以外なものを見つけます。
採石場秘密基地の朝は、白く乾いていた。
外の斜面から返る石粉まじりの光が、入口の隙間を抜けて、作業机の上に薄い膜のように落ちている。机には、来週から形になる共同商館の図面が広げられていた。柱、梁、倉庫、商談室、保管室、換気の抜け道。まだ建っていない建物が、紙の上では先に重さを持っていた。
真壁は細い金属片を、図面の柱位置へ置いていく。
ひとつ置くたびに、机が小さく鳴った。油の匂いが染みた工具箱、赤鉛筆、古い定規、配線の束。換気装置の低い音が、石の壁に当たって戻ってくる。秘密基地の奥はいつも通りで、いつも通りでないものは図面の数字だけだった。
真壁の指が、鉄骨の欄で止まった。
「足らぬ」
短い声が紙の上に落ちた。
赤鉛筆が、鉄骨の本数を囲む。囲んだ数字の横に、さらに小さな印が増える。共同商館に使う柱、梁、補強材、予備材。紙の上では線でしかないそれらが、実際には大量の鉄を食う。
真壁は、収納内の現有鉄材と図面上の不足分を重ねて見た。表示された数値は、赤鉛筆の囲みより明らかに軽い。足りない。無理に薄くすれば建物が弱くなる。別素材でごまかせば後の手入れが面倒になる。
真壁は鉄骨欄の紙を伏せず、その隣に暖房経路の紙を引き寄せた。
バイオエタノールに寄せるなら、量がいる。炭に寄せるなら、置き場と煙の処理がいる。建物の壁を厚くし、熱を逃がさぬ構造にしても、冬の朝と夜は紙の上ほど素直ではない。人が出入りし、荷が入り、扉が開けば、熱は逃げる。
真壁は暖房の紙を一度伏せた。
次に光板の配置図を重ねる。風車の位置を重ねる。蓄電盤の候補を重ねる。紙の上で、共同商館の屋根が急に狭くなった。
照明だけなら、まだごまかせる。部屋ごとに使う時間をずらし、夜間の動作を絞れば、表向きは整う。だが、換気、保存、乾燥、制御、セルマ工房ビルへ伸ばす別系統まで加えると、余白が先に消えた。
真壁の赤鉛筆は、電源欄の端に触れたまま動かなかった。
現代側の小型発電機、蓄電池、太陽光、燃料電池。いくつかの形が頭を通り、すぐに退いた。大きすぎる。弱すぎる。燃料を食いすぎる。保守が目立ちすぎる。
発電所は論外だった。
小さく、強く、長く、奥に置けるもの。表の図面に出さず、制御盤の底で働き続けるもの。今の現代側で買える道具では届かない。
「100年、足らぬか」
真壁は赤鉛筆を置き、収納から地図札を出した。
共同商館の図面は伏せない。伏せるほどの秘密は、まだ紙の上にはない。
ただ、次に開く地図は、誰かに見せる地図ではなかった。
地図の淡い光が、共同商館の図面の上に重なった。
領都、街道、採石場、川筋、既存の町。人の通る場所には、薄い反応が散っている。鉄はある。だが浅い。弱い。使えないわけではないが、共同商館の骨をまとめて支えるには、あちこちから集めすぎることになる。
真壁の指が、領都から東北へ滑った。
道の線が細くなり、やがて消える。畑の四角い区画もなくなる。人の気配が地図から抜け落ち、森と丘と沢の濃淡だけが残った。
その空白の中に、重い反応が沈んでいた。
鉄。
強い。深い。広い。
同時に、別の濁りが周囲を覆っている。魔物だまりの反応だった。点ではなく面に広がり、森の奥から岩場の縁まで、重く滲んでいる。人が入る場所ではない。道を通す場所でもない。
そこに鉱山を開けば、鉄を掘る前に仕事が増える。道を作り、拠点を置き、護衛を張り、荷を通し、補給を続ける。鉄だけのためにやるなら、利益ではなく負担が先に立つ。
真壁は、その考えを声にしなかった。
声にする相手がいない。いたとしても、言う必要がない。
無地の札を1枚取り、座標に近い短い印だけを刻む。札の表に資源名は書かない。共有用の地図も開かない。商会の帳面にも触れない。
「東北、約100km」
指先が魔物だまりの縁をなぞる。
「道なし。人なし。魔物だまり」
真壁は札を通常棚へ戻さず、机の下段の無地の箱へ入れた。その箱には分類名がない。分類できないのではない。見せる必要がないものを入れるための箱だった。
