孤児院の洗い場では、二十リットルのウォーターバッグが、前より少しだけ情けない姿になっていた。
初めて取り出した時には、袋の中で水がずしりと揺れ、子どもたち全員の目を丸くさせた。それが今は、腹の減った革袋みたいにたるみ、洗い場の木箱の上でくしゃりと横になっている。
中身が減るのは、良いことだった。
大豆もやしの水替えがきちんと行われている証拠だからだ。子どもたちは、水を入れ替える時間を覚え始めていた。シスターに呼ばれる前に器を見に行く子もいる。布をめくる時には、以前よりずっと慎重に手を使うようになった。
けれど、減った水袋を見た澪は、素直には喜べなかった。
水道水を毎回百リットル持ち込むのは無理だ。前にやった時は、収納の奥に水の重さが居座り、孤児院まで歩くだけで頭の芯が疲れた。あれを続けたら、大豆もやしより先に澪がしおれる。
トトが、たるんだウォーターバッグを両手で持ち上げた。
「もう軽い」
言いながら、振ろうとする。
シスターの声がすぐ飛んだ。
「軽くなったから振っていい、ではありません」
トトは手を止めた。
「水、入ってないよ」
「水が入っていなくても、袋は仕事道具です」
「袋も仕事するのか」
「します」
トトは、たるんだ袋を見下ろした。
「大変だな、水袋」
「トトより落ち着いています」
シスターにそう言われて、近くにいた子どもたちが笑った。トトは不服そうだったが、ウォーターバッグを木箱の上へ戻した。
澪はその袋を見ていた。
使い捨てにするには惜しい。現代側から持ってきたものだ。洗って乾かせば、また水を入れられる。だが、何を入れるのか。誰が入れるのか。入れた水が本当に大豆もやしに使えるのか。
そこを決めないまま再利用すると、ただの便利な袋ではなく、危ない水を大事に運ぶ袋になる。
リュシアが、澪の横に立った。
「顔がまた難しくなってるね」
「この袋、こっちの水を入れて使えないかと思って」
「いいんじゃないかい。ただし、何を入れるか決めないと駄目だね」
「はい。何でも入れたら終わります」
「魚を洗った水を入れられたら、そこで終わりだ」
リュシアは、あまりに自然に恐ろしいことを言った。
澪は即座にうなずいた。
「それは絶対に嫌です」
シスターも近づいてきた。手には、布巾と木札がある。もう、澪が何か言う前から、札を使うと分かっている顔だった。
「袋ごとに札を付けましょう。水を入れる前に洗い、乾かし、誰が入れたかも書きます」
司祭も、少し離れたところから頷いた。
「子どもが勝手に水を詰めることは、させません。便利な袋ほど、間違えた時に大きく困ります」
澪は、たるんだウォーターバッグを両手で広げた。透明な樹脂の口が、光を受けて少しだけ白く光る。
ただの袋ではない。
これは容器で、道具で、番号を持つ在庫になる。
そして、間違えれば、腹痛の入れ物になる。
「……水袋も管理対象」
「また増えたね」
リュシアが言った。
「増えました」
澪はうなずいた。
まず、水を見ることになった。
孤児院で使える水は、大きく分けると三つある。井戸から汲む水。屋根から集めて甕に貯めた雨水。台所や洗い場の近くに置かれている汲み置き水。
どれも、子どもたちにはただの水に見える。
澪にも、最初はそう見えた。
だが、もう見た目だけでは信用しない。ここは鑑定を使う場面だ。
澪は井戸のそばへ行き、汲みたての水を入れた桶の前にしゃがんだ。水面は揺れている。光を受けて、底が見えた。嫌な匂いはしない。
「鑑定」
小さく呟く。
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井戸水
透明度:良好
異臭:なし
濁り:少
用途:飲用候補
注意:汲み置き時間に注意
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澪は、少しだけ息を吐いた。
「井戸水は、汲みたてなら候補にできそうです。ただ、置きっぱなしはだめです」
司祭が頷いた。
