押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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久々のコメディ感


第191話 領収書の翻訳

 

 明石税理士の声は、電話越しでも疲れていた。

 

『篠原さん、まず確認します』

 

「はい」

 

 澪はちゃぶ台の前に正座していた。正座する必要はない。ここは六畳間で、相手は電話の向こうだ。だが、画面に表示された明石税理士の名前と、手元に広げた領収書の束を見ると、自然と膝がそろった。

 

 王都の査問会より緊張している気がする。

 

 そう思ってしまい、澪は自分で少しだけ嫌になった。向こうでは公爵家が失脚し、黒鎖商会が解体へ向かい、魔術院長まで退いた。こちらは六畳間で領収書を前にしているだけである。

 

 ただし、その領収書の束が薄くない。

 

 そして、向かいに座る真壁の姿勢が妙に正しい。

 

 真壁は逃げる気配を見せていなかった。けれど麦茶のコップにはまだ手を伸ばしていない。王都で公爵家と向き合っていた時でさえ、もう少し自然に手を動かしていた。

 

 その事実だけで、澪は今の状況が見た目ほど軽くないのだと理解した。

 

『この通信機器一式ですが、篠原さんの会社で使うもの、という理解でいいですか』

 

「はい。会社で使うものです」

 

『私用ではないですね』

 

「違います」

 

『転売目的でもないですね』

 

「違います」

 

『では、事業用設備ですね』

 

 明石税理士の声は、淡々としていた。

 

 澪は少しだけ息を吐いた。

 

 事業用設備。

 

 その言い方なら、まだ普通に聞こえる。

 

 ちゃぶ台の上には、明石税理士が送ってきた一覧を印刷した紙があった。業務用ルータ、光通信スイッチ、SFPモジュール、Wi-Fiアクセスポイント、予備スイッチ、通信機器設定用部材、ケーブル工具、通信機器予備部材。

 

 合計金額は、澪が見慣れた学生の買い物とは違う桁だった。白金の売上を見たあとなら払えない金額ではない。けれど、六畳間のちゃぶ台に置くには重い。

 

『篠原さん、先に言っておきます』

 

「はい」

 

『税金を払うお金が足りない、という話ではありません』

 

 澪は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「そこは大丈夫です。最悪、落ちなくてもいいです。税金分は残してあります」

 

 電話の向こうが、数秒黙った。

 

 澪は自分の言い方が変だったのかと思い、紙を握りそうになった。けれど明石税理士の声は、少しだけ柔らかくなって戻ってきた。

 

『篠原さん、その考え方はとてもいいです。無理に経費にして税金を減らそう、という姿勢ではない。それは大事です』

 

「はい」

 

『ですが、今の問題は、税金を払えるかどうかではありません』

 

 澪は、紙の上の「光通信スイッチ」という文字を見た。

 

「違うんですか」

 

『はい。これは、事業の説明を整える話です』

 

 説明。

 

 澪は、その単語を聞いた瞬間、真壁を見た。

 

 真壁は目を伏せた。

 

 王都で黒鎖商会の資金網を切り、公爵家の責任を見極め、魔術院の制度不備まで整理した男が、税理士の前で目を伏せている。

 

 澪は少しだけ怖くなった。

 

『通信設備として落とせるかどうかで言えば、事業用なら経費性はあります。ただし、全部を今年の消耗品で処理する話ではありません。金額と組み合わせによっては、工具器具備品、通信設備、固定資産、減価償却です』

 

「はい」

 

『そこは処理できます』

 

 澪はほっとしかけた。

 

『問題は、真壁さんの用途メモです』

 

 安心は、そこで止まった。

 

 明石税理士が紙をめくる音がした。

 

『“拠点間即応通信網”』

 

 澪は真壁を見た。

 

 真壁は動かない。

 

『“通信断絶時の独立系統”』

 

 澪の視線が強くなる。

 

 真壁はまだ動かない。

 

『“襲撃時予備回線”』

 

