寝かせる」
「根に粒が出るかも見たい」
澪は、その方がずっと伝わると思った。
使いは大豆を手に取り、指で押した。
「固いな」
「水に浸して煮ります」
「植える分は別です」
「畦なら少しは見られる」
使いは少し考えた。
「そら豆の端に、これを入れてみるか」
「ただ、山羊がかじるぞ」
「山羊ずるい」
トトがすぐ言った。
リュシアが振り向く。
「トトも勝手に食べようとしただろう」
「俺は山羊じゃない」
「やってることは近いね」
トトは不満そうな顔をした。
澪は農家の使いへ頭を下げる。
「食用の大豆なので、芽が出ないかもしれません」
「まず少しだけでお願いします」
「芽が出なきゃ、そう言う」
使いは袋を持ち直した。
「出たら虫を見る」
「伸びたら山羊を見る」
「食えるまで育ったら、また言う」
澪はもう一度頭を下げた。
「あと、取った後の茎や葉なんですが」
「麦わらと糞と一緒に積む話だよ」
リュシアが横から引き取った。
使いは少し笑った。
「豆を持ってきて、糞の話まで持ってくるのか」
「すみません」
澪は少し恥ずかしくなった。
「いや、農家は嫌いじゃない話だ」
その一言で、澪の肩から少し力が抜けた。
◇ ◇ ◇
潰し豆スープの試作は、思ったより地味に始まった。
大豆はすぐには食べられない。
水に浸し、時間をかけて煮る必要がある。
今回は澪が、あらかじめ少量だけ準備しておいた。
全部を一気に鍋へ入れる勇気はまだない。
煮た大豆を潰すと、豆の匂いが立った。
トトが横から鍋を見る。
「豆、地味」
「今日は豆が主役です」
「肉は?」
「少し入っています」
「少し?」
「少しです」
澪はゲンダイで見た料理動画を思い出した。
豆だけでは物足りないなら、味を支えるものを足せばいい。
潰した豆へ少量の出汁の素を入れ、うま味調味料もほんの少し加える。
異世界側の端肉と干し魚を少しずつ入れ、野菜くずも刻んで鍋へ落とした。
塩は控えめにする。
リュシアが眉を上げた。
「澪、それは何だい」
「うま味です」
「また分からない言葉が出たね」
「豆をおいしくする粉です」
「最初からそう言いな」
鍋から出汁の香りが立ち始めると、トトが黙った。
さっきまで肉の量を気にしていた顔が、少しずつ鍋へ寄っていく。
エレナも鼻をひくつかせた。
オスカーだけが、なぜかエレナの手元を見ている。
「今日は舐める物はありませんよ」
「分かっている」
「念のためです」
「このところ念が多いぞ」
リュシアが器へスープをよそった。
トトはまず匂いを嗅ぎ、それから一口飲む。
豆のざらつきは残っている。
それでも、端肉と干し魚と出汁の香りが先に来るので、ただの豆の煮汁にはならなかった。
「肉は少ない」
「はい」
「でも、肉の味はする」
「そこが大事です」
トトはもう一口飲んだ。
「これなら飲める」
澪は胸の中で、料理動画の向こうへ礼を言った。
エレナも器を受け取り、慎重に味見する。
「これは屋敷の料理ではないな」
澪は少し身構えた。
「だが、荷を運ぶ前の子どもにはよさそうだ」
エレナはもう一口飲んだ。
「腹に残るし、味も薄すぎぬ」
澪は思わずエレナを見た。
今日は、自分が好きかどうかだけでは見ていない。
オスカーもそれに気づいたのか、ほんの少し表情を緩めた。
「何だ」
エレナがすぐ気づく。
「いえ」
「今、笑ったな」
「気のせいです」
「笑った」
「スープをお召し上がりください」
トトが器の陰で笑っていた。
◇ ◇ ◇
数日後、リュシアの屋台裏にある暗い棚で、澪は布をかけた器を開いた。
白く太い芽が、いくつか伸びている。
「出ました」
全部がきれいに揃ったわけではない。
それでも、ちゃんと芽は出ていた。
トトがのぞき込む。
「豆草」
「もやしです」
「しゃきしゃきする?」
「食べるなら加熱してからです」
「また加熱」
「お腹を壊したくないでしょう」
トトは納得していない顔をしたが、腹を壊すと言われると一歩下がった。
エレナも棚をのぞく。
「畑から運ばずに、町の中で作れるのか」
「水を替えて、清潔にできれば」
リュシアが目を細めた。
「それ、町中で欲しがるね」