「台所で使う分も、長く置いたものは避けましょう」
次に、雨水を貯めた甕へ向かった。
甕は大きく、蓋がされている。蓋を開けると、水はそれなりに澄んで見えた。だが、わずかに湿った古い匂いがある。雨の匂いと言えばそうなのかもしれないが、澪はすぐにうなずけなかった。
「鑑定」
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雨水
透明度:普通
異臭:ごく弱い
混入物:微量
由来:屋根・樋経由
注意:初雨混入疑い
用途:もやし用には要処理
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澪は固まった。
「初雨……」
リュシアが横から覗き込む。
「何が見えた」
「最初に屋根や樋の汚れを流した雨が、混ざっているかもしれません」
リュシアは甕の内側を見た。
「最初の雨は屋根を洗う水、だったね」
「はい。豆には使いたくないです」
「雨も面倒だね」
「水、全部面倒です」
トトが腕を組んで言った。
「やっぱり水ずるい」
「まだ水だけならよかったんです」
澪は、汲み置きの桶へ視線を移した。
その桶は、ぱっと見には綺麗だった。水も澄んでいる。けれど桶の内側に、どこか鈍い光がある。澪は嫌な予感を覚えながら手をかざした。
「鑑定」
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汲み置き水
透明度:良好
異臭:なし
貯水日数:不明
容器状態:内側に古い油分
用途:もやし用には不適
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澪は桶を見て、顔を引きつらせた。
「水じゃなくて、桶がだめです」
シスターが桶を受け取り、内側を指でそっとなぞった。ほんのわずかだが、ぬるりとした感触があるらしい。シスターの眉が動いた。
「これは台所の古い桶ですね。油を洗った時にも使ったかもしれません」
リュシアが、桶を覗いて舌打ちした。
「水がよくても、入れ物で負けるわけだ」
「はい。水、ずるいです」
「やっぱり水ずるい」
トトが真顔で言った。
澪はそのまま止まらなかった。
柄杓を鑑定する。柄の握るところに、わずかなぬめり。
布を鑑定する。前に豆を包んだ時の匂いが少し残っている。
甕の蓋を鑑定する。隙間から小さな虫が入った形跡。
甕の底を鑑定する。細かな沈殿物。
鑑定、鑑定、鑑定。
使うたびに、見えなかったものが少しずつ出てくる。水そのものだけではない。水に触れる物が、全部危ない可能性を持っている。
澪はだんだん無口になった。
リュシアが、澪の顔を見た。
「澪、顔が険しい」
「水より、周りが敵です」
司祭が静かに言った。
「水だけではなく、水に触れる物を見る必要があるのですね」
「はい。水を取る場所、桶、柄杓、布、蓋、全部です」
目の奥が重い。
何度も鑑定したせいで、こめかみのあたりがじんわり熱くなった。けれど、見つけたものは無駄ではなかった。シスターは汲み置き桶を外し、柄杓を取り替え、布を洗い直すよう子どもたちに指示した。司祭は、雨水の甕に使う蓋を見直すと言った。リュシアは、もやし用の桶を別に用意するよう市場へ声をかけると言った。
澪は、少しだけ壁に手をつき、鑑定を開いた。
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篠原澪
体力:39
筋力:29
集中:49
睡眠:やや不足
鑑定:4
収納:4
商才:芽あり
衛生管理:上昇中
在庫管理:上昇中
容器管理:上昇中
水管理:上昇中
栄養管理:発生
課題進捗:完了
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「鑑定、上がってる……」
リュシアが笑った。
「水に勝ったのかい」
「水じゃなくて、桶と柄杓と布に勝ちました」
トトが、近くの柄杓を警戒するように見た。
「敵、多いな」
