押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

18 / 346
第18話 畦の豆、鍋の豆

第18話 畦の豆、鍋の豆

 

 リュシアの屋台裏には、夕方前の熱が残っていた。

 

 水飴で作った補水用の飲み物が、木箱の上に何本か並んでいる。

 

 透明な容器の首には小さな木札が下がり、誰が使う分か分かるようになっていた。

 

 トトたちは荷を運ぶ途中で戻ってきて、リュシアの顔を見てから一口ずつ飲む。

 

 最初は薄いと文句を言っていた子供たちも、暑い中を歩いた後には、このくらいの甘さの方が喉に残らないらしい。

 

 それでも、澪は気になっていた。

 

 トトは元気そうな顔をしている。

 

 年下の子へ容器を渡す時も、妙に大人ぶる。

 

 けれど腕は細く、肩も薄い。

 

 荷を持ち上げる時は最初だけ勢いがよく、そのあとで腰を入れてごまかしていた。

 

 もっと小さい子は、屋台裏へ戻ると木箱の端に座り、器を抱えたまましばらく動かない。

 

 飲ませれば少し戻る。

 

 ただ、それは元気になったというより、消えかけた火にもう一度息を吹き込んだような戻り方だった。

 

 澪はトトを見た。

 

「なに、澪姉ちゃん」

 

 トトが気づいて、にやっと笑った。

 

「俺、今日は倒れてないよ」

 

「倒れてないだけで、自慢しないでください」

 

「倒れたら怒られるし」

 

「倒れる前に休んでください」

 

「休むと、荷が減らない」

 

 澪は返事に詰まった。

 

 鉄板の横で手を拭いていたリュシアが、澪の顔を見る。

 

「水と塩だけじゃ足りない顔だね」

 

 澪は少し迷ってから、トトへ鑑定を使った。

 

----------------------------------

トト

体力:低下気味

筋力:年齢相応よりやや低い

水分:改善中

塩分:改善中

糖分:一時補給あり

たんぱく質:不足

ビタミン:不足気味

疲労:蓄積

----------------------------------

 

 表示を見て、澪は唇を結んだ。

 

 水分も塩分も前より悪くない。

 

 糖分も、一時的には入っている。

 

 足りないのは、もっと身体の内側に積み重なるものだった。

 

「身体を作るものが足りてないみたいです」

 

 澪は表示を見ながら言った。

 

「あと、野菜みたいなものも」

 

「肉かい」

 

 リュシアはすぐそこへ行った。

 

「肉もですけど、毎日肉だけは無理ですよね」

 

「無理だね」

 

「金が飛ぶ」

 

 器を持っていたトトが振り返った。

 

「肉がいい」

 

「肉だけ食わせたら屋台が潰れる」

 

「じゃあ、潰れないくらいの肉」

 

「そういう注文が一番面倒なんだよ」

 

 リュシアが呆れた声を出し、澪は少しだけ笑った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 そこへ、少年服姿のエレナが当然のように入ってきた。

 

 帽子の下から赤い髪が少しこぼれている。

 

 オスカーはその後ろで、何か言われる前から少し身構えていた。

 

「なら、肉を増やせばよい」

 

 エレナは真面目な顔で言った。

 

「姫様、一日だけならできます」

 

 リュシアは鍋の蓋をずらして中を見た。

 

「でも、明日も明後日も続ける話です」

 

 エレナは口を開きかけ、そのまま黙った。

 

「肉は毎日食べたい」

 

 トトが横から言う。

 

「お前は黙ってな」

 

「姫様も肉って言った」

 

「私は量の話をしている」

 

「俺も量の話」

 

「トト」

 

 リュシアに名前を呼ばれ、トトは器へ口をつけた。

 

 澪は少しだけ息をつく。

 

 最近、エレナは「続ける」「毎日」「次も」という言葉が出ると、勢いだけでは押し切らなくなっていた。

 

 なら、肉以外で身体を作るものを探すしかない。

 

