押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

182 / 183
第182話 瓶を返せ

 

 王都錬金術師ギルドの鑑定室には、朝から妙な緊張が漂っていた。

 

 窓の外では荷馬車が石畳を鳴らし、市場へ向かう商人たちの呼び声が行き交っている。普段なら、その騒がしさが分厚い壁を越えてくることはない。ところが今日は、室内が静かすぎるせいで、遠くの車輪の音まで耳についた。

 

 長机の上には、赤い液体を満たした小瓶が12本並んでいる。

 

 どれも同じ高さ。

 

 同じ太さ。

 

 同じ形。

 

 薄い朝日を受けた瓶の列は、1本を魔法で複製したように見えた。

 

 ギルド長フリードリヒ・クラマーは、腕を組んだままその列を見下ろしていた。

 

「もう一度、結果を」

 

 鑑定担当の錬金術師は、手元の紙へ目を落とした。

 

「薬効は、王都で流通している同種ポーションの基準を上回っています。12本とも、効能の差は測定誤差の範囲です。沈殿、濁り、変色はありません」

 

「保存状態は」

 

「良好です。運搬中の劣化も確認できません」

 

「価格は」

 

 書記が別の紙をめくる。

 

「王都の標準品より、およそ2割高値です」

 

 室内の空気が僅かに緩んだ。

 

 高品質でも、高価なら客は限られる。全ての薬師や冒険者が、常に最高級品を求めるわけではない。

 

 フリードリヒも小さく息を吐いた。

 

「ならば、現時点では市場への影響は限定的だ」

 

「中身だけなら、です」

 

 若い声がした。

 

 部屋の端に立っていたルーカス・フェルナーが、机へ近づいてくる。

 

 古参の錬金術師たちは、露骨に眉をひそめた。若手がギルド長の結論へ口を挟むことを快く思っていない。

 

 ルーカスは気にせず、1本の瓶を手に取った。

 

「問題はこちらです」

 

「瓶がどうした」

 

 古参の1人が鼻を鳴らす。

 

「ガラス瓶など、王都にもいくらでもある」

 

「同じ瓶を12本、並べてください」

 

 ルーカスは静かに返した。

 

「高さも、厚みも、口の広さも、重さも揃えて」

 

「職人を選べばできる」

 

「何本までですか」

 

 古参の男が黙る。

 

 ルーカスは瓶の蓋を摘まんだ。

 

 くるりと回す。

 

 小さな音を立て、蓋が外れる。

 

「コルクではありません」

 

 再び蓋を載せ、逆方向へ回す。

 

 ぴたりと止まった。

 

「開けても欠けない。閉めれば同じ位置で止まる。横にしても漏れません」

 

 瓶を机の上へ寝かせる。

 

 赤い液体は、蓋の隙間から1滴も滲まなかった。

 

「飲み残したポーションを持ち運べる。洗えば別の薬液にも使える。口径が同じですから、蓋も使い回せます」

 

「容器の便利さで薬効は上がらん」

 

「売り物としての価値は上がります」

 

 ルーカスの声は穏やかだったが、引く気はなかった。

 

「中身の品質が同じなら、扱いやすい方を選ぶ者が出ます。中身の品質まで上なら、なおさらです」

 

 フリードリヒは、机の上の瓶へ手を伸ばした。

 

 1本を持ち上げ、指先で回す。

 

 歪みがない。

 

 気泡もほとんど見えない。

 

 底の厚さまで均一だった。

 

「製造元は」

 

「不明です」

 

「侯爵領のガラス工房ではないのか」

 

「既存の工房へ確認しましたが、どこも否定しています」

 

 書記が答える。

 

「最近、使用済み瓶の買い取りが始まっています」

 

 別の紙が差し出された。

 

「買い取り?」

 

「薬師、錬金術師、香油商、香辛料商。用途は様々です。洗って再利用しています」

 

 フリードリヒは紙へ目を落とした。

 

 空瓶の買い取り価格。

 

 中身の入っていない瓶へ払う額としては、異常に高い。

 