「真壁さん」

 

 澪の声は、思ったより低く出た。

 

 真壁は、ようやく顔を上げた。

 

「事実ではあります」

 

「事実かどうかじゃないです」

 

『篠原さん、その通りです』

 

 明石税理士の声が、電話越しに少し強くなった。

 

『事実かどうかと、税務署に出せる説明かどうかは別です』

 

 澪は深く頷いた。

 

 真壁は、そこで小さく息を吐いた。

 

「明石殿が困る点は、3つでしょうか」

 

 電話の向こうで、紙をめくる音が止まった。

 

『はい?』

 

「1つ、事業実態。2つ、現物払いの評価。3つ、通信設備の用途説明」

 

 澪は、真壁を見る目を変えた。

 

 今の声は、逃げる声ではない。相手を言い負かす声でもない。相手がどこで困っているのかを、机の上に並べる声だった。

 

「事業実態は、海外未電化地域における農業試験、食品加工、資材調達の3項目に分けます」

 

『……海外未電化地域』

 

「はい。商業電力と通信網が不安定、または存在しない地域です。そこで農業、保存食、加工食品、素材調達の協力拠点を運用しています」

 

 澪は黙っていた。

 

 嘘ではない。

 

 嘘ではないのだが、言葉が整いすぎていて逆に怖い。

 

「現地側からの対価は、一部が白金および金属素材の現物受領です。受領時には重量、品位、受領日、評価額を記録します。国内売却時には売却日、売却先、売却額を紐づけます」

 

『評価根拠は』

 

「国内買取相場と実売記録です。必要なら、受領時評価表を作成します」

 

 明石税理士は、また数秒黙った。

 

 澪は電話を持つ手に力が入るのを感じた。

 

『篠原さん』

 

「はい」

 

『今の説明、かなり整理されています』

 

「そうなんですか」

 

『はい。かなりです』

 

 澪は、真壁を見た。

 

 真壁は平然としていた。王都査問会の時よりも、むしろ落ち着いているように見える。

 

『ただし』

 

 明石税理士の声が戻る。

 

『なぜ、その整理ができる人が、用途メモに“襲撃時予備回線”と書くんですか』

 

 真壁は目を伏せた。

 

「現場用のメモでしたので」

 

『税務用資料と現場用メモは分けてください』

 

「承知しました」

 

 澪は額に手を当てた。

 

 これが交渉10なのかと思った。

 

 相手を黙らせる力ではない。都合の悪いことを隠す力でもない。相手が仕事をできる場所まで、問題を切り分けて運ぶ力だった。

 

 ただし、真壁はその前に、税理士へ見せてはいけない単語を見せている。

 

 澪としては、そこは減点だった。

 

 

 

 

『では、通信設備の用途を整理しましょう』

 

 明石税理士が言った。

 

 澪はノートを開いた。大学のゼミで使っているものとは別に、押入商会用のノートである。表紙には、以前、真壁が貼ったラベルがある。

 

 業務管理。

 

 その下に、澪が小さく「税務署に出せる言葉」と書き足した。

 

『まず、“拠点間即応通信網”』

 

 真壁が口を開く。

 

「海外未電化地域における拠点間業務連絡設備」

 

『それならかなり良いです』

 

 澪は書き取った。

 

 明石税理士の声は、先ほどより少しだけ明るくなっている。処理できる形が見えてきた声だった。

 

『次、“通信断絶時の独立系統”』

 

「通信障害時の予備回線」

 

『はい。それでいきましょう』

 

 澪は頷きながら書く。

 

 真壁も頷いた。

 

『次、“襲撃時予備回線”』

 

 空気が止まった。

 

 澪はペン先を紙の上で止めたまま、真壁を見た。

 

 真壁は少し考えた。

 

「作業安全確認用の緊急連絡系統」

 

 明石税理士が即答する。

 

『それです』

 

「通りますか」

 

『通ります。襲撃は通りません』

 