 澪の頭に、豆が浮かんだ。

 

 大豆なら知っている。

 

 味噌も、豆腐も、納豆もある。

 

 けれど、そのまま口に出してもリュシアには通じない。

 

「このあたりで、人が食べる豆って何がありますか」

 

 リュシアが鍋の横で手を止めた。

 

「そら豆と、えんどう豆なら見るね」

 

「煮込みに入れる家もあるし、畦に植える家もある」

 

「牛や羊に食わせることもあるよ」

 

「家畜の餌にもなるんですね」

 

「豆は腹にたまるからね」

 

「でも、毎日子どもに食わせる主役ってほどじゃない」

 

 ちょうど近くで、豆や麦の小袋を下ろしていた男にリュシアが声をかけた。

 

 男は話を聞くと、袋の口を広げて見せてくれた。

 

「そら豆は煮る」

 

「えんどう豆は粥に混ぜる家もあるな」

 

「家畜に混ぜる方が多いところもある」

 

 澪は袋の中をのぞいた。

 

 見慣れた大豆はない。

 

 似ていると言いたくなる豆はあっても、粒の形も使われ方も違っていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「畦に植えるんですか」

 

 澪が聞くと、リュシアはうなずいた。

 

「植える家もあるよ」

 

「豆の後は土がひどく痩せないって言う農家もいる」

 

「でも、豆を植えれば勝手に畑がよくなるなんて、そんなうまい話じゃないよ」

 

 その言葉に、澪の頭の奥で何かが引っかかった。

 

 豆の根に、小さな粒ができる。

 

 土を助けることがある。

 

 どこで読んだのかまでは思い出せない。

 

「豆の根っこに小さい粒ができて、土を助けることがあるって、読んだことがあります」

 

 リュシアは笑わなかった。

 

 豆売りの男の袋を見てから、澪へ顔を戻す。

 

「何で読んだんだい」

 

「小説か、ネットの記事か、たぶんそんなものです」

 

「なら、まず農家に聞くことだね」

 

 澪は目を瞬いた。

 

「農家に?」

 

「畑のことは、畑を見てる者が一番知ってる」

 

 リュシアは当たり前のように言った。

 

「澪の読んだ話が本当でも、この土地で同じことになるかは別だよ」

 

 澪はうなずいた。

 

 豆売りの袋を、もう一度のぞき込む。

 

 さっきまで粒しか見ていなかったのに、今はまだ土の中にあるはずの根まで気になった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その夜、江古田の六畳間で、澪はスマホを握っていた。

 

 机の端には小金貨の布袋があり、帳面は開いたままだった。

 

 飲み終えたペットボトルが一本、鉛筆の横に転がっている。

 

 通販で届いたタオルの箱も、まだ開けていない。

 

 押し入れは異世界への入口なのに、その前へ置く物ばかり増えていた。

 

 澪は相談画面を開いた。

 

 この世界には大豆がないこと。

 

 そら豆とえんどう豆はあり、人も食べるが家畜の餌にもなること。

 

 市場の子供たちに、たんぱく質と野菜に近いものを足したいこと。

 

 大豆を持ち込むなら、食べる分と植える分をどう分ければいいか。

 

 そこまで入力して送る。

 

 返ってきた答えの最初は、食べ方だった。

 

 水に浸して、しっかり加熱する。

 

 潰してスープにする方法もあり、生では食べさせない。

 

 食べる分と植える分は分け、最初は少量から試す。

 

「そこまでは分かるんだけど……」

 

 澪の指が止まった。

 

 リュシアが言っていた、豆の後は土がひどく痩せないという話が引っかかっている。

 

 澪は続けて、根の粒と土のことを聞いた。

 

 大豆はマメ科で、根粒菌と合えば土を助ける場合がある。

 

 ただし、大豆に合う菌がこの世界の土にいるとは限らない。

 

 そら豆やえんどう豆が育っていても、大豆で同じことが起こるかは試す必要がある。

 

