押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第184話 公爵家の会議

 

 ローゼンベルク公爵家の大会議室では、暖炉の火が静かに薪を崩していた。

 

 厚いカーテンの隙間から見える庭は、晩秋の色へ沈んでいる。枝に残った葉は少なく、風が通るたび、赤茶けた1枚が石畳へ落ちていった。

 

 磨き上げられた長机の中央には、小さなガラス瓶が置かれている。

 

 エアハルト・フォン・ローゼンベルクは、それを指先でつまみ上げた。

 

 中身はすでに使われている。王都の薬店から回収された、侯爵領製ポーションの空き瓶だった。透明度が高く、口の太さも、底の厚みも、隣に並べられた瓶とほとんど変わらない。

 

 窓から差す鈍い光へ透かすと、ガラスの中に歪みらしい歪みが見つからなかった。

 

「同じ物か」

 

 公爵の問いに、主席錬金術師カスパル・ノイマンが椅子から身を乗り出した。

 

「少なくとも、職人が目分量で1本ずつ作った物ではありません」

 

 カスパルは机上の3本を順に手へ取った。指先で口をなぞり、底を並べ、最後に細い計測具を当てる。

 

「容量差は、王都の一般的な薬瓶より遥かに小さい。密閉具の寸法も揃っています。これなら、同じ量を詰め、同じ条件で保管し、劣化の差を比較できる」

 

「瓶の話をしているのか、薬の話をしているのか分からんな」

 

 騎士団長エルンスト・バウアーが腕を組んだ。

 

「同じ話です」

 

 カスパルは顔を上げずに答えた。

 

「中身だけ良くても、容器が不揃いなら品質は揃いません。薬量が違えば効き方が変わる。密閉が甘ければ保管期間も変わる。運ぶ途中で割れれば、良薬もただの濡れた荷です」

 

 彼は瓶をそっと戻した。

 

「これは、良い薬を作ったという話ではありません。良い薬を、同じ品質で作り続けようとしている話です」

 

 エアハルトは、瓶の隣へ置かれた報告書へ目を移した。

 

 王都錬金術師ギルドの品質評価。

 

 薬草園の改良に関する商人の証言。

 

 新設された錬金術師育成工房の見取り図。

 

 押入商会の取引先と、短期間で広がった活動範囲。

 

 別々の者が集めた情報であり、書式も精度も揃ってはいない。だが、机の上へ並べれば、1つの流れが見えてくる。

 

 薬草を育てる者がいる。

 

 薬を作る者がいる。

 

 容器を用意する者がいる。

 

 弟子へ技術を教える場所がある。

 

 弟子が生活する住居があり、食事も浴場も備えられている。

 

 完成品を運び、売る商会がある。

 

 珍しい薬師が1人現れたのではない。

 

 薬師が増える仕組みが生まれようとしている。

 

「問題は、良い薬が作られたことではない」

 

 エアハルトは瓶を机へ戻した。

 

 小さな音だったが、会議室にいた全員の視線が集まった。

 

「良い薬を作る者が、増え続ける仕組みが生まれたことだ」

 

 魔術顧問ジークフリート・ライナーが、工房の見取り図へ目を落とす。

 

「報告どおりの設備なら、5年後の生産量は現在とは比較になりません」

 

「5年も必要か」

 

 家令ディートリヒ・ヴァイスが問うた。

 

「弟子の数と教育内容によります。ただ、教室と共用作業室を分け、材料庫まで管理している。思いつきで建てた工房ではないでしょう」

 

 ジークフリートは、図面の一角を指した。

 

「図書室もあります。技術を口伝だけにしないつもりです」

 

 カスパルの表情が僅かに険しくなる。

 

「それが最も厄介です」

 

「厄介、か」

 

「王都にとっては」

 

 カスパルは言葉を選びながら続けた。

 

「優れた職人が技術を抱えたまま死ねば、次の世代は最初からやり直します。記録し、教え、同じ道具を使わせるなら、失敗も蓄積される。王都が師弟ごとに分かれて競っている間に、あちらは工房全体で技術を積み上げるでしょう」

 

 エルンストが眉を寄せた。

 

「薬師が増えること自体は、悪いことではあるまい」

 

「悪くありません」

 

 エアハルトが答えた。

 

「だからこそ問題になる」

 

 エルンストは公爵を見た。

 

「良い物が生まれ、領民が豊かになる。それがなぜ問題なのです」

 

「ヴァルディス侯爵領だけで完結するからだ」

 

 エアハルトは資料を1枚引き寄せた。

 

