押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第200話 器の材料

 机の上に、朝にはなかった紙束が置かれていた。

 

 澪は、鞄の肩紐を外した姿勢のまま止まった。大学から帰ってきたばかりの六畳間には、暖房の乾いた空気と、鞄に残った外の冷気が混ざっている。机の端には、ゼミで使ったノートと、班の発表用に書き込んだ資料が少し乱れて置かれていた。

 

 その横に、場違いなほどきっちり揃えられた紙束がある。

 

 札には、澪説明用、と書かれていた。

 

 澪は一瞬、見なかったことにしたくなった。

 

 だが、机の上に置かれた紙束は消えない。紙の厚みが、こちらを待っている。大学のゼミで、佐伯と神谷と三浦の意見をどうまとめるかを考えていた頭が、急に別の回路へ切り替わる。

 

 現代側の発表資料と、異世界側の説明資料が、同じ机の上で並んでいる。

 

 どちらも紙で、どちらも自分が目を通さなければならない。

 

 澪は鞄を床に置き、肩を一度回した。冬用の上着が、急に重く感じる。

 

「真壁さん」

 

「はい」

 

 真壁は、いつものようにそこにいた。焦りも、言い訳もない。机のそばで、資料を出す順番だけを整えている。

 

「朝より紙が増えています」

 

「進んだ」

 

「何がですか」

 

「器だ」

 

 澪は、上着の袖を抜きながら目を細めた。

 

「説明をお願いします。できれば、小さい順に」

 

「地下2F、地上5F」

 

「最初から大きいです」

 

 返事をした瞬間、澪の中で、大学帰りの疲れが半分ほど飛んだ。残り半分は、嫌な予感として残った。

 

 真壁は最初の紙を広げる。そこには、建物を縦に切ったような図が描かれていた。地下2F、地下1F、1F、2F、3F、4F、5F、屋上。階の名前が、冗談ではなくきちんと書かれている。

 

 澪は、まず縮尺を疑った。

 

 次に、疑っても意味がないと悟った。

 

「ヴァルトさんの拠点ですよね」

 

「そうだ」

 

「地下2F、地上5Fが?」

 

「セルマ君の工房と揃えた」

 

「比較対象が大きいです」

 

 澪は図面の地下部分に指を置いた。地下2Fには貯蔵と発酵、地下1Fには食品街と書かれている。1Fには商店と詰所。2Fには技術拠点。上には住居。屋上には水槽と排煙らしき線がある。

 

 ヴァルトの拠点、と聞いて想像するものではない。

 

 少なくとも、澪の常識ではそうだった。

 

「これは、拠点というより複合施設です」

 

「器だ」

 

「器で押し切れる大きさを超えています」

 

 真壁は否定しなかった。否定しないまま、次の紙を差し出す。

 

 澪は受け取った紙を見る。領主家、騎士団、リュシア、セルマ、押入商会、ヴァルト、澪。名前が並んでいる。けれど、ただの一覧ではない。それぞれの横に、責任の範囲が短く書かれていた。

 

 澪の指が止まる。

 

 ここから先は、驚くだけでは済まない。

 

「領主の仕事を押入商会が背負っていませんか」

 

「土地と許可は侯爵家」

 

 真壁は、用意していた紙の一角を指した。

 

「詰所は」

 

「レオンハルト君」

 

「食品街は」

 

「リュシア君」

 

「セルマさんは」

 

「条件付きで了承」

 

「商店主さんたちは」

 

「家族説明中」

 

 澪は紙をめくる手を止めた。

 

 ここまでは、先に回られている。

 

 領主家へ渡すべきことは領主家へ。治安は騎士団へ。食品街の商流はリュシアへ。セルマの工房周辺はセルマの条件を入れている。澪が不安に思う場所へ、すでに札がついている。

 

 それが余計に怖い。

 

 無計画な暴走なら止めやすい。けれど、真壁は止めにくい暴走をする。必要なところへ筋を通してから、こちらへ持ってくる。

 

 澪は、最後に残った紙を見た。

 

「ヴァルトさんは」

 

「これからだ」

 

「本人が最後なんですね」

 

「本人には完成形を見せる」

 

「完成形を見る前に相談してください」

 

 真壁は、わずかに間を置いた。

 

「了承を得る」

 

「今、言い直しましたね」

 

「必要な言葉だ」

 

「交渉10を乱用しないでください」

 

「適切に使う」

 

「その返事がもう怖いです」

 

 澪は椅子に座り、赤いペンを取った。ゼミ資料に使っていたペンだ。まさか異世界の地下2F・地上5F建築に赤字を入れるとは思っていなかった。

 