「豆、取った後も仕事があるんだ……」

 

 茎や葉や莢を全部持ち出さず、麦わらや家畜の糞と一緒に積む方法まで出てきた。

 

 水分を見ながら寝かせ、時々崩して混ぜ、よく馴染んでから畑へ戻す。

 

 澪はスマホを持ったまましばらく止まった。

 

 食べる話から始めたはずなのに、いつの間にか糞の扱いまで調べている。

 

 そこで、トトの鑑定結果にあったビタミン不足を思い出した。

 

 大豆を発芽させてもやしにできるかを聞く。

 

 答えには、暗い場所と清潔な器、こまめな水替えが必要だとあった。

 

 ぬめりや嫌な匂いが出たら捨て、基本は加熱して食べさせる。

 

「また洗う話が増えた……」

 

 補水飲料ではボトルとフタを洗い、水飴では木べらを洗い、今度は豆を発芽させる器まで洗うらしい。

 

 澪は机の上のペットボトルを見た。

 

 異世界で商売を始めてから、水回りの仕事だけは着実に増えていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 通販画面には、大豆100kg、20,000円と表示されていた。

 

 澪はしばらく数字を見つめた。

 

 料理だけなら、そんな量はいらない。

 

 子供たちのまかないを少し試すだけなら、10kgでも多いかもしれない。

 

 数量を減らそうとして、澪は指を止めた。

 

 料理だけなら少量で足りるが、子供たちへ出す分、発芽を見る分、もやしにする分、農家へ渡して試す分まで考えると話が変わる。

 

 虫や湿気で駄目になる分まで数え始めたところで、折っていた指が足りなくなった。

 

「料理だけなら少なくていいんだけど……」

 

 澪は六畳間を見回した。

 

 タオルの箱がある。

 

 扇子の段ボールがある。

 

 ペットボトルの空き容器がある。

 

 小金貨の布袋まである。

 

 押し入れの前へ100kgの豆を置いたら、異世界へ行く前に豆を越えなければならない。

 

「……置けるかな」

 

 価格だけ見れば、手が届かない額ではなかった。

 

 問題は値段より体積だった。

 

 澪は一度数量を減らした。

 

 少し考えて戻した。

 

 そして注文確定を押した。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数日後、玄関に大豆が来た。

 

 10kg袋が10個だった。

 

 配達員は慣れた顔で荷物を置き、確認を取ると普通に帰っていった。

 

 普通ではなかったのは澪の方である。

 

 ひと袋を持ち上げようとして、腕が止まった。

 

「20,000円って、こういう重さなんだ……」

 

 澪は一袋ずつ六畳間へ引きずり込んだ。

 

 5袋目あたりで、部屋がかなり豆屋らしくなった。

 

 そこで収納を思い出す。

 

 大鍋も入った。

 

 水飴入りの小樽も入った。

 

 なら、大豆もいけるはずだ。

 

 最初の袋へ手を置く。

 

 食用試験分として意識すると、袋が収納へ入った。

 

 2袋目も入る。

 

 3袋目はもやし用。

 

 4袋目は栽培試験用。

 

 5袋目は、虫や湿気、調理の失敗に備える予備。

 

「半分入った……」

 

 澪は少し笑った。

 

 それから床を見た。

 

 10kg袋が、まだ5つ残っている。

 

「半分残った……」

 

 収納が便利になっても、六畳間の床面積までは増えなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 リュシアの屋台裏へ大豆の袋を出すと、リュシアはしばらく黙った。

 

 トトはすぐ寄ってくる。

 

 エレナも当然のようにいた。

 

 オスカーは袋の数を見て、今日は甘い物ではないと判断したのか、前より少しだけ油断していた。

 

 リュシアが袋を一つ持ち上げようとして、途中でやめる。

 

「澪、あんた今度は豆屋になる気かい」

 

「違います」

 

「たんぱく……何だったか」

 

「たんぱく質です」

 

 リュシアは一拍置いた。

 