「薬草、容器、薬師、流通。外へ頭を下げずに揃う。しかも、これを作ったのは侯爵家の古い官僚機構ではない。数年前まで名もなかった商会と、突然現れた者たちだ」

 

 押入商会。

 

 報告書の表題に、その名がある。

 

 家具。

 

 鉱物。

 

 食品。

 

 酒。

 

 薬。

 

 教育施設。

 

 扱う分野が広すぎる。

 

 それぞれに専門家がいるのならまだ分かる。だが報告の多くは、真壁と澪という2人の名へ行き着いていた。

 

 ディートリヒが指を組んだ。

 

「正面から問い詰めれば、相手へ警戒する理由を与えるだけです」

 

「では、放置するか」

 

「いいえ」

 

 家令の声に迷いはなかった。

 

「相手が何を持つか分からない段階で、敵だと名乗る必要はありません。まず価値を測ります」

 

 ディートリヒは、押入商会の人物相関が記された紙を机の中央へ滑らせた。

 

「この真壁という男が、どこまで技術へ関わっているのか。澪という娘が、単なる商会員なのか。工房の弟子は何人で、誰が教えているのか。瓶は領内で作っているのか、それとも別の土地から運び込んでいるのか」

 

 指先が紙の上を移動する。

 

「侯爵家と商会の契約も確認すべきです。商会が侯爵家の庇護下にあるだけなのか、それとも領政そのものへ入り込んでいるのか」

 

「入り込んでいる、とは随分な言い方です」

 

 ジークフリートが静かに口を挟んだ。

 

「事実が分からぬから調べるのです」

 

「調べることには反対しません」

 

「では何に」

 

 ジークフリートの視線が、机の端に置かれた魔術院の報告へ移った。

 

 オスヴァルト・クライン。

 

 公式捜索は終了した。

 

 しかし侯爵領周辺で確認された魔術式に、本人の癖と似た処理があったという。

 

 確証ではない。

 

 それでも、王都の一部では生存説が囁かれ始めている。

 

「オスヴァルトが生きていた場合です」

 

 ジークフリートは言った。

 

「まず本人へ聞くべきでしょう」

 

「魔術院へ戻る意思がないと言えば、そのまま認めるのですか」

 

 ディートリヒの問いに、ジークフリートはすぐ答えなかった。

 

 暖炉の薪が小さく爆ぜる。

 

「理由を聞きます」

 

「理由」

 

「王都を去った理由です」

 

 ジークフリートは机上の魔術院報告へ手を伸ばさなかった。

 

「理由も聞かずに鎖を付けるのは、研究者を道具と考える者の仕事です」

 

 ディートリヒの眉が僅かに動いた。

 

「公爵家の利益より、研究者の気分を優先すると」

 

「人材を壊さないことが、公爵家の利益にならないとお考えですか」

 

 2人の間へ冷たいものが落ちた。

 

 エアハルトは、どちらも止めなかった。

 

 ジークフリートは公爵家へ忠誠を誓っている。ただし、未知の技術を恐れ、技術者を拘束し、使えなくなるまで追い詰めることを利益とは考えない。

 

 ディートリヒもまた、無用に人を傷つけたいわけではなかった。彼が守ろうとしているのは、公爵家の地位と選択肢である。

 

「セルマの工房についても同じです」

 

 カスパルが口を開いた。

 

「王都より優れているなら、学ぶべきです」

 

「学ばせてもらえると?」

 

「頼みもせず、盗む話を先にする必要はありません」

 

 カスパルは不愉快そうに空瓶を指で押さえた。

 

「技術を盗めば、王都の錬金術師全体が、地方工房を恐れたことになります。しかも再現できなければ、信用まで失う」

 

「断られたら」

 

「条件を変えて頼みます」

 

「それでも断られたら」

 

「なぜ断られたのかを考えます」

 

 ディートリヒは小さく息を吐いた。

 

「技術者は気長ですな」

 

「盗人よりは」

 

 エルンストの口元が僅かに動いたが、笑いはしなかった。

 

 彼は椅子の背から体を起こした。

 

「調査は必要でしょう。しかし、商人や弟子へ剣を向ける話なら、私は反対します」

 

「まだ誰も剣とは言っていない」

 

「今、言っておくのです」

 

 エルンストは公爵へ向いた。

 

「相手が剣を抜かぬ限り、こちらからは抜きません」

 

 騎士団長の言葉は頑固だったが、臆病ではなかった。

 

 武力を扱う者だからこそ、抜いた後に戻れないことを知っている。

 

 エアハルトは机上の資料を見渡した。

 

 学びたい者。

 

 調べたい者。

 

 守りたい者。

 