 商店主の合意が前提。領主家の正式許可が前提。食品街の運営はリュシアが無理をしない範囲。セルマ工房の搬入路と風通しを守る。酒売り場は詰所とセットで治安対策。ヴァルト本人の了承。最終確認は澪。

 

 ひとつ書くたびに、混ざっていたものが分かれていく。

 

 条件にできれば、扱える。

 

 扱えるなら、進めるか止めるかを選べる。

 

 真壁はその赤字を黙って見ていた。やがて、収納の中から小さな札を出し、何かを書き換える。

 

 澪は目を細めた。

 

「今、何を書き換えましたか」

 

「澪条件付き確認」

 

「札にしないでください」

 

「守るためだ」

 

 言い返そうとして、澪は口を閉じた。

 

 札にした方が、真壁は守る。

 

 腹立たしいが、分かってしまった。

 

「……ヴァルトさんへの説明には、私も行きます」

 

「結構」

 

「結構ではなく、同席します」

 

「同席で結構」

 

 澪は赤ペンのキャップを閉めた。

 

 机の端で、大学のゼミ資料が少しだけずれていた。今日、自分は発表の順番をどうするかで悩んでいたはずなのに、今は地下食品街と騎士団詰所とヴァルトの弟子の話をしている。

 

 生活が2つあるというより、机が1つしかないところへ全部乗っている。

 

 澪は、共同商館の断面図をもう一度見た。

 

 大きすぎる。

 

 けれど、分ければ見える。

 

 そして、見えてしまえば、もう無視できなかった。

 

 

 

 

 ヴァルトの机には、浄化加湿循環器の術式図が広げられていた。

 

 魔灯の光が紙の細い線を照らし、暖炉の火が低く鳴っている。窓の外は暗く、冬の冷気で薄く曇っていた。机の上には、風の小陣、浄化陣、水槽、魔石容量、交換部材といった言葉が並んでいる。どれも、ヴァルトがひとつずつ現物と照らし合わせながら書いたものだった。

 

 澪は、その紙を見て少し安心した。

 

 ヴァルトは、もう逃げていない。自分の役割を理解し、技術をどう渡すかを考えている。

 

 だからこそ、これからの話は重い。

 

 真壁は、遠慮なく本題へ入った。

 

「ヴァルト君、領都の拠点ができる」

 

 ヴァルトの顔が、最初だけ明るくなった。

 

「それは助かります。場所はどちらに」

 

「共同商館の2階だ」

 

「共同商館?」

 

 筆の先が紙の上で止まる。

 

 澪は、自分がさっき感じた嫌な予感と同じものが、ヴァルトの顔に浮かぶのを見た。

 

「地下に食品街、1階に店舗と詰所、2階に君の拠点、上に住居だ」

 

「……私の拠点とは」

 

 真壁は図面を広げた。

 

「講習室、試作室、検査室、図面室、弟子実習室だ」

 

 ヴァルトは、しばらく図面を見ていた。

 

 地下食品街の文字を見て、1階の詰所を見て、2階へ戻る。講習室。試作室。検査室。図面室。弟子実習室。

 

 筆が完全に置かれた。

 

「真壁さん。それは拠点というより、教育施設です」

 

「技術は教えねば増えない」

 

「私はいつから施設長に」

 

「今だ」

 

「今」

 

 暖炉の火が、小さく弾けた。

 

 澪は、口元を押さえたくなるのを我慢した。笑う場面ではない。ヴァルト本人にとっては切実だ。だが、あまりにもきれいに落とされた。

 

「ヴァルトさん、私もさっき似た気持ちになりました」

 

「澪さんもですか」

 

「はい。地下2Fの時点で一度止まりました」

 

「私は、2階の中身で止まりました」

 

 ヴァルトは深く息を置いた。

 

 それでも、図面から目を逸らさない。元王都魔術院境界課の人間として、構造を見る目は残っている。階段の位置、部材保管室、検査室と試作室の距離、弟子が触ってよい場所と触ってはいけない場所。驚きながらも、もう見てしまっている。

 

「領都に拠点があること自体は、助かります。ですが、これは規模が大きすぎます」

 

「大きい器だ」

 

「その言葉で済ませるには、2階だけでも仕事が多すぎます」

 

「なら分ける」

 

「誰にですか」

 

「弟子だ」

 

 ヴァルトの目が、ゆっくり真壁へ戻った。

 

 来ると思っていた言葉が来た、という顔だった。

 

「私は、まだ行商人として学んでいる立場です」

 