「冬や雨続きで青いものが少ない時は、特に」
澪は棚の中の白い芽を見た。
畑から毎日運ばなくても、町の中で短い日数で作れる。
ただし、便利だからこそ雑には扱えない。
リュシアがすぐ釘を刺す。
「ぬめったら捨てる」
「嫌な匂いがしたら捨てる」
「そこをケチると腹を壊す」
「はい」
「水を替えるのを忘れたら、売り物にしない」
「はい」
澪はうなずいた。
トトが芽へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「これは、もう売り物?」
「まだです」
澪が答える。
「じゃあ触らない」
トトは手を引いた。
リュシアがそれを見て、ふっと笑った。
「なに?」
「いや」
「何でもないよ」
トトは少し不思議そうな顔をした。
エレナが横から芽を見る。
「私は最初から触っていないぞ」
「姫様」
オスカーが呼ぶ。
「何だ」
「今回は本当ですね」
「今回はとは何だ」
澪は口元を押さえた。
◇ ◇ ◇
リュシアは小袋と皿を屋台裏へ並べ、鍋へ行く袋を澪の方へ寄せた。
発芽を見る分と暗い棚で育てる分は、その反対側へ置く。
「ぬめったら?」
「捨てます」
リュシアはうなずき、農家へ持っていく袋を持ち上げた。
「これは畦か畑の端で少しだけだね」
「はい」
最後に残った袋へトトが目を向ける。
「それは?」
「生では食べない」
トトが澪より先に答えた。
リュシアがトトを見る。
「覚えたじゃないか」
「腹壊すの嫌だし」
澪は並んだ袋を見た。
小金貨を小皿へ分けた時とよく似ている。
袋のままだと、全部同じ豆にしか見えない。
先に行き先を分けると、鍋へ行く豆と畦へ行く豆が混ざらない。
エレナが畦用の袋へ目を向けた。
「それは私が持っていってもよいか」
「持ち帰る話ではありません」
オスカーが即座に止めた。
「私は畦を見たいだけだ」
「見たいだけで袋を持つ必要はありません」
トトはすぐ袋から離れた。
エレナも少し遅れて一歩離れる。
オスカーが安堵した。
リュシアは最後の袋の口を縛りながら笑った。
「豆は、鍋だけじゃ終わらないね」
「畦と、棚と、土まで来ました」
澪は並んだ袋を見た。
「次は何が来るんだい」
リュシアが聞く。
澪は答えなかった。
こういう時に答えると、本当に次が来そうだった。
◇ ◇ ◇
ゲンダイ側へ戻ると、六畳間にはまだ大豆の袋が残っていた。
収納へ半分ほど入れたはずなのに、床の上には10kg袋が5つある。
地味な袋なのに、場所だけはしっかり取っている。
澪は、なんとなく自分へ鑑定を使った。
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篠原 澪
分類:人間/異界渡航者
役割:押入商会代表
現在ジョブ:商人
状態:改善努力中
疲労度:14%
身体異常:なし
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基礎能力値
体力:42
筋力:28
器用:49
知力:66
判断:51
精神:54
集中:45
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既得スキル
鑑定:3
収納:3
商才:芽あり
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「収納、上がってる……」
澪は一瞬だけ顔を明るくした。
大鍋も入った。
水飴の小樽も入った。
大豆も50kgほど入った。
扱える量が増えたのは、素直にありがたい。
そこで床を見る。
残りの50kgは、何もなかったような顔でそこにいる。
机には帳面がある。
壁際にはタオルの箱と扇子の段ボールがある。
ペットボトルの空き容器も増えていた。
押し入れの前には、大豆の袋が一つだけ絶妙に邪魔な位置へ残っている。
「収納が上がっても、部屋は広くならないんだ……」
当然だった。
押し入れは異世界への入口であって、六畳間を拡張する装置ではない。
澪は大豆の袋を見下ろした。
ため息をついてから、まず押し入れの前の一袋を両手で横へずらし始めた。