 公爵家の地位を維持したい者。

 

 意見は割れている。

 

 それでも、誰も侯爵領を無視してよいとは考えていなかった。

 

「まず見る」

 

 エアハルトが告げた。

 

「まだ手は出すな」

 

 ディートリヒが僅かに頭を下げる。

 

「承知しました」

 

「相手が敵かどうかも、決まっていない」

 

 エアハルトは再び小瓶を持ち上げた。

 

 透明なガラスの向こうで、暖炉の火が歪まず揺れた。

 

「だからこそ、敵になる前に知れ」

 

 

 

 

 

 会議が終わって半刻後、ディートリヒの執務室には、黒鎖商会会頭ヘルムート・グライフが座っていた。

 

 彼の前には、使い込まれた革鞄が置かれている。

 

 鞄から出されたのは、王都の薬店で回収した空瓶、購入記録、売買価格の推移、侯爵領へ向かう商人たちの名簿だった。

 

「すでに動いているようだな」

 

「瓶が高く売れると分かった時点で、商人は動きます」

 

 ヘルムートは回収した瓶の1つを指先で転がした。

 

「私が命じなくてもです」

 

「だから、誰より先にまとめた」

 

「商会は、他人が動いてから理由を考えていては遅れます」

 

 ディートリヒは、持参された報告をめくった。

 

 侯爵領へ薬材を運ぶ者。

 

 ポーションを買い付けたい者。

 

 職を求めて領都へ向かう職人。

 

 旅程だけ見れば、どこにでもいる商人ばかりである。

 

「瓶の作り方だけを探すな」

 

 ディートリヒは報告書を閉じた。

 

「誰が作れるのかを探せ」

 

 ヘルムートの指が止まる。

 

「誰が守っているのかもだ」

 

「工房へ潜らせますか」

 

「早い」

 

「私もそう思います」

 

 ヘルムートは瓶を机へ置いた。

 

「最初から塀を越えれば、塀の高さしか分かりません」

 

「では」

 

「客として入ります」

 

 会頭は、名簿から数枚を抜いた。

 

「薬材商なら、薬草園へ行く理由がある。買い付け人ならポーションの数量と納期を尋ねられる。瓶を大量注文すれば、供給元を探ろうとするのは商売として不自然ではない」

 

 別の紙を机へ置く。

 

「錬金術師なら工房を見たがる。弟子志願者なら教育内容を聞ける。職人なら押入家具へ近づける。王都魔術院が正式視察を出すなら、その動きへ商人を合わせることもできます」

 

「魔術院の者は我々の命令で動かん」

 

「ですから、利用するのではなく、同じ時期へ重ねるのです」

 

 ヘルムートは穏やかに笑った。

 

「客が1組なら、店は客を見る。客が5組なら、店は順番を見る」

 

 ディートリヒは、笑い返さなかった。

 

「敵として近づけば、敵の顔しか見えません」

 

 ヘルムートは続ける。

 

「客として近づけば、店の中まで見せてもらえます」

 

「見せられた物だけだ」

 

「最初は、それで十分です」

 

 ディートリヒは椅子へ深く座った。

 

「盗難は認めない」

 

「承知しています」

 

「誘拐も、破壊も、暗殺もだ」

 

 ヘルムートの笑みが消えた。

 

「そこまで命じられるとは思っておりませんでした」

 

「思っていない者が、利益を目の前にして思いつくことがある」

 

 家令は名簿を指で押さえた。

 

「失敗すれば、公爵家の名へつながる。欲を出すな」

 

「承知しました」

 

 返事に軽さはなかった。

 

 ヘルムートもまた、公爵家の威を借りて無謀な賭けへ出るつもりはない。

 

 壊してしまえば、価値は測れない。

 

 人を攫えば、残った者は口を閉ざす。

 

 剣より金。

 

 脅しより商談。

 

 秘密を暴く前に、秘密を持つ者が何を望んでいるかを知る。

 

 商人にとって、それは特別な技術ではなかった。

 

 

 

 

 

 クララ・ローゼンベルクが父の執務室を訪れた時、廊下へ出てきた2人の男と鉢合わせた。

 

 家令ディートリヒと、黒鎖商会会頭ヘルムート。

 

 2人はすぐ足を止め、礼をした。

 

「クララ様」

 

「お仕事中でしたか」

 

「ただの商談でございます」

 

 ディートリヒの返答は滑らかだった。

 

 それでも、普段の商談を終えた時とは空気が違う。

 

 ヘルムートの革鞄は膨らんでおり、表情には愛想が戻っている。だが執務室の扉が閉まるまで、2人とも会話を再開しなかった。

 