「だから教えられる」

 

「なぜですか」

 

「できない者のつまずきが分かる」

 

 ヴァルトは、少しだけ眉を寄せた。

 

「真壁さん、それは褒めていますか」

 

「結構褒めている」

 

「結構が不安です」

 

 澪は、そこで紙を一枚引き寄せた。

 

 ヴァルトの反論は、逃げだけではない。基準がないまま教えれば危険だ。浄化加湿循環器はまだ標準化の途中で、部屋ごとに風量も水槽も変わる。弟子を作れば楽になる、で済む話ではない。

 

 ヴァルトは、それを丁寧に口にした。

 

「浄化加湿循環器も、まだ標準化の途中です」

 

「基準が足りないなら、基準を作る」

 

「弟子に教えるには早いのでは」

 

 真壁は、ヴァルトの前にあったマニュアル案を軽く指で押さえた。

 

「弟子がいない場合、浄化加湿循環器の検査は誰がする」

 

「……私です」

 

「不具合が出た時は」

 

「私が見ます」

 

「新しい部屋に合わせる時は」

 

「私が調整します」

 

「各地から質問が来た時は」

 

「……私ですね」

 

「弟子が必要だ」

 

 ヴァルトは、自分の紙を見下ろした。

 

 風の小陣、浄化陣、水槽、魔石容量。1つずつ書いたものが、全部自分へ戻ってくる線に見えたらしい。

 

「逃げ道が、点検表のように埋まっていきます」

 

 澪は、そこへ静かに入った。

 

「ヴァルトさん、弟子を取る方が楽になるのは本当だと思います」

 

「澪さんまで」

 

「ただし、最初から全部任せるのではなく、段階を分けましょう」

 

 澪は紙に横線を引いた。最初の段には、掃除、部材名、触ってはいけない場所。次の段には、布炭層の交換、水槽の確認、魔石容量の見方。その上に、風の小陣の弱出力、浄化陣を触らない検査補助。さらに上に、刻印補助、線の歪み確認、部屋別調整補助。

 

 書きながら、澪は思う。

 

 これはもう講習課程だ。

 

 ヴァルトも同じことを思ったらしい。

 

「分けた瞬間、講習課程になりました」

 

「安全に分けると、そうなります」

 

 真壁が短く言う。

 

「結構」

 

「結構で学校ができます」

 

「技術は教えねば増えない」

 

 ヴァルトは、深く息を吐いた。

 

 拒否する材料は、まだある。だが、拒否した後に来る未来も見えてしまった。浄化加湿循環器が孤児院、診療所、教会、兵舎へ広がれば、点検と調整は必ず必要になる。それを全部自分が見るのか。それとも、最初に時間を使って人を育てるのか。

 

 どちらが楽かは、もう分かっていた。

 

「……弟子を取る、とまでは言いません」

 

 真壁は黙って待つ。

 

「候補者を見ます。適性を見て、危険なところを触らせない段階からなら」

 

「結構」

 

 ヴァルトは、その「結構」を聞いて、肩を落とした。

 

「今の結構は、かなり進んだ結構ですね」

 

 澪は小さく頷いた。

 

「かなり進みましたね」

 

 真壁は、すでに次の紙を出していた。

 

 澪とヴァルトは、同時にその紙を見た。

 

 材料欄。

 

 澪は、少しだけ目を閉じた。

 

「説得が終わったと思ったら、次は材料ですか」

 

「器には材料が要る」

 

 真壁は当然のように言った。

 

 

 

 

 採石場秘密基地の作業机には、共同商館の断面図と、材料欄の紙が並べられた。

 

 魔灯の光が机の上だけを明るくし、外の夜は深い。石粉の匂い、金属片の冷たさ、木材の乾いた手触り。真壁が収納から出した小さな石片や金具、木片、ガラス片が、紙の横に置かれていく。

 

 澪は、その白い粉が紙の端に落ちるのを見た。

 

 図面が、紙の上だけのものではなくなっていく。

 

「地下2F、地上5Fですからね。普通の木造では無理があります」

 

 ヴァルトは、さっきまでの施設長問題を脇に置き、材料を見る顔になっていた。切り替わりは早い。地下を作るなら、水、湿気、圧力、排水。食品街なら火と煙。酒蔵なら温度。発酵なら空気の安定。魔術だけでは建物は立たない。

 

 真壁は、材料欄の空白を指で叩いた。

 

「石、鉄、木、ガラス、結合材」

 

「結合材……セメントですか」

 

 澪は、現代側の言葉を出してから、少しだけ慎重になる。

 