「なら、まず煮よう」

 

「説明は煮てからでいい」

 

 澪は納得した。

 

 どれほど栄養があっても、子供が食べなければ屋台では使えない。

 

 そこへトトの手が袋の口紐へ伸びた。

 

「これ、食べていい?」

 

「トト」

 

 リュシアの声が飛ぶ。

 

「まだ食べてない」

 

「また、まだって言ったね」

 

「水飴と違って甘くなさそう」

 

「甘くなくても、勝手に食べない」

 

 澪もすぐに言った。

 

「これは生で食べないでください」

 

「お腹を壊すかもしれません」

 

 トトは袋から一歩離れた。

 

 隣でエレナも半歩離れる。

 

 オスカーの表情が少しだけ緩んだ。

 

「姫様まで離れなくてもよろしいかと」

 

「念のためだ」

 

「先ほどまで近づいておられましたが」

 

「今、危険だと聞いた」

 

「理解が早くて助かります」

 

 エレナが少しむっとする。

 

 リュシアはそのやり取りを聞きながら、豆売りの男を呼んだ。

 

 男は大豆を手のひらに乗せ、粒を転がした。

 

「そら豆より小さいな」

 

 もう一粒つまむ。

 

「えんどう豆とも違う」

 

「家畜に食わせる豆の親戚みたいだが、人が食うのかい」

 

「しっかり煮れば食べます」

 

 男は疑うより、面白がる顔をした。

 

「煮るのか」

 

「潰してスープにするつもりです」

 

「あと、芽が出るかも見ます」

 

「芽?」

 

 今度はエレナが袋へ顔を寄せた。

 

「新しい豆なのだな」

 

「この世界にはない豆みたいです」

 

「なら父上に――」

 

「姫様」

 

 リュシアがすぐ止めた。

 

「まだ芽が出るかも、腹を壊さないかも、味も分かっていません」

 

 エレナは不満そうに眉を寄せた。

 

 それでも、今回はそこで引いた。

 

「では、まず煮るのだな」

 

「はい」

 

 トトが大豆の袋を見ながら、小さくつぶやいた。

 

「山羊は食うのかな」

 

「お前はまず自分の分を心配しな」

 

 リュシアが返すと、トトは口を閉じた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 澪はすぐ鍋へ入れる分を小袋へ移し、発芽を見る分ともやし用を別の器へ分け、農家へ渡す分だけさらに離した。

 

 同じ大豆でも、行き先が違えば扱い方も変わる。

 

「芽が出たら、畑に植えるんじゃないのかい」

 

 リュシアが浸す器を見ながら聞いた。

 

「植える分と、食べる分を分けます」

 

「芽が出るか見る分と、もやしにする分も別です」

 

 トトがすぐ反応した。

 

「芽を食べるの?」

 

「もやしです」

 

「豆の芽じゃん」

 

「もやしです」

 

「じゃあ豆草」

 

「もやしです」

 

 澪が少しだけ強く言うと、トトは笑った。

 

 エレナが器をのぞき込む。

 

「屋敷でも作れるのではないか」

 

「作れます」

 

「でも、水替えを忘れると腐ります」

 

「ぬめったり、嫌な匂いがしたら食べられません」

 

 エレナは一瞬考え、オスカーを見た。

 

「覚えておけ」

 

「私の仕事ではありません」

 

 返事が早かった。

 

「私はまだ命じていない」

 

「命じられる前にお断りしました」

 

 トトが声を立てて笑う。

 

 エレナはオスカーを睨んだが、オスカーは涼しい顔をしていた。

 

「また洗う話だね」

 

 リュシアが器を見て言う。

 

「はい」

 

 澪は肩を落とした。

 

 豆を食べるだけなら鍋で済んだ。

 

 芽まで食べようとすると、今度は水と器と匂いまで面倒を見ることになる。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 栽培用の大豆を別の小袋へ分けていると、エレナが目を止めた。

 

「畦に植えるのか」

 