 クララは、抱えていた本を胸元へ寄せた。

 

「父上はいらっしゃる?」

 

「会議室でございます。じきにお戻りになります」

 

「では、本だけ置いていくわ」

 

 ディートリヒは扉を開け、道を譲った。

 

 クララは執務室へ入り、父の机へ近づいた。

 

 無断で書類を読むつもりはない。

 

 借りていた本を置き、すぐ出るつもりだった。

 

 けれど机上には、閉じられていない資料が残っていた。

 

 錬金術師育成工房。

 

 薬草園。

 

 セルマ。

 

 押入商会。

 

 目へ入ったのは、それだけである。

 

 紙の端には、何人かの名と、施設を結ぶ線が描かれていた。

 

 クララは本を置いた。

 

 薬を作る工房。

 

 そこで学ぶ弟子。

 

 薬草を育てる家族。

 

 その薬を必要とする患者。

 

 父が何を恐れているのか、クララにはまだ分からない。

 

 ただ、机上の名前は全て、人が暮らしている場所へつながっていた。

 

「人を治す薬を作ることまで、争いになるの……?」

 

 小さな声へ答える者はいない。

 

 クララは紙へ触れず、執務室を出た。

 

 扉を閉めたあとも、押入商会という見慣れない名だけが頭に残った。

 

 

 

 

 

 採石場秘密基地の大型モニターには、夜の岩場が映っていた。

 

 赤外線映像では、昼の熱が残った岩がぼんやりと明るい。別の画面には、通信機器の稼働状態が並び、その隣では見慣れた現代側の文字が次々と表示されている。

 

 真壁さんはノートパソコンの前で、同じような質問を何度も入力していた。

 

 答えが出る。

 

 条件を変える。

 

 また答えが出る。

 

 保存する。

 

 別の条件を追加する。

 

 私は少し離れた椅子から眺めていたが、さすがに何をしているのか分からなくなった。

 

「生成AIに、敵が何をするか聞いているんですか?」

 

「未来を聞いているのではありません」

 

 真壁さんは画面から目を離さなかった。

 

「見落としを減らします」

 

 入力欄には、王都の組織や人物について、ヴァルトさんから聞いた情報が整理されている。

 

 ローゼンベルク公爵家は慎重。

 

 家令は実務を重視。

 

 黒鎖商会は利益を優先。

 

 魔術院は一枚岩ではない。

 

 錬金術師ギルドは、侯爵領の品質向上へ危機感を持っている。

 

 真壁さんは、それらを1つの大きな敵としてまとめなかった。

 

 公爵家が合理的に動いた場合。

 

 黒鎖商会が独自の利益を追った場合。

 

 魔術院が正式な照会を出した場合。

 

 こちらが接触を拒んだ場合。

 

 高額な勧誘を断った場合。

 

 弟子や職人が相手の話へ乗った場合。

 

 条件を変えるたび、画面上の確率も動いた。

 

「また変わりました」

 

 私は、先ほどまで55%だった正式視察の数字が上がったことに気づいた。

 

「同じ相手なのに、どうしてですか?」

 

「入力した条件が違います」

 

 真壁さんは、複数の予測結果を横へ並べた。

 

 正規の商談や買い付けは、多くの条件で高い。

 

 商人や旅人を装った市場調査も、ほぼ同じ位置にある。

 

 正式視察は条件によって大きく動き、買収や人材勧誘はその少し下。

 

 盗難はさらに低く、誘拐や暗殺は初期段階ではかなり低い。

 

「確率は答えではありません」

 

 真壁さんは言った。

 

「備える順番を決める材料です」

 

 向かい側で画面を読んでいたヴァルトさんが、腕を組む。

 

「使うけれど、信じないのですね」

 

「いかにも」

 

「ずいぶん便利なような、不便なような」

 

「予測に従うのではありません」

 

 真壁さんは、別条件の結果を開いた。

 

「予測を疑うために使います」

 

 ヴァルトさんは、しばらく画面を見比べていた。

 

 やがて、正式視察の項目を指す。

 

「これは、もう少し高いと思います」

 

「理由を」

 

「魔術院長が、直接密偵を送るとは考えにくいからです」

 

 ヴァルトさんの声から、先ほどまでの軽い戸惑いが消える。

 

「最初は正式な文書で来るでしょう。施設を見せてほしい。技術交流をしたい。オスヴァルト・クラインについて確認したい。名目はいくつか作れます」

 

 自分の本名を口にしても、ヴァルトさんの表情は変わらない。

 

 けれど指先だけが、机を1度叩いた。

 