「承知しました」

 

 澪は、ノートに書きながら、思わず呟いた。

 

「日本語ってすごいですね」

 

『篠原さん、税務署に出せる日本語と、出せない日本語があります』

 

「勉強になります」

 

『できれば普通の大学生活で学んでほしかったです』

 

 澪は返事に困った。

 

 普通の大学生活に、白金の現物払いも、海外未電化地域の独立通信網も、王都査問会もない。

 

 ただ、それを言うと話が終わるので、黙ってペンを動かした。

 

『次に、機器の分類です。ルータ、光通信スイッチ、アクセスポイントは、まとめて通信設備として見ます。ただし、金額と耐用年数の問題があるので、消耗品ではなく資産計上になるものがあります』

 

「はい」

 

『SFPモジュールやケーブル工具、細かい部材は、金額次第で消耗品や修繕費、工具器具備品に分かれます』

 

 澪は書きながら、真壁の買い物が少しずつ現代日本の会計の棚へ入っていくのを感じた。

 

 異世界側では、通信が切れれば命に関わる。

 

 だが、明石税理士の手元では、それは通信設備、予備回線、業務連絡、資産計上、減価償却という言葉に置き換わる。

 

 不思議だった。

 

 嘘にしているわけではない。

 

 危険を消しているわけでもない。

 

 ただ、別の世界で通る言葉へ翻訳している。

 

『それから、太陽光パネルとバッテリーの領収書が見当たりません』

 

「あ、それは」

 

 澪が言いかけたところで、真壁が先に答えた。

 

「自作しました」

 

 明石税理士が黙った。

 

 澪は目を閉じた。

 

 言うと思った。

 

『自作、ですか』

 

「はい。現地資材と既存設備を利用し、独立電源として構成しました。購入したのは、通信制御の中核部材です」

 

『篠原さん』

 

「はい」

 

『今の説明も、そのまま帳簿には書きません』

 

「分かりました」

 

『“現地資材を利用した独立電源設備”程度にしましょう。詳細は社内資料で保管してください』

 

 真壁が頷く。

 

「よろしいかと」

 

『真壁さん』

 

「はい」

 

『よろしいかどうかは、こちらが言います』

 

「承知しました」

 

 澪は、口元を押さえた。

 

 笑ってはいけない場面だと思う。

 

 でも、真壁が税理士に淡々と修正されている姿は、少しだけ面白かった。

 

 

 

 

 領収書の分類は、通信設備だけでは終わらなかった。

 

 明石税理士は、画面共有を使った方が早いと言い、澪のノートパソコンへ一覧表を送ってきた。六畳間のちゃぶ台にノートパソコンを置くと、真壁は少しだけ身を乗り出した。

 

 そこには、日付、店名、品名、金額、真壁メモ、仮分類、要確認欄が並んでいた。

 

 澪は、要確認欄の赤い印の多さに目を細めた。

 

「多いですね」

 

『はい。多いです』

 

 明石税理士は否定しなかった。

 

 真壁は画面を見て、静かに言った。

 

「かなり絞ったつもりでしたが」

 

「これで絞ってるんですか」

 

「自作可能なものは、ほぼ外しています」

 

 澪は、しばらく真壁を見た。

 

 確かに、ガラス瓶や遮光瓶、試薬瓶はない。以前なら買いそうに見えるものだが、真壁はガラスそのものを扱える。収納プラントもある。エタノール、消毒液、洗浄液もない。作れるからだ。太陽光パネルとバッテリーもない。光ケーブルもない。真壁が自作したらしい。

 

 そう考えると、領収書に残っているものは、むしろ現代側で買わざるを得ない中核部品ばかりだった。

 

 だからこそ、怪しい。

 

『まず、ルータ類からいきます』

 

 明石税理士の声に、澪はペンを構えた。

 

『業務用ルータ、複数台。これは通信設備です。設置場所と用途を紐づけてください』

 

「設置場所……」

 