飛行装備が収納から出る。携行結界、採取用の空枠、鉱石用の大容量枠、冷却保持用の空き枠。最後に、ヴァルトが以前付けた隠ぺい機能の表示を開いた。
表示は短く安定している。
「単独でよい」
共同商館の図面は、そのまま机に置かれた。
行き先を書いた紙は残さない。戻りの時刻も書かない。誰かを呼びにも行かない。
扉が閉じる音だけが、乾いた石の空気に低く残った。
外へ出ると、採石場の白い斜面が目に刺さった。
石粉を含んだ風が袖を叩く。真壁は襟元を払わず、装備の留め具だけを指で確かめた。机の上で金属片を動かしていた時と、同じ手つきだった。
飛行装備が浮く。
採石場が足元から離れ、領都へ続く道が細くなる。畑の区画はしばらく続いたが、やがて緑に飲まれて消えた。川に橋はなく、沢は黒く深く割れている。人の煙は見えない。道の埃もない。
風の音が変わった。
森の上を進むと、ところどころで鳥の声が途切れる。枝は揺れているのに、そこだけ音が沈む。地図に出ていた魔物だまりの重さが、空気の底にあった。
真壁は高度を下げない。
隠ぺい機能の薄い膜が、外気と真壁の間に一枚入っている。遠くで大型の影が樹冠を揺らしたが、こちらへ首を向けない。追ってこない。気づいていないのか、気づく理由を奪われているのか、どちらでもよかった。
「隠ぺい、良好」
声は風に削られた。
地図の反応が近づく。真壁は中心へ直接降りず、少し外れた岩場を選んだ。森から距離があり、足元が硬く、撤収方向を2つ取れる。降下前に収納の枠を開き、鉱石用と冷却用と、さらに奥の無地の枠を分けておく。
「助かる」
誰に向けた声でもない。
真壁は岩場へ降りた。
赤土の下に、黒い筋が走っていた。
真壁は靴先で土を軽く払い、手頃な石片を拾う。見た目より重い。指に乗る密度が違う。湿った土の匂いの奥に、かすかな金属臭が混じっていた。
鑑定表示が一瞬だけ開き、すぐに閉じる。
真壁は崖の線を見た。露出している黒い筋は細く見える。だが反応は奥で広がっていた。掘れば鉱山になる。人を入れれば町がいる。道も護衛も補給もいる。
だから開かない。
収納の口が、崖の露出部を薄くなぞった。黒い鉱石筋が音もなく消える。崖の表面は、不自然にえぐれない。赤土が少し崩れ、風で戻ればただの岩肌に見える程度だった。
真壁の目は、鉱床の価値を追っていない。共同商館の柱と梁に換算した量だけを追っている。鉄骨に使う分。その予備。そのさらに数倍。
収納内の表示に、共同商館用鉄骨材の必要量が薄く重なる。柱、梁、補強材、予備材。赤く囲んだ不足分に対して、鉱石用枠の量はすでに2倍を越えた。
「十分」
それでも真壁は、露出部をもう一筋だけ削る。岩肌を壊すのではなく、黒い筋だけを引き抜くように収納する。表示が3倍を越え、4倍に近づいたところで手を止めた。
「数倍でよい」
全部取らない。見つけたからといって、動かす必要はない。動かせば痕跡が増える。痕跡が増えれば、説明が増える。説明は、今回の工程に入っていない。
鉄鉱石は通常資材棚へ送らない。共同商館用の裏資材枠へ移し、外向きの札を貼らずに閉じる。
これで鉄骨用の鉄は足りる。
露出した岩場には、採掘現場らしい傷は残らなかった。赤土の色も、黒い筋も、遠目には変わらない。
「開かぬ」
真壁は鉱石用の枠を閉じた。
鉄の不足は、机の上から消えた。
鉄の反応から少し外れたところで、地図表示が別の揺らぎを拾った。
鉱石ではない。水でもない。岩盤の割れ目の奥に、燃える気体の反応がある。
真壁は足元を選びながら近づいた。赤土は薄くなり、岩の裂け目が目立つ。草は低く、風に揺れても戻りが鈍い。地面の下に空洞があるような圧があり、湿った土の匂いに乾いた鉱物臭が混じっていた。
鑑定表示を開く。
燃料になる。量もある。
暖房経路の紙を伏せた時の感触が、真壁の指先に戻った。バイオエタノールか、炭か。どちらでも不可能ではない。だが量がいる。置き場がいる。手間がいる。