「多いです」
澪は、心からそう思った。
積層ろ過桶を作る準備は、思ったより市場っぽかった。
リュシアがどこからか砂利と砂を集めてくる。粗い砂、細かい砂、炭、布。炭は黒くて軽いが、触れば手が黒くなる。子どもたちは当然、触りたがった。
中でもトトは、最初に触った。
そして、両手を真っ黒にした。
「俺、炭係」
胸を張ったトトに、リュシアは即座に言った。
「手を洗ってから名乗りな」
「炭係だから黒いんだよ」
「水のそばに黒い手を近づける係はいらない」
トトはしぶしぶ洗い場へ連れていかれた。
エレナは、桶の中を興味深そうに覗き込んでいる。護衛は、その一歩前に立ち、エレナの手と炭の距離を細かく見ていた。
「私は触らぬ」
「触る前の声です」
「まだ触っていない」
「だから止めています」
澪は布を広げながら、何度も説明した。
「これは、水を完全に安全にする道具ではありません。濁りや匂いを減らすためのものです。これを通したから何でも使える、ではありません」
リュシアが、子どもたちへ向けて言い直す。
「汚い水を魔法で飲める水にする桶じゃないよ。濁りを減らす桶だ。変な匂いなら使わない。大人が見る」
子どもたちの理解は、そちらの方が早かった。
澪は、少しだけ肩を落とした。
「私の説明、長いんですね」
「長いね」
リュシアは否定しなかった。
小さな桶の底に布を敷き、その上に砂利を入れ、粗い砂を入れ、さらに細かい砂を重ねる。炭は細かく砕きすぎないようにして、布で包んで間に挟んだ。
澪は、桶の下に別の受け桶を置いた。
「少しずつ入れます」
雨水甕の水を、まず布で粗く濾してから、積層ろ過桶へ注いだ。
最初に出てきた水は、黒っぽかった。
「黒い!」
澪は思わず声を上げた。
トトが嬉しそうに言う。
「黒い水」
「使いません」
澪は即答した。
リュシアが覗き込み、炭の粉だね、と言って受け桶を遠ざけた。
「最初に出た水を豆に使う気かい」
「使いません」
「二回言った」
トトが言う。
「大事なので二回言いました」
澪は真面目に返した。
何度か水を通すと、少しずつ黒さは減った。濁りも薄くなる。最初よりは、確かに見た目が澄んでいる。
だが、澪はそれを見てすぐに安心しなかった。
「澄んで見えても、安全が決まったわけではありません」
シスターが受け桶の水を見ながらうなずいた。
「澄んで見える水でも、まだ大人が見るのですね」
「はい。あと、最後は食べる前に火を通します」
司祭は、子どもたちへ向けて穏やかに言った。
「綺麗に見えることと、食べ物に使ってよいことは、同じではありません」
トトが、少し考えてから言った。
「水、ますますずるいな」
澪は否定できなかった。
次は札だった。
澪は木札を前に、筆を持って固まっていた。
雨水。井戸水。ろ過済み。未加熱。もやし用。本日中。
書くべきことは分かっている。だが、それをそのまま書いても、孤児院の小さい子どもたちが読めるとは限らない。
リュシアが横から見て、すぐに言い換えた。
「雨の水。井戸の水。砂と炭を通した水。豆草用。今日使う。変な匂いなら使わない」
「もやし用です」
澪は小さく抵抗した。
トトがすぐ口を挟む。
「豆草用の方が読める」
「読めても、名前が違います」
シスターは少し考えてから言った。
「子どもが読める方を優先します」
澪は負けた。
木札には、豆草用、と書かれた。
ただし、澪の帳面には、しっかり「もやし用水」と書いた。そこだけは譲らなかった。
トトは木札を見て満足そうだった。
「豆草、勝った」
「勝ってません。表向きだけです」
「表向き勝った」
澪は返す言葉を探して、見つからなかった。
収納持ちの子どもの話が出たのは、その日の午後だった。
シスターが、一人の子を連れてきた。年はトトより少し下くらいで、痩せているが目はしっかりしている。手には小さな布袋を持っていた。
「この子は、小さなものなら短い間しまえます」
シスターが言った。
子どもは緊張していた。布袋を胸の前で握りしめている。