 澪は口を閉じた。

 

 異世界側の地名をそのまま書くわけにはいかない。

 

 真壁がすぐに答える。

 

「海外協力拠点A、B、C。および資材保管拠点」

 

『それでいきましょう。詳細所在地は別紙管理。税務用資料には拠点区分まで』

 

「はい」

 

 澪は書いた。

 

 海外協力拠点A。

 

 海外協力拠点B。

 

 海外協力拠点C。

 

 資材保管拠点。

 

 現実味があるようで、ないようで、ある。

 

『光通信スイッチ』

 

「拠点内通信設備です」

 

『はい。これは通信設備。金額があるので資産計上候補です』

 

「候補なんですね」

 

『まとめて一体で使うなら、一式として見る可能性があります。細かいものは消耗品に分けられますが、無理に全部を消耗品へ寄せません』

 

 澪は頷いた。

 

「安全側ですね」

 

『はい。篠原さんが“最悪落ちなくてもいい”と言ってくれたので、安全側に倒せます』

 

 澪は少しだけ安心した。

 

 自分が税金用資金を残していたことが、ここで効いている。無理に落とす必要がない。だから明石税理士も処理しやすい。

 

『SFPモジュール、多数』

 

 明石税理士の声が少し止まった。

 

『真壁さん、これはなぜ多数ありますか』

 

「冗長化です」

 

 澪は即座に真壁を見た。

 

 明石税理士もすぐに返す。

 

『予備部材、でお願いします』

 

「予備部材です」

 

『“冗長化”も悪くはありませんが、説明を求められた時に話が長くなります』

 

「承知しました」

 

 澪はノートに書いた。

 

 SFPモジュール、多数。

 

 通信設備予備部材。

 

 真壁メモ「冗長化」は社内用。

 

『Wi-Fiアクセスポイント』

 

「拠点内業務連絡用です」

 

『はい。ただし、家庭用ではなく業務用として買っているので、設置場所一覧が必要です』

 

「作ります」

 

 澪は答えた。

 

 真壁が横から言う。

 

「配置図もあります」

 

『真壁さん、その配置図に“死角”や“監視範囲”と書いてありますか』

 

 真壁は一瞬黙った。

 

 澪はペンを止めた。

 

「……作業範囲と通信範囲に直します」

 

『お願いします』

 

 明石税理士の返事は早かった。

 

 澪は、ノートの余白に大きく書いた。

 

 死角→通信範囲。

 

 監視範囲→作業範囲。

 

 真壁さん注意。

 

『次、ケーブル工具。圧着工具、光コネクタ用工具、テスター類』

 

「設備保守工具です」

 

 真壁の返答が早い。

 

『はい。これは通りやすいです。ただし、金額の高い測定器は工具器具備品です』

 

「了解しました」

 

 澪はほっとした。

 

 工具はまだ分かる。設備を組むなら工具はいる。

 

 だが、次の行でまた赤い印が出ていた。

 

『防塵マスク、防護メガネ、防刃手袋、防護服』

 

 明石税理士の声が、少し低くなった。

 

「安全衛生用品です」

 

 真壁が即答した。

 

『防刃手袋は』

 

「危険作業用保護具です」

 

『防護服は』

 

「粉塵、薬品、現地作業用」

 

『“毒物対応”とは書かないでください』

 

「書きません」

 

 澪は真壁を見た。

 

 たぶん、どこかに書いていた顔だ。

 

『篠原さん、保護具は事業用として十分説明できます。農業試験、金属素材、加工、未電化地域作業なら、安全衛生用品は必要です』

 

「はい」

 

『ただ、真壁さんのメモに“毒刃対応”とあります』

 

 澪は目を閉じた。

 

「真壁さん」

 

「現場用の危険分類です」

 

「税務用じゃないですよね」

 

「はい」

 

『税務用では、危険作業用保護具です』

 

「承知しました」

 

 澪はノートに書きながら、真壁の内部メモを一度全部回収する必要を強く感じた。

 