ここにあるものは、表に出すには向かない。けれど、真壁が収納で扱うなら、話は短い。
「燃料」
まず、ごく少量だけ収納へ入れる。外へ漏らさず、試験用の隔離枠へ落とす。気体のままではかさばる。扱いも悪い。真壁は収納内の冷却枠を開き、温度を落とした。
表示が収縮する。
保持量の数字が変わり、隔離枠の占有が小さくなった。漏れはない。揺れもない。冷却保持の中で、燃える気体の反応が重くまとまっていく。
「冷やせば入る」
取得量を増やす。
岩盤を大きく崩さない。設備は置かない。そこに何かがあると示す物を残さない。収納の枠だけが静かに膨らみ、冷却保持の表示が重くなる。
共同商館の暖房。工房の熱源。表の紙では面倒だった候補が、収納の奥でひとつにまとまっていく。
「取れるだけ取る」
真壁は天然ガスを冷却保持枠へ収め続けた。共同商館だけなら多すぎる量になり、セルマ工房ビルの熱源まで考えてもなお余裕が出る。そこでさらに少しだけ増やし、表示が安定したまま動かなくなるのを見て止めた。
取り尽くさない。長居もしない。
森の奥で鳥の声が一度切れ、真壁は表示を閉じた。
冷却保持へ移した天然ガスを、真壁はその場でさらに見た。
燃料として使う主な成分の横に、軽い希ガスの反応がある。主ではない。だが、無視する量でもない。
ヘリウム。
真壁の指が止まった。
それは単体で湧くものではない。空気から拾えば、手間ばかり増える。天然ガスに含まれるから、取り出す意味がある。前世の知識が、湿った岩場とは違う場所から顔を出す。
表示は長く開かない。
「混じっているか」
真壁は燃料枠の一部をさらに分けた。通常の冷却保持とは別の奥、表に名を出さない枠へ送る。
天然ガスとして使う分とは別に、ヘリウム含有分として保持する。燃料枠の量は減りすぎない。軽い希ガスの反応は、秘匿枠の中で薄くまとまる。
札は貼らない。名前も書かない。外から見れば、無地の枠がひとつ増えただけである。
鉄の札もない。燃料の札もない。ヘリウムの名もない。
あるのは、置き場所が変わったという事実だけだった。
「これは別枠」
真壁は取得地点の印を、個人用の札へ短く重ねた。共有地図には触れない。商会用の帳面にも書かない。
岩場には何も残らない。
真壁は来た時と同じように、音を立てずに浮いた。
採石場へ戻る頃には、外の光が傾いていた。
未開地の湿った空気は、秘密基地の扉を閉じたところで切れた。内側には、乾いた石粉と油と紙の匂いが戻る。机の上には、出る前に置いた共同商館の図面があり、赤鉛筆も転がっていない。
誰も触れていない。
真壁は装備を戻し、収納内の枠を開いた。
鉄鉱石は、通常の資材棚へ置かない。共同商館用の裏資材へ送る。加工されるまで、外からはただの無地の重い枠である。
冷却した天然ガスは、燃料用の保持枠へ移す。共同商館の暖房と、必要ならセルマ工房ビルの熱源へ回せる量がある。だが、その枠にも外向きの説明は付けない。
ヘリウムを含む分は、もっと奥へ移した。札を貼れば便利になる。便利になるが、見える。真壁は札を取らず、無地のまま閉じた。
「戻し先を分ける」
工具箱の金具がかすかに鳴った。
真壁は共同商館の図面を開く。取得した資源の名はどこにも書き込まない。鉄骨欄には内部用の小さな印だけを置く。暖房欄にも、他人が見ても意味を取れない符号を重ねる。
「表へ出さぬ」
机の上では、まだ不足が残っているように見えた。
それでよかった。
秘密基地の奥は、作業灯の白い輪だけが浮かんでいた。
扉を閉じると、外の採石場の音が消える。石床は冷え、金属筒の表面は指の湿りをすぐ奪う。真壁は通常の作業机ではなく、さらに奥の遮断した作業空間を使った。
外部接続はしない。共同商館にも、セルマ工房ビルへ伸ばす線にも、まだ触れない。
試験負荷を置き、測定板を開く。冷却保持の枠を近づけ、無地の小型外装を脇に置く。どの部品にも、外向きの名はない。
「外部接続なし」