「正式な視察者なら、全員が敵なんですか?」

 

 私が尋ねると、ヴァルトさんは首を振った。

 

「それが難しいところです」

 

「善意の人もいる?」

 

「教育施設に興味を持つ者。新しい魔術理論を見たい者。私を心配している元同僚。公爵家の意向を受けている者」

 

 ヴァルトさんは画面の組織名を順に見た。

 

「同じ視察団に、全く違う目的の者が混ざることもあります」

 

「公爵家と魔術院は、一緒ではないんですね」

 

「公爵家、黒鎖商会、魔術院、錬金術師ギルド。全てが同じ命令で動くとは限りません」

 

 ヴァルトさんは、今度は商談の項目を指した。

 

「表では正式な買い付け。裏では取引先や弟子を調べる。断れば、別の商人が来る。こちらから見れば別々の客ですが、結果として同じ情報を集めることになります」

 

 真壁さんが頷く。

 

「単一の敵組織として扱えば、見誤る」

 

「はい」

 

 ヴァルトさんの返事は早かった。

 

「味方になり得る者まで、敵へ追いやります」

 

 真壁さんは、生成AIへ条件を追加した。

 

 正式視察を全面拒否。

 

 勧誘者を拘束。

 

 公爵家へ公然と抗議。

 

 調査員の身分を暴露。

 

 再計算された結果では、誘拐や強制連行、破壊工作の確率が上がっていた。

 

「最初が低くても、安心できないんですね」

 

「相手の選択肢を狭めれば、残る手段は強くなります」

 

 真壁さんの声は平坦だった。

 

「何でも拒否すればよいわけではありません」

 

 ヴァルトさんが付け加えた。

 

「通すべき者を通し、見せてよい物を見せる。それでも探ろうとする者を見分ける必要があります」

 

 私は、壁一面のモニターへ目を向けた。

 

 今は秘密基地周辺しか映っていない。

 

 けれど予定どおりなら、領都の門、侯爵家、リュシア商会、セルマさんの工房、押入家具へもつながる。

 

 画面が増える。

 

 連絡が増える。

 

 見るべき相手も増える。

 

「これ、誰が全部見るんですか?」

 

 何気なく聞いたつもりだった。

 

 真壁さんの手が止まった。

 

 ヴァルトさんもモニターを見上げる。

 

「以前、似たような監視網を構築し、運用したことがあります」

 

 真壁さんが椅子から立った。

 

「軍で、ですか?」

 

「軍だけではありません」

 

 ヴァルトさんの問いへ短く答え、壁際のホワイトボードへ向かう。

 

「味方の区域へ、敵の目が入り込んだ時期がありました」

 

 真壁さんは、それ以上を話さなかった。

 

 誰と戦ったのか。

 

 どこで行ったのか。

 

 何人を使ったのか。

 

 私は聞かなかった。

 

 話したくないから黙ったというより、今回必要な部分だけを取り出そうとしているように見えた。

 

 ホワイトボードへ、真壁さんが言葉を書いていく。

 

 監視。

 

 その下へ矢印。

 

 発見。

 

 確認。

 

 分析。

 

 報告。

 

 判断。

 

 現場対応。

 

「カメラを置けば、監視できるわけではありません」

 

 真壁さんはペンを置いた。

 

「映像を見る者。異常かどうか確認する者。複数の情報を照らし合わせる者。誰へ報告するか決める者。現場を動かす者」

 

 白い板に並んだ言葉が、さっきまでの画面より重く見えた。

 

「全て必要です」

 

「ドローンだけでは足りませんか」

 

 ヴァルトさんが尋ねる。

 

「ドローンは眠りません」

 

 真壁さんは、赤外線映像に映る岩を見た。

 

「しかし、考えません」

 

「生成AIは考えるんじゃないんですか?」

 

「整理します。候補を出します。見落としを減らします」

 

 真壁さんは私を見た。

 

「最後に責任を負う判断は、人が行います」

 

 それから、監視組織の仮案作りが始まった。

 

 最初に真壁さんが書いた人数を見て、私は思わず聞いた。

 

「6人で足りますか?」

 

「監視担当だけです」

 

「3交代で2人ずつですよね。休みはどうするんですか?」

 

 真壁さんのペンが止まる。

 

「交代要員を2名」

 

「体調不良が重なったら?」

 

「さらに予備を」

 

「増えましたね」

 

「必要です」

 

 最初の数字が、私の質問1つで早くも変わった。

 

 ヴァルトさんが、別の紙へ魔術記号を書きながら口を挟む。

 

「映像だけでは、魔術的な異常を判断できません」

 