 

 

 

 次に出てきたのは、照明だった。

 

『LEDライト、ヘッドライト、投光器、予備バッテリー用端子』

 

「夜間作業用照明です」

 

 今度は澪が先に言った。

 

 真壁が少しだけ澪を見る。

 

 明石税理士は、電話の向こうで満足そうに言った。

 

『はい。夜間作業用照明で通ります』

 

 澪は胸を張りかけた。

 

『ただし、真壁さんのメモには“夜間制圧用”とあります』

 

 胸を張る前に折れた。

 

「真壁さん」

 

「投光器は、相手の視界を奪う効果もあります」

 

「言わなくていいです」

 

『篠原さん、その通りです。照明は照明です』

 

 真壁は静かに頷いた。

 

「照明です」

 

『はい。照明です』

 

 澪は、ノートへ「照明は照明」と書いた。自分でも何を書いているのか分からないが、重要な気がした。

 

『次、記録媒体。SDカード、外付けSSD、小型カメラ』

 

 明石税理士の声が、また少し慎重になった。

 

「業務記録用機材です」

 

 真壁が言う。

 

『何を記録しますか』

 

「作業工程、資材搬入、設備設置、品質確認」

 

『それなら大丈夫です』

 

 澪は真壁を見た。

 

 今の説明はかなり良い。

 

 危険な言葉が入っていない。

 

 真壁も学習している。

 

『ただし』

 

 明石税理士が続けた。

 

『“証拠保全用”という表現は避けます』

 

 真壁は目を伏せた。

 

「作業記録用へ変更します」

 

『お願いします』

 

 澪は、少しずつ分かってきた。

 

 真壁は間違っているわけではない。

 

 実際に証拠保全にも使う。危険時の確認にも使う。通信断絶時の予備系統にもなる。襲撃があれば連絡網として使う。

 

 だが、会計の言葉は、目的の一番危ない部分を前に出さない。

 

 事業に必要な範囲へ整える。

 

 嘘ではなく、表に出す面を選ぶ。

 

『次、測定器です。デジタルスケール、ノギス、温湿度計、土壌計、pH試験紙、ろ過紙』

 

 澪は少し安心した。

 

「これは品質管理用品ですよね」

 

『はい。かなり説明しやすいです』

 

 明石税理士の声も軽い。

 

『農業試験、食品加工、素材検品、品質確認。どれにも使えます。ここは問題ありません』

 

 澪は、初めて赤い印のない行を見た気がした。

 

 真壁も少しだけ肩の力を抜く。

 

『ただし、真壁さんのメモに“薬効確認”とあります』

 

 肩の力が戻った。

 

 澪は、ゆっくり真壁を見た。

 

「薬効、ですか」

 

「現地植物の有用性確認です」

 

『品質確認、成分確認、試験記録、にしましょう』

 

「承知しました」

 

 澪は書き直した。

 

 薬効確認→品質確認。

 

 鑑定→品位確認。

 

 監視→作業記録。

 

 襲撃→緊急時。

 

 防衛→安全確認。

 

 制圧→照明。

 

 言葉が、次々に別の服を着せられていく。

 

 澪はふと思った。

 

 これは翻訳だ。

 

 異世界語から日本語への翻訳ではない。真壁語から税務署に出せる日本語への翻訳である。

 

 

 

 

 食品加工関係の領収書に入ると、明石税理士の声はまた別の意味で慎重になった。

 

『麹菌、塩、大豆、芋。量が多いですね』

 

「食品試作材料です」

 

 澪は答えた。

 

 これは以前から明石税理士にも説明している。味噌、醤油、芋焼酎。侯爵家へ献上した分もあるし、食品加工試作としての記録も残している。

 

『食品試作材料としては説明できます。ただし、量が多いので、試作、保管、廃棄、使用先の記録が必要です』

 

「はい」

 

『芋焼酎の扱いは、また別途確認します』

 