「ここまで出すのか」

 

「新品の細口瓶を注文するより安く、しかも密閉性が高いそうです」

 

 室内の隅で、誰かが咳払いした。

 

 フリードリヒが顔を上げる。

 

 古参錬金術師の1人が視線を逸らした。

 

「お前の工房でも使っているのか」

 

「……3本ほど」

 

「買ったのか」

 

「空になったものを、弟子が」

 

「買ったのだな」

 

「瓶が良いので」

 

 悪びれた様子がない。

 

 むしろ職人として当然の判断をした顔だった。

 

「中身を作る側が、他領の瓶を買い戻してどうする」

 

「ですから、瓶が良いのです」

 

 先ほどと同じ答えが返ってきた。

 

 何人かが口元を押さえる。

 

 笑い話のようでいて、フリードリヒには笑えなかった。

 

 王都の錬金術師が、地方から来たポーションの空瓶をありがたがっている。

 

 技術の優劣を、これほど分かりやすく突きつける光景はなかった。

 

「王都のガラス職人へ依頼する」

 

 フリードリヒは瓶を立て直した。

 

「同じものを作らせろ」

 

「すでに依頼しております」

 

 書記の返事に、ルーカスが僅かに目を伏せた。

 

「今日、結果が出る予定です」

 

 

 

 

 

 王都でも名の知れたガラス工房では、親方の怒鳴り声が朝から途切れていなかった。

 

「違う! 口が広い!」

 

 火床の前で、弟子が肩をすくめる。

 

 長い吹き竿の先には、まだ赤く熱を持った小瓶が付いていた。

 

「見本に合わせました!」

 

「合わせたつもりで合わせられるなら、苦労はせん!」

 

 親方は弟子の手から竿を奪い、台の上へ転がした。

 

 隣には、侯爵領製の空瓶が1本置かれている。

 

 さらに、その横には試作品が10本ほど並んでいた。

 

 高さが違う。

 

 底の厚さが違う。

 

 肩の丸みが違う。

 

 細口部分も僅かずつ歪んでいる。

 

 遠目なら似ている。

 

 しかし、同じ蓋を付けようとすれば差が出た。

 

 閉まらない。

 

 途中で引っ掛かる。

 

 最後まで回しても、液が漏れる。

 

「蓋の方を1本ずつ合わせれば使えます」

 

 弟子が恐る恐る言う。

 

「それでは意味がない」

 

 親方は吐き捨てた。

 

「この瓶の価値は、どの瓶にも同じ蓋が使えることだ」

 

 見本の蓋を試作品へ載せる。

 

 半分も回らず止まった。

 

「口の太さだけじゃない。溝も同じ深さで、同じ角度だ。職人が1本ずつ削った跡じゃねぇ」

 

「型ですか」

 

「型だけで、この透明さと薄さを揃えられるものか」

 

 親方は侯爵領の瓶を光へ透かした。

 

 火床の光が、歪まず向こう側へ抜ける。

 

「砂が違う。火が違う。作り方も違う」

 

「全部違うじゃないですか」

 

「だから腹が立っている」

 

 弟子は口を閉じた。

 

 親方は別の試作品へ蓋を載せ、無理に回した。

 

 甲高い音がして、瓶の口が欠ける。

 

「くそっ」

 

 破片を炉の脇へ投げる。

 

 これまで、王都で作れぬガラス製品はないと思っていた。

 

 王侯貴族の食卓を飾る杯。

 

 魔道具へ使う薄板。

 

 色ガラスの装飾窓。

 

 難しい品はいくらでもあったが、どれも職人の腕で作ってきた。

 

 それが今、手のひらへ収まる小瓶1本に負けている。

 

「親方」

 

「なんだ」

 

「同じものが作れないなら」

 

 弟子は見本の瓶を指差した。

 

「瓶だけ買えませんかね」

 

 親方の拳が弟子の頭へ落ちた。

 

「職人がそんなことを言うな!」

 

「痛い!」

 

「作れないなら作れるまで試すんだ!」

 