「例えば」

 

「結界反応。魔力隠蔽。偽装札。転移痕跡。魔道具の作動」

 

 ヴァルトさんは数えながら、表情を曇らせた。

 

「普通の商人に見えても、認識阻害が使われていれば別です」

 

「では分析担当に魔術知識を持つ者を」

 

 真壁さんが書き加える。

 

「常時必要ですか?」

 

 私が聞くと、ヴァルトさんは考え込んだ。

 

「全時間帯に高度な術者を置くのは難しいでしょう。一次判定ができる者を配置し、異常時に専門担当を呼ぶ方が現実的です」

 

 真壁さんが頷いた。

 

「日中2名。夜間呼び出し」

 

「私も入っています?」

 

「当然です」

 

 ヴァルトさんは胃の辺りへ手を置いた。

 

「王都から離れたのに、王都より働いている気がします」

 

「まだ人員案を作っているだけです」

 

「その段階で名前が入っています」

 

「適任ですので」

 

 ヴァルトさんは反論しようとしたが、やがて諦めたように椅子へ座った。

 

「……魔術的な判定基準は、私が作ります」

 

「お願いします」

 

 真壁さんの返事は早い。

 

「引き受けるまで待っていたんですか?」

 

 私が聞くと、真壁さんは何も答えなかった。

 

 通信担当。

 

 分析担当。

 

 現場連絡担当。

 

 監督責任者。

 

 役割を書き分けていくと、必要な人はさらに増えた。

 

 全員を新しく雇うのではない。

 

 侯爵家の衛兵。

 

 門番。

 

 文官。

 

 伝令。

 

 魔術師。

 

 それぞれの中から向いた者を選ぶ。

 

「誰を選ぶんですか?」

 

 ヴァルトさんが尋ねた。

 

「目が良い者より、思い込みを疑える者です」

 

 真壁さんは即答した。

 

「異常を見つけて喜ぶ者は向きません」

 

「でも、異常を見つける仕事ですよね」

 

「何もない場所から、敵を作ります」

 

 真壁さんは、秘密基地の画面へ目を向けた。

 

「何もなかったと確認できる者が必要です」

 

 前の夜に聞いた言葉だった。

 

 監視とは、何かを見つけ続ける仕事だと思っていた。

 

 けれど、普通の旅人を普通の旅人だと確認するのも、同じくらい大事なのだろう。

 

「映像を見る人が、知り合いを勝手に追いかけることもできますよね」

 

 私が言うと、ヴァルトさんの顔がさらに真剣になった。

 

「王都なら、派閥が映像を欲しがります」

 

「そんなに価値がありますか?」

 

「誰が誰の屋敷へ入ったか。それだけでも十分です」

 

 貴族の訪問。

 

 商人の出入り。

 

 密談の時間。

 

 本人たちが何も悪いことをしていなくても、見る者が意味を付ければ噂になる。

 

 真壁さんは、別紙へ規則を書き始めた。

 

「監視室への出入りは記録します」

 

「映像を持ち出させないことも」

 

「ええ」

 

「1人だけで重要映像を判断しない方がいいです」

 

「2名確認」

 

「誰かをずっと追う時は、許可が必要ですね」

 

「責任者承認」

 

 私が問題を思いつくたび、真壁さんが短い言葉へ変えていく。

 

 ヴァルトさんも、王都で起こりそうな悪用を追加した。

 

「事件が解決したあとも、映像を残したがる者が出ます」

 

「保存期間を定めます」

 

「公爵家の使者だからという理由で、記録を消せと言う者も」

 

「操作履歴を残す」

 

「監視担当へ金を渡す者もいます」

 

「交代時に記録を照合」

 

 書くほど、規則が増える。

 

「機械を置くより、人の方が大変ですね」

 

「人を使う設備は、いつもそうです」

 

 真壁さんは最後に1行を書き加えた。

 

「監視する者も、見られている必要があります」

 

 ヴァルトさんがそれを読み、ゆっくり頷いた。

 

「そこまでして、初めて信用できる仕組みになります」

 

 

 

 

 

 侯爵家の会議室へ持ち込まれた資料は、2種類あった。

 

 1つは「王都関係勢力・接触予測」。

 

 もう1つは「通信監視体制・試験運用案」。

 

 アルベルト様は最初の資料を開き、数字の並ぶページで手を止めた。

 

 隣にはレオンハルト様と、侯爵家の警備を担当する文官が座っている。

 

「最も可能性が高いのは」

 

「正規の商談と、その裏での情報収集です」

 

 真壁さんが答えた。

 

「商人として来るか」

 