 澪は小さく固まった。

 

 酒税。

 

 その単語が頭の中を横切った。

 

 真壁が口を開きかける。

 

 澪は先に手を上げた。

 

「真壁さん、今は黙っててください」

 

「まだ何も」

 

「芋焼酎の話は、言葉を間違えると危ない気がします」

 

『篠原さん、その判断は正しいです』

 

 明石税理士に褒められた。

 

 うれしくはあるが、複雑だった。

 

『今回は通信設備の整理が中心です。食品加工は次回にしましょう』

 

「次回があるんですね」

 

『あります』

 

 澪はノートの端に「食品加工・次回」と書いた。

 

 終わらない。

 

 押入商会の帳簿は、黒鎖商会より長く続くのではないか。

 

 そんな不安がよぎる。

 

『次、物流用品です。折りたたみコンテナ、荷締めベルト、台車、ラベル、封緘テープ、緩衝材』

 

「荷役用品、梱包資材です」

 

 澪は即答した。

 

『はい。問題ありません』

 

 この行は早かった。

 

 澪は少し感動した。

 

 普通に通る領収書がある。

 

 世界はまだ優しい。

 

『車両用品。ハイエース車載棚、荷室マット、工具箱』

 

「車両関連用品です」

 

『はい。事業用車両と紐づけます』

 

 これも通った。

 

 澪はペンを軽く握る。

 

 通る領収書が続くと、少し心が回復する。

 

『事務用品。ファイル、ラベルプリンター、帳簿用品』

 

「事務用品です」

 

『はい。これはそのままです』

 

 澪は深く息を吐いた。

 

「事務用品、優しいですね」

 

『篠原さん、普通の会社はこういう領収書が多いです』

 

「そうですよね」

 

『防刃手袋と光通信スイッチと白金の現物払いが同じ束に入っている方が珍しいです』

 

「はい」

 

 澪は返事をしながら、真壁を見た。

 

 真壁は否定しない。

 

 否定しないところが、また困る。

 

『最後に、電気部材です。配線材、端子、スイッチ、コネクタ、ケース、耐熱テープ、結束バンド、シーリング材』

 

 明石税理士が読み上げる。

 

 真壁が答える。

 

「通信設備および作業設備の保守部材です」

 

『はい。金額ごとに消耗品、修繕費、工具器具備品へ分けます』

 

「用途は、設備保守」

 

『それでお願いします。“境界封鎖支援”とは書かないでください』

 

 澪は、そっと真壁を見た。

 

 真壁は目を伏せた。

 

「書き換えます」

 

 明石税理士は、そこで少しだけ笑ったような声を出した。

 

『真壁さん、資料は整っています。問題は単語だけです』

 

「単語が戦場ですな」

 

『戦場ではありません。帳簿です』

 

「承知しました」

 

 澪は、とうとう小さく笑ってしまった。

 

 

 

 

 分類表が埋まる頃には、六畳間の外が暗くなっていた。

 

 蛍光灯の音が少しだけ大きく感じる。ちゃぶ台の上には、領収書、ノート、印刷した一覧表、麦茶のコップ、真壁が書き換えた用途メモが並んでいた。

 

 澪は、書き終えた分類を読み返した。

 

 業務用通信設備。

 

 通信障害時予備回線。

 

 作業安全確認用緊急連絡系統。

 

 海外未電化地域における拠点間業務連絡設備。

 

 現地資材を利用した独立電源設備。

 

 業務記録用機材。

 

 安全衛生用品。

 

 危険作業用保護具。

 

 品質確認用消耗品。

 

 食品試作材料。

 

 荷役用品。

 

 梱包資材。

 

 車両関連用品。

 

 事務用品。

 

 設備保守部材。

 

 どれも嘘ではない。

 

 ただし、最初の真壁メモとは別物に見えた。

 

 襲撃時予備回線。

 

 拠点防衛。

 

 夜間制圧。

 

 証拠保全。

 