 怒鳴ったあと、親方は見本の瓶を布で丁寧に包み、棚の奥へ戻した。

 

 弟子は頭を押さえながら、その手つきを見ていた。

 

「大事にしていますよね」

 

「見本だからだ」

 

「買う気ですよね」

 

「黙って火を見ろ!」

 

 

 

 

 

 黒鎖商会本店の執務室には、王都の市場から集められた空瓶が5本並べられていた。

 

 会頭ヘルムート・グライフは、ギルドや職人とは違う目で瓶を見ていた。

 

 薬効には興味がない。

 

 美しさにも興味がない。

 

 いくらで仕入れられ、いくらで売れ、誰が欲しがり、どの市場を奪うか。

 

 彼にとって、技術とは利益へ変換される前の資源だった。

 

「回収数は」

 

 向かいに座る副会頭ブルーノ・アイゼンが帳票を開く。

 

「王都内で確認できた侯爵領製の瓶は、およそ240本。そのうち78本を確保しました」

 

「少ないな」

 

「買い取り価格が上がっています。薬師だけでなく、香油商や貴族家の侍女まで集め始めています」

 

「中身より空瓶の方が競りになるとはな」

 

 ヘルムートは蓋を回した。

 

 滑らかに外れる。

 

 何度見ても、単純な仕組みに見えた。

 

 単純だからこそ厄介だった。

 

 仕組みが分かることと、作れることは違う。

 

「ガラス工房は」

 

「再現不能との回答です」

 

「職人の腕ではない」

 

 ヘルムートが呟く。

 

「設備か、原料か。あるいは、その両方」

 

 壁際に立つ情報責任者ヴィルヘルム・クロイツが、折り畳んだ地図を机へ広げた。

 

「侯爵領内で瓶を製造していると見られる工房は、まだ確認できていません」

 

「ガラス職人を探せ」

 

「既存工房は全て洗いました。最近、急に規模を拡大した所もありません」

 

「ならば、表にない」

 

 ヘルムートは即座に判断した。

 

「侯爵家直轄か、あの商会が持つ技術か」

 

「押入商会ですか」

 

 ブルーノが嫌そうに名を口にする。

 

 黒鎖商会にとって、最近その名は報告書へ頻繁に現れるようになっていた。

 

 家具。

 

 食料。

 

 橋。

 

 鉱石。

 

 町の再建。

 

 錬金工房。

 

 薬草園。

 

 商会という言葉で括るには、関わる分野が広すぎる。

 

「瓶の流れを追え」

 

 ヘルムートはヴィルヘルムへ命じた。

 

「どこからセルマ工房へ入る。誰が受け取る。空箱はどこへ戻る。全てだ」

 

「工房への潜入は」

 

「まだ要らん」

 

「弟子への接触も?」

 

「するな」

 

 ヘルムートは瓶を机へ戻した。

 

「相手が何を持っているか分からぬ段階で、欲を出すな」

 

 ヴィルヘルムが頷く。

 

 彼の後ろには、4人の男女が並んでいた。

 

 薬材商の助手。

 

 旅の薬師。

 

 小口の行商人。

 

 荷運び人夫。

 

 どこにでもいる姿へ整えられている。

 

「見るだけだ」

 

 ヴィルヘルムが4人へ言う。

 

「聞け。覚えろ。金を使っても構わん。ただし、盗むな。脅すな。誰にも傷を付けるな」

 

「瓶は回収しますか」

 

 薬師姿の男が尋ねる。

 

「市場へ出た物だけだ。工房の中へ手を出すな」

 

「製造者を見つけた場合は」

 

「報告しろ」

 

 ヘルムートが答えた。

 

「近づくのは、それからだ」

 

 4人は頭を下げた。

 

 静かな命令だった。

 

 しかし、その静けさの底には、王都最大級の商会が動き始める重さがあった。

 

 

 

 

 

「最近、瓶が返ってこないんだよ」

 

 リュシアは木箱の中を覗き込み、空いた仕切りを指で数えた。

 