澪は、すぐに水袋を見せようとは思わなかった。二十リットルは無理だ。水は重い。収納に入っても、負担はある。自分が身をもって知ったばかりだ。
「まずは、空の袋からです」
司祭が先に言った。
澪はうなずいた。
「はい。水を運ぶ前に、空のウォーターバッグ、布、軽い木札からです」
リュシアも頷く。
「重いものから始める子は、だいたい腰をやる前に心が折れる」
トトが手を上げた。
「俺もやる」
「トト、収納あるんですか」
「ない」
「では、まず水替えからです」
「水替え、地味」
「地味なことが一番大事です」
エレナは、収納持ちの子をじっと見ていた。
「才能を見るのか」
澪は首を振った。
「才能というより、安全にできる範囲を見ます」
司祭が静かに付け足す。
「そして、できないことも見るのです。無理をさせないために」
収納持ちの子は、少しだけほっとした顔をした。
澪はその顔を見て、慎重に進めようと思った。
中身のなくなったウォーターバッグは、洗うだけでも少し手間がかかった。
口が狭い。水を入れて振ればよいというものでもない。中に水が残ったまま置けば、匂いが出るかもしれない。乾かす時には、口を開けて、中に風が通るようにしなければならない。
子どもたちは、当然のように袋を膨らませようとした。
シスターが止めた。
「これは遊ぶ袋ではありません」
「前にも聞いた」
トトが言う。
リュシアがすぐ返す。
「聞いたなら覚えな」
澪は、袋を吊るす場所を探した。日が当たりすぎず、床に触れず、子どもが走ってぶつからない場所。思ったより難しい。
袋番号。前に入れた水。洗った人。確認した大人。次に入れる予定の水。
また表が増える。
澪は帳面に書きながら、思わずため息をついた。
「大豆もやし、表が多い……」
リュシアは笑った。
「でも、表がないと水袋が迷子になるよ」
「水袋、迷子になりますか」
「トトが持つとね」
「俺、まだ持ってない」
「持つ前から分かるんだよ」
トトは不満そうに唇を尖らせた。
収納持ちの子ども候補には、まず小さな水袋を使った。
片手で持てる程度の袋に、少しだけ水を入れる。直接持つと、子どもにはそれでも重い。けれど収納に入れると、表情が少し楽になった。
澪は、子どもの目の前に桶を置いた。
「出す時は、必ず桶の上。床に出したら全部だめです」
子どもは真剣にうなずいた。
澪は、さらに近づいた。
「迷ったら出さない。分からなくなったら、私かシスターを呼ぶ。急がない。走らない」
子どもはもう一度うなずいた。
小さな水袋が、収納から出た。
少しだけ場所がずれた。
澪は慌てて手を伸ばしたが、袋は桶の縁に当たり、なんとか中へ落ちた。水が揺れ、少しだけ跳ねた。
子どもは青ざめた。
司祭がすぐに声をかける。
「大丈夫です。こぼしていません。今ので、桶の真上に出す練習が必要だと分かりました」
リュシアも、子どもの顔を見て言った。
「水が少ない時に失敗しておくのは悪くないよ。二十リットルでやったら泣くからね」
トトが横から言った。
「俺なら床に出さない」
リュシアが見た。
トトは黙った。
澪は、収納持ちの子の顔色を見た。怖がりすぎてはいない。疲れてもいない。ただ、真剣だった。
司祭は、その様子を確認してから言った。
「仕事にするなら、休む時間と、食べる時間と、受け取る銭を決めましょう。できたからといって、続けてやらせるのは違います」
澪は深くうなずいた。
便利な力を見つけた時ほど、止める決まりが要る。
エレナは、積層ろ過桶とウォーターバッグの運用を見て、当然のように言った。
「屋敷でも作れば、もっと多くできる」
澪は迷った。
屋敷なら、器も人手もありそうだ。水を貯める場所もあるかもしれない。けれど、今広げると、手順が乱れる。名前だけ真似されて、汚れた水で大豆もやしを作られたら困る。
リュシアが、澪より早く止めた。
「姫様、手順が固まる前に増やすと、悪い真似も増えます」
シスターも静かに続ける。
「まず孤児院で少量です。失敗した時に止められる数。水を捨てても泣かない数。それからです」