 毒刃対応。

 

 境界封鎖支援。

 

 澪は、真壁メモの方を裏返した。

 

 税務用資料に混ぜてはいけない。

 

 これは今日の最大の学びだった。

 

『篠原さん、今日のところはこの分類で進めます』

 

 明石税理士の声にも疲れが混じっていた。

 

「ありがとうございます」

 

『追加で必要な資料があります』

 

 澪はペンを握り直した。

 

「はい」

 

『通信設備の設置場所一覧。拠点区分だけでいいです。詳細所在地は別紙管理で構いません』

 

「はい」

 

『現物受領評価表。白金とその他金属素材について、受領日、重量、品位、評価額、国内売却記録を紐づけてください』

 

「はい」

 

『通信設備の資産計上候補一覧。金額ごとに分けます』

 

「はい」

 

『あと、真壁さんの用途メモの税務用翻訳版』

 

 真壁が静かに頷く。

 

「作成します」

 

『真壁さん』

 

「はい」

 

『内部メモは送らないでください』

 

「承知しました」

 

 明石税理士は、そこで少しだけ間を置いた。

 

『それから、今後の購入については、購入前に用途名を確認させてください』

 

 真壁の返事が、ほんの少し遅れた。

 

「購入前、ですか」

 

『購入前です』

 

「急を要する場合は」

 

『原則、購入前です』

 

「通信が切れた場合は」

 

『その通信が切れないように、今、設備を入れているんですよね』

 

 真壁は黙った。

 

 澪は口元を押さえた。

 

 明石税理士は強い。

 

『篠原さん』

 

「はい」

 

『真壁さんは説明が上手です』

 

「はい」

 

『ですが、説明が上手な人ほど、危ない単語を自然に混ぜます』

 

「はい」

 

『今後、真壁さんの内部メモは、税務用資料へ混ぜないでください』

 

 真壁は、静かに頷いた。

 

「承知しました」

 

『あと、“襲撃”“防衛”“制圧”“監視”“即応”は、税務用説明文では原則禁止です』

 

 澪はノートに書いた。

 

 禁止語。

 

 襲撃。

 

 防衛。

 

 制圧。

 

 監視。

 

 即応。

 

 少し考えて、横に「真壁さん注意」と書き足した。

 

 真壁はそれを見て、何も言わなかった。

 

 王都査問会でも、黒鎖商会でも、公爵家との応酬でも負けなかった真壁が、六畳間のちゃぶ台で、税理士の前に静かに座っている。

 

 澪は、麦茶を注ぎ直した。

 

 グラスの中で氷が鳴る。

 

 電話の向こうで、明石税理士が最後の紙をめくった。

 

『では、今日のところは、この分類で進めます。追加資料をお願いします』

 

「はい。明日中に整理します」

 

『無理はしないでください。ただ、早い方が助かります』

 

「分かりました」

 

『それと、篠原さん』

 

「はい」

 

『税金分を残している判断は、本当に良いです。そこは続けてください』

 

 澪は少しだけ肩の力を抜いた。

 

「はい」

 

『ただし、税金分があるから説明しなくていい、ではありません』

 

「はい……」

 

『そこだけお願いします』

 

「分かりました」

 

 通話が切れると、六畳間に静けさが戻った。

 

 長かった。

 

 王国査問会ほどではないはずなのに、澪の肩は妙に重かった。

 

 真壁は麦茶を一口飲み、静かに言った。

 

「明石殿は、よい参謀です」

 

「税理士さんです」

 

「現代側の法務と会計の参謀です」

 

 澪は少し考えた。

 

 否定しきれなかった。

 

 真壁は、ちゃぶ台の上の領収書を揃えた。

 

「次回からは、購入前に用途名を確認します」

 

「お願いします」

 

「ただし、緊急時は」

 

「真壁さん」

 

 澪が名前だけ呼ぶと、真壁は言葉を止めた。

 

 交渉10でも、そこは通らなかった。

 