 リュシア商会の荷捌き場には、セルマ工房へ運ぶ薬材と、出来上がったポーションを入れる箱が積まれている。

 

 以前なら、納品先で中身を使い終えた瓶が、ある程度まとまって戻ってきていた。

 

 最近は、それが少ない。

 

「割れているのかしら」

 

 セルマが首を傾げる。

 

「この瓶、そう簡単には割れないだろう?」

 

「落とせば割れるわよ」

 

「落とさなければ割れない」

 

「それはどんな瓶も同じでしょう」

 

 2人が言い合う横で、ヴァルトは箱の仕切りを見つめていた。

 

 返ってこない理由へ、心当たりがありすぎる。

 

「ヴァルトさんは、どう思う?」

 

 セルマに呼ばれ、僅かに肩が跳ねた。

 

「ええと……大事に使われているのではないでしょうか」

 

「空瓶を?」

 

「再利用できますから」

 

 リュシアが目を細める。

 

「売れてると思うかい」

 

「可能性はあります」

 

「空瓶が?」

 

「はい」

 

 リュシアの商人の目が光った。

 

「中身を飲み終えた後まで価値が残るなら、容器代を別に取れるね」

 

「取らないでください」

 

「何でさ」

 

「王都をこれ以上刺激しないためです」

 

「空瓶代で王都が怒るのかい?」

 

「空瓶だから怒るんです」

 

 ヴァルトは額を押さえた。

 

「王都では、同じ物を作れない可能性があります」

 

 セルマが手元の瓶を持ち上げる。

 

「これを?」

 

「透明なガラスの材料も、蓋付きの瓶を同じ寸法で作る設備も、こちらにはありません」

 

「でも、作り方を盗まれる心配はないだろう?」

 

 リュシアは瓶を光へ透かしながら言った。

 

「透明なペレットを作る所から、真壁がやっているんだから」

 

「そうです」

 

 ヴァルトは頷いた。

 

「技術が流出する可能性は低いです」

 

 澪が少し安心したように息を吐いた。

 

「では、大丈夫なんですね」

 

「違います」

 

 ヴァルトは即座に否定した。

 

 澪の表情が固まる。

 

「技術を盗めないからこそ、狙われます」

 

「誰がですか」

 

 ヴァルトは真壁を見た。

 

 当の本人は、箱へ入れる瓶の数を確認している。

 

「真壁さんです」

 

 真壁が顔を上げた。

 

「私をですか」

 

 本気で不思議そうだった。

 

「はい」

 

 ヴァルトは続け、今度は澪へ視線を向けた。

 

「澪さんもです」

 

「私も?」

 

「収納、鑑定、ゲンダイの知識、真壁さんとの関係。瓶だけではありません。工房も、薬草園も、家具も、全てお2人が関わっています」

 

 荷捌き場の空気が少し変わった。

 

 セルマが瓶を置く。

 

「攫われる、ということ?」

 

「最悪の場合は」

 

 ヴァルトは言葉を選んだ。

 

「最初は勧誘でしょう。金、地位、研究環境、貴族家の保護。それで動かなければ、家族や周囲を調べる者も出ます」

 

「面倒だねえ」

 

 リュシアの感想は軽かった。

 

「真壁は、荒事になったところで一掃するだろうけど」

 

 ヴァルトが思わず真壁を見た。

 

「……そうなんですか」

 

 真壁は瓶を箱へ戻し、静かに蓋を閉じた。

 

「元軍人です」

 

 それだけでは足りないと思ったのか、ヴァルトへ視線を向ける。

 

「危険を予測し、備え、排除する。それが仕事でした」

 

 ヴァルトは一瞬、言葉を失った。

 

 行商人としての真壁。

 

 工房を建てる真壁。

 

 薬草園を改造する真壁。

 

 巨大牛を穴へ落とし、レールガンを撃ち、空を飛ぶ乗り物で魔物の群れへ突っ込んだ真壁。

 

 考えてみれば、元軍人と聞いて納得できる材料は揃いすぎていた。

 

「リスク管理は、お手の物ですよ。ヴァルト君」

 