「ええ。正規に品を買い、その際に価格、数量、納期、製造場所、人員を尋ねる。商売として自然です」

 

 ヴァルトさんが資料の別項目を示す。

 

「別々に来る可能性もあります」

 

「別々に?」

 

「公爵家の使者、黒鎖商会の商人、魔術院の研究者です。互いの行動を知らない場合もあります」

 

 アルベルト様の眉が寄る。

 

「こちらが1つの命令系統と思って対応すれば、混乱するか」

 

「はい」

 

 ヴァルトさんは頷いた。

 

「正式な視察者の中にも、公爵家の意向を受けた者と、純粋に教育施設へ関心を持つ者が混ざるかもしれません」

 

 レオンハルト様が腕を組む。

 

「最初から剣を持って来る者は少ないと」

 

「剣を抜くより、金を出す方が安い」

 

 真壁さんの声は落ち着いていた。

 

「金で動かなければ、地位を出す。それでも動かなければ、別の手段を考えるでしょう」

 

「暗殺は」

 

 アルベルト様が問う。

 

「初期段階では低い」

 

 真壁さんは資料へ視線を落とさず答えた。

 

「私を殺しても、瓶の作り方は得られません」

 

「でも、邪魔なら消そうとする人もいます」

 

 私が口を挟むと、真壁さんは否定しなかった。

 

「その段階へ上げないことが重要です」

 

「拒否の仕方を間違えれば、確率は上がります」

 

 ヴァルトさんが続けた。

 

「公爵家の面子を公に潰す。正式視察を理由もなく拒む。調査員と決めつけて正規商人を拘束する。そのような対応を重ねれば、穏当な選択肢を選ぶ者が減ります」

 

 アルベルト様は、机上の数字をもう一度見た。

 

「これは、その生成AIとやらが出した数字か」

 

「基礎はそうです」

 

 真壁さんは答えた。

 

「ヴァルト君の知識で修正し、私の経験と照合しました」

 

「つまり、どの数字も確定ではない」

 

「ええ」

 

「では、何のためにある」

 

「優先順位を決めるためです」

 

 真壁さんは、最も高い項目を指した。

 

「全てへ同じ人員と費用を割くことはできません。まず起こりやすい接触へ備える。その備えが相手の行動を変えれば、数字も変わります」

 

 レオンハルト様が資料を閉じかけ、もう1つの束へ目を向けた。

 

「機械は真壁殿が用意するとして、人はどうする」

 

 真壁さんは、試験運用案を開いた。

 

「設備を置くより、人を選ぶ方が難しい」

 

「兵を出せばよいのではないか」

 

「兵士全員が監視員に向くとは限りません」

 

 レオンハルト様は少し考え、具体的な名は出さず、衛兵の性格を挙げ始めた。

 

「目が良く、遠くの紋章まで見分ける者がいる。ただ、功を焦るところがある」

 

「不向きです」

 

 真壁さんの返事は早かった。

 

「何でも敵へ見せます」

 

「では、門番を長く務め、人の顔をよく覚える男は」

 

「記録は」

 

「細かい。交代時の引き継ぎも欠かさない」

 

「候補です」

 

「腕は立たんぞ」

 

「監視室で剣は振りません」

 

 レオンハルト様の口元が僅かに緩んだ。

 

「無口な文官もいる。報告書は正確だが、判断が遅い」

 

「一次分析へ」

 

「魔力反応の差へ敏感な若い魔術師は」

 

 真壁さんがヴァルトさんを見る。

 

「知識量を確認します」

 

 ヴァルトさんが答えた。

 

「映像へ映らないものもあります。結界、認識阻害、偽装札、転移痕跡。魔術的な基準は別に必要です」

 

「そのためのヴァルト君です」

 

 真壁さんが言う。

 

「私も正式に人員へ入っているんですか?」

 

「当然です」

 

 侯爵家の会議室でまで同じやり取りになり、私は笑いをこらえた。

 

 ヴァルトさんは胃の辺りへ手を置いたものの、すぐ資料を引き寄せる。

 

「……魔術的な判定基準は、私が作ります」

 

「頼む」

 

 アルベルト様が先に答えた。

 

 ヴァルトさんは一瞬だけ目を見開き、それから姿勢を正した。

 

「承知しました」

 

 私は、監視体制の権限について書かれたページを開いた。

 

「犯罪の疑いがない人まで、ずっと追うことはしませんよね」

 

「そのために規則を作る」

 

 アルベルト様は、私の質問を軽く扱わなかった。

 

「衛兵の都合だけで使わせるつもりもない」

 