真壁の手は速い。だが、この作業では飛ばさない。
危ないからやめるのではない。危ないから閉じる。分ける。外へ出さず、出力だけを取り出す。
前世の記憶にある、今より先の技術。その骨格だけが、石の基地の奥で、今ある道具と収納の性質へ押し込まれていく。真壁は由来を語らない。語れば長くなる。長い説明は、今ここで何の出力も生まない。
「封じる」
部屋の空気がわずかに張った。
真壁は手元の表示を見る。熱。揺れ。音。漏れ。どれかが跳ねれば、すぐ閉じるつもりで試験負荷へ短くつなぐ。
小さな灯りが点いた。
揺れない。
工具を置く音が、閉じた部屋の中で硬く響いた。真壁は負荷を少しだけ変える。灯りはまだ揺れない。測定板の数値は落ちない。金属筒は熱を持たず、石床の冷えに近い温度を保っている。
「出力だけ取る」
作業灯の白い輪の中で、無地の外装が口を開けて待っていた。
数時間後、秘密基地の奥に残っていた音は、測定板の低い動作音だけだった。
風車はつながっていない。光板もない。蓄電盤にも頼っていない。それでも試験用の小さな灯りは、石壁へ淡い光を返している。壁の凹凸が、薄く浮かんで見えた。
真壁は表示を閉じず、しばらく見る。
値は落ちない。熱は逃げている。揺れはない。余分な音もない。
金属筒に指を当てる。冷たい。工具の先で外装を軽く叩くと、鈍い音が返った。中身を主張しない音だった。
真壁は、無地の外装へ小型発電システムを収めた。遮断枠を閉じ、出力端子だけを制御盤用に残す。試験負荷の灯りは、最後まで一度も揺れなかった。
完成だった。
前世の記憶の端に、ひとりの名が引っかかる。遥か未来の開発者の1名。紙の資料でも展示の説明でもなく、記憶の奥に短く残っていた名。
「イオネスコとするか」
それ以上は言わなかった。
無地の箱に表札は付けない。通常の蓄電盤の棚にも置かない。共同商館の制御盤奥へ入る予定の、さらに奥の位置へ収める。
試験用の灯りを消すと、部屋は作業灯の白さだけに戻った。さきほどまで石壁を淡く照らしていたものは、箱の中に沈む。真壁は測定板を閉じ、遮断を解く前にもう一度だけ収納内の位置を見た。
名前はある。
札はない。
だが、共同商館の隠し電源は、この時点で完成していた。
夕方の作業机には、朝と同じ共同商館の図面が広げられていた。
違っているのは、真壁の手が止まらないことだけである。鉄骨欄の横には、外から見ても意味を取れない小さな印が増えている。暖房経路の紙は伏せられ、電源図だけが中央に戻された。
光板。風車。蓄電盤。
公開用の図面には、それだけでよい。屋上に置く位置、風を受ける角度、蓄電盤の納まり。どれも見せられる。説明できる。誰かが見れば、節電に気を使った堅実な共同商館に見える。
真壁は制御盤の奥に、わずかな余白を作った。
「表は光と風でよい」
赤鉛筆が線を引き、すぐ止まる。セルマ工房ビルへ伸ばす予定の線は、乾燥棚と換気の安定用に見える位置へ寄せる。少し太い。だが、工房ならそういうこともある。薬草を乾かし、瓶を置き、空気を抜くなら、細すぎるよりはましだ。
真壁は無地の小箱を一度だけ図面の隅に置いた。
箱には名がない。図面にも名は出ない。朝から机の上を占めていた不足のうち、いちばん厄介だったものが、その何も書かれていない箱へ収まっている。
「奥に置く」
小箱は収納へ消えた。
鉄骨材は、加工されれば普通の資材として混じる。どこから来た鉄かは出ない。燃料は冷えたまま奥にある。ヘリウムを含むものは、さらに深い枠で眠っている。
共同商館の図面だけを見る者がいれば、光板と風車と蓄電盤で苦心した、堅実な建物だと思うだろう。
真壁は赤鉛筆を置いた。
「足りる」
作業灯の光が紙の端に細い影を作る。秘密基地の外では、白い石が夕方の冷えを吸い始めていた。机の上に残った図面には、名札のない余白だけが、制御盤の奥で小さく空いていた。
ヘリウムを使った核融合
真壁の生きていた時代は超小型化する技術がありました。