 真壁が落ち着いた声で付け加える。

 

「その言い方が、一番安心できません」

 

 ヴァルトは素直な感想を漏らした。

 

 

 

 

 

 六畳間へ場所を移しても、ヴァルトの不安は減らなかった。

 

 座卓には湯飲みと菓子が並び、澪、真壁、リュシア、セルマが座っている。

 

 見た目だけなら、少し人数の多いお茶会だった。

 

 話題は誘拐と政治的暗闘である。

 

「つまり、瓶は盗まれない」

 

 澪が確認するように言った。

 

「製造設備そのものがありませんから」

 

 ヴァルトは頷く。

 

「真壁さんが収納内で原料を加工し、同じ形へ成形している。外から見ても再現できません」

 

「では、見学させても問題ないのでは」

 

「何も分からないことが分かります」

 

「それだけですか?」

 

「そして、作れる人間を欲しがります」

 

 澪は湯飲みへ視線を落とした。

 

 自分が狙われるという実感が、まだ持てないのだろう。

 

 真壁も似たようなものだった。

 

「私を連れて行ったところで、彼らの望む物を作るとは限りませんが」

 

「相手は、断られてから考えます」

 

 ヴァルトは疲れた声で答えた。

 

「その前に諦める人ばかりなら、王都はもっと平和でした」

 

「真壁を無理やり連れていこうとするなら、その人たちの方が気の毒だね」

 

 リュシアが菓子を摘まむ。

 

「連れていく途中で、人生から退場するだろうさ」

 

「軽く言わないでください」

 

「でも事実だろう?」

 

 ヴァルトは否定できなかった。

 

 真壁が何者か知らずに荒事へ出れば、痛い目を見るのは相手である。

 

 知っていて出れば、なお悪い。

 

「しかし」

 

 真壁は湯飲みを静かに置いた。

 

「まずは敵を知る」

 

 一同の視線が集まる。

 

「話はそこからですな」

 

 ヴァルトは目を丸くした。

 

「……孫子ですか」

 

「ええ」

 

 真壁は僅かに頷いた。

 

「優れた兵法です」

 

 異世界の六畳間で、元王都魔術院の魔術師と元軍人が孫子を共有している。

 

 澪には、その光景だけが妙に現実離れして見えた。

 

「王都魔術院にもあるんですか?」

 

「翻訳本がありました。兵法研究室の蔵書です」

 

「魔術院に兵法研究室まであるんですね」

 

「戦争へ魔術師を出す国ですから」

 

 ヴァルトの返答には、少し苦いものが混じっていた。

 

 真壁がその表情を見て、話を戻す。

 

「ヴァルト君」

 

「はい」

 

「その前に、相手の公爵について何か知っていることはありませんか」

 

 ヴァルトは少し考え込んだ。

 

「ローゼンベルク公爵家ですか」

 

「ええ」

 

「敵を知るには、まず相手を知ることです」

 

 ヴァルトは湯飲みを置き直した。

 

「分かりました。私が知る範囲で、お話しします」

 

 リュシアが身を乗り出す。

 

「どんな公爵なんだい?」

 

「現当主はエアハルト・フォン・ローゼンベルク。王都でも古い家です。王家との婚姻も多く、軍務と魔術師団へ強い影響力を持っています」

 

「侯爵家とは仲が悪いの?」

 

 澪が尋ねる。

 

「露骨に敵対しているわけではありません。ですが、政治的な考え方が違います」

 

「どう違うのかしら」

 

 セルマも真剣な顔になった。

 

「ローゼンベルク公爵家は、王都へ権限と技術を集めるべきだと考えています。地方の貴族家が独自に強くなれば、王国全体がまとまらなくなる、と」

 

「一理はありますね」

 

 澪が言う。

 

「あります」

 

 ヴァルトは否定しなかった。

 

「辺境の領主が勝手に軍を増やし、独自の魔術研究を始めれば、反乱へつながる危険もあります。公爵家の主張が全て間違っているわけではありません」

 

「なら、侯爵領の工房を警戒する理由も分からなくはないわね」

 