「いきなり畑いっぱいは怖いので、まず小さい場所で」

 

 リュシアもうなずく。

 

「農家に頼むなら、そら豆やえんどう豆を作ってる家がいいね」

 

「豆の扱いを少しは知ってる」

 

 澪は、六畳間で調べた説明を思い出しながら言葉を選んだ。

 

「この豆の根っこにも、小さい粒ができるかもしれません」

 

「それが土を助けることがあるそうです」

 

「でも、この土で同じことが起きるかは分かりません」

 

「分からないなら、試すしかないね」

 

 リュシアはあっさり言った。

 

 澪は続ける。

 

「豆を取ったあと、茎や葉や莢を全部捨てたり、全部持ち出したりしない方がいいみたいです」

 

「どうするんだい」

 

「麦わらや家畜の糞と一緒に集めて、少し湿らせて寝かせます」

 

「熱を持ったら時々崩して混ぜて、よく寝たら畑に戻します」

 

 リュシアは少し考えた。

 

 難しそうな顔ではない。

 

 農家へどう言えば通じるかを考えている顔だった。

 

「それなら、農家にも通じるね」

 

「麦わらも糞も、畑の端に積む家はある」

 

「そこへ豆の茎と莢も混ぜるって言えばいい」

 

 エレナの目が輝く。

 

「根も見るのか」

 

「はい」

 

「土も見るのだな」

 

「はい」

 

 トトが横から口を挟んだ。

 

「根っこ見るより肉がいい」

 

「肉を食べるためにも畑はいるんだよ」

 

 リュシアの返事は早かった。

 

 トトは難しい顔になった。

 

 少しだけ、畑に負けた顔だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 リュシアは、市場へ豆を運んでくる農家の使いに声をかけた。

 

 澪が前へ出ると、話が細かくなりすぎる。

 

 だから最初はリュシアが話した。

 

「珍しい豆がある」

 

「畦か畑の端で少しだけ見てくれ」

 

「芽が出るか、虫がつくか、山羊が食うか、人が食えるまで育つかを見る」

 

「豆を取った後の茎や莢は、麦わらと糞と一緒に積んで寝かせる」

 

「根に粒が出るかも見たい」

 

 澪は、その方がずっと伝わると思った。

 

 使いは大豆を手に取り、指で押した。

 

「固いな」

 

「水に浸して煮ります」

 

「植える分は別です」

 

「畦なら少しは見られる」

 

 使いは少し考えた。

 

「そら豆の端に、これを入れてみるか」

 

「ただ、山羊がかじるぞ」

 

「山羊ずるい」

 

 トトがすぐ言った。

 

 リュシアが振り向く。

 

「トトも勝手に食べようとしただろう」

 

「俺は山羊じゃない」

 

「やってることは近いね」

 

 トトは不満そうな顔をした。

 

 澪は農家の使いへ頭を下げる。

 

「食用の大豆なので、芽が出ないかもしれません」

 

「まず少しだけでお願いします」

 

「芽が出なきゃ、そう言う」

 

 使いは袋を持ち直した。

 

「出たら虫を見る」

 

「伸びたら山羊を見る」

 

「食えるまで育ったら、また言う」

 

 澪はもう一度頭を下げた。

 

「あと、取った後の茎や葉なんですが」

 

「麦わらと糞と一緒に積む話だよ」

 

 リュシアが横から引き取った。

 

 使いは少し笑った。

 

「豆を持ってきて、糞の話まで持ってくるのか」

 

「すみません」

 

 澪は少し恥ずかしくなった。

 

「いや、農家は嫌いじゃない話だ」

 

 その一言で、澪の肩から少し力が抜けた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 潰し豆スープの試作は、思ったより地味に始まった。

 

 大豆はすぐには食べられない。

 

 水に浸し、時間をかけて煮る必要がある。

 

 今回は澪が、あらかじめ少量だけ準備しておいた。

 

 全部を一気に鍋へ入れる勇気はまだない。

 