「近い」

 

「石灰を使うのですか」

 

 ヴァルトが顔を上げた。

 

「石灰、火山灰、砂、粘土を試す」

 

「火山灰」

 

 澪が言うと、ヴァルトの指が止まった。

 

「……ゼグルド火山の記録があります」

 

 その名前が出た瞬間、室内の空気が少し変わった。

 

 澪はヴァルトの顔を見た。さっきまで教育施設で固まっていた時とは違う。今の止まり方は、記憶に触れたものだった。

 

 真壁は地図を出す。

 

 南の辺境。黒い山。人里から離れた道。薄く描かれた火山の印。

 

 ヴァルトは、その印に指を置いた。

 

「ゼグルド火山ですか」

 

「ヴァルト君の言っていた火山があったな」

 

 真壁が言うと、澪は思い出す。

 

「あの名前、前に火竜が出た場所ですよね」

 

「はい。火山灰を取りに行っただけのはずでした」

 

 ヴァルトの指は地図から離れない。

 

 黒い山肌。灰に沈む靴。赤茶けた岩脈。細かな灰の層。火竜の吸気。澪はその場にいなかったが、ヴァルトの表情だけで、軽い記憶ではないと分かった。

 

「今回は石灰だ」

 

 真壁の声は変わらない。

 

「目的を変えても火山は火山です」

 

 澪は、すぐに言った。

 

 ヴァルトも頷く。

 

「前回の火竜は、もう素材として処理されています」

 

「同じ火竜は出ない」

 

「そういう安心の仕方ではありません」

 

 澪は思わず返した。

 

 真壁はほんのわずかに視線を動かす。

 

 ヴァルトが続けた。

 

「火竜が1体だけとは限りません。別個体、別の火属性魔物、火山そのものの危険があります。道も悪く、灰は風で舞います。火口に寄れば熱や毒気もあるでしょう」

 

「結構。確認する」

 

「結構の使い方が怖いです」

 

 澪は赤ペンを探した。

 

 もう条件を書くしかない。

 

 ヴァルトは、地図の上で範囲を分け始めた。火口に近い場所。前に危険だった方向。火山灰を採った裾野。白い石の露頭を見た記憶がある場所。道が崩れやすい区間。灰が舞いやすい風の通り道。

 

 以前なら、危険な記憶として口にしただけだったかもしれない。

 

 今のヴァルトは違った。

 

 火山を、採れる場所と入ってはいけない場所へ分けている。

 

 澪は、それに少し安心した。完全ではない。火山へ行く時点で安心はできない。けれど、危険を言葉にできる人がいるのは大きい。

 

「前回は、珍しい鉱物に気を取られました。今回は採取範囲を先に決めます」

 

「結構」

 

「真壁さんも、珍しいものを見つけても範囲外なら後回しです」

 

 澪が言うと、真壁は地図から目を離さず答えた。

 

「主目的を外さない」

 

「その言い方、信用したいんですが、前例が多くて迷います」

 

「材料が要る」

 

「答えになっているようで、なっていません」

 

 それでも、真壁は収納から道具を出し始めた。

 

 火山灰用の密閉容器。白い石を入れる箱。軽石用の袋。粘土を入れる容器。水試料瓶。防護布。結界札。鑑定用台。小型の型枠。撤収用の空き区画。

 

 澪は、出てくる道具の数に目を細める。

 

「行く前提で準備していますね」

 

「見るだけだ」

 

「真壁さんの見るだけは、採取まで含みます」

 

 ヴァルトが、疲れたように言った。

 

「少量だ」

 

「少量試験、撤収手段、危険があれば中止。そこは条件にしてください」

 

 澪は赤ペンで紙に書き始める。少量。風上。短時間。火口不可。大型反応即撤収。珍品後回し。採取後鑑定。試験片作成。

 

 真壁は、それを見て収納札に変えていく。

 

 澪は、また札になっていく条件を見た。

 

 もう何も言わなかった。

 

 札になれば守られる。

 

 腹立たしいが、やはり分かってしまう。

 

「火山灰は風で舞います。熱、崩落、毒気、魔物もあります」

 

 ヴァルトが危険を重ねる。

 

「風上、短時間、結界、収納、撤収」

 

 真壁の返事は早い。

 

「今の早さで安全策を並べられるのが逆に怖いです」

 

「準備だ」

 

 澪は、共同商館の断面図とゼグルド火山の地図を見比べた。

 

 地下2F。

 

 地上5F。

 

 食品街。

 

 詰所。

 

 ヴァルトの技術拠点。

 