 セルマが難しい顔をする。

 

「私たちは人を治す薬を作りたいだけだけれど」

 

「セルマ先生の目的と、公爵家から見える形は別です」

 

 ヴァルトは言葉を選びながら続けた。

 

「大規模な育成施設。薬草の安定供給。高品質ポーション。規格容器。将来、軍へ大量供給できる条件が揃っているように見えます」

 

「軍へ売る予定はないわ」

 

「予定がなくとも、能力があることを警戒されます」

 

 真壁が小さく頷く。

 

「相手の立場なら、当然の判断ですな」

 

 ヴァルトは少し驚いた。

 

「理解されるんですか」

 

「理解と同意は別です」

 

 真壁は湯飲みへ手を伸ばす。

 

「相手が合理的なら、合理的に動く。予測しやすい」

 

「合理的じゃない部分もあります」

 

「例えば」

 

「面子です」

 

 ヴァルトの答えに、リュシアが笑う。

 

「商人にもあるね。儲けより意地を選ぶ馬鹿が」

 

「貴族は、その意地へ兵士と魔術師を付けられます」

 

「笑えないね」

 

「先ほどからずっと笑っていますよ」

 

「癖さ」

 

 リュシアは悪びれなかった。

 

「公爵本人は、感情だけで動く人ではありません」

 

 ヴァルトは話を戻した。

 

「慎重です。自分の家へ利益があるなら、敵対相手とも取引します。ただし、自分の影響下へ入らない力を嫌う」

 

「家令は?」

 

 真壁が尋ねる。

 

「ディートリヒ・ヴァイス。実務を仕切る人物です。公爵より表へ出ませんが、命令を具体的な手段へ変えるのは彼です」

 

「危険ですか」

 

 澪の質問へ、ヴァルトは少し考えた。

 

「有能です。感情で失敗する種類ではありません。必要なら商人を使い、魔術師を使い、役人を使う。自分の名は出さないでしょう」

 

「黒鎖商会との関係は」

 

 真壁が続ける。

 

「公式には、有力な取引先です」

 

「公式ではない方は?」

 

「分かりません」

 

 ヴァルトははっきり答えた。

 

「王都では、黒鎖商会が公爵派の資金や物流を支えているという噂があります。しかし証拠を見たことはありません」

 

「知らないことは知らない、か」

 

 リュシアが感心したように言う。

 

「噂を事実として扱えば、相手と同じになります」

 

「魔術顧問は、ジークフリートという人でしたね」

 

 澪が設定を思い出すように尋ねた。

 

 ヴァルトの表情が僅かに変わった。

 

「ジークフリート・ライナー。元は王都魔術院の研究者です」

 

「知り合いですか」

 

「何度か指導を受けました」

 

「恩師?」

 

「そこまで近くはありません。ただ、研究者としては尊敬しています」

 

「公爵派なのに?」

 

 セルマが不思議そうに言う。

 

「公爵家へ仕えているからといって、全員が同じ考えではありません」

 

 ヴァルトは答えた。

 

「ジークフリート先生は、政治より魔術研究を優先します。侯爵領の工房を潰せと言われれば、反対する可能性があります」

 

「こちらへ来る可能性も?」

 

「見学には来たがるでしょう」

 

 ヴァルトは想像し、さらに顔を曇らせた。

 

「来たら帰らないかもしれません」

 

「そんなに研究好きなんですか」

 

「王都魔術院の資料庫で3日寝た人です」

 

「それはヴァルトさんも似たようなものでは?」

 

 澪の言葉に、ヴァルトが目を逸らした。

 

「私は2日です」

 

「競うところではありません」

 

 六畳間に小さな笑いが広がった。

 

 張り詰めていた空気が、ほんの少し緩む。

 

「王都魔術院そのものは、敵ですか」

 

 セルマが尋ねた。

 

「違います」

 

 ヴァルトは即答した。

 

「敵になる者もいます。味方になる者もいる。何も関わりたくない者も。魔術院は1つの意思で動く組織ではありません」

 