 煮た大豆を潰すと、豆の匂いが立った。

 

 トトが横から鍋を見る。

 

「豆、地味」

 

「今日は豆が主役です」

 

「肉は?」

 

「少し入っています」

 

「少し?」

 

「少しです」

 

 澪はゲンダイで見た料理動画を思い出した。

 

 豆だけでは物足りないなら、味を支えるものを足せばいい。

 

 潰した豆へ少量の出汁の素を入れ、うま味調味料もほんの少し加える。

 

 異世界側の端肉と干し魚を少しずつ入れ、野菜くずも刻んで鍋へ落とした。

 

 塩は控えめにする。

 

 リュシアが眉を上げた。

 

「澪、それは何だい」

 

「うま味です」

 

「また分からない言葉が出たね」

 

「豆をおいしくする粉です」

 

「最初からそう言いな」

 

 鍋から出汁の香りが立ち始めると、トトが黙った。

 

 さっきまで肉の量を気にしていた顔が、少しずつ鍋へ寄っていく。

 

 エレナも鼻をひくつかせた。

 

 オスカーだけが、なぜかエレナの手元を見ている。

 

「今日は舐める物はありませんよ」

 

「分かっている」

 

「念のためです」

 

「このところ念が多いぞ」

 

 リュシアが器へスープをよそった。

 

 トトはまず匂いを嗅ぎ、それから一口飲む。

 

 豆のざらつきは残っている。

 

 それでも、端肉と干し魚と出汁の香りが先に来るので、ただの豆の煮汁にはならなかった。

 

「肉は少ない」

 

「はい」

 

「でも、肉の味はする」

 

「そこが大事です」

 

 トトはもう一口飲んだ。

 

「これなら飲める」

 

 澪は胸の中で、料理動画の向こうへ礼を言った。

 

 エレナも器を受け取り、慎重に味見する。

 

「これは屋敷の料理ではないな」

 

 澪は少し身構えた。

 

「だが、荷を運ぶ前の子どもにはよさそうだ」

 

 エレナはもう一口飲んだ。

 

「腹に残るし、味も薄すぎぬ」

 

 澪は思わずエレナを見た。

 

 今日は、自分が好きかどうかだけでは見ていない。

 

 オスカーもそれに気づいたのか、ほんの少し表情を緩めた。

 

「何だ」

 

 エレナがすぐ気づく。

 

「いえ」

 

「今、笑ったな」

 

「気のせいです」

 

「笑った」

 

「スープをお召し上がりください」

 

 トトが器の陰で笑っていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数日後、リュシアの屋台裏にある暗い棚で、澪は布をかけた器を開いた。

 

 白く太い芽が、いくつか伸びている。

 

「出ました」

 

 全部がきれいに揃ったわけではない。

 

 それでも、ちゃんと芽は出ていた。

 

 トトがのぞき込む。

 

「豆草」

 

「もやしです」

 

「しゃきしゃきする?」

 

「食べるなら加熱してからです」

 

「また加熱」

 

「お腹を壊したくないでしょう」

 

 トトは納得していない顔をしたが、腹を壊すと言われると一歩下がった。

 

 エレナも棚をのぞく。

 

「畑から運ばずに、町の中で作れるのか」

 

「水を替えて、清潔にできれば」

 

 リュシアが目を細めた。

 

「それ、町中で欲しがるね」

 

「冬や雨続きで青いものが少ない時は、特に」

 

 澪は棚の中の白い芽を見た。

 

 畑から毎日運ばなくても、町の中で短い日数で作れる。

 

 ただし、便利だからこそ雑には扱えない。

 

 リュシアがすぐ釘を刺す。

 

「ぬめったら捨てる」

 

「嫌な匂いがしたら捨てる」

 

「そこをケチると腹を壊す」

 

「はい」

 

「水を替えるのを忘れたら、売り物にしない」

 

「はい」

 

 澪はうなずいた。

 

 トトが芽へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。

 

「これは、もう売り物?」

 