 レオンハルト様も続ける。

 

「設備は我々の権限下に置く。ただし、勝手に誰かを調べる道具にはさせん」

 

 真壁さんが役割分担を確認する。

 

「指揮権は侯爵家。設備保守は押入商会。運用担当は侯爵家が任命する。分析には我々とヴァルト君が協力します」

 

「逮捕と捜索は我々が行う」

 

 レオンハルト様が言った。

 

「商会が勝手に人を拘束することはありません」

 

「それでよい」

 

 アルベルト様は資料へ署名するのではなく、基本方針の部分へ印を付けた。

 

「人選はレオンハルトに任せる。正式運用の前に、候補者を真壁殿とヴァルト殿へ見せる」

 

「承知しました」

 

 監視網は、押入商会の私兵組織にはならない。

 

 侯爵家へ全てを渡して終わるのでもない。

 

 互いの役割を残したまま、同じ仕組みを使う。

 

 その形が、ようやく見え始めた。

 

 アルベルト様は接触予測の資料を閉じた。

 

「相手が来る方法は分かった」

 

 真壁さんを見る。

 

「では、どう迎える」

 

 真壁さんは、足元へ置いていた別の資料を机へ載せた。

 

 それまでの2冊より、明らかに厚い。

 

 表紙には、

 

「接触手段別対応計画」

 

 と印刷されている。

 

「いつ作ったんですか?」

 

「予測と並行して」

 

 真壁さんは平然としている。

 

 ヴァルトさんが、厚みを横から確認した。

 

「何ページあります?」

 

「現在128ページです」

 

「現在?」

 

 私とヴァルトさんの声が重なった。

 

「まだ増えます」

 

 ヴァルトさんは額へ手を当てた。

 

「敵より先に、この資料と戦うことになる気がします」

 

 レオンハルト様が表紙を開く。

 

 最初のページは目次だった。

 

 正規の商人。

 

 正式視察者。

 

 技術交流希望者。

 

 弟子入り希望者。

 

 人材勧誘者。

 

 身元調査員。

 

 密偵。

 

 窃盗者。

 

 誘拐実行者。

 

 暗殺者。

 

「同じ対応ではいけません」

 

 真壁さんは、開かれた目次へ手を置いた。

 

「正規の客を密偵として拘束すれば、こちらが敵を作ります」

 

 指が次の項目へ移る。

 

「密偵を客として通し続ければ、守るべきものを失います」

 

「どこで線を引く」

 

 アルベルト様が問う。

 

「次は、その線を決めます」

 

 真壁さんは資料を閉じなかった。

 

「誰を通すか。誰を見張るか。誰を泳がせるか。どの段階で拘束するか」

 

 会議室にいた者の視線が、厚い資料へ集まる。

 

「侯爵家の権限と、我々の役割を分けます」

 

 

 

 

 

 夜のローゼンベルク公爵家では、ディートリヒが自室の机へ候補者の経歴書を並べていた。

 

 侯爵領調査対象一覧。

 

 真壁。

 

 澪。

 

 セルマ。

 

 リュシア。

 

 押入商会。

 

 錬金術師育成工房。

 

 薬草園。

 

 規格瓶。

 

 そして、所在確認対象として記されたオスヴァルト・クライン。

 

 誰へ、どの立場の者を近づけるか。

 

 商人。

 

 職人。

 

 錬金術師。

 

 弟子志願者。

 

 ディートリヒは、最初の候補者の経歴を開いた。

 

 同じ頃、ヴァルディス侯爵家の会議室では、真壁さんが監視組織案の最後へ1行を書き加えていた。

 

「監視対象を、最初から敵と決めつけないこと」

 

 隣ではヴァルトさんが、接触予測資料へ注意書きを加える。

 

「王都魔術院、公爵家、黒鎖商会、錬金術師ギルドを、同一組織として扱わないこと」

 

 私は2つの文章を読み比べた。

 

 誰が敵で、誰が味方になるのかは、まだ決まっていない。

 

 公爵家は、誰へ近づくかを選ぼうとしている。

 

 私たちは、どのような者が近づいてくるかを考えている。

 

 まだ誰も剣を抜いていない。

 

 だからこそ、最初の判断を誤れば、それだけで相手へ剣を握らせることになる。

 

「次は、迎え方を決めます」

 

 真壁さんの言葉に、アルベルト様が頷いた。

 

「こちらから敵を増やさぬためにも、必要なことだ」

 

 机の上には、閉じられていない対応計画が残っていた。

 

 最初の項目は、正規の商人。

 

 剣を持たず、笑顔で門をくぐる者から、戦いは始まる。

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