「院長は」

 

「コンラート・アイゼンフェルト院長は研究者です。侯爵領へ興味は持つでしょうが、破壊を命じるような人ではありません」

 

「公爵派は魔術院にもいる」

 

 真壁が確認する。

 

「はい。予算、役職、研究室。それぞれに派閥があります」

 

「黒鎖商会は公爵家の目と耳」

 

「そう考えた方がよいでしょう。ただし、黒鎖商会は公爵家のためだけに動く商会ではありません」

 

「利益があれば、公爵も売る?」

 

 リュシアが面白そうに言う。

 

 ヴァルトはすぐには答えなかった。

 

「可能性はあります」

 

「商人だねえ」

 

「一緒にしないでください」

 

「私は味方を売らないよ」

 

「黒鎖商会も、利益が続く間は売らないでしょう」

 

 真壁は静かに聞いていた。

 

 質問するたび、相手の輪郭が少しずつ形になる。

 

 巨大な公爵家。

 

 その実務を担う家令。

 

 研究を優先する魔術顧問。

 

 利害で結び付く黒鎖商会。

 

 派閥に分かれた王都魔術院。

 

 誰もが同じ敵ではない。

 

 誰もが味方でもない。

 

「なるほど」

 

 真壁は最後に短く言った。

 

「まずは相手を知る」

 

 湯飲みを静かに置く。

 

「良い収穫でした」

 

 ヴァルトは少しだけ肩の力を抜いた。

 

 話を理解してもらえた。

 

 少なくとも、いきなり公爵家へ突撃する気はないらしい。

 

 その安心は、長く続かなかった。

 

 

 

 

 

 王都を出た荷馬車が、夕暮れの街道を南へ進んでいた。

 

 御者台には、小口の薬材商を装った男。

 

 荷台には、旅の薬師、行商人、荷運び人夫。

 

 荷物の中には、空の木箱と買い付け用の金、王都で集めた侯爵領製の瓶が収められている。

 

「まずは見るだけだ」

 

 薬師姿の男が、ヴィルヘルムから受けた命令を繰り返した。

 

「分かっている」

 

 御者が答える。

 

「余計なことをするなよ」

 

「そちらこそ」

 

 馬車は街道を進む。

 

 目的地は侯爵領。

 

 遠く離れた町で、巨大な錬金工房が夕日を受けて白く輝いていた。

 

 

 

 

 

 同じ夕方、六畳間では真壁が収納から木箱を取り出していた。

 

「それは何ですか」

 

 澪は尋ねる前から答えを予想していた。

 

「ポーション容器です」

 

 木箱の蓋が開く。

 

 同じ形の透明な小瓶が、整然と並んでいる。

 

「この前、追加で1万本出しましたよね」

 

「需要が増えております」

 

「まさか、また作ったんですか」

 

「5,000本ほど」

 

 ヴァルトが固まった。

 

「増やしたんですか」

 

「不足してからでは遅い」

 

「今、瓶が王都を刺激していると説明したばかりです!」

 

 真壁は1本を取り出し、光へ透かした。

 

「品質に問題はありません」

 

「品質が良すぎるのが問題なんです!」

 

 リュシアが瓶を受け取り、蓋を回す。

 

「空瓶だけ売るのも悪くないね」

 

「リュシアさん!」

 

「需要があるんだろう?」

 

「ありますが、売らないでください!」

 

「商人へ売れる物を売るなと言うのかい」

 

「今だけは!」

 

 澪も木箱を覗き込み、頭を抱えた。

 

「増やさなくていいです!」

 

「備えあれば憂いなし」

 

 真壁は蓋を戻し、箱へ収める。

 

「その備えが王都を刺激しているんです!」

 

 ヴァルトの声が六畳間へ響いた。

 

 窓の外では、押し入れの向こう側の町へ夜が下り始めている。

 

 王都から来た密偵を乗せた荷馬車が近づいていることを、まだ誰も知らない。

 

 敵を知るための話し合いを終えたその日に、敵もまた、彼らを知るために動き始めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。