 商店主の住まい。

 

 そして、その材料欄を埋めるための火山。

 

 紙の上では、すべてが線でつながっている。生活を守る建物の話が、危険な火山へ伸びている。そのつながりが真壁らしくて、澪は少し頭が痛くなった。

 

 

 

 

 夜の採石場秘密基地は静かだった。

 

 共同商館の断面図とゼグルド火山の地図が並ぶ机の上に、ヴァルトが小さな袋を置いた。布袋の口を開くと、灰色の粉が薄く固まり、脇から軽石の欠片が転がる。火山の匂いがするわけではないのに、澪はその粉を見た瞬間、灰色の風を想像してしまった。

 

「前に採った火山灰です。肥料用に分けた残りですが、粒の細かい層と軽石は少し残しています」

 

 ヴァルトは袋の中身を小皿に分けた。灰は指先で押すとさらりと崩れ、軽石は見た目より軽い音を立てて皿の縁に当たる。白っぽい小片も混じっていたが、それが石灰系の材料として使えるかまでは、見ただけでは分からない。

 

 真壁は鑑定用の台を出し、灰、軽石、白い石片、砂を別々に置いた。澪は赤字条件の紙を図面の横へ戻し、無意識に「少量試験」の文字を指で押さえる。

 

「試すんですか」

 

「試す」

 

「今ですか」

 

「少量だ」

 

 澪は返事を飲み込んだ。

 

 止めたいわけではない。むしろ、行く前に試せるものは試した方がいい。ただ、真壁の「少量」は、いつも次の行動の入口になる。

 

 真壁は水を少しだけ加え、小さな型枠に灰と砂と白い粉を分けて入れた。詳しい工程を語ることはなく、ただ混ぜる量を変え、硬さと粘りを指先で見比べる。ヴァルトは横から、魔力を通した時の反応が強すぎないかを確かめるため、小さな結界札を机の端へ置いた。

 

 灰を混ぜたものは、指で押すとざらつきが残る。白い粉を多めにしたものは、表面が少しだけなめらかに見えた。軽石の欠片は、同じ大きさの石よりも明らかに軽く、澪がつまむと皿の上で乾いた音を立てる。

 

 真壁は試験片を並べ、共同商館の断面図へ視線を戻した。

 

「これで足りますか」

 

 ヴァルトが聞くと、真壁は固まりかけた小さな試験片を見たまま答えた。

 

「足りない」

 

 澪は、やっぱり、と思った。

 

「量ですか。種類ですか」

 

「両方だ」

 

 真壁は白い石片を小皿へ戻し、ゼグルド火山の地図へ指を置いた。

 

「この白い石を見に行く。灰も、軽石も、粘土も、採る層を分ける」

 

「増えましたね」

 

「分けただけだ」

 

「真壁さんの分けただけは、増えています」

 

 ヴァルトは地図の火口側に置いた立入不可の印を、もう一度押さえた。

 

「行くなら、裾野までです。火口側へは寄りません。前回の危険域も外します」

 

「結構」

 

 真壁は、採取用の空箱を閉じた。

 

 白い石用の箱だけは、まだ空のまま残っている。澪はその空箱を見て、共同商館の地下2Fの白い壁を思い浮かべた。まだ紙の上にしかない建物が、灰と石と水の匂いを少しずつまとい始めている。

 

「ゼグルド火山へ行ってみるか」

 

「軽く言う場所ではありません」

 

 ヴァルトの声には、以前の記憶が混じっていた。

 

 澪は赤字条件の紙を箱の上に重ねた。

 

「採取範囲と撤収条件は守ってください」

 

「守る」

 

「珍しい鉱物を見つけても、まず主目的です」

 

 ヴァルトも続ける。

 

「主目的は石灰、火山灰、軽石、粘土、砂」

 

 真壁が言った瞬間、澪は顔を上げた。

 

「今、増えましたよね」

 

「必要材料だ」

 

「やはり増えましたね」

 

 ヴァルトが静かに言った。

 

 それでも、誰も地図を閉じなかった。

 

 共同商館の断面図の地下2Fには、発酵貯蔵と酒蔵の線がある。その横で、ゼグルド火山の黒い山を示す印が、魔灯の下に沈んでいる。

 

 真壁は地図へ指を置いた。

 

 澪はその指を見る。

 

 ヴァルトは、その指の先にある灰色の裾野と火竜の記憶を、もう一度胸の奥で押さえた。

 

 魔灯の下で、白い石用の空箱だけが明るく浮いていた。

 

 その中に入るはずの石が、次に向かう場所を決めていた。

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