 澪はノートを閉じた。

 

 表紙には、業務管理。

 

 その下に、今日書き足した文字がある。

 

 税務署に出せる言葉。

 

 異世界と現代をつなぐ押入商会には、また1つ、新しい技術が必要になった。

 

 収納でも、鑑定でも、通信でもない。

 

 真壁の言葉を、明石税理士が処理できる日本語へ直す技術である。

 

 

 

 

 翌朝、澪は大学へ行く前に、追加資料のフォルダを作った。

 

 名前は「通信設備_税務用」。

 

 その横に、真壁が作った社内資料フォルダがある。

 

 名前は「拠点通信網_緊急時運用」。

 

 澪は、しばらく2つのフォルダを見比べた。

 

 同じものを扱っているはずなのに、名前だけで危険度が違う。

 

「真壁さん」

 

「はい」

 

「この2つ、絶対に混ぜないでください」

 

「承知しました」

 

「絶対です」

 

「承知しました」

 

 真壁は真面目に頷いた。

 

 澪は少し安心しかけたが、すぐに思い直した。

 

 真壁は、真面目にやって危険な単語を使う人である。

 

 だから、仕組みで防がなければならない。

 

 澪はフォルダに色をつけた。税務用は青。社内用は赤。さらに税務用フォルダの中に、明石税理士へ送るものだけを入れる「提出用」を作る。

 

 その作業を見て、真壁が感心したように言った。

 

「分類が明確です」

 

「真壁さん対策です」

 

「私ですか」

 

「はい」

 

 澪は即答した。

 

 真壁は少しだけ黙り、それから頷いた。

 

「有効でしょう」

 

 反論しない。

 

 それがまた、澪にはおかしかった。

 

 大学へ向かう時間が近づいていた。鞄にはゼミの資料が入っている。現代側の学生生活は、黒鎖商会が解体されても普通に続く。提出期限も、出席も、発表準備も待ってくれない。

 

 澪は玄関で靴を履きながら、ふと思った。

 

 王都では、責任を取るべき者が責任を取った。

 

 公爵は当主を退き、家令は職を失い、魔術院長も退いた。黒鎖商会の鎖は切れた。

 

 だが、こちら側にはこちら側の責任がある。

 

 税金を払う。

 

 帳簿を残す。

 

 領収書を分類する。

 

 事業を説明できる形にする。

 

 それは剣も魔術も使わない戦いだった。

 

 澪が扉を開けると、朝の光が廊下に入った。

 

 背後で真壁が言う。

 

「澪君」

 

「はい」

 

「帰宅後、食品加工分の領収書も整理しましょう」

 

 澪は動きを止めた。

 

 振り返る。

 

「食品加工分」

 

「麹菌、塩、大豆、芋、樽関係です」

 

 澪はしばらく真壁を見た。

 

 真壁は真面目な顔だった。

 

「……それ、次回って明石さんが言ってましたよね」

 

「はい。次回へ備えます」

 

 澪は、深く息を吸った。

 

「分かりました。でも、芋焼酎の説明は、絶対に勝手に書かないでください」

 

「酒類製造関連は慎重に扱います」

 

「その言い方も少し怖いです」

 

「では、食品加工試験関連」

 

「それでお願いします」

 

 澪はそう言って、部屋を出た。

 

 廊下を歩きながら、スマートフォンを見る。

 

 明石税理士から、もう1通メールが届いていた。

 

件名:昨日の件・追加確認

 

 澪は、歩きながら開かないことにした。

 

 大学へ行く前に読むと、たぶん足が止まる。

 

 六畳間の中では、真壁が領収書をそろえ、青いフォルダと赤いフォルダをきっちり分けていた。

 

 王都を揺らした黒い鎖は切れた。

 

 だが、押入商会の帳簿には、まだいくつもの束が残っている。

 

 そして、その束をほどくためには、剣でも魔術でもなく、税務署に出せる日本語が必要だった。

 

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