「まだです」

 

 澪が答える。

 

「じゃあ触らない」

 

 トトは手を引いた。

 

 リュシアがそれを見て、ふっと笑った。

 

「なに?」

 

「いや」

 

「何でもないよ」

 

 トトは少し不思議そうな顔をした。

 

 エレナが横から芽を見る。

 

「私は最初から触っていないぞ」

 

「姫様」

 

 オスカーが呼ぶ。

 

「何だ」

 

「今回は本当ですね」

 

「今回はとは何だ」

 

 澪は口元を押さえた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 リュシアは小袋と皿を屋台裏へ並べ、鍋へ行く袋を澪の方へ寄せた。

 

 発芽を見る分と暗い棚で育てる分は、その反対側へ置く。

 

「ぬめったら?」

 

「捨てます」

 

 リュシアはうなずき、農家へ持っていく袋を持ち上げた。

 

「これは畦か畑の端で少しだけだね」

 

「はい」

 

 最後に残った袋へトトが目を向ける。

 

「それは?」

 

「生では食べない」

 

 トトが澪より先に答えた。

 

 リュシアがトトを見る。

 

「覚えたじゃないか」

 

「腹壊すの嫌だし」

 

 澪は並んだ袋を見た。

 

 小金貨を小皿へ分けた時とよく似ている。

 

 袋のままだと、全部同じ豆にしか見えない。

 

 先に行き先を分けると、鍋へ行く豆と畦へ行く豆が混ざらない。

 

 エレナが畦用の袋へ目を向けた。

 

「それは私が持っていってもよいか」

 

「持ち帰る話ではありません」

 

 オスカーが即座に止めた。

 

「私は畦を見たいだけだ」

 

「見たいだけで袋を持つ必要はありません」

 

 トトはすぐ袋から離れた。

 

 エレナも少し遅れて一歩離れる。

 

 オスカーが安堵した。

 

 リュシアは最後の袋の口を縛りながら笑った。

 

「豆は、鍋だけじゃ終わらないね」

 

「畦と、棚と、土まで来ました」

 

 澪は並んだ袋を見た。

 

「次は何が来るんだい」

 

 リュシアが聞く。

 

 澪は答えなかった。

 

 こういう時に答えると、本当に次が来そうだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 ゲンダイ側へ戻ると、六畳間にはまだ大豆の袋が残っていた。

 

 収納へ半分ほど入れたはずなのに、床の上には10kg袋が5つある。

 

 地味な袋なのに、場所だけはしっかり取っている。

 

 澪は、なんとなく自分へ鑑定を使った。

 

----------------------------------

篠原 澪

 分類:人間/異界渡航者

 役割:押入商会代表

 現在ジョブ:商人

 状態:改善努力中

 疲労度:14%

 身体異常:なし

----------------------------------

基礎能力値

 体力:42

 筋力:28

 器用:49

 知力:66

 判断:51

 精神:54

 集中:45

----------------------------------

既得スキル

 鑑定:3

 収納:3

 商才:芽あり

----------------------------------

 

「収納、上がってる……」

 

 澪は一瞬だけ顔を明るくした。

 

 大鍋も入った。

 

 水飴の小樽も入った。

 

 大豆も50kgほど入った。

 

 扱える量が増えたのは、素直にありがたい。

 

 そこで床を見る。

 

 残りの50kgは、何もなかったような顔でそこにいる。

 

 机には帳面がある。

 

 壁際にはタオルの箱と扇子の段ボールがある。

 

 ペットボトルの空き容器も増えていた。

 

 押し入れの前には、大豆の袋が一つだけ絶妙に邪魔な位置へ残っている。

 

「収納が上がっても、部屋は広くならないんだ……」

 

 当然だった。

 

 押し入れは異世界への入口であって、六畳間を拡張する装置ではない。

 

 澪は大豆の袋を見下ろした。

 

 ため息をついてから、まず押し入れの前の一袋を両手で横へずらし始めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。