エレナは不満そうだった。
「屋敷の者なら覚えられる」
「屋敷の者が覚えたとしても、町の者が真似します」
澪は言った。
「間違えた真似が広がるのが怖いんです」
エレナは、少しだけ黙った。
前なら、屋敷でできるかどうかだけを考えただろう。けれど今は、市場や孤児院で起きることも少しずつ見るようになっている。
「つまり、今は水の稽古なのだな」
「はい。豆草……ではなく、もやしの前に水の稽古です」
トトが目を光らせた。
「今、豆草って言った」
「言ってません」
「言った」
「言ってません」
エレナが笑った。
護衛がすかさず言う。
「エレナ様、炭には触らないでください」
「笑っただけだ」
「笑った後に触ることがあります」
「信用がないな」
「はい」
エレナは、少しだけむっとした。
最初の現地ろ過水を使う時、澪はかなり緊張した。
現代側の水道水で仕込んだ器とは、完全に分ける。札も違う。水の由来も書く。雨水なのか、井戸水なのか。布で取ったか。砂と炭を通したか。誰が匂いを見たか。
今回は、井戸水を布で濾し、積層ろ過桶を通した水を少量だけ使う。
澪は、器に大豆を入れ、水を注いだ。
見た目は、現代の水道水と大きく違わない。
だからこそ怖い。
失敗した時、どこが原因なのか見なければならない。水か、桶か、布か、置き場所か、手か、時間か。
シスターが横で言った。
「失敗しても、記録が残れば次に役立ちます」
澪は、器に札を結びながらうなずいた。
「はい。捨てることも試験の一部です」
言ってから、少しだけ胸が痛んだ。
捨てるのは嫌だ。もったいない。孤児院の子どもたちに食べさせるはずだったものを捨てるのは、できれば避けたい。
でも、危ないものを食べさせるよりはいい。
澪は札の結び目を確かめた。
現地ろ過水。井戸水由来。今日仕込み。大人確認済み。食べる前に加熱。
字が多い。
だが、今はそれでよかった。
片付けの途中で、事件は起きた。
トトが、炭を触った手で木札を持った。
澪の目の前で、白っぽい木札に、黒い指跡が三つ付いた。
「水の札が!」
澪は本気で叫んだ。
トトは札を見た。
「読めるよ」
「読めるかどうかじゃないです」
リュシアがトトの手首をつかんだ。
「読めても洗いな」
「俺、炭係だから」
「今は黒い手係だよ」
エレナが笑った。
護衛がすぐに一歩前へ出る。
「エレナ様は触らないでください」
「私は何もしていない」
「今からしそうでした」
「していない」
「する前に止めています」
澪は、黒い指跡のついた札を見て、深く息を吐いた。
木札の予備も必要。
炭を扱う時の手洗いも必要。
炭係という役職は不要。
帳面にそう書こうとして、最後だけやめた。
トトが横から覗き込む。
「炭係、書いた?」
「書きません」
「なんで」
「ない係だからです」
トトは納得していない顔だった。
六畳間に戻った澪は、スマホを開いた。
ウォーターバッグの追加購入画面が残っている。二十リットル、折りたたみ式、蛇口付き。買えば楽になる。たぶん、すぐに使う。あればあるほど便利だ。
澪は、購入ボタンの手前で指を止めた。
買えば、現代品頼りになる。
もちろん、現代品を使うのが悪いわけではない。だが、孤児院で今日作ったものは、ウォーターバッグの数ではなかった。
机の上には、水管理表が広がっている。
袋番号。
水を取った場所。
布で濾したか。
砂と炭を通したか。
誰が見たか。
どの子が運んだか。
いつ使ったか。
捨てた理由。
澪は、大豆袋ではなく、その表を見てため息をついた。
大豆もやしは、豆を育てる話ではなくなっていた。
水を選び、濾し、札を付け、子どもが運び、大人が捨てる判断をする。そこまでやって、ようやく豆は食べ物に近づく。
澪はスマホの画面を消した。
ウォーターバッグを買い足す前に、まずこの表を回す。
六畳間の床には、相変わらず大豆袋が地味な顔で残っていた。けれど澪には、その横に見えない水袋と、黒い指跡のついた木札まで積まれているような気がした。